四手目「宿命の出会い!」
扉の開く音がサロンに響き渡る。
亘は音がした後ろへ振り向く。
若い男性が入室して来る。
顔は中々に端正で女ウケも良さそうな細面。明らかに染めたと分かる銀髪が黒髪に入り混じり、肩までは掛からないがそれなりに長さもあるから、亘にはホストのように見えた。
(なんだ、この男?)
亘は顔の次に、彼のファッションを気にする。
白いブーツに白のデニムを合わせ、ワイシャツ、膝丈まで裾が伸びている白いカー白いブーツを羽織る、白装束とでも言うべき服装。唯一、白くない紺色のネクタイも通常のフォーマルタイではなく、結ばないで金属製のリングに通したファッション性の高いアイテム。
細い顔立ちが示す通り、実際かなり細身の男だが、亘の眼球は膨張色の白に惑わされて、実態よりも屈強な体躯に映った。
亘は彼を見て美青年でオシャレには感じた反面、少し可笑しくなる。
(囲碁のルールを教えてもらったばかりだから、あの紺色のネクタイが白石に四方を囲われて取られたように見える)
白服の青年は鋭い目付きの持ち主だが、亘は彼の顔を見ていると違和感を覚える。
(あれ? でも何処かで見たことあるような……)
亘の背中を飛び越えるように、香織が白服の男に元気良く呼び掛ける。
「みのる、お帰り」
(えっ……下の名前で呼ぶの!?)
欠伸を掻くような、大きく溜め息を吐く亘。
(香織ちゃん、“やっぱり”彼氏が居たのか……)
亘の心臓が悲しみに強く震え、左右の涙腺が緩んでしまう。
(やべぇ、泣きそう……)
そんな亘の気など知らず、“みのる”と呼ばれた男は亘と香織の下へ歩み寄る。
「香織」
(やっぱり、下の名前で呼ぶんだ……)
悔しそうに目を瞑る亘。
(しかも声も低くてカッコいい。完敗だ)
男は亘と香織を挟む机の横、亘側から見て右に立った。
「いや、稲穂先生と呼ぶべきかな?」
瞼を上げる亘。
(うん? 何故、苗字の方で呼び直すんだ?)
「どうだった?」
「勝った」
(プロ棋士の彼氏……かな?)
「良かったね」
「もう年下ばかりだもん。喜んでいられない」
みのるは左下に首を傾けて、椅子に座った亘を見て微笑する。
「こんにちは」
「どうも……」
みのるが香織に振り向く。
「もしかして、香織の彼氏さん?」
「えっ!?」
亘はみのるに振り向く。
(こいつ、彼氏じゃないの!? やったぁ! 危ねぇ……)
亘は冷静沈着を装って、
「残念ながら違う」
「見かけない顔ですね。棋士の先生ですか?」
「恋路ワタル君。大学の同級生」
「マジで? 大学で見たこと無いけど」
(同じ大学なのか?)
「私達、学部違うじゃん」
「囲碁部でも見かけないな」
「ワタル君、今日初めて囲碁を始めたんだよ」
「へぇ……」
みのるは亘に向く。
「なんでまた囲碁を?」
「告白されたの」
香織は照れ臭そうに口を手で覆って言った。
みのるの表情が少し歪んだ。
香織が答えそうにもないので、代わりに亘が答えた。
「囲碁強くないと付き合えないってフラれたから、教えてもらっていたんだ」
みのるは目を瞑った。
「そんなんじゃ一生強くなれないよ」
「何だと?」
思わずケンカを買うように、即座に反応した亘。
みのるが瞼を上げて、軽蔑の眼差しで亘を見下ろす。
「ルールは覚えた?」
「一応ね」
みのるは盤上を見て、19路盤の上に6路盤ボードが載っているのを確認する。
「6路盤か。俺と対局しないか?」
亘に笑顔を向けるみのる。
(こいつ、明らかに俺をバカにした目付き!)
