⑦星野さんと神崎さん
「山代って、結構アニメとか漫画とかいけたりする口?」
それはファミレスから出て一緒に駅へと向かう帰り道へのこと。
星野さんが気さくに笑って尋ねてきた。
「え、えっと、そうですね。それなりと言いますか、そこそこ見る方だとは思いますけど」
伊達にぼっちやってない分、かなり見てる方だと自覚はある。けど、それでも謎に防波堤を作りたくなるのが自尊心の低い陰キャというものでして。
「お、やっぱりそうだよね。ねぇせっかくライン交換しただしさ、これからはお互いアニメ好き同士、ちょいちょい話そうよ。ね、いいよね。ほら、アニメ見終わった後って無性に誰かと語りたくなる時ってあるでしょ。特に神回の時とかさぁ、もういてもたってもいられなくなってツブヤッターで感想検索して、やっぱ同じ考察だよねわかるーとか、やりがちじゃん。ね、山代も経験あるっしょ」
「そ、それはまぁ……」
爛々と目を輝かせ、グイグイと押してくる星野さん。これがコミュ強陽キャのパワー、恐るべし。
「というか、うちにとってこんな話周りで出来る人、君以外にいないし。ね、このとーり。うちの行き場のない劣情のはけ口に付き合ってちょーだい」
星野さんが手を合わせて強く頼み込む。
その度々出る誤解を招きかねないセクシャルを匂わす発言は天然なの?。それとも実はわざとで、僕の反応見て楽しんでたりする?
「僕でよければ、いつでも」
「さんきゅー。では早速、山代にはこの漫画の布教から。これさジャケ見た感じだっと、肌色成分高めで本当にこれが服かよってツッコミたくなる、よくありがちな紳士向け漫画の類いに見られがちだけど、実は女の子の友情にスポットを当てた結構熱い物語のシリーズでさぁ。んで、これはそのシリーズの最新作なんだけど――」
星野さんが活き活きとした顔でさっき購入した漫画を見せてくる。これが本来の星野さん――いや、神崎さんといる時の星野さんもきっと星野さんの一つだから、これも星野さん素の一面って方が正しいのか。……ただ、このぱっと見成人向け漫画と見分けがつかなそうなカバーの漫画を星野さんがレジに持っていたのかと思うと……ちょっとシュールかも。
……あれ、というかこの状況。
ひょっとして、都市伝説ではなく実在したオタクに優しいギャルとのラブコメがスタートしたりとか――
不意に最近読んだラノベの設定を思い出し、物語の登場人物とこの状況を照らし合わせて顔に熱を覚え胸をざわつかせていると、
「へ……嘘。マミ、だよね……?」
突如、聞き覚えのある震えた声が、僕達の下に襲来した。
僕と星野さんは半ば反射的に声の方へと顔を向ける。
するとそこにいたのは、唖然とした表情の神崎さんで――
「え、レイ、コ……」
神崎さんとばったり出くわしてしまった。
な、何で神崎さんがこんなところに。
あぁ!? そういえば僕、ライムで現在地を教えていたような……。
え、ってことは何、偶然とかではなく、夜まで待てなかったから、僕を探しに来たとかそういうこと?
