終章.そしておそらくは平穏な日々

 「おはよーさん、エリ、かすみん」


 エリと学校に向かう途中でリョーコと合流する。


 「あ、リョーコ、おは~」、

 「おはよう、リョーコ。今朝は珍しく早いね」


 いつもは遅刻ギリギリで教室に入ってくるのに。


 「どっちかって言うたら、アンタらが遅いんやと思うで」


 ちなみに、ハネは学園の裏手にある女子寮に入ってるから、たぶん先に教室にいるはず。


 「あ! 天野先輩、おはようございます!」「ございまーーす!」


 早足で追い抜いた下級生の子たちは、偶然にも部活の後輩の子達だったみたい。私に気付いたのか、揃って挨拶してくる。


 「はい、おはよう。気持ちのいい朝ね。皆さんも遅刻しちゃダメですよ?」


 「ハーーイ」と元気な返事が返ってくる。

 うん、みんな素直でいい子たちばかりだ。


 星河丘学園は、入学以前に危惧していたような、ママの描く少女マンガに出てくるみたいな「ハイソなお嬢様学校」とは流石に違ったけど(当り前か。そもそも共学だし)、でもやっぱり、名門の名前にふさわしい、上品でかつ暖かな雰囲気が校内に満ちている。

 いわゆる不良とか不登校の生徒なんて見たことないし、目立つイジメも少なくとも私は知らない。本当に、この学校に入れてよかったと思う。


 「はぁ~、さすがやわ」


 ニコニコしながら歩いていると、リョーコが呆れたような感心したような声を漏らす。


 「?? あら、何が?」


 コテンと首を横に傾げると、エリとリョーコは顔を見合わせて苦笑いしてる。


 「相変わらず無自覚なんやなぁ」

 「アハハ! そりゃあ、なんてったって名高いあの「プリンセス・オブ・サウザンドパスタ」、“千麺姫”だもんね」


 うぐぅ~。


 「そ、その呼び方はヤメテーー!」


 ──ちょっと解説しておくと、ウチの学校では、校内の著名人にはいわゆる“二つ名”が付くと言う一風変わった風習がある。

 たとえば、先代の生徒会長なら「水面みなもの君」、副会長は「桃の姫」、今期だと図書委員長の「白の読巫女よみこ」、弓道部主将の「今与一いまよいち」あたりが有名かな。


 例の姫川さんや白鳥さんに聞いたところ、彼女達が現役の頃に始まった──と言うか、生徒会の黄金期を築いた彼女達を称えるために自然発生したならわしみたい。


 そのせいもあって、本来は生徒会役員や各委員長・部長クラスで特に目立つ人にのみ付けられるものなんだけど、ごく稀にそれ以外にも命名される例があるらしい。

 ──そう、何の因果か、その例外が私にも降りかかっちゃったの!


 キッカケは、去年の学園祭の模擬店。家庭科部にとっては、学園祭は聖誕祭と並ぶ稼ぎ時ってことで、一年生ながら私も軽食部門の調理主任のひとりに任命されたんだ。


 え? 「あまり目立ちたくないんじゃなかったのか?」

 うん、確かにそのつもりだったんだけど……。このあたりの事情は、何で私が2年生になってもここにいるかの理由と一緒にあとで話すね。


 まぁ、ともかく。継続は力なりと言うべきか、ほぼ毎日、朝晩のウチのご飯を作ってる私は意外と部の中でも調理スキルが高くて、メニューの考案も含めた調理班の責任者のひとりに推薦された。


 で、色々考えた挙句、この際物珍しさで勝負と、学祭期間の3日間毎日日替わりで創作パスタをお店で出すことにしたんだ。余興も兼ねて調理スペースも耐熱強化ガラスで仕切って外から見えるようにして。

