第12話 公園にて


 一か月後の土曜日にジャズフェスティバルは開催された。ノッコは午後3時頃まで自宅のピアノで練習をして、会場に向かうことにした。会場は有楽町付近のコンサートホールで行われることになっていた。正式名は東京ジャズフェスティバルと言って、日本一の規模、というほどではなかったがそれなりに国内で有名なジャズアーティストしか出演できない有名なコンサートだった。中には世界的にも有名なアーティストも出演することもあった。ノッコはデビュー当時に一度だけ出演したことがあったが、それ以来このイベントには呼ばれたことがなかったが、白川の計らいでノッコは再び出演できることになったのだった。ノッコは楽屋に入り準備をしていた。

開場時刻になったので客がぞろぞろと入場し始めた。リナも入場して席に座って開演時刻になるまで待っていた。コンサートホールはかなり広くリナは後ろの方の高い位置の座席だったのでその広さがよく分かった。ステージにはでかい立派なグランドピアノが設置されていて、ステージの天井からは「東京ジャズフェスティバル201x」とたすきのようなものがぶら下がっていた。

「ノッコ、こんな広いホールでやるの久しぶりだから大丈夫かな・・・」

ジャズフェスティバルの出場者の予定は5名でノッコは3番目の出番だった。開演時刻になり一人目の神谷誠二というアーティストがステージに上がってきて演奏が始まった。リナはこのアーティストは知らなかったがコンサートプログラムの出演者のプロフィールを見るとかなり有名な人のようだった。ピアノのタッチも素晴らしく華麗な曲をたくさん弾いていた。

一人目の演奏が終わると観客席から拍手が起きた。

「ノッコは次の次か・・・」リナはノッコの出番はまだかな、と待ちながらコンサートプログラムの次の出演者のプロフィールを見て仰天した。「沙希ヒカリ」という20代の新鋭トップジャズアーティストでリナもよく知っていた。世界中の海外メディアからも注目されつつある若き精鋭だった。

「え、嘘なんでこんな人が出てるのよ?」リナはどきまぎしてきた。

これは白川の計らいだということはリナもノッコも知らなかった。ノッコにとっていい刺激になると思って、沙希ヒカリが出演する今回のジャズフェスティバルにノッコを出演させたかったのだった。沙希ヒカリの出番を待ちながら白川も真ん中あたりの席でステージを見ていた。

ノッコは楽屋で衣装などの着替えやヘアメイクをし終わり、本番前に備えてイメージトレーニングをしていた。さすがにノッコも緊張してきて「ふー」と大きく深呼吸をした。

その時ノッコの携帯に電話がかかってきた。

「はい、もしもし?」

「あの・・・山本さん?私です・・・川澄恵子です」

ノッコは恵子さんから電話があるなんてなんだろう、と不思議に思いながら

「はい、そうですけど・・・どうしたんですか?」

「いえ・・・・・・山本さん、あなたね・・・もしかして、最近守と連絡取り合ったりしてないかしら?」

「いえ・・・最近は全く会っておりませんが」

自分から守とは会わないように、と恵子さんが言ったのではないか、とノッコは思った。

「そう・・・それならいいんだけど・・・」恵子さんが何やら深刻そうだったので、

「守君に何かあったんですか?」

「え・・・ええ・・・それが・・・家に帰ってこないんです・・・もう3日も」

ノッコは恵子さんの思わぬ言葉にびっくりして

「それって・・・いなくなったってことですか?」

「ええ・・・それも突然。学校にも行ってないようだし。守の友達宅にも塾にも精神科にも親戚中にも電話をかけたんですが・・・どこにもいなようなんです。もしかして、山本さんのところにお邪魔してないかと思いまして・・・本当に守そちらにいませんよね?」