確かにここらでアニメイドって言ったらここしかないけどさ、ギャルの行動力の恐ろしさを完全に見余っていた。これが星野さんも尊敬する、やるぞと決めたらぱぱーっと実行しちゃう行動力ってやつですか。
これ完全に僕のせいだぁあああああああ。
と、内心で絶句する僕を余所に、神崎さんは懐疑心で鋭利になった双眸を星野さんへと向ける。
「マミさぁ。今日は外せない用事があるって話だったよね。つーか、何でそいつと一緒にいるわけよ? てか、そのキモイ本はなに? まさかあんたのとか言わないよね?」
ご立腹な神崎さんを前に、絶体絶命の窮地とばかり顔を引きつらせていた星野さんだったが、
「……山代、うち、頑張ってみる」
そう僕にだけ聞こえるようぽつりと呟くと、決意を込めるようにぐっと拳を握って表情をただし、真っ直ぐと神崎さんを見つめた。
「うん、レイコの言うキモイ本はうちのであってるよ。さっきうちが自分で買ったやつ。これ、うちが大好きなシリーズの最新作なんだ」
「は?」
「ごめんレイコ。実は今までずっと黙ってたけど、うち生粋の高校デビューで中学時代はバリバリのオタク陰キャだったの。そんで、ちょっとまたその手の趣味が気になり始めたと言いますか。あ、でもだからレイコ達と距離を置きたいとかそんなわけじゃなく、寧ろ今まで通り仲良くやってけたら嬉しいなと……」
胸に手を当てた星野さんが緊張した表情で神崎さんの様子を窺う。
「ふーん」
腕を組んだ神崎さんは低い声でそれだけ呟いて、
「マミの言いたいことはよーくわかったよ」
「レ、レイコ。わかってくれたの!」
そう言ってこっちに近づいてくる神崎さんを前に、思いが伝わったのだと星野さんの表情がにぱっと笑顔になる。
が、神崎さんは星野さんの前に立ったかと思うと、
「ざけんなし!」
ぱんっと強烈な平手打ちで星野さんが持っていたマンガを撥ね除けた。
唖然となる星野さんに向けて、敵意むき出しの鋭い視線を送る。
「ってことは何。今まであたしがオタクキモイだのありえないだの言ってる度、あんたは笑って賛同してくれるような態度の裏で、実は全く真逆の考えだったってことだよね。同調するフリしてあたしの主義主張を、内心では小馬鹿にしてたと」
「――っ、そんなことは一度も」
「本当? だって、あたしに嘘ついてたのは事実なんでしょう? 自分が快適な学園生活を送るために、あたしを体よく利用してたってのは。こいつ、散々馬鹿にしてきたオタクに言いように使われてるの全く気付いてないでやんの。ウケる――とか、そう心の中であざ笑ってたんじゃないの? ね、はっきり言いなさいよ」
「ち、違う。うち、本当にレイコをそんな風に思ったことなんて――」
「最、低」
この世の全てを拒絶するような、神崎さんのドスの聞いた凍てついた言葉。
それを耳にした星野さんの表情は、絶望を体現するよう、目を腫らしみるみる内に悲痛なものへと歪んでいって、
「……そうだよね。うちってば、最低だよね」
「あ、星野さん!」
嗚咽に混じった声を漏らし、星野さんは逃げ出すように駆け足で去って行った。
「山代さぁ」
そんな星野さんに目もくれることなく、俯いた神崎さんが淡々と呟く。
「あの裏アカの犯人も、あたしはマミだと思うんだけど。あんたもそう思うよね? そりゃあんだけ大好きな趣味をあたしは散々言いたい放題目の前で馬鹿にしてたんだから、あんな恨んでてもそこは仕方ないつーか。けど、あの手口は流石に陰湿すぎて流石に許せないでしょ」
それはない。
星野さんと二人きりで話して、彼女がいかに神崎さんを好きでやまないかがひしひしと伝わってきたからこそ、僕にはきっぱりと断言出来た。
もしあの裏アカを見せた時の怒りが演技だったって言うなら、もうアカデミー賞でも天性の詐欺師でも何なり好きになってくれってレベルだ。
だからだろうか、星野さんを黒と決めつけて終わらせようとしている、ともすればある種の現実逃避に走った神崎さんの態度に苛立ちを覚えずにはいられなくて。
