第弐話 セーラー服とオオカミ娘
その1
『鶴の恩返し』という民話を知らない日本人は、まずいないだろう。
あるいは新美南吉の『ごんぎつね』あたりも有名な話だ。アレは泣ける……。
「こりゃ! 吾輩はキツネではない。オオカミじゃ!」
「あーハイハイ、知ってますよ」
何せ、アパートのドアをドンドン叩くヤツがいるから、何かと思って開けてみたら、ドアの前に大きなわんこが偉そうにふんぞり返ってたんだから。
「イヌでもない! オオカミじゃと言うに……」
ま、確かに、シェパードや秋田犬なんかより、ふた回り以上大きかったがね。
「でも、日本狼って明治時代に絶滅したんじゃなかったっけ?」
「ふむ、確かに、ただの狼であれば、な。じゃが、我らは大神(おおかみ)。人の手ごときで易々と滅ぼされるはずもなかろう?」
そーいうモンかねぇ。
俺は、先々月に嫁に行った姉ちゃんの現役女子高生時代のセーラー服を着て、畳の上にちょこんと座っている少女(獣耳&尻尾付き)の全身をマジマジと見つめた。
* * *
玄関先にいたわんこ(本人いわくオオカミ)が、「うむ、微かな匂いを辿ってココまで来たのじゃが、確かに本人じゃのぅ。さすが吾輩の鼻は確かよ!」って某赤い弓兵っぽい声でしゃべった時は、流石にべっくらこいたさ。
あまりに驚いてたせいか、その「人語をしゃべるイヌ」(オオカミじゃ!)から、意外にも礼儀正しく、「立ち話もなんじゃ。ヌシの住処へ、入らせてもらってよいかの?」と言われて、つい部屋にあげちゃったんだよなぁ。
そうして、予期せぬ訪問者を四畳半和室の居間に通して、卓袱台を間に向かい合った時のシュールさは、筆舌に尽くし難かった。
俺が戸惑っているコトを感じとったのだろう。
オオカミ様(自称)は、ぐるりと部屋を見回すと、戸棚の上の写真立てに着目した。
「ヌシよ、すまぬが、その肖像をよく見せてはくれぬか?」
まだ茫然自失状態が多分に残ってた俺は「あ、ああ、いいですよ」と簡単に安請け合いして、手にした写真立てをオオカミの鼻先に突きつけた。
「ふむ──左側は、数年前のおヌシのようじゃな。右のおなごは?」
「3つ違いの俺の姉さんですよ。もっとも、嫁に行ったから今この家にはいないけど」
「ほほぅ、それは好都合」
オオカミはニンマリ(犬面だけど人の悪い笑みを浮かべていることは如実にわかった)笑うと、口の中で何かをつぶやく……と、次の瞬間!
ボムッ! という軽い破裂音とともに、彼(?)の体は煙に包まれ、その煙が晴れたときには、写真の中の姉ちゃんと同年代で、顔立ちも「姉妹? それとも従姉妹?」と思う程度にはよく似た女の子が畳の上にゴロンと寝ころんでいた。
──
「ちょ……おま……ふく……」
一瞬呼吸困難に陥った俺が途切れ途切れに絞り出した言葉を、幸いにして相手は理解してくれたようだ。
「ん? おお、すまぬ。吾輩の変化は狐狸やムジナのソレとは少々性質が違うのでな。生憎と着物まで出すことは叶わぬのじゃ」
可憐な少女の唇から、某魔法会社所属の陰陽師みたいな声が出ている様子はかなりシュールだったが、そのおかげで俺は「こいつ、本当は男(雄?)か」と認識して、逆に少し落ち着くことができた。
「と、とりあえず、ほれ、Tシャツ貸すから」
なるべく“少女”の方を見ないようにしてタンスから出した俺のシャツを渡す。
「ふむ。これは、こう、かぶればよいのか?」
