第参話 ボクが娘で、あの子がパパで-女子高生・渡良瀬和己-
序章.普通なようで異常な光景
そこは、きれいに整理整頓されているが、同時に女の子らしい華やかな色彩で飾られた、いかにも“年頃の女の子”らしい印象の寝室。
ピンクのカバーのかかったベッドでフカフカの布団に埋もれながらグッスリと眠っていた私は、ベッドサイドに置かれた目覚まし時計が7時を指し、軽やかなアラームを鳴り響かせるとともに、モゾモゾと目を覚ました。
「ん……ふわぁ~あ、もう起きな、きゃ……」
眠たげに目を擦りつつも、ベッドの上に半身を起こす。
5月の末にさしかかり、少しずつ夏が近づいている今の時季の早朝には、この季節ならでは爽やかさがあり、やや低血圧のきらいがある私も、それほど苦労することなく起きることができた。
ゆっくりと掛け布団をめくり上げ、スタンッと思い切りよくベッドから床へ降りる。疲労とか体調不良は──うん、大丈夫。
クリーム色のコットンのナイティを着たまま部屋を出て、洗面所でひとまず顔を洗ってから自室に帰る。そのままドレッサーの前に腰かけ、まずは寝乱れた髪を丁寧にブラシでとかした。
最初の頃は、朝から面倒だと思っていい加減にやって家族に叱られたものだが、慣れと言うのは恐ろしいもので、この1年余りでブラッシングがすっかり習慣化し、髪の毛はもとより、スキンケアやボディケア、フェイスメイクといった一連の女の子の身だしなみは、ほとんど淀みなく行えるようになっている。
寝間着を脱いで、昨夜のうちに用意しておいたブラとショーツ、スリップを身につける。
ブラを着ける時、ほんの一瞬だけ、乏しい乏しい(素の状態だとAカップあるかも怪しい)胸の膨らみを恨めしく思う気持ちが心を横切るが、慌てて首をブンブンッと横に振った。
それでも、慣れた手つきで脇の方の肉を集めてカップに入れてから最後に1枚パッドを入れると、多少はそれらしい“谷間”ができるのだから、「寄せて上げるブラ恐るべし」、と言ったところか。
続いて学園の女子制服へと着替える。
白い半袖のブラウスの男とは逆についているボタンをはめることにも、すっかり馴染んでしまった。
ベッドに腰掛けて太ももまである白のサイハイソックスを履いてから、膝上12センチのグレーとグリーンのチェックのミニスカートに足を通す。
真紅の紐タイを蝶結びにして、左胸にエムブレムの縫いとられたクリーム色のベストを羽織れば、通学モードは完成。
「あ、忘れてた」
最後に、ドレッサーの引き出しを探って、いくつかある中から、今日はシンプルなオレンジ色のカチューシャを選んで髪にセットする。
鏡の中を覗き込みながら、左右に体を傾けチェックし、ニコッと微笑んで見せると──そこには、ひいき目抜きにしても「それなりに可愛らしい女子高生」が爽やかな笑みを浮かべていた。
「あはは……」
その姿を見るたびに、いまだに私は複雑な気持ちになってしまう。
「かすみぃ~! 起きてる? そろそろご飯食べないとエリちゃんが迎えに来ちゃうわよー?」
「はーい、ママ~、今行くー!」
自室を出て、1階のダイニングへと急ぐ途中で、ボサボサの髪をして、青いスウェットの上下を着た“男性”と鉢合わせた。
「──おはよう、パパ」
「んんーーおぅ、おはよう、かすみちゃん」
咥え煙草のままポリポリとお尻を掻きながら、私の継父──ということになっている“男性”は、眠そうに目をしばたいた。
