第肆話 今は遠くにいる姉への手紙

【前編】

<4月某日>


 「ふぅ~~、今日の午後の練習は珍しく早めに終わったな。夕飯までちょっと時間があるし、仮眠でもとるか」


 そんな独り言をつぶやいてベッドにダイブしかけた少年は、しかし、自室の机に置いてある手紙に気づく。


 「ん? ああ、そう言えば、今朝、ヨーコちゃんが「エアメール来てるヨ」って渡してくれたんだっけ」


 下宿先の家の娘さんから受け取ったことを思い出す。


 「どれどれ……あ、やっぱり、明彦だ」


 * * * 


『前略、お姉ちゃんへ。


 情けないって言われるかもしれないけど──やっぱりボクに、お姉ちゃんの身代わりで寮制の名門高で生活するなんて無理だよ~。


 入学前にお姉ちゃんの特訓で、この学校の女子制服とか私服(フリフリで可愛らしいの。普段のお姉ちゃんなら絶対着ないようなヤツ)とか散々着せられて、言葉使いや仕草も色々矯正されて、これならボクも大丈夫かと思ってたんだけど──この学校の体操服がブルマだなんて聞いてないよ!?

 あぅぅ、恥ずかしい。なんだか他の娘より男子の目がボクに集中してるような気がするし……。ボク、どこかヘンなの?


 はぁ~、こんなんでボク、やっていけるのかなぁ。』


 * * * 


 「うぷぷぷ……」


 今は本来の“自分のものであった体”に“入って”いる弟・明彦の様子を想像して、その弟の姿をした姉・菜月は笑いを堪える。

 おそらく、クラスメイトの男子達は、普通の女子以上に恥じらう弟の姿についつい目を引き付けられてしまうのだろう。


 「まぁ、確かに、あの子が入ってるあたしって、みょ~に萌えるのよね」


 ひとえに明彦少年の内気で優しい性格故かもしれない。

 ちなみに、この姉の方は、弟の身体で南米にサッカー留学に来ていることからもわかるように、かなり大胆かつ積極的なタチだ。

 外見的にはそれなり以上に美人ではあったのだが、その性格故、これまで艶っぽい話とは無縁だった。


 「やっぱり、あたし達姉弟って、性別間違って生まれたとしか思えないわ」



<5月某日>


『前略、お姉ちゃんへ


 お元気ですか? ボクの方は、ようやく何とかかんとか女の子の──“斉藤菜月”としての生活に慣れてきました。


 このあいだ、寝ぼけてトイレで便座を上げ、立ったままおしっこしようとした時は(いろんな意味で)ヤバかったけど、アレ以来致命的なミスはしてないと思います──たぶん、きっと。

 大体、個室に入った時点で男のおトイレとは違うって気がつくべきだよね。我ながら自分のウッカリぶりには呆れるばかりです。


 そうそう、ウチの学園では、生徒は全員何かのクラブに入らないといけません。ボクも体育会系にしようかいろいろ悩んだんだけど(お姉ちゃんの身体、運動神経いいし)、思い切って家庭科部を選びました。

 これで少しでも女の子らしさが身に着けば、周囲に怪しまれることもないだろうしね。


 とは言え、今までお家の手伝いすらロクにしたことのないボクにとって、お料理にせよお裁縫にせよ、まったく未知の領域で困惑することばかりです。

 でも、3年生の宮間部長も2年生の天野副部長も、とっても親切に教えてくれるので、少しずつだけど、いろいろ上達しています。

 目標は、お姉ちゃんが留学から帰って来た時に、帰国祝いパーティー用のお料理を自分で作れるようになることかな。エヘヘ。』


 * * * 


 「とか何とか言いながら、結構楽しんでるんじゃないの、あの子?」


 ちょっと呆れたように、中身が菜月な“明彦少年”はつぶやく。


 まぁ、自分の方も毎日が充実しているのだし、2年後帰る時まで弟にもできれば楽しい日々を送って欲しいとは思うから、別段構わないのだが……。



<7月某日>


『前略、お姉ちゃんへ──って、今気付いたけど、“斉藤菜月”が“斉藤明彦”宛ての手紙の中で「お姉ちゃん」って呼びかけるの、なんだか変だよね?

