③黒ギャルさんとトラブル

「あの、神崎さん」

「…………」

「神崎さんってば」

「…………何?」


 身の凍るような沈黙の後に神崎さんの口から放たれたのは、怒っているのだと一瞬で察知出来る程の低音で無機質な一文字。


「何? ――って、か、神崎さんが合流しろっていたんですよね?」


 それはファッション勝負が終わってお店を後にし、一度解散した後のことだった。


 一人帰宅しようと駅に向かって歩いていたところをメッセで『反省会するから戻ってきて』と呼び出された僕は、こうして神崎さんの下にやってきたわけだけど――街中で合流した神崎さんはそりゃもう不機嫌の化身と化していた。


「……なんであたしを裏切ったわけよ」


 不服を訴えるようなムスッとした眼差し。


「う、裏切ったとかそういうわけじゃなく――あ、あれはただ、自分に正直になったまでといいますか……」


 ライオンに睨まれた草食動物みたく命の危機を覚えて畏縮した僕は、額に脂汗を覚えながら必死に釈明の言葉を探す。


 結局、僕が一番かわいいと選んだのは神崎さんではなく、あのロリータファッションをしていた根屋さんだった。

 損得や柵など一切抜きに、自分の本心に素直に従う形で。


 実は僕、余程のことがない限り、嘘をつかないようにしていたりする。

 理由は至極単純。僕があの抱える特異体質、オーバーヒートのせいだ。


 あの状態になると建前というリミットが完全に機能停止して本心を心赴くままにズバズバ言っちゃうせいか、逆についていた嘘を自らバラしちゃうこともあるみたいなのだ。


 以前、そのせいで僕のとある発言が建前だったと自分から告白してしまい、知人と気まずい空気になった過去があるから。

 ……たぶん、僕自身そんな経験があったから、尚のこと神崎さんと星野さんにはそうなって欲しくないって気持ちが強かったんだと今になってそう思う。


 それ以来、僕は自分から落ち度を招きかねない嘘は例えその場を丸く収めるための方便だったとしても、つかないようにしていた。

 特に神崎さんのまで一度オーバーヒート状態になってる分、安易な自分を偽った行動は、もしもの時に神崎さんとぎくしゃくする要因になりかねないから。


 それでも神崎さんの誘いにのったのは、教室でも間違いなくクラス一の美人さんだと断言したよう、何だかんだ普段から一つ飛び抜けて垢抜けたオーラを出してる神崎さんが、そんな八百長染みたことをせずとも文句なしに一番おしゃれに決めてくるんだろうとそう心の中で確信染みたものがあったからで――

 ただ、根屋さんのあれは正直反則でした。ごめんなさい、心の底からかわいいと思ってしまったんです。


「ふーん。まぁ別にいいけどね。あんたが誰を一番かわいいと思おうとさ。ほんと、別にどうでもいいんだけど」


 あれ、不機嫌なポイントってそこなんですか? 作戦を台無しにしたことじゃなくて。


「ただ、ああいうのが趣味だって先に言ってくれればもっとそっち意識する方向でガチで挑んでいたのに、そこがまぁ納得いかないというか……」


 いじける神崎さん。

 あれ、ライムで……やるからには手は抜かないとかそんな風なこと言っていたような……。

 どうにも神崎さんは僕が思った以上に負けず嫌いらしい。


「シホに何ねだられるから知んないけど、ま、あたしにはもう関係ないことだから。山代頑張って」


 神崎さんがあたしは部外者とばかりサラサラと手を振る。


「あぁ、そうだった! どうしよう、プラダのバックとか絶対に無理なんですけど。何とか、お手頃な物で妥協してもらえると助かるのですが……」

「ふーん、その様子だと本当にシホにプレゼントしてあげる気なんだ」

「へ? まぁ、そういうルールでしたから」


 それに始まりはどうであれ、僕を意識して羞恥と葛藤してまで本気で挑んでくれたのがちょっと嬉しいかったりするし。チョロいかもしれないけど、少しはお礼がしたいなと思ったんだ。