しばし試行錯誤していたようだが、さすがにTシャツをかぶって手と頭を出すくらいのことはできたようだ。
「おお、これは、夏場の甚平みたいで悪くないのぅ」
とりあえず、相手が服を着たことを確認してから、俺は再びヤツの正面に座って正座する。
「話の前に、まずは自己紹介しておこうか。吾輩の名は穂浪(ほなみ)。先刻言ったとおり、由緒正しきオオカミの末裔じゃ」
「ああ、コイツはどうもご丁寧に」
未だ落ち着きを取り戻していない脳味噌をフル回転させながら、俺は日本人的習慣に従って頭を下げていた。
察するに、彼(?)の言うオオカミとは真口大神──日本狼を神格化した存在か、その眷属ってヤツなんだろう。こないだ中古で買ったゲームで、そんな話があったような気がするし。
まぁ、とりあえず、「人語で会話し、人間に化けられる狼」的な解釈で、問題なさそうだ。
「俺の名前は楼蘭工人(ろうらん・かねひと)。御大層な名前はしてるものの、とりたてて名家の出でもなければ、面妖な特技の類いも持ってない、ごくごく普通の高校生だ」
「知っておるよ。工人、吾輩はヌシを、お主ひとりを追い求めて、此処に来たのじゃからな」
もし、相手が見かけ通りの可愛い女の子で、その唇から漏れたのが白スーツの伊達男っぽい声でなければ、俺も嬉しかったんだが。
「その様子では覚えておらぬようじゃな。吾輩とお主は以前面識があるのじゃぞ?」
えぇっ!? そう言われても……。
相手の正体がオオカミである以上、町中ですれ違ったとかは考えにくい。とは言え、あまり裕福でもないウチの家族は旅行とか頻繁に行ってりもしなかったから、自然と接触しそうな場所も限られる。
「──それって、もしかして、玄じぃのトコ……月夜野で、か?」
「うむ」
唯一それらしい祖父の家のある村の名前を挙げると、穂浪は頷いた。
祖父の家は、俺から見れば名実ともに“田舎”ではあったが、同時に居心地の良い場所で、両親が存命中から俺たち姉弟は夏休みには1週間ほど滞在するのが常だった。
村に何人かいる年の近い子らと友達になって、俺も近くの山や森に遊びに行った経験は多いし、その途中でイタチやキツネ、サルなどの動物を目にしたことは何度もあった。
もっとも、それは単に「見かけた」というレベルで、昔話とかにあるように、そいつらを助けた記憶なんて……。
「──あったな、そう言えば」
激しい夕立ちの日、親とはぐれたのかキュンキュン鳴いてる子犬だか子狐だかを、爺さんの家に連れ帰ってミルクを飲ましてやった記憶が微かに残っている。
「じゃーかーらー、吾輩はオオカミじゃと言うに」
へいへい。
で、翌朝、俺が目を覚ます前にその子狼は、玄じぃの家を抜け出していた。
当時存命中だった祖母の話では、土間で朝飯の支度をしている婆さんにペコリと一礼してから、開け放しの勝手口から出ていったらしいから、一応恩義には感じていたのだろう。
俺としては、当時、ぜひ犬を飼いたいと思ってたので、少なからず残念ではあったのだが。
「それは
「へ? な、何のこと?」
ええっと、「犬を飼いたい」?
「えぇい、そこではない。いや、それも関連してはいるのじゃが……」
もしかして、「少なからず残念」ってトコか?
「そう、ソコぢゃ!」
途端にご機嫌になる穂浪。
「そうかそうか。そんなに吾輩と暮らしたかったのか。ふむ、それならそうと、素直に言えばよいものを」
──あのぅ、もしもし?
