短編小説「海辺の赤い影」
有原野分
海辺の赤い影
一年と九ヶ月務めた会社を、私は逃げるように静かに退職した。
「短い間でしたが、ありがとうございました。この職場で学んだことを次に活かして頑張りたいと思います」
小さな声でそう言った。上司や同僚と目は合うのだが、話を聞いている人は誰もいない。みんな私のことなんてどうでもいいのだろう。クーラーの風が世間の冷たさを物語るかのように、私の身体から体温と日常を奪っていった。
表向きは、円満な契約満了。しかし実際は、職場のストレスによる鬱状態での離脱。医師から貰った診断書を、私は会社に見せることなく去ることにした。
もうどうでも良かったのだ。上司と会話するのも、同僚の笑い声を聞くのも、私には耐えられなかった。次の職場が決まっているなんて、嘘だ。真っ赤でもなんでもない、色のない嘘だ。つまり無色だと言ってみたところで、笑顔になんてなれやしない。
先の見えない不安。予想できない恐怖。暗闇が目の前に広がって、私の心臓と手足の先端が糸に縛られているみたいに痺れてくる。
――麻痺。しかし、思考は決して麻痺してくれないのが、この世のなによりもの苦しみなのかもしれない。
苦しいとは、生きていることに違いはない。だが、生きているのと、生かされているのとでは訳がちがう。私は前者になりたかった。しかし現実は、――とくに私は、常に後ろ向きにならざるを得なかった。
会社に心残りは一切なかった。むしろ辞めて良かったとさえ思っている。私は非正規の時給制で働いていた。現場で頭をかきむしりながら、毎日黙々と汗を流していたが、給料は毎月赤字で、親の仕送りを貰ってなんとか生きていた。両親はもうすでに定年の身だというのに、今年三十歳になろうかという私は、いまだに甘えていたのだ。
――罪悪感。周りの人間たちの目にはそうは映っていないだろうが、当の本人は苦しいのだ。親に甘えるというのは、社会の見えない道徳を陵辱しているかのように不快で醜く、私の心を徐々に蝕んでいった。そして社会の連中は、私を白い目で見ながらこう言うだろう。
「大人として、社会人として、お前は失格だ」と。
しかし、私も前職では正社員として働いていた。だが、駄目だった。自分のやりたいこと、――本当にわがままで腐っている根性のせいで、私は安定を捨てて、非正規だと分かっていながら転職してしまったのだ。
非正規な社員は、もはや奴隷より奴隷的だ。正社員の何倍も働こうが一切関係はない。時給制という縛りで休めない毎日、いくら結果を残しても出ない賞与、会社にどれほど貢献してもないに等しい社会的保障。会社にもよるとは思うが、私の職場では正社員はまるで中世の貴族のように、プライドと権力に群がる虫のような人間の集まりだった。仕事はできない、やらない、やりたくない。大切なのは効率よりも上司の機嫌。守るのは部下ではなく自らの地位、立場。現場のミスは非正規のミス。会社の恩恵は正社員のモノ。転職しようにも、肩書きが非正規ではどこも雇ってはくれないのが現状だった。
逃げ場のない世界。湿度の高いじめじめとした砂漠のような異常な世界。地殻がいくら揺らいでも、誰も足下を見ようとはしない。そんな職場では、人が一人消えたところで誰も気づきはしないのだ。
だが、得たものもある。ありきたりではあるが、それは繋がりだった。私はこの会社で大切な人と出会うことができ、そして仲を深めた。ときには会社の批判をし合い、ときには趣味を熱く語り、そしてときには人生の素晴らしさを語ったものだ。
だから会社を辞めるとき、この関係に亀裂が入るだろうということは、なんとなく予想がついていた。そいつは同じ職場の正社員、つまり貴族の仲間だったからだ。
それを承知の上で私たちは仲良くなっていたのだが、――いや、もう言い訳はよそう。耐えられないのは分かっていたことなんだ。これは私の問題だ。原因は私にある。悪いのは私なんだ。鬱だからとか言い訳はもう辞めよう。心に問題があるのでない。問題は頭の中にあるんだ。歪んだ思考。過剰な自己防衛のなれの果てだ。
――それは嫉妬。自分のことを棚に上げて他人に当たるという行為は、いかに愚かなことか。私は自分が正社員でないがために、ただ肩書きをぶら下げているだけの大切な人を直視できなくなっていた。
なんとも、情けない。男として、大人として、人間として私は私自身のことが恥ずかしくて堪らなかった。いっそのこと、全てを投げ捨ててどこか遠いところへ、私のことを誰も知らない土地へ逃げ出してしまいたかった。
