【その10/デタミネーション】

 いつも観ているロボットアニメの再放送が終わったものの、何となくそのままリビングに居座って、テレビのチャンネルをポチポチ変えていたカナメに、台所で夕飯の用意をしていた母親が声をかけた。


 「かなめー、お風呂沸いてるから、ご飯の前に入っちゃいなさい」

 「はーい」

 さして観たい番組もやってなかったので、素直にカナメはそう返事して、浴室に向かった。


 脱衣場で何の気負いもなくパパッとTシャツと半ズボン、そしてブリーフを脱ぎ捨てると、そのまま風呂場の扉を開けて中に入るカナメ。

 かかり湯もそこそこに、ザブンと浴槽に飛び込む。


 「はぁ~、極楽ごくらく」


 小学生にしては妙にジジむさい言葉を漏らしつつ、お湯につかったまま、ふと自分の、二の腕、脚、あるいは腹部を見つめる。


 「うんうん、ちょっとは筋肉ついてきたかな?」


 その言葉通り、怠惰な生活をしていた以前とは異なり、連日のサッカークラブの練習によって各部の筋肉が引き締まり、またうっすらとではあるが、剥き出しの手足の肌も日焼けしてきたようだ。

 そのことを誇らしく思いつつ、“男の子らしく”パパッと身体や髪を洗うと、カナメは10分ほどでアッサリ風呂から出た。


 「あがったよー」

 「もう、いいの? 今日はお父さんまだだから、ゆっくりしててもよかったのに……」


 要の風呂好きを知る母は驚いているが、「だって、まだ暑いし」と言うと納得したようだ。


 先日の日曜日に床屋で切ったばかりの髪をゴシゴシとバスタオルで拭きながら、「やっぱり髪の毛が短いと楽だなぁ」と考えるカナメ。

 元は、ミユキと同様に襟を覆うくらいのショートに近いセミロングだったのだが、思い切ってベリーショート──と言うかスポーツ刈りにしてみて、正解だったようだ。


 「要、電話よー」


 夕飯前なので牛乳は我慢して冷たい麦茶でも──と、冷蔵庫を漁るカナメを、いつの間にか席を外していた母がリビングの方から呼んでいる。


 「んー、誰?」

 「早川さんトコの美幸ちゃん。アンタ、向こうに何か忘れ物したんですって?」


 はて、何の用だろう──と思いつつ、カナメは母から受話器を受け取った。


 「もしもし、カナメです。どしたの、ミユキ姉ちゃん?」


 何の躊躇いもなく、その自称と呼びかけを使用したことに、“彼”は気づいているだろうか?


 『───えっと、ミユキです。今週末の土曜日のことでちょっとお願いがあって……』


 ほんの少し間があったものの、電話の向こうからは聞き覚えのある“従姉の少女”の声が聞こえてくる。


 (えーと、土曜日って……あっ!)


 ようやく、カナメ──美幸は、自分たちふたりが互いの立場を入れ替えているという事象に思い至る。逆に言うと、それまでは完全に失念していたのだ。


 (そうだったそうだった。17日に“オジさん家”に行って元に戻るって約束したんだっけ)


 心の中でも、本来の自宅をまるでよその家のように表現する美幸──いや、カナメ。


 まぁ、それも致し方ないだろう。美幸は元々自分の家の風潮があまり好きではなく、だからこそワザワザ全寮制の高校に入学したくらいなのだから。


 逆に、気さくで放任主義な傾向の強いこの浅倉家の雰囲気は、“彼”の気性と非常にマッチしており、わずか2週間あまりですっかり“浅倉要”としての暮らしに馴染みきっていた。


 (そうか。もう、戻んないといけないんだ……)


 そう自覚した時に、カナメの心に一番に湧き上がったのは「イヤだ、戻りたくない」という強い拒否感だった。


 ──親友の耕平やクラブの仲間と、もっと一緒にサッカーの練習がしたい!


 ──悪友の島村譲たちと、スケベな本を見たり、エロ話をしてみたい!


 ──仲の良いクラスメイト達と別れて、ろくに友達もいない学園なんかに帰りたくない!