「はい、今日は日中自宅にいましたが守君は来ませんでした」ノッコは本当のことだったのでそう答えた。

「そうですか・・・ありがとうございます。もし守がそちらに来るようなことがあったら申し訳ないですが・・・こちらに連絡いただけますか?」

「はい、分かりました。すぐに連絡します。今外出中なのですが、帰ったらどちらにしろまた夜に電話しますね」

「はい、ありがとうございます。そちらにももしいないようなら、警察に電話するしかありませんよね。突然ごめんなさいね・・・それでは失礼します」

そう言って恵子さんは電話を切った。プープープーという電話の切れる音に妙な緊張感が走っていた。いつもは少し気取った感じで話す恵子さんが沈んだ感じで話していた。ノッコも他人ごとではなく守のことが心配になった。そういえば、パーティーの帰り道に守はやけに沈んだ顔をしていたのを思い出した。パニック障害ということもあり普段から守は元気がなかったのだが、あの日はとりわけ憂鬱そうに見えた。そんな心配をしていると楽屋の外が急に騒がしくなった。どうやら会場ステージの方で大拍手が起きているようだった。沙希ヒカリが舞台に立って挨拶をしているのだとノッコは思った。

沙希ヒカリは見事な演奏で曲を披露していた。自作の曲を弾いているようだったが、即興演奏ではないかと思えるくらいの速いスピードで弾いていた。弾き方は機械のように素晴らしく正確でミスタッチはゼロで完璧だった。それでいて、熱いほとばしるような情熱が演奏から伝わってきた。ノッコも楽屋でその音を聞いていて「さすがだ」と思った。

リナは会場でその演奏を聞いていた。

「すごいは・・・格が違う。ノッコ・・・あんな人の後にやって大丈夫かな」

白川も

「すごい、素晴らしい」と感心しながら演奏を聞くのに没頭していた。

「そろそろ出番です、準備の方お願いします」と会場の係員の人が楽屋に入って来たので

ノッコは

「あ、はーい、わかりました。ありがとうございます」と返事をした。

沙希ヒカリは3曲の演奏を終わりステージでお辞儀をした。大拍手が起きた。

「ブラボー」誰かがそう叫んだ。

沙希ヒカリはもう一度お辞儀をするとステージを去って行った。

ステージの横のスタンバイ席でノッコは待っていた。5分くらい待つとやがて自分の番になった。「Nokkoさん、お願いします」スタッフの人がそう誘導してくれたのでノッコは

立ち上がってステージの中央へ向かった。久しぶりのその会場はやけに広く見え緊張感が走った。照明がまぶしくステージから観客席の方は真っ暗闇に見えた。ノッコは真っ暗闇の観客席に向かってお辞儀をした。拍手がなった。リナが「ノッコ頑張れ」と小声でいった。

ノッコはグランドピアノの前に座った。自宅にあるものの倍くらいあるのではないか、と思えるくらい大きなスタインウェイの高級グランドピアノだった。ノッコはピアノの前に手を置きやがて弾き始めた。ノッコも他に出演者同様3曲弾くことになっていたが、1曲目は「ラストダンス」という曲だった。社長の勧めで選曲したもので、ノッコの曲の中では哀愁漂うスローなジャズナンバーだった。まさにラストダンスという曲名にふさわしい雰囲気の曲だった。この1か月、守のことなど色々な心配事を忘れようと必死に自宅で練習した曲だった。そのためかなりの完成された出来の演奏だった。

「ノッコ、すごいじゃない」リナは安心したと同時に感心してノッコの演奏を聴いていた。

白川も嬉しそうな表情でノッコの演奏を見ていた。

ノッコはこの曲は好きな人との最後の思い出という悲しいストーリを描いて作ったものだった。ノッコは恋愛とかは苦手だったが、こんな悲しいけど素敵な恋愛があったらいいなと思いを込めて作った曲だった。最初は出会いから始まりスローに始まり、途中でストーリーが紆余曲折するシーンでは激しい演奏になり、最後はラストダンスを一緒に踊り再びスローに弾くことになっていた。

ノッコは思っていたよりもうまく弾けて演奏に真剣に向き合おうとしていた。だが、途中で何となく守のことが脳裏に過った。

「家に帰ってこないんです・・・もう3日も」恵子さんの言葉を思い出した。

その時ノッコはパーティの最後に守と別れたときに守が言ったセリフを思い出した。

「ねえノッコさん、人って何でこんなに・・・頑張らないといけないのかな・・・」

ノッコは演奏に集中しなきゃ、と思いながら必死にピアノに向き合おうとした。しかしまた守のセリフが一瞬だけフラッシュバックした。

「時々・・・生きてるのが・・嫌になる」

生きてるのが・・・嫌になる?