言葉なんて通じなくていい。人間は、言葉が通じないぐらいがちょうどいいのかもしれない。もちろん、金がないので遠くへなんか行けやしないのだが……。
大阪で一人暮らしをしていると、頻繁に親のことを思い出す。その思い出はいつも明るく、いつまで経っても色褪せない。明るい過去は、ときとして心をどうしようもなく圧迫し、現在の私と比較しては消えていく。幼い頃の私は、屈託のない表情で笑っている。現在の私は、――鏡を見るまでもない。
両親は島根県に住んでいる。私は大阪で一人暮らしだ。
「実家に帰ってきたらいいのに」
そう親は言うのだが、私は帰りたくなかった。別に親が嫌いだからとかではない。田舎が嫌いなのだ。職もろくになく、知り合いも少ない。一度実家に身を置いたら、それこそそこからは二度と抜け出せないような気がしていた。
昔からあったような気がする、心の中の黒い塊。職を失ってから、徐々に大きくなり、常に私を苦しめるようになっていた。朝起きて、ため息をつく。昼食を取らずに、孤独を嗜む。夜は闇夜を眺めて、また来る明日を想像して不安に怯える。
しかし、私はまったく失望してしまったわけではない。その証拠に、私は生きているからだ。それがたとえ自分の力ではないとしても、私は生きているという単純な事実だけで、少し救われるような気がしていた。
だから私は、感謝をしなくてはいけない。お金がなく、職もなく、地位も名誉もない私を生かしてくれている両親に、せめて感謝をしなくてはいけない。感謝とはいかにも曖昧で不純な気がするが、真剣な感謝は言わずとも相手に伝わり、そして自分も含めてみんなを救うものだ。それが出来ない人間が世の中に多すぎるだけで、感謝をするという行為ほど素晴らしいものはないだろう。
感謝は言葉だけではない。行動だけでもない。私は取りあえず、鬱を治すことに全力を注ぐことにした。
鬱を治すのに必要なことは、薬やカウンセリングではない。確かにそれらは鬱状態を和らげてくれるが、決して完治はしないのだ。鬱を治すのに必要なこと、それは自己を容認することだ。だから孤独感のある一人暮らしは、もっとも駄目な状態だろう。そこで私はしばらくの間、実家に帰ることにした。
なにも別れの挨拶だなんて思ってはいないが、私は帰る前に元同僚と話がしたくなった。ただ会って、酒を飲んで、たわいない会話がしたかったのだ。しかし、それがいけなかった。いざ会って話し出してみると、未練がないとはいえ、どうしても会社のことが気になって仕方がない。酒が進むと愚痴も増える。つい、私は会社の現状を聞いてしまったのだ。向こうは当たり障りなく応えてくれた。
「会社は特に変わってないけど」
その瞬間、私の心は破産した。
変わっていない。私が辞めようが、本当にどうでもいいことだったようだ。心のどこかで願っていた理想の自画像が、風に吹かれた砂絵のように飛ばされていった。
私は腹が立ち、感情のままに相手を罵った。自己防衛のための異常な悪態。それが見えない亀裂を具体的な形にしてしまったのだ。そして、私は、生きているという現実すらも捨ててしまいたくなり、ただ絶望の中に溺れていった。
――もう、終わりにするか。
なにも命を絶つわけではない。生かされている立場の私には、死ぬという権限はないのだ。しかし、消えてしまいたい。この世から遠く離れてしまいたい。だから私は、生きながら死ぬことにした。いうなれば「精神的な自殺」だろうか。
まず人との縁を切ることにした。電話に登録してある連絡先を、私は片っ端から殺すように消していった。一人、一人、また一人、どんどん殺していく。精神的にだろうと、自殺には残酷性がどうしてもつきまとってしまうみたいだ。残った連絡先は、ほんのわずか。家族と、そして葬式に出てほしい人間だけが残った。だから、もちろん、元同僚の連絡先を消すわけにはいかなかった。
そして私は、大阪から逃げるように実家に帰省した。
バスの中。人は少なく、寂しさが滞っている。外は雨。窓に伝わる雫が、私の顔の横でゆっくりと流れ落ちていく。遠くで、雷が光っている。その音が轟いている。私はそれらを眺めながら、静かに目を閉じた。
雨が降れば、人は雨宿りをする。お腹が空いたら、食事をする。睡魔に襲われたら、寝床に入る。生きるとは、案外簡単なことかもしれない。しかし、もしもそれができないとしたら、万が一できないとしたら、人は一体どうするのだろうか。衣食住が突然消失したら、それでも人は人を愛せるのだろうか。まず、無理だろう。間違いなく人は獣に戻るだろう。人間は見えない不安に、決して耐えられはしないのだから。