「もしかして、また、徹夜?」
「いやいや、一応、5時過ぎには寝たんだが」
「もぉ、いい加減にしないと、体壊すよ?」
「はは、連休があったから、ココんところ、締切が不規則でなぁ」
などと気さくに会話する私達を見れば、傍目には「義理の父娘ながら比較的親子仲は良好」と見えるだろう。
確かに、私も“この人”のことは嫌いではない。尊敬もしているし、再婚から1年以上一緒に暮らしてきて、家族としての情もそれなりにあるつもりだ。
しかし……。
「あら、どうかしたの、かすみ?」
「う、ううん、なんでもない。ごちそうさま~」
ママの問いに、誤魔化すようにお箸を置いた瞬間、タイミングよく玄関のチャイムが鳴った。
「あ、多分エリだ。ママ、ちょっと歯を磨いてくるから、待っててもらって」
「ハイハイ、わかったわ。でも、あんまり待たせちゃダメよ」
急いで歯磨きを済ませ、口元のリップを塗り直し、通学鞄を手に私は玄関へと向かった。
「あ、かすみん、おっはよー」
「おはよ、エリ。時間はまだ大丈夫?」
「うーーん、今8時7分だから、歩いてもギリギリ余裕っしょ」
それは余裕とは言わないんじゃあ──と思いつつ、私も急いで靴を履いた。
「じゃあ、ママ、パパ、行ってきまーす」
そのまま、エリと一緒に家を出る。
昨日のテレビのドラマや来月出るアイドルの新譜、今日発売予定の少女漫画誌──などなど、他愛もないことについておしゃべりしながら、学校へと向かう。
それを、ごく当たり前の事と受け止めて今の日常に満足している自分と、どこか落ち着かない居心地の悪さを感じている自分が、心の中にいることがわかる。
もっとも、一年前に比べると、前者と後者の比率は完全に逆転しており、自分の立場に違和感を感じることはめったになくなってはいたのだけど……。
今の私の名前は天野かすみ──だが、ほんの1年数ヵ月前までは、“僕”は渡良瀬和己(わたらせ・かずみ)として、新米とは言えごく普通の会社に勤めていたれっきとしたサラリーマンだったのだから。
* * *
入社1年目の当時の僕は、大学時代のサークルに顔を出したことがキッカケで知り合った年上の女性──天野橙子さんとの結婚も決まっており、ささやかながら幸せを満喫していた。
橙子さんは、高校進学を控えた娘さん(亡夫の忘れ形見らしい)がいるとは思えないほど、若々しく美人な女性で、しかも有名月刊誌での連載を複数持つ人気漫画家「あまのとーこ」本人でもあった。
彼女は性格も優しく家庭的で、そんな素晴らしい女性がなぜ、自分のようなうだつの上がらない三流新米サラリーマンを伴侶に選んでくれたのか、正直理解不能だが……。
それでも、付き合い始めて4ヵ月後、玉砕覚悟の僕のプロポーズに笑顔で了承してくれたのだ。
さらに幸いなことに、難しい年頃のはずの娘のかすみちゃんも、出会って間もなく僕に懐いてくれた。
おそらく僕と天野さん母娘は「波長があった」のだろう。
僕ら3人は出会ってそれほど経ってない(橙子さんと初めて会ったのさえ半年前だ)のに、まるで十年来の付き合いのごとく、互いの存在を自然に感じるようになっていた。
とは言え、僕とかすみちゃんの年齢差は8歳しかなく、「父と娘」と言うよりむしろ「兄と妹」に近い関係だったが、兄弟のいない僕にはそれもまた新鮮な感覚だった。
ところが。
僕らが結婚する直前の3月頭に、不況のあおりをくらって勤めて1年足らずの僕の会社が倒産してしまったのだ!