 たぶん、そっちで日本語読める人は少ないだろうから、そう簡単には怪しまれたりはしないと思うけど──うーーん、次からは「明彦くん」とか書いた方がいいのかな。


 まぁ、それはともかく。


 日本はそろそろ夏に入りました。僕はだいぶ女の子としての暮らしに馴染んではきたけど、水泳の時間は微妙にユウウツです。


 お姉ちゃん、よくこんなおっきな塊り胸につけてて泳げたねぇ。そりゃ確かに水には浮きやすいけど、前に進むときすっごい水の抵抗があるんだけど。

 お友達に「なら背泳ぎしたら?」ってアドバイスもらってからは多少はマシになったけどさ。


 あと、背泳ぎしてると集中する男子のイヤラシイ視線が微妙に嫌です。

 そりゃ、お姉ちゃんは美人でプロポーションもいいから、水着姿を見たくなる気持もわかるけど、今そのお姉ちゃんの体にいる僕としては、ヘンに目立ちたくないのにィ……クスン。


 気を取り直して──夏と言えば、こないだ家庭科部の部活で浴衣を作ったよ。僕のは、濃い藍色の地に朝顔の花が染めぬかれた柄のヤツ。

 何度も挫けそうになったけど、部長の宮間先輩がその度に助けてくれたから、無事完成することが出来たんだ。


 ようやっと完成した時は嬉しくなって、部長に手伝ってもらって早速着ちゃった(部長って浴衣だけでなく和服の着付けもできるんだって! すごいよねぇ)。

 こういう時だけは、美人なお姉ちゃんの身体にいることに感謝かな。すっごく似合ってて可愛かったし。えへ……って、コレって自画自賛になるの?

 その夜は、部活のみんなと縁日に行ったんだ。楽しかったよ~。夜店のおじさんやお兄さんが、いっぱいオマケしてくれたし。女の子っておトクだね。』


 * * * 


 「ふぅむ。ま、水着に関しても、来年の今頃には慣れてるでしょ。無問題無問題……ていうか、何だかんだ言って日本の夏を全力で謳歌してないか、ヲイ!?」



<11月某日>


『前略、明彦くん──うん、やっぱり、こう呼び掛けるのは手紙の中でもちょっと恥ずかしいね。

 日本(こちら)は秋もそろそろ終わりにさしかかる時季です。

 ボク──この一人称も変えるべきかなぁ。お友達も「似合わない」って言うし──は、“斉藤菜月”として、それなりに楽しく毎日を過ごしています。


 秋ということで、学校では学園祭と体育祭が立て続けにありました。

 学園祭はボクら家庭科部にとっては格好の舞台です。家庭科室を丸々ひとつ使って軽食のお店を出しつつ、屋外のテントで手芸品のバザーも開きました。


 今年の家庭科部には、「蜘蛛織妃(ミストレス・アラクネ)」と呼ばれるお裁縫の達人である宮間初音部長と、「千麺姫(プリンセス・オブ・サウザンドパスタ)」と称される料理の鉄人の天野かすみ副部長がいるので、どちらの模擬店も隙はありません。

 実際、例年より3割増の収益があったそうです。


 ボクは副部長のお店の方をウェイトレスとして手伝いました。可愛いお洋服が着れたのはちょっと嬉しかったけど、調理スタッフとしては半人前ってことだよね、コレ。もっと頑張ってお料理もお裁縫も上達したいと思います。


 体育祭では、“菜月”の優れた運動能力に随分助けられました。

 400メートル走では暫定同着1位。その後の写真判定で胸の差で正式にボクが1位と確定しました。初めて胸が大きくて良かったと感じた瞬間でした。


 そう言えば、春から2センチほど胸が大きくなったんだ。そろそろDカップのブラが必要かも──って、部活のお友達と話してたら、天野副部長に恨めしそうな顔して揉まれちゃいました。


 副部長って、スラリとしてプロポーションいいし、優しい雰囲気の美人さんで、校内でも人気高いんだけど、高校2年生にしてギリギリBという胸にちょっとコンプレックスがあるみたい。

 あんまり大きいと邪魔だし肩凝るんだけどなぁ。


 1月後のクリスマスパーティーでも、ウチの部は料理の提供とか衣裳協力なんかで忙しいみたい。よーし、今度こそ戦力になれるよう頑張るぞー!』


 * * * 


 「な! アレからまだ大きくなると言うのか!?」


 手紙の一文に戦慄する、明彦な菜月。


 「──いざ帰ってみたらGカップの超乳とかいうオチは無しにしてよねー」



<1月某日>


『明彦くん、新年明けましておめでとうございます。

 ふぅ、「明彦くん」と呼びかけるのにも、ようやっと慣れてきました。

 前回の手紙以降いろいろ忙しくて、せっかくお手紙くれたのに、すぐに返信できなくてゴメンなさいね。


 学園のクリスマスパーティでは、わたしは念願の調理スタッフになることができました。

 たくさんの七面鳥をローストしたり、大きなクリスマスケーキを焼いたり大忙しだったけど、みんなが美味しそうに食べてくれたから、疲れもフッ飛んだ感じ。


 そのあとの自由時間で色々見て回ってたら、なんとダンスに誘われちゃったの!

