06





 なにかをするとき『まずやるべきこと』は大概の場合、同じだ。

 状況の把握。

 なにがどうなってるのかを知らなければ、なにをどうすればいいのか判らない。

 ごくごく当たり前の話である。


 なので、ごくごく当然のように、俺もそうする。

 とりあえずの現状、把握しているのは――


 金曜日、軽音部では二年結城由紀と一年木村日向が部室でギターを弾いていた。木村日向が使うギターは軽音部の備品である。

 少し遅れて二年の森継忠が現れる。木村日向とセッションを提案し、二人で演奏を始める。結城はそれを見ていた。

 で、しばらくして木村がバランスを崩したかなんかで転びそうになる。森継はそれを助けるが、ギターが壊れた。どっかにぶつけたので。

 その日は解散の流れになり、ギターに関しては結城が月曜日に楽器店へ持っていくという話になった。


 補足として、このことを知っているのは結城、木村、森継の三名だけである。現在は俺、桃井英志を加えていい。

 部室の鍵は副部長である結城と、三年のゴースト部長が持っており、他の人間が部室を開けるためには職員室で鍵を借りる必要がある。で、この場合は誰が鍵を借りたのか、という記録が残ることになる。

 教諭の誰かが立ち会って鍵を借りる書類にサインするからだ。

 返却の際は立ち会いこそ必要ないが、書類にサインはする。


 そんでもって、翌週月曜日。つまり今日。

 結城由紀が放課後になって部室に行くと、壊れたギターがなくなっていた。

 そこに俺が来た。


「やれやれ。それじゃあ、どうするかね……」


 ぼそりと独りごちながら、廊下を歩く。

 とっくに軽音部は辞しており、ここから先は俺の仕事だ。


 やるべきことはまだ残っている。

 現状把握の続き。

 潰しやすい可能性はさっさと潰していったほうが話が早い。


 というわけで廊下を進む足を早め、部室棟から渡り廊下を通って本校舎へ。そのまま歩き続け、一階の保健室にたどり着いた。

 放課後なので利用者はいないだろうが、一応はノックをしてからドアを開く。


「あら――あぁ、エイジくん。どうしたの?」


 スチールデスクに向かってなにやら書き物をしていた保健医がこちらを振り返り、顔をほころばせた。花が咲くような――というよりは、干したてのシーツを広げたような、そういう印象の笑い方。


