☆3

 中学校。有澤アリスは別世界ファンタジーに没入する。それがいつもの休み時間の過ごし方だった。

 休み時間における「読書」対「友達との会話」の比率は、およそ9:1。

 現実のクラスメイトより非現実のキャラクターを、アリスは優先した。

 アリスは中学生になって、違和感を覚えた。みんなと違う。だから話しづらい。

 物語の中の変てこなキャラクターたちのほうが、よっぽど気が合う。お互いに解り合えるし、一緒にいて楽しい。

 授業と授業の間のわずかな時間。教室の自分の席から、アリスは物語の世界に入り込む。

 グググ軍の侵攻によって街を破壊され、アリスは両親と兄を殺された。天涯孤独となり、ふらふら荒野をさまよっていた。

 そこへ黒いローブに身を包む男が、いきなり現れた。

「これは何とみすぼらしく、愛らしい少女だろう」

 男はボランと名乗った。また魔法使いであると明かした。

 ボランは大きな怪鳥へと姿を変え、アリスを背に乗せると、大空に舞い上がった。広大な森の奥の開けた場所に、怪鳥は降り立った。

 そこにボランの住み処があった。アリスはボランと二人で暮らすこととなった。

 アリスにとってボランは父親の代わりだった。また、魔術の師匠でもあった。

 ボランの指導のもと、アリスはあらゆる魔術を使いこなせるようになった。

 炎の魔術。風の魔術。氷の魔術。防御の魔術。飛行の魔術。変身の魔術。

 ひとかどの魔法少女となったアリスは、両親と兄の仇を討つ計画を立てた。

 そんな折、ボランがグググ国王と契約し、グググ軍に加担していた事実を偶然知った。

 ボランに問い詰めると、間違いないと認めた。そしてアリスの両親と兄を炎の魔術で焼き殺したのはわたしだと、白状した。

 アリスはショックを受けながらも、怒りに燃える眼差しを向け、ボランに対峙した。

 ボランは落ち着き払って、

「おまえはわたしを殺せないし、わたしもおまえを殺したくない。それでもおまえがわたしを攻撃するというのなら、おまえもまた殺されるだろう」

 アリスは杖を振り、炎を放った。ボランが炎に手のひらを向けると、強烈な突風が吹いた。炎は風に押し戻され、アリスのもとへ逆流してきた。

「熱い!」

 アリスは悲鳴をあげた。背後でどっと笑い声が起こる。

 四名の男子。ゲラゲラ笑っている。前面に立つ生徒の手には、空となったカップ味噌汁の容器が握られている。

 魚介出汁の匂い。白味噌の香り。頭頂部から頬を伝って流れてくる。

 おそるおそる髪に手をやると、べたべたに濡れている。指先に何か触れた。刻みネギとワカメだった。

 魔法少女と魔法使いが対決する白熱のシーンは、突然降りかかった味噌汁災害によって、台無しとなってしまった。

 アリスは泣きもせず、怒りもせず、無言で席を立った。四人の悪童たちに振り向きさえしなかった。

 読みかけの本を手に、周りの視線を浴びながら、教室を出る。トイレに入り、最初に、汚れた本をゴミ箱へ放り込んだ。

 手洗い場で勢いよく水を流し、髪を洗う。味噌の臭いがしつこく残っている。ハンドソープをたっぷりとつけ、髪を掻き回す。

 トイレに響くチャイム音。途端に、悔し涙が数粒落ちた。

 顔を洗ってごまかし、髪を丹念にすすぐ。何でこんなことしているんだろう、と思いながら。

 教室に戻ると、教師とクラスメイトたちの視線が一斉に飛んできた。

 その中をうつむき加減で進み、窓際の自分の席に着こうとする。

「アリス・アリサワ」西郷隆盛似の教師に声をかけられた。「トゥーレイト」

 アリスは目を伏せた。

「チャイムは聞こえただろう?」

 この悲惨な髪は目に入っているでしょう? と、心の中で返す。

「ホワッ、ディジュードゥー。何をしていた?」

 かたくなに黙秘する。

「誰か知っているか?」

 クラスを見渡すが、誰ひとり口を開かなかった。助け舟など、望むべくもない。

「オーライ」西郷隆盛似の教師はアリスに向き直る。

「リッスン、アリサワ。社会にはルールというものがある。社会に生きるみんなが、ルールを守らなければならない。そうしなければ社会が成り立たないからだ。中学校もまた小さな社会だ。一人だけルールを守らないというのは、許されない。小学生のうちはまだ許されたかもしれないが、アリサワ、ユーは今年から中学生となった。ワガママを言える年ではない。ルールを守って、和を乱さないように。ドゥーユーアンダースタン?」

 アリスはうなずいた。

「わかったら席に着いてよろしい」

 授業が再開しても、一切耳に入ってこない。

 ルールを守って、みんなと仲良く。一人だけ、はみ出さないように。

 みんなと楽しくおしゃべりして。みんなが笑うところで笑って。みんなが泣いたら、一緒に泣いて。

 ふと思う。アリスはどうしてここにいるんだろう、と。

 どうしてここにいなければいけないんだろう?

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