08





 欲しいものはなんだと問われれば、きっと六割以上のやつが「金」と答えるだろう。日本人の場合は日本銀行券だ。

 この金というやつは、しかし「物品と交換可能なモノ」でしかないわけで、ようするに欲しいものと引き換えるために金が欲しいと言っているに過ぎない。


 つまり「金が欲しい」なんて回答は、答えになっちゃいないのだ。


 それを踏まえて考えてみると、俺の欲しいものは――なんだろう? そりゃあ、新しいスマホだって欲しいし、高性能のパソコンだってあれば嬉しい。毎朝の目覚めをどうにか快適にする素敵グッズなんかもあればいい。


 が、本当に欲しているのかと問われれば、否だ。

 そもそも本当に欲しているなら手に入れる努力をしている。


 故に――欲しいものはなんだという設問に対し、物品を回答するのは冴えていない、ということになる。

 だって本当に欲しいなら、手に入れる努力をしているはずなんだから。

 ならば愛や友情や平和をこいねがうのが冴えているのだろうか。これも否だ。アホくさい。仮に欲しがっていたとして、誰かに問われて答えるものか。


 そりゃ、生島一成に半ばハメられるようにして生徒会副会長になったのは不満ではあるけれど、死ぬほど嫌だってわけでもない。意欲も義務感も、ましてやり甲斐みたいなものだって感じてはいないけど、まあいいかと思っている。


 欲しかったモノならあるけど。

 それはたぶん、二階堂・グレース・春香が指している「キミの欲しいもの」ではないだろう。ていうか、マジであいつなんなんだよ。全然判らない。


 ……というようなことを考えながら、廊下を歩いて軽音部室へ。

 同じ部室棟なのであっという間だ。


 礼節を知る俺はきちんとノックをして、しかしマナー講師のありがたい言葉は知らないので、特に返事は待たずにドアを開けた。



◇◇◇



「また来たんだ。こっちはなんの進展もないよ」


 今日はちゃんと椅子に座ってギターを抱えていた結城由紀は、少し気取った感じで俺を見て唇の端を持ち上げた。

 どうやら昨日とは違って、調子を取り戻したらしい。


 彼女が太ももに乗せているのは黒いボディのエレキギターで、右手にピックを摘んではいるが、特になにかを演奏していたわけではないようだ。

 ちゃらぁん、と弦が爪弾かれる音が響く。

 アンプに繋いでいないエレキギターの音色は、なんだかちょっと頼りない。


「そっちの進展は?」


 なんてことない声色で問う結城に、俺はまた勝手にパイプ椅子を引き出し、結城の正面に位置取った。ついでになんかカッコつけておきたかったが、残念ながらなにも思いつかなかった。そういうパワーはさっき使ってしまったのだ。


 仕方ないので「やれやれ」と溜息を吐き、肩をすくめる。

 それから、少し考えてパイプ椅子の上であぐらもかいてみた。

 なにをどう言うべきかの時間稼ぎだ。

 結局のところ、なにをどう言おうが結論は変わらないのだが。


 とりあえず、遠回りから始めよう。


「あんま得意分野じゃないんだけど、推理小説のキモになるポイントってのは三通りあるらしい。WHO、WHY、HOWだ」


 わけの判らない切り出しをした俺に、結城は思いっきり口を開けてこっちを睨んできた。もし声を出せたなら「は?」と発音していただろう。

 しかしこういうのは気にしたら負けだ。

 二階堂・グレース・春香という前哨戦を越えた俺は強い。

 そのまま続ける。


「フーダニットは『犯人なのか』みたいなのがポイントになる。ホワイダニットは『そのようなことをしたのか』ってのがポイント。ハウダニットは『やったのか』がポイントだな」


 人差し指、中指、薬指、と順番に立てていく。

 結城は開いていた口を閉じ、ちゃらんとギターを鳴らした。たぶんCコード。


「まず――ハウダニット。どのように、だな。どのようにして『犯人』は部室に入り、壊れたギターを持ち去ったのか」


 部室の鍵は、副部長である結城と、三年のゴースト部長が持っている。

 このふたつを使用しない場合、職員室の鍵を借りる必要があるが、そのときは鍵を借りる書類に記入しなければならない。そしてみどりさんの証言によると先週の金曜から軽音部の鍵を借りたやつはいない。


