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 女性は花月の持ってきていた予備のTシャツで縛り上げられた。本当なら荷造り用の紐やガムテープでもあったらよかったのだが、ないものはしょうがない。そもそもそんなものをツアーには持ってこない。


「あのう……花月先生、繭玉を燃やさないんですか? たしかにこの人、他の桑の木人形みたいに意思疎通ができない訳ではないみたいですが、繭玉未だに彼女の首裏にいますけど……」


 あれだけ恐ろしかったというのに、花月のやらかしたことのほうがよっぽど怖かったのか、燃やされたくないと思ったのか、あれだけたむろしていたはずの桑の木人形はすっかりとなりを潜めてしまった。あれだけ澱んでいた空気が少しだけ薄らいだのは、桑の木人形を使役している女性以外、見当たらなくなってしまっただろう。

 花月はマイペースに製糸場付近で拾ってきた角材に火を移していた。それを持って「あっちあっち」としながら、手作りの松明づくりに躍起になっている。


「うーん、今度お前んところの雑誌に誰でもできる松明づくりでも特集したほうがいいんじゃねえの?」

「うちの雑誌、監修がいるんですよ。誰かが真似して事件が起こったら責任取れないんで、誰でも真似できることは基本的に特集しません。松明づくりなんて却下に決まってるじゃないですか」

「あっそ、そりゃ残念」


 大して残念そうでもなく嘯きつつ、ようやく女性に視線を落とす。念のためなのか、それとも尋問のためなのか、花月は煙草に火を付けて、くゆらせはじめた。

 煙に心底嫌そうに顔を歪める女性を眺めながら、花月は口を開く。


「でさー、さっき雛とかいう村の子から、話はいろいろ聞いたんだけど。お前らの目的ってなに? おしら様に俺らを供物として差し出すこと? 観光客を餌にして大丈夫な訳? それともこれは土地のオーナーは既に知ってることかあ?」


 それに暮春は「花月先生?」と眉を寄せた。そもそも村の連中がどうして私有地であり観光地になったここで働いているのかも、おしら様の儀式を執り行っているのかも、雛の説明だけでも、ここに書かれている蚕月村の歴史だけでも、ちっともわからないことではある。

 それを聞き出すことが、儀式を終了させる鍵になるとも、暮春には思えなかったが。

 女性は苦々し気に言う。


「オーナー? 私たちの土地を取り上げて、未だに返さない泥棒じゃない」

「ふーん」


 花月はそれを聞くと、ちらっと暮春を見る。暮春はますます困惑した顔で、花月を見ていた。

 自分がこの土地のオーナーであったら、さっさとこんな曰く付きの場所を手放して、二度と関わりたいとは思えなかった。花月のあまりにもアカン物件に悲鳴を上げ、彼女を引きずり回してまともな物件を借りれるように不動産屋をハシゴしたことがある暮春は身を持って思っているが。

 そもそもこんなことを聞き出して、なにか得られるとは思えなかった。

 花月は紫煙をくゆらせながら、雲で覆われた空を仰ぐ。


「どこもかしこも、一番おっかないのは人間だよなあ……まあこいつのことはいいや。そろそろ桃井と雛のほうに行こうや」

「って、これだけ大立ち回りしておいて、質問これだけでよかったんですか!?」

「他を聞いても、まどろっこしいこと言って引っ掻き回すくらいしか、こいつもしねえと思うしなあ。それより桃井のほうが心配だよ、俺は。こいつもよそ者に躊躇しなかったんだし、ましてや頭のカチンコチンに凝り固まった人間なんて、鉄よりも頑固だよ。そもそもよそ者だったらナニやってもいいって思ってる連中しかいねえから、桃井も生きてるといいんだけどなあ」

「怖いこと言わないでくださいよ……! いくらなんでも、桃井くんが可哀想ですよ」


 年が相当離れているとはいえど、雛を気にかけていることは傍から見ていても明らかだった。村人が今ここに縛り上げた女性みたいな感性をしていたら、同じ村出身の雛すら危害を加えかねない。そうなった場合、あの善良な青年がどんな行動を取るのかは、だいたい想像が付く。

