☆9
「のど、かわいちゃった」
リュックを開け、ペットボトルの水を取り出す。
せっかく別世界にたどり着いたのに、空港で足止めされた。かと言って、帰ろうにも帰れない。
結局スイッチを探し当てる以外ない。
アリスはのどに水を流し込んで、謎のメモを読み返す。
ここより出たくば■■から右へ七つ目のレンガを押せ
問題は『■■』。塗りつぶされた文字。
そもそもなぜ塗りつぶしてあるのか? まあ、隠すためだろう。ではなぜ隠す必要があるのか? それはやはり、隠さないと、容易に判ってしまうから……?
「あ……」
アリスにとって容易に判ってしまうところ。この延々と続く壁の中で、唯一はっきり「それ」と判るところ。
「そうか!」
アリスは立ち上がって、駆けだす。スタート地点に戻るために。
アリスが這い出たマンホール大の穴。『■■』とは、これではないか?
穴の右端から数えて七つ右の、縦の列。その列に並ぶレンガを、上から順に押していく。
ズズ……。正解。一つのレンガが5センチほど押し込まれた。
アリスは壁を見回す。別段変わった点はない。出口の開く音も聞こえなかった。
「あれ?」
小走りで壁沿いに一周する。レンガの壁はふさがったまま。意地悪くアリスを囲っている。
「一生ここから出られないのかしら」
アリスは肩を落とし、しゃがみこむ。
それでは一体何のためのスイッチだったのか? 迎えを呼ぶためのスイッチだったのか?
それなら待つしかない。来るか来ないか判らない現地ガイドを。
……しばらくして、
(新しいメモが置かれているかも)
机の上に新たな指示は無かった。その代わり、箱が置いてあった。
筆箱っぽい長方形の箱。黒く、紙製。蓋に銀色で『贈呈』と印されている。
贈り物はリモコンだった。菱形の白いリモコン。
ボタンは二つのみ。▲と▼。本体上部には★が緑の光で表示されている。
アリスの小さめの掌に、リモコンはしっくり収まった。
まず▲ボタンを押してみる。
視界が急上昇。高速の展望用エレベーターに乗ったような。
アリスの胴体が真上に向かって、急激に伸びているのだった。
さきほど絶望的な気分で見上げていた壁の頂は、すでに眼下にある。円形の広場は中心へと収縮していく。
いまや壁の外側だって見渡せる。広大な森が、広場を取り囲んでいた。
それにしても、どこまで伸びるつもりだろう?
リモコンの▲ボタンで身長が伸びることは理解した。しかし止め方がわからない。このまま頭が雲を突き抜け、宇宙空間に飛び出すかもしれない。
アリスは恐ろしくなった。
「イヤだ!」
止まった。声を上げたからか。上限に達したからか。
小学生のとき登った地上250メートルの高層ビル。展望台からの景色はこんな感じだった。
巨人と化したアリス。否、巨人というより直立した龍か。身体は縦にばかり伸長し、細長い。強い風が吹けば倒れそうで、危なっかしい。
おそるおそる巨大な右手を持ち上げる。リモコンも(衣服もだが)身体と共に巨大化していた。★の色は緑から赤に変化している。
▼ボタンを押す。予想通り、急降下が始まった。フリーフォールだ。
身体が縮んでいくだけだが、恐怖を覚えた。
「止まって!」
止まらない。叫び声はまったく効果がなかった。どうやら限界まで縮むしかなさそうだ。
頭が壁の頂を過ぎた直後、アリスは気づいた。いま巨大化したとき、壁を跨いで脱出できたことに。
ノーマル目線は、あっという間に通過した。
パルテノン神殿風の巨大建造物――机だろう――の前に立っている。
大樹めいた机の脚。推測すると、下限に達したアリスの背丈は、ミツバチの体長くらいに思われた。
リモコンの★は青くなった。緑の表示がプラマイゼロらしい。
また▲ボタンを押せば、高層ビルの高さに達するだろう。伸び縮みしている最中に止めることができなければ、高層ビルとミツバチをむやみに繰り返すだけだ。
ボタンは二つ。二つだけでできる操作を一通り試すしかない。
▲で急上昇。上昇中に▼を一押し。止まった。
「できた!」
★は赤。緑に戻すべく、まず▼。タイミングを計って▲。少し行き過ぎてマイナス。なかなか難しい。
アリスは伸びたり縮んだりを繰り返す。一時間ほど練習して、やっとコツをつかんだ。もう自由に背丈を変えられる。
リモコン操作をマスターしたところで巨大化し、壁を余裕でまたいだ。壁の周囲50メートルほどまで石畳が続いており、巨大なパンプスを踏み下ろす。
アリスはついに(巨人の姿で)念願の別世界に踏み込んだのだった。
森の樹のスケールに合わせ、元の身長に戻す。壁に沿って一周したが、ぐるりと囲む森に道らしきものは見当たらない。
どちらに進めばいいのか?
アリスは目をつぶった。その場でぐるぐる廻る。どの方向を向いているのか完全に判らなくなったところで、まぶたを開く。
「よし、こっちだ」
正面に立つ樹。その脇を入口とし、森に分け入ることにした。
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