「みのる!」
香織は抗議するように叫んだ。
しかし亘も頭に血が昇っていて、脳の毛細血管が引き千切れるほど激昂している。
亘の喉を締めてドスを利かせて返す。
「望むところだ」
香織が心配そうに亘に向いた。
奇怪に微笑む、みのる。
「稲穂先生、退いてください」
実は香織を押し退けるように割り入って、恋路の向かい側に立った。
香織は仕方なくソファから立ち上がり、みのるが割り込んで来た左側に避けると、見守るために机の横に立った。
※6路盤の座標は、亘(黒番)から見て、左から右へアラビア数字で1~6、上から下は漢数字で一~六と示す。
※交点座標は黒番から見て、(横の縦{アラビア数字の漢数字})と記す。
侮辱するような嘲笑を浮かべるみのる。
「俺が後手の白番を持とう」
「良いだろう」
「投了する時は“アゲハマ”の白石を碁盤に置くんだ。石が取れればの話だがな」
「調子に乗るなよ、行くぞ!」
香織は心配かつ少し呆れながら、二人を見つめる。
6路盤を挟み対峙する亘とみのる。
亘はソファ椅子に座ったまま碁盤を見つめる。
一方のみのるは立ったまま余裕の振る舞いを見せている。
「えっと、隅や端は最初の内は打たない方が良いんだよな」
みのるは亘に白い目を向ける。
(対局中は喋るな! と言いたいところだが、まぁ、いい。親父に怒られれば良いだけの話さ)
❶亘は右手の親指、人差し指、中指の三本を使って、黒石を摘み上げると、6路盤の(3の三)に打つ。
みのるは亘の仕草を見ると、ますますおちょくるような笑みを強める。
「手付きが初心者だな」
みのるは、香織が見せたように、人差し指と中指だけで白石を摘まんだ。
①みのるは、亘から見て(3の三)の黒石の下、(3の四)の地点に白石を打つ。
「じゃあ次はこうだ」
❷亘は黒石を(4の四)に打つ。
②すると、みのるは白石を(2の三)に打つ。
(あっ!)
❸亘はすぐに気付いて黒石を(2の四)に打つと、(3の四)の白石を指差す。
「これでアタリだ」
③みのるは白石を(3の五)に打つ。
「逃げる」
「次はこれだ」
❹亘は黒石を(2の二)に打った。
今度は黙る亘。
(2の三の白石もアタリだ。さぁ、伸びて来い。必ず捕まえてやる)
(取られたか。まぁ、いい)
「じゃあ、こう」
④みのるは(2の三)の白石を助けずに、白石を(4の三)に打った。
❺亘は間もなく、黒石を(1の三)に打って、(2の三)の白石の四方を囲んだ。
「よし、石を取ったぞ!」
亘は(2の三)の白石を摘まみ上げ、自分の入れ物の蓋に入れた。
みのるは微笑する。
「そんなに嬉しい?」
⑤みのるはすぐに白石を(5の四)に打ち、(4の四)の黒石を指差す。
「アタリだ」
「取らせない」
❻亘は黒石を(4の五)に打って、(4の四)の黒石と繋いだ。
「追いかける」
⑥みのるは白石を(5の五)に打ち、(4の四)(4の五)の黒石を2子ともアタリにした。
「さらに逃げる」
❼亘は黒石を(4の六)に打ち、アタリにされていた(4の四)(4の五)の2子と繋いだ。
⑦すると、みのるは白石を(2の五)に打ち、自分の(3の四)(3の五)の白石と繋いだ。
❽亘はそれを見て、黒石を(1の五)に打つと、石が置かれていない(1の四)と(2の三)をそれぞれ指差す。
「これで此処の二つには打てないよ」
みのるは微笑する。
「本当にそう思う?」
⑧みのるは白石を(3の二)に打つ。
「返り討ちだ!」
❾亘はそう言うと、黒石を(3の一)に打ち、(3の二)の白石をアタリに出来たと考えて、少しだけ右の口角を上げた。
「甘い!」
⑨みのるは白石を(2の三)に打ち、(3の三)の黒石を取り上げて、自分の碁笥の蓋に入れる。
「石を取れる時は囲われていても置ける」
「そうだったな。だが取り返す」
❿亘は黒石を(3の三)に打った。
すると、みのるは今さっき亘が打った(3の三)の黒石を摘まんで、亘側の碁笥に戻した。
みのるは呆れたように断言する。
「打てない」
「はっ!?」
ルールその❻:コウを取ったら、次の手番はすぐに石を取り返してはいけない
(ああ……だから、まだ教え切れてなかったのに)
香織が気まずそうな表情で横から亘に話し掛けてくる。
「ワタル君、3三はコウになってるの」
「コウって?」
香織は(2の三)の白石を左手指で、(3の三)の上に先程みのるが取って碁笥の蓋に入れていた黒石を右手指で摘まみ、碁盤の上で交互に上げ下げして見せる。
「アタリに石を置いてもお互いにアタリになって、無限に石を打てちゃうでしょ? だからコウになったら、次の手番の人は必ず違う場所に打たなきゃいけないの」
「そうなの!?」
やれやれ……とでも言うように、大きく鼻息を吹くみのる。
「本来は貴方の反則負けだが、打ち直しを認めよう。他の場所に打ちな」
香織は黒石をみのる側の碁笥の蓋に戻した。
「仕方が無い。じゃあ、こっちだ」
❿亘は改めて入れ物から黒石を摘まみ、(4の二)に打つ。
⑩みのるが白石を(3の三)に打つと、亘は口を大きく開ける。
「あっ!」
みのるは微笑する。
「コウは解消して良い」
「じゃあ、これだ」
⓫亘は黒石を(5の三)に打つと、3線を中心とした白石の一団を指差す。
「この真ん中の白を全部取ってやる」
⑪みのるは淡々と白石を(5の二)に打つ。
⓬亘はすかさず黒石を(6の三)に打つ。
「外側に逃げる」
⑫みのるは白石を(4の一)に打った。
「だが、こっちが取れる」
みのるは(4の二)の黒石を摘み上げて、自分の碁笥の蓋に置く。
目を丸くする亘。
「嘘っ!」
みのるは亘を嘲笑う。
「両アタリ、知らないの?」
「まだだ!」
⓭亘は黒石を(3の六)に打ち、(4の四)(4の五)(4の六)の縦に並ぶ3子と繋ぐ。
(何、それ?)
