高校生女子、異世界で油圧ショベルになっていた。
くれは
前編 出会い
鳥のさえずりが聞こえる。風に揺れる葉擦れの音も。どこかでせせらぎのような音もする。
そこでわたしは目が覚めた。わたしはどうやら森の中、土の上に立っているらしい。でも足の裏に伝わる土の感触がおかしい──いや、おかしいのはわたしの足の裏? それに体が硬い気がする。
丸まった体を伸ばそうとしたら自分の腕が自分の腕じゃないみたいだった。違和感に体を揺らすと「うわっ」と声が聞こえた。
誰かがわたしの
混乱して、わたしは
わたしのバケットの脇に立っていた人は黒い長い髪を後ろで束ねた男の人で、高校生のわたしよりは少し大人みたいだった。見慣れない感じの、もっと言うなら漫画とかでよく見るような、ファンタジーっぽいイメージの服を着ている。うん、漫画みたいだ。
その人は蒼い瞳でわたしの姿を見て、困ったような顔をした。何か言いたそうな、でも何を言ったら良いかわからないような。
わたしも同じ気持ちだ。自分の感覚が自分じゃないみたいで、さっきからずっと戸惑っている。何かを言いたくても言葉が出てこない。比喩じゃなく本当に声が出てこない。喋ることができなくなったみたいだった。
もっと言えば、目覚めてから自分の体を認識した限りでは、どうやらわたしはショベルカー──油圧ショベルというものになっているんじゃないかという気がした。
いや、意味わかんないから!!
わたしの叫びはホーンの音になって山の中を響き渡った。たくさんの羽音とともに鳥たちが飛び立っていった。
わたしのホーンの音量に男の人はしばらくぽかんとしていたけれど、やがてはっと鋭い視線を周囲に走らせた。
わたしのシューが地面から振動を感じる。五、六人くらいだろうか、大柄な人たちがこちらに向かってくるのがわかった。森の中、歩きにくいだろうに早足で。
「なんだあれは!」
「あいつだ! あの脇に!」
「生死は構わん、あのわからんものごと攻撃しろ!」
少し離れたところで叫び合う声がする。すぐ後に何かが飛んできて、ばちん、ばちん、とわたしの車体にぶつかって跳ねて落ちてゆく。男の人がわたしのバケットの陰に身を隠す。
飛んできたのは、どうやら矢のようだった。油圧ショベルになったわたしの体は矢を跳ね返しはしたけれど、ぶつかる痛みは感じた。気分は良くない。
矢を射かけているのは二人、他に三人がこちらに向かってきている。
なんの話し合いもなく攻撃されたこと、生死は問わないという不穏な言葉、そんなものがわたしを突き動かした。つまりこのまま何もしなければこの人は殺されちゃうし、わたしだって壊されちゃうかもしれないってことだ。
わたしはバケットをそっと動かして、身を隠しながら様子を伺っていた男の人をそっと抱え上げた。男の人の体が倒れ込むのをふわりと受け止める。どうやらこのバケットはかなり繊細な動きができるらしい。
驚いた顔の男の人を抱え上げて、飛んでくる矢から守るようにわたしはバケットを高く上げる。キュキュキュ、という音はすぐにギュギュギュという音になって、最後にはギュルンギュルンという音とともにシューが回転を始める。
体が震える。シューが土を噛み締める感触に、興奮が背中を駆け上ってくるような心地がした。背中ないけど。
こちらに向かってきていた人たちは、わたしが急に動き始めたからか「うわあっ」と化け物でも見るような顔で後ずさった。うん、どいてくれると助かる。人を轢きたくはないから。
弓を構えていた人たちもぽかんとした顔でこちらを見ている。今のうちに、とわたしは走る。叫ぶ声が聞こえて、わたしはバケットを一層高く掲げる。下から矢を射られても、バケットに当たって跳ね返るように。中の人を守れるように。
そしてそのまま、わたしは男の人を抱えて逃げ出した。
