第2話.突然、姉と母ができました

──プツッ


 年代物の黒電話そっくりの“魔信機”のスイッチを切った女性は、チェシャ猫のようなニンマリとした笑みを浮かべる。


 「フフッ、なんかおもろいコトになったみたいやなぁ♪」


 娘との久しぶりの会話ができたこと以上に、何やら心の琴線に触れる事柄があったようだ。


  * * *


 「え!? 今すぐなら手が空いてる? そんなすぐにコッチ来て平気なの……って」


 ケータイを耳に当てたまま立ちつくすメルヴィナさん。


 「き、切れちゃった……」


 優等生でいつも余裕を失わない彼女にしては、珍しく茫然としている。


 「えっと、お母さんに電話してたの、かな?」

 「ええ、厳密には電話じゃないけど、そんなトコ。貴女の身の振り方について、ちょっと相談しようと思ってね。

 わたしが一時的に催眠魔法なんかで誤魔化す手もあるけど、どうせなら最初にキチンとしておいた方がいいでしょ」


 そうかぁ、僕のために……。


 「ありがとう、メルヴィナさん」


 ペコリと頭を下げると、彼女はキョトンと首を傾げている。


 「どうして貴女がお礼を言うの? わたしは、単に自分の不始末をフォローしてるだけよ。

 それに、わかってる? 貴女はもう人間じゃないし、男の子でもないのよ? 貴女をそんな境遇に変えたわたしのこと、恨んだって誰も理不尽だとは言わないはずよ」


 「うん、それはわかってます。でも、どんな形であれ、メルヴィナさん──阿久津さんは、クラスメイトである僕の命を助けようとしてくれたんですよね?

 逆に言えば、使い魔にならなかった時点で、主でないメルヴィナさんが僕のことを気にかける義務はないはず。それでも、僕のことを考えて、わざわざ魔界にいるだろうお母さんに連絡してくれたんでしょ? だから……ありがとう」


 再度頭を下げると、メルヴィナさんがプイッと顔をそむけた。


 「な、何言ってんのよ。こんなトコでアンタを放り出したら、誇り高きフェレース家の娘としての沽券にかかわるじゃない! それだけよ。

 ──それと、敬語は禁止。貴女はわたしの使い魔じゃなくて、対等なクラスメイトなんだから」


 そう言いながらも頬がちょっぴり赤いのは、やっぱり照れくさいからなんだろうな。


 「わかりまし……うん、わかった」


 でも、それを指摘したら、たぶん烈火のように怒るだろうことも予想できたから、僕は別の話題をふってみた。


 「それで、お母さんは何て? 幻体がどうとか言ってたみたいだけど」

 「ああ、それね」


 メルヴィナさんによれば、高位の魔族や神族が直接人間界に来るのには、色々ややこしい制約があるため、代わりに幻体マーヤと呼ばれる一種の分身を送るらしい。

 そう言えば、メルヴィナさんが伯爵令嬢で、サッキュバスが女性しかいない種族ってことは……。


 「もしかして、メルヴィナさんのお母さんが伯爵本人?」

 「正解。伯爵位以上の魔族は、余程のことがない限り、直接こっちには来れないの」


 幻体は、魔力で作った人形──と言うよりホムンクルスみたいなもので、それをテレパシー的な要領で本人が直接操っているらしい。


 「SFとかで言う“擬体に意識をダイブさせる”みたいな感じなのかな?」

 「多分ね。もっとも、わたしもまだ幻体を作ったことはないから、その辺はよくわからないけど」


 その必要もなかったしね、と肩をすくめるメルヴィナさん。


 「ところで、さっきも聞いたけど、メルヴィナさんは、具体的に僕の身柄をどうするべきだと考えてるの?」


 僕は、ちょっとだけ表情を改めて、彼女に問いかけた。


 「本当はママが来てから離すつもりだったけど──いいわ、ある程度説明してあげる」


 メルヴィナさんは、どこからか取り出した眼鏡(たぶん伊達)を掛けて、同じく取り出した30センチくらいのミニホワイトボードを机の上に置く。

 ──どうやら、彼女は形から入るタチらしい。


 「さて、今から6時間程前に人間の少年・野村のむら真人まさとは交通事故に遭い、致命的な重傷を負った。とくに下半身の損傷がヒドく、そのままではおそらく数分で死に至ったであろうことは明白。ここまではいい?」

 「うん、おぼろげにだけど、トラックにハネられた記憶はあるよ」


 どうせなら転生トラックじゃなかったのが残念だけど──いや、ある意味、今の僕も“転生”はしてるようなモノか。


 「で、わたしが気まぐれで、野村少年の身体の一部と魂を拾い上げ、野村くんの部屋に連れて来て使い魔化の儀式を行ったところ、諸々の原因が重なって儀式は予想外の結果をもたらした」