「確かにマミの趣味のこと何も知らないで、オタクキモイだの全否定して無意識の間に傷つけてたあたしにも非があるってのは認める。けど、うちら友達なんだし、はっきり言ってくれば、あたしも少しは考え方改めた可能性だってあるじゃん。……なのに、よりにもよってあんな陰湿なやり方で仕返されたら、もう何も信じられないし……」
そんなどこか罰の悪さを表情に滲ませながらも、プライドのせいか、尚も自分が正しいとばかり傲慢な態度で悪びれずに開き直ろうとする神崎さんを前にして僕は――
――ぷちん。
と、何かが弾けた感覚に陥ったかと思うと、
「神崎さん、今の態度はちょっとあんまりなんじゃないですか!」
気付けば僕は神崎さんに詰め寄っていた。
「はぁ?」
突然駆け寄った驚きからか、一瞬ぽかんと呆けた顔を見せた神崎さんだったが、すぐさま敵意の孕んだ表情で僕を睨み返した。
が、怒りで興奮しているからか、不思議と何一つ怖くなくて、
「確かに神崎さんが裏で友達だと思っていた相手に散々ボロクソ言われてナイーブになってるのはわかります。そこに今回の星野さんの隠し事と、今まで彼女が自分を偽って同調するフリをしてただけと知ってショックを受けていることも」
立て続けにこんなことが起こったんだ。今までの当たり前が全て紛い物に見えてくる。そうなってもおかしくないくらい、神崎さんが心の中で辛い葛藤をしてるのは理解出来る。
でも、
「――けど、このままじゃとんでもない誤解をされても仕方ないといいますか、最悪後悔しても取り返しのつかない事態に発展しても、文句は言えないと思いますよ」
「な、なにさ、あたしが悪いって言いたいわけ。嘘ついてあたしの誘い断ったり、隠し事してたのは、全部マミの方じゃん」
「確かにその通りです。だとしても、はっきし言って、今のは完全に神崎さんが悪いです! 誰もが神崎さんみたく、堂々と思ったことをズバッと口に出来るような強い人間じゃないんですよ。なのに、あんな言い方はないでしょう。僕からすれば最低なのは神崎さんの方です!」
「は、はぁ!? なんであんたにそんなこと言われなくちゃ――」
「だいたい、神崎さんは本気で星野さんがあの裏アカの犯人だと思っているんですか? 星野さんに例の裏アカを見せた時、星野さんどんな顔したかわかります?」
「へ……? それはその……ってか、あんたマミに裏アカのこと喋ったの?」
「星野さんってばそりゃもう自分のことのようにめちゃくちゃ怒ってましたよ。許せないって。そうやって自分のために本気で激怒してくれるような人を、貴女は本気であのクソみたいなアカウントの犯人だと思うんですか?」
僕にはそんな人が居ないから。正直少し羨ましかった。
だからこそ、神崎さんにはその絆を大切にして欲しくて――
「う、嘘。マミがそんなことを……」
「神崎さん。今一度お尋ねします。貴女にとって星野さんは、今でも大切な友達。それは間違いありませんよね?」
「は、はぁ!? だからなんであんたなんかにそんなこと――」
「いいから答えてください!」
それ以外の言葉はいらないと、無言のままじっと神崎さんを見つめて言葉を待つ。
「……ま、まぁ。例えマミが高校デビューでアニオタだったとしても、そこに直接害があるってわけでもないんだし。マミがあたしらのムードメーカーであり、あたしの友達ってことには変わらないんじゃない。……まっ、マミの方はもう既にそう望んではないかもしんないけど」
数秒の沈黙を挟んでそう答えた神崎さんは、罰のわるそうにふいっと顔を背けた。
「よかった」
望んでいた答えが返ってきたことに思わず安堵の笑顔を浮かべる。すると、神崎さんはぽかんとしていて、
「へ?」
「とにかく、乗りかかった身として最大限フォローはしますから。ちゃんと謝る言葉、考えておいてくださいよね。あ、それからこの漫画はしっかり神崎さんの手で返してください」
星野さんの漫画を拾って神崎さんに渡して強く念を押すと、僕は星野さんを追ってその場を後にした。
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