【その8/戸惑いの放課後】

 「コレ、着ないといけないんだよね?」


 白に近い桃色の布地で作られたソレは、女性用水着とよく似た形をしていたが、水着との最大の違いは袖があり、肩から腕にかけても包み込む形状になっているコトだろうか。


 かつて体操教室に通っていたミユキは、ソレが一般に「レオタード」と呼ばれる衣裳(コスチューム)であることは知っていた。

 化繊素材でできたその手触りは滑らかで伸縮性も高く、着心地自体は良さそうだし、実際体格自体が「本物」とほぼ同等なミユキにも苦も無く着ることは可能だろう。


 とは言え、体操着のブルマの時とは違い、ソレがどういう局面で着用されるかよく知っているだけに、ミユキとしても少なからず抵抗感があった。


 「もしかしてココって、体操部なのかな?」

 「ブブーッ、惜しいけどハズレ~。ウチはね、“新体操部”だよん」


 ミユキが思わず口にした疑問にも、奈津実が律儀に答えてくれる。


 「えっと──新体操って、リボン回したり、棍棒投げたりするアレ?」


 あまり詳しくはないものの、一応の知識はあったらしい。むしろ小六の男子としては博識と言ってよいだろう。


 「うん、そんな感じだね。旧来の体操競技と比べると、女の子のお遊戯だなんて馬鹿にする人もいるけど、実態は結構ハードで難しいスポーツなんだよ」

 「へぇ~」


 やってる本人にそう聞かされて、実はソレに近い偏見を抱いていたミユキも認識を改め、少し興味が湧いてきた。


 「練習は火曜と木曜の放課後で、土曜の午前中は自由参加。まぁ、本物のみゆみゆは、入部してから4、5回しか練習に来てくれなかったけど」


 5月に入部したとしても5、6、7の3ヵ月弱でソレはヒドい! と憤慨するミユキ。健全スポーツ少年だけに、サボりとかは許せないタチなのだ。


 「ん~、本当にそう思う?」


 ゆるゆるで能天気な奈津実にしては珍しく、目が「キラン!」と鋭い輝きを発している。


 「じつは、新体操部ってウチの学園にしてはあまり強くないし、人数も少ないんだよね~。二学期の半ばで3年生も引退しちゃうし、そしたら部員もみゆみゆ込みで5人しかいなくなっちゃうし」


 この学園で「部活」として正式に認められるのは5人が最小人数らしい。


 「幸いこの学園には9月の半ばに体育系クラブの“成果発表会”ってのがあるんだ。ほら、文化祭って基本的に文化系クラブの校内発表の場でしょう?

 それに対して、体育会系の部にそういう場がないのは不公平だってコトで、一昨年から新設されたらしいの」

 「え、でも、運動会……じゃなくて体育祭は?」

 「アレって、基本的に陸上競技でしょ? そりゃあ普段からスポーツして鍛えている方が有利ではあるけど、陸上部以外は普段の活動とはかけ離れているしねぇ」


 なるほど確かに、とミユキも頷いた。


 「えーっと、何の話してたんだっけ?」

 「9月中旬に成果発表会があるって」

 「あ! そうそう。でね、その場にはもちろんウチの部も出場して、集団模範演技を見せることになってるんだけど……」


 チラッとわざとらしく横目でコッチを見てくる奈津実の視線で、ミユキもおおよその事情を理解できた。


 「もしかして、ソレにボ…ワタシも出ろってこと?」

 「だいせいか~い!」


 ドンドンパフパフ~と自らの口で擬音を入れて囃したてたのち、一転、奈津実は真剣な目つきになる。


 「さっきも言った通り、ウチは人数的に結構ギリギリなんだよね。だから、できたら運動神経良さそうなミユキちゃんには、ぜひ手伝ってほしいの」


 仮初の立場的にはともかく、実際には年上の(しかも色々世話になっている)お姉さんに、すがるような目で頼まれては、男のコとしてミユキも断りづらい。


 「──まぁ、いっか。考えようによっては、ボクがこの学園で過ごした記念にもなるだろうし」


 それに、新体操ってのにもちょっと興味があるし──という部分は、口に出さないミユキ。


 「! わ~い、ありがとー! みゆみゆ大好き~」


 嬉しそうに背後からじゃれついてくる奈津実の様子に苦笑しながら、一応釘はさしておく。


 「でも、いくら体操経験があって身体が柔らかいからって、それだけで何とかなるものなの?」

 「あー、うん、それはもちろんいろいろ練習してもらわないといけないかな。

 発表会まであと2週間くらいだから多少スパルタ気味になると思うけど──ミユキちゃんなら、大丈夫だよね? コンジョーありそうだし」

 「う、うん、任せて!」


 サッカー歴わずか1年半足らずで少年サッカークラブのレギュラーを射止めた実績は伊達じゃない。

 無論、要のサッカーセンスや基礎運動能力が高かったのは確かだが、それ以上に、コーチが教えようとすることを素直に学びとる勘の良さと、進んで反復練習する根気があればこそ、だ。


