【その1/初めての女子寮】
「早川美幸」と呼ばれる“少女”は困っていた。あるいは(精神的な意味で)フリーズしていたと言った方がいいかもしれない。
「コレ、着ないといけないんだよね?」
* * *
早川美幸が通う星河丘学園の高等部は基本的に二人部屋の全寮制で、彼女もまた寮暮らしだ。ただ、今年の一年の入寮生が奇数だったため、美幸は運良くひとりで寮の部屋を占有することができている。
例年にもまして暑かった8月も終わり、今日は二学期が始まったばかりの9月の頭。“美幸”も一昨日の31日の午後に女子寮に“戻り”、学校に通う準備を整えていた。
そのお陰で、始業式のあった昨日はそれほど大きな問題もなく過ごすことができた。
星河丘には中等部も併設されており、高等部における内部進学者と外部生の割合は、おおよそ半々といったところだ。
早川美幸は高校から入った外部進学組ではあったが、それにしたってすでに一学期のおよそ3ヵ月半ほどをこの学園で過ごしている。
夏休みをはさんだとは言え、そろそろこの学校にも慣れそうなものなのだが──新学期からの“彼女”の挙動にはどこか新鮮な驚きと戸惑いが見られた。
まるで、「初めてこの学園に来た」かのように……。
──思わせぶりな表現をしたが、もうおわかりであろう。
本物の美幸が小学6年生の男の子として暮らしている以上、ここにいる“美幸”は当然ながら偽物なのだ。
無論、その正体は、美幸に自分の名前と立場を取られた従弟の浅倉要にほかならない。
いや、“取られた”と言うのは少し異なるか。「従姉の強い要望に屈し、渋々入れ替わりに同意した」というのが正確な表現だろう。例の“家宝”は使用者双方の同意がない限り発動しないのだから。
また、従姉の勢いに流された部分があるとは言え、要も多感なお年頃の男のコだ。「年上の少女の生活」に(性的なものも含めた)好奇心や興味は大いにあった。
と言うか、あの小汚い絵に、まさか本当にそんな能力があると信じていなかった──というのが一番大きかったが。「やれるものならやってみろ」というヤツだ。
もっとも、そんな彼の心境をよそに、見事に鳥魚相換図はその効果を発揮し、本人同士以外の人の目には、要は“美幸”に、美幸は“要”にしか見えなくなったワケだが。
とは言え、当初ふたりは、仮に成功しても2、3日で元に戻るつもりだったのだ。
美幸の方はあくまで“本命”の立場交換前の実験のつもりだったし、要だって、泊まりがけで遊びに来ている美幸の家から帰るときには、元の自分でいようと考えていたのだから。
ところが。
浅倉家の事情──父方の祖父の危篤の知らせで、要が急きょ予定を1日くり上げて帰らねばならなくなったことから、非常に困った事態になってしまったのだ。
要の両親が早川家に迎えに来た際、当の要本人は“美幸”として駅前のゲームセンターに遊びに出かけていた。
その代わりに、早川家には“要”にしか見えない美幸がいるワケで、巧い言い訳を考える前にあわただしく“要”は車に乗せられ、早川家から遠く離れた祖父の家へと連れて行かれてしまったのだ。
ゲーセンから帰ってきた“美幸”な要は、極力平静を装ったものの、無論内心は焦りまくりだった。
幸いにして要の祖父の容体が深夜には小康状態を取り戻したため、翌朝美幸の方から電話がかかってきたのだが、ふたりとも、すぐに元に戻る方法は思いつかなかった。
やむなく、しばらくは無難に互いのフリをする──ということを不承不承納得するしかなかったのだ。
結局、“要”を含めた浅倉一家は、祖父の容体が完全に落ち着くまで祖父の家に留まることとなり、そうこうしているうちに8月も残すところあと少しになってしまう。
不思議なことに、小六男子に見られている美幸はまだしも、女子高生のフリをしている要の方も、周囲から特に怪しまれるようなことはなかった。
無論、互いに家族の目を盗んで電話で連絡を取り合い、必要と思える知識を教えあうようにはしていたが、それだけではどうしても不備が出る。とくに年上の少女に扮する要の方は、なおさらだ。
しかし、知識が足らずに戸惑うような局面であっても、なんとなく思いつきで動いたら、うまくやり過ごすことができていた。あるいは、コレもあの鳥魚相換図の力なのかもしれない。
ともあれ、結局、“要”な美幸が浅倉家に“戻った”のは、8月30日の夕方になってからだった。31日の午後には美幸は学園の寮に戻る予定だから、まさにギリギリのタイミングである。
