☆8

 果てのない深い闇。全方向、何も見えない。空間がどこまで広がっているのか、見当もつかない。

 闇の中を落ちていく感覚。

 倉庫ビルの最上階から飛び降りて以来、延々と落下し続けている。

 ――あのとき。

「フシギノクニへ!」と叫んだ直後、地面に大きな穴が開いたのだった。

 落とし穴にアリスは飛び込んだ。真っ暗な底なしの穴。

 ふと、宇宙空間を漂っている気分に襲われる。

 身一つで宇宙空間に放り出されたとしたら、こんな感じだろうか。無限大の宇宙を思い、アリスは気が遠くなる。

(早く着かないかな……)

 気が滅入るほどの長いトンネル。ここを抜けさえすれば、楽しい別世界が現れる――アリスはそう信じている。

 止まらない降下。感覚的には三時間くらい。その間、一点の光も見つからない。

 息苦しさ。暗闇に押しつぶされる。無性に明かりが欲しい。

 いつになったら底に到達する? 判らない。答えてくれる人もいない。

 ひとりぼっち。「別世界に行く方法」なんてやらなければよかった。

 あふれた涙が闇へと消える。

 今さら引き返すことはできない。行き先がどこであろうと。たとえ地獄であろうと。

 落下は一向に止まない。光も一切見えない。いつまでも明けない夜。

 暗闇を落ち続け、ひどい憂鬱に襲われる。

 やはり「別世界に行く方法」は失敗したのだ。もう別世界には行けない。現実世界に戻ることも不可能。

 たまらなくなって、アリスは眠ることにした。

 女の人は猫のようによく眠る。そういうふうにできている。

 ママもそうだった。いつもパパとケンカしていたし、いつも寝ていた。

 それにしても、上手く眠れるだろうか? 人は空中でも眠れたりするものだろうか? 落下しながらでも?

(とりあえずやってみよう)

 まぶたを閉じ、両手を組んで胸に置く。

 このまま死んでしまうかもしれない……そんな考えも浮かんだが、すぐに消え去った。さまざまな考えが、現れては消える。

 そうしているうち、とうとう頭の中は空っぽになった。

 空中でも、案外気持ちよく眠れた。


 …………

 相変わらず何も見えない。

 目を覚ましても朝の光は無く、アリスはがっかりする。

 落下はようやく止んだらしい。が、いまだ足は地についていない。

 ゆっくりと廻る身体。浮遊感。手足をばたつかせると、明らかに水の抵抗が。

 ここは、水中?

 深海に沈んだのだろうか。その割には呼吸ができる。水に濡れた様子もない。

 試しに泳いでみる。泳げた。両脚を上下させ、闇を蹴って進む。

 めくらめっぽうに進むうち、ついに見つけた。

 一つの小さな白い点。3等星のような微かな光。

 けれど、この上なくありがたい灯火。大海を漂流しているときに見つけた島のように。

 アリスはわき目もふらずに泳ぎ、向かう。

 近づくと、マンホールくらいの穴が開いていた。闇の世界と光の世界をつないでいる。

 先に荷物を向こう側に押しやる。両腕を通し、アリス自身も続く。

 穴は斜め上に、ゆるくカーブしながら延びている。荷物を手で押しつつ、アリスは這って狭い洞穴を進む。フリルを破かぬよう、注意しながら。

 穴を抜けた。一気に空間がひろがった。

 石畳の広場。野球場ほどの広さ。円形らしい。

 20メートル近い高さの赤レンガの壁。途切れることなく、ぐるりと広場を囲んでいる。ドアや出入口は確認できない。

 天井はなく、白い空が見える。

 誰もいない。広場にあるものといえば、机だけだった。

 円の中心にぽつんと置かれた木製の机。アリスは机に歩み寄る。

 机の上には書き置きが一枚。


 ここより出たくば■■から右へ七つ目のレンガを押せ


 壁に数多積まれたレンガのうちの一つを押し込むと、スイッチが入り、壁の一部がゴトゴト音をたてて秘密の扉が開く――そんな絵を想像する。

 この閉じられた場所から自力で脱出するには、それしか手段がないらしい。

「スイッチのレンガって……どれ?」

 ■■から右へ七つ目。肝心なところが塗りつぶされている。さて、■■とは?

 他とは異なる何か特徴を備えたレンガ。例えば『白いレンガ』。白いレンガから数えて七つ目右のレンガ、というように。

 でも、その特徴がもっと判りにくいものだったら? 例えば『内部に一匹のクモが閉じ込められたレンガ』だったら?

 やはり■■が明らかにならない限り、スイッチのレンガを探すのは困難だ。

 アリスは考える。解けない。

 最後の手段。しらみつぶしに一個ずつ押していく。

 手の届く上限を越えるレンガは、全無視。そんな高い場所にスイッチがあっても、押せないから。

 ただ、20メートルの高さにスイッチがないと、どうして言い切れるだろう。

 悩んでも仕方ない。とりあえず壁に沿って歩きだす。

 立て続けにレンガを押していく。どのレンガもがっちり固定されていて、動かない。

 特徴的なレンガは見当たらない。レンガの周りに隙間さえ見出せない。

 いくら歩いても、パターンのように同じ柄が綿々と続いていくだけ。

 アリスはすぐに飽きてしまった。壁の前で、膝を抱えて座りこむ。

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