⑧雨降って地固まる

 星野さんが駆けていった方向に道なりに進むと、やがて見えてきた公園のベンチで消沈したようにうな垂れて座っていた星野さんの姿を見つけることが出来た。


 園内に入って傍まで歩み寄ると、物音で気付いたのか、星野さんが重たい顔を上げる。


「……山代。あはは、追っかけてきてくれたんだ。ありがと。でも、失敗しちゃったね。あーあ、これからどーしよ」


 涙を手で拭った星野さんが、心配しなくても大丈夫と言わんばかりに取り繕った笑みを浮かべて気丈に振る舞ってみせた。


 そんなどう見ても空元気な星野さんを元気づけようと、僕は得意げな顔で口を開く。


「安心して下さい。僕が神崎さんにがつんといっておきましたから。神崎さんも気が動転してついかっとなりはしたけど、友達をやめるつもりはないって、はっきりそう言ってましたよ」


 すると、星野さんは何故か何を言ってんだお前とばかり呆けた顔になって、


「へ、山代がレイコに……。あはは、励ますにしてももっとマシな冗談つきなって。そんなモロバレな話されてもねぇ」

「いや、冗談で言ったつもりはなかったんですけど」

「けど、おかげでちょっと元気でたかも。ありがとね山代」

「それは、よかったです」

「明日もう一度改めてレイコに謝ってみる」

「へ? 謝るのはどう考えても神崎さんの方じゃ――」


 筋違いじゃないかと小首を傾げていると、星野さんはやれやれと苦笑して、


「山代って、思ったよりバカでしょ。そんなんじゃいつまで経っても友達出来ないよ。こんなこと偉そうに説教出来る立場でもないけどさ、人間関係ってのは結局のところ惰性と妥協で成り立ってるようなもんなの。どこかで誰かが譲歩することで上手くやってけるといいますか。特に女の子が必要としているのは、正論ではなく共感だからね。まずは、自分から非を認めて歩み寄る。これが大事なの」

「はぁ……。でも、その程度で気を使うような友達って、本当に友達と呼べるのでしょうか?」

「へ?」

「神崎さん言ってましたよ。『マミのこと何も知らないでオタクキモイだの全否定して知らない間に傷つけてたあたしにも非があるってのは認める。けど、うちら友達なんだし、はっきり言ってくれれば、あたしも少しは考え方改めた可能性だってあるじゃん』と」

「えっ、ほんとにレイコがそんなこと言ってたの……」


 神崎さんとの先程のやり取りを伝えると、星野さんは驚愕した表情で、嘘でしょと言わんばかりに口に手を当てて息を呑んだ。


「はい。少なくとも無意識に星野さんを傷つけたことに対しては後悔してるように、僕の目にはそう見えました。星野さんが言ってた神崎さんはああ見えて凄く友達思いって話、本当でしたね」


 そう、神崎さんが腹を立てていた本当の原因は、別に星野さんが実はオタク趣味だったというわけではないのだから。


「星野さんも星野さんで、神崎さんは絶対に自分の趣味を受け入れてはくれないと、そう勝手に決めつけて壁作っていたところがあったんじゃないですか?」


 特に今、あの中の誰かが神崎さんのこと微塵も友達とは思っておらず、裏でボロクソに陰口を叩いてるって状況なのもあって、その気持ちは一層強かったに違いない。

 というか今更だけど、神崎さんってサバサバ系に見えて、実は好きになった人だけはとことん大切にするタイプのものすごく繊細な心の持ち主なんじゃ……。


「……そうかも。けど、だったら尚更うちが謝らないと」

「あれ? 確かに、一周回ってそうなるんですかね……?」


 よくわかんなくなってきたぞ。

 そう僕がきょとんとしていると、何故か星野さんは吹き出して、


「あはは。山代ってば凄いのか凄くないのかよくわからないっていうか――うん、やっぱ馬鹿だったか。ちゃーんと女心を今のうちに勉強しておかないと、いつまでたっても彼女出来ないぞ」

「あの、そんな話は今一ミリもしてませんでしたよね」

「ま、色々とありがと山代。あんたの話信じて、今度こそレイコとガチで向き合ってみるよ」

「はい。ファイトです」


                  ● 


 やった。

 やってしまった。

 やらかしたぁあああああああ。


 朝の教室。


 神崎さんとばったり出くわした直後の記憶がばっさり抜けていることに気付いた僕は、そりゃもう盛大に後悔していた。

 どうやら高校入学して以来初めてのオーバーヒートを発動させてしまったらしい。


 あの後、僕は何をやったんだろうか?