しかし……。
「え! 戻るのを延期する!?」
美幸から「自宅に戻った」という電話を受けて、ホッとしていた要だが、思いがけない相手の言葉に驚く。
「うん。そもそも、夏休みが終わる1日前にわざわざ“要”が“おじさんの家”に遊びに行く理由がないでしょ」
「じゃ、じゃあ、ボクの方がソッチに……」
「それこそ、説得力がないわよ!」
確かに、美幸が浅倉家に遊びに来たことは片手で数える程しかない。
「じゃあ、どーすんのさ!」
「まぁ、落ち着きなさい。再来週の日曜の翌日が敬老の日で休みになるから3連休でしょ。その時、寮からウチに戻って来るのよ。あたしの方も、適当な理由つけて「遊びに行く」から、その時一緒に昼寝でもして戻ればいいわ」
美幸の提案は合理的なものではあったが、要としては即座に頷けない。
「えぇ~、それじゃあ、ボク、これから3週間近くもお姉ちゃんのフリをするのー?」
「そういうコトになるわね。でも、これはアンタにとっても悪い話じゃないはずよ。男子の憧れの秘密の花園である女子寮に堂々と入れるなんて、ラッキーじゃない」
確かに、そう言われるとそんな気もしてきて、要の反論の矛先も鈍る。
「それに、アンタ、いつも「早く大人になりたい」とか言ってたじゃん。女子とは言え、高校生の立場を経験できるんだから、一時的にその夢がかなうわよ。
ウチの学校、なにげに設備は整ってるし、体験入学でもするつもりで気楽にドーンと構えてなさいな」
「ええっと、お姉ちゃんがソコまで言うならいいけど──でも、さすがにボクじゃあ勉強とか全然わかんないよ?」
アウトドア派の元気少年にしては要の成績は悪くないが、しょせんは公立小学校の6年生。名門高の授業についていけるとは思えない。
「アハハ、だいじょーぶ! あたしだってたいして威張れた成績じゃないから。そうね、授業中にノート取るのだけキッチリやってくれればいいわ」
こうして、理論的な退路を断たれ、また少なからず好奇心も刺激された要少年は、“早川美幸”として、しばらくのあいだ学園の女子寮で暮らすことになったのである。
* * *
「ふぇー、すっごい豪華な建物だぁ」
31日の午後5時、昼過ぎに「両親」に見送られて早川家を出た、“美幸”な要(面倒なので以下ミユキと表記しよう)は、美幸から聞いた道順のメモと、なんとなく感じる勘に従い、無事に星河丘学園女子寮に辿り着いていた。
もとは男子校だったが、数年前に共学になったという経緯もあり、女子寮はまだ新しい。それなりに良家の子女が通う私学ということもあり、建物自体のグレードも高そうだ。
予想以上の豪華さに、一瞬腰が引けるミユキだったが、意を決して足を踏み入れる。入ってみると、内装自体は案外普通だったのでホッとした。
「あ、早川さん、こんちゃ!」
「あ、どーも……」
「あら、早川さんも、今日お戻りですか」
「ええ、まぁ……」
顔見知り(たぶんクラスメイト)とおぼしき少女たちから、たまに挨拶や会釈を投げられることはあったが、今のところ会釈と生返事するだけで十分に誤魔化せている。
本人から聞いていた通り、どうやら美幸には学園で親しい友達がまだいないらしい。寮生自体の雰囲気はアットホームなので、その気になればすぐに友人はできそうなのだが……。
(まぁ、それはボクが考えても仕方ないか)
ミユキは頭をふり、目当ての部屋──2055室のカギを開けて中に入った。
そこは、(たぶん母親の手が入っているだろう)早川家の美幸の部屋とはうって変って、何と言うか「女の子らしくない」部屋だった。
「女の子の部屋」と聞いてミユキが連想するぬいぐるみも、レースのヒラヒラも、パステルカラーの家具類もまるで皆無。代わりに、何か(実は萌えアニメ)のキャラクターらしいフィギュアが数点、本棚に飾ってある。
壁に男子向けアニメのポスターが数枚貼られている点は、ミユキとしても親近感が湧くが、カーペットやベッドの上に雑誌類が散乱しているのにはゲンナリする。こう見えてもミユキは綺麗好きなのだ。
家から持ってきたボストンバッグを、ひとまず洗面所に置き、ミユキは着替えもせずに部屋の整頓にとりかかった。
さすがに他人のものを勝手に捨てるワケにはいかないので、雑誌は紐でくくって部屋の隅へ。本は本棚に戻せるものは戻し、入りきらなかった何冊かは、机の端に大きさを揃えて積む。
よく見ると埃がたまっているようなので、窓を開けたうえで、洗面所の隅にあった掃除機のスイッチを入れる。
