第21話 還る想いは濡羽色に染まり 後編

  6


 文香会長が見つめる。

 本心を読まれて困る物はもうなにもない。自分の臆病さ、弱さ、卑怯さ、卑屈さ、すべてを知られても、渡した退職願いが自分の本意である。 

 藤木家が華族の血縁を宿す証拠を見つける事も、しなくともいい世を手に入れる。 藤木家の為ではなく、自分の為に。それをどこにも属さない自身の手で手に入れる。そんな願いも藤木家の長男として生まれた限り、逃れられない事ではあるけれど、柴崎家からは逃れる事は出来る。藤木家の行く末がどうなってもいいが、亮が関わる事で、柴崎家に迷惑がかかる事は避けたい。

「これを受け取らなければ、苦渋の縛りを加せる事になる。これを受け取れば、あなたは自棄の道へ向かってしまう。」

 文香会長の心が、罪の意識で押しつぶされそうになっていく。

「会長、これは誰の罪でもありません。」

 病室に訪れた時からつけられていたテレビのワイドショウは、全国各地で起っている華族制度反対のデモの現地リポートが生中継で放映されている。

「麗香お嬢様は柴崎家唯一の後継者として、称号を守る道を選んだ。会長は、我が子の選択に一度たりとも心意を授けるような事をしてこなかった。それは読み取ってしまう能力に傲慢にならないよう、そして読み取る物の辛辣から逃れるための、自身の防衛本能であっただけ。」

 文香会長がゆっくりと目を瞑り、頷く。

「そして、私は、癒しの力を持つ麗香お嬢様に安らぎを求めていただけ。」

 誰もが自愛の言い訳に進んだだけ。読み取る力のある者が二人も居ると言うのに、全員が満足の行く結果に辿りつくことが出来なかった。

 人の想いは、独りで存在しえず、世の在り様は、独りでは時を継げず。

 北条氏の策略により、神皇に仕えていた神巫族は追い払われた。神巫族の神皇への想いは継げず。

 だからは神巫狩りを防ぐ事が出来なかった?

「15の時より、実母以上に私の心情を理解し寄り添って頂いていた事を感謝します。その退職願いは、私からの返礼として収め、私の事は心置きなくお見捨てください。柴崎家の為に。」

 柴崎家の為と言えば、文香会長は逃げ口上に納得し、身心を軽くする事が出来る。

「柴崎家の為。」苦しそうに絞り出した言葉。疲れも出ている。昏睡状態だった時の生命機能の低下は戻ったとは言え、まだ本調子じゃない。

「辞めていく使用人の事に、心痛める事などありません。前会長の指針のまま、文香会長は翔柴会をお守りください。」

 ベッドの上の乱れていた上掛け毛布を、退職願いを握った手の上に引き上げ、被せた。

「少しお休みください。」

「・・・ありがとう、藤木君。」

 涙声の混じったそのありがとうは、毛布を掛けた事に対する物と、見捨てられる状況を作ってくれた事の両方の、素直な本心だった。

 音量を下げたテレビの画面が、京都の京宮御所前の広場に切り替わる。関西局のレポーターが、厳かにリポートを続けているが、関西訛りの話し方が気に障った。

 コンコンとドアをノックすると同時に、「入りますよ」との掛け声で凱さんが来たとわかる。

 居合わせなくていい時に来るタイミングの悪さに、亮は心底嫌気がさす。そんな亮の本心を読みとった文香会長は苦笑する。

「お、藤木君も来てたのか。じゃあ、店員さんの言う通りにして正解だったなぁ。」

 凱さんは、両手いっぱいに帝都百貨店の紙袋と、見舞いのフルーツ籠を抱えてベッドに歩み寄ってくる。

「なんです、それらは。」

「ここに来るのに、手ぶらじゃ何だなぁと思って、文香さんの大好きな苺大福を買おうとデパ地下に寄ったら、店員さん達が、買ってとおねだりするもんだから、ついつい。」

(完全に鴨にされてる。)

「まず文香さんの大好きな風味堂の苺大福。それにマダムコンのキャラメルバームに、京正のどら焼き、フランフランのチーズスフレに・・・」

 次々と紙袋から出して、テーブルに品物があふれて行く。一体どう計算して6個づつ買ってくるという選択になるのか理解不能だ。それも病み上がりで、まだ病院の柔食しか食べられないと言うのに。

「惣菜コーナーの可愛子ちゃんが、試食を進めてくれたのが、この祝い手毬寿司!降臨祭を祝した限定品だって、これは買わなくてはと思って。」

 やたらハイテンションの凱さん、よっぽど文香会長の意識が戻った事がうれしいんだと、その横顔を注視して、驚いた。

 凱さんの本心は、これまで以上に哀しみが煮詰まり、悲痛の叫びに溺れてしまっている。

「凱斗・・・」

 同じ心を読み取った文香さんも、唖然と言葉を失う。

「ほら、可愛いでしょう。」

「あなた、何が・・・」

「流石の源さんも、こんな可愛らしい物は作れないね。」

 重箱を傾け見せるる、満面の笑みの凱さんが痛々しい。

「凱斗こっちに・・・」

 凱さんを抱き寄せようとする文香会長の心も、引きずられていく。

 【あれは何でしょうか?黒いヘリコプターが京宮御所の真上に滞空しています。あっ、人が降りてきます。

  ロープがヘリコプターから降ろされ、人が次々と降りて行きます。】

 テレビのレポーターが急に声を荒げた。

 振り返って見たテレビの映像に、亮は釘付けになった。

(何だ?あれは?)












 あれはロシア製のPJ49輸送機改良の武装ヘリ、一般にガンシップと呼ばれる。人を乗せて運ぶ事も出来れば、前身にある2つの銃身を利用して戦闘の援護に加わる事が出来る、マルチに小回りの利く軍用中型のヘリ。

 見たい方角に向かないカメラワークと、テレビ画面の小ささも合間って、知りたい映像や情報が手に入らなくてイラついていると、 聴覚をも邪魔する携帯の呼び出し音が鳴る。

「凱さん、あれって、自衛隊のヘリですか?」

 藤木君と文香さんもテレビ画面にくぎ付けに、眉間に皺を寄せる。

「いや、違う、自衛隊機なら必ず尾翼に国旗が描かれている。あー、もう!こんな時に誰だ!」

「何か、あったんでしょうか・・・・あっそうだ。」

「はいっ。」

 誰からか確認せずに携帯をつないだら、前島さんの野太い声が飛び込んできた。

「柴崎、あのヘリ、居なくなったそうだ!海自から今、連絡があった。今日の1300定時巡回時の航行で既に。」

 どうやら、前島さんはテレビを見ていない様だ。

「ここに居ます!」

「はぁ?」

「あのヘリの正体は、ロシア製のPJ49だ。前島さんっ、テレビを見てください!今、京宮御所の上に滞空している!」

「何?」

 電話の向こうで、ガタガタと派手な音がして、駆ける足音もする。しばらくして、この部屋にあるテレビと同じ音声が携帯電話からも聞こえてきてステレオ効果になった。

「何なんだ、これは!一体何が起きてる!?」

「判りません。ただ、これはリアルタイムで起こっているのは間違いない。」

「じゃ、あの雌島にあったヘリは、京宮御所に侵入する為に・・・柴崎、これは本当にロシア製の輸送機なのか?」

「ただの輸送機じゃありません。武装改良施した、ガンシップ!」

「そんなっ!」

 文香さんの悲鳴に近い声に、自分の失態を心の中で怒った。

「凱さんっ、京宮御所内の映像!」

 藤木君が持ってきていた仕事用のタブレットで、神政殿内のライブ映像を繋げた。

 フロア内は煌びやかなドレスの舞いが揺れ動いている。降臨祭の儀式は終わり、華族会主催のパーティが開かれている。

 テレビに映ったヘリから降下着地した黒い服の奴らは、まだ神政殿フロアには潜入していない。機を伺っているのだろう。

「俺は、ばっと見じゃ、これがロシア製のガンシップだとはわからん。」

「間違いありません。自分は、この機体に苦い因縁があるので。」

(間違うもんか。こいつには幾度となく命の危険にさらされ、仲間を失った。)

 海自から送られて来た写真を前島さんから見せて貰った時、機影の正体を当てておかなければならなかった。

「柴崎、これはとんでもない事態に発展するぞ。」

 わかっている。いや、わかっていなかった。だから、こうして呑気にテレビでこの状況を視聴しているのだ。

 電話中の凱斗の会話から、少しでも多くの情報を聞き拾おうとしている藤木君と目が合う。

「前島さん、情報収集の為に一旦、電話を切ります。」

「おう、こちらも集めておく。」

「凱斗・・・」

 これ以上ないくらいに険しい表情の文香さんとも目が合った。

 とんでもない事になるとは言えなかった。だけど、この二人は凱斗の焦りをもう、読み取ってしまっている。

 【あっ、もう一台、もう一台、こちらは迷彩柄のヘリが飛んできます。西の方からまっすぐこちらへ、自衛隊機でしょうか?

  京宮御所内で何かあったんでしょうか?】

 テレビのリポーターの声が一段と声高に、新たな情報を伝えてくる。ヘリの正体も何も知らないリポーターは、その先に起る可能性の危機を想像できないで、間抜けなコメントしかできない。

 もう一台向かってくるヘリは、武装タイプでなく、完全輸送タイプ。小型だか、人員を20名乗せる事が出来る。当然に、日本の自衛隊機ではなく、どこにも国旗は描かれていない。自衛隊が、降臨祭に輸送機を派遣する話など、華族会からも自衛隊からも聞いていない。

 万が一、御所内で不慮の事故や、不測の事態に陥ったとしても、警察、消防を差し置いて、第一に自衛隊が駆け付ける事は絶対にない。

 その輸送ヘリは京宮御所の広い敷地内上空を、束の間ホバリングしたあと降下し、御所を取り巻く白い塀に隠れて見えなくなった。辛うじてプロペラだけが回転しているのだけが見える。

 テレビ画面は中継現場から一旦スタジオへと返され、状況だけを繰り返し伝えるだけしかできないで、やっぱり能天気のコメント。

 【現在、双燕親皇様の降臨祭が行われている京都の京宮御所の周りの様子を映し出しています。

  京宮御所の隣にあります御前広場では、華族制度に反対するデモ集会に、

  全国から人が集まっている様子をライブ中継していたのですが、

  10分ほど前に一台の黒いヘリコプターが上空に現れ、御所の敷地内に侵入しました。

  先ほど黒い服を来た人が6.7人程ヘリからローブ伝いに降下してきました。

  おそらく降臨祭の祭事が行われている聖殿のある建物だと思いますが、その屋根に黒い服を来た人が数人降りました。

  そして、先ほど、今度は迷彩柄先ほどの黒いヘリより少し大きめの迷彩模様のヘリコプターが西の方角より現れて、

  京宮内の芝広庭に降り立ちました。見えますでしょうか、白い塀の上にヘリのプロペラがまだゆっくりと

  回転しているのが見えます。

  あのヘリたちは自衛隊機でしょうか、京宮御所内で何かあったのでしょうか、

  現在ヘリの正体はまだわかっておりません。では一旦、ここでCMに入ります。

  CM後も引き続き京都の京宮御所と中継をして詳細をお伝えしていきます。】

 「凱さん!」

 藤木君に呼ばれて、神政殿内を映したタブレットを見ると、黒いヘルメットを着用した奴が一人、天窓からロープを伝い降下、次いですぐにもう一人が降りて、踊っていた人々はそれを避けるようにフロアの隅へと逃げる。

 やっぱり始まった。

 とんでもない事の、これは、テロだ。













 天井から降りて来た黒い服の人達は、次々に立ち上がると、黒くて長い何かを剣のように背中から抜き出した。両手で構えたそれは、映画でしか見た事のないような銃。

 最初に構えた黒い服の男、本当は男か女かはわからない、体の大きさから男だと麗香は思うだけで、もしかしたら中には体格の大きい女性が居るのかもしれない。頭は黒いヘルメットをかぶって、手はグローブで足はブーツの全身が黒い、戦争でもするような服に包まれている。その人たちは銃を斜め上に向けて連射した。

 耳を貫く大きな破壊音と共に、壁や天井にある照明装飾のガラスが粉々に割れて降ってくる。

 悲鳴、悲鳴。悲鳴。

 その場にしゃがみ込む者、散り散りに出口へと向かう者、様々に混乱する。

 黒い服の男達は、容赦なく周りの装飾を破壊してゆく。

 逃げだす華族の面々は、我先にと扉に群がりガチャガチャとドアノブを回すも開かずに、体当たりで開けようとしている光景が、この会場にあるすべての出口前で騒然となっていた。

 麗香は恐怖のあまり神皇様の手を握ったまま、一歩もその場から動けないでいた。

「無駄ダ、扉ノ制御ハ、我々ガ占拠シテイル。」

 人の肉声ではなかった。男たちの被っている黒いヘルメットから発声される言葉は、日本語であるけれど電子変換されていた。

「動クナ!静カニシロ!」

 抑揚がない電子変換された音声でも、その声が苛立ちと怒りを含めた感情を持っている事に、周囲は怯える。扉を開けようと必死になっている華族達は聞こえていないのか、わざと無視しているのか、ガンガンと叩き、「開けてくれ、誰か!」と叫んでいる。京華院に一番近い扉を叩き叫んでいた男性の手が突然大きな音と共に、パンと赤い血しぶきを上げて弾け飛んだ。

 すぐ後ろにいた黄色のドレスを着た年配の女性の顔に血が飛びかかり、男性と共に悲鳴に泣き叫ぶ。

「動クナ、静カニシロ。」

 誰もが息をのみ、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 天井から降りて来て、銃を振りかざし威嚇する黒い服を着た人達は合計十人ほどで、フロア内を制圧する。その中の一人、リーダー格らしい男が、麗香達へと歩みながら電子制御の声を発する。

