【2.契機】

 あるいは、それは避けられない「運命」だったのかもしれない。


 この世界に於いて、魔法や魔物の類いは、大多数の人には単なるおとぎ話だと認識されているが、実はそうではない。

 科学で解き明かせない奇跡の力も理外の生き物も歴然として存在するのだ──もっとも、それを知ることが必ずしも幸福をもたらすものだとは限らないが。


 「先生、危ない……きゃあっ!」


 目の前で、年端もいかない少女が、“敵”の攻撃から自分を庇って吹き飛ばされるのを見た時、星河丘学園の中等部で英語教師をしている河合那雪(かわい・なゆき)の頭は真っ白になった。


 ことの起こりは数分前。

 学校での仕事を終えた帰宅途中に、突然人気のない町角に迷い込んだかと思うと、両肩に触手の生えたオオカミのようなモンスターに見つかり、襲われるという、異世界ならぬ現代日本ではレア過ぎるイベントに遭遇したことがキッカケだ──1ミリたりとも嬉しくないが。


 あわや触手プレイか赤ずきんよろしく丸呑みかの二択を迫られ──かけたところで、間一髪、そのテの女児向けアニメから抜け出して来たようなフリフリヒラヒラの衣装を着た金髪の美少女に助けられる。

 さらにその子が単なるコスプレでも特撮でもなく「実際にモンスターと魔法を使って戦って」いるのを目撃することになった。


 とりあえずは助かったらしいことは理解したが、事情はまったくわからず、せめて少しでも両者の戦いの邪魔にならない位置に移動しようと、なけなしの勇気を振り絞った那雪は物陰に駆け込もうとしたのだが……。

 運の悪いことに、化物にバッチリ気取られ、触手の先端から小型のミサイルのようなモノを撃たれてしまう。


 迫りくるミサイル(?)を前に、「あ、これ、私死んだかも」と走馬燈が脳内をよぎり始めた那雪だったが、そこに冒頭の如く魔法少女(仮)が強引に割り込んで、被弾を肩代わりしてくれたのだ。


 事態の急変と切迫ぶりに、彼女の思考が一時停止フリーズしても無理はないだろう。


 そもそも那雪は、あまり積極的だとか臨機応変だとか言えるタイプではない。むしろ、どちらかと言えば消極的かつ慎重なタチなのだから。


 しかし、そんな那雪の茫然自失状態は、爆発で地面に叩きつけられたショックによってか“魔法少女”の変身が解けたことで、一変する。


 「! お、小川さんっ!?」


 そこにいたのは、彼女が担任する2年C組でも、ひときわアクティブで目立つ女の子である小川月乃(おがわ・つきの)だったのだから。


 (え!? どうして小川さんが? まさか、最近噂になってる“魔法少女”の正体って──小川さんだったの??)


 那雪の脳裏でさまざまな疑問が渦を巻き、解けていく一方で、那雪の体は無意識に自分の生徒の方へと向かって駆け出していた。


 「小川さん! 大丈夫?」


 少女を抱き起こすと、月乃はうっすらと目を開ける。


 「だめ……せんせ……にげ…て……」


 少女の視線の20メートルほど先には、彼女を吹き飛ばした生体ミサイル(?)を撃ったバケモノが、心なしか得意げな目でふたりを見下ろしていた。


 『しっかりして、ツキノちゃん! もう一度、マジカルバルキリーに変身しないと、このままじゃあ……』


 いきなり頭上に現れたウサギのぬいぐるみ(?)が、テレパシーのようなもので懸命に少女に呼びかけているが、痛みのせいかすでに月乃は意識を失っている。


 ふと見れば、月乃の傍らには、先程の魔法少女が持っていた翼のついたバトンのようなものが転がっていた。


 『ツキノちゃん! ツキノちゃぁーーん!』


 少女の意識を呼び覚まそうとウサギ(?)が呼びかけを続けるのを背に、那雪はバトンを拾い上げると、立ちあがってバケモノに向かって歩き出す。


 「────わたしの生徒に……」

 『ちょ、ちょっと貴女、無茶なことは──って、え、うそ。なんなの、この魔力係数は!?』


 背後でウサギモドキが騒いでいるが、那雪の知ったことではない。

 そう、那雪は、普段は臆病な程大人しいが、いったん頭に血が昇ると果てしなく斜め上の方向に暴走するタイプだったのだ!