やがてノッコは演奏を弾き終わった。

ステージからは大拍手が起きた。沙希ヒカリのときと変わらないくらいの喝采だった。

ノッコは観客の方をちらっと見た。拍手が聞こえていた。自分のために拍手の音が響いていた。だが、ノッコは何でそんな拍手が聞こえてくるのかよく分からなくなった。心は空っぽになり、自分はなぜこんなところにいるのかが分からなくなった。

ノッコは突然思いきり立ち上がった。椅子は少しぼんっと後ろの方に退いた。まだ1曲しか弾いていないのに急にノッコが立ち上がったので観客席がざわざわしだした。

リナは

「ちょっと・・・ノッコ何やってんのよ?」とノッコの行動の意味が分からず驚いた。

白川も驚いて少し身を乗り出した。

ノッコはしばらく観客席の方を見ていた。相変わらずざわざわしていた。

ノッコはステージの前の方へ行き、突然お辞儀をした。そしてお辞儀をした後、何を思ったのかいきなり走り気味にステージを去ってしまった。

観客席の方はさらにすごいざわめきになった。コンサートホールとは思えない騒音になった。

「ちょっと、ノッコ?」リナは叫んだ。

白川も慌てて席を立ちあがりノッコが去って行った方向を見た。


ステージの裏の非常通路を抜けてドアを開けてホールの二階に出た。二階の廊下を走って行くと、長い1階廊下へと続くでかい豪華な階段がありノッコは降りて行った。そのままノッコはエントランスまで廊下を走って行き、エントランスの自動ドアを開けて外へ飛び出した。エントランスの警備員がノッコの出て行く姿を不審そうに見た。

ノッコは一心腐乱に有楽町駅まで走り急いで電車に乗ろうとした。守はどこにいるのだろうか?どこへ行けばいいのだろうか?その時恵子さんの言葉を思い出した。

「もしかして、山本さんのところにお邪魔してないかと思いまして・・・本当に守そちらにいませんよね?」

ノッコは自宅アパートに向かうことにした。守には鍵を以前鍵のスペアを渡してあったのでもしかしたら家にいるかもしれない、と思った。その時ノッコは嫌な予感がした。貴子が自宅アパートで自殺をはかろうとしたのを思い出したのだった。まさか、と思いながら急いで電車に乗った。

地元の駅に着くとノッコは走って自宅アパートに着いた。

「守君?いる?いる・・・なら返事して?」

ノッコは息切れしながらリビングを覗いたが誰もいなかった。シャワールームが心配だったので開けてみた。

「守君?」

しかしシャワールームにもいなかった。水だけがぽた、ぽた、と垂れる音がした。

トイレと物置部屋と寝室も全部覗いてみた。

守はいないようだった。シャワールームにいなかったのが幸いだったが、それと同時にどこにいるのか見当がつかなくなりまた不安になった。

「ど・・・どこに・・・いるんだろ・・・?」ノッコの鼓動はまだ鳴っていた。

部屋は静まり返っていた。

「学校にも行ってないようだし。守の友達宅にも塾にも精神科にも親戚中にも電話をかけたんですが・・・どこにもいなようなんです。」

恵子さんがそう言っていたのを思い出した。見当のつく場所は恵子さんがすでに全部調べているようだった。ノッコは守がどこにいるのかますます分からなくなった。

ノッコは再びアパートの外に出た。その時リナから携帯に電話があった。

「もしもし?」ノッコが出ると

「もしもし、ノッコ?あなたどうしたのよ、いきなりステージから出てったりして!」

リナは少し声を荒げてそう言った。

「ごめん、ちょっ・・・ちょっと・・・今、それどころじゃ・・・なくて」

ノッコは息切れして返事した。

「それどころじゃないじゃないでしょ?会場中大騒ぎだよ?社長が今関係者全員になんとか説明して頭下げて回ってるんだから。一体どうすんのよ?」

「ま・・・守君・・・守君がね・・・いなくなっちゃったのよ」

「いなくなっちゃった?どこに?」

「どこにってそれが分からないから・・・探してるのよ。自宅にも学校にも友達の家にもどこにもいないんだって」ノッコは少しだけ息切れが直ってきた。

「何よそれ・・・それって・・・もしかして行方不明ってこと?」

「そう・・・みたい・・・」

「えー、それじゃあ今すぐ、警察に言わないと。あなたが探したって見つからないって」

「警察にも言うけど・・・でも今すぐなんとか見つけないと・・・手遅れになるかもしれないの!」ノッコは少し大きな声で言った。

「ちょっと・・・手遅れって何よそれ」

「前にね、うちに来てた貴子ちゃんって子が自殺未遂したことがあってね。守君もね・・・この前そんなことをほのめかすようなこと言ってたの思い出して・・・もしかしたらと思って」