「新皇、コチラヘ。」

 新皇様は首を傾げられる。この状況下に似つかわしくないほど穏やかで悲哀に満ちた表情で、黒づくめ男の声に従い、歩み出した。

「新皇様をお守りしろ!」

 弥神道元様が叫ぶと、怯えていた華族の男達数人が戸惑いながらも、動こうとするが、恐怖に二の足を踏む。

「行っては駄目です、新皇様。」

 まだ握ったままだった新皇様の手を、離すまいと麗香は強く握り、向かわれる歩みを止めようとしたけれど、新皇様は麗香に微笑みかけられる。

「柴崎麗香さん、あなたのその暖かい祈心、十分に受け頂いた。我から離れ、逃げなさい。」

「何をしておる、皆の者、新皇様の御身、お守り致せ!」

 再度、弥神道元が叫ぶと、我先に逃げようとしていた華族の者たちは、やっと自分たちの古来からの使命を思い出したように、こちらに戻ろうとして騒然となった。

「黙レ、ソレ以上動クト射殺スル。」

「神巫族より続く華族の存在意義は、神皇在りしの身心!」

 道元様の怒声が、何人かの男性を活気づけ、神皇様に駆け寄る。

「皆の者、やめ、我は・・・」

「行っては駄目です。新皇様!」

 麗香の手を振りほどこうとする新皇様に、麗香は両手で握りなおして抵抗する。

 黒い服のリーダー格が、ガチャリと銃をひるがえし、銃口を弥神道元様に向けられ、容赦なく引き金を引いた。銃声と同時に、弥神道元様は弾かれたように反り、胸から血が噴き出して倒れていくのを麗香は見る。驚きのあまり、麗香は新皇様の手を離してしまった。

「道元!」

 新皇様は叫び、道元様の元に駆け寄ろうとする。

「新皇様、駄目です。」

 周囲から新皇様を取り巻いて、新皇様の歩みを止めた華族の者たち。

「新皇トテ容赦ハシナイ、命令ニ従ワナイ者ハ殺ス。」

 道元様に向けられていた銃口は、すかさず向きを変え、新皇様に向けられる。

 その脅威でも、新皇様のお顔は怒りに変わらなかった。悲哀の表情を一層に濃くしただけ。

「我の命で、皆の者が助かるなら、我は従う。」

「いけません!新皇様!」

「何者かは知らぬが、その者の望みを受ける事も、我の宿命。」

「新皇様!」

「何ノ演技ダ。有体スギル態度ガ嘘デアルコトハ、シレテイル。貴様ノシタ行為ヲ、今更ニ後悔スルノカ?」

 黒服の男は、ガチャリと銃を操作した。

 新皇様を守り取り巻く者たちから、唾を飲み込む息遣い聞こえた。我々華族の存在意義が、神皇在りしの身心であっても、向けられた銃に怯まない人間はいない。

 恐怖が全身を突き抜けた瞬間、麗香は不思議な感覚に囚われた。自分の意識が実際の動きより遅れる感覚。

 麗香はその銃口に向かって駆け、新皇様の前に立ちふさがった。黒光りするヘルメットに映る歪んだ自分の顔を、他人事のようにみてから、やっと追いついた自分の意識の中の思考と結論。

(間違いなく、死ぬ。)

 銃口との距離を目の当たりにして、あったはずの恐怖が消えていた。

 そして、何故か、あの夢のフレーズが頭に浮かんだ。

『継こそは、柵のない世であなた様を支え尽きとうございます。』

 そう、あれは死に間際の、来世への誓い、祈りだった。

 麗香は両腕を大きく広げて、尽きる命を受け入れていた。
















「どういう事!?この映像は何?」

 退職届を渡すにあたり、仕事の引継ぎをしようと持って来ていたタブレットに、神政殿内を映し配信している動画サイトに繋げた。 テレビ画面と合わせて、それを見た文香会長が叫ぶ。

「誰かが、京宮御所内の神政殿フロアにカメラを設置したようで、黒川君が見つけて、犯人捜しの為にシャットアウトはせず、そのままにしておいた映像です。」

 絵画に墨汁を落とすように、次々と黒い服の奴らはフロア内に落ちて、それは始まった。

 黒い服を着た集団は、手にした銃を振り、パーティ参加者を蹴散らしていく。

 音は元より無い。だが、フロアの喧騒が想像できるほどに、華族達の慌て逃げる様子が見て取れた。

「華族会本部へ行きます。」顔つきの変わった凱さん。

「私も行くわ!」と文香会長が、ベッドから降りようとする。

「その身体では無理です。」と凱さんは止める。

「でも、今、華族会本部は人手が。」

「だからです。無理をして倒れられたら誰も介抱する者がいない。」

「大丈夫よ、自分の事は、自分で。」

「文香さん、はっきり言います。迷惑です。」

 文香会長は、悔しさに唇を噛んだ。

「あとを頼む。」凱さんは、そう亮に言い残し、病室から出て行った。

「会長の事を大事に思っている証拠です。」

「ええ、わかっています。情けないわね。肝心な時に役に立てないなんて。」

「そんな事はありません。わかっておられるでしょう。会長がここにいる。それだけが、それこそが、凱さんの存在理由になっている事を。」

 無言で頷く文香会長。

「帰るのを、待つしかないのね。」

「それが母の存在理由ではありませんか?」

 そう、どんなに毛嫌いした親でも、家に帰った時の「お帰り」の本心は、安堵が溢れた嬉しさだ。

 

 【引き続き京都で行われています双燕新皇様の降臨祭の様子を、

  中継でご覧いただいております。降臨祭では、明治改革以降に制定された

  華族階級制度に基づき優遇された華族階級の人々が、

  その降臨祭を執り行っている為、

  京宮御所の通りを挟んで隣にあります御前広場と言う公園では、

  その華族階級制度に反対する市民が集まり、デモ集会を行っております。】

 

 CMが開けたテレビが、また京宮御所の外側の様子を映し出す。同時にタブレットの画像と見比べる。驚くことに、タブレットの映像は固定カメラでは無かった。右へと動いて出口から逃げようとしている華族達の姿をアップにする。誰かがリモートでカメラを動かしている証拠だ。今なら、その誰かがわかるかもしれない。そう思って黒川君の携帯に電話かけたが、コール3回で切れた。亮は首を傾げてもう一度かけなおそうとした。すると「ひいっ。」と文香会長が悲鳴を上げる。視線をタブレットに戻すと、モーニングを来た誰かが銃で撃たれ倒れていた。

 亮はそこで初めて、そいつらが超危険な奴らだと認識する。しかし、まだどこかで、この映像は誰かのおふざけで合成ではないのかと思ってもいた。この日本で武装した集団が暴れるなんてありえない。日本は一般人が銃を持つことはできず、財布を落としても、そっくりそのまま戻ってくる善良の国だ。入ってくる宗教にも寛容で、信仰による対立もない。

 カメラが中央にズームする。黒のモーニングが多い中、シルバーで足首まで長くある燕尾服を着た人が、双燕新皇であると一目でわかった。その双燕新皇は、数人の華族会の人間に囲まれて、黒い服の奴らからの脅威に守られている。その囲いの手前に、見覚えのあるドレスの色を見つけた。

「麗香!」文香さんと同時に名を叫ぶ。

 何故、そこに?何故、皆の様に、出口の方に逃げようとしていない?

 亮は信じられない思いで画像を見つめる。

 半年も前から、ドレスと靴のデザインを自分で決めて発注し、それを降臨祭で着る事を楽しみにしていた麗香。その経緯を見守り、仕上がったドレスを京宮へと送り、大阪行きの航空券を購入したのは亮で、航空券を凱さんに渡し送迎を頼んだのも亮だ。

 何かの手違いで、凱さんは麗香を空港に送らなかった。いい加減な凱さんの事、いつぞやと同じ、気まぐれに麗香を空港までの道のりの途中で降ろしたのではないか、そんな馬鹿げた想像とは裏腹に、画像はさらに良く見えるように、双燕新皇の姿を捕え、その向こうにいる黒い服の武装集団は、ひるがえして銃を真っ直ぐ双燕新皇へ向け突き付ける。

「こんな事、どうして・・・」文香会長の声は、震えて掠れ、息を飲む。

 信じられないことに、麗香が新皇の前に立ちはだかった。新皇に向けられていた銃を自身で受けるように。

「ひぃっ、麗香っ!」













(ごめんなさい。)

 自然とその言葉が口からこぼれ落ちた。

 傷つけた藤木に、私はまだ謝っていない。藤木はただ、私を心配してくれ、最善の尽くしをしてくれていただけ。

 麗香は自分に積み上がる「想いの違い」に、理不尽にも藤木に八つ当たりをしていた。そういう事も全て読んで知っていたはずの藤木は、ただ黙ってそれを受け止めてくれていた。

(ごめんなさい。いつも私の我儘を黙って許してくれてきたお父様、そしてお母様。)

 親孝行の一つも出来ないで、跡継ぎとしての役割も果たせない。ただ、一つ誇りに思えてくれるなら、新皇様を守り死んでいったと賞賛してもらえるかしら。

(ごめんなさい。私の命運と共にする、まだ名もなき子。)

 こんな私のお腹に宿ったばかりに、たった数十日でその命を尽きる無念は、あの世で受けるわ。

 死に間際というのは、こんなにも人生の謝罪に満ちているものなのかと思う。間違った選択をしてきたつもりはなくても、次から次へと謝りたい人が出てくる。

 銃口を向ける相手に、まっすぐ背を伸ばし、顔をあげた。自分の命を奪う奴の姿は、はっきり見届けて死にたい。

 それが柴崎麗香の最後の気位と抵抗。

 だけど黒服のリーダー格の人は、駆けつけたもう一人の黒服の男に肩を掴まれ止められる。黒い服の者同士、顔を見合わせたようにしばらく無言で見つめ合う格好になった。その後、リーダー格の男は銃を片手で持ち、空いた手でヘルメットの側面を触り、また電子変換した音で言葉を発する。

「新皇、ソノ女ノ捨身ノ行為、無駄ニシタクナケレバ大人シクコチラヘ。」

「新皇様!駄目です。奴らの言いなりになっては。」

「華族の存在意義が神皇在りしなら、我の存在は華族の皆、いや、皆の存在ありしの我であろう。」

 縋るように新皇様の歩みを抑える人達、言葉とは裏腹に腰が引けていた。それを見透かしたように駆け付けたもう一人の男は、持っていた銃を華族の年配者たちに向けて言い放つ。

「古来ヨリ神皇家ヲ守リ続ケテキタト、豪語スルワリニハ、ナサケナイ姿デハナイカ?」

「ひいぃぃっ」

「新皇ヨリモ、我先ニト逃ゲヨウトスルアノ者達。」

 銃を差し棒のようにフロア出入り口を回し示す。向けられた者達は一様に頭を低く下げて、うなる。

「華族ノ地位ト恩恵ニ、シガミツク強欲者。」

 華族の者達は何も答えない、ただ恐怖に体を強張らせ、頭を抱えて伏せる。

「民の欲を受心する事こそ、我、神皇家の役割。」そう言うと新皇様は、麗香の肩に手を置き横に並ぶ。「ありがとう。麗香さん。あなただけは、この命を引き替えても守りいたそう。」と麗香の耳元で囁いた新皇様は、麗香の前へ出る。

「新皇様!」

「皆の者、命ずる。我よりも己の命を尊重せよ。」

「フハハハ、ソレガ演技ダトシテモ、ソノ清廉、イツマデ保ツカ見モノダ。」

 電子音で変換される笑い声は、まるで子供が笑っているよう。でもそれがかえって不気味で、今頃になって麗香は震えた。













 新皇は自らテロリストたちの方へと歩んでいく。音声が無いので、どんな交渉がされているのかわからない。もどかしさが苛立ち募らせる。

 麗香が撃たれる事だけは免れた様子に「あぁ・・麗香ぁ。」と文香会長は一呼吸したものの、まだ安堵できない状況に、タブレットを握っている手は、白く震えていた。

 ベッド脇のサイドテーブルに置いてあった文香会長の携帯が突然、警告サイレンのような音が鳴った。携帯を取り画面を確認する文香会長。

「華族会本部からの緊急招集令だわ。」

 また、自分が行かなければという使命感で、ベッドから降りようとする。

「文香会長!駄目です。その身体では。凱さんの言う通り、ここで安静にしてください。」

「行かなければ、華族会の緊急招集よ。麗香を助けなれば。」

 文香会長は亮の制止の腕を振りほどいて取り乱す。

「会長!落ち着いてください!」

 タブレットが床に落ちた。続いて、文香会長もベッドから滑り落ちるように床に座り込んだ。患者用の白い寝間着が肌蹴て、白い太ももが露わになる。

「麗香、あの子、京都に行けるような身体じゃなかったのに。」

 その言葉に亮は首を傾げた。

(どうして文香会長が麗香の体調を知っている?意識不明の母親を心配して食事も喉を通らず、心労でやせ細った麗香の体調を。)

「私のせいだわ。私が京都へ行くのはやめなさいと、ちゃんと言って聞かせるべきだった。」

 辻褄の合わない話は、混乱しているからだと亮は、とりあえず落ち着かせなければと文香会長の腕を取る。

「会長のせいではありません。このような事態になる事を、誰も予想はつきません。」

「それでも、あの子は、・・・・無理だったのよ。私が倒れたばかりに。」

「会長、ご自分を責めにならないで下さい。」

 亮は乱れた寝巻の裾を引っ張り、露わのふとももを隠し塞いだ。文香会長はそんな対応にも気を取られず、大粒の涙を床に落とす。

「会長が倒れたのも、会長のせいではありません。」

 文香会長は大きく首をふる。そのせいでまた涙が振り落ちて、転がったままのタブレットの画面に降りかかった。文香会長は、タブレットに手を伸ばし、それが我が子の化身であるかのように、そっと画面をなぞる。

「麗香・・・何もかも、私が無理をさせてしまった。華族の称号の為に、克彦さんと付き合う事も。」

「・・・・。」

「支えなければならない時に、私は、私は何故、意識など失って・・・」嗚咽に喉を詰まらせながら話す文香会長。

 もう気のすむまで泣かせてあげようと亮は黙った。

「あの子は不安がっていたのに。宿った子に、どう愛情を注いだらいいかと。私は、そんな悩みも産まれるまでの、束の間の迷い事と・・。」

(・・・宿った子?)

