【その6/モーニングタイム】
──ピピピピッ、ピピピ……カチッ!
9月2日の朝7時。
星河丘学園女子寮「桜丘寮」の一室で、軽快に鳴り始めた目覚まし時計は3秒後に、その部屋の主の手によってアラームを止められることとなった。
「んーーーもぅ、7時、なんだ……ほわぁ~~あ」
眠だげな声を漏らしつつ、ベッド中でモゾモゾと身じろぎする少女だったが、程なくパパッと掛け布団を跳ね上げて勢いよくベッドの上に半身を起こす。
この“少女”の名前は、今年、星河丘学園高等部に入学したばかりの一年生早川美幸──というのは仮初の姿で、じつはその従弟の小学生、浅倉要少年であることは、皆さんも既にご存じであろう。
とある旧家の家宝(むしろ魔宝?)──「鳥魚相換図」の不思議な力によって、現在本人同士以外の他人の目には、要は美幸に、美幸は要にしか、見えなくなっているのだ。
もっとも、ピンクのナイティ(無論、本物の美幸の持ち物だ)を着て、眠そうに目をこすっているミユキ(=要)の姿は、線が細く未だ第二次性徴が訪れていないこともあいまって、客観的にもショートカットでボーイッシュな女の子にしか見えなかったが。
昨日の朝は、緊張していたことの反動かグッスリ寝こけてしまい、時間ギリギリになって隣室の奈津実に起こされたのだが、今朝は目ざましをかけた甲斐もあって、ちゃんといつもの時間に起きられたようだ。
「んしょっ、と」
眠気を払い飛ばすようにブンブンと頭を振ってから、ミユキはベッドからカーペットの上に降り立つ。
「ホントならジョギングとかしたいところだけど」
少年サッカーFCに所属する要少年は毎朝2キロのジョギングをしているのだが、さすがに、ミユキとしてこの学校にいる以上、いきなりそれはマズいだろう。
「じゃあ、部屋の中でストレッチと柔軟でもやっておこうかな」
あまりドタバタするのも周囲に迷惑だろうし、用具もないのでそれくらいしかできなさそうだ。
サッカーに限らず、身体をスムーズに動かすためには、関節や筋肉の柔軟性は必須事項だ。
スポーツ少年のハシクレ(まぁ、今は他人からは“少女”にしか見えないワケだが)として、ミユキもそういった基礎的なトレーニングの重要性は、一応理解している。
だから、4年生の頃まで通っていた体操教室でコーチに教わったストレッチと柔軟運動を久々にやってみたのだが──2年間のブランクがあっても身体は覚えているようで、気持ちよく動くことができた。
──もっとも、もし他の人間が今のミユキの様子を見たら、「はしたない」と顔をしかめるか、あるいはスケベ心全開で邪な視線を向けたことだろう。
なにせ、今、ミユキが着ているのは、ダボッとしたロングTシャツのようなナイティ1枚(+ショーツ)なのだ。
やや幼い体つきとは言え16歳の少女(にしか見えない人物)が、屈伸程度ならともかく、時には大股開きで、床の上でアクロバティックな姿勢を次々披露しているのだ。当然、しばしばナイティがめくれ上がって、パンチラどころかパンモロと言って良い状態だった。
傍らに同世代の男の子がいたら、正直襲われても文句が言えないだろう。
とは言え、小学6年生の少年にそういう“女の子としての恥じらい”を持てと言うのも、無茶な話であろうが。
ひととおり身体を動かして満足したのか、ミユキは汗を吸ったナイティを脱ぎ棄てると、ユニットトイレ横に備え付けの簡易シャワーで軽く汗を流す。
“本物”の美幸なら、たぶん寝汗の類もあまり気にせず、平気でそのまま制服に着替えたろうから、このあたりは、きれい好きかつ風呂好きなミユキならではの行動だろう。
無論、脱いだナイティも、“本物”のように脱ぎ散らかしたりせず、ちゃんとランドリーボックスに入れてある。一昨日からの洗濯物とまとめて、夜にでも寮のランドリールームで洗うつもりだった。