だから群れをつくる。所詮人間は、強がっているだけの弱々しい猿にすぎないのだ。
実家に帰った私は、毎日をぼんやりと過ごしている。一時的な感覚で、そう、雨宿りの感覚で当初は戻ったのだが、大阪に帰る必要性もまたないため、私はしばらく実家にいようと考えていた。
なに、これも孝行の内だ、とか思ってしまうほど、実家は私が私を容認することさえ忘れてしまうような心地良さがあった。
――家族は、自分自身の現身のような存在だ。
私が久しぶりに家に帰った時、両親は優しく包み込むように私を迎えてくれた。
「おかえり」
言葉は量じゃない。一言でいい。私はこの四文字の言葉に対して、四文字で返した。
「ただいま」
それで十分だった。
電話では感じ取れない些細な声の調子や、僅かに残っている食事の匂い。そして目の奥にある清濁を併せ持った瞳の色。だから人は、対面しなくてはいけないのだ。いくら時代が進み科学が発達しても、これに変わるものは決して見つかりはしないだろう。
そして、笑顔は生まれる。
父の酒を飲んでいる時の顔。母の料理を作る時の顔。普段の顔は分からないが、私の前ではいつも笑顔でいてくれる。手料理は懐かしく、私の心にバランスの良い栄養を与えてくれた。何よりものトッピングは、やはり家族で食べることだ。テレビもつけず、本も開かない。私が一口食べるごとに笑顔になる母。私が一口飲むごとに笑顔になる父。大切なことは、生まれたときに出会ったこの普遍的なあたたかさなのだ。
眠る時も、一人ではない。隣りの部屋には両親がいる。ただそれだけ。そのただそれだけが、どんな睡眠薬よりも深い眠りに導いてくれる。
――人間が必要な睡眠は快眠ではない。安眠なのだ。
実家に帰ってから私は、大阪にいる時よりはるかに健康的で人間的な暮らしをしていた。
しかし、一週間ぐらい経った頃だろうか。私は急に、それは本当に不思議なほど急に暇になったのだ。日課の散歩も、温泉も、本を読むことも、美味しい食事にも、急に飽きてしまったのだ。そんな罰当たりな、と思われるかもしれないが仕方のないことだ。満足すると、飽きる。休んだら、動きたくなる。ずっと一緒だと、離れたくなる。美味しい食事は、たまに食べるから美味しいのだ。どんなに贅を凝らしても、三日も続けば飽きてしまう。
――人間は勝手な生き物だ。
成長するために刺激を求めるということは当たり前のことかもしれない。刺激がなければつくればいい。そこで私は、釣りに出かけることにした。
父に頼んで竿を出してもらい、車で餌と針を買いに行き、海まで送ってもらった。釣りをするのは、十数年ぶりだろうか。昔は良く父と一緒に釣りをしていたのだが、中学生になったぐらいからとんと行かなくなった。まあ、反抗期だったのだろう。しかしその思い出は、決して色褪せはしない。
潮風が吹く。父は車を置いて帰っていく。一人になった私の目の前には大海原が阿呆のように口を開けて待っていた。さて、食うか、食われるか。
餌を付けられるのか不安であった。ゴカイという、ムカデとミミズを足して割ったような悪寒の走る虫を手で裂いて針に差し込まなければならないのだ。
一人だと、頼れるものは己のみ。気合を入れて一匹を素手で摘まみ出す。柔らかく生暖かい虫。グニャグニャ、モゾモゾ、ヌルヌルしている。指先から悪寒が流れてくる。そして、私は海を見ながら引き裂いた。
プツッ。
ああ、動いている。千切れているのに、蠢いている。
もはや、虫ではない。急いで針に刺していく。
私は何も見ていないし、私は何もやっていない。そう思わないと、私は私を見失いそうになっていた。
餌というモノになった命。
急いで海に竿を投げた。遠くでトプンっと音が聞こえた。
小休憩。私は汗を拭おうと手を見たら、……赤く染まっていた。虫の血だ。虫の血も赤かったのだ。
釣りに行く前に私は親に宣言していた。
「今日の晩ご飯はキスの天ぷらにしよう」
無理かもしれない。仮に釣れたとしても、私にあの餌を食べた魚を食べる勇気は持ち合わせていないだろう。
命の無駄遣い。
私は竿をそのままにして、ぼんやりと海を眺めることにした。
――逃避。
私は生きている。たくさんの命を食べて生きてきた。たくさんの命を奪ってきたのだ。それなのに、私は事実を受け入れようとしていない。なんとも弱虫な生き物である。この世の理から目を背けている臆病者だ。
