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ジュワッと音が響く。あちこちに散らばったねずみ花火の火花のせいで、繭玉が呆気なく燃えてしまったり、焦げてしまったりしている。
あれだけ武器を持っていた村人たちは、半狂乱状態になって、必死でねずみ花火を踏みつけて消そうとしているが、ねずみ花火の動きは不規則だ。それが繭玉にまで火花を飛ばすものだから、武器を持っているどころじゃないと、角材やら石を放り投げて、消火に回っている。
その中でも全く空気を読まない花月だけは、煙草を吸いながら暮春にひょいとなにかを投げる。
まさか自分も放火魔の仲間入りしろと言わないだろうなと警戒していたが、花月が投げたのはタオルであった。
花月は煙草を噛んだまま言う。
「今の内に桃井を手当てしてやれ。俺は煙草吸ってるのに手当てしたら可哀想だろ」
あんたが煙草を消せば済む話だろ、とは暮春も思ったものの、彼女が煙草を吸いながら油断なく眺めているものを見て、察した。
彼女がずっと視線を外さずにいるのは、雛を羽交い絞めにしている人間だ。どっちみち雛を助け出さないことには、儀式ができない。
なんで煙草を吸うことが雛を助けることになるのかはわからないが、村人たちが花火に気を取られている間しか桃井を助けることもできないだろう。
ねずみ花火のせいで髪が焦げた匂いが篭もる中、花月のタオルを受け取った暮春は、そっと桃井の近くで膝を突いた。
「桃井くん桃井くん、生きてますか?」
「……う……暮春、さん……?」
口の中を切ったのか、口からはダラダラと血を出してはいるが、そこまで深く切った訳ではなさそうだ。そのことにほっとしながら、暮春は止血のために石をぶつけられて割れた頭の止血をする。こちらも見た目よりは傷口は浅いことに、心底ほっとした。
痛そうに桃井が顔を歪めつつ、少しだけ曲がった眼鏡越しに雛を見上げる。
「あの……俺のことはいいんで……雛さんを……」
「わかってますよ。そちらは花月先生にお任せしましたから」
「……あの、花月先生、ずいぶんと場慣れしてますが、なんなんでしょうか? ホラー小説家って皆そういうものなんですか……?」
止血されながらそう言う桃井に、暮春はだろうなあと思う。あの小説家、出かけるたびになにかしらのトラブルに巻き込まれるが、その対処法が毎度毎度、乱雑なのだ。
しかしホラー小説家の中にはあくまでホラーは仕事で、オカルト体験が苦手な人も流血が本当に駄目な人もいるというのに、零感というのを抜きにしてもどうしてここまで花月が冷静なままなのかは謎である。
「花月先生だから、ですかねえ……?」
「……本当に失礼な話ですけど、花月先生は本当に女性ですよね?」
「性別上は、女性のはずです。はい」
弱いと躊躇がなくなる。判断をひとつでも誤ったら死ぬからだ。そう考えれば花月がここまで物事の判断が乱雑な理由にも説明がつくが、得物を携えた村人たちまで冷静に立ち回る様は、彼女は鉄でも食って生きているんじゃと思わずにはいられないのだった。
花月は煙草を吸いつつ、紫煙をくゆらせながら、雛を羽交い絞めにしている村人を見る。雛を捕まえて儀式を阻止しなければいけないはずなのに、ねずみ花火のせいで辺り一面パニック状態だ。
おかしい、ここは普通に半狂乱になった観光客を繭玉にして、そのままおしら様に捧げる場面だというのに。自分が村人だったらそう思うだろうと、暮春は幾ばくか同情の念を向けてはいるものの、それは自分たちの安全が確保されているからできる余裕だろう。
やがて、花月は動いた。指で煙草を掴んで「なあ」と村人によって言ったのだ。村人は顔を引きつらせて後ずさりする。
「いい加減、そいつを離せよ。どっちみちこの状態じゃ儀式はできねえ。俺はこのまんまでも構やしねえが、雛かお前ら、どっちかの儀式が完了しないと、どっちも困んじゃねえの?」
「お、お前がいなかったら、滞りなく儀式は終えられたんだ……! お前さえ、いなかったら……」
「ふーん……でもさあ、少し変だなあと思ったんだけど、言っていいか?」
そんな悠長な、と暮春は突っ込むが、花月の投げたねずみ花火はちょうど村人が置いた得体の知れないご神体のほうにまで火花を飛ばしたがために、パニックを起こした村人たちが、ご神体のわずかに焦げた部分をどうするか泣いている。
