☆6

 玄関のドアを開ける音が聞こえ、アリスは階段を駆け降りた。

「おかえりなさい、パパ」

「ただいまあ。アリスう」

 セイヨクは目尻を下げ、ハグ、ハグ、と言いながら娘に近寄る。正面からがっぷりと抱きつき、犬のようにふんふんと鼻を鳴らした。

 それからアリスの胸を手のひらでぽんぽんと叩き、

「アリスはまだまだ子供だなあ。ハハハハ」と笑った。「すぐご飯作るからね。今日はナポリタンだよ」

「はい」

 ルーティンをこなし、アリスは部屋に戻った。タブレットを手に取り、「別世界に行く方法」についての調査を再開する。

 チアキの話になかった新たな情報も得た。ごく最近、別世界に行くことに成功した人物が現れたのだという。

 10階建てマンションの最上階に住むOLが、窓を開け、南の夜空に浮かぶスーパームーンを眺めていた。

 そのとき隣のビルの屋上に人影を見つけた。ギターケースを下げた一人の少年。月に向かって手を差し伸べていた。少年は突然輝きを放った(何か光るものを身につけているのかと、OLは考えた)。

 次の瞬間、少年は飛び降りた。OLはすぐに110番通報した。警察が駆けつけたが、飛び降りたと思しき地点には何もなかった。

 付近を隈なく捜索したが、少年の姿も、飛び降りた形跡も見つけられなかった。

 これは「別世界に行く方法を成功させた最新の例」であると記されていた。その日付を確認すると、去年だった。

「去年……」

 遠い昔の話ではない。直近の生々しい話。

 ふっと確信が生まれる。だんだん勇気もわいてきた。

 ――本当に、別世界へ行けるかもしれない。

 別世界はどんなところだろう? 変てこな姿の生き物。歌ったり話したりする植物。空を飛ぶ魚たち。鳥に姿を変える魔法使い。美しくて優しい王子様。

 ……が、必ずしも安全で素敵な場所とは限らない。あちらこちらに怖い魔物がうろついているような暗黒世界だったら、どうしよう?

「そのときはそのときよ」

 別世界がどんな環境であっても、ここよりはマシかもしれない。現実世界よりアリスに向いているかもしれない。

 結局別世界に行くことができる人というのは、別世界に向いている人なのではないだろうか。その点において、アリスには(根拠はないが)自信があった。

 具体的に計画を練る。まず時間。

 調べると、今週末にスーパームーンが南の空に昇るのは、21時30分頃。決行は、この時間だ。

 問題は出かける時間。夜はセイヨクが家にいるので、目を盗んで抜け出さなければいけない。日没前に現場で待機している手もあるが、心配になってセイヨクが探しに来る恐れもある。

 考えた結果、21時過ぎに家を抜け出すことに決めた。

 次に場所。夜遅くに出るので、「別世界に行く方法」を実行する場所は、なるべく近所がいい。ある程度の高さがあって、月がよく見えるところ。

 学校、マンション、病院、高圧線の鉄塔……。いくつか候補を上げて、最終的に倉庫ビルに決めた。

 自宅から自転車で五、六分。日中も人影がなく、門が閉まったままの、現在は使用されていない倉庫ビル。

 幼少の頃、外壁に描かれた虹の絵を見るのが好きだった。

 虹の絵。別世界へ行くのに、うまく作用するような気がする。やはり倉庫ビルがいい。

「今晩、下見に行ってみよう」

 家を抜け出すリハーサルも兼ねて。

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