 タブレットの中の映像がまた望遠になり、フロア全体を映し出す。テロリストたちが四方の出入り口に群がっている華族の者達を銃で威嚇し、中央に誘導し集め出した。

「麗香お嬢様は・・・。」

 一通りの想いを吐きだして落ち着きを取り戻した文香会長は、亮のつぶやきにやっと耳を傾け、顔を上げる。

「ふ、藤木君・・・。」

 化粧をしていない文香会長は老けて見えて、病人じみていた皺深い目が見開かれた。

「あ、あなた、知らなかったの?」

(知らなかった。麗香が妊娠しているなんて。食欲不振は、母親を心配しての事だと思って・・・つわりだったのか。)

「御田克彦氏との・・・・子供・・・・お、おめでとうごさいます。」

 かろうじて、祝福の言葉を口にする事が出来た。ただ、どんな顔をして言ったのか、読まれる本心も自信なく、文香会長から顔を背けた。

「読み取れなかったのね・・・そう、それもそうね。あなたは、男であるものね。」

 昔、文香会長に言われた言葉がよみがえる。

『あなたが読み取る物は、あなたの経験の範囲でしか読めない。』

(自分は女ではないから、妊娠する女の本心を読めるはずもなかった、と言う事か。)

「ごめんなさい。取り乱したりしなければ、あなたは知らないままでられたのに。」

「いえ、知って良かったです。」

「えっ?」

「会長、私も華族会本部に向かいます。」

「会長の代わりに、何か手伝えることがあるかもしれません。」

「藤木君・・・」

 壊したいのか、守りたいのか。自分がどっちを望んでいるのかわからなくなった。

 文香会長が目を細めて亮をじっと見つめる。

「やめてください。」

 今ほど、本心を読みとる不躾な文香会長に、嫌悪が湧いたことはない。亮は腕で目を隠して立ち上がった。

「ごめんなさい。」

 小さくつぶやいた文香会長は、ふらつきながら立ち上がると、部屋に備え付けてあるクローゼットへ行き、いつも持ち歩いているエルメスのバッグの中から黒い革製のパスケースを取り出した。

「これを。」と亮に差し出す。「私の代理として、あなたを本部に向かわせると連絡をしておきます。」

 華族称号証明書だった。

(そんな事が出来るのか?)

 亮の疑問を読んだ文香会長は、首をふる。

「通常は、代理など認められる事はありません。だけど今は、本部にほとんど人がいない。留守番の数人を残して皆、京宮御所へ行っているわ。緊急召集令は、華選を含む全称号所持の者に一斉連絡が行くようになっているけれど、いつも召集に駆け付けるのは、東の宗7頭家の内の、東京周辺に居を構える4家の者ばかり、その4家も、ほぼ全員が京都へ行ってしまっている。」

 手渡された文香会長の華族称号証明書を開くと、今よりずっと若い頃の写真が掲載されていた。

 文香会長はよろめいてベッドまで戻ることは出来ず、すぐ近くにある応接セットのソファに座り込み、肘掛けに身体をもたれるようにして顔を覆った。

「麗香をお願い。」

 華族会じゃなく、麗香をお願い。それが偽りのない文香会長の願いだった。

 亮は足元のタブレットを拾い、姿勢を正した。そして腰を折る。

「畏まりました。」

 互いに願うのは、麗香の無事。他は何も要らない。















(あいつらは何だ?)

 顎まですっぽりと被った、あのヘルメットは最新の物だ。ヘルメットの中に通信機能が内蔵されている為、話し声が外に漏れずに頭部防護を強化できるのが売りと、米軍が2年前に採用したが、現場の兵士達からは、味方の状況判断がしにくいと不評で、導入後、半年も経たない内に使用を止めてしまった、最先端すぎたお粗末物だ。確かに、顔面全部を覆うフルフェイス型になれば、多少の照明弾、催涙弾に耐えて防弾力もアップするが、身近にいる仲間の「誰」がわかりづらい。意外にも、戦場において「誰」というのは重要で、負傷時においても、誰が戦闘不能になったかを瞬時に把握できなければ、次の戦略を組みにくい。

 あのヘルメットは、見込み違いにメーカー在庫になったのは安易に想像できる。それがテロリストに流れてしまった。使いにくいクレーム品であっても、一度は米軍が採用した事がお墨付きとなって、反社会勢力に流れてしまうという皮肉な結果になった。テロリストに対抗する為に開発した武装武器が、結果テロリストに渡り、更にテロリストの勢力強化に繋がる。道道巡りで紛争はいつまでたっても鎮静しない。

 凱斗はエレベーターの扉の開閉速度に苛立ち、肩を半分ぶつけながら、ねじりだすようにして病院を出た。走りながら携帯を取り出して、華族会本部に繋げた。三回のコールももどかしい。

「はい、華族会本部です。」

「柴崎凱斗です。」

「あぁ、凱斗さん。テレビ見ました?京宮御所にヘリが、屋根に何かあったんでしょうかね。天窓が故障とか?」

 危機感のない悠長さに、腰が砕けそうになる。

「晋也さん、今そこに誰がいます?」

「僕と保野田さんだけですけど。」

「苅谷さんは?」

「今日は来ない日です。日曜日ですから。」

 そうだった。だから保野田倫子さんが代わりで華族会事務所にいるんだった。

(駄目だ。華族会本部は全く機能していない。)

「緊急招集令をかけて下さい!」

「えっ?えー?」

「緊急事態です!あれは天窓の故障なんかじゃありません!」

「うへ?」

 電話の向こうで変な声を出して慌てている高松晋也は、凱斗の4つ下の現在31歳、父親の高松泰一が長く華族会の会計処理業務を担っていて、その流れで息子にも仕事を教える為に、本部に常勤している。

「緊急招集令のかけ方なんて、僕、知りません。」

 凱斗は奥歯を噛みしめながら、ため息を吐いた。

(緊急招集令のかけ方を知らない奴を、留守番に置いとくなよ。)

 凱斗のため息は、携帯のマイクが拾って相手に届いたようで、高松晋也は「すみません。」と謝って来る。

「じゃ、今から言う通りに動いてください。」

「えっ、えっ、」

「金庫に鍵付きの桐箱が入っています。それを開けてください。鍵のナンバーは、」

「ちょっ、ちょっと待ってください、いいんですか、そんな勝手な事して。」

 まだ、のんきな躊躇いをする高松晋也に、我慢の限界が来た。

「緊急事態だと言っただろ!京宮で起きている事は、事故なんかじゃなく!テロだ!」

 年下であっても相手の方が身分は上だ。しかも華族12頭家に入る家の息子、凱斗の今の物言いは完全に無礼で叱咤ものだ。しかし、そんなことで躊躇している場合ではない。

「君と保野田さんだけで本部を機能させる事が出来ないから、召集令を出せと言ってるんだ!」

 微かに唾をのんだ息遣いが聞こえた。

「すべての責任は俺がとる。何か言われたら、柴崎凱斗に脅されたと言え!」

 有事に出す緊急招集令は、二人以上の華族の判断で発令する事が決められている。華選の身分の凱斗が勝手に出して良い物じゃない。

 電話の向こうからは息遣いも聞こえず、無音になってしまった。

「失礼は後ほど謝罪します。一刻を争うんです。テレビに映っていた京宮の上に滞空しているあのヘリは、所属不明のヘリで、降下した奴らは屋根の修理業者ではなく、身元不明のテロリスト。天窓を利用して空から神政殿に侵入し、もう既に負傷者も出ています。緊急招集令をかければ、関東に残っている華族の何人かが本部に駆け付けてくれます。」

 説明しながら丁寧な言葉使いに戻した。自分が冷静になる為にも。

「鍵のナンバーは何番ですか?」

「1868 3」そのナンバーは華族会が発足した年月。「召集令専用PCは、どれかわかりますね。」

「はい。」

 緊急招集令は全国の華族、華准、華選に一斉連絡が行くようになっている。少し古めかしい小さなPCに個々の連絡先が記録されていて、他のネット接続のPCとは別回線になっている。召集令をかける時しか使わない機器であるため、外部からのハッキング対策は万全。

 一昔前、携帯がなかったころには、各家庭や職場などに専用電話を設置して、ランプとコール音で召集令の発動を知らせていた。さらにその昔は、華族会事務所の人間総出で電話をかけまくって呼び出していたらしい。その更に大昔は、電報や速達郵便で召集していたとか何とか・・・それは与太話。

 通話していた回線が保留音楽に代わったが、すぐに切れ、高松晋也が話す。

「今専用PCの前です」固定電話から子機に切り替えたようだ。

「鍵を回してから電源を入れて下さい。立ちあげ後、2つのコードナンバーを入力する画面になりますから、枠の一つに晋也君の華族会ナンバーを入れて下さい。ご自分の家族会ナンバーを覚えていますか?」

「あ、はい。」

「どぉ~したんですかぁ~」電話の向こうで、保野田倫子の、のんびりした声が聞こえてくる。

「入力完了しました。」

「もう一つは、今から言うコードナンバーを入力して下さい。」

「はい」

「197806259」柴崎信夫の華族会ナンバーである。

 柴崎一族全員の華族会ナンバーは、頭に消えない記憶としてある。勝手に使うのもご法度だ。文香さんのナンバーでも良かったが、後から入院中だったとわかって問題になるよりは、いい。

「エンターを押したら、再度の確認画面、そこ【はい】選択してエンターを押せば完了です。その後はパソコンが勝手にシャットダウンしますから何もしなくて大丈夫です。俺の緊急召集令の登録先はこの電話になっていますから、鳴ればこの通話回線は切れます。今から、すぐにそちらに向かいます。俺が到着するまで、電話対応をお願いします。召集令に関する問い合わせには、京宮御所の凶事に対応する為として、本部に来られる方は即来てくれるように頼んで、無理な者には次の指示を待つようにと言ってすぐに電話を切って下さい。電話はジャンジャンかかってきますから。」

「はい、では確認画面でエンターを押します。」

「お願いします。」

 電話を切るとすぐに嫌な警告がバイブ振動と共に鳴る。携帯の画像は紫色をバッグに華族会の家紋マークを表示している。

 この緊急招集令は、どの機能よりも優先されて表示される。電話中でも容赦なしだ。

【13:56華族会本部、高松晋也氏、柴崎信夫氏により、緊急招集が発令されました。この発令連絡を受け取った方は、所属の華族会事務所又は、近くの華族会事務所に糾合してください。華選の方は個別召集まで準備待機とします】

 今、東京近辺にいる華族は少ない。元々、緊急招集令に駆けつけるのは、白鳥家、柴崎家を含む4家ぐらいしかいない。

(これで、何人が集まれるか・・・)














 エレベーターが2機とも一階で停止していたので、亮は階段を使って駆け下りた。一階の踊り場で左足の違和感に気づくも、無視して玄関へと向かう。病院内は、日曜日でも見舞う客が出入りしていて、スーツ姿の亮が院内を走ると振り返り注目される。

 玄関を出た所で、小さい子を連れた家族連れと鉢合わせになり、小さすぎて視界に入らなかった子供とぶつかりそうになって、寸前で交わす。その無理な方向転換に、左足にズキリと痛みが走った。

 家族連れに「すみません。」と言って、急ぎ外に出た。

「こんな時に。」

 普通なら、この左足は二度と動かなかった。自力の二足歩行は困難、一生、車いすか松葉づえの生活でサッカーなど完全に無理だと医師に宣告された。それを藤木家の力で、まだ承認されていない医療資材を海外から取り寄せ、違法手術を施した。左足の太ももの裏側には小型の電池とマイクロチップが埋め込んである。神経電位を補強しているその電池は、電気製品と同じで、消費量が多ければ消耗も早い。基本4年に一度の交換が必要だが、初年はリハビリの運動量が多く消費が早いと見込んで三年で交換し、それから4年の二回目の交換がもうすぐの時期だった。計算上は余裕を持たせての4年の交換だが、予測の誤差によるマイクロチップの不具合が出る可能性がある。

 亮は自分の車に乗り込んでから左足を叩いた。痛みはある。痛みがあるのは、マイクロチップが正常に神経電位を補強してくれている証拠だ。故障もしくは電池がなくなれば痛みもなくなり、足は動かなくなる。

「保ってくれよ。」

 心配しても仕方がない。リモコンの電池を交換するようには簡単にはできないのだ。

 気持ちを切り替えて車のエンジンをかける。メーターパネル等のエクステリアが一斉に点灯する。免許を取って初めて買った車だった。マンションの駐車場及び近くの月極駐車場はどこも空きがなく、柴崎邸に駐車させてもらっていた。それも退職するなら引き取らないといけないと思い、今日はこの車で文香会長が入院する病院に来たのだった。

 エンジンが温まるまで、タブレットで京宮の様子を確認する。神政殿フロア中央に、華族の者たちは集められて座らされているようだ。さっきまでアップになったりしていたカメラの動きは、フロア全体が見渡せる正面を向いて止まっている。

 集められた華族達の、どこに麗香が居るのか、豆粒のようになった人の大きさのアングルではわからない。進展のない事が、少しだけの安心、と亮はハンドルを握りシフトレバーをドライブに入れてアクセルを軽く踏んだ。

 独特の高い排気音と振動が心地よい。マニュアルを購入したかったが、不安のある左足では危険だとオートマにした。それでも癖のあるこの車は、狭い道では扱いづらく、敏夫理事長のBMWの方が断然乗りやすい。しかし、まだ免許を取れなかった頃から欲しかった車種だったから愛着はひとしおだ。難点なのは左ハンドル用のないタイプの駐車料金払い機器には、一旦降りないといけない。急いでいる時はその愛着も失せ、その苛立ちを料金支払い機に八つ当たるようにして金を払い、亮はまた運転席に乗り込んだ。

 病院の周囲の道は、一方通行でぐるりと半周をまわらないと表通りには出られない。徐行して、ちょうど表通りに出る交差点の信号が黄色だったのを、アクセルを踏み込んで左折した。シートに背中が張り付く加速力。ギアが1段、2段と上がって、3段目と上がっていく心地よさを全身で受けた時、亮は急ブレーキを踏んだ。慣性の法則で上半身が前へ、シートベルトが肩に食い込む。