僕としては、婚約破棄されることも正直覚悟していたが、橙子さんは、そんな僕を優しく慰め、「再就職先は、じっくり決めればいい」と言って、そのまま籍を入れてくれた(流石に挙式と披露宴は、僕がキチンと就職してから改めて──という形に延期になったが)。
20代はじめのころからいっぱしの漫画家としてヒット作をいくつも生み出している橙子さんは、実のところかなりの資産家だ。
何せ、僕と結婚するにあたって、市内の便が良い場所にある一戸建ての新築を即金で買っちゃうくらいなのだから。
このままだと、なんだかヒモか若いツバメっぽくてアレだが、背に腹は代えられない。僕は妻となった橙子さんの言葉に甘えて、彼女のマンション(新居は、現在最後の内装中)に同居し、なけなしのコネやハローワークを頼りに再就職先を探し始めた。
義娘のかすみちゃんも、当初は僕の不運に同情してくれているようだったのだが……。
実は彼女も春からの進学を前にひとつの問題を抱えていたのだ。
何度も言った通り、橙子さんは売れっ子漫画家だ。そして、定期連載を持っているような漫画家は、普通アシスタントを抱えて、背景、ベタ塗り、モブ描きなど自らの仕事の補佐をさせている。
当然、橙子さんもベテランのアシスタントをふたり雇っていたのだが、3月いっぱいで、ひとりは結婚して北海道に行くことに、もうひとりはめでたくひとり立ちすることになり、ちょっとしたピンチに陥っていたのだ。
ただ、橙子さんの場合、どうにも手が回らないほど忙しい時には娘のかすみちゃんが臨時で手伝ってくれていたので、まだ救いはあった。
しかし、さすがに高校生ともなると時間的余裕が厳しくなるうえ、主戦力のアシふたりが抜けるとなると、母子ふたりでは絶望的な修羅場となるのが目に見えていた。
せめて現在無職の僕が手伝えれば──とも思うのだが、生憎絵心が皆無で手先が不器用な僕には、消しゴムかけとせいぜいベタ塗りくらいしか協力出来そうにない。
対して、小学生のころから橙子さんの手伝いをしていたかすみちゃんは、もはやプロデビューしてもおかしくない画力・技術力を持っている。
現に、橙子さんも、ストーリー展開やキャラ作りについてかすみちゃんと時々相談してたりするらしい。
そんな人手不足に悩む「あまのとーこ」の仕事場の状況を打開するべく、かすみちゃんが奇想天外な奇策を僕らに提案した。
──もう、おわかりだろう。
そう、僕が娘の「渡良瀬かすみ」として高校に通い、かすみちゃんは対外的には橙子さんの年下の夫の「渡良瀬和己」として家で妻の仕事を手伝う──という形になってしまったのだ!!
橙子さんいわく、母親としては娘にせめて高校くらいは出てほしいし、できれば一時休学とかもしてほしくない。しかしプロの漫画家としては有能で気心の知れたフルタイムのアシスタントは喉から手が出るほど欲しい──というコトでの苦渋の選択だったらしい。
無論、僕としてはまったくもって気が進まない。ただ、「絶対嫌だ」と主張するには、この家における僕の立場は脆弱すぎた。
「大丈夫、パパならきっとうまく女子高生やれるって! 制服も似合いそうだし」
と、脳天気にポンポンと僕の肩をたたくかすみちゃん。
──あまり認めたくないのだが、僕は小柄でかなりの童顔だ。
身長は162センチのかすみちゃんとまったく変わらないし、ラフな私服で夜の街を歩いていると高校生に見られて補導されかけることはしょっちゅうだ。女の子と間違われて電車で痴漢に遭ったことさえある。
だからこそ、「女の子のフリ」をする、それも数ヵ月から下手したら丸1年間続けるなんて心底嫌だったが、残念ながら有効な代案を考えることもできなかった。
「何ヵ月も僕が「かすみ」として通った学校に、どうやって復帰するつもりだい?」という苦し紛れの抵抗も、「そんなの転校すればいいよ」と一蹴されてしまった。
結局僕はとりあえず1年間だけという約束で首を縦に振り、4月までの1週間、かすみちゃんから「促成・女の子講座」を受けることになってしまったのだ。
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