【その5/学校へ行こう!】

 いよいよ学期が始まる9月初日。


 校門から連なる石畳の道は、未だ真夏と遜色ない強い日差しに照らされ、道の両脇に立ち並ぶ銀杏並木も青々とした葉を茂らせている。

 それでも、先月半ばまでのようなけだるい倦怠を感じないのは、まだ時間が早いせいか、あるいは密かに忍びよる秋の気配のおかげか。


 校舎までの短い道程には、年若い少女達の笑いさざめく声と軽やかな靴音が満ち満ちていた。

 ここは私立星河丘学園。昭和初期に設立された由緒正しい名門校である。そのモットーは、「自由・平等・公正」。


 とは言っても、昨今のモンスターペアレントが喧しく囀りたがる悪平等や無秩序な放任の類いではなく、「自由とそれに伴う責任を知り、教育を始めとする機会の平等のもとに、公正に競争し切磋琢磨する」という誠に健全な方針を掲げている。


 高等部は原則全寮制だが、学園から徒歩10分圏内に住む者だけは入寮か自宅通学かを選べることになっている。ちなみに中等部は逆に自宅通学が原則だ。



 『「「おはようございます、お姉様」」』

 『おはようございます、皆さん』


 そこここで交わされる挨拶はあくまで優雅で柔和に。

 制服のリボンを乱さぬよう、スカートの裾は翻さぬよう、歩くのがこの学園の不文律。



 「──てな感じの光景を想像してたんだけど、案外フツーだね」


 朝8時過ぎに部屋を訪ねて来た奈津実と一緒に寮を出たミユキ(要)がそう囁くと、奈津実はケタケタと笑い出した。


 「ミユキちゃーん、ふた昔前の少女マンガや文庫じゃないんだから(笑)。それにそもそもウチの学校は共学だし」

 「そ、そう言えばそうだね」


 とは言え、都内や近隣の人間にとっての星学(星河丘学園)のイメージは、やはり“名門校”であり、かつ優秀なお嬢様を輩出しているイメージが強い。


 その証拠、と言うワケでもないのだが、共学化して以降の歴代生徒会役員の7割が女子生徒であり、生徒会長に至っては全員女性だ。クラブ活動などに関しても、個人戦はともかく団体戦では圧倒的に女子の方が成績がよい。


 これでかつては男子校だったと言うのだから、何の冗談だと言いたくなる。男子生徒の質も決して悪いワケではないのだが、それ以上に女子のレベル高い、と評するべきだろう。


 実際に現在進行形で登校しているミユキとしては、さほど堅苦しい雰囲気ではなかったコトに正直ホッとしているのだが。


 「あれ、長谷部と──そっちは早川か? お前らが朝から一緒にいるなんて、どうした風の吹きまわしだ?」


 背後から驚いたような声をかけられて、慌てて振り向くミユキと奈津実。

 その瞬間、ミユキの目が僅かに大きく見開かれた。


 「あ、富士見くん、はよ~ん」


 そこにいたのは、浅黒く陽焼けしたスポーツ刈りの少年。先方と奈津実の言葉づかいからして、どうやらクラスメイトか、あるいは少なくとも同級生の顔見知りらしい。


 「お、おはよう、ふ、富士見…くん」


 ちょっとつっかえながらも、ミユキも慌てて挨拶をした。


 「オッス。にしても、長谷部はともかく、早川がこんな早くに登校してるのって珍しいな。それに何だか大人しいし──ひょっとして、長谷部、何か早川の弱みでも握って脅してるんじゃないだろうな?」

 「あ、ヒド~い! ミユキちゃんとは夏休み中に仲良くなっただけだモン!」


 心あたりがないでもないミユキは内心ギクリとするが、奈津実が意に介せず抗議してくれたおかげで、ボロは出さずに済んだ。


 「ふーん。ま、何だかんだ言って、お前ら同じクラブだし、寮の部屋も隣り同士なんだろ? 仲良きことは麗しきかな、か」


 富士見少年の方も、本気で疑っていたワケではないのだろう。ニカッと笑うと「じゃ、おっさき~」とひと声かけて早足で校舎に入って行った。


 「えーと、奈津実さん、あの人は……?」

 「うん、クラスメイトの富士見輝くん。わたしや美幸ちゃんと席が近いし、ああいう性格だから、男子では割とよくしゃべる方かな」

 「そう、なんだ……」


 考え込むような表情になったミユキを見て、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる奈津実。


 「なになに? 女子高生生活初日から、さっそくひと目惚れフラグ!?」

 「そ、そんなんじゃないよ。あの人、ワタシじゃなくてボクの──“浅倉要”の知り合いなんだ。て言っても、近所のお兄ちゃんで、小学生の時の集団登校とか生徒会で御世話になったってくらいの関係だけど」

