第9話 娘達が喜ぶなら多少のことは眼を瞑る
「ソルシュバイン帝国の貴族⋯⋯ですか」
俺達は暴漢の襲撃の後、荒らされた家を掃除して居間でラニから話を聞いている。ただテニばあさんとテラじいさんは突然の出来事で疲れたと言って話の前に自宅へと戻った。
「パパ? そるしゅばいんって何?」
聞きなれない言葉に疑問をもったのかトアが質問をしてくる。
「ソルシュバイン帝国は俺達が住んでいるルナファリア公国の隣にある国だよ」
「そうなんだ」
疑問が解けて嬉しかったのかトアは笑顔で頷いている。
「貴族ですか⋯⋯でしたらラニ様とお呼びしなければなりませんね」
セレナはどこで学んだのか貴族のことを知っているようだ。確かにもうラニのことを呼び捨てにすることはできないな。
「いえ、ユクト様は命の恩人ですし皆様には御迷惑をおかけしましたのでラニのままで良いですよ」
「うん。わかったよラニお姉ちゃん」
「お姉ちゃん⋯⋯いい響きです」
ラニは何やら笑顔でニンマリとしている。
どうやらトアにお姉ちゃんと呼ばれて嬉しいようだ。
本来なら娘達が貴族を呼び捨てにすることを止めたい所だが、本人も良いと言っているのでこのままでいこう。
「貴族か⋯⋯けどラニ姉は見た目も綺麗出し何かオーラがあるからひょっとしたらお姫様だったりして」
「ぶはっ!」
ミリアの言葉に突然レイラさんが飲んでいた紅茶を吐き、派手にぶちまけた。
「ゴホッ! ゴホッ! そんなわけないですよ」
おいおい。まさか本当に姫なのか? 公国に帝国の姫がいて殺されそうになったんだ。これは外交問題になってゆくゆくは戦争⋯⋯なんてことは勘弁だぞ。
「ま、まさか⋯⋯私は男爵家の者ですよ」
「そうだな。皇女様がこんな辺境の村にいるわけないな⋯⋯それで帝国の貴族であるラニが何で公国にいるんだ?」
この話は危険と判断した俺は話題を変えることにする。人間知らない方が幸せなこともあるからな。
「父の使いで公都に用がありましてその帰りに⋯⋯」
公国から刺客が送られたか⋯⋯だがこの少女を殺すことになんのメリットがある? 人質にするならまだわかるが⋯⋯となるとラニを殺そうとしたのは帝国か? もし皇女だったらお家騒動ということもあるのかも知れない。
とはいえこれはあくまで予測にしか過ぎないから真実とは違う可能性もある。
「狙われる覚えはありますか?」
俺の質問にラニとレイラさんは一瞬目を合わせる。
「あります。ただ今回の件で私には多くの護衛がつけられると思いますので⋯⋯それにしばらくは大丈夫だと思います」
一度殺されかけたなら多くの目がラニさんに向かう。そうすれば手を出すのも難しいということなのか。
しかしこれは娘達の前で話す内容ではないな。
「それでこれから2人はどうされますか?」
俺は2人の今後についての話に変える。
「レイラが新しい護衛を連れてくるまでの数日間、ここにおいて頂けないでしょうか」
出来れば娘達を危険に晒すようなことはしたくないが見捨てるなんてことはもっとできない。
それに⋯⋯。
「ラニさんここに泊まるのですか!?」
「ボク達といっぱい遊ぼうよ」
「うわ~い。トア楽しみだなあ」
娘達はどうもラニさんのことが気に入ったようで家に泊まると知って喜びを爆発させている。
年の近い子供がこの村にはいないので一緒に遊べて嬉しいのだろう。
「もちろんいいですよ」
娘達の頼みであるし、治療したとはいえ深傷を負ったラニさんを放り出すようなことはしたくない。
「ありがとうございます」
こうして我が家に初めて1人の少女が泊まることになった。
それにしてもソルシュバイン帝国か⋯⋯まさか俺と
だが見た所ラニとレイラさんは悪い人ではなさそうなので俺の過去とは関係ないだろう。
俺はこれ以上何もトラブルが起きないことを願いながら自室へと向かった。
ラニと今日だけレイラさんが我が家に泊まることになったので、それぞれの部屋を用意する。
そして夕焼けも地平の彼方に沈み始めたので俺は夕食の準備をしている所だ。
「よし! できた」
本日のメニューは焼きたてのパンに森で取ってきた山菜、そしてメインは今日狩りで仕留めた鳥を塩釜焼きにした料理だ。
鳥の肉にスパイスやハーブを振り卵白に塩を混ぜた物で埋めて釜にかける。すると塩が固くなったので叩き割るとハーブや鳥肉の良い匂いが部屋に広がっていく。そして鶏肉を切り分けてお皿によそう。
「う~ん⋯⋯これは美味しそうだ」
だがラニ達の口に合うだろうか。貴族⋯⋯下手をすれば皇族のラニにとっては取るに足らない料理かもしれない。
俺はドキドキしながら夕御飯が出来たことを皆に知らせると、すぐに皆が部屋に集まってくる。
「とても良い匂いがします」
「ボクお腹ペコペコだよ」
「トアも~」
料理は香りも楽しむもの。どうやら娘達と料理のファーストコンタクトは成功したようだ。
「確かに良い香りがします。ユクト様の料理、楽しみです」
「悔しいけど食欲をそそる匂いですね」
ラニとレイラさんの評価も悪くない。
だが本番は味だ!