 加えて給仕役だけじゃなく調理スタッフのコックコートも、客の目を意識して可愛らしいデザインのものを採用。

 その甲斐あってか、模擬店は大繁盛して、部費にだいぶ余裕ができたんだよね。


 ちなみに、余談になるけど、締め切りが迫ってるはずのママも、なぜか学祭に来てて、ウチの部もしっかり冷やかしていった。

 オマケに私も含めた給仕&調理スタッフの写真を撮りまくって。アンタって人は……。


 で、学園祭最終日の各種表彰式の時、アイデア部門の優秀賞に、ウチの部の模擬店も表彰された。

 それは良かったんだけど──代表が壇上に上がるにあたって、何を思ったのか前部長(当時は現役)が、現在の部長(当時は副部長)である2年の宮間先輩をさしおいて、1年の私を行かせたの!

 いくら、私がメニューとお店のアイデアの考案者で、調理主任のひとりだからって、やり過ぎでしょ!?


 しかも、表彰式の司会を務めていた放送部員が、いい加減と言うかノリのいい人で、インタビューの時、プロレスのリングアナよろしく私に「プリンセス・オブ・サウザンドパスタ」なんて、超適当な異名をつけちゃうし。


 いえ、それだけなら、長いしゴロも悪いから定着しなかったと思うんだけど……。

 よりによって当時の生徒会長が、賞状渡す時に


 「プリンセス・オブ・サウザンドパスタ──千の麺の姫君か。つまり“千麺姫せんめんき”だね♪」


 ──なぁんて言うものだから、集まってた生徒みんなに大ウケ、一気に広まっちゃったの!


 「まったくぅ。私は銭湯にあるケ●リンの桶ぢゃないわよ!」

 「にゃははは! ま、有名税ってヤツだよん」


 教室に着いて愚痴ってたら、ハネにまで笑われちゃった。

 うぅ、他人事だと思ってぇ~。


 「よ! どーしたんだ、岬、三羽? プリンセスはエラくご機嫌斜めじゃねーか」


 と、斜め後ろの席につきながら聞いてくるのは、去年からのクラスメイトの富士見修二くん。髪の毛を茶金色に染めててちょっとカルそうな外見だけど、意外と律儀で義理堅いし、席も近いから、男子の中では比較的私と仲がいい方かな。


 (──男子の中では、か)


 本来は私も男子だった──と言うか、今でも生物学的には男子のはずなんだけどね。

 もっとも、最後に接着剤外したのがいつだったか覚えてないくらい前だから、今じゃアソコに何にもない状態が自然になってる。もちろんおトイレでは便座を上げないのが常識。


 毎晩寝てる間の胸の吸引(使うゴムボールを少し大きくしてみました♪)に加えて、お風呂でのバストマッサージ、さらに大豆とかザクロのサプリとかを毎日とるようにしてるせいか、貧乳(素でA、パッド入れてB)とはいえオッパイらしきものもある。

 外見的にはまるっきり女の子だと思うし、精神的にもこの1年間ですっかり女の子側に馴らされちゃったって自覚は、ないでもない。


 だって……。


 「かすみ~ん、ホラ、機嫌直しなよぉ」


 なぁんて言いながら、後ろから抱きついてくるエリの胸が背中に当たるのを感じても、ちっとも動揺せずに「ええぃ、暑苦しいから懐かないで!」って、アッサリ振り払えちゃう。


 それなのに、「天野が機嫌悪いなんて珍しいな。ひょっとして熱でもあるのか?」って心配そうに富士見くんが顔を近づけて来ただけで、ちょっとドキドキしちゃうんだもん。


 あ! べ、別に富士見くんに特別好意を持ってるとかじゃないからね! 単に男の子と接近するのに慣れてないってだけだから。

 頬が赤くなりそうなのを懸命に自制する私。


 (まったく、たった1年ちょっとでこんなに女らしくなっちゃうなんて……)