 「あ! そう言えば、事故現場の方はどうなってるの? 突然重傷者が消えたら大騒ぎなんじゃあ……」


 もしかしたら轢き逃げ犯以外の目撃者がいなかったのかもしれないけど、それでもさすがに騒ぎになってると思うし。


 「ああ、その点は平気よ。血まみれの肉塊と化した下半身はそのままだし、上半身も頭部以外は適当に複製した肉塊置いてきたから」


 本人の前で肉塊とか言わないでほしいなぁ。

 あと、ホワイトボードに簡単な図描くのもやめて~! グロいから。


 「カバンとかは持ってきたから、身元照会に多少時間がかかるかもしれないけど、たぶん学校の制服からそろそろ身元は確認されるでしょうね。つまり、日本国の法律上、野村真人は亡くなって、いない人になったワケ」


 大丈夫と目で問われて頷き返す。


 「そう、なるだろうね」


 僕が平静を保っていることを確認したうえで、メルヴィナさんは話を再開した。


 「まず、住む場所について。野村くんが、サッキュバスに転生したのは予想外だったけど、予定通り使い魔になった場合も、どの道ウチで引き取るつもりだったからちょうどいいわ。わたしのトコに来なさい」

 「え!? いいの?」


 年頃の娘さんが不用心な──って、そうか。彼女、サッキュバスだっけ。それに、そもそも僕も今は男じゃないし。


 「ええ。まぁ、魔界の屋敷みたく広くはないけど、それなりの部屋数もある一戸建てだしね」

 「じゃあ、もうしわけないけど、お世話になりマス」


 背に腹は代えられないので、そこは甘えさせてもらうことにする。


 「それと、今この部屋の周辺には念のため人避けの結界を張って、人が近づかないしてあるから、あと数時間は大丈夫。

 でも、さすがにずっとそのままってワケにはいかないから、どうしても持ち出したいものがあるなら、適当に鞄に詰めるなりして頂戴」


 そう言ってくれるのはうれしいけど、僕にとって本当に大事なのは、家族4人が映ったこの写真と、この思い出のオルゴールくらいだからなぁ。


 「──聞いていいかしら? 野村くんのご家族は?」

 「うん、ウチは父子家庭なんだ」


 僕が小学生のころに海難事故で、母さんと弟は亡くなったし。


 「そう……で、その、お父さんとは?」

 「父さんはタンカーの船長やってるんだ。当然、1年の大半は単身赴任」


 だから、普段は半月以上顔を合わさないなんてこともザラなんだけど、それでも一応は父親として息子の僕のことは気にかけてくれている。

 ここで唯一残った家族まで死んだとなると、父さん悲しむだろうなぁ。それだけが気がかりだよ。


 「うーーん、かと言って、さすがに事実をそのまま伝えるのは難しいわね。裏の人間ならともかく……」


──バタン!


 「話はすべて聞かせてもらったわ!」


 メルヴィナさんが難しい顔でつぶやくのとほぼ同時に、窓が大きく開き、そこから何者かがシュタッと飛び込んで来た。


 「だ、誰?」

 「ま、ママ!」


 え? メルヴィナさんさんのお母さん?


 「はじめまして、マコトちゃん。ウチはモルジアナ、モルジアナ・フェイル・フェレース言います。以後、よろしゅうに」


 そう言うと、畳の上に正座したモルジアナと名乗る女性は、ニッコリ笑って頭を下げた。


 「えっと、メルヴィナさんのお母さん──なんですか? お姉さん、じゃなくて?」


 いや、だって、黒を基調に金や真紅、翠色の糸で見事な模様が縫いとられた振袖をまとったモルジアナさんって、どう見たって二十歳かせいぜい20代前半くらいにしか見えないんだもん。


 「やぁ~ん、嬉しいコト言うてくれるなぁ。正直なコは、ウチ大好きやで」

 「え!? わぷぷぷ……」


 歓声をあげたモルジアナさんの胸に、頭を抱えるようにして抱きしめられて、僕は目を白黒させた。


 「ちょ、ちょっとママ、抑えて抑えて! そのままだと、野村くん、窒息しちゃうわよ?」


 本来、和服って体型が出づらいはずなのに、某歌劇団のスタアみたく襟元を大きく開けてるせいで、モルジアナさんの豊かな胸がハッキリ視認できる。

 その肉の谷間に挟まれた僕は、メルヴィナさんが言う通り、半ば呼吸困難に陥っていた。


 そりゃ、美女の胸に抱かれて死ぬのは漢の浪漫かもしれないけど、こういう死に方はヤだよぉー!


 「ああ、ゴメンなぁ、マコトちゃん。ウチ、気に入ったコは、ついハグしてしまうクセがあるねん」


 はは、好感を抱いていただけたのは光栄ですけど、その癖は直した方がイイかもしれません。


 ともあれ、落ち着いたところで、モルジアナさん(正確には、その幻体?)が、相変わらずニコニコしながら、のたもうた。


 「それでな、マコトちゃんの身柄なんやけど、せっかくウチで引き取るんやから、メルちゃんの双子の妹で、ウチの娘ってコトにしといたさかい」


 ………へ?