リナは冷静に

「ちょっと落ち着きなさいよ。いくらなんでも自殺だなんて大げさでしょ。そんなこと簡単に起こりうるわけないって。あなた少し気が動転してるだけだってば」と言うと

「本当に起こりうることだから心配してるの!」

リナはそこまで言われると反論できなくなり

「そんなこと言ったってさ・・・どこ探すのよ?この広い東京でさ。心当たりもないんでしょ?」と言った。

「今、私自宅のアパートに帰ってみたんだけどいないみたいなの。だからさ・・・リナも自分のアパートに帰って守君が付近にいないかどうか見てきてもらえないかな?」

「わ・・・分かったわよ。じゃあ私今からアパートに帰ってみるわね。ノッコはどうするの?」

「私も守君の行ってそうなところ探してみるから」

「分かった」

「じゃあ切るね。ごめん」といってノッコは電話を切った。

「あ・・・ちょっと」

電話を切られたリナは

「まったく。」とため息をついた。

「言いだしたら聞かないんだから。」

そうはいってもリナもさすがに守のことが心配になってきた。

会場はまだ少しだけざわついていた。リナもジャズフェスティバルのことはとりあえずおいといてノッコに言われた通り自宅のアパートに帰ることにした。しかし、白川のことも心配だったのでノッコから電話で聞いた話の内容を元に関係者に事情を一通り説明してから会場を出ることにした。


リナとの電話を切った後、ノッコは守の行っていそうなところを頭の中で思いめぐっていた。この前一緒に行った遊園地とか・・・さすがに夜に遊園地はないだろ、と思った。他にも色々思い出そうとした。そのとき、一緒に行った公園のことをとっさに思い出した。

「そっか、公園かも!」

その時ノッコに不安が過った。あの公園は東京湾を一望できる丘の上にあったのでフェンスを越えたところから東京湾にもしかして落ちてしまうことがあるかもしれないと思った。

