【その9/ハッピー・ガールズ・ライフ】

 ──キーン、コーン、カーン、コーン


 「お、じゃあ、今日の授業はココまで。来週は小テストするから、予習はちゃんとしておくようにな」


 6時限目の担当だった英語の日下部教諭が出て行くとともに、クラスの生徒たちもいっせいに放課後モードに突入する。

 板書をノートに無事に写し終えたミユキも、カバンに教科書類をしまい始めた。


 実は本物の美幸は教科書類の大半を学校の机に置きっぱなしにしていたのだが、真面目なミユキは授業を少しでも理解できるよう、きちんと毎日持ち帰って予習復習している。宿題は言わずもがな。


 その甲斐あってか、最近は授業の内容もおおよそはわかるようになってきた。この調子だと、本物が4歳年下の偽物(?)に学力面で追い越される日も遠くないかもしれない。


 「美幸さん、奈津実さん、今日はお二方の部活がない日ですよね。一緒にザ・キャロまで行ってみませかんか?」


 鞄を持った睦美がふたりを、放課後の寄り道(と言うには遠回りだが)に誘ってくる。


 「あ~、いいねぇ。そろそろアソコの特選白玉パフェが恋しかったし。みゆみゆは?」


 一も二もなく賛成する奈津実の言葉にミユキも頷く。


 「うん、私も新作のシナモンアップルクレープが食べたいかな。あ、そのあとで本屋さんに寄ってもいい?」

 「ええ、もちろん。わたくしも、ちょうど買いたい雑誌がありますので……」


 友達ふたりとワイワイしゃべりながら、教室をあとにしつつ、ふとミユキの心の中に奇妙な感慨が浮かぶ。


 自分は、あくまで従姉の代役(?)として一時的にココにいるだけなのだ。さらに言えば、この学校に通うようになって、まだ10日程しか経っていない。


 ──それなのに、どうしてこんなにココにいるコトが自然で心地よいのだろう。

 まるで、ずっと以前からココにいたような──あるいは、このまま“早川美幸”として過ごしていくコトが、ごく当たり前のように感じられる。


 (いや、もしかしてボクは、そうあるコトを……)


 「どしたの、みゆっち? さっきから何か難しい顔しちゃって。もしかしてお小遣いがピンチ?」

 「何でしたら、お金お貸ししましょうか?」

 「へ?」


 どうやら、いつの間にかファミレス、ザ・キャロッツに到着していたらしい。


 「な、なんでもないよ。ちょっと考え事してただけ」


 慌ててそう言いつくろうと、ふたりともそれ以上は追及してこなかった。


 「ふーん。ま、いっか。あ、わたしはさっき言った通り、特選白玉パフェのドリンクセットね」

 「わたくしは、このスイートポテトパイのセットにします。美幸さんは?」

 「えーっと、新作のシナモンアップルクレープも美味しそうだけど、こっちのメープルマロンワッフルにも惹かれるなぁ。うーん、うーん……」


 しばし悩んだ挙句、睦美の「それじゃあ、ワッフルは皆で三等分してみませんか?」という助け舟に飛び付くミユキ。


 「おいし~! はぁ、しゃーわせ♪」


 満面の笑みをたたえてクレープを口にするミユキを、奈津実は呆れ顔で、睦美はニコニコ笑顔で見守っている。


 「ほんっと、みゆみゆは甘い物に目がないね」

 「フフッ、いいじゃないですか。あんな幸せそうな顔されたら、見ているこちらまで楽しくなってきますわ」


 その場を目にした者は、誰もが「ありきたりな女子高生3人組の放課後風景」だと信じて疑わない──いや、気にもとめないだろう。


 実際は、3人のうちひとりは実は男子小学生だったりするワケだが、仮に「鳥魚相換図」の力が発動していなかったとしても、そうそうバレることはなかったに違いない。それくらい、ミユキは女子高生としての暮らしに、ごく自然に溶け込んでいた。


 「それで、どうなのですか、今度の“成果発表会”は?」


 自身は茶道部であり、成果発表会とは直接関係しない睦美が、新体操部のふたりに尋ねる。


 「うーん、個人個人の演技については、なんとか形になってきた感じかにゃ~」


 パフェのアイスをちょびっとずつ舐めつつ、奈津実がそんな風に答えるのを聞いて、ミユキも昨日の練習のことを思い返してみた。


 クラブにもよるが、新体操部は成果発表会には1、2年生だけが出るのが慣習だ。よって団体演技の規定である5人を満たすためには、ド素人なミユキも出場せざるを得ないのだ。


