【後編】
「菜月姉さん!」
空港のロビーで人待ち顔に佇んでいた少女は、背後から自分を呼ぶ声に振り向いて目を見張った。
「うっそ、明(あ)っくん……なの?」
彼女の目に映る“弟”──本来の“彼”の肉体は、最後にここから見送った時とは別人のような成長ぶりを見せていた。
日に焼けた浅黒い肌。
15歳になったばかりとは思えぬがっちりとしたたくましい体格。
何より、日本を発つ時は、自分と──この“姉”の体とほとんど変わらなかったはずの背丈が伸び、目測で5センチ以上高くなっていた。
自分だってこの1年半程で2センチくらいは身長が伸びてはいるのだから、“弟”は8センチ近く伸びた計算になる。育ち盛りとは言え、驚くべき成長ぶりだ。
無論、何もしなくてこのような立派な体つきになるワケもない。
それだけの肉体鍛練を“弟”は潜り抜けて来たのだと思うと、誇らしさと愛しさに胸が熱くなった。
もっとも、さすがに人目があるので、ソレをおおっぴらに表すことも……。
「うわぁ~、たくましくなって! お姉ちゃん、見違えちゃったよ~」
──ギュギュッ!
いや、どうやら自重する気はないようだ。“姉”はその豊満な胸に“弟”の体を抱きしめていた。
「うわ、ナニすんだよ、ねーさ……(ムギュッ!)」
(ヲイヲイ、体と性別が変わっても、抱きつきグセは相変わらずかい)
この“菜月”がまだ明彦だった頃、甘えん坊な彼は、何かあるとよく姉や母に抱きついてきたものだ。
さすがに中学生になると、照れくさくなったからか、その癖もなくなったかと思っていたのだが──甘かった。
どうやら、“菜月”という女性の体を得たことで、その抱きつき癖は微妙に方向転換し、母性的なモノとして復活してしまったらしい。
(ったく、恋人が出来たって手紙に書いてたけど、この天然娘相手じゃ苦労してるんだろーなー)
と、“姉”の胸で窒息しかけながら、ボンヤリそんなくだらないことを考えていた明彦の裾を、クイクイッと引っ張る小さな手。
そのおかげで、明彦は「帰国早々に呼吸困難で病院行き」などという不名誉を得ずに済んだ。
「あら、その子が、もしかして?」
“弟”を解放し、小首を傾げる“姉”の姿に、密かに苦笑する“明彦”。
手紙を読んで予想してはいたが、どうやら“姉”はその予想以上に女子高生として──女としての暮らしに馴染んでいるようだ。
容姿は元より、仕草も言動も、あたかも金太郎飴の如くどこを切っても“萌えっ娘”な要素がこぼれ出そうだ。
その証拠に、さりげなく彼らの様子に注目してるらしい周囲の無関係な人間の顔つきまで、どことなく緩んだ微笑ましげな雰囲気をたたえている。
正直、肉親でなければ、“彼”も萌え殺されていたかもしれない。自分がその“中味”だった頃は、「手乗りクズリ」とか「羊の皮を被った虎」だとか、散々な言われようだったのに。
(──まぁ、オレもひとのことは言えないけどな)
とは言え、そんな内心なぞ微塵も覗かせず、明彦はグイと、小さな手の主を引っ張り出す。
「姉さん、この子が、手紙で言ってたオレの彼女のヨーコ、マリア・ヨーコ・ロドリゲスだ」
「えっと、ヨーコ、です。よろしく、フタバおねーさん」
彼よりもなお浅黒い肌の小柄な少女は、おずおずと日本式に頭を下げる。
「か……」
フルフルと身を震わせる菜月。
「「か?」」
「可愛いッ! ナイスよ、清くん! こんな可愛い未来の義妹を連れて来てくれるなんて、サイッコーのお土産だわ!!」
なにやらヨーコの姿に“可愛いもの好き”なツボを刺激されたらしい。
もっとも、小柄で可憐なヨーコの容姿を見れば、確かに男女問わず大半の人間が「可愛い」と褒めるであろうことも疑いないが。
先ほどまでの明彦同様に“姉”に抱きしめられ、その巨乳(推定Eカップ)に顔を押しつけられてアワアワしているヨーコを、さてどうやって救いだせばよいものか──と明彦が思案しているところに、幸い救世主が現れた。
「こらこら菜月さん、いい加減に離してやんないと、その娘、窒息しちまうぞ」
即席のハリセン代わりに薄い雑誌を丸めたモノで、菜月の頭をペコンと軽くはたく少年。
「あ、そっか。ごめんね、ヨーコちゃん。いきなり抱きしめちゃって」
「い、いえ、ダイジョウブです」
と答えたものの、ヨーコの方は、ややグルグル目になっていたが。
「えっと、貴方は?」
おおよその予想はついたが、恋人のピンチ(?)を救ってくれた少年に、明彦は問いかける。
「あぁ、これは失礼。僕の名前は、相川一路(あいかわ・いちろ)。菜月さんのクラスメイトで……」
「でもって、お姉ちゃんの彼氏さんなのです。エヘンッ」
一路の挨拶の続きを、その右腕にぶら下がった菜月が引き取った。
「えっと、菜月さんの弟さんの斉藤明彦くん──でいいのかな?」
「あ、すみません、挨拶が遅れました。相川先輩のおっしゃるとおり、斉藤菜月の弟、明彦です。よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
スポーツマンらしく(?)爽やかに握手を交わす男子ふたり。
もっとも、その一方で、互いの体格や身ごなし、視線の動きなどを見て、おおよその目算をつけている。