「まだこんな所で、何やってんだよ。」

 後続車が居なくて良かった。亮はハザードをつけ片寄せ、車を止める。ウィンドーを降ろし振りかえつつ叫んだ。

「凱さんっ。」

 携帯を耳にしてタクシーを捕まえられないでいる凱さんは、亮に気付いて駆けてくる。も携帯は耳から離さない。車道に一旦出て助手席に乗り込んでくる凱さんの、シートベルトの装着を待たずして、急発進させた。体を後ろに振られて、大慌てでシートベルトを差し込みするが、それでも通話は途切れない凱さん。

「まだ、何もつかめていません。ただ、あのヘリは、福井県沖500キロにある雌島に隠すように置かれていた物です。何時からそこにあったのかは明確ではありませんが、1週間前に海自の巡回船が見つけ、華選の前島さん経由で、3日前に知りました。」

 亮はカーナビの画面を病院内で見ていたテレビ報道の画面に切り替えた。音声は極小に設定する。

「フライト情報も調べたんですが、ありませんでして、まったくの身元不明の物で・・・・・はい。そちらも、まだわからずじまいで、このまま動画は流れているままです。」

 シートに置いていたタブレットは、凱さんが手に持っている。

「・・・はい、ですが、この画像があるおかけで、内部で何が起きているか、犯人の行動がわかるので、シャットアウトするのは惜しいです。」

 話の内容と凱さんの口調から、電話の相手は、帝国領華ホテル大阪に居る華族会東の宗代表の白鳥さんだと推測する。

「・・・・ええ、今から黒川君に連絡して、そのように出来ないか、聞いて対処してもらいます。はい・・・・・はい。では一旦切ります。本部に到着しましたら、また連絡致します。」

 電話を切ると凱さんは、また急いで携帯を操作し、耳に当てる。

 でもそれは思うように繋がらない様子で、もう一度かけなおした。

「・・・・ん?何だ?切れた・・・おかしいな。」

「黒川君ですか?」

「うん、繋がったと思ったらすぐに切れた。バラテンに掛けてみる。」

 凱さんは電話を操作しまた耳に持って行く。次は繋がったみたいだ。

「おう、バラテン、柴崎だ。はっ?えっ、おい!」耳から外した携帯を見つめ、苦悶に眉間に皺を寄せた凱さん。

「どうしたんですか?」

「今は駄目だ、邪魔するなって怒鳴られて、切られた。」

「それって、また、ビット対決してるんじゃ。」

「う~ん。かもしれん。何があったんだ?」

「俺も先ほど黒川君に掛けたんですが、呼び出し音3回で切れました。」

「くそっ、何もかもがわからない事だらけっ。」と凱さんは首の後ろを苛立ち紛れに荒く掻いて、不意に止めた。「文香さんは?」

「大丈夫です。華族会の緊急招集令が鳴って、また自分が行くと言われましたが、説得して、納得していただきました。文香さんの代理として華族称号パスを預かっています。」

 称号パスを他人に貸した事実に、驚きを隠せなかった凱さんは、妙な表情をしたが、すぐに納得の頷きをして、また携帯の操作をする。

「くそっ、こっちもかよっ。」またどこかにかけた電話は繋がらず、凱さんのイライラだけが募り、疲れたようにドアに肘をつけて頭を預けた。

 サーキット走行のようにシグナルブルーでスタートした加速に気づいて、凱さんはつぶやく。

「フェラーリか・・・藤木君らしい、お似合いだ。」

「ただの宝の持ち腐れです。」

 そう、有り余る財力、藤木家の権力、扱いきれない能力、すべてが自分には持ち腐れるものだ。腐れば宝もゴミとなる。

「ところで、バイクはどうしたんですか?」

「あぁ、群馬のショッピングモールに忘れた。」

「はあ!?」

 フェラーリ独特の高音域のエンジン音と、亮の叫びが綺麗にハモった。












「あー、やっと日本に帰れんなぁ。」

 遠藤はベッドにもなりそうな深型の白いソファにどかっと腰を落とし、伸びをする。

 シドニー国際空港にある、帝都航空スカイラウンジに慎一達はいる。ファーストクラス、ビジネスクラスの客だけが、フライト前後に休憩を取れる特別な部屋だ。帝都国際空港行きのフライト時間まで、あと2時間ほどある。

「遠藤、日本についたら、何処に泊まるんだ?」

「帝国に予約を取ってる。あそこはトレーニングルームがあるし、皇居外苑の側やからな。朝ジョギングするのにええねん。」

 日本に着いても、遠藤はすぐに大阪には戻れない。慎一達代表チームの一部は、翌日に大東テレビのバラエティ番組に出演する事が決まっていて、遠藤は東京に一日滞在する。たった一日だけど、トレーニングを欠かすことなく、それが出来るホテルを選ぶのは流石だ。

「あーじゃ、俺も帝国にしようかな。」

「はぁ?お前、家に帰らんの?」

 説明が面倒で黙っていると、永井が笑いを押し殺して新田家の事情を説明する。

「だから言ったやろ、結婚しろって、新田のおかんも、さっさと結婚して出ていけってことやねんって。」

 また、そんな話になる。永井が逃げるように、ドリンクサービスのカウンターへと立ち上がった。

「今、結婚したら、ややこしいだろ。」

「何がや。結婚ちゅうもんは、ややこしいもんや、それを乗り越えてこそ夫婦ってもんやろ。」

「日本を出たり入ったりで、一人でも大変だってのに、彼女の事まで構ってられない。」

「モデルのシーナちゃんやったら、問題ないやろ。ハーフやねんから。」

「シーナは、あぁ見えて英語は話せない。」

 シーナはアメリカ人の父親の血が色濃く出て、外国人に見られる顔立ちだが、父親には認知されずに母子家庭で育っている為、英語は全く話せない。

「ほんまか!」

「うん。」

「でも、DNAがしみ込んでるから話せるの早いって。」

「そんな理論、聞いたことが無い。それに、次は英語よりもっとややこしい。」

「はぁ?」

 遠藤には、まだフランスのマルセイズから契約交渉の話が来たことを話していなかった。いい機会だから言うことにする。

「次はフランス語が必要。マルセイズだ。」

「まっ、まじっ・・・」遠藤は大きく目を見開いて、言葉を詰まらせる。

「正式契約はまだ、帰国後の予定だ。」

「はぁ~、そうかぁ~、マルセイズかぁ~」

 遠藤は柔らかすぎるソフアの背もたれに、天井を仰ぎ見るようにもたれかかった。

 素直なリアクション。取り繕うところが無い。それが遠藤の良い所だ。遠藤とは、日本代表としては仲間であるけれど、それ以外の長い間、ずっとライバルだ。

 世界ランク10位のチームと契約をする慎一は、日本サッカー界のトップ選手になったと言っていい。過去ブラジルに強化留学した遠藤を抜いたと言っていいだろう。

 しばらく天井を仰ぎ見ていた遠藤が、足で反動をつけて大きく身体を起こす。そして慎一の腕をグーパンチしてくる。

「おめでとう!やったな、新田!」

「痛いっ。」

「やっと、俺を抜いたか。」

「・・・遠藤。」

「これで、お前との勝負が、さらに楽しみになったわ。マルセイズの新田を負かすと言う楽しみが、それが出来る俺は最高や。」

 遠藤らしい、前向きすぎる納得。

「前祝いや、なんぼでも飲め。」と立ち上がりカウンターへと何かを注文しに行く。

 まるで自分の奢りのように振舞っているが、ここの飲みと食べ物は全部、無料だ。

 落ちこんでも、すぐに立ち直る。明るく常に前向きな姿勢を崩さないのが、遠藤の気配りであり、偉大さ、時にうだるようなウザがあっても、慎一はずっとライバルとして、友として繋がっていたいと思う。

 遠藤が、黄金色をした酒の入ったグラスを手に戻って来た。

「マルセイズの新田に乾杯。」

 日焼けした遠藤の笑った顔が、子供のようだった。

「日本のエースであり続ける遠藤に乾杯。」

 カチンと鳴らして口に含んだ。強烈に甘い味に、吹き出しそうになる。

「なんやねん!シャンパンちゃうんか!」

「アルコールはあかん!飛行機乗る前に飲んだらえらい目に合う。」遠藤は酒が弱い。

「子供かっ」

「新田!発音ちゃう言うてるやろ!また特訓せんとあかんな。フランスに行く前にびっちりシゴいたるわ。」

「必要なのはフランス語であって、関西弁じゃない!」

 甘すぎて何味かもわからないジュースを、捨てずに飲む努力をするのが、慎一の無駄な優しさであると自負している。

 永井は、もう遠藤の関西弁にうんざり来たのか、それとも慎一達への気遣いに疲れたのか、自分の飲み物を取りに行った後は、窓側に向いている柱の影の一人掛けソファに座り込んで、スマホゲームをし出した。

 遠藤は飽きもせず、スマホに入っているわが子の顔を眺めては「可愛いなぁ」と顔をニヤつかせる。

「なぁ、遠藤、お前はどうするんだよ。来期は。」

「どうするって、ガンツ大阪にきまってるやん。」

「前にイタリア、SCミランから契約交渉の話が来たって話を聞いた、あれは?ガセ?」

「いや、ガセちゃう。ほんまや、随分前の話やけどな。」

「え?ほんまの話を断った?何故。」関西弁が移ってしまい、変な日本語になってしまう慎一。

 遠藤はソファに張り付いていた背中を起こし、前かがみに手を伸ばしてスマホをテーブルに置くと、そのまま膝に肘を置いて手を組んだ。

「まず、ガンツ大阪の契約がまだ一年、残ってた。」

「契約違反金は、SCミランが全て払うって提示になっていなかったのか?」

「なってた。違約金+迷惑料、スポンサーに対する違約金まで全て払うと。」

「じゃ、何故!?」

 イタリアのSCミランはフランスのマルセイズとタメをはる世界ランク9位だ。違約金をすべてSCミランが払うとチームが言ってるなら、何も問題なくイタリアに移籍していいはずだ。珍しく黙ったままに口を結んだ遠藤は、手を組んだ指の人差し指だけを伸ばして叩く。

「まだ、返せてない。」

「は?」

「ブラジルから持ち帰った物を、俺は日本に返せてないんや。」

 遠藤は日本代表として17の時、本場ブラジルのリオ・サントスFC、外国人強化留学選手として2年間全うした。

「確かに、あの強化留学の話は、日本サッカー界を先導し、次世代に伝達を、とかなんとか言われてたけど、だからって・・・」

 留学の費用は全て日本サッカー連盟とスポーツ振興会から出ていて、培った技術は日本サッカー界に還元するという名目の留学の話だった。その日本に還元するという名目が曖昧すぎて、具体的にどうすればいいのかなど、明確に決められているものではなかった。 日本代表チームが全員で長期留学をするというならまだしも、たった一人の個人技術をアップしただげの還元なんて、しれている。しかも留学の話は、毎年定期的にあるわけでもなく、ブラジルのリオ・サントスのチームに欠員が出たら、日本に要請が出る程度のチャンスで、あきらかにリオ・サントス側の金銭的確保目的に寄っている。更に聞くところによると、留学を満了したのは遠藤が初めてらしい。怪我や身体の不調、ブラジルでの生活が合わないとかで2年の満了を待たずに帰国する選手が多く、培った技術を日本サッカー界に還元するという名目を、従順に守り帰国した選手などいないに等しい。

「そんなの、誰もやってない。」

 遠藤は、前かがみだった腰を起こして、慎一へと顔を向けた。その顔は、目は鋭く怒っているような、挑むような、フィールドでしか見たことが無い顔だった。

「だからや、だから俺がやるんや。やらなあかんのや。」

「・・・。」

「って言うのは、ちょっとカッコつけ過ぎた言い訳やけどな。」と一旦息を吐いて表情を緩めてから続ける。「SCミランの話は、正直、タイミングが悪すぎたんや。何もなかったら、契約してた。俺も海外への夢は持っとったしな。」

「タイミングの悪さって?」

「いろいろ。俺だけのタイミングの悪さだけやない色々があったんや。」

 こんな遠藤でも言いたくない、話せない事情や心の内があるのだと、慎一は口を噤んだ。

 遠藤は炭酸の抜けた甘いジュースをもう一度手にして、飲み干す。

「・・・ごめん」

「あほっ!お前に謝られる何が、あるっちゅうねん。」

「いや・・・聞いたらいけない事を聞いてしまったかなと。」

「お前は~しょうもない所で神経、細か過ぎんねん。」

「う、ん~。」

「いいか、俺は、俺の納得で、今、日本におるんや。お前らが海外に行く事に、自分が遅れを取ったとは思ってない。俺とお前の向かう夢は違う。それは、学生やった頃からわかっていた事や。確かに、SCミランを断わるのは苦渋の決断やった。返答日後の数日は寝られへん夜を過ごした。あん時は、少々強引に飲みこんだ納得やったけど、今、その選択はよかったんやって思たわ。」

 遠藤が勢いよく立ち上がる。

「お前らが海外に行く、そや、行って来い!行って海外のノウハウを持って帰って来い。俺は日本で、お前らを迎え撃つ!」

 ピストルで撃つように、真っ直ぐ慎一に人差し指を向けた。

「世界ランク10位フランスのマルセイズで成長した新田慎一を、世界ランキング56位の日本代表のキャプ、この遠藤篤志が打ち負かす!最高や!誰も出来ひん事を俺がやる!俺がやらなあかん!海外に行かんくっても、海外所属組を超え打ち負かす技術を得る事が出来るっちゅう、その実績を俺が作る!」

 慎一は、自分だけの小さな夢にこだわり、世界へ行く。対して遠藤は、まだ世界から遅れている日本のサッカー界を見据えた大きな夢に拘り挑む。昔から遠藤の進む道はまっすぐで、結果はいつも近道だ。

「覚悟しろ、新田ぁ!」

「あのー、お客様、申し訳ございませんが、もう少しお静かにお願いします。」

 帝都航空の制服を着た長身の外国人美女が、流暢な日本語で遠藤を嗜める。

 視界の向こうで、永井が笑いをこらえて肩を震わせているのが見えた。












 華族、約50人あまり、神政殿フロアの中央に脅し集められ、白木の床に直に座らされた。神政殿フロア内が床暖房になっているのが救い。銃を突きつけられて、携帯電話を出せと言われる。神政殿内への携帯電話の持ち込みは禁じられていた。元より女性はバッグの所持も禁じられていたため、機器を携帯する事が出来ない。だが、そうして禁じられているにも関わらず、男性はモーニングのポケットに忍ばせている人が何人か居て、黒服の男達に没収され、中のシムカードを取り出されて壊された。その禁じを破った中に克彦さんも含まれていて、落胆している彼を見て、麗香はわずかに胸がすっとした。そんな自分の醜い心を自覚して、苦渋を飲まされたようになるが反省はしない。克彦さんは結婚相手の麗香より、御田和葉さんの手を取り、他の友人たちと肩を寄せ合いうずくまっている。死に目に遭いそうになった麗香とは、完全に他人のフリをして一瞥もこちらの様子を見ようともしない。

 新皇様を含めて人質全員は、手首に結束バンドを巻きつけられて縛られた。

 全身黒づくめでヘルメットをかぶった犯人達は、全員で10人。リーダー格の男が、新皇様を御帳台の前へ連れて行った。新皇様は近くで倒れている道元様を心配して、犯人達の腕から逃れようと抵抗するも、リーダー格の男に銃床でお腹を殴られ、新皇様はうずくまった。その瞬間、女性たちからは悲鳴が、男性達からは非難の声が上がったが、すかさずリーダー格の男が天井に向けて銃を発砲し、悲鳴の後に首をすくめて黙った。倒れている道元様はピクリとも動かない。

 犯人達は何が目的でここに来たのか?

