☆5

 学校から自宅まで徒歩十五分。通学路で目に触れるのは、お寺、コンビニ、マンション、保育園、歯科医院、コインパーキングなど。

 途中、通学路と交差して農業用水路が通っている。

 帰り道、水路の手前で、アリスは後ろから呼び止められた。

「やったよ、有澤さん」

 鬼塚チアキ。歯を覗かせ、嬉しそうに、

「ネットで見つけたんだ。別世界へ行く方法」

 アリスの呼吸がひそかに速くなる。

「ねえ、あそこで話そうよ」

 チアキは水路にかかる小さな橋を指差した。

 農業用水路。陽の光をぼんやりと映し、水は静かに流れている。

 橋の上でチアキはバッグを開き、小粒の何かを取り出して、アリスに差し出す。

「はい、チロルチョコ」

 チアキはニコニコしながら、口の中でチョコを転がす。アリスはチョコをなめながら、動悸を鎮めようとする。

 チョコを飲み込むと、チアキはバッグに手を入れ、A4の紙を取り出した。

「プリントアウトしてきたの。別世界へ行く方法。読んでみて」

 紙を持つ手が震えてしまう。小刻みに揺れる文字を目で追っていく。


【別世界へ行く方法】


 第一に、別世界へ行くには、スーパームーンの力を借りなければいけません。

 スーパームーンは、いつも昇る月とは異なる、特別な月です。もともと月は神秘的な力を宿していますが、スーパームーンになるとそのパワーが桁違いに増大するのです(一千倍とも一万倍とも言われています)。

 スーパームーンのパワーを受け、月と一体となったとき、別世界への扉が開かれるでしょう。

 チャンスはスーパームーンの昇る夜のみ。天候によりパワーを十分に受けられない場合もあるため、機会を逃さないよう注意しましょう。


 それでは「別世界へ行く方法」の手順を記していきます。

「別世界へ行く方法」は二段階で行います。第一ステップ、第二ステップと進み、これをクリアすれば、晴れて別世界へと行くことができます。

 第一ステップでは、スーパームーンとの一体化を目指します。

 まず、月が南の空に昇ったタイミングで、ビルの屋上のような高い場所に登りましょう。

 スーパームーンと向き合い、深呼吸をして、心を静かにします。

 別世界に行きたいという思いを、スーパームーンに対し、強く念じます(月まで届くように、できる限り強く)。

 スーパームーンから降ってくる光を受けるように、両手を揃え手のひらを上向けて差し出します。

 次の呪文を三回繰り返し、唱えてください。


 トッキャ・シャチェ・ルビ・ドザーリ・トッラビ・トイホワ


 呪文に反応すると、スーパームーンはさらに輝きを増します。そうして、あなたに神秘的な光を放射します。

 光は体内に浸透し、やがて全身の皮膚から漏れ出します。あなた自身が輝き出せば、一体化は成功です。

 続けて第二ステップ。高所から身を投げます(できるだけ頭を下へ向けて飛ぶこと)。そして地面に到達する直前に、フシギノクニへ! と叫んでください。

 次の瞬間、あなたの身体は現実世界から消え去り、別世界へと転送されるでしょう。


「……どう? 簡単でしょ?」チアキは屈託のない笑顔で言った。

 確かに手順自体はシンプルで、誰にでもできそうだ。

 アリスは首をかしげ、

「実際にこの方法で、別世界に行った人はいるの?」

 うふふと、チアキは意味深に笑ってから、

「そもそもこの方法は、一人の女の子が実行して、成功して、世間に広まったんだって」

 1972年。S県で起きた、不可解な事件。

 15歳の女子、C子(仮名)はファンタジーを愛好していた。その想いが高じ、次第に別世界の妄想にとりつかれるようになっていった。

 ある日C子の前に見知らぬ老婆が現れた。老婆は言った。別世界に行く方法を知っているよ、と。

 後日、C子は別世界に行く方法を実行した。A川にかかる橋の上から身を投げたのだ。

 そのとき現場を目撃した中老の男性がいた。男性によると、不思議なことに、飛び降りた人影は川面に着く前に消えてしまったという。川の水がはねることもなかった、と。

 その後の捜索でも遺体は発見されなかった。男性の見間違いだったのではないかと噂されるに至り、事件は迷宮入りとなった。

「その子が別世界に行こうとしたって、どうしてわかったの?」

「別世界に行く方法を実行する前に、友達に打ち明けたんだって。自宅には書き置きも残されていたみたい。別世界に行くので探さないでくださいって」

 この事件がテレビの番組で取り上げられ、別世界に行く方法は十代の少年少女のあいだに広まった。

「真似する人が続出したそうよ。でも、ほとんどの人が第一ステップであきらめたって。中には第一ステップがクリアできてないのに飛び降りちゃう人がいて」

「それって、どうなるの?」

「やっぱり死んじゃうんじゃない? 普通に」

 チアキはさらりと言った。

 アリスは考える。第一ステップがクリアできたとしても、第二ステップがクリアできなければ、やはり死んでしまうのではないか。

 死とすれすれの、無謀な挑戦。あまりに危険な現実逃避。

「やってみなよ、有澤さん」

「でも……」

「やったほうがいいって」

「うーん……」

「もう!」

 チアキは頬をふくらまし、声をとがらせて、

「言っとくけど、わたしだって本当はゲームをやりたかったのに我慢して、ネットで調べたんだから。有澤さんのために」

「…………」

「やってよ」

「…………」

「お願い。やって」

「…………」

 唐突にチアキは笑顔に戻り、

「知ってる? 今週の土曜の夜、ちょうどスーパームーンが見られるんだって。こんなことってある? タイミング良すぎでしょ。これは運命としか考えられないよ」

「運命……?」

「有澤さんは別世界に行く運命ってこと」

 アリスは困惑気味に、

「……そうかな」

「そうだよ。そうに決まってる」

 チアキはアリスの手を握る。

「ゴー、有澤さん。もう行くしかないよ。わたし応援する。頑張ってね」

「あ……ありがとう」

 アリスは浮かない顔で言ったが、チアキはひどく嬉しそうだった。


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