第8話
「一ノ瀬です。」
「一ノ瀬さん。どうぞよろしくお願いします。」
「一ノ瀬さんはお若く見えますけど、歳はおいくつなんですか?」
「19です。」
「…ずいぶん、若いんですね。」
19といえば専門学生か大学生でしょうか。こんなに若くして入院されているとはさぞ辛いことがおありだったのでしょう。華の十代をこのような入院施設で過ごすことになろうとは如何に言っても可哀想でなりません。
「どうして入院になったんですか?」
一ノ瀬さんが尋ねてこられました。
「親に無理やり入院させられて。」
僕はそのまま答えました。ここにいる限り信じてもらえないかもしれませんが、僕はできるだけ自分には非がないというのを説明したいと思いました。
「元々治療について納得がいかないから主治医に尋ねたんですけどきちんと答えてもらえなくて…。例えば『一度病気と診断されたらなんで死ぬまで薬を飲まなければいけないんですか?』とお伺いしたら『今の医学ではそうなっています。』って言われて。『なら僕が病気だっていう確証はどこにあるんですか?数値で出てないですよね?科学的に教えて下さい。』って言ったら『過去に入院しているでしょう?』って言われて。入院した事実と病気って実は必ずしもイコールじゃないんです。精神科の薬は根本原理は麻薬と一緒なんです。だって『飲んだら気持ちよくなる』『飲んだら落ち着く』って作用自体どう考えても麻薬じゃないですか。それに薬自体が病気と同じ症状を引き起こす作用もあって…。入院した事実は薬による影響だってことも十分考えられるんです。そのことを医者に直接言って食って掛かったら入院になりました。」
「なんか…めちゃくちゃ大変だったんですね。」
一ノ瀬さんは僕のやり場のない気持ちをほんの少し汲み取ってくれたようでした。一ノ瀬さんに言いたいことがすべて伝わったかどうかは分かりません。ただ、一ノ瀬さんは僕の言うことを少なくとも、精神科の主治医や両親ほど否定はしていないようでした。自分の気持ちや立場を理解してくれた人がいたことで、僕は気持ちが少し和らぎました。
声を掛けたことをきっかけとして、僕は一ノ瀬さんとしばらく話をすることにしました。一ノ瀬さんは高等専門学校、いわゆる高専に現在在籍している学生さんだそうです。僕は高専についてよく知らなかったのですが、高専とはいわゆる高校と専門学校が一緒になったようなところだそうです。一ノ瀬さんはそこでプログラミングについてお勉強されているようです。
「小森さんは何されているんですか?」
「食品会社でデータ入力の仕事をしていました。会社内の専用のソフトにデータを打ち込んでいったり。あとは社内で使うフォームなんかを作ったり書類整理とか。そんなに難しい仕事ではないですけど働いていました。と言ってもパートですけどね。」
「そしたら退院されたら仕事に戻られるんですか?」
「いえ、戻りません。退職してしまいました。元々辞めようと思ってましたし、入院になってしまったので。」
「そうなんですね。でもまだまだ若いしこれからまたなんでもありますよ。」
まだまだ若い。僕は一ノ瀬さんよりは遥かに年上なので、一ノ瀬さんに「まだ若い」なんて言われると変な気がします。ただ、僕はもう33歳。正直、決して若くはない年齢です。これからまた…なんてあるのでしょうか?33歳の時点で学歴なし。職歴は満足なものは先に勤めたパートの1社のみ。今から就職なんて正直絶望的な気がします。アルバイトくらいなら働き口はあるかもしれません。ですが、正社員としての道はほぼ確実と言っていいほどないでしょう。僕の人生は、この時点でもう終わっているとどうしても考えざるを得ません。一ノ瀬さんの言葉を受けて、僕は渋くて苦い気持ちを自分の中でじわりと噛み締めました。この日一日、僕はただ他の患者さんと話をしただけで終わりました。ただ、話をして終わりました。
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