「これ……! 新しいご神体を……!?」
「いや、しかし! このご神体には既におしら様が……!」
「新しいご神体なんて用意したら、おしら様からどんな天罰が!」
あれだけ恐ろしかったはずの村人たちが完全に縮こまってしまっていて、だんだん気の毒になってきたものの、彼らはただ雛を守っていただけの桃井に暴力を振るったのだから、迂闊に同情もできない。
どうにかタオルを縛って固定し終えた暮春は、桃井をどうにか起こしていた。汗で湿った体は、気の毒なほどに冷えてしまっていた。それはただ逃げ回ってかいた汗だけではなく、殴る蹴るされた際にかいた冷や汗のせいだろう。
暮春がどうにか桃井を起こしている中も、花月は「いやさあ」と言葉を続けていた。
「どうして雛を殺さないんだ? そもそも雛を殺せば、儀式できねえだろ」
「ちょっと、花月先生! いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるでしょ!?」
思わず暮春が悲鳴を上げると、花月が煙草を暮春に向ける。
「そうなんだよ。普通は言わねえ。でもさあ、こっちはうちの旅の連れがゾンビにされかけるわ、多分ガイドの姉ちゃんか? それが繭玉にされてるわ、桃井が殴り殺されるところだったわと、明らかにバランスが悪いんだわ。でもこいつら、裏切者とか呼んでる雛のことは絶対に手を出さねえの。あれだけひっでえことしてんのにさあ?」
花月の言葉に、暮春は押し黙る。
たしかにバランスが悪い。村人は儀式を執り行うために、手段を選ばなかった。そもそも自分たちは火事で宿を追い出されたのだ。あれだって結局なんだったのかはわからないが、現状証拠からして、自分たちを宿から追い出して、桑の木人形の餌食にしようとしたとしか思えない。
そこまでやっているのに、何故か雛は無事なのである。彼女はわざわざ私有地である場所に侵入しても、怒られることはあっても殴られたりしない。儀式だって執り行おうとしているが、儀式の邪魔をしたいんだったら、さっさと雛を殴り殺すなどすればいいのに、していることと言ったら拘束だけなのだ。
村人は声を荒げる。
「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 黙れ黙れ黙れ……!!」
とうとう雛を取り押さえていた村人は、半狂乱になって雛を放り出すと、そのまま花月に殴りかかった。それに彼女は「あぁあ」と言う。
彼女はピンと未だに赤く火を灯した煙草を放り捨てて、暮春のほうに振り返った。
「……あと頼んだ、暮春」
「ちょっと、花月先生……!?」
相手を挑発しまくった花月に、村人の握りこぶしが当たる。彼女は逃げることもなく、そのまま拳を受け入れる。たしかに挑発を続けたのは花月な上、言動があまりにも一般女性から外れているからといって、殴っていいもんじゃないだろう。暮春は悲鳴を上げかけたものの、桃井は暮春から借りた肩から外れて、慌てて放り出された雛のほうへと走っていった。
「雛さん……!!」
「……暮春さん。申し訳ありません、私のせいで……あの、花月さんが……」
「……花月先生が、助けてくれたんだと思います。彼女が突破口を開いてくれたんです。早く、儀式を」
桃井のほうが、よっぽど花月の意図をわかっていた。そのことに少なからず暮春は反省しつつ、村人たちが言い合いをしている中、角材のひとつを手に取った。
角材の上のほうに、タオルを一枚無理矢理縛り付けて、殴られている花月の捨てた煙草を拾い上げる。ここには油もないし、火が付くかわからないが。何故か花月としきりに続けていた松明のトークのことを思いながら、雑誌の特集の監修を頼んだアウトドアの先生の言葉を思い返しながら、タオルに煙草の火を移す。火は思っている以上に早くタオルに引火し、火は赤々と燃えた。
その火に気付いた村人たちが、言い争いを止めて顔を引きつらせる。
暮春は花月のように声を荒げることも、挑発することもできない。だが、さっさと村人たちに退去してもらわないことには、なんのために彼女が殴られたのかわかりゃしない。
「全員、出て行ってください。俺たちは火を持っていますし、最悪の場合、このご神体に火を付けます」