 自分たちはこれからどうなるのか?

 麗香はお父様の事を思い出す。頭家会議があると言っていたから、京華院の方にいるだろう。この状況を知っているのか?警察には知らせてくれているだろうか。

 扉の制御を犯人達が占拠していると言っていた。外にも仲間がいて、出てこない様に鍵を閉めたということだろうか。それならば、お父様たちも、京華院で人質にされている可能性がある。誰も助けに来ないのがその証拠なのかもしれない。

(あぁ、お父様、無事でいて。)

 まわりの状況から推測だけの思考が繰り返される時間が過ぎた。

 犯人たちは、麗香達を拘束してからというもの、何をすることもなく動きがない。その時間が長いように感じられた。異常の事に、時間の感覚が分からなくなっているだけかもしれない。神政殿に時計は無い。

 集められた人質の華族たちの周りを、銃を向けて歩き回る犯人達。少しでも動こうものなら、すぐに銃口を向けられる。逃げようとすれば死ぬ。それを皆は把握して落胆し、抵抗する気も失せ俯くばかり。











 文香さんが入院している病院からここまで、スピード違反、信号無視、一時停止無視、危険進路変更などの数々の違反を繰り返し、普段なら30分以上はかかる道を約18分で辿り着いた。それほどの荒い運転にも関わらず、冷汗が出るような危険を感じなかったのは、流石はF1で鍛えた実績のある車、フェラーリだ。地面に吸い付くように走る加速度と高いエンジンノーズは、どの車より特徴的で逸品だ。そしてこの車の性能を引き出せる藤木君の運転操作も素晴らしかった。フェラーリと言えば赤と言う概念に拘らず黒を選んでいるセンスも藤木君らしい。

 見慣れた仰々しい字体の看板の帝国領華ホテル敷地へ、ドリフト気味で侵入し別館前で止まると、華族会専用のドアマンが駆け寄ってくる。凱斗は降りながら叫んだ。

「緊急招集令がかかった!出入りが多くなる、本館より人を回して対応させてください。」

「はいっ、聞いております。既に二人を増援しています。」

 白鳥代表が連絡しておいてくれたのだろう。

「藤木君、その車はこのまま、彼にキーを預けて一緒に来て!車はすぐに出せる状態にしておいて。」 

 凱斗の指示に藤木君は慌ててシートベルトを外し、華族会専用のドアマンは緊迫した返事をする。

「僕らの前に誰が到着している?」

「今しがた、前島様が到着されました。」

「だけ?」

「はい。前島様が最初です。」

「わかった。」

 帝国領華ホテル内へ駆け入り、フロント奥の華族会専用エレベーターへと向かった。エレベーターは上昇中で、33階から34階と表示されて35階で停止した。前島さんだろう。緊急召集令から約30分が経つ。朝霧駐屯地から30分なら早い方で、前島さんはバイクで来たのだと予想した。

 エレベーターが降りて来る間、降臨祭の役割分担リストを頭の中で表示する。そのリストに名が載っていない東の宗7頭家の主要人を探し出す。まず柴崎家は、東京にいるのは自分と洋子さんのみ、信夫理事長と麗香は京宮で、敏夫理事長は大阪で白鳥代表の手伝いをしている。白鳥家は長女の美月さん以外は全て大阪入りだ。美月さんは麗香と同じ若手世代で有事召集に関わった事が今までにない。隣の本館でコンシェルジュをしているが、こっちに来れるかどうか微妙だ。高松家も夫婦で京都入りしている。晋也さんの上に姉がいるが一般人と結婚して華族会に顔を出さなくなっていた。

 櫻田家は、元よりこういう有事の際には顔を出さない家だ。先代の総一郎会長と折り合いが悪く、一度、諍いになってから華族会の有事には顔を出さなくなったと聞いている。華選制定に強く反対したとかなんとか。

 あと橘家は7頭家の中でも一番立場が弱いと言っていい。昔から官僚に身を置いて来た一族だ。相反する幕府にその身を置き隠れ忍んでいた一族。官の立場を利用して幕府の原状を神巫族に伝えていたスパイ的役割を担っていたが、時に幕府側につく色が濃い時もあり、橘家自身も華族の中では、その負い目があり言動を強く出せないでいる。今でも橘家当主である橘靖幸氏は総務省官僚であり、その息子橘秀平、淳平兄弟も各省庁へ入官したと聞く。こういう有事の際は各省庁との連携、情報を統括する役割をする為、召集には来ない。

 守都家は精華神社の社司である為、宝玉を持参して京都へ、彩音さんは火傷で入院中だから母親である由美さんは来られないだろう。元より守都家は光玉から離れる事が出来ない為、有事には参加しない

 残る諏訪家は歴史の古い米問屋庄屋で、今は全農組合をも統括する米商社の財閥一家。降臨祭に参加しているのは妻の美津子さんだけだ。諏訪家の当主諏訪國広氏は東京にいる。

 やっと降りて来たエレベーターに乗り込んだ。腰にぶら下げていたキーケースを外して、八角のトウキシミの実がモチーフである華族会マークの華族バッチをつまんで取り出す。本当は服の襟もとにつけなくてはいけない物だけど、これ見よがしに権力誇示するのは嫌いだ。

 エレベーター操作盤下の隠し扉にある鍵穴に華族会バッチをはめ込む。階層ボタンが全灯する。20階のボタンを押すとそのボタンだけ消えて、扉が閉まる。エレベーターがゆっくりと上昇し、凱斗はため息をはいた。

「少ないな。」

「本部への召集人数ですか?」と藤木君が聞いてくる。

「あぁ、俺を含めて、4人。」

「4人だけ!?」

「留守番の晋也さんと藤木君を合わせれば6人、ほのりんちゃんは戦力外だし。」

「ほのりんちゃんって、もしかしてサッカー部マネージャーだった?」

「そう、保野田凛子さん。」

 藤木君は納得したように「あぁ」と嘆く。

「京宮と連絡は?信夫理事長は?」

「かけた、繋がらない、携帯も京宮の華族会執務室にも、弥神家の方も、呼び出し音が鳴らないんだ。」

 険しい表情を向けてくる藤木君。その心情は凱斗も同じだ。

「華選の方達は?華選は、こう言う時の為の精鋭人でしょう。」

「あぁ確かに。だが、俺以外の華選は、有事対策の中で必要に応じて華族会が呼びつける形になっている。召集令の連絡は華族同様に一斉に行くが、華選には呼び出しに対応できるように準備せよと、つまり待機命令に留まる。」

「どうして?それじゃ何の為の華選なんですか。」

「華選は華選承認項目があるだろ。それぞれ個々の能力に応じて承認された称号だ。有事の種類によって必要な能力の持ち主が呼び出される事になっている。先代の総一郎会長は、有事の才に華族に変わって指揮をとる専門の精鋭人を目指して作りたかったようだったが、色々と内部反発が多く、結局、中途半端な華選の地位制度になったままだ。」

藤木君は、険しい顔のまま落胆する。

「完全に人材不足だ。中々、華選に見合う人がいないというより、華選認定の基準が厳しすぎると思うんだ。もっと緩めたら、藤木もなれると思うんだ。」

「そんな俺なんて。」

「俺よりもしっかりしてる。戦略的頭脳もある。だからこそ、文香さんは代理として頼んだ。」

 凱斗の視線から逃れるように、藤木君はそっぽを向いてしまった。











「どうなるかわかりません。警察の機動隊で対応出来ればいいですが・・・・・・はい、あの武装、タダ者じゃ有りません・・・・・いえ、それもまだわかりません。・・・・・はい・・・・はい。」

「ええ・・・・はい、わかりました。警察庁の警視監の村松氏ですね。わかりました。そのように。はい。」

「誤作動ではなくてぇ・・・・京宮御所のぉ、凶事にぃ対応する為ですぅ。・・・・・えーとぉ、詳しい事はぁ・・・・わからなくてぇ・・・・こちらからぁ・・・・・・指示があるまでぇ・・・・・はい、それでいいと思いますぅ。」

「もうすぐ到着になられると思います。先ほど電話してこられて、首都高速を降りる所だからと、洋子理事長もあと30分ぐらいでと・・・・はい。あっ凱斗さんが到着されました。はいっ・・・・・凱さんっ、敏夫理事長が代わって下さいと。」

部屋に入るなり、白鳥美月が凱さんに固定電話の受話器を差し向ける。

 亮達が華族会本部の事務所に駈け込むと、全員が(と言っても4名だけ)電話中だった。昨日挨拶をした高松晋也さんと、懐かしいほのりん先輩は変わらず、こんな時ものんびりしたかわいらしさで。

 そして迷彩服を着た50歳ぐらいの男性は、これまでの事で、凱さんが電話をしていた前島さんという人だろう。陸上自衛隊の階級マークが仰々しく胸にあり、かなり上の階級の人だとわかった。

 白鳥美月が険しい顔で亮を視認する。

「文香様から連絡を頂いたわ。代理でよこすと。」

「はい。微力ながら力添えいたします。電話番ぐらいにはなりましょう。」

「良く言うわ、麗香が認めた策士が・・・」

 その言葉の後、いつもながらに強気に「本当ならあなたみたいな一般人が入れる場所じゃないのよ。」なんて言われるかと身構えたけれど、白鳥美月は眉間に皺を寄せてつぶやいた。

「来てくれて、助かる。」

 乱れ一つない白鳥美月の本音だった。プライド高い女が見せるわずかな弱みが、色気となる瞬間だ。

「麗香、大丈夫かしら。変に勝気だから犯人達を怒らせてなければいいけど。」

 その麗香の勝気で銃で撃たれそうになった事を、白鳥美月は知らないらしい。亮は、無言で微笑するだけにとどめた。また部屋の電話がなって、白鳥美月は受話器を取る。

「晋也さん、隣の部屋を用意してください!」電話を終えた凱さんが叫ぶ。

 高松晋也さんは、デスクから立ち上がり、後ろの壁を指さして確認する。

「そう、パーテーション全部開けて。モニターとパソコンの電源を入れて使えるようにして。」

 移動式の壁を全部開けると、驚いた事に、そこは映画に出て来るような国家戦略会議室のような、前方の壁に大きなモニターがある。その画面をぐるりと囲む半径のテーブルの上にはラップトップ型のパソコンが6台と電話、そして椅子が14個並んでいた。

「この部屋は?」

「国家の政務室と連携して有事対応する指令室だ。藤木君も手伝って。」

 亮のそばを追い抜きながら説明をする凱さん。

 促されて亮も、高松晋也さんと共にパソコンの電源を入れながら部屋を半周する。凱さんは正面へと向かって、正面モニター横にある大型のデスクトップのパソコンの電源を入れた。

「藤木君、こっちのメインPCで神政殿の動画を繋げて。モニターで見られるようにしたい。」

「あっ、はい。」

 モニターに電源が入り、部屋中にブーンという動作騒音が充満する。眩しいぐらいに明るくなったモニターは薄紫色に華族会のトウシキミの紋様が金色に輝く。

「もう一体、何なんだよ、今日は。この部屋、使うなんて・・・」

 視線があった亮に、高松晋也さんはそう愚痴って、凱さんへの嫌悪感を本心に満載した。少しばかり同情する。しかしながら、こういう極限時の先導力は桁外れに力を発揮するのが凱さんだ。素性も素行も一般人より逸脱した存在であり、華族の気位からは天と地ほどにかけ離れた凱さんを、柴崎家が養子に向かえてまで縛りつけているのは、こういう有事に参与させる為だと改めて理解した。

 亮は京宮のカメラ映像を表示させ、凱さんにパソコンを明け渡す。正面の大きなモニターは、両サイド縦に4つに小さな画面、そして中央に大きな画面にレイアウトされた。今、中央の大きな画面に亮が繋げた神政殿の動画が映し出されている。 

 画面が大きくなった分、見やすくなったが、カメラ自体の画素数が良くないので、大きく引き伸ばした分、荒く霞んで見える。現在、フロアを一望するアングルで何も変わりはないが、よく見れば、奥の御帳台の前で倒れている人がわかる。