「お疲れさまっす。ちょっと頼み事があるんですけども」


「最近、多いね。副会長になったから忙しいんだ? 一年生の頃は顔を出してくれることなんて全然なかったのにね」


 くすくすと笑う保健医の名は、福山ふくやまみどり。

 福山は旧姓で、現姓は桃井。

 桃井みどり――俺の兄貴の、お嫁さんである。


「まあ、用事もないのに来てもアレなもんで」


「別にいいのに。たまにはココアでも飲んでいく?」


「遠慮しときます。要件ですけど――」


 言いかけたところで、みどりさんの頬がぷぅと膨れていく。

 二十台半ばの女性がやるような仕草じゃないはずなのに、見た目があんまり成長していないのであまり違和感がなかった。

 そして俺はもっとずっとガキの頃から、この人のこういう表情に弱いのである。


「――いや、よく考えたら温かいココアのひとつでも飲みたいくらいに心が冷えてたっすね。ココア、飲ませてくれます?」


「うん、いいよ」


 にこりと微笑んで、ポーションタイプのココアをさっとつくってくれる。自分の分はマグカップで、俺の分は紙コップ。

 保健室を訪れるやつは、なにも怪我人や病人だけじゃない。ちょっと心が弱ってるやつなんかも、きっと来るのだろう。


 みどりさんが勧めてくれた椅子に腰を下ろし、渡されたココアを啜り、俺以外の誰かが同じようにして胸を暖めている光景を幻視する。

 そんなに多くいるわけじゃないだろうが、少なくもないはずだ。


「コースケくんがね、ちょっとびっくりしてたよ。エイジくんが生徒会の副会長になったって言ったら。あいつがそんな面倒なことをするなんて信じられない、って」


 機嫌良さげに笑みをこぼしながらみどりさんは言う。

 無論、コースケというのは俺の兄だ。


「俺だって誰かに言われたら信じられないっすからね」


 へっ、と鼻で笑っておく。

 そんな俺に、みどりさんはやっぱり暖かな笑みを見せていた。

 なんというか、その名の通り、草木に色がつきはじめた春先みたいな空気の人だ。ガキの頃からずっと変わっていない。

 俺も兄貴もあまり人好きするタイプじゃないが、この人のおかげで最低限のコミュ力を身につけられたような気がする。発揮するかはさておき。


 ともあれ。

 草原でコロコロ転がる春先の子熊みたいにくつろいでいても仕方ない。


「で、要件なんですけど。軽音部でちょっとトラブってる感じで、金曜の放課後以降で部室の鍵が借りられてないか、確認して欲しいんすよね」


 これは生徒会役員であれば申請すれば閲覧許可が出るだろうとは思う。が、桃井英志が閲覧申請したという記録は残るし、記憶にも残るだろう。

 今のところ、この件は『案件』になってない。というか、『案件』になる前に処理したいのが会長の狙いだ。


 ので、俺がなにかやった記録は残すべきじゃない。

 ので、知人の保健医を頼ろうと思ったわけだ。


「いいけど。エイジくん、たまには用事なく訪ねて来てもいいんだよ?」


「遠慮しときます。今のところ、福山センセーと俺の関係、あんまり知られてないんで。バレると面倒っすから」


「職員室では知られてるよ?」


「それは別にいいっすよ」


 ココアを飲み干してから立ち上がる。みどりさんは「仕方ないなぁ」と思っているときの笑顔で俺を見ていた。たぶん、俺にとっては一番よく見た顔だ。


「生徒会、頑張ってね。あとでスマホに連絡入れるから」


「すんません。お願いします」


 言って、保健室を出る。

 後ろ髪を引っ張られすぎてぶちぶちと引き千切れそうな気がした。



◇◇◇



 生徒会室には戻らずスマホで連絡をとってそのまま帰ることに。

 理由はいくつかあるが、みどりさんの顔を見た後に会長のツラを拝むのが非常に嫌だったのだ。あと、四階まで登るのが面倒くさかったし。


 それにしても――まったく、こういうコミュニケーション能力を求められる案件を俺に回すのはどうなんだろうって気がする。

 こういうのは小沢涼が適任だろうし、なんなら三年の土門鳩子や佐久間なぎさにやらせたっていいはずだ。

 まあ、それをいい出したら俺の仕事はなんだよって話になるが。


 いいじゃんか、例えば全校集会のときに教諭陣のために椅子を並べる仕事だって、あるいは文化祭のときに、なんだ、よく判んないけど、雑用とかあるだろ。


 いや、判ってる。

 人がやりたがらない仕事を押し付けるために、会長は俺を生徒会に入れたのだ。それも、桃井英志が嫌気が差すラインをかなり見極めて話を振ってくる。

 今回の件だって面倒だし楽しくはないが、投げ出そうとは思わない。


 乗りかかった船だ。

 しかも船員が取り残されてる。


 最初に部室を開けたとき、ぺたんと床に座り込んで呆然としていた結城由紀の顔を見てしまった。あれさえ見てなきゃ、下船できたと思うのだが。


 やれやれ、と溜息を吐きながら下駄箱を開けると、ちょうど靴を履き替えている最中だった涼を発見した。涼の方も同じタイミングで俺に気づく。


「あっ、モモくんだ。今日はもう帰るの?」


「ああ。そっちも仕事は終わったのか?」


「提出物の回収だけだからね。部室棟の方はだいたい終わり。運動系の方は、会長とか土門先輩が回収してくれるって」


 えへへ、と微妙な笑い方をする。

 どうやら運動部に対しては苦手意識があるらしい。まあ、女の子と見紛う容姿で、身長も高くない、体格も華奢、性格も控えめ――これだけ揃ってれば、オラオラ系の運動部員との相性はそれほど良くないだろう。