 ──「女の子だから、ちゃんとしなさい」なんてうるさいことを言われず、好き勝手なことができるこの家で、のびのび男の子ライフを満喫していたい!


 言葉にすれば、そんなトコロだろうか。

 とは言え、それが自分勝手なワガママだと自覚できる程度にはカナメも理性的ではあったし、内心はどうあれ、そのワガママを我慢する程度の分別はあった。


 「………うん。で、土曜の夕方から、オジさん家に遊びに行けばいいんだっけ?」


 渋々言葉を絞り出したカナメに対して、しかし電話の向こうのミユキは意外な提案をしてきたのだ。


 『それがね、事情があって、その日は帰れそうにないの』


 「へ?」


 ミユキいわく、新体操部の成果発表会が19日の日曜になったため、どんなに頑張っても、ミユキが“自宅”に戻れるのは日曜の夜になるらしい。


 『でも、“浅倉要”も、日曜の夜には家に戻る予定だったでしょ?』


 確かにその通りだ。そして、例の絵図は、少なくも5、6時間程度は一緒に眠らないと効果が発動しないはずだ。


 「じゃ、じゃあ……」


 『うん。すごく申し訳ないんだけど、元に戻るのを少しだけ延長しちゃってもいい?』


 当然カナメに異論があろうはずもない。


 「もちろん!」


 『それじゃあ、その次の連休は──えっと、体育の日の10月11日、かな』


 「あ、でも、星河丘学園って、確かその前後に学園祭と体育祭があると思うけど?」


 『──ホントだ。8、9、10日が、まさに学園祭みたい』


 「最終日とはいえ、勝手に休むのは、クラスの人にとって迷惑だろうね」


 「シメた!」と小躍りしたいのを堪えて、カナメが冷静に指摘した。


 『うん、確かにそうだね。でも、その次となると──11月に連休はないし』


 困っているミユキに対して、カナメはアッサリ提案する。


 「いっそのこと、年末までこのままでいいんじゃない? どうせ正月には、毎年ソッチに家族でお邪魔してるワケだし」


 カナメの指摘は正しいが、それは“浅倉家”の側に立つ者の発言だと気づいているのだろうか?


 『う、うん。カナメ、くんがそれでいいならいいけど──大丈夫なの?』


 「あ~、オレの方はバッチリ。全然ノープロブレムだよ。むしろミユキ姉ちゃんは?」


 遠慮がちにミユキから投げられた質問に、カナメは笑ってそう聞き返す。


 『えっと……ワタシも、たぶん大丈夫、だと思う』


 そんなワケで、今年いっぱいこのままでいられる事が決定したカナメは、その日の夕飯の席で両親に「何かイイことあったの?」と聞かれる程、終始上機嫌なままだった。


 * * * 


──プツン!


 ケータイを切ったミユキは、そのまま自室のベッドの上にコテンと倒れ込んだ。


 「はぁ~」

 「おりょりょ。で、結局どうなったの、みゆみゆ?」


 ベッドの逆の端に座って、マンガを読んでいた奈津実が尋ねる。


 「うん、大丈夫。しばらく──年末までは、このままでいこうってコトになったから」

 「へぇ~。そりゃまた、いきなり思いきったね。ま、わたしとしては、コッチのみゆっちの方が好きだから、大歓迎だよん」


 ニャハハと笑いつつ、背後からベタベタと抱きついてくる奈津実に、「ハイハイ」と苦笑を返すミユキ。この程度のスキンシップには、もうすっかり慣れっこだった。


 実際、ミユキ自身も、入れ替わりの継続が決まったことを、内心喜んではいたのだ。

 率直に言えば、この女子高生ライフをできればもう少し続けたいとも感じていたのだから、カナメの提案はまさに渡りに船ではあったが、ソレを正直に口に出すのは、さすがに気恥ずかしい。