 「何てコトするのよーーーー!!」


 いつもの彼女からは考えられないほど鋭い目つきで、バトンをまるで剣のように構えながら速足で歩み寄る様子は、意外とサマになっている。

 実は、彼女は小学生時代に祖母から「大和撫子おとめのたしなみ」として薙刀を習っていた経験があるのだ。


 それでもバケモノの方は、相手をただの人間と侮っているのか、馬鹿にしきった目で近づく那雪を見ている。


 しかし。


 『ひょっとしたらだけど──イケるかも。セレニティウィング! 緊急事態につき、マスター権限を一時委譲! 対象は現在の所持者!!』


 『──緊急命令、了解。現所持者との同調を開始』


 手にしたバトンが、ウサギの呼び掛けに同じくテレパシーで応えたと同時に、那雪の体が眩い光に包まれた。

 光の繭の中で、瞬時にして衣服を分解され、全裸になる那雪。

 地味なファッションとは裏腹に、グラビアモデルも顔負けのグラマラスな肢体が光の中に浮かび上がる。意外に着やせするタイプだったらしい。


 「えぇぇっ!?」


 驚く暇もなく、彼女の全身を光の帯が覆い隠し、きつく締め上げる。


 「く…くるし……」


 激痛というほどではないが、窮屈な感覚が那雪の体を襲う。まるで、小さな鋳型にぎゅうぎゅうと詰め込まれて、体型を無理矢理矯正されているような……。


 いや、「ような」ではない。まさにそのものだった。

 なぜなら、光の帯が消えた瞬間、そこには本来の那雪とは似ても似つかない姿の「少女」が立っていたのだから。


 150センチちょっとの小柄な身長。10代前半の若々しい精気に満ちた引き締まった華奢な体つき。日本人離れした白銀色プラチナブロンドの髪。ほっそりした手足は妖精のように優美な反面、胸や腰のあたりの曲線はまだそれほど目立たない。


 「え? え??」


 驚く“少女”を尻目に、先程とは少し異なる光のリボンが彼女の体に巻き付き、次の瞬間、それは色鮮やかなコスチュームと化して“少女”を飾り立てる。


 白銀色の髪に巻き付いたリボンはそのままシュシュと化して、「少女」の髪を左右の耳の上でお団子状にまとめあげた。


 続いて、肩の辺りが大きく膨らんだレモン色の長袖ブラウスとオレンジ色のコルセットワンピースが形成される。フレアスカートの丈は短く、少し動いただけで下着が見えそうだ。


 スラリと伸びた健康的な太腿の半ばまでを純白の編み上げロングブーツが覆う。ブーツとスカートの裾のあいだの絶対領域が目に眩しい。


 「こ、これって……」


 衣装だけではなく体型や容貌に至るまで、その姿は間違いなく、先程までオオカミ型モンスターと戦っていた“魔法少女”とそっくりだった。強いて言えば、髪と瞳の色が違うくらいだろうか。


──Gurahhhhh!!!


 那雪が変じたその姿に、本能的に警戒心を抱いたのか、バケモノが耳触りな咆哮とともに、飛び掛かって来たのだが……。


 彼女が手にしたバトンの先端、真紅の宝玉が取り付けられた部分から、50センチほどの光の刃が伸びる。


 両手でバトンを構えた那雪は、自分でも驚くほど平静に、まるでライトセ●バーのような形状となった光の剣を振るって、月乃があれほど苦戦していたバケモノを、ただの一太刀で切り捨てたのだった。

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