07





 朝。

 しっかり起きて、あれこれ準備して、朝飯を済ませて登校する――これができるっていうだけで誇っていいと思うくらい俺は朝に弱い。


 母親は呆れ果てて諦めがついているらしく、俺を起こしてくれるとかそういうことは一切ない。朝食は用意してくれている。ありがたい。

 ともかく俺は毎日ゾンビみたいな呻き声を洩らしながらベッドから這い出て用意された飯を食い、それから歯磨きを済ませてシャワーを浴び、ようやく人間に戻る。


 火曜日だ。

 といっても別に大した変化はない。いつもの授業、いつもの昼飯、クラスメイトとの他愛ないやり取り。特筆することもないが、たぶん十年後とかにふと思い出すのは、こういう瞬間なのだろうなと思う。


 青春ってやつ。

 かわいい女の子は身近にいないけど。

 ていうか、友人すらあまりいないけど。


 まあ、俺の青春なんてものはどうでもよろしい。

 今回の話だ。


 放課後を告げる鐘が鳴り、いつの間にかスマホには会長からの連絡が来ていた。それに返信はせず、少し考えてから文芸部へ顔を出すことにする。


 こう見えて文芸部員なのだ、俺は。

 いや、まあ、どう見えているかは知らんけどさ。


 文芸部は軽音部と同じく、部室棟に居を構えている。

 基本、部室棟には文化部が充てがわれているのだ。例外は、音楽室と音楽準備室をがっつり占拠する吹奏楽部だとか、放送室を利用する放送部なんかがそう。


 生徒会に入る前はよく顔を出していた文芸部であるが、この部活の美点は文化祭のときに部誌を発行する以外の義務が存在しないことだ。

 去年は四百字詰め原稿用紙三枚分の駄文を寄稿したが、二年はその倍だったか。幸い、俺は文章で無駄口を叩き続けることを苦に感じないタイプである。質の方は、そりゃあ普段から真面目に文芸をやってる部員に譲るよ。ちゃんとやってるやつが、良いものを書く。そういうものだろ。


「あっ、副会長。こんにちは。今日はこちらで活動ですか?」


 部室のドアを開けると、一番近くにいた一年が挨拶してくれた。

 黒髪ロングストレートがよく似合う清楚系の美少女だ。顔の造形が涼と同じくらい整っていて、物腰がきっちりしている。例えば椅子に座る姿勢が良いとか、ドアを乱暴に開け閉めしないとか、そういうことだ。

 吉野よしの美優みゆう、だっけか。


「ちっす。こっちは顔出しだけ。生徒会の仕事が残ってる」


「そうなのですか。残念ですね。副会長の感想は独特なので、また聞きたいと思っていたのですけど」


 社交辞令もきっちり言える、できた後輩。

 雑に肩をすくめて笑っておく。


「そりゃどうも。だけど今読んでるの坂口安吾だろ? 吉野を唸らせる感想なんて出て来ないと思うけどな」


「大丈夫です。『面白かった』の一言でも、なんだか嬉しくなりますから」


「あー……うん、面白かったよ。一流のやつ」


「『二流の人』ですね、それは。読んでいませんね」


「積ん読リストに入れておくよ」


 などと無駄話を挟みつつ、軽音部の倍の広さを有する部室を確認する。といっても目的の人物はいつも同じ場所でラノベを読んでいるので、そこにいなきゃ『今日はいない』というだけだ。