「ふぅ。やっぱり、汗かいたときはシャワーだよね♪」
小ざっぱりした顔でシャワースペースから出て来るミユキ。なにげに女の子っぽく、胸元にタオルを巻いてたりするが、コレは早川家にいた間に母親(本来は伯母)から躾られた御蔭だ。
ミユキとしても、「女の人の湯上がりは、タオルを巻いて胸元からお尻まで隠す」というイメージがあったので、現状では素直に従っている。
「えーと、今日の下着は──コレでいっか」
ミユキは、タンスの引き出しから可愛らしくレースで縁取られたミントグリーンのショーツとブラジャーのセットを取り出して、ベッドの上に並べた。
胸元のタオルを外し、もう一度身体をよく拭いてから、まずはショーツに足を通す。
元々要はブリーフ派だったこともあり、女物のパンツを履いてもさして違和感はない。むしろ、薄くて頼りないが、柔らかいシルクの布地が素肌にピタリと貼りつく感触は、口には出さないものの密かに気に入っていたりする。
女性にはないはずの突起物については、奈津実の意見により、股の下に後ろ向きに寝かせて絆創膏テープで固定することで、外見的な不自然さをなくしてある。
第二次性徴前ということもあって決して大きいとは言えないミユキのナニも、さすがにそうやって押さえつけると多少は窮屈なのだが、昨日一日でだいぶ慣れた。
「それに、そうやっておけば、おトイレも座ってしかできないから、便座を上げっぱなしにして怪しまれることがないでしょ」と言う奈津実の意見ももっともなので、ミユキとしても頷くしかなかった。
股間を調整し、キチンとショーツを腰まで上げてから、今度はブラジャーに腕を通す。
実はミユキは、身体が柔らかいこともあって、一昨日奈津実に教わったような先に前でホックを留めるやり方をしなくても、最初から背中で留める事が楽々可能だったりする。
ただし、脇腹の肉をかき集めてカップに入れる点だけは踏襲している。ソレさえしておけば、まがりなりにもミユキの胸にも僅かに膨らみがあるように見えるのだ。
「お姉ちゃんは「貧乳はステータスだ!」とか叫んでたけど、流石に限度があるよねぇ」
胸元を見下ろし、ブラジャーによる補整効果で、ごく僅かに“谷間らしきもの”が出来ているのを見ると、誇らしいような情けないような奇妙な感慨が脳裏に湧き上がって来たが、深く追求するのはコワいので、ミユキはそれ以上考えないことにした。
「それにしても、たった二日間で、すっかり慣れちゃったなぁ」
男物とは逆サイドに着いているブラウスのボタンを留めながら、ミユキは苦笑する。
まぁ、下着(ショーツ)自体は、早川家にいた一週間のウチに既に馴染んでいたし、ブラジャーも想像していたほど窮屈な代物ではなかったのは幸いだった。
もっとも、胸の大きな女性にとっては逆に、ブラとは「窮屈だがないと困る」モノらしいと、奈津実から聞かされた。幸か不幸か奈津実も平均よりは小さめなので、人づての伝聞らしいが。
スカートの股下がスースーする感覚には、さすがにまだ慣れないが、夏の暑気が多分に残っている気候のおかげか、むしろズボンより涼しくて快適な感じがする。
(でも、冬場はこの短さだとさすがに寒そうだなぁ)
制服のスカートのジッパーを上げながら、ハイソックスとスカートの間で完全に露出している膝小僧を見て、ミユキは呑気にそんなコトを考えていた。
星河丘の女子制服は、数タイプ用意されたモノから生徒自身が自由に選んで組み合わせるようになっており、そのコト自体、学園の人気につながっている。
早川美幸が選んだのは、一番スタンダードなブレザータイプのようだ。もっとも、まだ夏服の期間なのでブレザー自体は着ず、半袖の白ブラウスと臙脂色のタータンチェックのプリーツスカート&薄手のサマーベストという組み合わせだが。