 少し前に撃たれた誰かだ。その手前に新皇が後ろ手に正座させられている。

 事務所の方で声がしたので振り向くと、50歳ぐらい年配者が到着した模様。どこかで見た事があると思ったら、諏訪誠の父親だった。

「凱さんっ、ちょっと。」

「何だ?」

「さっき、このカメラ映像で・・・」亮は神政殿内で人質が撃たれた状況を説明した。凱さんは大きな画面を見つめ、奥で人が倒れているのを視認した。

「文香さんもその瞬間を見たのか?」と顰める凱さん。

「はい。すみません。まさかそんな事態になるなんて思いませんでしたから、二人で見ていた時にその状況になってしまって。」

 軽く舌打ちした後、取り繕うように亮に気遣う。

「責めてはいないよ。ごめん。なるほど、それでか、文香さんが華族会パスを藤木君に預けたの。」

「はい。」

「わかった。」

 凱さんはまたメインパソコンを操作し、画面を華族会マークに戻した。

 両サイドの合計8個の小さなモニターは各テレビ局が映っている。

 そして、洋子理事長も到着した。こちらの部屋が使われている事と、そこに亮が居る事に驚いた表情を見せたけれど、何も言わず誰ともなしに「京宮で何が起きているの?」と聞いた。それに応える為に凱さんが叫ぶ。

「皆さん、こちらに来てください。」

 電話対応に追われていた白鳥美月や高松晋也が電話を切るのを待って、全員が戦略室に入る。

「緊急招集令を出して集まってもらったのは、京宮御所の上空に身元不明の不審ヘリが現れ、武装した人間多数が屋根に降り立ち京宮御所内に侵入した事による物です。」

「何なの!武装した奴らって。」声高い洋子理事長が、まるで凱さんが犯人かのように、責めるように詰問する。

「洋子さん、まずは俺の話を聞いてください。」

 凱さんは、その時々で自称を頻繁に使い分ける。「僕」「俺」「私」そして前島さんと言う自衛官の前では「自分」も使っていた。多様に人称を変える人は、人との関わりに距離を置く人が多い。のは、亮が能力で他人の本心を見抜いてきた持論。

 そうして、今、洋子理事長の前では本来使っては失礼の「俺」を使った凱さんに対して、洋子理事長は不快の感情を宿した。だけど瞬時にこの状況下の立場を悟り、言いかけた口を結んだ。

「その京宮の神政殿内に設置されたカメラ映像を、手に入れています。」

「神政殿内にカメラ!!?」今度は諏訪氏が驚愕の声を出す。凱さんはその詰問に鋭い目で黙らせた。

「カメラの存在理由は追々説明します。この凶事対策には、その映像をここに映さなければいけません。いいですか?」

「そりゃ、もちろん!中で何が起っているかわかるのなら、願ってもない事だ。」

「聞いているのは、皆さんの覚悟です。」

「何?」

「神政殿に侵入した奴らは、ただの不法侵入者ではありません。武装し、新皇を狙って聖域を超えて来た謀叛者、テロリストなんです。」

 前島さん以外の人間が、心の中で憎らしげな卑しさを凱さんに向けた。「何を言ってるんだこの野蛮が。」「謀叛者はあなたでしょ何を得意げに。」「またいい加減な事を言っているわ」

 凱さんは、それら無言の非難をすべて受け止めるかのように全員へと視線を這せた後、続けた。

「既に怪我人が出ています。」

 亮以外の全員が、吸い込む悲鳴を上げた。

「何だって!本当か!」

「誰!まさか新皇様?」

「新皇は無事です。今の所は。」

「誰よ、誰が怪我したっていうのよ。」

「何をしている、早く見せろ、モニターに映し出せ。」

 洋子理事長と諏訪氏、白鳥美月までが凱さんに詰め寄る。ほのりん先輩だけが首をかしげて、また事務所で電話が鳴ったのを取りに部屋を出た。

 凱さんが、悔しそうに歯を食いしばる。

 バンっと大きな音が詰め寄る口々を静めた。皆がその音を出した前島さんへと振りむく。

 浅黒く節ばった拳が机の上に叩き置かれていた。

「その動揺が!この事態を対処するのに邪魔なんだ!」

 低く気迫に満ちた声と睨みで皆を黙らせた。しかし、次いで前島さんは、大袈裟過ぎるほどオーバーに背筋を伸ばし、敬礼をする。

「失礼いたしました。」

「な、何なのよ・・・」

「前島さんの言う通りです。神政殿内の映像を見て、今のように、いえ、それ以上に動揺、混乱、狂乱されては対処できなくなります。京宮内にある華族会執務室とは連絡が取れない以上、ここの、この人数だけで各機関へ指示する対策本部としなければなりません。」

 凱さんは、後ろの画面へと腕を大きく振り指した。

「この先、ここに何が映し出されても、冷静に対処できるよう覚悟してください。」

「何がって何なのよ。」

 洋子理事長のつぶやきは無視されて、

「それが出来ないのなら、この部屋から出て行ってください。邪魔です。」と凱さんも凄む。

 束の間の重い時間が流れる。そんな時間も惜しいはずなのに、凱さんはあえて、皆にその時間を作ったのだ。

 前代未聞の事態に、皆が覚悟する時間を。













 麗香の知らない中年の男性が、こういう場面でのお決まりの懇願をした。

「と、トイレに行かせてくれ!」

「わ、私も。」男性の隣に座っていた中年女性も手を上げて訴える。

 その懇願にリーター格の黒服の男は、顔を向けただけで無視をした。

「もう我慢できないんだ。漏れそうで。」

「わ、私も。」緊迫の状況で声が震えているのが、リアリティ溢れるが、犯人達は威嚇に銃を構え治しただけで、訴えた中年男女も向けられた銃に怯えて身を縮め、その騒動は寸劇に終わる。そんなやり取りを見届けた視界の先で、弥神道元様が倒れている床下が血にあふれて溜まっているのを麗香は見てしまった。吐き気が込み上げてくる。あの状態に自分がなったかもしれないと思うと、今更ながらに震えた。息を吸うのにも力が入らず、喉に唾が詰まった。

「大丈夫ですか?」

 麗香の隣に座る白髪の老齢男性が、身体を寄せてふらついた麗香の身体を支えてくれた。

「ええ、何とか・・・」

「先ほどは凛乎たる行動でしたね。」

 不思議なほどに身体が勝手に動いていただけ、犯人達に立ち向かう固い意思があったわけじゃない。

「流石は、柴崎総一郎会長のお孫さんだ。」

「えっ?」老齢男性の顔をよく見ても、麗香の知らない人だった。到着時のあいさつ回りでお会いしているかもしれないが、短時間で多くくの人とご挨拶を交わしたから覚えていない。

「柴崎総一郎会長には随分とお世話になりました。」

「お爺様と?」

「ええ、会長は華族のあり方に革新的な考えをお持ちでしたが、だからと言って神皇に仕える伝統的な信念は誰よりも強いお方でした。またそれを実行できる力もお持ちで、何かと厳しくもありましたが、私ども微弱な一族にも気に掛けて頂いて、大変お世話になりまして感謝いたしておりましたが、恩も返せないままになってしまいました。」

「あの、大変失礼なのですが・・・」名前を聞こうとした時、状況が動いた。

「新皇、顔ヲ上ゲロ。」

 リーダー格の犯人が、うな垂れている新皇様の正面に立ち、銃で顎を起こす。

「な、なにをする!」華族の者達が口々に叫ぶ。

「黙ッテモラオウ。」と銃口をこちら華族の者たちへ振ると、周囲の監視している犯人達もが、ガチャリと銃口を皆に向ける。

 新皇様は、「駄目だ」とでも言うように、皆に微笑み、首を横に振る。

 リーダー格の男は、そんな新皇様の頭に銃口を向けながら、新皇様を立たせ、横に並んだ。そして

「我々ハ、神皇ノ神格ト華族階級制度ニ否定ヲ表明スル者。」

 何故か、リーター格の犯人は、誰も居ない西の上部へと顔を向けて話す。

「我々ハ京宮御所ノ神政殿ヲ占拠シタ。多額ノ国家予算ヲ使イ、意味モナイ宴ニ酔イしれテイルコノ華族達ノアリザマヲ見ヨ。」

 そこで、リーダー格の男はしばらく無言になった。

「何を言っているんだ!」

「この宴は新皇を迎える祭儀であるぞ!」

「宮内の伝統ある祭儀を意味もないとは何たる侮辱。」

 口々に華族の怒りが飛ぶ。

「我々ノ要求ハタダ一ツ、神皇家ノ祖歴ヲ開示セヨ。」

 華族の面々は驚愕に言葉を失う。

「歴史在ル神皇家ノ事ダ。全テ開示スルニハ、ソノ莫大ナ量ハ無理ト考慮スル。ヨッテ我々ガ求メルモノハ、太平洋戦争ヨリ後のモノ。開示ハ、インターネット上へ、ソースハドコデモ構ワナイ、公開シロ。コレハ脅シデハナイ。要求ニ応ジナケレバ、ココニ居ル人質ヲ射殺スル。我々ハ猶予ヤ譲歩交渉ニ応ジナイ。神皇家ノ祖歴開示ダケヲ望ミ、開示公開ニ到ラナケレバ、ココニ居ル人質ヲ順番二射殺シテイク。」

「そんなっ!」

「祖歴と引き換えだと!」

 華族達の悲鳴が上がる。

「ココに居ル華族ハ54名、神政殿外ニ14人、合計68名。一人ノ命ガ30分ノ価値ダ。開示公開ガ行ワレテイナケレバ人質ヲ30分オキニ射殺スル。ソシテ最後ニ新皇ノ命ダ。」

「ふざけるな!」

「新皇様を開放しろ!」

「新皇様は神の子であらせられるぞ、罰当たりが!」

 リーダー格の男が騒がしくなった華族の者たちへ向けて発砲した。銃の弾は、皆の頭上を超えて、上壁に穴をあける。

「我々ハ世ノ代弁者、 神皇ノ神格と華族階級制度ニ否定ヲ表明スル者、変革ニハ、犠牲ガ伴ウモノ。」













 華族会の有事対策部屋の大きなモニターに神政殿内の動画を繋げた。

 画面に向かって右側に華族会の面々が集められ床に座らされている。一列10人の6列となって、まるで体育の授業のようだった。  画面左には、新皇が後ろ手に縛られ、やはり床に直に座らされて、テロリストが常に銃口を向けていた。

「奥に誰か倒れていない?」と洋子理事長が画面を指差し叫ぶ。

 凱斗が病室を出た直後に、誰かが撃たれたと藤木君から聞く。その撃たれた誰かは判別がつかない。黒いモーニングを着用している事で男性だと断定できるだけだ。あまり性能の良くないカメラで良かったのか、悪かったのか。

 並べられて座らされている華族達も、この望遠距離では誰だかわからず、辛うじて、女性のドレスの配色で誰かと推測できるだけ。

 麗香が、何色のドレスを持参して着ているのかは、凱斗は知らない。

「京都府警の警備課担当は?……らちがあかない、こちらから直接電話する・・・ああ?この事態に何を言ってるんだ!広域の地方警察をまとめるのが警察庁役割だろ!・・・・・・宮内の警備局と連絡が取れないと、言ってるんだろが!何度も同じ事を言わせるな!」 

 諏訪要の父親、諏訪國広氏が警察庁と連絡をとり、その対応の遅さと連携の不備に顔を真っ赤にして怒っている。八つ当たり気味に叩き切られる受話器が壊れそうだった。

 日本国内で、こんなテロ的な有事は初めてと言っていいかもしれない。有事と言えば日本国内では、地震、津波、異常気象による水災害、稀に航空機事故ぐらいの物で、事後対処を迅速にすればいいだけの事だった。こんな、時中対応を迫られる有事は誰も経験がない。

「それは、分かっています。事が事で一刻を争う事態ですので、直に・・・・・・・・だから警察では手に負えない場合の対応として、すぐに出動出来るように、華族会からの指示です。いえ内閣はまだ、政府はまだ対策本部も立ちあげていない。だから、その政府の対策本部に指揮を出し動かすのは華族会で、とにかく、すぐに動けるように準備はお願いします。」

 東京で起きている事なら、前島さんの一喝ですぐに自衛隊の出動も簡単に出来る事が、管轄外の、まして過去に華族会が直接依頼して動いた事のない関西方面師団に指揮を出さなくてはいけない事もあって、自衛隊の連携にも手間取る。地方師団を動かす時は、華族会が防衛省に指示を出し防衛省が各地方師団を動かしていた。地方に行けば行くほど、華族会の存在は都市伝説的になり、お上と言えば政府、各省庁であり、その政府、内閣よりも権力と階級が上の華族会の事の周知は薄くなる。

 前島さんも電話を切った後、大きなため息を吐き捨てた。

「駄目だ。政府からの指示じゃないと動かせないと。まずもってあれがテロだと政府が断定しないまでは、警察より先に動くことは出来ないと。自衛隊法まで持ちだされた。関西師団は何とも堅実で、頼もしいよ。」

 皇華隊発足時に記憶した自衛隊法の紙面の束が、凱斗の脳内で開いた。


自衛隊法第一章 総則 

第2条 (定義)

 この法律によって「自衛隊」とは、我が国の平和と秩序を維持し、公共の福祉を保証するのに必要な限度内で国家地方警察及び自治体警察の警察力を補う為の組織をいう。

 あくまでも警察力を補う為の組織が自衛隊だと、表紙をめくった一枚目にそれは書かれてある。


自衛隊法第六章 自衛隊の行動 

第七十六条 (防衛出動)

我が国の治安維持、防衛する、特別の必要がある場合において、内閣総理大臣の命により自衛隊は防衛大臣の指揮下で行動するものとする。

第七十七条(防衛出動待機)

防衛大臣は事態が緊迫し、防衛出動命令が発せられる事が予測される場合において、これに対処する為に必要があると認める時は、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の全部または、一部に対して出動待機命令を発する事が出来る。


 とあるから、確かに関西師団の言い分は間違っていない。

 凱斗は分割された小さいモニターの民法テレビ局の一つが、奇妙な映像を捕えているのを発見し、メインモニターと映し替えた。

【つい先ほど、大きなトラックが公園前に到着しました。ご覧ください、大きなトラックが北から2台、3台と連なり、公園前に横づけされています。警察のトラックでしょうか?】

 テレビのリポーターがそう言った瞬間、大きな衝撃音がして、レポーターは肩をすくめる。

カメラが振られて画面がブレる様子も臨場感あふれる。

【トラックと警察のパトカーが接触、パトカーはトラックに押されて道路を遮るように斜めになっております。南からも大きなトラックが2台到着し、パトカーと接触事故を起こしました。】

「何やってるのよ、警察は!」洋子さんが勘違いの批判をする。

「違う、あれは・・・」あれは警察の車両じゃない。

 政府、警察、自衛隊、各機関との連携もままならないまま状況が進む。

 京宮御所に隣接する京宮前広場、特に遊具が設置されているわけでもなく、桜の木や銀杏の木、松の木などが太古より自然のままの広場が兼避暑地としてある。景観保護も目的に近接開発を防ぐ為でもある公園には、華族制度に反対するデモ、またはそれを見物に来た市民が大勢集まっている。そこに横付けしたトラックから、人が降りて来て、荷室の扉を開けた。降りて来た人は、デモの参加者たちと同じグレーのつなぎを着ていて、目深に被った帽子の奥の顔は、目の部分をくりぬいた布で隠されていた。

 カメラは左右に振り、北からのトラックと、パトカーと接触事故を起こしたトラックを交互に映す。

【トラックから人が降りてきました。荷室を開けて・・・・何かを取り出し、あれはなんでしょう!】

 開け放たれた荷室からも、グレーのつなぎを来た人が降りて来る。その手に持っている者を視認して凱斗は愕然とする。

「前島さん!あれ!」

(まさか、こんな所で無差別射殺か!?)

