略奪恋
色音こころ
第1話
カーテンの隙間から木漏れ日が差し、机の上に置いてあるコップにその半分ほど残った水とその隣にある薬莢が仲良く光に照らされています。少しずつ夏が近づいてきているためでしょうか。まだ午前中とはいえ段々と背中が汗ばんできています。少し寝苦しくなったので、僕はようやくではありますがベッドから起き上がることにしました。時計は午前10時30分過ぎを指しています。気怠い体に少し深めの呼吸でゆっくりと息を吸い込み吐き出して、ケトルの電源を入れお湯を沸かし始めます。今日もまたなんでもないただの一日が始まります。
僕、小森優太という人間は、どうやらこの世の一般的な幸せとは無関係な人間のようです。1986年3月15日生まれ、35歳、魚座。職業、無職。この世から早く消えても大して差し障りないような人間のお手本のような僕ですが、まさかこんな形で恋をしようとは思いもよりませんでした。全く人生どこで何があるかわからないものです。
僕はもうかれこれ丸3年になるでしょうか。外の光を全く浴びていません。朝起きて顔を洗い、歯を磨きます。ごはんを食べ、ゲームをし、寝ます。時たま本を読み、少しばかりの筋トレをする以外にはさして特に何もせず過ごしております。これと言って今の生活には全く不満もなく、お前がそんな風に生活できているのは脛をかじっているからだと言われればその通りだと素直に申し訳なく思います。申し訳なく思う一方でこの生活を変えるつもりはありません。理由は2つあります。
一つは、誰にも迷惑をかけていないからです。一緒に暮らしている家族は私がこういう生活を続けることに十分理解を示してくれています。働いていないことで社会に迷惑をかけているではないかとの意見を頂戴することもありますが、犯罪者の方ほど迷惑はかけてはいないですし、何よりそもそも社会に僕が働ける場所が存在しませんでした。目に見えるわけではありませんが確かにはっきりと「ここから先には入ってこないで」という壁が社会には存在しました。そしてその壁を超える方法を僕はついに見つけることができませんでした。「勤労、納税の義務」を果たしておらず厳しいご意見を頂戴することもしばしばで、やはり本当に申し訳なく思います。ただ同時に「勤労と最低限度の生活を営む権利」をなんとか確保しようと今でも必死にあがいていて、あがいてはいるものの中々どうして上手くはいっていないというのが現実です。現実は辛いとはこのことを言うのでしょうか?働ける場所があれば働きますし、十二分なお給料を頂戴すれば税金も納めます。世間では納税が一種の社会的ステータスのようですので、僕のように満足に納税できないほどに頂けるお給料があまり多くない仕事しか用意されていない人間にとっては、中々に厳しい世の中です。勤労も含め国民としての義務を果たしてみたいという憧れと責任感が強くある一方、それが叶わない現実が長く続きますと世の中それ自体がどうにもこうにも不条理なものに思えてきます。
不条理に思えば自ずと不満も出てきます。例えば、納税の話にしても生活保護の方は満足に国民としての義務を果たしていないので、現状社会において居場所や権利主張の発言権がないとしても致し方ないのでしょうか?もしそうだとすれば、社会において権利を主張するには義務を果たさないといけないのでしょうか?権利と義務は、義務を果たして初めて権利を主張できるような類のものなのでしょうか?だとすれば納税をしていなければ最低限度の生活を営む権利は主張してはいけないのでしょうか?日本国憲法はそれ自体が二律背反を含む欠陥品なのでしょうか?納税は消費税ではダメなのでしょうか?納税額が人より少ないとダメなのでしょうか?そうだとしたら、所得税の負担割合が一番軽い収入の世帯は所得税の負担割合が一番大きい収入の世帯に対して権利主張の発言権が劣るということなのでしょうか?その理論はつまり、日本の民主主義は本質的に“資本主義”でできているということなのでしょうか?お金を一番多く払った人に一番発言権がある、まさに株主総会と言うべきそれなのでしょうか?それとも自分で稼いだお金で納税しないとダメということなのでしょうか?だとしたらなぜ、僕には満足に納税できるだけの収入がある仕事の道がないのでしょうか?
不満は疑問となってとめどなく溢れます。なので僕はこのように思うようにしました。家族がこういう生活をすることに理解をしてくれていればそれでいいと。家族の負担にはなっているけれども社会の負担にはなっていないのだからと。
他方もう一つの理由として、こちらの方が主な理由なのですがもう何かを頑張るエネルギーが僕の中にすっかりなくなってしまっているというのがあります。意外に思われるかもしれませんが、僕はどちらかというと他人と比べてものすごく頑張る方です。目の前にある自分が取り組むべき課題はそれが仕事だろうが家事だろうがプライベートの遊びだろうが常に全力で取り組みます。少し手を抜いたほうがいいと実感したときは手を抜くようにこれまた努力します。とにかく常に全力で「昨日より今日を今日より明日を」を合言葉にして、日々良くなるよう成長できるよう全力前進で常に前に進んできました。その結果として、僕はとても疲れ切ってしまいました。もう頑張りたくない。そしてもっと厳密に言えば「頑張りたくない」という気持ちの問題ではなく、頑張ろうという意思を作り出す根本的なエネルギーそのものが体中のどこにも見つからないというエネルギー不足の問題で、見つからなくても一応毎日毎日必死に探してはみるもののどこを探しても見つからないといった状態になってしまっているのです。もちろん今でも自分の中に「働いていない=悪」のような罪悪感があり、これに突き動かされ焦り、なんとかしようと考えますが体も心ももう動きません。なんとか動けるものなら動きたいのですが、もはや自分でも他人でもどうにもならないのです。気づいたらこんな私は廃人の一歩手前のような気さえしたりします。
さて、そろそろお湯が沸いたようです。緑茶を一杯入れようと思います。ふと脇のカレンダーに目をやると今年も残すところあと数日です。長かったか短かったかで言えばそれなりに濃い一年だったので、世間が言うような今年もあっという間だったということはありません。様々なことがありました。最終的に落ち着くところに落ち着いたのでとりあえず自分で良しとしています。パッポー、パッポー。鳩時計が11時を指しました。あと1時間もすればご飯の時間もやってきます。お茶を飲み終わったらリビングに行ってご飯の支度をしようと思います。家族がそろそろ帰ってくるので。
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