 「うんうん、頼もしいなぁ……ってコトで、みゆっち、早速ソレに着替えてねン♪」

 「はうぅぅッ、やっぱりそうなるのねん!?」


 手にしたピンク色のレオタードを、恥ずかしそうな目で見つめるミユキなのだった。


 レオタード用の下着として渡されたインナーショーツは、シンプルな白のコットン製ショーツだが、若干ハイレグ気味なのが、ちょっと気恥しい。

 幸いと言うべきか、オトコノコの部分は股間に絆創膏で固定してあるため、インナーショーツを履いてもモッコリしているようには見えないが、それでも格段に窮屈な感触は否めない。


 サポートブラと呼ばれる、これまた専用のブラジャー(もっともソレで支えるべき乳房は皆無なのだが)を着けたうえで、ミユキは急いでレオタードに脚を通した。


 両の素足の上をナイロン素材のソレが滑っていく感触は、妙にこそばゆく、同時に心地よい。さらに下腹部を布地が覆うと、余計にその感覚は強まる。


 努めてその快感に意識を向けないようにしながら、ミユキはピンク色の布を腹部から胸部にかけて引き上げ、身体をくねらせるようにして腕部にも片方ずつ袖を通す。

 腕や胴に寄っている皺をのばし、ピッチリと身体にフィットさせて──完成だ。


 「どう、かなぁ?」


 背後を振り向くと、ひと足さきにオレンジ色のレオタードに着替えていた奈津実が、イイ笑顔で「GJ!」と親指をサムズアップして見せる。


 「ぱーへくとよ、ミユキちゃん! むしろ本物以上に似合ってるかも!」


 確かに、ややボーイッシュな少女(にしか見えない少年)が、僅かに頬を染めて恥じらいながら、右腕を(あたかも胸元を隠すような姿勢で)前に回して、伸ばした左腕をつかみ、内股になってモジモジしているのだ。


 まさに「愛らしい」と評するべきその姿には、男女問わず「グッ」とクることは間違いないだろう。


 「お、おだてないでよ~。で、コレからどうすればいいの?」


 より一層顔を赤らめつつ、褒められて満更でもなさそうに見えるのは、気のせいだろうか。


 「とりあえず、体育館での基礎練からだけど──あ、ちょっと待って」


 部室を出ようとしたミユキを呼びとめると、奈津実はミユキの前髪をかき上げ、「パチン!」と何かを、“彼女”の髪に留める。


 「え? コレって」

 「うん、安物だけど髪留め。運動するときに前髪が邪魔にならないようにね。それに……ホラ!」


 奈津実はミユキの両肩に手を置くと、部室の奥の鏡の前に連れて行く。


 「この方が可愛いじゃない?」


 高さ150センチほどの姿見に映るのは──微かに頬を赤らめ、驚いたように自らの姿を見つめる、レオタード姿の可憐な女の子にほかならなかった。

 スラリと華奢な体躯は女性的な円みには乏しいが、逆に未成熟な少女特有の稚い魅力を醸し出している。

 あどけない顔つきながら、花飾りのついた銀色の髪留めで額を出した髪型と、身体の線がくっきりと浮き出る衣裳が、鏡に映る人物が、幼いとは言えレッキとした女の子であることを証明している。


 (なにコレ……可愛い…けど……コレって……ボク…ワタシ、だよね?)


 驚愕。憧憬。戸惑。羞恥……そして歓喜。

 ミユキの頭の中で、様々な感情がグルグルと渦を巻いている。


 「ん~? どうしたの、みゆみゆ? もしかして、自分のあまりの可愛らしさに見とれててた?」


 ボンヤリしているミユキを不審に思ったのか、奈津実が声をかけてくれたので、幸いにしてミユキはその思考のループ状態から抜け出すことができた。


 「な、なんでもない。何でもないよ!!」

 (もしかして、あの絵の効力って……)


 一瞬だけ脳裏に浮かんだ疑念を打ち消すようにミユキは、大声で答えた。


 極力鏡を見ないようにしながら、自分の身体をペタペタ触ってみる。12歳の少年にしては多少華奢だが、間違いなく自分の身体であることを確認して、ため息をつくミユキ。

 その嘆息には、大半を占める「安堵」に混じり、ごく微量ながら「落胆」の色が混じっていたのだが、ミユキ自身はそれに気付かなかった。


 「??? ま、いっか。じゃあ、そろそろ行こ。こっちだよん」


 奈津実に先導されてミユキは、今日の5時間目の授業でもお世話になった旧講堂へと足を踏み入れた。


 「みんな~、ろうほー! 今日からミユキちゃんも練習に復帰してくれるよん!!」


 奈津実の元気な声に続いて、先に来ていた数名の新体操部員に向かって、ミユキは勇気を出してペコリとお辞儀をした。


 「い、今更ですけど、よろしくお願いします」


 それだけで、他の部員達に驚く気配がなんとなく伝わってきて、本物の美幸はどれだけ傍若無人だったんだろうと、内心苦笑するミユキ。

 それでも、部員達は温かくミユキの“復帰”を受け入れてくれたのだった。

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