午後十一時:蚕月製糸場
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花月がライターを手で弄ぶと、桑の木人形たちはのけ反った。彼らを操っていた女性もまた、顔を引きつらせている。
「あなたは……人間を燃やして楽しいの?」
「別にー、人間を燃やす気はねえんだけど、操られてる奴らを助けるには、燃やすしかねえからしてるだけで、他の方法があるんだったら、とっくにそっちを試してるよ。つうかさー」
花月はライターをカチッカチッとしながら、暮春を見る。暮春は仕方がなく、なにか燃やせるものがないかと、鞄を漁り出す。木の棒でもあったら、それで松明のようにできるんだろうが、いくら雑誌編集者として最低限の校閲作業のために勉強しているとはいえど、いきなり松明をつくる方法については勉強していなかった。
漁って出てきたのは、木札であった。神社でもらってきたそれは、本来は家に飾ってお守りとするものだが、暮春は仕事の都合上、ほとんど編集部に泊まっているせいで、鞄の中に入れっぱなしであった。
それを燃やすのも罰当たり過ぎるが、これも年末年始のお焚き上げで燃やすのだから、そこで燃やすか今燃やすかの違いであろうと、暮春は木札に火をいただく。
赤々と火が燃える中、花月は暮春からそれを「あっちあっち」と言いながらもらい、その火を桑の木人形たちに向ける。
「お前がなに思ってんのか知らねえけどさあ。俺たちが人質取ったら大人しくなるとか思ってんだったら筋違いだしさあ、俺たち責められる謂れはなくね? だって、こいつも別にちょっと焦げただけで生きてるし、最初にこいつをゾンビに変えたのはお前だし」
「どんな、屁理屈よ……」
「ところでお前には聞きたいことあんだけどさあ、どうやったら口割ってくれる? 頭から燃やす? 腕から燃やす? あいにく俺、暮春と違って、どこに繭玉あるとか見えねえしわかんねえんだわぁ」
さっきまであれだけ桑の木人形たちは禍々しい冷気を放っていたというのに、花月のほうが、生きている人間のほうがよっぽど怖い。
見えない、聞こえない、触れないからこそ、どうやったらその手のものを倒せるのかというのに、躊躇をしないからだ。
武道家であればあるほど、勝てないとわかった相手に対してむやみに手を挙げずにさっさと逃げることを勧める。格闘家であればあるほど、自身が全身凶器であるということを自覚している。弱い人間であればあるほど、勝つためには手段というものを選ばなくなる。
残念ながら、花月には霊感がなければ、糸を引く意思を持った繭玉を怖がる目もない。ただ、さすがに腕力は劣るから、生き残るために手段を選ばなくなってくる。
残念ながら、花月弥生という小説家は、好奇心と知識欲をなによりも優先するために、倫理観というものはとっくの昔にかなぐり捨てている。
暮春の渡した木札から火の粉が落ち、女性の腕にジュッと落ちる。それに女性は「ギャアアアア!」と悲鳴を上げるし、繭玉は必死に転がり回って逃げている。
「花月先生、さすがにやり過ぎたら逮捕されても仕方ないですよ……」
既にここでさんざん不条理な目に遭いながらも、暮春は花月と違って会社員だ。さすがに倫理観を手放すことはない。それに花月は「えー」と言う。
「俺、一応強姦されかけた身なんだけど? しかも脅迫されてるし。正当防衛じゃね?」
「過剰防衛は普通に罪でしょ……」
「うーん、でもさあ。ここのオーナー、揉み消してんだろ。いろいろとさあ」
「花月先生?」
それ以上は暮春は聞けなかった。慌てて桑の木人形たちは花月を抑え込もうとしはじめたものの、暮春はライターから自身の予備のメモ帳に火を分けてもらい、それらを千切っては投げ、千切っては投げて桑の木人形を遠ざける。
「ちょっと……助けなさいよ……!!」
目の前で繭玉を燃やされたのだ。花月は当てずっぽうにしか火を向けてはいないが、暮春は繭玉を見えているのだから、そこに当たるか当たらないかという位置に投げている。
だんだん女性の声も聞かず、桑の木人形たちは遠ざかっていく。とうとう女性はひとりになってしまった。
ここには倒れている桜、ライターと木札を持って脅迫してくる花月、見守っている燃えるメモ帳を持つ暮春しかいない。
多勢に、無勢だ。
「……なにが聞きたいっていうの」
とうとう女性は、忌々し気に吐き出した。
彼女の首裏にいる繭玉は、脅えるように縮み上がっていた。
