その3

 春はあけぼの──もとい、春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、4月半ばの日曜の朝なんてのは、気持ち良く布団で惰眠を貪るのに一番うってつけの季節と相場が決まっている。


 「……こ…ゃん……」


 いや、そのはずなんだが、なぜか俺を起こそうと呼ぶ声が聞こえる


 「…コウち…ん……お…て……」


 どこかで聞いたような──と言うより、この世で一番聞き慣れた声。


 「コウちゃん、もう朝よ。起きなさい?」


 お願い、と言うか字面的には命令形のはずなのに、この妙にポワポワした印象を与える声は──愛海あみ姉ちゃん!?


 「んん~」


 とりあえず、うめき声で聞こえていることは示す。


 「もぅ、お寝坊さんなんだから。よーし……」


 突然、顔にかかる息遣い……って!


──ガバッ! ガツッ!! 「あつッ!」


 俺が慌てて布団の上に起き上がるのと、額に何か衝撃を受けるのと、女の子の悲鳴。

 その3つがほぼ同時に発生した。


 「ひ、ヒドいではないか! せっかく吾輩が起こしに来てやったと言うのに」


 無論、俺の石頭の直撃を受けた鼻を押さえて涙目になっている少女は、穂浪ほなみ。昨日からよんどころない事情で同居(断じて同棲じゃないぞ!)するコトになった、“オオカミ”と自称する人外の存在だ。


 ──いや、まぁ、単なるイタイ人の厨二的自称(笑)ではなく、本当に人狼というかライカンスロープというか、とにかく「本体は獣形態で人型にもなれる」種族なのは確かなんだが(目の前で変身するトコも見たし)。


 「るさい。ワザワザ姉ちゃんの声色まで使いやがって。あのあと、いったい何するつもりだった?」


 何せ妖力だか神通力だかで人型──それも俺の姉ちゃんによく似た姿に“化けて”いるだけあって、姉ちゃんの声真似もかなり器用にこなしやがるのだ。


 「いや、声をかけただけで起きぬなら、つぎは主殿ぬしどのの頬を舐めて進ぜようかと」


 ──まぁ、犬科の動物ならデフォの起こし方かもしれんが、今のお前は、俺と同年代の女の子にしか見えないんだ。自重しろ。


 「しすこんな弟殿へのさぁびすのつもりなのじゃが……」

 「! そんなサービス精神、ドブに捨ててしまえ!」


 たかだか一枚の写真から、姉ちゃんの姿形は元より記憶の概要すら読みとるその能力はたいしたモンだと思うが、こんな風にソレを悪用されちゃたまらん。


 「むぅ~、つれないのぅ」


 ──俺が欲望に流されて過ちを犯さぬよう、節度ある態度をとってるってのに、コイツは……。

 とは言え、おそらくは人間における男女関係の機微なぞロクに理解してないだろうこのわんこ娘に手を出すワケにはいかんだろう。


 それに、もし万が一押し倒そうモンなら、例の“監視”とやらを介してコイツの親父に即伝わるだろうし、そしたらそのまま「娘を傷物にした不届き者」として大神の里とやらへ拉致→DEAD ENDな予感がひしひしするしな。


 「で? 今日はまだ日曜──休日だぞ。こんな朝早くから何だ、いったい?」


 平日と休日の区別といった、現代日本の基礎的な常識は、一応コイツも呑み込んでいるはずだ。まさか、それこそ犬よろしく朝のサンポに連れてけとか言うんじゃねーだろうな?


 「吾輩は犬ではないと言うに。朝餉の支度が出来たので、呼びに来たまでじゃ」


 !!


 「ま、マジで?」

 「うむ。この家の世話になる以上、家事の一部を分担するのは当然じゃろう?」


 おどれーた! まさか、そんな殊勝な心がけをコヤツが持っていたとは……。

 言われてみれば、穂浪のヤツ、Vネックの長袖カットーソー&スリムジーンズという格好の上に、ヒヨコのプリントされたエプロンを着けてやがるな。

 「管理人さん」とか「若妻モード」いう言葉が脳裏を過ったが、サラリと無視する。


 「人の子の料理なぞ初めてじゃが、存外上手く出来た──と思うのじゃが」


 待て、今すごく不穏な台詞を言わなかったか!?

 ──そう、そうだよな。このテの“善意”には、そういうオチが付きものだよな。

 まぁ、それでも「女の子が頑張って作った初めての手料理」だ。多少味や見栄えが悪くても、我慢して食べてやるのが男の甲斐性ってヤツだろう。


 (せめて、水で胃に流しこめるレベルの”失敗”でありますよーに)


 俺は、密かに天に祈りつつ、覚悟を決めて居間へと向かったんだが……。

 事態は俺の予想を120度ばかり斜め上を空中遊泳していく代物だった。


 「──なぁ」

 「何か?」

 「説明して欲しいんだが」


 俺は卓袱台の上に所狭しと並べられた料理に視線を投げる。


 「おお、なるほど」


 ポンと手を打つ狼娘。


 「まずは、主から見て右手の端にあるのが、ミラノ風仔牛肉のステーキじゃ。

 その隣りの皿がローストポーク&ルッコラのサラダ。ソースはあえて和風にしてみたぞえ。

 真ん中の大皿がミートローフのマッシュポテト添え。好きなだけ切り分けて食べるがよい。

 左から二番目が若鶏のモモ肉の龍田揚げ。唐揚げより米飯に合うかと思ぅてな」


 意外と言っては失礼だが、穂浪の作った料理はどれも至極真っ当に見えた。

 おそるおそる箸をつけてみたが、味の方も、天下一品とは言わないまでも、十分「美味い」と評せるレベルだ。


 「ふ、吾輩にかかればコレくらい朝飯前──と言いたいトコロじゃが、調理技術コレは愛海殿の記憶の賜物じゃからな。ココは謙虚に主の姉者に感謝しておこうぞ」


 ──いや、確かに美味いことは美味いよ。

 でも……どう考えても朝っぱらから食べる料理と量じゃねーだろ、コレ!!


 「??? そう、なのか?」


 朝から4種類の大皿肉料理のコンボって、イジメかよ! アメリカ人だって、そこまでヘビィな朝飯はそうそう食わんぞ。


 どうもコイツ、中途半端に常識がインストールされてるクセに、こういう「当り前の人間の感覚」がズレてるらしい。

 「何か問題でも?」といった表情でキョトンとしている穂浪の顔を見て、コレから同種のトラブルに悩まされそうな予感で、朝から胃が痛くなってきた俺だった。


 (あー、明日はコイツ連れて学園に行かないといけないんだが……今から先が思いやられるな)

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