油圧ショベルは一般的な自動車ほど早く走れるわけではないらしい。でも、人が走るよりは早い──と、思う。それに人と違って疲れないし。ずっと一定の速度で走ることができる。ガソリンはどうなっているんだろうと思ったけど、走れている間は考えないことにした。
ただ、この大きさだと木に紛れるのは難しい。走るとそれなりに音もするし。それに、わたしが通った後には立派な
こんなの見付けてくださいと言わんばかりだ。すぐに追いつかれるかもしれない。
「このまま真っ直ぐ。小川がある。そこを遡ってください」
バケットの中から声がした。咄嗟に意図が汲み取れなかったけど、もしかしたらこの人はわたしに話しかけてくれているんだろうか。
その人はバケットの中からわたしの車体を真っ直ぐに見て、言葉を続ける。
「あの……もし、俺の言葉がわかるなら、何か……合図はできますか?」
合図。そうか、喋れなくても合図ができれば意思疎通できるのか。でも何でやれば。何か──考えて、アームにライトが付いていることに気付いた。わたしは瞬きするようにライトを点灯させた。
男の人が、眩しげに目を細めてライトを見上げた。
「その光が合図でしょうか」
(そう、そうだよ、気付いて)
そんな気持ちでライトをちかちかとさせると、男の人はほっとしたように微笑んだ。
「良かった、通じる」
ずっと驚いた顔か厳しい顔をしていた男の人は、そこで初めて柔らかな表情になった。目を細めて笑っていると穏やかで優しそうな顔だった。でもどこか少し物憂げなところもあって、それが大人っぽくて、わたしのエンジンが回転を早める。
それはでも、全力で逃げているせいかもしれない。こんな状況で緊張してるだけかも。それとも、意思疎通ができて嬉しかったせいかも。
自分の感情を整理できないでいる間に、その人はまた厳しい表情に戻ってしまった。
「まずは助けてもらったお礼を言いたいところですが、先にどこか落ち着けるところに行きましょう。事情もその時にお話しします。すみません、もう少しだけ」
その言葉に頷くように、わたしはライトを点滅させた。
その先で、わたしは小川を踏みにじることになった。環境破壊している気分になって、心の中でごめんなさいと呟きながら、車体の幅より少し広い小川の中を進む。小川の水が濁って、わたしの足回りもひどく汚れてしまった。
途中、何度か小川から上がってわざと轍を残してはまた小川に戻る。そうやって何度目か、今度はせっかく遡ってきた小川を少し戻ってから砂利の岸辺に上がる。細かな石がシューの隙間に入って気にはなったけど、その人の言うままにわたしは進んだ。
そこから、岩場を越える。険しい道で、その人はバケットから降りてくれた。それでわたしはバケットを支えに進むことができた。ショベルカーというのは、なかなかどんな道でも進めるものらしい。
人が登るのに大変なところは、わたしが先に登ってバケットを降ろしてその人を抱え上げた。
その先にあった洞窟のような場所に入り込んで、ようやく一息つく。わたしは息してないんだけど。
「あの、まずはお礼を。あなたのお陰で助かりました、ありがとうございます」
その人は真っ先にそう言って、わたしのバケットをそっと撫でた。泥だらけになったバケットのその場所は、矢じりが当たった傷が付いていた。かすり傷だと思って気にしていなかったけど、そんな風に優しく撫でられて、わたしはアームを小さく震わせてしまった。
「あ、すみません、あの……」
わたしの震えをどう受け取ったのか、その人はぱっと手を引いて、それからわたしの車体──操縦席の方を見上げた。
「あなたがどういう人……人? 人なのか? 動物? そもそも生き物なのか?」
ぶつぶつと言って少し言葉を途切れさせた後に、気を取り直したようにまた話し出す。
「ええと、ともかく! どういう理由であの場所にいたかは存じませんし、どういうつもりで俺を助けてくれたのかもわかりませんが、俺が今無事なのはあなたのお陰です。俺は何も……今は言葉しか返せませんが」
