第3話

 両手にスクールバック。片方が自分のもので、もう片方が気絶してしまった女子高生(名前はまだ知らない)のものだ。

 そして、背中にはその女子高生がぐったりと背負われている。

 いや本当に、これは仕方ないことだったのだ。やましいことなどない。なんならできるだけ体を触らないように最新の注意を払って背負せおっている。


 まず彼女が倒れた時、呼吸と脈拍みゃくはくを確認した。

 専門的な知識はほぼないが、素人目しろうとめに見ても安定してたので、救急車は呼ばなかった。

 倒れた時は頭からではなく、膝から崩れ落ちるようにたおれたので、特に外傷はないようだった。

 次に、彼女が出てきた部屋のインターホンを押したが、誰も出てこなかった。

 うちの家族も不在なので、保護者を頼る手段がそこで断たれた。

 タクシーで学校に向かうことも考えたが、気絶した女の子と乗り込む絵面(両方とも制服)を考えると、犯罪臭がすごかった。

 通報されるのが怖かったため、タクシー移動は断念した。


 最後に残されたのは、おんぶだった。

 だから仕方なかったんだ! 俺は悪くない。犯罪者じゃない。

 当たってるのはわかってる。でも不可抗力ふかこうりょくじゃないか。そもそも気絶してる人に対してそんな事を考えるなんて最低だ。最低だぞ!

 意識するな俺。意識するんじゃない!

 男、薄城うしろゆき、決意を固めろ!

 俺は歯を食いしばり、マンションのエントランスを出た。




「つ、着いた……」

 校門に辿り着いたのは九時過ぎくらいだった。俺のマンションから学校の最寄りまで四駅程度なので、歩いて行ける距離だった。

 初登校がこんなに過酷かこくなものになるとは思ってなかった。やばいな東京。

 とりあえず、俺は未だ気絶状態の彼女を保健室でろして行かなければいけない。そのあと職員室へ行き、担任に会いに行くことになる。

 うわぁいやだ。本当にやだ。

 編入初日から遅刻してくる生徒なんて俺なら関わりたくない。

 俺は憂鬱ゆううつな気持ちを押さえつけながら、校門を通り過ぎた。






 ナニコレ。

 俺は今、理解不能りかいふのう理不尽りふじん危機的ききてきな状況に立たされていた。

 目の前には、保健室の田中先生、担任となる社会科教師の遠藤先生、そして教頭の馬島まじま先生、校長の鹿島かしま先生が四人横一列に並んでいる。机を挟んで向かいに俺が一人で座っている。そして、先生四人衆よにんしゅうの後ろ、俺らが今いる面談室の出入り口をふさぐように、非常に肩幅の大きいマッチョな先生が立っていた。マッチョ先生の名前はわからないが、見た目からして体育教師だろう。先生方は田中先生は穏やかな、遠藤先生は心配そうな、馬島先生は険しい顔をしていた。鹿島校長は、なぜか目をつむっていた。

 改めて現状を確認するとナニコレという語彙力ごいりょく皆無かいむな感想しか湧いてこない。

 一体どうしてこんな状況になってしまったのか。簡潔に事実だけをまとめるとこうなる。


 俺、保健室にたどり着く。

 保健室で気絶女子高生を先生に預けようとする。

 田中先生に事情を聞かれる。

 特に説明を考えていなかったためめちゃくちゃどもる。

 田中先生が内線でどこかに電話をかける。

 ここで事情を正直に話す。

 保健室のドアが開き、マッチョ先生に取り押さえられる。

「誰だお前!?」を計五回ほど言われる。

 そこに遠藤先生、馬島教頭、鹿島校長が突入。「場所変えるぞ」と言われ、初めから無抵抗のままなのに連行される。

 全員が席につく。


 何がいけなかったんでしょうか。俺には一切わかりません。本当に、何が悪かったのか。

 先ほどから沈黙が面談室を支配していた。

 会議は踊りも進みもしない。そらそうよ。俺こんなに気まずい空間人生初だよ。


 丸々一分間ほど経った時、最初に口を開いたのは遠藤先生だった。遠藤先生とは入学手続きの時に一度会っている。なので、この中で一番信頼のおける人が喋り出してくれて救われたような気がした。