「うん?」
亘の意図が全く分からず、みのるは首を傾げる。
してやったりの表情の亘。
(意表を突けたぞ!)
「まだ真ん中の白を狙っているんだ」
(なんだ、ただのバカか)
「だが、これが取れる」
⑬みのるは白石を(2の一)に打ち、(3の一)の黒石を取り上げて、自分の碁笥の蓋に入れる。
「えっ!」
「弱過ぎる」
「じゃあ、これならどうだ!」
⓮亘は黒石を(1の一)に打つと、何も置かれていない(1の二)の地点を指差す。
「石で囲った場所には打てない!」
⑭みのるは亘の言うことなど無視して、白石を(1の二)に打ち、(1の一)と(2の二)の黒石を取り上げて自分の碁笥の蓋に入れる。
「だから、石を取れる時は打てるって」
「あっ、そうだ。二つも……」
みのるでもさすがに気まずくなって、頬を引き攣らせる
「もう無理だ。諦めろ」
「諦めない!」
⓯亘は黒石を(2の六)に打つ。
⑮みのるは、すました顔で白石を(5の六)に打つ。
(ああ、もうぶっ殺してやらないと分からないんだな……)
⓰亘は黒石を(6の四)に打つ。
「右下の白三つ(5の四、5の五、5の六)を取ってやる!」
(取れるわけ無いだろ)
⑯みのるは淡々と白石を(6の二)に打つ。
「逆に俺の黒三つ(5の三、6の三、6の四)がアタリか。なら!」
⓱亘は黒石を(1の六)に打って、(1の五)から横の六線を通して、(4の四)(4の五)とも全て繋いで見せた。
「どうせ取られるなら攻めてやる!」
みのるが両眼をかっ広げる。
(面白い! ここまでバカなら、ぶっ殺し甲斐がある!)
みのるは、碁笥から白石を摘み上げると、真っ直ぐ右腕を頭上に伸ばして石を一旦掲げた後、右手の人差し指と中指を下ろして、摘まんだ白石を自分の目元まで寄せて見せた。
「喰らえっ!」
⑰みのるは白石を(1の四)に強く叩き付けるように打ち込み、大きな石音を部屋に鳴り響かせた。
呆気に取られる亘を尻目に、みのるは1~4線の黒石を全て取り上げた。
「なっ、何ぃぃぃ!?」
驚愕する亘。
みのるは取り上げた九つの黒石を自分の碁笥の蓋に入れながら、邪悪な笑みを浮かべると、蛇がカエルを睨むようにその大きな両目で亘を飲み込んだ。
「ワタルさん、これが囲碁だぜ!」
(あっ、もう無理だ……)
⓲亘は絶望しながらも、苦し紛れに黒石を(4の四)に打つ。
⑱みのるは間髪入れず白石を(4の五)に打ち、(4の四)の黒石を取り上げると、碁笥の蓋に入れる。
⓳亘は無言のまま黒石を(6の一)に打つ。
⑲みのるはすぐに白石を(5の一)に打ち、(6の一)の黒石を取り上げて、碁笥の蓋に入れる。
⓴亘は力無く、黒石を(6の六)に打つ。
⑳みのるは白石を(6の五)に打ち、盤上の全ての黒石を取り上げて、自分の碁笥の蓋に入れて見せた。
「イェーィ、真っ白ぉ」
亘は自分側の入れ物の蓋にある白石を(6の六)に置き、弱弱しく項垂れた。
「ダメだ……」
香織は悲痛な表情で亘を見つめた。
(ごめんなさい、こんな思いさせちゃって……)
「ワタル君……」
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