その2

 「えっと……どうか、したのかえ?」


 ようやっと多少は落ち着いたのか、穂浪が恐る恐るといった風に聞いてくる。


 「──字は読めるのか?」

 「馬鹿にするでないわ。里で覚えたわえ。それに、先ほども言うた通り、この姿の基となった女子の知識も、ある程度読みとったでな」


 なるほど。そう言えばそうか。

 俺は、穂浪の親父さんからの手紙を本人に差し出した。


 受け取った手紙を読んでいくにつれ、穂浪の表情が百面相のように変わっていく。

 最初は驚き、次に喜び、そして懐疑、悲哀、最後にやや希望を取り戻した、といったところか。


 「は…はは……つまり、吾輩は当分里へは帰れぬと」

 「ま、ある意味自業自得だな。巻き込まれた俺としてはいい迷惑だが」


 長い手紙の内容を要約すると、こうだ。



 ──かつてはこの国の片隅でひっそり生き、人間とある時は争い、ある時は共存してきた我らオオカミの一族だが、近世以降、年々先細り傾向にある。

 我らの里で現在一番若いのが生まれたばかりの穂浪の妹で、その次が穂浪。その上となると30代半ばを超えた中年男性となる。

 (ちなみに、穂浪の実年齢も俺と同じ16歳らしい)


 我ら以外の里の多くは、あるいは同胞を求めて異国へ渡り、あるいは人の世に交じり、その血を拡散させた。

 この里の者も、いま重大な岐路に立たされている。

 そこで、今回、妹の誕生騒ぎに紛れて穂浪が抜け出すのをあえて(監視つきで)見逃した。


 穂浪には、里の動向の指針とするため、人の世を見定める役目を任せる。

 それに伴い、まことに申し訳ないが、貴殿(俺のことだ)に人の世における穂浪の保護者になってもらいたい。

 監視からの情報をもとに貴殿の情報を調べたところ、人ひとりが一緒に暮らす程度の余裕は十分にあると思われる。

 (確かに、ついこないだまで姉ちゃんと同居してたのだから、当然だ)


 穂浪の当座の生活費兼支度金として、取り急ぎ100万円分の小切手を同封するし、来月からは毎月10万円を仕送りする。

 また、戸籍や住民票、転校届などの必要書類も、当方で用意するので、学校にも通わせてやってほしい。

 事後承諾になって本当に申し訳ないが、どうか引き受けてもらえないだろうか?

 (ここまでお膳を整え、礼を尽くして頼まれたら、断れねーじゃねぇか!)


 そして穂浪へ。

 お主なりの理由があり、里にも利があるとは言え、掟を破ったこともまた事実。

 本来、里抜けは永久追放だが、諸般の事情を鑑みて追放期間を3年に限定する。


 ただし、その3年間は里に足を踏み入れることはまかりならん。

 人の間に紛れて暮らしつつ、現在の人の良きところを学び、悪しきところを見定めて生きるように。勉学は元より、様々な経験を積むことをゆめゆめ怠るな。

 また、工人殿を師とも兄とも仰ぎ、人としての先達である彼の言うことを、よくきくこと。工人殿も至らぬ我が娘を厳しく指導してやってほしい。



 「ふぅーーオーケイ、事情はわかった。もし、ここで俺が頑なに「出てけ!」と言えば、お前さん、実家にも帰れず、路頭に迷うことになるワケだな」


 静かな声で俺がそう言うと、穂浪はビクリと身を震わせた。


 「ま、まさか……」

 「安心しろ。いくら何でも、そんな非道なことはしねぇって」

 「ほ、ホントかえ!?」

 「ああ」


 ただし──と言葉を続ける前に、感極まった穂浪のヤツが抱きついてきて、俺は畳の上に押し倒された。


 「ありがとう! やっぱり、ヌシは吾輩の命の恩人じゃ!!」


 先方の気分的には、大きな犬が飼い主にじゃれてるような感覚なのだろうが、俺のほうから見れば裸にTシャツ1枚着た同年代の女の子にタックルされたようなモンだ。


 加えて言うと、今のコイツの容姿は、俺の好みのタイプにストライクど真中でもある(悪かったなシスコンで)。

 いかに相手がオスだと頭でわかっていても──ん? 何か引っかかるな。


 「む! おヌシ、また吾輩のことを犬扱いせなんだか?」


 幸い、穂浪が首を傾げて身を起こしたので、かろうじて俺も落ち着きを取り戻した。


 「いや、そーゆーコトするからイヌ扱いされるんだって」


 ヘニョと眉をしかめたものの、自覚はあるのか、おとなしくなった。


 「まずは落ち着け。それと、いつまでもシャツ1枚ってワケにもいかねぇだろうから、隣りの姉ちゃんの部屋で適当に着替えて来い──着替えの場所とかやり方は、わかるんだろ?」

 「う、うむ。大方は、な」


 微妙に自信なさそうだったが、さすがに女の着替えを手伝うわけにもいかない(でないと、俺の方がオオカミになりかねん──性的な意味で)し、そこはコイツの記憶読み取り能力に優秀さに期待するしかないだろう。