「いや、あくまで、「当時」の話ですよ?」
「またまた──遠慮せずともよい。あぁ、それともコレが、昨今流行りの「つんでれ」と言う奴なのかの?」
「絶対違う!」
てか、山奥に住んでた自称神様の末裔が、よく「ツンデレ」なんて言葉知ってたな。
「ふむ。この姿になる時、その“しゃしん”から対象となった女子の知識や記憶なども多少読み取れたでな。コレで吾輩も“じょしこーせー”として暮らすのに不自由はないぞ」
え……。
たかだか一枚の写真から、人間ひとりの記憶その他を読み取るという力の凄さはさておき。
何だか、すっごくイヤな予感がするんですけど……。
「コホン! それで、穂浪はどうして俺に会いに来たんだ?」
できれば有耶無耶にしてそのままお引き取り願おうと思ってたんだが、こと此処に至っては、聞かないわけにもいかない。
精神的に下手に出るのもマズい気がするので、敬語もヤメだ。
「無論、お主へ恩返しするためよ」
嗚呼、やっぱり。
「昔語りなぞで、犬はもちろん狐や狸などが義理堅い生き物じゃということは、お主も知っておろう?」
まぁ、犬は確かにそういうイメージあるよね。
狐は、例のごんぎつねとか安倍晴明の母親の話とかかな。
狸……? ああ、ぶんぶく茶釜のコトか!
「
「そんな、牛乳一杯くらいで大げさな──しかも、アレ、爺さん家のだし」
ん? 待てよ?
「にしても、なんで今頃? 俺、あれから何度も爺さん家に行ってたはずだけど」
そう、俺が中三の時の冬に風邪をこじらせて婆さんが、その半年後に脳溢血で爺さんが亡くなるまでは、俺達姉弟は田舎には毎年通っていたのだ。
特に、5年前に両親が交通事故で亡くなってからは、遺された俺たちのことを心配して、頻繁に祖父母のどちらかが訪ねて来てくれたし、俺達も夏だけでなく年末年始にも田舎へ帰省するようになっていた。
その間にいくらでも“恩返し”とやらの機会はあったはずなんだが……。
「──ふぅ、ここで誤魔化すのは得策ではないかの。正直に言おう、吾輩が通力を自在に操れるようになったのは、ここ1年くらいの話でな」
あの時の見かけ通り、この穂浪はオオカミとしてもかなり若い(むしろ幼い?)部類に入るらしい。なので、神通力的なモノを使いこなすのが、まだあまり上手くはないとのこと。
それでも、人間に化けるなど幾つかの術を、ようやく完全に習得したので、さっそく俺に会いに来たんだとか。
いや、それにしたってなぁ……。
俺は、「恩返しに来た」と言う割には、この家に居座る気満々な穂浪の態度が気になった。
「まさかと思うけど──山の暮らしは退屈なので、刺激を求めて、家出同然に俺を頼って都会に来た、とかじゃないよな?」
「ギクリ!」
非常にわかりやすい態度を示す穂浪に対して、俺はニッコリと微笑み、こう言ってやった。
「人間ナメんな。山ァ帰れ!」
「そ、そんな殺生な! お主、物事はもぅちと婉曲な言い方をしたほうがよいぞ」
「ぶぶ漬けでも、いかがどす?」
「はぅ! 確かに婉曲じゃがわかりやすい!? 京都人でもないのに、それを使うのは反則じゃろうが!」
じゃかましい! 縁もゆかりもほんのちょっとしかない赤の他人ン家に押しかけ居候しようとするケダモノに、言われる筋合いはねぇ!
──と、声を荒げようとしたところで、玄関のチャイムが鳴る。
やむなく応対に出た俺は、一通の郵便書簡を受け取っていた。
「なになに……宛名は「楼蘭工人様」、俺か。で、差出人は……“穂浪の父”だと!?」
その言葉を聞いた途端、穂浪の頭にピンと犬耳が飛び出し、同様に尻から出た尻尾を抱えてブルブル震えだす。
「あわわわわ……な、何故、吾輩の居場所がバレたんじゃろう?」
察するに、コイツの親父さんは、かなり厳しい人なのだろう。
人間に例えると、親に反発した女子中学生が、プチ家出して友達の家に転がり込んだ矢先に、その家に親から電話がかかって来たようなモンか。
同情しないではないが、まぁ、自業自得だな。
俺は書簡の封を開けて中身を読み始めたのだが──読み進めるにつれて苦い表情になっていくのが、自分でもわかった。
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