 暮春の悲鳴を「ふーん」と間延びした返事をする花月は、煙草を加えたまま、鞄を背負い直す。


「人の惚れた腫れたに口出しすんのは、馬に蹴られて死ぬしかねえけど。こればっかりはどうにもならねえと思うけどなあ」

「ええ……?」


 暮春の声に花月は答えることもなく、すっかりと人気のなくなった製糸場の正面出入口へと走っていった。暮春は振り返ると、忌々し気な顔をした女性に、気絶したまま転がっている桜の姿が目に入った。

 自業自得で桑の木人形と化していたとはいえど、さすがに寝冷えは可哀想だと思い、手持ちのタオルを彼の背中にかけておくと、そのまま花月についていった。

 製糸場は昼にも増して、おぞましい気配が篭もっている上に、明らかに腐臭が漂っている。霊感はない花月でも、さすがに腐臭は判別できるらしく、「くっせえ……!」と彼女が声を荒げるのに、暮春は慌てて「しい……っ!」と人差し指を突き出す。


「ここから先は、お清めの塩が効くかどうかもわからないんですから。あと煙草が効くとも思わないでくださいよ」

「まあなあ……桃井、無事だといいんだけど……ん」


 非常ランプの青白い光の中、製糸場の奥へ奥へと突き進む中、だんだん腐臭以外に、生臭い匂いが漂ってきたことに気付いた。

 花月は顔をしかめる。


「ほんっと、ろくでもねえなあ。人間は」


 吐き出すように言った彼女の視線の先には。


「……桃井くん……!!」


 血を流しながら横たわっている桃井の姿と、村人たちから羽交い絞めにされている雛の姿があった。


「ふたりとも、逃げて……!!」


 雛は羽交い絞めにされてもなお、必死で風呂敷にしがみついて離そうとしない。


「おしら様にこんなみじめな布はふさわしくないだろう! それより、さっさと供物を……」

「あんな太いの、おしら様の口に合わないだろ。繭玉にすることもない。今まで通り、繭玉だけでも捧げて」

「なんか細っこいのがふたり来たよ、あの太いのよりは供物にしやすいだろうけど……今回本当にろくなもんが来なかったね」


 どの顔も、土産物通りで見た顔であった。彼らはもう、花月や暮春を客を見る目でなんか見ちゃいない。

 供物になるか、ならないか。その目でしか見てはいない。

 暮春の肌全体が冷たくなり、鳥肌が立ち、血の気が引いていくのがわかる。花月は心底不愉快そうな顔で煙草を咥えたまま、暮春を見る。


「一応聞いておくけど、あいつらひとりもぬめぬめした繭玉に憑かれてねえよな?」


 舌が回らず、喉からもヒューヒューとしか息が出ない。しかし首だけは動くものだから、暮春でも首を縦に振ることだけはできた。

 花月はいつもの調子で「ふーん」とだけ答えて、冷たい目で村人たちを見る。

 村人たちは石やら角材やらを持っている。いったいこの村は何年単位で時が止まっているのか、暮春にはもう計算ができない。

 ここはたしか、昼間にほのかに解説された繰糸場だったか。ここには雛が持っている風呂敷以外に、先程見かけた人の大きさほどの繭玉が三つに、雛が見せていた桑の木でできたご神体よりも倍はある木があった。

 その木は服は着せられてはいない代わりに、無造作に絹糸がぐるぐると巻かれているように見える。だが。

 暮春にはそこから、グルグルと音が鳴っているように聞こえるのだ。最初は風鳴りかと思ったが、今晩は夜風は吹いていない。次は鳴き声かと思った。蚕が鳴くのかは知らないが。