まさか・・・と思った。

ノッコは大急ぎで電車に乗って公園へ向かった。

駅を降りると公園の方まで広い道路を一直線で一心腐乱に走った。

ノッコは走っていると途中でずっこけてしまい地べたに手をついた。

「いったー」足を少しすりむいてしまった。しかし、ノッコは再び立ち上がって走り出した。

「守!」

ノッコは叫びながら走った。


その時リナも自宅に着いてアパート付近を探し回ったが守はどこにも見当たらなかった。

「ほら、やっぱりいないじゃない・・・」

リナはアパートの中に入り、ノッコの携帯に電話してみたがノッコは出なかった。

リナは携帯をソファに投げて自分もソファにどさっと座りしばらくぼーっとしていた。

「はあ・・・ノッコ、どこ探してんだろ・・・」

リナはノッコと守のことが心配になった。



 ノッコは公園の入り口に入った。

ノッコは再び息切れしながら

「はあ、はあ・・・守・・・君?」

と言って公園中を見渡した。夜行ライトが照らしていたが、夜の公園は薄暗く人影もあまり見えなかった。

砂場にも滑り台にも誰もいなかった。奥の方へ行ってみたがベンチにも誰も座ってなかった。

しかし、ふと気づくとベンチの向かいのフェンスの向こう側にうっすらと人影のようなものが見えた。

人影は薄暗くて見えなかったが、やがて少しずつ姿が見えてきた。どうやら高校生のようだった。

ノッコは

「守・・・君?」と言ってみた。

「誰だ!」人影は叫んだ。

だんだんと暗がりに慣れてきて徐々に顔が見えてきた。顔はよく見るとやはり守だった。

「やっぱり守君!ここにいた・・・」

守もノッコに気が付いた。

「な・・・何、してるの、守君?」ノッコはおそるおそる聞いてみた。

「べ・・・別に何でもない。ただ海を眺めてるだけだ」守はそう言ったが、フェンスの向こうから海に飛び込もうとしているのが明らかに分かった。

「そ・・・そんなとこで眺めてるって・・・ベンチで・・・見ればいいじゃない」

そう言ってノッコは守に少しずつ近づこうとした。

「来るなよ!」守は怒鳴った。

「来るなって・・・」ノッコはさらに近づこうとした。

「く、来るなって言ってるだろ!来たら飛び込む!」守は震えながらそう言った。

ノッコも

「ちょっと待ってよ!何でよ・・・何で・・・そんなことするの?」と叫んだ。

ノッコはそれ以上近づけなくなってしまった。

守は何も言おうとしないでただフェンスに手をつかまり暗い海を上から眺めていた。

「何でよ・・・」ノッコは悲しくなってそう言った。

守は声をはーはー荒げながら少し泣いているようだった。

「も、もう生きてるの嫌なんだ!もう・・・もううんざりだ・・・」

ノッコが

「守君言ったじゃない!?何かを見つけたいと思うって・・・。それ見つけるまで頑張るって」そう言った後、守は少し黙っていたがやがて話し出した。

「父さんに言われたんだ・・・何かを見つけたいって・・・で、でも・・・そんなものは簡単には見つからないって・・・現実を見ろって」

「そんなことない。話したでしょ、私の話?音楽で救われたって、いい出会いがあったって。守君にだってそういう出会いがあるはずだって絶対・・・守君まだ若いんだしこれからさ・・・」とノッコが言おうとすると

「そんなもんきれいごとだろ!たまたま偶然そんなことあるわけない・・・」

「そんなことない!人にはそれぞれそういう出会いがあるはずだし、私の場合はそれが音楽だったのよ・・・諦めなければそういうのが見つかるはず」

ノッコは守を必死に励まそうとした。

「そんなもん、ノッコさんがたまたま才能があっただけじゃないか!」

「そんなことない、才能だって本当にあるかどうかなんて自分でも分からない」

「でもプロになれたんでしょ?才能があるからじゃないか・・・そういうものが何もなかったらどうすればいいんだよ?」

守は涙声になって叫んでいた。

「才能なんて・・・自分でも他人でも評価できるもんじゃない。自分が才能あると思っても他人が才能ないっていうかもしれないしその逆もあるし。だから・・・他人が何と言おうと自分に可能性が少しでもあるって思ってそれに突き進めばいいんじゃない?それにそれが才能じゃなくたっていいじゃない!自分に向いてること、好きなこと、何かのきっかけで救われたこと。そういうのって人生絶対起きるから・・・そういうの全部含めて・・・やりたいこと見つけていけばいいじゃない。才能がなくたって・・・想いさえあれば、絶対続けられるから」

守はまだフェンスに手をつかんで震えていた。

「そんなのきれいごとだ!そんなもの簡単に見つけられない!」

「どうしてよ!何で・・・そうやって諦めちゃうのよ!」

「好きなことだとか向いてることだとか、そんなもんやれるわけない。もっと現実を見るべきなんだよ」

「そんなの・・・何が現実で現実じゃないかなんてそんなの分からないじゃない。守君が自分で決めればいいじゃない」

「現実はそんな甘くないんだよ。所詮世の中強いものが勝つんだよ。好きなことだとかやりたいことなんて甘い幻想だ。弱いものは・・・弱いものはこの世界から淘汰されるんだ!」

「弱いから何よ!弱くったっていいじゃない!人間みんな・・・弱いのよ。私だって弱い。だから・・・だから、支えあって生きてくの!」

「そんなこといっても・・・世の中汚いことだらけじゃないか・・・支えあってくなんて嘘だ!弱いものは虐げられて・・・大人の社会は汚いことだらけじゃないか!」

「確かに世の中汚いことが多いかもしれない。でも・・・でもね・・・そんな世の中でも輝くきれいなことだってたくさんある。そんな・・・そんな世の中絶望ばかりじゃない・・・それに、汚いことがあるからこそ、輝けるものがさらに輝いてみえるんじゃない?前にさ・・・コーヒーゼリーの話したよね・・・?暗いコーヒーを温かい白いミルクが包んでるって。あれを別の例えで言えばね・・・暗いダークな汚い社会を温かい綺麗な世界が包んでるってことだと思う。例え汚い世界があってもね、暖かな輝きが私たちをいつも見守ってるのよ。だからね・・・絶望なんかしちゃいけないと思う」