 とは言え、いくら“この”ミユキの運動神経やスポーツセンスがいいからと言っても、やはり2週間程度の付け焼刃では限界がある。

 そこで、3年の先輩とも相談した結果、ミユキはリボンの扱いのみ専念して覚え、かつ基礎を覚えた段階で発表会に向けた演技だけを繰り返し練習することになった。


 ミユキとしては、どうせなら色々な意味で馴染みがあるボールを使いたかったのだが、中学からの経験者である奈津実いわく、手具の中でもボールの扱いは比較的難度が高いらしい。


 その点、リボンは動きが派手で目立つし、身体的柔軟性の高いミユキが様々な姿勢で振り回せば見た目も栄えるとのこと。

 その忠告に従い、ミユキは3年の先輩からリボンの使い方の手ほどきを受けることとなった。


 当初はその先輩──元副部長の御門綺羅も、“本物”の美幸の無愛想なイメージがあったのか、あまり気乗りしない様子であった。

 しかし、ミユキが非常に素直で礼儀正しく、かつスポンジが水を吸うように言われた事を貪欲に習得していくにつれて、評価を一変させ、今では「明日の新体操部を背負って立つ逸材」とまで絶賛するようになった。


 最近では、大学の推薦入学が決まったのをいいことに、部活の指導に入り浸り、「私の知るすべてをたたき込んであげます!」と息まいているほどだ。

 ミユキとしては、そこまで過大評価してもらうのは面映ゆい面もあったが、それ以上に誇らしい気分で一杯だった。


 実のところ、浅倉要少年のサッカー選手としての才能や適正は、せいぜい中の上といった程度だったのだ。

 元来の運動能力が高く小器用なので、GKを除くどんなポジションもソツなくこなせるが、同時にそのポジションが最適な人間には概して競り負ける。


 故に、クラブでもレギュラーでありベンチ入りはしているものの、スタメンではない。誰かが疲れたり不調で精彩を欠いたら、すぐさま代打的に投入し、その穴を埋める。試合では、そういう使われ方をしていたのだ。


 その事に彼が引けめやコンプレックスのようなモノを感じなかった、と言えば嘘になるだろう。彼はお人好しではあったが馬鹿ではない。むしろ、歳の割には人一倍聡い子だ。


 しかし、だからこそ、サッカーに本当の意味で心の底からはのめり込めなかったし、逆にそのコトを自覚してもいたので、親友の有沢耕平のように全身全霊で練習に打ち込む“サッカー馬鹿”には敵わないとあきらめていた部分もあった。


 誰かの代役ではなく、自分が自分として必要とされる舞台ばしょに立ちたい。


 それは、12歳の少年が抱く想いとしてはいささか早熟で、ややもすれば悲しい想いであったが、皮肉なことに、この学園に“早川美幸”として通うことで彼──いや“彼女”はその願いを叶える機会に恵まれたのだ。


 (成果発表会は17日の金曜日──その日の晩には、ボクはこの学園を出て、“自宅”に戻らないといけないんだよね……)


 つまり、発表会はミユキにとってまさに最初で最後の晴れ舞台、というワケだ。


 正直に言えば、未練はあった。

 仲良くなった奈津実や睦美、あるいはクラスメイトやクラブの仲間達との別れは辛いし、自分でもだいぶ“星河丘学園の女生徒”としての暮らしに馴染んでいるという自覚もある。


 とは言え、ココは本来自分がいるべき場所ではない。ハプニングからとは言え、従姉から一時的に“借りて”いるだけなのだ。


 (だいじょうぶ。元の暮らしに戻るだけなんだから。きっとうまくいくよ)


 ミユキは懸命に自分にそう言い聞かせていた。


 (それに……耕平たちのことも気になるし)


 “親友”であるはずの少年やその他の友人の状況が気がかりなのも事実だ。

 自分は来て早々に美幸の友人の奈津実に正体を見破られてしまったが、もしかしたらアチラも同様の事が起こっていたりするのではないだろうか?

 もしそうなら、耕平はどんな風に思っているのだろう?


 もっとも、現実には他の友人はもとより、耕平や要の両親ですらソコにいるのが偽者の「カナメ」だなんて、まったく疑う気配すらなかったのだが。

 後日そのことを知ったミユキは少なからず衝撃を受けるのだが、この時点ではそんなコトを夢にも思っていなかった。


 ──ところが。


 学園側が下したとある決定が、ミユキ、そしてカナメの“予定”を狂わせていくコトになるのだった。


 「え? どういうコトなんですか、御門センパイ!?」

 「ですから、成果発表会は19日に延期されると決まったそうですわ」

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