 一年間の“勉強”と“努力”のおかげで、かつては「オバさんくさい」と言う不名誉な評価をもらってた私のファッションセンスもそれなりに洗練されたと思う。

 もっとも、エリあたりはそれでも「かすみんの買う服って、びみょーに地味なんだよね」と不満そうだけど。


 制服以外のミニスカートを履く機会もそれなりに増えた。ただ、やっぱり個人的にはミディからロング丈ぐらいの方が好きなんだけどね。


 (こないだなんか、ママにゴスロリドレス着せられて写真撮られちゃったし──ま、アレはアレで悪くはなかったけどさ♪)


 当初危惧されてた勉強の方も、それなりに頑張ったおかげで、一応中の上程度の位置をキープできてるし、部活に関しては言わずもがな。

 あの恥ずかしい“二つ名”は別にしても、家庭科部ではそれなりに頼りにされてるんだよ? 新しく入って来た1年生たちも、先輩として慕ってくれてるみたいだし(ただし、「お姉様」と呼ばれるのだけは勘弁してもらった)。


 ハァ~、このまま卒業まであと2年近くも女子高生してたら、私、心の奥底まで完全に女の子になっちゃうんじゃないかなぁ。

 「それはマズい」と思う自分と、「それでいいじゃない」と思う自分が、同時に心の中に存在しているのがわかる。


 え? 家族の方?

 うん、ちょうどいいから説明しちゃおう。

 “僕”が当初予定していた最長期間の1年が過ぎても、いまだ“天野かすみ”として学校に通っているワケを。


 確か、去年の7月の半ばごろだったと思う。

 5月から入った新アシの大野さんがそれなりに役立つようになり、私は私で「あまのスタジオ」のお世話係メシスタントをするのに慣れて、ママたちの仕事がようやく順調に回るようになっていた頃。


 ある日の夕食時に、パパが爆弾を落としたんだ。


 「いやぁ、来月の月刊ウルトラチャンプに、僕の描いた読み切りマンガが掲載されることになったんだ」


 実は、コレ、私や大野さんはおろか、ママにさえ知らせていなかったサプライズ。

 当然、ひとしきりの驚きと混乱ののち、私達3人(大野さんもたいていウチで夕飯食べてるし、月の半分近くはウチに泊っていってる)は、パパに祝福の言葉を述べた。


 けれど。

 この時、私はわかってなかったんだよね。

 「あまのとーこ」の夫でありアシスタントでもある“渡良瀬和己”が商業デビューするというコトの意味を。


 パパの読み切りはポッと出の新人の作品とは思えぬほどの好評を博し、あれよあれよと言う間に、11月号から続きを短期連載の形で描くことになった。

 で、全3回の連載も大好評。編集部からは、同じ世界観の話を別のキャラ(短編主人公達の次の世代)を使って本格的に週刊連載を始めたいとの要望が来ちゃったんだ。

 その申し出を受けるとすると、当然パパが“渡良瀬かすみ”に戻って高校生してる時間的余裕なんてないワケで。


 「かすみちゃん、申し訳ないけど、もうちょっとこのまま高校に通っててくれないかな?」

 「ん~、別にいいけどね。でも、あと一年くらいで連載終われるの?」


 その頃の私も、今ほどじゃないけど女子高生ライフに慣れ、学園生活を存分にエンジョイしてたから、このまましばらく続けること自体にとりたてて異論はなかった。


 「う……じ、実は全20回の予定だったり」


 つまり、3年生の夏までってことね。

 結局、その時の家族3人の話し合い(事情を知らない大野さんにはエンリョしてもらった)で、「もう、いっそ卒業まではこのままでいこう!」って結論になったんだよね。


 でも……でもさ。私、最近気付いちゃったんだ。


 もし、このまま”少年マンガ家・わたせ和己”(←パパのペンネームね)の人気が出て、世間的に認知されていったら、ますます元に戻りにくくなるんじゃないかって。


 だってさ、パパの描くマンガ、度々巻頭カラーになったり、コミックスが書店に山積みにされてたりするんだよ?