 立ち上がり、ふすまを開けて隣の部屋に移動する穂浪。


 「覗いちゃやーよ、コウちゃん♪」


 ご丁寧にも、姉ちゃんの口調と声色を真似つつ、そんな台詞を残して。


 「ばっ……誰が覗くか!」


 俺の怒声は、ヤツが閉めた襖に遮られたのだった。


 * * * 


 以上のような経過の末に、冒頭のやりとりがあったワケだ。

 ──何? メタなことを言うな? ココの物語はなしでは今さらだ。あきらめろ。


 「ところで、今後姉ちゃんが着るアテはないだろうから、別段構わんが、なぜに、わざわざ制服なんだ?」

 「う、うむ。確かに、お主の姉御の記憶の概要は読み取ったのじゃが──正直、女子高生のふぁっしょんせんすなんぞ、サッパリでな。とりあえず無難な学校の制服にしてみたのよ」


 ああ、そりゃそうか。服のコーディネートとかは、やっぱり知識以上に経験と感性がものをいうからな。

 もっとも、女の子の服装については、あまり俺も協力できそうにないなぁ。


 「それと──さっきから言おう言おうと思ってたんだが、その姿で渋いイケメン声でしゃべるのはやめれ。正直見た目とのギャップで頭がクラクラする。

 お前さんがいくらオスでも、見かけは妙齢の女の子なんだから」


 と俺が苦情を申し立てようとすると、穂浪が眉をしかめた。


 「お主、何か勘違いしとりゃせんか? 吾輩はレッキとしたメスじゃぞ」


 …………ハイ?


 「いや、だってその声……」

 「これは、父上の人間形態時の声を参考にしているのじゃが」


 や、ややこしいコトすんなぁ!!

 それじゃあナニか? 俺はコレから同い年の女の子と、最長3年間も同棲生活しないといけないのか!?


 マズい。いくら姿が美少女でも、コイツが本当はオスだと思ってたから、多少なりとも自制が効いたのに……。

 いや、落ち着け。KOOLになれ、工人。コイツは、本当はオオカミだ。ケダモノなんだ。獣姦趣味は、自分にはないはずだろう?


 ──というような葛藤が、一瞬にして俺の脳内を駆け巡ったと思いねい。


 結局俺は、そのコトに関しては心の棚にしまって、深く考えるのを放棄した。


 「まぁ、ソレはさておき。さっき、姉ちゃんの声色使ってた以上、ほかの声が出せないというワケでもないんだろ?」


 「ふむ。確かに年若い女子としては少々威厳があり過ぎるか。

 ──では、コレでどうじゃ?」


 先ほどと同じく、穂浪は姉ちゃんの声色を出してみせた。


 「うーん、姉ちゃんとまったく同じってのも混乱の元だからやめてくれ。お手本があれば、わりかし自由に変えられるのか?」

 「まぁ、得手不得手はあるがの」


 てなワケで、ただ今ふたり並んでアニメDVD等を鑑賞中。ツッコミは不許可だ。


 「ふむ──この“盲目の少年”や“魔法使いの少年”の声なら、吾輩の地声に近いゆえ、簡単じゃが」

 「それだとショタ声だからなぁ」


 某エロゲ原作アニメと某ラノベ原作アニメの主人公の声は、ちょっと遠慮してもらった。

 いや、原作見る(読む)際に、コイツの声で地の文が再現されると思うと、ちょっとね?


 「こっちの“日本刀使いの化猫少女”は?」

 「可能じゃが、オオカミとして猫の物真似をするのはのぅ。こちらの“内気な図書委員”で手を打たぬか?」

 「いや、それ、姉ちゃんと大差ないだろ。ん? そーだ」


 DVDを再生してたPS2を止めて、別のDVD-ROMと入れ替える。


 「これならどうだ?」

 「ふむ──高過ぎず低過ぎず。なおかつ、しゃべり方も十分女らしいか。よし、この“黒いせーらー服の女子”にしておくかの」


 コホコホと、2、3回空咳をしてみせる穂浪。


 「ん、んっ──どう、これでよろしいかしら?」


 穏やかで落ち着いた、耳に心地よいアルトボイスのお嬢様言葉が、穂浪の口からこぼれる。


 「おぉぉーーーーっ! すげぇ、ソックリ! バッチリだ」


 思わずパチパチパチと拍手してしまう。


 「フフフ……このくらい、吾輩にかかれば朝飯前よ」


 と、しゃべり方はこれまで通りに戻ったものの、声は先程のアルトボイスを維持している。

 ──まぁ、参考モデルにしたこのゲームキャラ、どこからどう見ても「優雅なお嬢様」だけど、ホントは男の娘(つまり女装)キャラなんだが。


 「その物真似状態は、常時維持できるのか? 無理してたり、とっさにボロが出たりとかは大丈夫?」

 「まぁ、そもそも人の言葉をしゃべること自体が、吾輩らオオカミにとって、不自然と言えば不自然なのじゃが。

 ただ、容姿とともに一度固定してしまえば、少なくとも人の姿をとる時は、コレが基本となる」


 そういうことなら、当面はこれで問題ないだろう。

 “容姿”についても別の姿に変更してもらうことも一瞬頭をよぎったが、“親戚”という触れ込みで同居させるなら、姉ちゃんと似ている方が説得力はあるだろう。

 ──断じて、女子高生時代の姉ちゃん似の可愛い姿を身近で堪能したいからではないぞ?

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