 「ふぇ~、そりゃまたスゴい偶然だね。あ、だからこそ、運命的と言えるかも」

 「奈津実さん、飛躍し過ぎだって。ただ、数年前とは言え、お兄さんとして見てた人と同じ教室で机を並べてクラスメイトとして過ごすとなると、フクザツな気分かも」


 ニヤニヤしていた奈津実も、ミユキのその言葉に表情を真面目なものに戻した。


 「そっかー。でも、さっきも気づいた気配はなかったし、平気じゃない? 普通にしてれば大丈夫だよ、きっと」

 「(その普通が難しいんだけど)う、うん、頑張る」

 「あはは、やっぱりミユキちゃんは、真面目だなぁ。もっと力抜いた方がいいよ、ほら、リラックスリラックス!」

 「ひゃんっ! そんなコト言いながら後ろから抱きついて胸触んないでよ~!!」


 キャイキャイとかしましくじゃれ合いながら玄関で上履きに履き替え、教室を目指すふたりの姿は、その片割れが本当は“小六の男の子”だとは思えぬほど、学園の風景に馴染んで見えたのだった。


  *  *  *


 奈津実と連れ立って1-Cの教室へと急ぐミユキ。左手首内側の腕時計を見る限り、予鈴まではまだ多少時間があるが、“彼女”にとっては初めての場所なのだから余裕を持って行動しておくにこしたことはない。


 ちなみに、星河丘学園では、ケータイ自体の所持は認められているが、授業時間中は電源を切っておくことになっている。無論、授業中にコッソリいじっているのが教師にバレたら没収で、放課後お説教だ。


 要自身まだケータイを持っておらず、美幸のケータイを預かっている状態の今もほとんど触っていないため、ミユキはその校則に特に不自由は感じなかった。


 「到着ぅ~。あ! ミユキちゃん」


 いつものように窓際の自分の席にカバンを置いた奈津実は、あることを教えようとミユキの方を振り向いたのだが……。


 「ん? 何、奈津実さん?」


 いつも通り、ひとつ前の席にミユキが座ったのを見て、言いかけていた言葉を飲み込み、他愛もない雑談へと切り替える。


 「あ、なんでもないよ。

 (なんだ、美幸ちゃんの席、教えてあげようと思ったけど、本人から聞いてたのかな)

 それよりさぁ……」


 早川美幸の席は、教室の窓際の前から2番目。長谷部奈津実のひとつ前で、今朝がた出会った富士見輝の左隣りだ。


 教室に入ったミユキが迷うことなくその席についたため、てっきりあらかじめ知っていたものと奈津実は思い込んだのだが──実は決してそんなことはない。


 誰に教えられたワケでもなく、ミユキとしては、無意識に「いつもの自分の席」として、そこに座っただけだった。


 そのコトが何を意味するのか──賢明な読者の方々はおおよそ見当はつくだろうが、ここではあえて深く触れないこととする。


 * * * 


 奈津実のフォローを受けつつ、何人かの(美幸の)クラスメイトと軽く朝の挨拶を交わした頃、予鈴が鳴り、教師が来てホームルームが始まった。


 このあたりの感覚は、日本では小学校でも高校でも大差はない。強いて言うなら、要の担任が中年にさしかかった男性だったのに対して、美幸の担任がまだ二十代半ばと思しき若い女性教諭だったことくらいか。


 ベテランの学年主任で、厳しい先生として恐れられている小学校での髭面の担任に比べて、優しげな笑顔と気さくな口調で話す、こちらの美人先生の方がいいなぁ──というのが、ミユキの正直な感想だ。


 「──注意点はこのくらいかしら。まだまだ暑いけど、今日から二学期が始まるんだし、皆さんも心機一転、頑張ってね!

 それと、ホームルームが終わったら、始業式があるからすぐに大講堂に移動してください。じゃあ、日下部さん、号令お願い」

 「はいっ。起立……礼。着席!」


 担任の姫川先生(あとで奈津実に聞いたところ、この学園の卒業生らしい)が出て行ったのとほぼ同時に、生徒達も立ち上がって大講堂への移動を開始する。無論、ミユキもその流れに身を任せた。


 始業式にせよ卒業式にせよ、およそ学校行事に於いて“式”と名がつくものは、学生にとって退屈で苦痛なものと相場が決まっているが、この学園に関して言えばあまりあてはまらないようだ。


 大講堂は、優秀な空調設備のおかげか、沈静成分のあるハーブの匂い付きの涼風で快適な室温が保たれているし、学園長の挨拶も要領良くまとめられ、2分足らずの短さで終わる。


 学園長と交替に壇上に上がった高代という女生徒は、どうやら生徒会長らしいが、遠目にもわかる大人びた美貌と、知性的かつウィットに富んだその語り口は、その場にいた生徒の大半を引き付けるに足るものだった。