 早くもアニメ化の話が来てるらしいし、実際、“女”の私の目から見てさえ(おっと、元々“僕”は男だっけ──まぁ、マンガに関しては少女マンガの方が好きだしね)、それなりに「イケてる、おもしろーい!」と思うし。


 こないだなんか、マンガ専門誌から「夫婦で売れっ子マンガ家!」ってことで取材受けてたりもしてたし(そう言えば、モノクロで小さくだけど、パパの写真、載ってたなぁ)。


 そんなネームバリューもできた“金のなる木”を、今の連載が終わったからって、編集部が手放すと思う? 無理だよね。

 となると、私が「渡良瀬和己」に戻れる日が、はたして近いうちに来るものか──大いに疑問だと思う。


 最近は、諦めとかネガティブな気持ちじゃなく、「もう、お互い、入れ替わったまま生きていく方が幸せなんじゃないか」って思ったりもするんだよね。


 ここだけの話、“娘”としてママ──橙子さんに一年間接してきて、“僕”が彼女に求めていたものって、かならずしも異性間の恋情ばかりではなく、家族愛的な部分の比重も決して軽くなかったんだ、ってわかっちゃったんだ。


 だって……“僕”、立場を入れ替えてから一度も橙子さんと“シて”ないのに特に不満はないし、むしろ“娘”として可愛がってもらって十二分に幸せを感じてるんだもん。


 (もともと、橙子さんにはある種の母性的な魅力を感じてたけど、まさか本当の親子になれるとは思ってもみなかったからなぁ)


 だから、こないだの進路調査も割かし真剣に考えて希望を提出した。幸いウチは金銭的にはかなり余裕があるほうだし、ママもパパも「大学でも短大でも専門学校でも好きな進路を選んでいいよ」って言ってくれてるし。

 私としては、教育学部に進んで小学校の先生を目指すか、料理の道を求めて専門学校に行こうか悩ましいトコロなんだけどねー。


 ──アハハッ! なんだ。やっぱり私、今のこの立場を手放す気なんてないんじゃない。


 そうだよね。だって、「天涯孤独で、三流大学出の失業中の貧相な元サラリーマン・渡良瀬和己」なんかより、「優しい両親に見守られながら名門学園に通う、前途洋洋たる可愛い女子高生・天野かすみ」のほうが、絶対いいに決まってるもん♪


 そう決心すると、なんだか心が一気に軽くなってきたし、今まで以上に学園生活が楽しくなってきた気がするかも。


 そんなある日、私は保健室の双葉先生に呼び出されていた。


 「失礼します、2-Bの天野です。あの、双葉先生がお呼びと聞いたんですけど……」

 「ああ、よく来てくれたわね。さ、座って頂戴──ねぇ、天野さん。単刀直入に言うわ。“本物の女の子”になる気はない?」

 「!」


 一瞬パニックになった私だったけど、双葉先生に優しく説明されて何とか落ち着くことができた。


 なんでも、この学園──というか双葉先生は、「男性を生理学的にも性染色体的にも女性に変えることができる科学技術」を所持しており、性別違和の男子生徒(なぜかこの学園には多いらしい)に密かに打診して、希望があれば、その技術で心身共に女性として生きれるようにしてくれるらしい。


 その話を聞いて、コレは私がこれからも一生“かすみ”として生きて行くための千載一遇のチャンスなんだってわかった。


 「それで、どうする? わたしとしては別段無理強いする気はないし、仮に貴女が断っても、卒業まで真相をバラさないコトは約束するわ」


 本来なら、パパ──「本物のかすみ」にも相談するべきなのかもしれないけど、私は知ってる。夜な夜なパパとママが激しく愛し合っているコトを。


 普通なら「妻を義娘に寝取られた」と怒るべき場面なのかもしれないけど、それを目にした時の私の心に生じたのは“安堵感”だった。


 嗚呼、これで何ひとつ気がねなく、私は私に──ふたりの娘である「かすみ」になれる。


 そう思ってしまったの。

 だから……。


 「いえ、むしろ私の方からお願いします。私を、本物の女の子にしてください!!」


-おしまい?-

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