 少なくとも状況的に神崎さんと何かしら一悶着やらかしてるのはほぼ確実で……それを何一つとして覚えてない分、下手に謝れないのがほんとうに不味い。


 そう不安でビクビクしていると、


「――あんたさぁ、昨日のあれ、一体なんなわけ?」


 登校してきた神崎さんが、自分の席につかず僕の机の前に立つと、それはもうご立腹という様子で眦をつり上げて語気を荒げた。


「へ……?」


 僕は口をぽかんと空け、間の抜けた顔で固まる。恐ろしいくらいに何のことを言っているのか全く以て検討がつかなかい。


「そりゃ、あんたにはさ、ちょと手伝ってもらってる身ではあるけどさ。――けど、あそこまでは誰も頼んでないつーか、あれはあんたには何も関係ないことだよね。変な真似しないでくれる。超余計なお節介。はっきり言ってうざいだけだし」


 圧倒するような鋭い双眸での敵意むき出しの視線。

 まずい、全く身に覚えがない。

 これ、完全にオーバーヒートの影響だよね。

 どう、しよう……。

 と、背によくない汗を覚えながら必死に思考を回転させていると、


「ふん。まぁいいや」


 神崎さんは不服の残った表情で鼻を鳴らし、


「ここまで来たら、もう最後まで付き合ってもらうし。ちょっと、つらかして」

「へ?」


 ぽかんと口を開けた僕の返事を待つことなく、すぐさま別の方向へと顔を向け――


「マミさ、ちょっと付いてきてくれる」


 そう、浮かない顔をして自分の席に座っていた星野さんに声をかけたのだった。



 神崎さんが僕と星野さんを連れてきたのはとある人気のない非常階段の踊り場だった。

 ここにつくまで三人の間には一切会話はなく。

 そんな気まずい空気が僕の心臓をきゅうきゅうと締め付けた。


「ここなら誰にも邪魔されたり聞かれる心配はないっしょ」


 淡々と呟いた神崎さんが、相対するように星野さんの前に立ってじっと見据える。

 と、先に星野さんが申し訳なげな顔で切り出して、


「レイコ、あのね――」

「あのさ、これ、返すわ」


 と、星野さんの言葉を遮って神崎さんが取り出したのは、昨日の漫画だった。


「読んだけど、ぶっちゃけ思ったよりだいぶ面白かったつーか、これシリーズものなんだよね。持ってるなら、その貸してくれない?」


 視線を逸らした神崎さんが照れくさそうに言葉をつぐむ。


「へ……読んだって、レ、レイコがこれを?」


 場の流れに身を任せる形でひとまず漫画を受け取った星野さんが、声を震わせ、まるで夢を見てるようだと唖然となる。

 そんな瞠目する星野さんを余所に、神崎さんは、ばっと腰から綺麗に頭を下げて、


「昨日はその……ごめん! いきなりで気が動転してたつーかさ、ちょっと頭に熱が上がってたのもあって、きついこと言っちゃって。その、マミのこといっぱい傷つけるようなこと言っちゃったよね……」

「う、ううん」


 オーバーに首をぶんぶんと振って、問題ないと精一杯に体現する星野さん。


「うちはそんなの全然気にしてないから。うちこそ、ほんっとごめん。うちだってさ、レイコがオタ趣味なんて理解してくれるわけないから、バレたら軽蔑されて終わる――って勝手に決めつけちゃってたとこあったから。これからはレイコの前で、隠し事は一切しないって、神に誓うよ。うん、もし破ったらレイコの前で切腹する!」


 目頭を熱くして、星野さんが途切れ途切れに溢れる思いを吐露していく。


「あはは、大袈裟だし。お互い様なんだから、別にそこまで言わなくとも」

「いいのいいの。絶対に破ることないからこそ、ちょっとぐらい大袈裟な方が言ったもんがち的な」


 おいおいと苦笑する神崎さんと、すっかり調子を取り戻し元気に微笑む星野さん。

 思いを通じ合わせた二人が正面から肩を抱き合い嬉しそうに笑い合う。


 

 恐らくオーバーヒートの影響で抜けてる部分の出来事がどんなことだったのかわからないから、未だに今いちよく飲みこめてないけど……


 なにはともあれよかった。


 状況から察するに、どうやら星野さんのオタク趣味を神崎さんにカミングアウトするかどうこうって話は、うまく収まったみたい。


 円満ムードの中、涙で濡れたメイクを治したいと星野さんは一足先にこの場を後にした。


「で、これで満足?」


 と、星野さんの姿が見えなくなったところで、神崎さんが口を開いた。


「え?」

「とぼけんなし。あんたがきちんと謝れって言ったんじゃない」


 ぼ、僕がですか!?

 やばい、全く身に覚えのない話だ。そもそも神崎さんに意見とか、どれだけ命知らずなことを……。


「とにかく、あの裏アカのせいで軽い人間不信拗らせて、ついマミへのあたりまできつくなった――ってのはあたしの落ち度だったって今は素直に反省してる。……後、マミとちゃんと向き合って喧嘩別れせずに済んだのは、ちょびっとだけあんたのおかげかもだだし、そこはまぁ感謝しといてあげる」

「は、はぁ」

「あの漫画もさ、想像してたよりすっげー面白かったし。今まで高校生になってまでアニメ漫画とか幼稚すぎ――って一概に偏見で見下してたことに関しても、まぁ反省してる」


 少し顔を赤くした神崎さんが、こそばゆそうに頬を掻く。


「けど、つけあがらないでよね。あんたの意見に従うのもこれっきりだし。ほんと、あんたがあたしに説教とかマジむかつく。マジ何様ってつもりだし」


 そう言い終えた神崎さんは忠告するように僕を睨むと、ふんと肩を怒らせて踵を返していった。


 あの、一体昨日の僕は神崎さんに何を言ったんですか!?


 ――というか、あのハッピーエンドの中、僕だけは険悪ムードで終わりなのっ!?

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