そう言って、その人は恥じ入るように目を伏せた。
状況はわからない。けど、一人でたくさんの人から逃げている。もしかしたらこの人が悪い人で追われているという可能性だってあると思うけど、この人はずっと油圧ショベルなんて見た目のわたしに対しても礼儀正しく接してくれた。いきなり襲ってきた人たちに比べたら、わたしの好感度はずっとこの人に傾いている。
だから話を聞くつもりで、わたしはライトを点滅させた。
その人は、眩しそうにわたしのライトを見上げて、それから深く頭を下げた。やっぱり、この人は良い人だと思った。
ラーシュさん、という名前らしい。
不正の証拠を調べるという密命のために、領主のところに潜入していたのだと言った。その密命をわたしなんかに話して大丈夫なのかと心配したけど、わたしの心配はラーシュさんには届かない。
でもよくよく考えたら、ラーシュさんにとってわたしは行きずりの油圧ショベル。言葉も話せない、生き物かもわからない謎の相手。ぬいぐるみ相手に話しているようなものなのかもしれない。
だからわたしは大人しく、相槌のために時々バケットを小さく揺らしながら、ラーシュさんの話を聞いていた。
ラーシュさんは領主のところで信頼されるようになるまで働き、不正の証拠を無事手に入れることができた。それで脱出、というところで、手伝ってもらっていた相手に裏切られた。そこを逃げ出したところでわたしを見付けた、と、どうやらそういうことらしい。
「巻き込んでしまってすみません。日が沈んだら、俺は闇に紛れてここを去ります。あいつらの目的は俺だから、俺が別に行動していると知れば俺を追いかけてくるでしょう。あなたはその後、この場所から逃げてください」
そう言った後、物憂げな微笑みを浮かべて、わたしのアームを見上げてわたしのバケットを優しく撫でた。男の人の大きな手。高校生女子の感覚では硬くて骨ばった手だけど、今のわたしの車体からすれば、柔らかくて暖かい。わたしは抵抗できずに、その手を受け入れてしまった。
ラーシュさんはわたしの車体を眺めると、バケットから離れてシューの傍で身をかがめた。そのまま手を伸ばして、わたしのシューの隙間に入り込んだ小石を取り除いてくれた。
びくり、とアームを揺らしてしまった。
「俺のせいで、すみません」
そう呟きながら、優しい手付きで小石が取り除かれる。かがんで、シューの中を覗き込んで、時折、わたしの車体に手を付いて、その体の重みに顔を伏せたくなってしまう。顔ないけど。
「もっと綺麗にしてあげられたら良いんですが」
やがて、ラーシュさんはそう言って、背中を伸ばしてわたしの車体を見上げた。わたしはもう、ラーシュさんの優しい手の感触にいっぱいいっぱいで、バケットをふるふると揺らすのが精一杯だった。
そんなわたしに微笑んで、ラーシュさんはわたしから離れようとした。
「すみません、日が沈むまで少し体を休めます。すぐに起きますので」
そう言って、硬い土の地面に座ってごつごつしてそうな壁に寄りかかって目を閉じようとするラーシュさんに向かって、わたしはライトを点灯させる。
ラーシュさんはやっぱり良い人だと思う。こんな、油圧ショベルなんてわけのわからない状態になったわたしにも礼儀正しいし、優しい。わたしを人として扱ってくれる。わたしもラーシュさんに何か返したい。
眩しそうに目を細めてわたしを見るラーシュさんの前で、覚悟を決めて操縦席のドアをそっと開いた。少し、震えてしまっていたと思う。だって、こんな風に誰かを受け入れるなんて初めてのことだったから。
戸惑いと驚きの入り混じった表情をしていたラーシュさんが、真剣な顔をして立ち上がるとわたしに近付いてくる。
「良いんですね?」
静かにそう確認して、ラーシュさんはわたしの車体に手をかけて、中に乗り込んできた。
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