美味しくなければいくら香りが良くても意味はない。
「「「「「「いただきます」」」」」」
皆の声が部屋に響くとラニとレイラさんはナイフとフォークを使い、早速メインである鶏肉に手をつける。
「鶏肉は今まで何度も食べたことがありますがこれは何かいつもと違うような⋯⋯」
そう言ってラニはフォークで鶏肉を口に運ぶと⋯⋯。
「美味しい!?」
よし! 俺はラニさんの褒め言葉を聞いて心の中でガッツポーズをする。
「旨味がお肉に閉じ込められていてとてもジューシーです」
「お嬢様! この肉についている塩が良い塩梅でまた食欲をそそります」
どうやらレイラさんも料理を気に入ってくれたようで2人のフォークとナイフはどんどん進んで行き皿はすぐに空となる。
「とても美味しかったです」
「私もこんなに美味しいご飯を食べたの初めてです。明日以降、ユクト殿の食事を食べることができないのは残念です」
「お粗末様です。お二人の口にあって良かった」
ラニとレイラさんの表情からするとお世辞という訳でもなさそうなのでひとまず安堵する。
「お肉は勿論のこと山菜は新鮮でしたし、パンは⋯⋯バターがいつもと違って美味しかったです。何か特別なバターを使用しているのですか?」
「いえ、何の変哲もないバターです」
「本当ですか? 私がいつも食べている物とは⋯⋯」
「ただ⋯⋯」
「ただ?」
「このバターは出来立てのバターですから、ふんわりした舌触りで味もさらっとしていて食べやすいですね」
「そうなんですか。今度家の料理人にお願いしてみます」
俺もこのバターを初めて食べた時は感動したものだ。
「ユクト様は料理がお上手なんですね」
「それはパパだからご飯が美味しくて当然だよ」
ラニの問いにミリアが答えてくれるが全然理由になっていなかった。
「料理の称号を持っているからな」
「そうなんですか⋯⋯私はてっきり⋯⋯」
ラニは何かを言いかけたが口を閉ざした。おそらく称号のことが気になるけど聞けないといった所か。
こうして美味しい物を食べながらの夕食は和やかに終わり、各自部屋へと戻るのであった。
コンコン
俺は新しく用意したラニの部屋のドアを叩く。
「はい⋯⋯どうぞ」
ラニから許可を得たので俺はドアを開けるとそこにはレイラさんの姿も見えた。
「お風呂の準備が出来たので入って下さい」
この後レイラさんにもお風呂のことを伝えに行こうと思っていたのでラニの部屋にいてちょうど良かった。
「ユクト殿ありがとうございます。では案内して下さい」
「レイラ⋯⋯一緒に入りましょう」
どうやら2人でお風呂に入るようだ。貴族は侍女に身体を洗わせると聞いたことがあるから特段おかしなことではないな。
俺はラニとレイラさんを引き連れて風呂場へと向かう。
「それにしても素敵な部屋ですね。正直な話辺境の村の一軒家にお嬢様を泊めるわけにはいかないと思っていましたが⋯⋯いやはや部屋の広さといいこれは下級貴族の家と言ってもおかしくない作りですよ」
「そう言われると建てた身としては嬉しいですね」
「えっ? この家はユクト殿が立てられたのですか?」
「ええ⋯⋯木材や大理石の材質を選び1から家を作りました。ここは辺境なので都会のように大工さんはいませんから」
人に頼むとわざわざこの村まで来てもらわなくてはならないからお金もバカにならない。それならその分のお金を家の材質に拘りたかった。
「それにこの家には多くの魔道具が使用されていますよね?」
ラニも家について疑問を持ったようで質問をしてくる。
「天井に付いている明かりは勿論ですがたぶん外壁にも⋯⋯」
「部屋の中の気温を一定に保つよう調整する魔道具を使っています」
ブルク村は冬になると寒波に見舞われるからと助言を受けたからな。
「まさかとは思いますがそれもお一人で?」