****
花月が桑の木人形相手に蹂躙劇を続けている中。
桑の木人形たちがいない道を、雛と桃井は非常ライトの青白い光の舌を、必死に走っていた。甘い腐臭がずっと漂い続けて、その匂いに吐き気とめまいを覚える。
「あの……繭玉の中の人たちは、全員腐り落ちてしまったんですか……?」
人間が液状化するまで腐るなんてこと、信じたくはないし、見たくはないが。そうでもなかったら、あの腐臭の説明は付けられなかった。
桃井の酸素の回らない問いかけに、雛は固い言葉で返す。
「……ううん、全員ではないと思う。今年来た観光客は、あなたたちしかいなかったから。花月さんと暮春さんが製糸場前にいて、桃井さんがここにいる……繭の数は三つで、観光客の数と合わないから。おそらく去年に残していた繭玉を足しているのだと思う」
雛の言葉に、桃井は
あの中に入っているの桜以外に繭玉はふたつ。ふたつはもう腐り落ちていて駄目だとしても、ついさっき繭玉にされた桜は助かるんじゃないだろうか。
「あの、もしかしなくっても、さっさと儀式を終わらせてしまえば、腐ってない繭の中の人は、助けられますか……?」
お世辞にも桜をいい人とは思えないし、ほのかもポンコツが過ぎる人間だが、見殺しにするほど生きている価値がない悪人と切り捨てることも、桃井にはできなかった。
雛は少しだけ目を瞬かせたあと、ゆっくりと言う。
「……多分可能だと思う。おしら様に完全に供物として捧げられて食べられてしまったら、もうどうすることもできないと思うけれど、捧げられていないのだったら、まだ間に合うはず」
「わかりました」
くらくらとしてくるのは、酒で酔っぱらったときのような感覚と、恐怖で感情の一部を麻痺してしまわなかったらそもそも走れないせいであろう。
桃井は雛と共にひたすら走り、だんだんと繰糸場へと近付いていた。そんな中。なにかが降ってきて、途端に足が止まった。
彼らは桑の木人形たちのように、足元がゆらゆらとしていない。
しっかりと立ってはいるものの、皆が皆、こぶし大の石や木の棒を持っている。
非常ランプが照らし出すその人々には見覚えがあった……土産物通りで店を構えていた人々だ。それぞれが浮かべている表情は、昼間に見かけた朗らかなものではない。
……雛に怒鳴りつけたときに見せた、目をひん剥き、邪魔するものは全て殺すという、怒りと憎悪をない交ぜにした、おぞましいものであった。
「雛ぁぁぁぁ! また邪魔する気か!? 去年も! 一昨年も!!」
年寄りとは思えないほど腹筋を遣ったドスの効いた声に、桃井は身を震わせた。
……桑の木人形と戦うことは覚悟していたが、生身の人間が邪魔してくるなんて、思いもしなかった。
雛はとっさに風呂敷をかばって叫ぶ。
「お願いどいて! こんなことしてたら、この土地は今度こそ駄目になってしまうから!」
「駄目になりゃせん! おしら様に供物を捧げて、何度も何度も謝るんだ! そうすりゃ絶対に元通りになる! 俺たちは村をバラバラにされてもなお、再会できたんだ! この調子で頑張れば、いずれ村だって……」
「もう蚕月村はどこにもないじゃない! ここは私有地! 私がやっているのは魂鎮めの儀式だけで、おしら様をこれ以上荒げる気はこれっぽっちもないから! お願い、皆はおしら様に当たってしまっただけよ……」
桃井は雛が言いたいことも、村人たちが言っていることも、全部は理解できなかった。
あの土産物通りで働いていた人たちが全員、蚕月村出身の人間だったことにも気付かなければ、雛が今までの儀式を全部邪魔してきたことも、今初めて聞いたことだった。
しかしどういうことだろうと考える暇を、村人たちは一切与えやしなかった。
またも、げんこつ大の石が飛んでくるので、とっさに桃井は鞄を盾にする。こんなものを頭にぶつけたら……いや、かすめることすら、体によくないに決まっている。鞄にはガツンガツンと鈍い音が響き、その衝撃に桃井は唇を噛んだ。頭に当たらずとも、こんなものが肩や腕に当たっても、致命傷になる。
「雛ぁぁぁぁ! お前、またよそ者を巻き込んで! ちゃんとおしら様の供物にせんと駄目だろうが!」
「なにを言っているの!? そんなことできる訳ないでしょう!? 止めて! 石を投げないで!」
「うるさい!!」
皆はなおを、げんこつ大の石を投げ続けていく。だから、こんなものを当たったら命に関わるし、なによりもこんな状態では儀式なんてできない。