 ミユキなどは「やっぱり高校の生徒会長さんともなると格が違うなぁ」とコッソリ感心しているが、これはこの星河丘学園だからこそで、他校ではこれほどの逸材はなかなか見られるものではない。

 もっとも、逆に星河丘ではこのレベルの人材でなければ生徒会長は務まらない、とも言えるが。


 ともあれ、学園祭や体育祭などに2学期の行事に関する連絡と諸注意が、高代会長の口から伝えられたのち、始業式はお開きとなった。


 「このあとは教室に戻るんで…だ、よね?」


 つい丁寧語を使いそうになるのを堪えて、ミユキは隣りの奈津実に小声で聞く。


 「うん、原則的にはそうだけど、始業式と終業式の日の帰りのホームルームはないから、あとは好きにしていいんだよ~。

 そーだ! ミユキちゃん、せっかくだから、学食のカフェテリアに行ってみよっか」


 言葉としては質問だが、言うが早いが奈津実はミユキの手を引いて歩き始めている。


 ある意味強引ともいえるが、彼女に悪気はなく、むしろ学園に不案内なミユキのことを気遣ってくれていることが分かるので、不愉快な気はしない。

 要の身近にも耕平という同様に世話焼きな友人がいたので、ミユキは奈津実のことが決して嫌いではなかったが……。


 (美幸お姉ちゃんは、たぶん鬱陶しがるだろうなぁ)


 小学生とは言え12歳ともなれば、幼いころから姉同然に慕っている従姉の性質もおよそ理解できる。


 “本物”の早川美幸は、格好よく言えばセンシティブなローンウルフ気質、ブッちゃけて言えば内向的で人づきあいの苦手な性格だった。おまけにインドア派でアニメとマンガ好きであることも、ミユキ──要はしっかり把握している。


 もっとも、さすがに、ショタ趣味な腐女子で、最近コスプレにも手を出し始めたことにまでは気づいていないが……。


 (お姉ちゃん、奈津実さんにいつも振り回されてるんだろうなぁ)


 ミユキが苦笑気味にそんなコトを考えていると、すぐに食堂らしき場所に着いた。


 「ここが星河丘(ウチ)の学食……の喫茶コーナー「ミルヒシュトラッセ」だよん」

 「へぇ~。学食って、なんか思ってたよりもリッパなんですね」


 少なくともインテリアなどの雰囲気は、下手なファミレスなぞよりは、ずっとシックで品良くまとまっている。


 「まぁ、ウチは私学だからね。公立だと、こんなに綺麗な所は珍しいと思うよ」


 フンフンと奈津実の説明を聞きつつ、カウンターの上に記されたメニューに目を通していたミユキの目が“キラン!”と光る。


 「あ、ここ、バナナシェーキが、あるんだ! わ、アイスココアとかイチゴオーレも! え、チョコレートパフェまで!?」


 今まで、どちらかと言うと実年齢不相応に落ち着いたイメージだったミユキの浮かれぶりを、おもしろそうに見守る奈津実。


 「おろ、ミユキちゃん、もしかして甘い物好き?」

 「うんっ、大好き! ……って、すいません、はしゃいじゃって」


 ちょっと頬を赤らめる様子が可愛らしい。


 「ううん、いいんじゃないかな。わたしだって好きだし」

 「でも、もうじき中学生になる男が、そういうのって……」


 どうやら友達か誰かに「カッコ悪い」とでも言われたのだろうか。


 (背伸びしてコーヒーが飲みたいお年頃、ってヤツかなぁ)


 奈津実は優しく微笑んだ。


 「うーん、別にイイと思うよ。大人になっても甘党の男の人だっているし。

 それに、ホラ、今はキミが“早川美幸”なんだし。女の子はいくつになっても甘い物が大好きなんだから」


 それと、敬語は禁止ね──と小声で付け加えてウィンクする。


 「! そっか……そうだよね。ボ…ワタシは女子高生なんだし、こういうモノを飲んだりしたって、全然ヘンじゃないよね!」


 天啓を得たような顔つきで満面の笑みを浮かべ、さっそくカウンターへと突貫していくミユキを、奈津実は生暖かく見守ったのだが……。


 「さ、さすがに、バナナシェーキとイチゴオーレ飲みながらチョコパフェとショートケーキを一度に食べるのは、行き過ぎじゃないかなぁ」

 「ふぇ?」


 お約束のようにクリームを付けて顔を挙げたミユキを見つつ、冷や汗をひと筋垂らす奈津実。


 「──ミユキちゃん、そんなに甘いものばっか食べると……太るよ?」


 奈津実のそのひと言に、なぜかこの世の終わりのような衝撃を受けるミユキなのだった。

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