「ふぅ……こんなトコロかな」
途中、ベッドの下から見つけた「男の人(?)がエッチなコトをしてる本」(いわゆるBL同人誌)には流石に焦った。
健全な男子小学生としてのメンタリティを持つミユキとしては気持ち悪かったが、おそらく男子にとっての“お宝本”と同じような代物だと推察されたので、黙って元に戻しておいた。武士の情けというヤツだ。よくデキた小学六年生である。
なお、この時点では単にそれだけだったが、後日同様のものを目にした際、ミユキは真っ赤になってうろたえるようになるのだが──まぁ、それは別の話である。
汗をかいたので軽くシャワーを浴びて、そのまま部屋着──長めのTシャツとショートパンツといった格好に着替える。
「ふぅ、やっとひと心地ついたよ~」
コロンとベッドの上に転がるミユキ。
服自体がマニッシュだが女物なのと、成長途中の中性的な容貌があいまって、仮に例の入れ替わりが発生していなくても、今の彼は素で“ボーイッシュな女の子”に見られただろう。
むしろ、ヲタクと腐女子に半分足を突っ込んで身だしなみが雑な美幸本人より、ある意味で清楚可憐とさえ言えるかもしれない。
「──このベッド、お姉ちゃんの匂いがするな」
……訂正。匂いフェチとは、コチラも相当なモノのようだ。
「そう言えば、ベッドだけじゃなくて、服もそのはずだよね。この数日であまり意識しなくなってたけど」
クンクン(決してクンカクンカではない)と、小鼻をひくつかせるミユキ。
どうやら特殊な性癖という訳ではなく、単にバカ素直に感じたことを口に出してるだけらしい。
「ふわぁ~、これから一ヵ月近くも、無事に過ごせるのかなぁ……」
当面やるべきことをやって、気が抜けたらしい少年は、どうやらおねむのようだ。
ベッドカバーの上に突っ伏したまま、ゆっくりと少しずつ眠りの世界へと引きずり込まれていく。
──ターラッタ、タッタッター、ラーラー♪
しかし、ミユキの意識が完全に睡魔の手に墜ちきる直前、部屋のスピーカーから、彼にも聞き覚えのあるメロディーが流れて来たため、寝ぼけ眼を擦りながら、起き上がった。
「これって……シューベルトの『マス』?」
一学期の音楽の時間に習った曲のことを思い出す。
「でも、いったい何だろ?」
『──夕食の用意ができました。現在寮にいる生徒の皆さんは、ただいまから1時間以内に1階の食堂に降りて、夕食をとってください』
スピーカーから流れるアナウンスがミユキの疑問に応えてくれた。
なるほど、寮とあれば食事が出るのも道理だ。
昼に早川家でご飯を食べてから、6時間以上経っていたため、ミユキも結構お腹が空いていたので、急いで部屋から出る。
食堂の場所は知らないが──まぁ、他に生徒もいるのだからわかるだろう。
そしておよそ30分後、ミユキは学生寮の食事とは思えぬ豪華な夕飯のメニューを堪能し、お腹をさすっていた。
本物の美幸に釘を刺されていたので、おかわりこそしなかったものの、それでもご飯粒ひとつ残さない気持ちのいい食べっぷりだ。
ちなみに、本日のメインディッシュはニジマスとキノコのムニエル。もしや告知の選曲は、これに合わせたのだろうか?
デザートの杏仁豆腐とホット烏龍茶まで堪能したうえで、さて部屋に戻ろうかと思ったところで……。
「あれ~、みゆみゆが魚残さずに食べるのって珍しいね?」
背後から声をかけられた。
振り向くと、身長155センチの“彼女”より僅かに小柄で、背中にかかる程の長さの赤茶っぽい髪をサイドポニーにした娘が、お気楽そうに笑って立っている。どうやら美幸と、そこそこ仲が良い知り合いらしい。
「う、うん。今日はお腹が減ってたから」
当たり障りのない返事をするミユキだったが、相手──元気の良さそうな赤毛の少女は首を傾げる。
「ふーん……ま、いっか。それよりさ、こないだ貸したCD返してもらっていいかな?」
「へ!? うん、いい…わよ」
女の子口調でないといけないことを意識しつつ、しゃべるミユキ。内心は冷汗ダラダラだ。
(どうしよう──お姉ちゃん、何のCD借りたのかな?)
こうなったら、忘れたフリをして相手に聞くしかあるまい。
女の子を部屋に招き入れ、CDラックに歩み寄りつつ、できるだけ自然な切り出し方を考えるミユキだったが、生憎それは徒労に終わった。
「ねぇ、キミ、誰? みゆみゆじゃないよね?」
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