【銃を持っています!銃を持った人がトラックから降りてきます。】テレビのリポーターも驚愕に興奮して叫ぶ。

 しかし、最悪状況を予想した凱斗の心配は、見事に外れる。降りて来た作業着の奴らは、トラックの前で銃を脇に、立て銃の姿勢で一列に並び、足元に大きなスピーカーを置いて声を流した。

「・・・・・は、・・・・・格と華族・・・・・制度に・・・・・否定を表明する者。」

 テレビ局のリポーターが興奮した実況を叫ぶので、切れ切れにしかその声が聞こえなかった。

 急に、壁一面の全モニターの画面がプツリっと黒く切れてしまう。

「停電?」誰かの呟いた疑問は、すぐに間違いだとわかる。部屋の電気もついたままで、テーブルに埋め込まれているPCの電源もついたまま、モニターだけが全部黒く、他のあらゆる電気系統は光輝いている。すぐにモニターは回復するが、大小10個のモニターは同じ画面が映し出された。

 神政殿内のカメラが民放各局のテレビで放映されている。神政殿内のカメラ映像は、遠方から次第にズームアップし、テロリストの一人が、後手に膝付かせた双燕新皇のこめかみに銃を当てたテロリストと新皇の二人だけのアングルで止まった。

「我々ハ、神皇ノ神格ト華族階級制度ニ否定ヲ表明スル者。」

 その声は電子変換されて、安物のテレビゲームの悪役のようだった。

「新皇様!」洋子さんが叫ぶ。

「我々ハ京宮御所ノ神政殿ヲ占拠シタ。多額ノ国家予算ヲ使イ、意味モナイ宴ニ酔イしれテイルコノ華族達ノアリザマヲ見ヨ。」

 凱斗はふと気づく、藤木君に繋げて貰った映像より画像の質が高い、ノイズがなくきれいであることを。映像を注視しながら黒川君へと電話したが繋がらなかった。

 画面は遠方に引いて全体を映し出す。それで、さっき凱斗達が見ていた画像の距離と同じになり、1/4の大きさの画面が別枠で立ち上がり、社交ダンスに嗜む煌びやかな映像が流れる。約1分あまり、華やかな華族会の宴の様子が流れた。その画像が消えると、またテロリストが新皇様を拘束している画面に移る。

「我々ノ要求ハタダ一ツ、神皇家ノ祖歴ヲ開示セヨ。」

「そんなっ!」

「祖歴と引き換えだと?」驚愕に叫ぶ洋子さんと諏訪氏。

「歴史在ル神皇家ノ事ダ。全テ開示スルニハ、ソノ莫大ナ量ハ無理ト考慮スル。ヨッテ我々ガ求メルモノハ、太平洋戦争ヨリ後のモノ。開示ハ、インターネット上へ、ソースハドコデモ構ワナイ公開シロ。コレハ脅シデハナイ。要求ニ応ジナケレバ、ココニ居ル人質ヲ射殺スル。我々ハ猶予ヤ譲歩交渉ニ応ジナイ。神皇家ノ祖歴開示ダケヲ望ミ、開示公開ニ到ラナケレバ、ココニ居ル人質ヲ順番二射殺シテイク。」

 神政殿内の華族達の悲鳴が上がる。

「ココに居ル華族ハ54名、聖殿外ニ14人、合計68名。一人ノ命ガ30分ノ価値ダ。開示公開ガ行ワレテイナケレバ人質ヲ30分オキニ射殺スル。最後ニ新皇ノ命ダ。」

 急に、新皇の右となりにいたテロリストが、こめかみに当てていた銃を華族達が座らされている方へ向けた。銃声はしなかったけれど、その手は確実にトリガーを引いたのを凱斗は見逃さない。

 銃を新皇の頭へと戻したテロリストの動きを見て、軍人ではないと見抜いたが、完全な素人でもないと判断した。ある程度の銃を扱う経験もしくは演習のしたことがある素人。だからと言って安心できる情報でもない。華族会の権威が及びにくい遠い場所で起きているテロに、54人もの人質をどうやって助けたらいいのか、30分というスパンの短さで射殺していくという、テロリストたちの短気要求は一体何なのか。

 人を殺してまで手に入れたい価値が、『神皇家の祖歴の開示』にあるのか?

 判らないことだらけだった。












 京宮御所前の御所前広場に横付けされたトラックから降りてきた人が、その広場に集まるデモ参加者たちに、小銃を配り始めた。

「何をしてるの?市民をテロリストにしようとしてるの?」洋子理事長の言葉に凱さんが答える。

「あれは、モデルガンだ。本物じゃない。」

「そうなの?」

 凱さんは画像を一部大きくして確認し、うなづく。

「配っているのも本物の弾じゃありません。プラスチック弾だ。」

「おもちゃ?」

「プラスチック弾と言っても、当たれは痛いですし、目などに当たれば失明の恐れありますから、危険ではありますが。」

 と言っている矢先、手にした一般のデモの参加者が警官に発砲し、それをテレビのリポーターが息巻いて伝える。

 デモの参加者たちは若者が多い。若者は配られた小銃型モデルガンに群がり、手に入れては広場へと散り、撃ちまくっている。

 警察官は、その配布を止めようとトラックに駆けつけるが、モデルガンを貰った若者は、警官を敵のようにして撃ちはじめ、追っ払ってしまった。

 スーツ内のポケットで携帯がメール着信を知らせる。どうせどこかの店の広告メールだろうと無視を決め込んで、テレビ放送にくぎつげで見ていた亮だったが、ふと思い出した。亮の携帯はマナーモードにして音を出さない設定にしていたはずで、着信音も覚えのない音楽だった。慌てて携帯を取り出して確認してみると、黒川君からのメールだった。

【すみません、何度も連絡を頂いていたようですが、ちょっと立て混んでいまして・・・・要件は京宮御所の人質侵入者の件ですね。すみません、頑張ったんですが、負けてしまいました。例の北朝鮮のVIDが出て来て、テレビ局の電波を奪おうしていたので阻止しようと防戦しましたが、力及ばず、あいつらの思うままに、電波ジャックされてしまいました】

 動画サイトよりも民放テレビの方が、画像が綺麗だったのは、犯人側が仕掛けて直接電波を流したからか。黒川君は、裏でテロリストと戦ってくれていたのだ。

「凱さん!黒川君からメールが。」と知らせると

「こっちも来てる。バラテンに状況を聞いてみる。」と凱さんは亮に目配せしてから電話を耳にする。今度はすぐに繋がったようだ。

「どうだ?黒川君は大丈夫か?・・・・うん。うん。酷いようなら、救急車を呼べ。・・・・・・・それはもう仕方ない、黒川君の身体の方が大事だ。事後処理はこちらでする。・・・・・・あぁ、最悪の場合は、華族会と警察組織が匿うさ。」

 北朝鮮のVID二人を相手に、電脳バトルを繰り広げた黒川君の身体状態が、きっとこの間以上に酷いのだろう。電話を終えた凱さが、唇をかんだ。

「極限まで戦ってくれたようだ、眩暈と眼球の震え、充血、鼻血が止まらないらしい。病院に連れて行くと、何故そうなったか説明しなくてはならないから、マスターを呼んでくれと言われた。」

 マスターとは、凱さんが名義貸ししている外国人向けバーの店主。

「マスターは軍医もしていた事があって、でも脳神経は専門外だから、救急車を呼べと言った。VIDの存在を世間に知られるのは避けたいが、それよりも黒川君の身体の方が心配だからな。」

 各民放テレビ局が次々と特別報道番組に切り替わる。

 電話中だった諏訪氏が凱さんを呼んだ。

「内閣府の戦略室がやっと繋がった。」

「わかりました。モニターに繋げます。」

 白鳥美月とほのりん先輩と高松晋也さんが事務所の方に戻り、壁は閉められ薄暗くなった部屋は、まさしく戦略室のようだ。

 そして、モニターに映った相手に亮は驚愕した。

 青桐花紋の日本国政府のマークが描かれているタペストリーが背後にある部屋に、内閣総理大臣、平沼幸三が現れ、中央の椅子に座る。その左隣に内閣官房長官の亮の父親が座った。総務省の横山正巳が平沼総理の後ろを通り右隣に座り続いて、その横に国家公安委員長の坂本純が着席する。

「遅れて申し訳ございません。えーと。京宮御所で起きました人質立てこもり事件に関してでございますね。防衛大臣が少しおくれます追々紹介していただくとし、右に官房長官の藤木守、左に」

「そんな自己紹介などしてる場合か!必要ない!それよりも、京都府警全職員を京宮に向かわせるよう、指示を出したのか!」諏訪氏がマイク越しに怒鳴る。

「国家公安委員会委員長の坂本から。」総理がハンカチを取り出し、額を拭いながら振る。

「警察庁本部より京都府警、機動警ら課、交通機動隊、警備部の全部署100人の緊急配備の指令を送っております。」

「100人じゃ少ない!」凱さんが噛みつくように叫んだ。

 向こうにどのように映っているのだろうか、わからないので亮は部屋の隅へと下がってなるべく映らないように試みるが、どうなっているかわからない。

「えっと、君は・・・」総理は凱さんの姿に不審を抱いたようだ。無理もない、まだ若く革ジャンを着用している人間が、華族会の要人だと誰もが思わないだろうし、口調が失礼だった。

「柴崎凱斗、華族会本部所属の華選です。」苛立ちいっぱいに答える凱さんに対して、亮の父親が平沼総理大臣に耳打ちして何かを伝えている。言った内容はこちらには聞こえない。

「これでも庁内の人員を最大限に、配備しております。これ以上は京都府管内の警備が手薄になります。」

「そんなの、どうでもいいわ!新皇様が人質に取られているのよ!新皇様にもしもの事があれば、この国の皇家の存続が危ぶまれる事態よ!そんな時に市民の警備なんて気にしている場合ですか!」洋子理事長が甲高く叫ぶ。

「皇宮内は、元より宮内庁警備の管轄。あなた様華族の方が崇拝する新皇様の住まわれる領域に、市民なんて者が立ち入るのは畏れ多い事です。」

 完全に他人事だ。華族と関わるのが面倒だと思っているのが本音だろう。現に今まで、政府と華族は対極に位置し、重大な有事の際にはしゃしゃり出て来る華族を、政府は目の上のたん瘤的に大嫌いだ。関わらずにいる方が、何かと面倒じゃない。政治家なら誰もが行きつく心情だ。

「な、なにを!京宮の警備局とも連絡が取れないから、外から向かわせろと言っているのだ!」

 凱さんが、諏訪氏と洋子理事長を手で制した。

「平沼総理、陸上自衛隊を派遣してください。京都府警の人員では足りないのなら、関西師団の派遣を、」

「いや、それは・・・人質立てこもり事件に自衛隊の派遣など。」

「もう、事件じゃない!各テレビ局の報道を見ろ!あいつらは、京宮内に立てこもっただけじゃなく!外の市民を巻き込み暴動を起こしているんだ!」

 テロリストたちは、中々の策士だと亮は感心する。モデルガンを持つことは犯罪行為には当たらない。それを警察官に向けて発砲すれば職務執行妨害になるが、モデルガンを配る事に関しては、犯罪になるかどうかは微妙な線だろう。

「総理!テロだと断言し!テロ対策本部を立ち上げろ。」

「馬鹿な、テロなどと・・・」躊躇する総理大臣の気持ちに、亮は同情する。

 日本は安全な国だと世界からは絶賛されている。自然災害は多いが、人的被害の少ない国にテロが起こっていると言えば、国内外に日本は危険な国であると公言してしまう事になる。その影響はどれほどになるだろうか。即時に観光業界に影響が出る。それに伴い平均株価は下落、経済の衰退はアジア内の外交立場を悪くするだろう。総理大臣の躊躇は当然だった。

「テロと公言すれば、陸自を緊急配備できる!」

 経済大国世界2位の威信をかけて、国の信頼を失墜させたくない平沼総理大臣。

 早々にテロだと断言し、華族会の威信をかけて、現人神である神皇家の継嗣を守りたい、凱さん。

 二人がにらみ合う。

「ちょっと、落ち着いてください。」亮の父親が口を開いた。

「犯人達の要求は、神皇家の祖歴の開示です。無駄な抵抗をしなくても、神皇家の祖歴を開示すれば、神皇様も人質になっている華族の皆さまも解放してくれるのでしょう。もちろん、祖歴が尊貴な物である事は重々わかっております。ですが、新皇様の御命と68人の華族の方々の命が助かるのであれば、武力行使をせずとも、神皇家の祖歴開示の方向に手配を進める方が早期解決に繋がるのではないでしょうか。」