 「あ、ママ、ナイス判断! わたしもちょうどそのことをお願いしようと思ってたのよ」


 あ、あのぅ……。


 「そしたら、とりあえず人間界こっちの家に帰ろか。あ、マコトちゃん、持ち出したいものがあるんなら、今のうちやで」


 ──なんだか色々ツッコミたいところはあるけど、もういいです。

 僕は、先ほどメルヴィナさんに話したとおり、家族写真とオルゴールだけを手に取る。


 「ほな、行くで~!」


 と、モルジアナさんが呑気な声をあげた次の瞬間、僕らは見知らぬ部屋にいた。


 (こ、これが瞬間移動テレポートってヤツか!?)


 アニメやマンガではポピュラーな超技術だけど、まさかこの実地に体験できるとは思わなかったよ。


 「ん~、そう? でも、今のアンタならたぶん修練次第で身につけることはたやすいと思うけど」


 そっか──僕、もう人間じゃなくなったんだよなぁ。

 一応納得したこととは言え、さすがにちょっとメランコリックになりかけた僕の頭を、モルジアナさんが優しく撫でてくれる。


 「大丈夫え。マコトちゃんには、ウチらがついてるさかい」


 魔界の貴族(つまり魔族?)に対して言うのもどうかと思うけど、その微笑みはまるで聖母の如き母性と慈愛に溢れていて、僕は思わず目が潤んでしまった。


 「おかあさん……」


 ふと、そんな言葉が唇から零れる。


 「! はぁ~、やっぱかわええなぁ。そや、今日からはウチがマコっちゃんのお母さんや。な~んも、心配することあらへん」


 再びぎゅっと(ただし窒息しないよう注意して)抱きしめられる。今回は呼吸ができることもあり、また僕自身もちょっとセンチな気分になっていたので、その温かな抱擁にしばし身を委ねた。


 「ええっと──母娘仲睦まじいのは大変結構なんですけど、そろそろもうひとりの娘であるお姉ちゃんの話を聞いてもらえるかしら?」

 「あ! ご、ごめんね、メルヴィナさん」


 あわてて、モルジアナさんから離れる。


 「うーーん……ダメ。許さない」


 ガーーン!


 「──お姉ちゃん、って呼ぶまで許さない♪」

 「へ!?」

 「あらあら♪」


 ──もしかして、僕、からかわれた?


 「め、めるう゛ぃなさ~ん……」


 半泣きで呼んでも、ツーンと顔を背けるメルヴィナさん──口の端がニヤニヤしてるんですけど。


 「アカンよ、マコっちゃん。ウチのになったんやから、メーちゃんのことはお姉ちゃんて呼ばんと」


 モルジアナさんもニコニコしながらそんなこと言ってくるし。


 うぅ……弟が生きてたころには「兄ちゃん」と呼ばれたことはあるけど、まさか自分が“妹”の立場になるなんて、夢にも思わなかったよ。


 「お…おねぇちゃん……」

 「Good! いいわよ、何でも聞いてちょうだい、ディア・マイ・シスター!」


 変わり身はやっ! そしてテンション高っ!

 ──メルヴィナさんって、こんな人だっけ?


 「ウフフ、メーちゃんひとりっ子やったさかい、きっと妹が出来てうれしいんよ」

 「はぁ、成程」


 さすが、我が子のことだけあって、モルジアナさんは動じてなかった。


 「そ・れ・と。“お姉ちゃん”と“お母さん”やろ? 間違えたらアカンえ」


 何気に地之文(ナレーション)にまでツッコまないでください!


 でも、確かにこの家の養子(ってのとはちょっと違うかもしれないけど)として暮らす以上、その方が自然なのも確かかな。努力しマス。


 「うんうん、マコっちゃんは素直でエエ子やなぁ。あ、それと養子やないで。人間界(こちら)では、そのまんま“双子の妹”やし、魔界(あっち)でも異父妹ってコトで戸籍登録してあるさかい」


 「あ、そうなんだ。じゃあ、向こうに帰ったら、マコトのお披露目もしないとね。キチンと魔名も付けた方がいいかしら」


 「人間名は“阿久津真琴”にしといたんやけど、そこからとると「トゥルー・リラ」やろか」


 「うーん、ちょっと語呂が悪いわね。もっとシンプルに「リアリィ」でいいんじゃない?」


 な、なんか勝手にどんどん話が進んでるぅ~!

 パッと見、強気とおっとりさんで全然性格違うんだけど、さすがは母娘だけあって、こういう時の呼吸はばっちりみたい。


 ところで、魔名って何だろ? 魔界用の名前ってコトかな。


 「──と言うワケで、アンタの魔名は「リアリィ・ライラ・フェレース」ということに決定しました~」

 「わー、パチパチパチ」

 「は、はぁ……了解シマシタ」


 こんな風に「どう、いい名前でしょ」って満面の笑顔で聞かれたら、そう答えるしかないよね。メルヴィナ…姉さんも、モルジアナ…母さんも、たぶん善意で言ってくれてるんだし。


 実際、響きとしは決して悪くはないしね。綺麗過ぎて、ちょっと慣れないけど……。


 「ああ、安心しぃ。人間界にいるあいだは、ウチらも真琴ちゃんて呼ぶさかい。すぐには慣れんやろ?」

 「そうね。アンタもわたしのことは真子姉さんでいいわよ」


 うん、ご配慮感謝します。

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