 ともあれ、コレで発表会に向けての懸念がひとつ減ったことは事実だった。


 * * * 


 そして迎えた9月19日の日曜日。

 奇しくも、この日はカナメ達の少年サッカークラブの練習試合の日でもあった。


 「相手はこの近隣の強豪チームだが、お前達だって決して負けちゃいない。いつも通り、フィールドの上で思いっきり“遊んで”来い!」


 「「「「「はいっ!!」」」」


 監督の飛ばす檄に少年達は元気のよい声で答える。


 「あー、ちょっと浅倉、ちょっと待て」

 「? はい、何スか?」


 呼び止められたカナメが振り向くと、監督が思わぬ提案をしてきた。


 「キーパーの熊谷が当分ケガで欠席するから、キーパー経験者の八木をソッチに入れる。お前にはセンターバックに入ってもらうが──いけるな?」

 「! 当然っス!」


 アクシデントがらみとは言え、念願のスタメン入りを果たしたことで、カナメのテンションはいやがおうにも高まった。


 「──今日はミユキ姉ちゃんも発表会か。頑張ってるかな?」


 一瞬だけ遠い空に想いを馳せたカナメだが、主審の笛の音とともに、すぐにプレイに集中するのだった。


 * * * 


 大講堂の高い天井から投げかけられた照明の光が浩々とミユキ達5人を照らしている。

 成果発表会の当日、ついに新体操部の番が回ってきたのだ。


 4人の少女たちが講堂の中央に設けられた舞台の四方の隅に散り、5人目の少女が中央に立つ。それは、5人の団体演技をより綺麗に派手に見せるために考えられた配置だったが、問題は中央にリボンを手に待機しているのが、ほかならぬミユキ自身ということだった。


 (はうぅ~、なんで、こんな一番目立つ場所にボクが~)


 新体操経験の浅いミユキだからこそ、アラが目立ちやすい長距離の移動を減らし、少しでも演技の穴を減らすため、中央に置く──その理屈は頭で理解できても、羞恥心は別問題だ。


 (それに、いつもより衣裳も派手だし……)


 そう、“彼女”が今日着ているのは普段着ている練習用のピンクのものではなく、本番向け5人お揃いの真紅のレオタードだった。


 首元にチョーカーのようにリボンが巻き付き、そこから伸びた2本の細い紐が交差しつつ鎖骨のやや上くらいの位置でレオタードの布地に繋がり支えている。そのぶん、背面は大きく開いており、背中の半ばくらいまで露出していた。

 また、下半身はパニエを思わせるレースの襞が三段スカート状にヒラヒラと腰を取り巻いている。もっとも、本物のスカートと違って短く、さらに透けているためレオタードの下腹部はほとんど丸見えだ。


 動きやすく、同時に見られることを十二分に考慮した、まさに晴れ舞台のための衣裳だった。


 しかし、そんな愛らしくも女性的なコスチュームを着ていることに対する羞恥心も、今のミユキはほとんど感じていない。慣れもあるが、それ以上に本番を目前にした緊張が、それ以外の事を考える余裕を“彼女”から奪っているのだ。


 すがるような想いで、右端の隅にいる親友の奈津実に目を向けると、予想していたのかわずかに微笑みつつ軽く頷いてくれる。


 (だ~いじょぶだよ、みゆみゆ。アレだけ練習したんだから、きっと上手くいくって!)


 視線を交わしただけで奈津実がそう言ってるような気がして、ミユキは少しだけ呼吸が楽になった。


 「早川ぁ~! 長谷部ぇ~! がんばれーー!!」


 客席の方からは、クラスメイトの少年・富士見の応援が聞こえてきた。おそらく午前中にグラウンドで行われた野球部のエキシビジョンに応援に行ったことへの感謝のつもりかもしれない。

 少し恥ずかしいが、彼の声もまたミユキの緊張をほぐしてくれた。


 (うん、イケる!)