薄城うしろくん、あったことをそのまま教えてくれる?」

 遠藤先生のおかげで俺は落ち着きを取り戻し、そのまま事の細かな経緯いきさつを話す。

 田中先生は穏やかな表情のままうんうんと頷いており、遠藤先生はメモを取る。教頭は微動びどうだにせずじっとこちらを見つめている。そして校長は、やはりなぜか目を閉じていた。


「っていうことがあったので、学校に彼女をおんぶして遅刻してきました」

 俺が事の顛末を全て話し終えると、遠藤先生はペンを置いて「OK! ありがとう、ちょっと待っててね」と言って、先生四人衆を連れて面談室を出て行った。どうやら最後の審判が下されるらしい。


 面談室には、マッチョ先生と俺だけが取り残されていた。

 ……気まずい。

 先ほど取り押さえられたアレコレもあって非常に気まずい。

 俺が目を逸らすためにうつむいていると、マッチョ先生はわざわざ俺の目の前に座り、喋り出した。

「さっきは、すまん。生徒にふんした不審者ふしんしゃって連絡を受けてたとはいえ、生徒に対し乱暴な取り押さえをしてしまった」

 なんと謝罪だった。想定外の発言に、声が漏れそうになる。何だマッチョ先生、めっちゃいい人じゃん。というか田中先生、俺のこと不審者だって通報したんだ……。そりゃ連行もされるよ。

「あーいや、別に大丈夫っすよ。怪我けがもないんで」

 そう返すと、マッチョ先生はほっとした表情になった。

「そう言ってくれると、助かる」

 何だか高校にきて初めて穏やかな空気で会話ができているような気がする。これだよコレ! 大人同士の対等な関係みたいなコレ! 俺が高校でやりたかったのはコレなんだよ! 異端審問いたんしんもんなんてやりたくないんだよ!


 しばらく二人でゆったりとしたペースで雑談していると、「おまたせ〜」と言いながら遠藤先生だけが帰ってきた。マッチョ先生は少し名残惜しそうに定位置に戻っていった。何だあの人、かわいいな。


「それじゃ、結論を話すね?」

 改まって遠藤先生が言うので、俺は背筋を整え、「はい」と返す。

「まず君は、君がおんぶしてきた女子生徒に何か心的外傷しんてきがいしょうを与えるような行為をしたのではないかという疑いがあったため、今ここでお話を聞かせてもらいました」

「はい」

 確かに、俺も危惧きぐしていた通り、気絶した女子を連れた男という図は色々おかしいし、疑いを持たれても仕方がないと思う。

「それでね、ひとまずは気絶してた女子生徒の証言がないと判断できない、そうでないと公平性がない。そういう結論になりました。だから、君がいい人なのか悪い人なのか、現状では保留ほりゅうということになりました」

「はい」

 現状の俺には無実を証明するすべはは何もない。だからこそ、先生たちの出した判断は、俺にとっても非常にありがたいものだった。いや本当に、遠藤先生には感謝しかない。

「薄城くんには、今日のところはとりあえず帰ってもらって、今日中には連絡するから、明日以降はそれ次第で。ってな感じで、どう?」

 遠藤先生は手元の紙から顔を上げて俺と目を合わせる。俺は首を縦に振り、「それで、お願いします」と答えた。おそらくこれが、俺にとっても、全員にとっても最善策さいぜんさくだ。疑わしきは罰せよ、なんていう高校じゃなくてよかった。本当に。

 遠藤先生は余程よほど心配だったのか、ぱぁっと笑顔になると、「よかったぁ......! じゃあ、また夕方ね! 電話番号かメール教えてもらえる?」矢継やつばやに言うので、それまで張り詰めていた教室の空気が一気にゆるむ。


 そして、それから三十分ほど後、俺は無事、校門の外に出た。

 よかった、何も失わないで。

 その喜びだけを噛み締めて、俺は冬空のもとでくるり、と回った。

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