──コン、コン
「おっはよーー! ミユキちゃ~ん、起きてますかぁ?」
ノックの音とともに、奈津実の声が聞こえてくる。
「おはよう、奈津実さん。今着替えてるところ。あ、鍵開いてるから入ってもらえる?」
「いいよ~、それじゃあ失礼しまぁす!」
部屋に入って来た奈津実に、ミユキは恥ずかしそうにリボンタイを渡す。
「その、まだタイが巧く結べなくって」
「あらら~、まぁ、慣れてない人には難しいか。今日はやってあげるけど、ミユキちゃんも、ちゃんと覚えてね」
と、ドレッサーに向かい、後ろから抱きかかえるように腕をまわされ、リボンタイを結んでもらうミユキ。
普通こんな風に年上の女性と接近・接触したら、純情少年の要なら真っ赤になって照れるトコロだが、この二日間で多少は免疫ができたのか、とくに慌てることもなく、鏡の中の奈津実の指の動きを真剣に注目してる。
「はい、こんな感じかな。わかった?」
「う、うん……多分」
そう答えつつ、あとでコッソリ練習しようと考えている、真面目なミユキ。
そのまま鏡に向かい、ブラシを通して髪型を整えてから、ミユキは奈津実と共に1階の食堂へと向かった。
「おはようございます、長谷部さん、早川さん」
「あ、ムッちゃん、はよ~ん」
「おはよう──えっと、西脇さん」
ふたりに挨拶してきた娘はクラスメイトのひとりだった。ミユキは多少つっかえながらも、かろうじて名前を“思い出し”、挨拶を返す。
そのままの流れで、三人は並んでテーブルに座って朝食を摂る。
あまり時間に余裕がない朝でも、他愛のない雑談を交わしながら食べてるあたり、いかにも女子寮と言うイメージ通りだ。
多少はココの雰囲気に慣れてきたのか、ミユキも時々口を挟む程度は出来るようになっていた。
──と言うか、それくらいできないと、女子の会話ではかえって浮いてしまうのだ。幼いながらも聡明なミユキは、そういう空気を読める子だった。
本物の美幸にとっては、そういう普通のガールズトークは「ウザい」だけかもしれないが、“女子高生初心者”なミユキにとっては、色々興味深い話も聞けることだし。
「それにしても──早川さん、夏前とはちょっと雰囲気が変わりましたね。前より明るくなりました」
「!」
だからだろうか。西脇睦美がそんなコトを言って来たのは。
「にはは、ムッちゃん、夏は女を変える魔性の季節なのだよん」
一瞬言葉に詰まったミユキを、奈津実が巧みにフォローしてくれる。
「おや、その割には長谷部さんには何ら変化が見られないようですが」
「にゃにぃ! 西脇くん、この5ミリ成長したバストと、小麦色に焼けた肌を見たまえ」
「でもウエストは1センチ、体重は3キロ程増えたんじゃないですか?」
「あぅち! どーしてそのコトを!?」
ふたりがコントモドキを繰り広げるあいだにミユキは考えまとめ、思い切って言葉を紡ぐ。
「うん。確かに、ちょっと変わったかもね。西脇さん、こんなボ…私はヘンかな?」
奈津実とのじゃれ合いを中断して、睦美は僅かに真剣な表情になったものの、すぐにニッコリ微笑んだ。
「──いいえ、むしろ好ましいコトだと思いますわ。
それと、以前にも言ったような気しますけど、わたくしのことは、よかったら苗字ではなく名前で呼んでくださいな」
「うん、よろしくね、睦美さん。じゃあ、私のこともミユキでいいよ」
気がついたら、ミユキは自然にそんな風に返していた。
こうして、“早川ミユキ”に、この学園に来てふたりめの友達が出来たのだった。
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