 だが、この気配には覚えがあった。最初に製糸場に入ったときに、なにかの生き物の腹の中に入ったような気味の悪さを覚えたのだ。そして今、ご神体かなにかもわからない絹糸の中。そこからは、あのときに感じた気味の悪さを凝縮したような気配がある。

 ……今聞こえている音は、鳴き声でも、ましてや風鳴りでもない。

 腹の音だ。ずっと腹を空かせているという……この村で「おしら様」と呼んでいる存在だ。

 一応暮春は花月ほどでもないが、オカルト雑誌の編集のためにオカルト情報はそこそこ仕入れてはいるが、これは蚕の神と言っていいのかもわからないなにかだ。

 そもそも、こんなものを祀っていて、この村今までどうして存続できたんだ。

 逃げないといけない。

 暮春の生存本能が、一刻も早くこの場から離れろとずっと警鐘を鳴らし続けているが、それと同時に恐怖が、彼の動きをせき止めていた。

 こんなものから、本当に逃げ切れるのか。こんな神と言っていいのかもわからないものから、本気で逃げ出せるのか。喉から怖気が走り、今すぐにでも吐瀉物を吐き出したくなっているが、それすらも凝り固まった体がせき止めていた。


「……ふーん、お前がここまで固まるって、そこまでの代物なのかね」


 鳥肌を立て続け、冷や汗だけをダラダラと垂らし続けている暮春を見て、花月は冷静にそううそぶく。

 村人たちは、角材やら石やらを持ってきて、手にはありえないほど大きな、ねちゃねちゃと糸を引く繭玉を肩に乗せてやってきた。


「さっさと繭玉にしろ、そしておしら様に捧げるんだ!!」

「今年こそは成功させる!」

「雛は?」

「さっさとその風呂敷を取り上げろ! そしてふん縛って転がしておけ! それでも逆らうなら、繭玉でも埋め込んでおけ!」


 とてもじゃないが客商売をしているとは思えないほどの荒々しい口調でやり取りを交わしている。

 多勢に無勢。ここにいるのはもやしの編集者と小説家であり、この連中をどうこうできる素振りなんてできるもんでは……。そう思っていたが。

 なにを思ったのか花月は冷静に鞄を漁っていた。手に持っているものを見て、暮春は言葉が出なかった。

 それに暮春はあきれ返って、先程まで震えて強張っていた声帯が、気が緩んで仕事をしてしまった。


「……あんた、ヘビースモーカーな上に、現在進行形で煙草くゆらせている癖して、今持ってるもんはなんですか?」

「ねずみ花火」

「バッカじゃないですか!? こんなもん万が一着火したらどうするんですか、バスの中でねずみ花火とかって洒落になりませんからね」

「あーあーあーあー、うっさいうっさい。お前は俺の母ちゃんか」

「あんたの母親になった覚えはありませんし、あんたの母御さんに謝りなさい! 煙草吸ってる癖して花火なんか持つんじゃありません!!」


 とてもじゃないが、編集と小説家のやり取りには思えないが。とにかく突破口は開けてしまった。花月はひょいと暮春にねずみ花火を渡すと、暮春はそれを受け取り「火をください」と言う。

 花月がポトン。と煙草の火をねずみ花火に着火すると。

 暮春はためらいなく繭玉に、ねずみ花火をぶん投げたのだ。ねずみ花火は不規則な動きを立ててジジジイジジジジジッと回りはじめる。


「なっ……!?」

「すぐに花火を消せ! 供物が! おしら様に天罰が……!」


 村人たちは慌ててねずみ花火を踏み消そうとするが、花月もさっさとねずみ花火第二発に火を付けて、ぶん投げ続ける。

 本当に信じられない。と暮春は呆れ返る。

 普通、ここは絶体絶命で絶望しないといけない場面だ。少なくとも、自分が担当であったら「こんなところを茶番にして混ぜっ返さない」とチェックを入れるはずだ。

 こんな人の生き死にがかかっている場面を、ちゃぶ台返しするのが小説家だなんて、本当に信じられない。

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