守はまだ泣いているようだった。今にも飛び込んでしまうんじゃないかとノッコはいてもたってもいられなくなり、守に近づこうとした。

「来るなって言ってるだろ!本当に飛び込むから!」

ノッコは立ち止まって

「守君、本当は飛び込みたいなんて思ってないよ・・・生きたいって思ってるはず・・・」

そう言うと

「そんなこと・・・何で・・・何で・・そんなこと分かるんだよ!」

守は今にも泣きそうな表情で怒鳴りだした。

「それだけ一生懸命・・・人生と向き合ってるじゃない。必死に悩んで色々考えてる。それって守君が生きてるって証拠でしょ?」

「そんなことない!ただ死にたいだけだ!」

「じゃあ・・・何でこの公園に来たの?別に・・・別に、ここじゃなくたってどこでもよかったはずじゃない!ここに来たのって私を待ってたんじゃないの?本当は・・・本当は、誰か止めてくれる人を待ってたんじゃないの?」

ノッコがそう言うと守は泣き出した。

「う・・・う・・・」

「守君・・・」ノッコはその場で立ち止まってただその様子を見ていた。

「な・・・何でだよ!何でここまでするんだよ。他人のくせに・・・親でもないくせに・・・全然関係ないくせに・・・」

ノッコは穏やかな表情で話し始めた。

「関係なくないよ・・・確かに他人だけど・・・他人とも思えない。前に話したでしょ?私本当の両親がいないって。育ての親が育ててくれたって。内心では寂しかった。本当の親が欲しかった。でもね・・・育ての親は私を本当の娘みたいに育ててくれた。たとえね・・・血が繋がってなくてもね・・・想いさえあれば本当の家族になれるんだと思う。だからね、他人同士だって想いさえあれば繋がれるって思ってる。だからね・・・あなたのこと他人だとも思えない!」

「そんなの・・・嘘だ・・・」

「嘘じゃない!」

「たとえそうでも・・・死にたい人間がいればほっとけばいいじゃないか・・・死にたいって言ってるんだから何でわざわざ止めるんだよ。」

守はそう言った。

「だからそれは・・・守君が本当は生きたいと思ってるから。」

「それが嘘だとしたら?本当に死にたいのだとしたらどうなんだよ?」

「それは・・・」

ノッコは守にそう言われてそれ以上何も言えなくなってしまった。

「ほら・・・何も言えないじゃないか・・・」

「・・・」

ノッコは少しだけ考え込んでしまった。そして、ふいにノッコは昔の自分のことを思い出した。思えばなぜ自分は突然人を助けたいと思うようになったのだろうか。最初は自分が音楽で救われたことがあるから他人のことも同じように音楽で助けたいと思うようになったのだと考えていた。でも、守にそう言われてとっさに自分の忘れかけていた過去を思い出した。心の片隅では何となく分かっていたが、思い出したくないほど壮絶な過去だったから自分の記憶から長いことずっと消し去っていたのだった。それを今思い出させられた。

「分かった・・・全部話すよ。まだ守君に話してない自分の過去があった。今思い出した。」

「過去・・・ノッコさんの?」

「そう・・・今思い出した。」

守はしばらくきょとんとしていたが、

「そんな話はもうとっくに聞いたよ。親が本当の親じゃなかったりそれがきっかけで不登校になってある先生と出会って音楽で救われたんでしょ?あとは引きこもりだったり・・・」

「そうなんだけど・・・引きこもりだったときのことをもっと思い出した。もう10年以上前だから少し忘れかけてた。」

「忘れてた?なんだよそれ・・・」

「・・・」

ノッコはその過去を思い出したのか急に暗い表情になった。

「ノッコさん?」

ノッコはしばらくぼーっとしていたがやがて

「この話は誰にもしたことないの。リナにもお父さんにも。」

そう言ってノッコは自分の過去の話をし始めた。

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