「答えは簡単。『犯人』は三年の部長に鍵を借りた」


 消去法だ。

 こんなの誰でも判る。


「じゃあ、次。フーダニット。『誰』が部長に鍵を借り、結城の知らない間に部室を開けて壊れたギターを持ち去ったのか。『犯人』は『誰』なのか」


 これも簡単。

 たぶん結城にだって判っている。


「ギターが壊れたのを知ってるのは三人。結城由紀、木村日向、森継忠だ。他の部員は部室に来てないし、部室に入る方法がないし、職員室の鍵は誰も使ってない。これは確認してきた。まず結城は部長に鍵を借りる必要がないから候補から外れる」


 そもそもギターがないと言い出したのは結城であり、仮に結城がギターをどっかに隠したのだとすればわざわざ部外者の俺にそんなことを言う必要がない。

 床にぺたんと座り込んで呆然としたりも、しない。


「じゃあ木村日向か? これも考えにくい。一人でギターを壊してしまった、っていうなら理解できる。こっそり直しておけばいいんだからな。でも違う。結城の見てる前でギターを壊してるし、月曜日に修理に出そうって話に落ち着いてたんだから、こっそりギターを持ち出す必要がない」


 残りは一人だけ。

 だから後は、理由だ。

 ぶっちゃけあんまり考えたくもないのだが。


「で――ホワイダニット。『どうして』だな。どうして森継忠は、金曜の帰宅以降から月曜の放課後までの間に、壊れたギターを部室から持ち出したのか。月曜日に修理に出すって言ってんのに。どうして」


「……


 ほとんど表情らしきものを浮かべずに結城は問いを口にする。

 言葉尻に疑問符がなかったので、単純に俺の言葉を繰り返しただけかも知れない。もしかすると自宅に疑問符を忘れてきたのかも知れない。


「推測はできる」


 と俺は言った。結城が無表情のまま先を促すので、続ける。


「森継は学校サボったり、あれこれ自由なところのあるやつだけど、そういう外側から見た行動ほどに悪いやつじゃないってことは知ってる。俺は好きじゃないけど。でも、まあ、悪いやつじゃないんだろ。ならその前提でいく。森継は『それがイイコト』だと考えて、ギターを持っていった」


 ようするに、悪意じゃないってことだ。

 困らせようとか、ビビらせようとか、嫌な気持ちにさせようとしたわけではないのだろう。森継の中では『イイコト』をしたつもりなのだ。


「たぶん、結城に内緒でこっそり修理に持っていって、月曜には部室に戻すつもりだったんだろ。でも修理に時間が掛かった……そんなところじゃね? 連絡先知ってるなら、確認してみればいい」


 そう振ってみれば、結城は抱えていたエレキギターをスタンドへ運び、鞄からスマホを取り出してあれこれ操作し始めた。

 たっぷり一分くらいの沈黙が訪れ、俺はその六十秒間でどうでもいいようなことをつらつらと考える。


 さっきの『欲しいもの』のことだったり、会長のことだったり、もしもの話だったりだ。もし――そう、もしも俺が軽音部に顔を出さなかったとしたら?


 と。


 マナーモードにしているらしい結城のスマホが振動する。

 画面に視線を落とし、それから、深い溜息。


「驚かせようと思って、土曜にギター持ってった、って。今、ギターの修理が終わったところで、こっちに向かってるってさ」


 はは、と乾いた笑みを見せる結城。

 俺はやれやれと溜息を吐き、椅子の上であぐらをかくのを止めて立ち上がった。


「事件解決だな。っつーか、事件でもなんでもなかった。ってことで、俺は消えるよ。あんまり好きじゃないんだ、森継のこと。引っ掻き回されたのは同情するけど、まあ、大事にならなくてよかったよ」


「あー、うん、そう、ね。そうかも」


「俺がいてもいなくても、なにも変わらなかったと思うけどさ。どっちみち森継は修理が終わったギターを持って来るんだから」


「ん……、それは、そうかも……だけど」


 少しだけ重い荷物を下ろしたような、ほんのわずかに気の晴れたような、そんな顔をして結城由紀は微笑んだ。

 ロック少女らしく、ちょっぴり斜に構えた、カッコイイ笑み。


「気分は、違うよ。ありがと、桃井」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る