竿がビクビク動いている。私の血管もビクビク動いている。いつまでも逃避はできないことを誰よりも理解していると思い込んでいた私は、諦めと似た面持ちで竿を引いてみた。
キスが、一匹釣れていた。
十センチぐらいだろうか、当たり前だがまだ生きている。手元に手繰り寄せ、魚を捕まえる。ああ、なんと苦しそうな目だ。私は針を取ろうとしたが、なかなか針は取れなかった。気が焦る。早くしなければ、死んでしまう。死んでしまう? ああ、不条理。せめてもの供養で食べてやるのが道理だろう。しかし、しかし、しかし――。
力を入れても針はなかなか抜けなかった。方向を変え押したり引いたりしていると、肉が裂ける音が手に伝わり、魚の口にゴプゴプという音とともに血が溢れてきた。
魚の血も、また、赤かった。
やけくそ。私は思い切り針を引きはがすと、すぐにバケツの中に放り込んだ。しかし、間に合わなかった。魚は腹を上に、プカリと浮かんでいる。
――命はこうも脆いものか。
しかし良く考えてみれば、私も人間社会の餌にすぎないのかもしれない。だから、私は悲しく苦しいのだ。一体、なんの為に生きていかなければならないのだろう。ああ、旅に出たい。海に溶けて蒸発してしまいたい。もしかしたら、
――生きるということは、あの世からの蒸発なのかもしれない。
本来帰るべき場所は、実家ではない。この海かもしれない。
命の起源は海なのだ。
だとしたら、海に帰るのが生き物の宿命ではないだろうか。この深々とした青い海。見渡す限りの深い青みがかった暗い海。空が青いのは、光の波長のせいなんかではない。海を青くするために、青いのだ。だから、白い雲が良く映える。
青。白。そして赤。
私の全身を流れている血は、本当に真っ赤なのだろうか?
海は脅威だ。生き物を産み、そして殺していく。そこに道理があるはずない。ちくしょう、あってたまるもんか!
人間が宇宙に進出していくのは、海から逃げるためじゃなかろうか。きっとそうに違いない。だから、私も逃げ出したって構わないんだ。
空を見上げると、遠くに飛行機雲が見えた。空を二分に別ち、この海から逃げる様に消えていく。私達は逃げる為に生きているのか。生きているから、逃げるのか。海はただ静かに波を立てている。潮風が肌に張り付いて、私の身体から生への執着を奪い去っていく。
釣りはもう辞めだ。私は竿を手繰り寄せた。もうすぐ夕焼けだろう。その前に、私は隠れなくてはならない。夕焼けを浴びてしまったら、もう取り返しがつかない気がしていたのだ。
晩ご飯は、買えばいい。誰かが犠牲に向き合って獲得した獲物を、私達は平然と金で買えるではないか。そうと決まれば、親に電話をかけて晩ご飯の調達を頼もう。私は携帯電話を取り出した。いつの間にかメールが届いていたみたいだ。それは元同僚からだった。
――いつ、帰ってくる?
帰るのか、逃げるのか、少なくとも私を必要としてくれている人が親以外にもいたことに対して、私は微かな安心を感じた。だからだろうか、しばらく海を眺めなおしてもいい気分になった。
いまなら、夕焼けだって怖くないはずだ。
――そのうち。
と返信した。私は自分を殺して実家に帰ってきたが、どうやら殺す気なんかさらさらなかったみたいだ。
私は感謝と、そして謝罪をしなくてはならない。
ゴカイと一匹のキスを海に投げ込んだ。私が奪った命を、波は静かに包んでくれる。そこに感謝と謝罪があるからといって、罪がなくなるわけではない。感謝は罪を認めることだったのだ。謝罪は繰り返さないことに対する誓いなのだ。
日が徐々に暮れていく。波が先ほどより荒くなってきた。フナ虫がカサカサと散っていく。
私は海に向かって目に力を込めた。傾いている太陽の強い日差しを受けた私の影は、今にも飛び出しそうに真っ赤に揺れている。
――生きていく。海とともに。
両親が待っている。元同僚だって私を待っている。怖いこともある。不安に襲われることもある。不条理な暴力で突如命を落とすかもしれない。
しかし、私は今、生きている。
確かに海は魅力的だ。誘惑に負けそうになることだってある。きっと、これからだって何度も何度もあるだろう。その時は、思い出そう。私が奪った小さな命達を。私が恐れた夕焼けを。私を掴んで離さない大きな海を。
波と涙が引いていく。魚と虫が連れて行かれる。
さて、私も帰るとするか。
短編小説「海辺の赤い影」 有原野分 @yujiarihara
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