十八手目「宿命の初手!」

 棋譜読み上げを担当する女性職員が腕時計で時間を確認すると宣告する。

「握ってください」

 みのるは碁笥から右手で白石を多く握って、碁盤の上に載せる。

 みのるの方が白番側の席に座っているので、ニギリを先に行うのはみのる。

 みのるは蓋を開けた碁笥の中から白石を1子だけ摘み、碁盤の上に置いた。

 嘲笑うみのる。

 碁盤をよく見ると、みのるは中指だけで白石1子を碁盤に置いている。

 もはや動じない亘。

 亘は黒石を1子置く。

 みのるは白石を碁笥に戻して蓋をする。

 亘も黒石を戻して蓋をする。

 棋譜読み上げの女性職員が通達する。

「握りまして、恋路亘さんの先番となりました。コミは6目半、持ち時間は無く、初手から一手30秒未満で打って頂きます。ただし途中、1分単位で合計10回の考慮時間がございます。それではお願いします」

 亘とみのるはそれぞれの碁笥を自分の方に寄せ、蓋を開けて右横に置く。

 亘は頭を深々と下げる。

「お願いします」

 みのるは頭を下げず微動だにしない。

 男性職員が時間を伝える。

「10秒………20秒……28秒」


 亘は左手の人差し指と中指で、黒石を摘み上げて碁盤の中央に打つ。

 みのるの顔が歪む。

❶「黒、(10の十)、天元」


「はっ!?」

「おおお……」

 香織はモニターの映像を見て、顔を歪める。

「天元ですか!?」

「遊んでいるな、ワタル君」

 仁村が微笑む。


(どういうことだ、この男?)

「10秒」

(天元は、中国語で万物成育の根本と香織ちゃんが教えてくれた。俺はこの対局で、自分が棋士として大成していくための根本を掴みたいんだ!)


「香織ちゃん、天元に打つように言った?」

「言いません! 碁盤の隅から打っていくのが基本だって教えました」

「そりゃ、そうだよね」


「20秒」


「囲碁をよく知らない人のためにも解説しようと思います」


「28秒」

 みのるが白石を碁盤の上に打つ。

②「白、(4の十六)、左下隅星」


「囲碁は隅の方が地を固め易いですから、基本は四隅から打っていくのが常識です」

「そうしないと云うことは」

「奇襲ということでしょうね」


「10秒」


「天元は打つ人も居ますが、あんまり有効な手だとは考えておりません」

「やはり仁村先生もそうですか」

「布石を打つ順番はアキ隅、次にシマリかカカリ、その後にヒラキが基本ですので」


「20秒」


「中継があるということで目立とうとしたのかな?」


「28秒」

 亘が黒石を碁盤に打つ

❸「黒、(16の四)、右上隅星」


「そりゃ、やっぱり星に打つよね」

「天元に打つってのはどうなんでしょう?」

「黒番だから天元に打ってもアキ隅は二つ取れるけど、アキ隅に打っていると白番に先にシマリやカカリを打たれてしまいますからね」


「10秒」


「だから天元に打つってことは黒番を取った意味が無いと云うことなんですね」

「ニギリの時に、敢えてみのるは白石を相手に見せましたけども……」

「あいつ、昔からああいうことします」

「そうなんですか」


「20秒」


「相手に選ばせて、それでも相手を叩き潰して勝つ男です」


「28秒」

 みのるが白石を碁盤に打つ。

④「白、(4の三)、左上隅小目」


「で、みのる君の方は普通に小目と」

「手堅いよね。あいつはああ見えて、ちゃんと囲碁というものを分かっています」

「お父様がちゃんと教えましたからね」

「はい。髪は染めていますけど、碁はちゃんとしている男です」


「10秒」


「亘君が星に打った後のことを考えていますよね」

「勿論そうです。亘君が残った右下のアキ隅を取ることは分かり切っていますから、みのるの考えることは、初手に天元を打たれた時点でもう決まってますね」


「20秒」


「あっ、⑥手目に何を打つか?」

「そういうことですね」


「28秒」

 亘が黒石を碁盤に打つ

❺「黒、(17の十七)、右下隅三々」


「位が低い手ですね」

「天元なんて頑張り過ぎた初手を打っちゃったから、右下隅は確実に地にしたいっていう魂胆でしょう」

「ちょっと後ろ向きですね、亘は」


「10秒」


「先生はじゃあ白を持ちたいと」

「ですね、自分の息子だから肩入れしちゃうんでしょうけどね。ワタル君のご両親も見ているでしょうから、私もなるべく中立的に解説したいと思います」


「20秒」


「香織ちゃんはどっちを応援している?」

「亘です」

「流石」


「28秒」


(もう、何考えてんの、亘! 初手に天元を打つなんて本当に有り得ない! もしも負けたら別れるからね!)

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