第4話
ヤマモトさんによると僕は通称―――といっても知る者はごく一部だが、“歴史渡り”と呼ばれている者になった。
ちなみにヤマモトさんは通称“管理人”と呼ばれている。
この日を境に僕の常識と日常は大きく変わった。
『価値ある人間』のそれは常人と違うのだ。
僕は今に至る日本の正しい歴史を知った。
何人もの“歴史渡り“が伝え継いできたこれまでの長い歴史だ。
僕は意識を集中させれば、心の中に分厚い本――“歴史書”が現れるような感覚が生まれる。
一ページめくってみると整然と書き連ねられている文字列が認識できる。それが何ページにもわたり本を形成していた。
歴史書というよりは形式の自由な個人的な日記みたいなもので、細かく書き記された文字は三日前の日付のページを最後に、残りは白紙のページが続いている。
ここからの先の歴史を書き連ねていくのが僕の仕事らしい。
基本的に僕は日本の歴史にとっての重要な出来事を書いていくのだが、細かい取捨選択は僕に一任されている。
ただ過ぎし日のページを空白のままにしてしまえば激しい焦燥感に駆られる。
僕は心の中で本をめくり、行ったり来たりしては今までの出来事をパラパラと読み返す。
確かにこれまで何人もの“歴史渡り”によってこの本が書かれてきていることが、書かれている文体の違いを見れば一目瞭然だった。
ただこの“歴史渡り”にはいくつかの制約がある。
まず一つ目にして最大の特徴とは、老いることがなく、寿命が約三倍に伸びたことだった。さらに病気にもかからない。
人の平均寿命は約八十年。十六歳の僕はこれから(80引く16)×3、つまり約200年分の健康体が保証されたわけだ。
このことは“歴史渡り”を世間に知らせていないことの一因でもある。
寿命や老い、病気の克服を研究する者は世に何万といる。僕の不老不死もどきな身体は彼らの興味の対象になる。
その中に悪用を企てる研究者がどれだけいたとしてもおかしくはない。
だから知られてはいけない。
しかし寿命が約三倍に伸びたとはいえ、素直に喜べない。
なぜならこれは恐らく普通の人が思い描くような素敵なモノではないからだ。
どうやら生きている時間は変わらない。
おっと、間違えた。
厳密に言えば『起きている』時間は変わらないらしい。
制約二つ目は、僕が活動している時間は常人と変わらないのだが、睡眠に充てる時間が活動時間の二倍になる。
――つまりは三日の内の二日間は寝ていることになる。
記憶の定着―――しっかりと歴史書に加筆するにはそのぐらい睡眠が必要なのだそう。
制約三つ目は、夢を全く見ない。ただこれは二日間寝ていることへの救いかもしれない。
目を閉じて、次の瞬間目を開けるともう二日とんでいる。
このことは睡眠時間が活動時間より二倍以上も多いことによる『現実と夢の混同』というものを防いでいる。
おかげで見たいドラマ、読みたい雑誌や漫画を待つ時間は大幅に短縮されたという解釈も可能だ。
週刊誌は全然週刊ではない。
週一の少年誌も然り。
制約その四は、一度歴史渡りになると長い間務めを果たさない限り、やめることが出来ないこと。
他には真夜中になる前には必ず寝てしまうこと。
日本から出ると死んでしまうこと。
これをヤマモトさんは魚が潤いのない陸地に出るようなものだと例えた。
歴史の他に個人的な嬉しいことも悲しいことも含め、全ての記憶を死ぬまで完全に忘れることは出来ないこと、などなど。
親族への資金の支給という条件に、僕の両親はこの現状を素直に受け入れた。
彼らだってお金のために働き続けている日常から解放されたいのだろう。
兄のこともそうなのだが、親は放任主義をこよなく愛しているらしかった。
兄だって今やどこで何をやっているのか分からないのに誰も気にかけない。
全く自己中心的な人たちだ。
僕が時たまの歴史に残る可能性のある外交事情、娯楽事情、新規事業の発表会やお披露目会を現地で体験するためにヤマモトさんと国内を移動する。
“歴史渡り”になってからの僕は間違いなく唯一無二の経験をしていた。
学校面はというと、高校二年と三年を出席日数ギリギリで突破し卒業した。
その後の進路は大学か宮内庁就職―――とはいえそれは“歴史渡り”を全うすることを示すのだがーーーで大学進学を選んだ。
大学は交友関係を広げようと思えばいくらでも広げられるし、人と関わらないようにすればいくらでも自分の時間を作ることができる。
僕は出たい講義だけ出た。
それでも実質の在学時間は短大に通うよりも短い。
僕はほどよく世間において行かれないように情報集めをし、必要があれば日本の各地を飛び回るという大学内でも上位に入るような優雅な大学生活をしていたと自負している。
僕の言う優雅な生活と、酒や女に溺れる堕落な大学生の生活が全く違うことはご承知いただきたい。
大学なんて何歳で在籍していようが偏見の目で見られることはないしーーーまあ僕の変わらぬ16歳の見た目ならむしろ若すぎるのだがーーー金銭面や戸籍関係は宮内庁の力によって何とでもなる。
『価値ある人間』の生活も悪くは無かった。ただある一点を除けば。
先代であるアクツはある期間、厳密に言えば6年間の歴史を“歴史書”に書かなかった。
それは僕が“歴史書”に空白があるのを見つけたことで発覚した。
幸いその空白による激しい焦燥感はないのだが、何か物足りないような違和感は常に僕につきまとっている。
つまりは僕には先代たちより仕事が一つ多い。
なぜアクツがその期間の歴史を白紙にしたのか。
歴史というものは過去からつながっていて、その流れを切ってはならないのに。
だから僕は何かの転換期があったのかもしれない白紙な歴史の欠片を探す羽目になった。
直接アクツに遇って抗議したいものだが、アクツという男は残ったわずかな余生のために雲隠れしているらしく、ヤマモトさんでも居場所は分からないらしい。
今どこにいるのか誰も知らない。
僕はアクツが“歴史書“の一部を白紙にした理由を見つけ、そしてその期間の精密な歴史を探して書き足し、空白をなくさなければならなかった。
胸を突くような違和感は気になるが、寿命はまだ長いのだし、空白の件は気長に解決すると決め込んだ。
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