 ミユキの瞳に気合いが籠るのとほぼ同時に、音楽がスタートした。

 ファンタジックなイメージの曲を背景に、4隅の少女達がゆっくりと動き始める。


 (まだよ、まだ……)


 ただし、ミユキのスタートはほんの少し後だ。頃合いを見計らい、膝立ちの姿勢から立ち上がり、バレエで言うファーストポジションに近い姿勢へとゆっくり身を起していく。


 ツッと一瞬途絶えた曲が、一転、激しく情熱的なメロディへと変わった瞬間。それまでのスローさが嘘のように激しく5人の少女達が動き始めた。


 奈津実が、ふたつのクラブを両手に振りかざしながら、舞台を軽やかに舞う。


 同じく一年の渚は体操からの転向組だ。その小柄な身体と対照的に大きなフープを、手中でダイナミックに回転させている。


 二年の草笛先輩は、手品同好会にも掛け持ちで所属している事もあってか、ロープの扱いが非常に巧みで、こんがらないのが不思議なくらい複雑な動きを動きを見せて、人目を引く。


 一方、今年のミス星河丘候補に挙げられる久能先輩は、派手な美貌とダイナマイトバディだけでなく、新体操の技量もピカイチであり、ボールをあたかも身体の一部であるかのように、優雅に、自由自在に操っていた。


 ミユキもまた奮闘していた。

 どんなに言い訳しても、ミユキの新体操歴がひと月にも満たない付け焼刃なのは事実。

 それでも、生まれ持った運動神経の良さと身体の柔軟性に裏打ちされた新体操のセンスを、熱心な先輩の指導のもとに積み重ねた練習で開花させ、見事なステップを踏む。


 (体が軽い……こんな楽しい気持ちで動けるなんて♪)


 舞台度胸があると言うべきか、ミユキは先ほどまでの緊張が嘘のように、初めての「観客の前での演技」を楽しんですらいた。


 くるくると螺旋の如くリボンを回しながら、床を踏み切って宙に舞ったかと思うと、音もなく着地し、素早くリボンを宙に放り投げる。


 リボンが落ちて来るまでの間に床の上で軽やかに三回転して、小ジャンプとともにピンと身体を伸ばしつつ、リボンを受けとめ、すかさずリボンを波打たせる。


 個々の演技の技巧難度自体はさして高くないのだが、それをキチンと小指の先まで注意を払い、丁寧に演技する様は、見る者に感心と安心感をもたらした。

 同時にミユキはそれまでの練習時にはなかった仲間との一体感を感じていた。


 (なぜだろ──みんなの動きが手に取るようにわかる)


 5人の仲間が、それぞれの演技を続けながら、同時にそれは互いの動きを際立たせるための助けにもなっている。


 ──ひとりはみんなのために、そしてみんなはひとりのために。


 そんなある意味使い古されたとも言えるチームワークの基本を表す言葉。

 同じくチームワークが必要とされるはずのサッカークラブで、誰かの“代役”を務めている時には、一度も感じられなかったその感覚を、今ミユキは言葉ではなく心で、あるいは体で理解していた。


 (アハ♪ きもちいー!)


 そのせいか、抑制の効いた“彼女”にしては珍しくハイになっているようだが、それでも演技に乱れは見られない。

 

 ズドン! という爆音とともに曲が終りを告げ、それと同時に5人の少女達が舞台の中央に集まり、並んで決めポーズをとる。

 少女達の放つ“輝き”に、その瞬間だけさらに照明の光が増したように感じられた。


 一瞬の沈黙──そして直後に観客席から湧き上がる拍手と歓声。

 どうやら、新体操部の発表は大成功に終わったようだ。


 「やったね、みゆっち!」

 「うんっ、奈津実!」


 舞台を降りて、部室に戻るや否や、ハイタッチを交わすミユキと奈津実。無論、他の3人とも、口々に喜びを分かちあっている。


 「お疲れ様、みんなとてもよかったわよ」


 すでに引退した3年の元・部長と副部長が下級生たちをねぎらってくれた。


 「どう、早川さん。新体操って、素敵でしょう?」

 「はいっ、サイコーです!」


 興奮と歓喜で頬を薔薇色に染めたミユキの言葉に、“彼女”に特訓をしてくれていた元副部長の御門は得たりと頷く。


 「じゃあ、これからもキチンと練習に出てくれるかしら?」

 「ええ、喜んで!!」


 この時から、ミユキは本当の意味で新体操選手としての第一歩を踏み出したのだ。


 そしてそれは同時に、“彼女”が今の立場を完全に受け入れ、その存在が「早川美幸の代役を努める少年・浅倉要」から「かつて浅倉要であった少女・早川ミユキ」へと変化したことも意味していた。

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