正直、暮春だってこの得体の知れない神と言っていいのかどうかさえもわからないものに、近付きたくなんてない。だが、ご神体が焦げただけでも半狂乱になった村人たちだ。これを燃やされるとなったら、話は変わってくるだろう。
実際問題、花月がさんざん暴れてくれたせいで、こちらはヤバい連中だと判断されているし、脅迫だけじゃなくって本当にすると思われている可能性が高い。いったい彼女はどこまで計算して暴れていたのだろう、それとも行き当たりばっかりで運よくここまで事を運んだんだろうかと、横たわっている花月を横目で見て、暮春は溜息が出そうになるのを堪える。
村人たちは全員顔を見合わせた。
雛を再び拘束されないよう、桃井が彼女の盾になっていた。落としていた角材を拾って、タオルから滲んだ血をものともせず。
ここまで脅迫して、それでも数の力でゴリ押しされてしまったら、その時点で自分たちの負け、詰みだが。
花月がさんざん好き勝手をしてくれたおかげか、ひとり、またひとりとご神体を持って、震えはじめた。
「おしら様」
「おしら様、許してください」
「おしら様」
「おしら様、本当に勘弁してください」
「おしら様」
「おしら様」
「おしら様」
全員がおしら様のご神体の木を抱えると、そのまま一斉に逃げ出したのだ。
彼らが脅えたのは、花月が暴れたから。暮春が脅したからというよりも。おしら様のご神体を万が一燃やされた場合、本当に天罰が下ると信じたゆえに思えた。
あれだけ罵声と怒声で包まれ、なにかの腹の中というような不気味な気配はどんどん遠ざかり、残されたのは暮春と雛、桃井。そして殴られて横たわっている花月に、大量の腐った匂いを漂わせている繭玉だけであった。花月は先程の半狂乱になった村人に殴られて、頬を腫らした上に、口を噛んだらしく血を吐いている。
「あー……ひっさびさに殴られたわぁ……あっちが単純でよかったぁ……ここでもっとカルト教団よろしく、『ここは我々の故郷だぁぁぁぁ』みたいに、製糸場に火を付けて暴れられたらどうしようかと思ってたけどなあ……」
天井を仰ぎながら、花月は独り言のように言うことに、暮春は顔を引きつらせる。
「……花月先生、大丈夫ですか? すいません、松明つくったのでタオルがもうないんですが」
「ヘーキヘーキ……つうか、暮春。お前やっぱ松明つくれんじゃねえかよ。早くつくってご神体に向かって脅迫すりゃ、あいつらももうちょっと早くいなくなったのに、俺殴られ損じゃん」
花月がそう言って頬を腫らしたまま、「おいしょ」と起き上がるのに、思っているより軽傷だったことに、暮春は心底ほっとする。
暮春は繭玉におそるおそる近付き、指を差す。
「あの……これどうしましょう? 先程花月先生も、ひとつは穀雨さんではとおっしゃっていましたけど……残りは全部、その……」
「あいつらもおしら様の天罰のほうが怖いって思ったから、ご神体持って逃げる以外のことは全部頭から飛んだらしいなあ。いいから全部燃やそうぜ。ひとつくらい生きてたらラッキーってことで」
知り合いが腐り落ちているところなんて見たくないし、間違って火だるまになったりしないだろうか。そうビクビクしながら、暮春はそれぞれの繭玉に火を付けた。
ひとつ、ふたつは卵の腐った匂いが充満し、とろけた中身が出てきたことに、暮春は「ひいっ……!!」と悲鳴を上げるが。残りひとつからは、寝間着を着て気絶しているほのかが転がり落ちてきたのには、心底ほっとした。
花月がぐっしょりと濡れているほのかの首筋に触れる。
「……ん、繭玉に入れられたけれど、死んではいねえみたいだな。ちゃんと脈もあるし、息もしてるわ」
「はあ……よかった……ほんっとうによかった……」
まだなにも終わってはいないのだが、暮春からしてみればひと仕事終えたような感覚である。というより、中年は徹夜は堪える上に、運動し過ぎてしんどい。
暮春と花月で、どうにかしてほのかの無事を確認している隣で、ようやく雛は風呂敷を解いていた。
先程のご神体よりは小さいが、たしかに桑の木でできたご神体。それが羽織っている絹布に指を引っ掻けた。
ようやく、儀式が。
──魂鎮めの儀式が、はじまる。
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