「ふーんそっか。山代がシホにねぇ。ふーん」


 あれ、神崎さんってば何でこんな物申したげな表情になっているんだろう。

 さっきは頑張ってとか言ってたはずなのに……。


「さ、そんなどうでもいいことより、さっさと行くよ」

「へ? 行くってどこにですか?」


 神崎さんは戸惑う僕に答えることなく、スタスタと歩き始めた。

 しかも何故か駆け足気味に。


 すれ違う人が思わず視線を逸らしたくなるような不機嫌オーラ全開で街を進む神崎さん。そんな彼女の二歩後ろを、僕はおろおろしつつもとりあえずついていく。


 と、そんな時、


「お、レイコじゃん。こんなところで何してんの?」


 神崎さんに向け、軽く調子の弾んだ声がやって来た。


 その声がした方向からニヤニヤした笑みを浮かべて神崎さんの前に姿を見せたのは、僕が通う桜星おうせい高校とは異なる他校の制服を纏う、焦げ茶色の髪をしたガラの悪いチャラついた感じの男子生徒で。

 あの制服って、確か猪島いのしま工業のだよね。

 毎年退学者が続出するせいで入学から3年に上がる頃には一クラス減ってるのが普通って噂のあるくらい、素行の悪い生徒のたまり場で有名なあの……。


「……あんた誰? 今あたし、最高に機嫌悪いんだけど」


 行く手を塞ぐよう現れた男に対し、神崎さんは特に感情の機微を変えず敵意剥き出しの鋭い視線をストレートに送る。

 僕だったら畏縮間違いなしな猛禽類さながらの視線に、けれど男は一切おくびれた様子も見せず、


「なぁにつれないこと言ってんだよ。レイコがこの俺を忘れるとかさ、そんなの悲しすぎて泣いちゃうよ。俺達以前はあんなにも愛を囁きあった仲だってのに」


 勝ち気な笑みを浮かべたまま、ひょうひょうとした態度をつらぬく。


 へ、愛を囁きあった仲? 


 ――それって、ひょっとして元カレとかそういう……。


 そうこう妄想を膨らませ動揺する僕を一瞥した神崎さんは、億劫そうにため息を吐いて、


「あのさぁ。その誤解を招く言い方はやめてくんない。前に合コンの王様ゲームで王様に命令されて愛してるゲームやったってだけでしょ」


 な、なるほど。そういうことですか。言葉って怖い。


 が、指摘された側は悪びれるどころか、寧ろ嬉しそうにしていて、


「ほら、やっぱ俺のこと覚えてるじゃん」

「…………」


 眉をひりつかせ拒絶感満載で相手する神崎さんに、男の方は軽薄な笑みを浮かべて尚も歩み寄ろうとする。この自信はどこらかくろのだろうか。ある意味、学ぶ価値はあるかもしれない。


「最近ライム送っても全然返事くれなくてつれないよね。あれ、めちゃくちゃ寂しいんだけど。俺、こう見えて結構ナイーブだからいつもベットでわんわん枕ぬらしているんだぜ。そだ、今から遊ぼうよ。それで今までの既読スルーは全部チャラってことでいいから」

「あのさぁ。あたし今めちゃくちゃ忙しいんだけど。それに最近も何も、あんたにライム返したことなんて全くなければ、これからもする気ないし、別に許してもらう必要も全くないから、察しろ。ってことで消えな」


 しっしっと神崎さんが羽虫を払うよう手を振り払う。

 そんな友好の一ミリもない態度に男は一瞬だけ苦い顔になったかと思うと、すぐに勝ち気な表情に戻って、


「あーあー、そんな態度でいいのかな。俺実は結構、この辺のヤバイ人に顔聞く方なんだけど、樋口君って、もちろん知ってるよね?」


 それもう口説くではなく、完全に脅しになってませんか?


「……あんた、名前なんだっけ」

「俺? ゴローだけど。もーちゃんと覚えといてよ」


 聞きいれてくれたと思ったのか、ゴローと名乗った男は嬉しそうに口許を歪めた。


「ゴローさぁ、他の人の名前出さないと女一人口説けないわけ? だっさ」


 が、神崎さんは態度を変えることなく、ばっさりと吐き捨てて。


「誰があんたみたいな、空っぽな男の相手なんてするかっての。ば~か」


 ゴローさんの目と鼻の先で中指を立ててた神崎さんが、挑発するようたっぷりと伸ばした罵声を浴びせた。


「へ?」

「さっさと行くよ山代」


 思考が追いつかないとばかりにぽかんと口を開けたゴローさんが唖然とするのを余所に、神崎さんはすたすたと歩き出す。


「あ、はい」


 僕は神崎さんの後に付いていく中、ふと気になってちらっとだけ背後の様子を窺った。


 怨嗟の籠もった表情で神崎さんの背中をじっと睨むゴローさん。


 それはもう気になる女の子に向ける好意的なものではなく、プライドを傷つけられたことへの怒りにしか映らなくて。


 これはちょっと、穏やかじゃない気がするけど、大丈夫なんだろうか……。

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