 件の人物は――今日は、そこにいた。


 部室の窓際、パイプ椅子に背中を預けてライトノベルを黙々と読み進めているブロンドの美人。表紙に描かれているのは人化したドラゴンの少女だ。

 肌は白く、瞳はあおい。

 身体のメリハリも少しばかり刺激的。


 随分と特徴的な人物だと思うなかれ、この女の最も特筆すべき点は、容姿や名前ではなく、その性格と特技だ。


 二階堂・グレース・春香は捜しものが上手い。


 知る人ぞ知る、というやつだが、たぶん知ってるやつは少なくない。

 いろんなやつが彼女の世話になって、いろんなやつが彼女に感謝していて、いろんなやつが彼女とまともにコミュニケーションできていない。


「おや、久しぶりだね、暗躍者の走狗くん」


 ぱたりと片手でラノベを閉じ、すらりと長い脚をわざとらしく組み、とびっきりのドヤ顔をかましてくる二階堂。


 いや、うん、マジで様になってる。

 他のやつがやったら絶対笑ってた。

 こいつがやると、むしろげんなりするんだよな。


 俺はやれやれと溜息を吐いてから、覚悟を決めてニヒルに笑ってみせる。


「ああ、そういや久しぶりだな。ちょいといぬの真似事が忙しくてね。そっちは優雅に読書で羨ましいぜ、ハーミット・グレース」


 隠者の恩寵ハーミット・グレイス

 誰か早く俺を笑え。いや待て、二階堂と喋ってる間は我慢してくれ。目の前の金髪美人がやたら嬉しそうにキラキラと青い瞳を大きくしてるので、掴みはオッケーのはずだ。さすがライトノベルで義務教育を終えた女。


「うふふふ。うんうん、キミはよく判ってるじゃないか。あっ、ところでコレは読んだかい? どうだった?」


 ラノベの話だ。

 俺は文芸も文学もそこそこ読むが、多く読むのはライトノベルである。だから咄嗟に『隠者の恩寵』なんて単語を口から吐き出すことができる。


「あー、それ三巻だろ。続きを楽しみにしてろよ。ネタバレだから言わないけど、期待していいと思う」


「ほう! それはそれは、いいことを聞いたな」


 機嫌良さげに微笑む二階堂は、うっかりドキドキしそうなくらい綺麗だ。なんというか、比喩表現を用いるのが面倒なくらい、綺麗である。

 五とか六とかなら数える気になるけど、二十三とかそのくらいになるとパッと見て数えようって気にならないのと、少し似てる。


 まあ、とりあえず、話をできる状態には、なっただろう。

 こいつ、掴みを外すと人の話とかあんまり聞かないんだよな。


 幼い頃からその見た目で、きっと人から話しかけられることが多すぎたのだ。本人にとってはどうでもいいような話を、だから二階堂・グレース・春香はさっくり無視する技能を習得したのだろう……と、俺は思ってる。実際は知らんが。


「ところで二階堂、ちょっとした例え話だ。狗の愚痴だと思って聞いてくれ」


「ほう。いいだろう。喋る狗は嫌いじゃない。喋り過ぎなければね」


 なんでいちいち厨二的リアクションを取るんだよ。

 いや、ツッコんでたら話が進まない。


「部屋にヒーロー役が一人、ヒロインA、ヒロインBがいる。三人は部屋にあった高価な物に傷を付けてしまう。三人で相談して、三日後に修理に出そうって決める。でも二日後にヒロインAが部屋に訪れると、ブツがなくなっていた」


「ふむ」


「部屋の鍵を持ってるのは、ヒロインAと……そうだな、ヒロインAの兄貴だ。あるいは別の場所から借りることもできるけど、鍵が借りられた形跡はない」


「ふむふむ」


「状況は以上。二階堂ならどう解く?」


「わかんない」


 即答だった。

 考える素振りすら見せぬほどの即答だ。質問の仕方を間違えたか……いや、そもそもこいつは捜しものが妙に上手いのであって、推理が上手なわけじゃない。


「やれやれ」


 と、俺はわざわざ口に出して肩をすくめた。そのわざとらしいアクションがお気に召したのか、二階堂は続けてこんなことを言った。


「――でも、そうだね。キミはそのまま狗の仕事をするといいよ。結構、向いてると思う。キミが欲しいものも、きっと見つかる気がする」


 それは紛れもなく、隠者の恩寵であった。

 とりあえずは、そう締めておこう。

 非常に遺憾ながら。


 こいつがなにをどう感じてそんなことを口走ったのか――なんて、考えても仕方がないし、おそらく本人にもよく判っていない。

 俺の欲しいもの?

 なんだそりゃ。今回の話には全く関係ない。

 だが、せっかくの恩寵だ、素直に賜っておこう。


「助言に感謝しとく。それじゃ、俺は狗の仕事に戻るよ」


「うん」


 と頷いた二階堂の視線はすでに俺にはなく、いつの間にか開かれていたラノベのページに戻っていた。






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