(──15歳とは思えないバランスのとれた体格だな。よく鍛えてあるうえ、今なお、まだまだ成長中というところか)
(──へぇ、星河丘なんて、元お坊ちゃん学校だと侮ってたけど……随分鍛えてるみたいだ。オマケに動きに隙がない。さすがはキャプテン兼ポイントガード)
ニヤリと漢くさい笑みを交わす。どうやら、互いの実力を認めたようだ。
ポカンと彼らを見ているヨーコと、一応かつては男のハシクレだったおかげか二人の心情をおおよそ察してニコニコしている菜月の様子が対照的だ。
その後、4人は連れだって斉藤家に戻り、そこでは「明彦一時帰国&ヨーコちゃん来日おめでとう」パーティーが開催されることになった。
家族や親戚、姉弟の友人までも交えたパーティーは大いに盛り上がったが、さすがに3時間程ののちには、お開きとなった。
「で、なんでこんなところで黄昏てるんだよ、“姉さん”?」
久々に屋根部屋から、屋根(正確にはその上にしつらえられた簡易星見台)へと上った明彦は、そこに先客を発見する。
「ん……明っくんか。ふふふ、ちょっとね」
狭い──ふたり並んで座ればそれだけで一杯の星見台に、三角座りしている菜月。
「──ねぇ、あの時のコト、覚えてる?」
「ああ、忘れられるわけないだろ」
2年前の秋、姉弟並んでお月見していたふたりは、偶然足を滑らせた菜月を明彦が助けようとして支えきれず、そのまま2メートル程下のベランダまで転落。
大したケガはしなかったものの、どういう仕組みか、ふたりの心が入れ換わるという結果となった。
その時は驚いたものの、幸いにして同じように「屋根の上からベランダに一緒に落ちる」ことで再度人格交換が起きることを突き止め、ふたりの入れ替わりライフは、その時はほんの3時間程で無事終了した。
しかし──。
明彦の学校で南米へのサッカー留学枠があると知った菜月が、再び入れ換わることを提案したのだ。
菜月は、その大人しげな外見に似ずアクティブでボーイッシュな性格で、中学でも女子サッカー部を引っ張るリーダーだった。しかし、同時に女子サッカーのレベルでは飽き足らず、さらなる向上を望んでいるのも事実だった。
対して明彦の方は、斉藤家の家系か身体能力こそそれなりに恵まれていたものの本人はスポーツするより読書やゲームしている方が好きというインドア派で、また花壇の手入れや小さな子の世話が好きという、優しい少年だった。
「大丈夫、あたし達、人生を取り換えた方が、きっとうまくいくわ!」
強引な姉に半ばノセられる形で、「とりあえず期限は留学が終わるまで」という約束のもと、再び入れ替わりを行った明彦だったが、彼改め彼女がどのような暮らしを営むようになったかについては、すでに読者諸氏はおおよそ御存知だろう。
「改めて思ったの。「ああ、わたし、今幸せだなぁ」って。ねぇ、明っくん……ううん、菜月お姉ちゃんは?」
「言うまでもないだろ。ハッピー、ハッピナー、ハピネストさ」
おどけてみせる「明彦」。
「あ、明っくぅん、それは「happier,happiest」って言いたかったのかな、もしかして」
「う……そうとも言うな」
「はぅ~、サッカー三昧なのもいいけど、お姉ちゃん、明っくんの英語力がとっても心配だよ~」
ちょっとだけ「お姉さんモード」に戻ったものの、話を続ける“菜月”。
「あのね、それじゃあさ、例の「留学から帰ったら元に戻る」って約束、アレ、反故にしちゃってもいいかな?」
「──はぁ? 何をいまさら。あんなの、とっくに時効だって、オレは思ってたぜ」
確かに、互いに恋人を作って家族に紹介したりしてるのだから、“明彦”の言うことももっともだろう。
「う、うん──そう言ってくれるとは思ってたけど、でも、一度ちゃんと確かめておきたかったんだ」
心底嬉しそうな、それでいて泣きそうな、複雑な表情になる“菜月”。
「ったく……悩みごとは、そんだけか、“姉さん”?」
「うん、それだけ。ゴメンね、“明っくん”気を使わせちゃって」
そう言いながらも微笑むふたり。今此処で新たな──そして終生の契約が交わされたコトを、互いが理解していた。
「ハッ、いいよ、別にこれくらい。
それより、明日の午前中は、姉さんたちの学園に案内してくれるんだろ。そろそろ寝た方がいいんじゃないか? 寝坊するぜ?」
「あ~、失礼な。これでも、お姉ちゃん、今の学園では無遅刻無欠席を誇ってるんだからね」
からかうような弟の言葉にプクッと頬を膨らませて反論する姉。
「へぇ、あの遅刻常習犯だった“明彦”がねぇ」
「むぅ~、信じてないな。いいよ~、そんなコト言うなら、あっくんにだけ、明日の朝ご飯作ってあげない! パンの耳でもかぢってなさい!」
「わわっ、そりゃ勘弁してけろ、おねーさまぁー」
じゃれ合いながら、屋根から降りていくふたりを、半分ほどに欠けた月が優しく見下ろしていた。
ふたりが、再びココから落ちる日は、おそらく二度と来ないだろう。
それがふたりの選んだ道なのだから。
-FIN-
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます