午前零時:魂鎮めの儀

 雛はとあるベッドタウンで生まれ育ち、なんの面白みもない日常を送っていた。

 おじいちゃんは神社の宮司で、おばあちゃんはお母さんと一緒に社務所でお守りやら絵馬やらを売っている。お父さんはベッドタウンから出て会社員として働いている。

 雛はお祭りのときにだけ、巫女装束に身を包んで神楽を踊ることはあったものの、それはお祭りを盛り上げるため、地域貢献に近いものであって、巫女としての不思議な力を持っている訳でも、お祓いの力を心得ている訳でもなかった。

 しかし、彼女が巫女として旧蚕月村へと出かけては、毎年毎年魂鎮めの儀を執り行うようになったのには、ちょっとした訳がある。

 彼女にとっての始まりは、おしら様に出会ったことであった。


「父さん、さすがにこれ以上は体に障るから、そろそろ辞めたほうが……」

「いや、誰かがしないといかん。あれをそのまんまにしていたら、いったいどうなるか」

「ですが、あそこにこれ以上関わるのは……妻や雛には、絶対に関わらせないでくれよ」


 毎年毎年、夏から秋へと切り替わる頃、お父さんとおじいちゃんが口論することに気付いたのは、雛が小学校最後の夏休みを迎えている頃であった。

 その口論のあと、おじいちゃんはなにも言わずに急に行方をくらませていたことに、彼女はようやく気が付いた。

 毎日毎日、朝と夜にきっちり神棚にお供えをし、祝詞を唱えている規則正しい人が、その日に限って行方不明になり、ひどく憔悴して帰ってくるのである。

 普段は優しいおじいちゃんは、その前後だけはひどくピリピリし、怖くておばあちゃんやお母さんに「おじいちゃんどうしたの?」と聞いても、ふたりとも困った顔で首を振るだけであった。

 悶々としていたある日、学校で昔のことを調べてみようという授業があった。

 おじいちゃんやおばあちゃんに昔の話を聞いて、今とどう違うのか調べてみたり、ご先祖様がなにをやっていた人なのか調べてみようという授業内容で、雛はようやく自分の家の神社はおじいちゃんの代で引っ越してきたものだということに気付いた。


「おじいちゃんは、引っ越す前はどこに住んでたのー?」

「もうなくなったんだよ」

「どうして?」

「偉い人に、新しい住むところを用意してあげるから、そこに引っ越すように言われたからだよ」


 おじいちゃんの物言いは巧妙で、嘘は言っていないが本当のことも言っていなかった。

 雛はそれをメモ取っていたところで、テレビにローカルニュースが映った。


「今年も神社では魂鎮めの儀式が執り行われています」

「養蚕を行っている地方では、代々おしら様に感謝と来年も無事一年過ごせますようにと祈りを込めて、祈祷を捧げられるのです──」


 そのニュースに雛がなんとなく視線を向けていたとき、普段は物腰柔らかなおじいちゃんが乱暴にチャンネルを替えてしまった。

 時代劇の再放送がはじまり、おじいちゃんは硬い声で言う。


「ほら、うちの話はあまり面白くないから、もっと面白いことを調べてみなさい」

「う? うん……」


 有無を言わせない物言いに、雛はそう返事をするしかできなかった。

 それから雛は、当たり障りのない内容を、授業で発表したが。

 授業で発表した子、発表した子が似たり寄ったりした内容を言っていることに気付いた。


「おじいちゃんの代で引っ越した」

 「昔は養蚕をしていたけど畳んだ」

  「あまり昔のことは教えてもらえなかった」

 「どこかの殿様に絹を奉納していた」


 どうも自分たちの先祖が住んでいた土地から、なにかの形で追い出されたらしいということがわかったが、それだけだ。授業で発表されたが、それ以上のことはなにも言われなかった。

 気付いたら、六年生の途中だというのに、授業をしていた先生が急な転勤でいなくなってしまい、雛のクラスは皆なんでと首を捻ったものの、それ以上なにもわからなかった。

 ただ雛は、口を閉ざすおじいちゃんに、なんらかの圧力がかかっていなくなってしまった先生と、得体の知れないものを感じていたある日。

 それは枕に立ったのである。

 いつものように風呂に入り、早めに眠った中「雛」と声をかけられて、彼女は目が覚めた。

 その声は、低くもなければ高くもない。女なのか男なのかも定かではない。そもそも雛が声と認識していても、それが声なのかさえも怪しい、不可思議な音をしていた。

 そもそも雛の住む町は外灯がほとんどない。だから電気を消してしまったら朝まで真っ暗なはずなのに、彼女も枕元は気のせいか発光していた。

 そのぼんやりとした明かりを、びっくりして雛は辺りを見回す。ぼんやりとした明かりは、鱗粉であった。彼女の枕元に、鱗粉を振り撒きながら、なにかが立っていたのである。

 人間のような姿をしているが、人間は浴場でもないのに裸で人前に立たない。おまけに背中からは透明な羽が生え、そこからチリチリと発光する鱗粉を撒き散らしているのだ。


「だ……だれ?」


 雛はこの得体の知れない存在に、ただ呆気に取られていた。

 その発光した存在は、ゆっくりと声らしき音を奏でた。


「蚕月村に還っておいで。生糸を持って織り込んで、それを返しておくれ。皆が皆、いらないものをくれるから厄介だ。宮司だけが腹を満たしてくれるけれど、これじゃあ私はいつまで私なのかがわからない」

「え……宮司って……おじいちゃん……?」

「還っておいで、ここも悪いところではないけれど、誰も私に見向きもしないからね。腹が減った。これじゃあ満足に動けない」

「え……え……?」


 言っている意味はわからなかったし、さんげつむらなんて場所初めて聞いたし、何故かこの発光している人はずっとグルグルと腹の虫を鳴らしている。

 これが夢か現かわからないうちに、ふっつりと辺りに撒き散らされた鱗粉は消え失せ、その得体の知れない存在もいなくなってしまった。

 闇が満ち、気付いたら彼女の意識は途切れた。次に目が覚めたのは朝だった。

 昨日のあれはなんだったんだろうか。

 夢か、現か。

 祝詞が響いてくる。おじいちゃんは既に拝殿にいるのだろう。

 わからないままに、朝ご飯を食べに行く。そのことをお父さんとお母さんに言ってみたら、ふたりとも顔を青褪めさせてしまった。

 おじいちゃんと喧嘩しているとき以外は温厚そのもののお父さんは、そのときばかりは顔を引きつらせて、雛の肩をギリギリと音が立つほどに掴んだ。

 雛は「ギャッ」とも「キャッ」とも悲鳴を上げられないまま、強張ったお父さんの顔を見る。


「いいか、雛。このことを絶対におじいちゃんに言うんじゃないぞ……!」


 いつかのおじいちゃんのときと同じだった。有無を言わせないような、強い言葉。

 雛は瞳に涙をためて、首を縦に振ること以外、その場を収める術がなかった。

 しかし、その日からあの訳のわからない存在は毎晩毎晩、雛の枕元に立つようになった。

 何度も枕元に立たれ、幼い雛は眠れなくなってしまった。

 夢か現実かわからない日々が続く。

 体は日を追うごとに重くなり、その体を引きずって学校へと向かう。でも眠ってしまえば、あの存在は必ず出てくる。

 学校でうたた寝したときでも。風呂でぼーっとして天井を向いて眠ってしまったときも。宿題をしている中、休憩中に寝落ちてしまったときですら。あの存在は現れて、「還っておいで」と訴えてくるのだ。

 その日もあの羽の生えた透明な人からいろんなことを言われたが、小学生の雛にはなにをそこまで訴えているのかがさっぱりだった。

 せめて水を飲んでから寝ようと、頭の働かないままあくびをかみしめ、廊下を懐中電灯を持って歩いている中、カタンカタンという音が響くことに気付いた。

 そういえば、雛の家には一室だけ、絶対に入るなと言われている部屋があった。雛はそこをおそるおそるその部屋の戸を薄く開けて覗いたとき。

 おじいちゃんが一生懸命、機械の音を立てているのが見えた。

 縦糸を機械に引っ掛けてピンと張り、そこに横糸を通していく。

 カタンカタン。

 それらが通っていくたびに、たるみなくよどみなく布が織られていく。それはどこかで見たことがあると思ったら、「つるの恩返し」のクライマックスで、つるが自分の羽毛を使って布を織る場面に似ていることに気が付いた。

 カタンカタン。

 おじいちゃんは布を織っている中、懐中電灯の光に気付いたのか、ゆっくりとこちらを見た。怒ることもなく、いつもの優しいおじいちゃんのままだった。

 雛はおろおろと懐中電灯を後ろ手にしたが、おじいちゃんは手招きをして「こっちへおいで」と言うので、おそるおそる中へと足を踏み入れた。


「おじいちゃん、これなに?」

「おしら様に、新しいおべべをつくっているんだよ」

「おしら様……?」

「……蚕月村の神様だよ」


 あの透明な人が頭に浮かび、何度も何度も「還っておいで」と言われたことを思い返す。

 お父さんには何度も「このことは絶対におじいちゃんに言うな」と言われていたものの、雛はこの夢をどうにかしたかった。彼女は何日も連続で枕元に立たれて、眠くて眠くてしょうがなかったのだから。

 おじいちゃんは黙って雛の話を聞く。しばらくしてから、ようやく口を開いたのだ。

 何度雛が疑問に思っても決して教えなかった、前に住んでいた村の出来事を。

 廃村になってしまった、蚕月村で起こった惨劇を。

 蚕月村で毎年行われていた魂鎮めの儀式。それは村で祀っていたおしら様に感謝を捧げるのと同時に、神が反転しないようにするための儀式であった。

 一度でも途切れれば、村を脅かした「敵」も、儀式を怠った村人も、そして村の儀式を取り仕切っていた宮司にも、天罰が下る。

 おじいちゃんは何度も何度も本社に訴えたものの、本社は既に製糸場のオーナーに金で懐柔されていた。なによりも市や県まで巻き込んでいるのだから、誰もがそれを表に出さなかったのだ。

 故に、天罰が下った。

 儀式を怠ったとして、おじいちゃんは呪われてしまった。口からはときおり生糸を吐き出すようになり、毎晩のようにおしら様に枕元に立たれて「還っておいで」と急かされるようになった。

 何度も何度も枕元に立たれるようになってから、さすがにおかしいと思っていたところで、蚕月製糸場から逃げてきた男性を拾ったのだ。

 彼は既に壊れてしまい、かろうじて話は聞き出せたものの、それ以上はまともにしゃべれることはなく、病院に搬送して、そのまま亡くなった。

 彼を弔ってから、ようやくおじいちゃんは魂鎮めの儀式を執り行いに蚕月村まで戻ったが。

 もう、なにもかもがおかしくなってしまっていた。

 村に住んでいた人々は、皆、繭玉に取り憑かれてしまっていた。その繭玉は凶悪で、餌認定した人々を自身に取り込むと、そのままおしら様の前に横たわり、供物にしてしまうのだ。

 これではおしら様はますます凶悪になってしまい、この地を穢してしまう。

 さすがに製糸場のオーナーも、従業員たちがどんどん原因不明の凶暴さで暴れて作業が中断してしまうからか、製糸場は廃止されたものの、頑なに土地を手放すことはなかった。

 そりゃそうだ。県や市にまで金を流して買い取った土地で、みすみす損などしたくはない。

 今度は大々的な広告を付けて、観光地にした。そしたら村人たちがこぞって観光地で働きはじめたのだ。

 村人たちが観光地を訪れた客を餌にしようとしていると気付いたおじいちゃんは、隠れて儀式を続けるようになった。

 村人たちがこれ以上凶悪にならないように。おしら様がこれ以上凶暴にならないように。

 いたちごっこだとはわかっていたものの、悪いのはこの土地を無理矢理買い取ったオーナーだけであり、村人たちが他所からやってきた人々を供物にしていい訳がない。

 雛は、その話をおじいちゃんから聞いていた。

 絵本ではときおり生贄やら供物やらの言葉が飛び出すことはあったが、まさかそれが現存しているなんて誰が思うだろうか。


「雛……」


 今思っても、これは呪いであった。

 お父さんが神社を継ぐことなく、サラリーマンをしているのも、両親やおばあちゃんが頑なに話をしなかったのも、これが原因だろう。

 おじいちゃんは雛の頭を撫でながら告げたのだ。


「もし、おじいちゃんが儀式を続けられなくなったら、雛が続けるんだよ?」


 雛は首を縦に振った。

 それから、雛の枕元におしら様が立つことはなくなった。

 この話をして安心したのか、おじいちゃんが亡くなったのは、それからしばらくしてからの出来事であった。

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