 向こうの方は涼を好ましく思っていても、涼が苦手意識を持ってる、みたいな感じだろうか。あるいはオラオラ系運動部員になにかされた過去がある、とか。


「そっか。じゃあ今日は終わりだよな。途中まで一緒に帰ろうぜ」


 と、俺は内心のあれこれを口から吐き出すことはせず、外靴にさっと履き替えて涼の背中を軽く叩いた。


「うん、いいよ」


 にっこり笑って頷く涼に、俺もあまり上手でない笑みを返しておいた。



◇◇◇



 帰り道。


 涼とは生徒会のことはあまり話さず、どうでもいいような話をするだけにしておいた。「軽音部でこういうことがあって、俺は今こういうことをしてる」みたいな話をすることもできたが、そうしようと思わなかった。


 わざわざ第三者に吹聴して回ることでもない。

 ただ――気になるものは、どうしても気になってしまう。

 ので、情けなくも問いかけてみた。


「なあ、今回の話って、どう考えても外に漏れるような話じゃないんだよな。一体全体どうやって会長は『軽音部の話』を知ったんだ?」


 システムだよ、モモちゃん。

 とかなんとか会長は言っていたが、どういうシステムを構築すれば知りようのない情報を知り得るというのか。実際問題、今回のギターの件は結城由紀、木村日向、森継忠の三人しか知らないはずなのだ。

 軽音部がトラブりそうって、どうやって知る?


「うーん……たぶん会長は細かい話なんて知らないと思うよ。いろんな話を集めて、そこから推測してるんだと思う。今回モモくんが扱ってる案件については、ぼくは判らないけど……もしかしたら……」


「もしかしたら?」


「夢の中で、猫にお告げをもらったのかもね」


 うふふ、と微笑む。

 会長が同じことを言ってウヒヒと笑ったら殺意が湧いていただろうけど、涼がやる分には肩の力が抜けるだけで済んだ。

 

 おかげで――というべきか、余計な疑問まで口にしてしまった。


「あのさ、涼。俺ってやっぱ便利に使われてるだけじゃないか? あの意地悪な会長の手先みたいな感じでさ。これって『イイコト』だと思うか?」


 愚問とはこのことだろう。少なくとも他人に問うべき事柄じゃない。

 そんなもん自分で考えろ――俺が同じ問いを誰かに聞かされたならそう答える。

 でも、涼は違った。

 美少女みたいに綺麗な顔立ちで微笑み、こんなふうに言うのだ。


「もし生島会長がホントに意地悪なだけの人だったらさ、ぼくも生徒会辞めるから、モモくんもそうしようよ。たぶん、そうはならないけどね」


 なるほど、そいつは素敵なアイデアだと思った。


 駅前で涼と別れ、家に帰って着替えて夕食を済ませて風呂に入ってテキトーにライトノベルを読んでいると、スマホが反応した。

 みどりさんからだ。


『先週金曜から今日まで、軽音部室の鍵を借りに来た人はいないみたい』


 そういうことらしい。

 もちろん俺は礼節というものを知っているので――可能であれば行使する相手は選びたいが――みどりさんには感謝の言葉を送信し、ついでに会長へも連絡を取り、返信は待たずにラノベの続きへ取り掛かる。


 いいよな、なんかカワイイ女の子が自分のことをやたら好きでさ。

 でもよく考えたら、すげー美少女が自分のことをめっちゃ好きだったら、ものすごく気疲れしそうで嫌だ。周囲の視線だって多少は気になる。


 やっぱり俺は主人公ってガラじゃないんだよな。

 脇役だよ、脇役。


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