 相手は同じクラスの相川くん。


 「わたし、ダンスなんてよく知らないし」って躊躇ったんだけど、相川くんの「大丈夫。周りも大半は初心者だから」って言葉を信じて、彼の手を取りました。

 確かに周囲で踊ってる人たちも、どこかぎこちないかも。

 でも、パートナーの相川くんがすごく上手で、うまくわたしをリードしてくれたから、わたしでもそれなりに様になってたと思う。


 けど……相川くん本人は、どう見たって初心者じゃないよ!? もぅ、確信犯だなぁ。

 その後もふたりでお話したり、家まで送ってもらったりと、楽しいイブを過ごしました。


 ──あ! で、でも別に恋人になったとかそういうんじゃないからね? そりゃあ、最近は時々一緒に帰ったり、途中でお茶したりはしてるけど……。


 そ、そうそう。レギュラー昇格、おめでとう! そちらのサッカーはレベルは高いと聞いているのに、本当によく頑張ったね。“斉藤明彦”くんの“お姉ちゃん”としては鼻が高いです。


 そちらは日本とは逆に、今がいちばん暑い時期かもしれないけど、だからってクーラーつけっぱなしで寝て、風邪をひいたりしないでね。

 お正月も帰って来られないのはちょっと寂しいけど、健康に注意しながら頑張ってください。


 せっかくなので、家族で初詣に行った時の写真を同封しておきます。お母さん、「今年こそは菜月に晴れ着を着せる!」って気合い入れてて大変だったんだから。

 振袖ってすごく窮屈で動きにくいし、去年までの“菜月”が着たがらない理由は確かによく解りました。


 でも、お正月に1、2回くらいなら着てあげてもいいんじゃないかな。“斉藤菜月”って黙って立ってたら文句なしの美少女で通るんだし、よく似合ってたと思います──あは、これって自惚れ過ぎかな。』


 * * * 


 「しかし……このコ、完全に、自分が「男」であること忘れてるよなぁ。

 まぁ、オレもあんまし人のコト言えないけど」


 ランニング&短パン姿で、ボリボリとお尻をかきながら、少年は散らかり放題の部屋を見回す。


 「アキヒコ~、入るよォー」


 と、ノックもそこそこに入ってきたヨーコに、「たまにはお掃除しなさい」とガミガミ怒られる“明彦”少年なのであった。



<4月某日>


『前略、明彦くんへ


 今月から留学2年目に入りますけど体の具合などは大丈夫ですか? 貴方は昔から無茶をしがちなので、お姉ちゃん、ちょっと心配です。


 お姉ちゃんの方は、まったく問題ありません。学校の勉強は、これでも中の上くらいをキープしてるし、お友達もたくさんできました。

 今年から、お姉ちゃんも高校2年生だし、後輩も入ってくるだろうから、いろいろ頑張らないとね。


 そうそう、前の手紙で伝え忘れてたけど、お姉ちゃん、実は家庭科部の副部長さんになったんだよ! 去年1年間の努力と成果を皆が認めてくれたみたいで、とっても嬉しかったなぁ。


 それと──ちょっと恥ずかしいけと言っちゃうね。

 えっと、お姉ちゃんにも、好きな人ができちゃいました。


 うん、前の手紙にも書いてた相川くん。あれ以来、一緒に帰ったり、休日に映画観に行ったりしてるうちに、どんどん仲良くなっちゃって、バレンタインに思い切ってチョコあげて告白しちゃったの。

 もちろん結果は◎。むしろ、「俺の方から告白しようと思ってたのに、先越されちゃったなぁ」って苦笑いしてたよ。

 以来、わたし達はラブラブな仲良しカップル(自分で言うと恥ずかしいねw)。


 あのね、ウチの学園のクリスマスパーティで一緒に踊ったカップルは、きっと上手くいくってジンクスがあるんだって。道理でみんなが応援してくれたワケだ。

 とってもいい人だし、同じくスポーツマン(バスケ部のエースなんだ♪)だから、明彦くんとも話が合うと思うよ。


 そう言えば、明彦くんもガールフレンドができたんだよね? 日系3世のヨーコちゃん。写真で見たけど、すごく可愛い娘だね。

 夏休み前に一時帰国するんだっけ? もし可能なら、その時ヨーコちゃんも日本に連れて来てもらえると、お姉ちゃんうれしいなぁ。未来の妹としてかわいがってあげちゃうから♪


 もちろん、お母さんたちも楽しみにしてます。ヨーコちゃんの都合がつくようなら、その分の飛行機のチケットも送るそうです。

 それじゃあ、次は手紙じゃなくて、直接会って話しようね。』

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