「はい。なるべく無駄な出費は抑えたかったので」
2人はユクトの言葉に絶句する。
「神聖魔法が使えて魔道具も作製できる称号なんてあるのでしょうか?」
「おそらく称号を複数持っているのではないでしょうか。けれどユクト殿は料理の称号もお持ちなんですよね」
2人は何か話しているがおそらく称号のことだろう。
だが答えるわけにもいかないので俺は黙っている。
「ではこちらが脱衣所になりますので。タオルはこちらの籠にあるのを使って下さい」
目的の場所に到着したので俺はこの場からすぐに立ち去ることにする。
称号の件もそうだが、これから浴室に入る女性の前にいつまでもいるのは良くないと思ったからだ。
こうして2人を浴室に案内するという任務を終えた俺は先程使った食器を洗うために台所へと向かった。
「はい、これで終わりだよ」
俺は台所へと向かうと食器はすでに娘達に洗われ片付けられていた。
セレナが洗剤で洗い、ミリアがお湯で流す、そしてトアが布巾で拭くという見事なコンビネーションで素早く終えたようだ。
「3人ともありがとう。助かったよ」
俺はお手伝いをしてくれた3人に感謝の気持ちを伝える。
「パパは今日いっぱい頑張ったから」
「片付けはボク達に任せてよ」
「この後マッサージをしますね」
娘達は本当に良い子に育ったな。母親がいないから子育てに悩んだ時期もあったがどうやらそれは杞憂だったようだ。
「マッサージって⋯⋯相変わらずセレナ姉はエロいね」
「エロ!? てミリアは何を言ってるの! 私は純粋にパパの疲れを取ろうと⋯⋯それにマッサージなら今日あなた達もテラおじいさんとテニおばあさんにやったでしょ!?」
「そうだっけ? ボクは過去は振り返らない主義だから忘れちゃったよ」
恒例のセレナとミリアのじゃれあいが始まった。
ちなみにトアは既に俺の背中に回り、肩をトントンと叩いてくれている。
「あっ! トアちゃんずるいです!」
「セレナ姉が変なことを言うから」
「それはミリアでしょ!」
今日も我が家は平和だ。
娘達のやり取りを見てそう思っていたその時。
「きゃあ!」
突如甲高い声が聞こえてきたので俺は娘達を自分の腕の中に匿う。
「今の声は⋯⋯ラニか!」
何が起こった!? まさか昼間襲撃した奴らが戻ってきたのか!
だが索敵は常に行っていたが特に怪しい気配はなかった。いやただ単に俺が敵を見逃しただけなのかも知れない。
そうだ⋯⋯俺は冒険者としてはCランクまでしか行けなかったんだ。それなのに油断するなんて100年早い。
自分がまだ未熟者だということを改めて自覚する。
「パパ⋯⋯今の声は⋯⋯」
セレナが不安そうに問いかけてきた。いやセレナだけではない。ミリアとトアの表情も固く、昼間の奴らのことが頭を過ったのか俺にしがみついている。
「このまま浴室まで行くぞ。大丈夫⋯⋯3人は俺が護るから安心してくれ」
「「「うん」」」
娘達は俺の声にしっかりと頷く。
良い子だ。こういう事態で何より怖いのはパニックになることだ。もし娘達がパニックになってバラバラに逃げ始めたりしたらさすがに護るのが難しくなる。
俺は娘達と一緒になるべく急ぎなから浴室へ向かう。だがおかしなことに気配はラニとレイラのものしか感じられない。
どういうことだ? 敵はもう撤退したのか?
「ラニ姉達大丈夫かな」
ミリアは心配そうな声を上げるがそれは俺にもわからない。
脱衣所に着いたが、争っているような音は聞こえない。聞こえるのは水の音だけだ。
「3人はここにいてくれ」
俺の言葉に娘達は頷く。
浴室で何が起きているのか⋯⋯2人の安全を考えるならもう迷っている暇はない。
そして俺は勢いよく浴室のドアを開けた。
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