第2話
2019年の年明けはいつもと違う心地でした。年月を掛けて作ってきたこの生活にお別れを告げようと考えていたのです。僕、小森優太は今年で5年目になるパート勤めを辞める算段をしています。瀬戸内の海に面したこの地方では一番大きな地方都市の田舎の出である僕は、訳あって田舎から街に出て参りました。人並外れた人生で遅くはあるけれども人並みに人生を送ることを目指し、不器用ながらどうにかこうにか前に進んできたのですが、どうにもこうにもいよいよ行き詰まってしまったのです。ここは繁華街から足を少し北に伸ばしたお城に続く通りに面する複合ビルのワンフロア。その一室で僕は退職に向けての相談をしています。
「今年の3月で契約更新なので、そのタイミングで会社に退職の申し出をしようと思っています。」
自分で言うのもなんなのですが、基本的に何事に対しても忠誠心の高い私がまさか会社を退職しようと考えるとは思ってもいませんでした。
「別にはっきり言われたわけではないですし、あからさまにそういった差別を受けているわけではないですが、どうも障害者では正社員は愚か契約社員にすらなれないとそういった見えない壁のようなものを感じます。」
就労移行支援事業所の田山さんは僕の話を黙って聞いていました。僕が障害者として仕事を探し始めてから就職した後も田山さんは定期的に面談して下さっています。
「そろそろ次にステップアップしてもいいかもしれませんね。」
田山さんは私を否定するわけでもなく、会社を悪く言うわけでもなく、次への道を示すことで私に共感して下さいました。
「元々、障害者雇用で入社して、入社当初から数えて3年目までは1ヶ月から2ヶ月に一度急に会社を休んでしまうことがよくあったのは事実です。そして、それは障害者雇用だから元々そういう急に休むことを想定しての雇用だと実際に田山さんからもハローワークの職員さんからも聞いていて、それにすごく自分が甘えていた。これも事実です。」
僕は、自分のこれまでを振り返り、本当に反省しまた後悔をしていました。
「ただ、これは単に私の言い分かもしれませんが、急に休んでしまうのを自分でもなんとかしたいと一生懸命あの手この手で工夫、努力をしてきました。会社から帰宅後、体が全身炎で焼かれたように痛くだるく、身動きできないほどに苦しく、のたうち回る状態で疲れが日々蓄積していくのを感じていました。この痛みがなくなれば、家でゆっくり休めれば翌朝に響くことなく会社も休まずに行けるのではないか、そのように考えていました。だから、体の疲れを取るために思い切ってしっかり湯船に浸かれるような物件に引っ越したりもしました。」
田山さんに自分の思いを吐き出しながら、同時に僕は自身の言っていることが至極自分だけの問題で自分だけの言い分にしかすぎないことを理解していました。
「最終的に会社の目の前のアパートに引っ越して、それでようやく会社に休まずに行けるようになりました。たった往復40分の通勤距離が、他の人からしたらむしろ十分近いと思うこの距離が、私にはどうしても負担だったようです。自分でも本当に情けない話ですけど。」
自分を責めてもどうしようもないのは分かっていて、それでも責めずにはいられない。ただやはり責めてもどうしようもないので、今からできることはやはり田山さんの言う通り、待遇の良い次の職場に移ることのように思います。
「引っ越しをしてから1年程経ちますが、休みや早退は一度もありません。仕事自体もはじめは20分以上かかっていた作業が1分半でコンスタントにできるようになりました。この作業は自分以外に担当しているものがいないので比較自体がそもそも難しいのですが、新入社員の方がオリエンテーションで担当される機会があり、その時はその方は作業に5分かかっておられ、周囲から『てきぱきと仕事をこなす』という評価をもらっておられました。」
僕は決して自分ができる人間とは思っていません。元々、僕が20分かかっていたその作業は初めての人が数回やっただけで5分。これが人としてのそもそもの実力の差というべきものなのでしょう。ただ、それでも僕は自分の担当している作業に誇りを持っていて、1秒でも早くこの作業を終わらせるにはどうしたら良いか、それを必死に考えてこの作業だけは誰にも負けないという気概のもとやってきました。たかがデータ入力、だけどこの分野では世界一になってやるんだと決して大袈裟な気持ちとは思わずに一心不乱に仕事に取り組んできました。水を飲むことさえパソコンが処理中の3秒弱で済ませるようにし、それ以外はひたすらデータを打ち込む。そうやって死に物狂いで達成した1分半という処理時間は会社の方にはあまり響かなかったようです。5分で終われば上等ということなのでしょう。「作業自体はいつでも処理を自動化できる。」「あなたは元々障害者雇用だからいついなくなったとしても大丈夫なようになっている。」が会社の方の常套句でした。
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