考え込んだ末、桃井は塩を振りかぶった。お清めの塩を人に撒いたところで、せいぜい目くらましや目潰しだ。桑の木人形のように、バタバタと倒れることはありえないだろう。だが、なにもしないよりはずっとマシだ。
そう、なにもしないよりは、ずっとマシだと言うだけの話だ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫び声に意味はない。ただ威嚇できるだけだ。
村人たちはどう見ても正気ではなく、憎悪に心身を蝕まれてしまっている。雛を殺すことに躊躇がないのだとしたら、せめて儀式が終わるまで、邪魔をするしかないのだから。
桃井は、手を大きく振りかぶった。
****
桑の木人形はなにも考えない。
いや、考えてはいるが、口にすることはできない。
桑の木人形はおしら様のお使いだ。その本性は繭玉を埋め込まれた人ではなく、埋め込まれた繭玉のほうにある。
繭玉は考えている。
早く還りたいと。
繭玉はいずれ解かれ、生糸となり、やがて織られて絹になる運命だ。
蚕は煮られた時点で命を落とすが、消える訳ではない。繭玉となり、いずれはおしら様に供物として捧げられる運命だ。
供物として、おしら様の元に還る。
それが繭玉にとっての、至上の喜びであった。
年に一度、選ばれし繭玉が、生糸となり、絹となり、おしら様の新しいおべべとして捧げられる。それを繭玉は夢見ていた。
しかし、ある日突然、その夢は破れた。
おしら様を呼ぶ社が、突如壊されたのだ。
社に響く、つんざくような音。壊されていく社。荒らされ、ならされていく場所。代わりに建てられたものは、社には程遠い掘っ立て小屋であった。
これではおしら様をお呼びすることができない。
まだ糸を繰られない繭玉は嘆いた。
しかしその声は人には届かない。人にはわからない。人には理解できない。繭玉の夢は、繭玉にしかわからない。
その社の上につくられた掘っ立て小屋の中に、繭玉たちは入れられた。光の届かぬ場所で干されて、家には入りきらないような大鍋で煮られる。そのあと機械に放り込まれて、無造作に解かれていく。
繭玉は泣いた。繭玉は嘆いた。おしら様にふさわしいように成長を遂げたのに、こんな機械で解かれた恥ずかしい身を捧げるわけにはいかない。
おしら様。おしら様。おしら様。
還りたい、ここじゃない、おしら様の元に還りたい。ここじゃない、ここじゃおしら様の元には還れない。
嘆いた繭玉は、おしら様に届けるために、掘っ立て小屋にいる人に擦りつくようになった。
人を操り、暴れて、この掘っ立て小屋からよそ者を追い出そうとした。よそ者が全ていなくなれば、おしら様が戻ってくると思ったのだ。
桑の木人形になった人々は、何度も何度も暴れたが、そのたびに人から除外され、社の上から追い払われた。しかし桑の木人形になった繭玉は、耳にしていた。
社の下から、だんだん腹の音が聞こえるようになったことを。
繭玉がおしら様の中に還りたいように、おしら様もまた、繭玉たちを取り込んで眠りたいのだが、腹が減っては頭が冴える。おちおち眠ることもできまい。
今度は繭玉たちは、腹持ちのよさそうな人間たちを、自身に取り込みはじめた。
おしら様。おしら様。おしら様。
どうぞ召し上がれ、自分を、いや自分をどうぞ。
繭玉が人を取り込んで、大きく膨れ上がった繭玉からは、それはそれは芳醇な匂いが漂った。これを召し上がれば、いっとおしら様の空腹も収まる。おしら様は鎮まってくれる。
おしら様は還ってきたと思ったら、繭玉をひとつ、またひとつと召し上がりはじめた。
おしら様の元に還ることはできなかったものの、繭玉たちはおしら様の腹を満たすことができて満足であった。
おしら様の腹が満たせるように、次から次へと繭玉は人を取り込みはじめた。
繭玉に触っていた者、おしら様に触れていた者、それらに皆声をかけた。
繭玉は声を持たない。しかし人に滑り込めば、人の声を語ることができる。人の声を耳にすることができる。
社の周りに住んでいた者たちは、すぐに戻ってきた。
おしら様。おしら様。おしら様。
繭玉は、おしら様の元に還ること以外に夢を見ない。喜びを見出さない。他の事象は全ておまけだ。
今宵もまた、おしら様の元に還る夢を見ている。
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