(最も正論の意見だ。だが、あいつは華族の尊厳を知らない。)

「祖歴は・・・・私らが勝手に決められる物じゃない。あれは、神皇家の秘記、宮使えの鷹取家が記録管理をしている故・・・。」

「私達は、華族様の内部関係は存知得ません。」平沼総理が勝ち誇ったように言い放つ。

「あいつらが、要求の奪取成功後に簡単に人質を解放するとは思えない。」と凱さん。

「それは、あなた様の想い過ごしではごさいませんか?」

「そんな事はない!俺はっ」

 政府とのやり取りの横で民放各局が報道していた小さなモニターが一斉に黒くなった。

また、電波ジャック、大きな画面と入れ替ると、テロリストが映し出された。

「30分経ッタ。我々ノ要求ハ通ラナカッタヨウダ。」

 ただそれだけを言い、新皇に銃を突き付けていたテロリストは、座っている華族の者たちへと向かうと、前列の一番近い男性の腕を掴み無理やり立たせる。立たされた男性が叫んでいるが音声は切られていてわからない。立たされた男性は御帳台の方へと連れて行かれ、既に一人倒れている人の横に蹴り倒し、そして容赦なくその男性を撃った。

 声なき悲鳴。

 人が銃で撃たれる光景を、容赦なく見せつける犯人達。その冷酷さに亮は息を止め、恐怖を覚えた。

 このままだと、いつか麗香の番が来る。

 こんな事、望んだ事じゃない。

 壊したかったのは、人命じゃない、制度。

 そう心の中で言い訳しても遅い。

 自分は麗香を送り出したのだ、京宮へ。

 画面がまた一旦黒くなり、民放の報道番組に戻る。アナウンサーは亮と同じように、言葉を失っている。

 隣に座るコメンティターが手振りで話すようにと促すも、アナウンサーは今の状況を説明できず「CMです」とだけ言い、妙な合間の後に、無駄に明るい洗剤のCMに切り替わった。

「華族会の皆様、」

 モニターの向こうからの呼びかけに、画面を政府の戦略室と切り替えた。

「人の命よりも尊重すべきものですか?」

 平沼総理大臣は、静かに、そして、華族会に責任を重く乗せるように、愁た表情で椅子の背もたれに深く預けた。













 周りから、すすり泣く声が聞こえる。

「なぜだ!我々が何をした!」

「助けくれ!」

 懇願する訴えに、華族としての気品もない。ただ、命乞いする無様な姿。命の前には階級も威厳も気品も価値を無くす。

 。

 犯人の要求である神皇家の祖歴の開示、それはきっと成せないだろうと、麗香は確信していた。開示されないまま、ここにいる皆は次々に殺されて、逝くは自分の番が来る。その事の方が、開示されて無事に解放される事よりも、確実な現実として想像が出来た。怖ろしい事であるはずなのに、麗香は何故か、恐怖もなく、克彦さんに身体を縋り預けて泣く和葉さんの姿を、何の感情もなく見つめていた

「皆を開放してくれ。」神皇様が叫ぶ。頬に涙が伝っていた。「我の命なら、いくらでも差し出す!祖歴も開示致す!皆の命を助けてくれ。」

「新皇、貴さまの口約束など要らない。我々は神皇家に要求している。」

「皆の命を助けてくれ。」

「くくくく、苦しめ。」まだ声変りしていない男の子の声でもあるような電子変換された犯人の声が、恐ろしい言葉を呟いた。

(新皇様に何か恨みでもあるのだろうか、それとも神皇家に何か?)

「お労しい新皇様、こんな我らの事を第一に想い下さり。」名前を聞くタイミングを逃したお爺様が、うなだれてつぶやく。「新皇様が助かるのなら、このお命、喜んで差し出そうに。」

 こんな状況で、もう名前なんて聞けない。後でお父様に聞こうと、そのお顔をしっかりと覚えておこうと思った自分が可笑しかった。ついさっき、自分が死ぬのを確信したはずなのに。

「無理だ。あれを開示したら、今は命が助かるかもしれないが・・・。」

「のちに糾弾されて私達、華族はもうおしまいだわ。」

「また、繰り返される。」

「神巫狩りならぬ、華族狩り。」

 方々から、そんなつぶやきが聞こえてくる。

 神皇家の祖歴書は、この国の真の歴史。開示されてはいけない真の歴史が記されている。

 それは、神皇家と古より神皇家を崇拝してきた神巫族が背負った、罪ある歴史。











 青ざめた洋子さんが、よろけるように対策室の椅子に座り、顔を手で覆った。

 覚悟をと訓示しても、人が射殺されるのを目の当たりにして平常で居られるはずがなかった。前島さんですら、言葉を失い握った拳を振るわせている。凱斗は、テロリストたちの素振りや装備品を凝視し、どこかに犯人に繋がるヒントがないかを見つけようと食い入るように見ていたが、何一つ新たに発見できるものはなかった。

「少し・・・一旦、切らせてもらう。」失った言葉を絞り出すように諏訪氏は、政府との通信を停止した。

 大モニターが消されて、部屋まが薄暗く広がり、増々皆の心情は暗く重く沈む。

 洋子さんが、頭を抱えて項垂れた。総一郎前会長の指示により、施設育ちの凱斗を戸籍上の息子にした洋子さんは、心底、凱斗の事が大嫌いで、自分の戸籍が汚れたとまで言い放ったこともある。文香さんと同様に10年以上の付き合いになり、いつも気丈に強い姿しか見た事がない。そんな人が青ざめている姿を見ると、この人も普通の人だったんだなと思えて、人が撃たれ死ぬ状況に慣れてしまっている自分が、やっぱり異常だと再認識させられる。

「洋子さん、向うで休んでください。」そう声をかけると、驚いたように顔をあげたが、強がる気力はもう尽きたようで、素直に従う。

 藤木君が閉められていたパーテンション式の壁の扉を開けてくれたのを機に、全員が事務所の方へと戻る。事務所の明るさがまぶしい。若い女性二人を事務所に追い出して置いてよかったと、凱斗は胸をなでおろす。

 視線があった白鳥美月さんに、「皆にお茶を出してあげて。」と頼んだ。

「はい・・・わかりましたぁ・・少々ぉ、お待ちください。」保野田凛子さんが電話応対していた。

「えーと。柴崎理事補ぉ。」未だに学生だった時の肩書を使う保野田凛子さん。「ここのぉ、取り仕切ってぇ居るのはぁ誰かってぇ、聞かれてぇ。良くわかりませんってぇ。答えたらぁ。とにかくぅ誰でもぉいいからぁ、他の人にぃ変わってぇ、と。」

 相手は、保野田凛子さんの亀並みに遅い会話にイラついたらしい。

「そう、誰から?」

 保野田凛子さんが答えるのと、受け取った受話器の向こうで相手が名乗るのが同時だった。

「えーとぉ・・・鷹取さま」

「神皇皇宮宰司、鷹取靖前だ。そなたは誰だ。」

「柴崎凱斗です。」

 華族会12頭家の中でもトップに座する、神皇仕えの鷹取家からの電話。西の弥神道元ですら鷹取家には頭が上がらない。

「あぁ、華選の、誰も居ぬのか?仕切は君か?」

「いえ・・・・あっはい。」

ここで一番の年長者は諏訪氏で、階級も諏訪氏が上であるが、現状では、場を仕切るには無理だと思えた。

「どっちだ。まあいい。緊急だ。神皇様の下知を伝える。皇制政務会の発動。内閣府に変わり神皇様勅命により事あたる、準備せよ。」

 皇制政務会の発動は、神皇自ら政府の実働を取り仕切る特別指揮系統のことである。

 16年前、地震による津波で原子力発電所が破壊され日本の安全神話が崩れた時、戦後初めて発動され、これで二度目となる。凱斗はその初めて発動時、日本に居ない。当時の皇制政務会の発動は、後に報告書を読まされて聞き伝えられただけ。とりあえずどうしたら良いのかは、頭の中の記憶にマニュアルが入っている。それを読みながら、「畏まりました。即時対応いたします。」凱斗は答え、電話を切った。

「皇制政務会が発動されました!」

「あぁ、神皇様ぁぁ。」洋子さんが天を仰いで胸の前で両手を固く結ぶ。「ありがたい。神皇様が事当たってくれれは、皆助かる。」

 そう安堵に喜ぶが、また20分もすれば人質の命が一つ失う。

 祈心の力がありて神皇と言われているが、漫画のように、テロリストを一網打尽にするビームが出るわけじゃない。神皇が政府に変わって実動する利点は、ただ使う金に予算関係なく無限となる事だけだが、それが重要なポイントである。各関係省庁において神皇勅命は躊躇なしに優先する事項となり、免罪符となるのだ。

「安堵はまだ早々です。真の対応に私達華族の威信が問われるのはこれからです。」

 そう、こう言う時の華族の特権力なのだ。税金の無課税と、内閣府より上を行く位と、古より全国に散らばりその力を蓄え続けて来た華族の耐心が発揮される。

















 【今年度常翔学園中等部採用 栄文社社会科教科書より抜粋。】


 長く鎖国を続けて来た日本、江戸幕府は1854年アメリカから開国を迫られ、日米和親条約を結びました。外国のからの圧力は、開国だけにとどまらず、不平等条約並びに領事裁判権など、日本を植民地化する強引な勢力に幕府は対抗できずに、幕府の弱体化が目立つようになります。その幕府に地方からは不満を持つ武士達が現れ、急速に討幕の流れが進みます。そして、1867年、15代将軍徳川慶喜は政権を神皇家に返しました。260年続いた江戸幕府の滅びです。996年天台の乱から続いた武士による政権は、850年ぶりに神皇家に返還されました。


【華族会、華冠式用祖歴概略より】

地方の武士達に中央政権の弱体化を伝え、各藩の同盟を推し進め、幕府討幕の決起を進言したのは、地方に隠れ力を蓄え続けていた神巫族の末裔、後に華族と名を変えて神皇政権を助役する我々の前身である。




【今年度常翔学園中等部採用 栄文社社会科教科書より抜粋。】


1868年神皇主権の明治政権の開始

世の中は政治、文明共に大きく変化します。

開国の混乱の制定に大きく関与し、明治政府の基礎を築いた者達を、第122代明治神皇は、新たな階級制度を儲け華族と承認しました。江戸幕府討幕に成功した地方藩の武士と並び、明治政府閣僚は、2党制で政策を進めます。帝国院と華族院

世界から遅れを取っている日本は富国強兵の政策の下、経済力、軍事力の強化を推し進めます。その結果、1894年、朝鮮半島の支配化をめぐり、中国の清と戦争を始め、1895年勝利を治め終結します。―――日清戦争。

戦争により、軽工業が発達した日本の製糸生産量は世界一になりました。

1904年朝鮮と満州をめぐりロシアと戦争が起きます。―――日露戦争。

先の日清戦争によって得た賠償金によって製鉄所を作り、重工業の発展に力をつけ、更なる軍事力の強化に繋げます。

そして1905年ロシアにも勝利をした日本は朝鮮を植民地にし、世界に強国を知らしめました。

1914年ヨーロッパで第一次世界大戦が起きると、日本は戦争特需の恩恵を得て、世界3位の海運国となります。

1923年関東大震災がおき、経済の悪化が深刻化していきます。

1929年世界的にも不景気が波よせ、日本は景気回復の為、資源豊かな満州を手に入れようとする考えが浮上します。

1931年、日本軍は南満州鉄道を爆破しこれを中国の仕業として攻撃を始め、満州を占領しました。―――満州事変。

翌年日本は満州国をつくり国際連盟からも脱退します。軍事力の衰え知らずの日本は、1937年、中国大陸の南京を占領し進攻地域を拡大していきます。―――日中戦争。

ですが、領土の拡大は、軍事の衰退を招いてしまいます。時を同じくして、ヨーロッパではドイツとイタリアがポーランドに進攻を開始しました。1939年第二次世界大戦の始まりです。

ドイツの脅威にイギリスとフランスはポーランドと条約を結び、ドイツとの戦いの準備を進めます。長期化する日中戦争の打開策として、日本はドイツ、イタリアとの同盟を結びます。

1940年日独伊三国軍事同盟

翌年、これに対抗するようにアメリカはイギリスなどの連合国に武器の援助を始め、戦争は世界中に広がり終焉の見えない様相となっていきます。

資源の少ない日本は1941年、日本は東南アジアにある石油などを求めて太平洋戦争を起こしました。

満州事変から太平洋戦争まで、15年の長き戦争は、アメリカ軍による広島と長崎に原子力爆弾投下によって、甚大なる被害を国土にもたらし、この惨事によって終焉を迎えます。

1945年8月15日ポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は終結します。




【華族会、華冠式用祖歴概略より】


神皇政権の下、二党制によって日本の政治は構成されていく。

武士の流れを引き継いだ党は帝国院と称し、軍事拡大こそ日本の繁栄をもたらすと軍事拡大の方向性を持つ強行派の政党である。それに反するのは、開国の混乱を静定した神巫族の末裔、神皇様よりその地位を賜った我々華族の者達、華族院は穏健派の政党である。

日清日露戦争の勝利は政治勢力を変えていく。帝国院達の勢力は、神皇家と華族院をも取り込み、軍事国家へと向かう。

神皇家は、大正神皇から昭和神皇へと、その強き意志を受け継いでいき、強固の日本へと祈願される。が、戦争により、国民の多数が犠牲となり死者数が増えるにつれ、神皇の祈心の力も弱まり、強国日本の威厳を保てなくなる。それでも尚、軍事強行を弱めない帝国院と狂気に走る軍部の勢いを華族院は止める事が出来ない。

敵国であるアメリカが、新たな爆弾を開発したとの情報を得る。その新たな爆弾はこれまでものとは次元の違う化学兵器爆弾であり、それをこの大戦で日本をターゲットに試用するという考えがアメリカにある事を知った華族院は、密かにアメリカ軍上層部との密談を実現する。

華族院は、日本の軍事力は既に枯渇している事、神皇家と華族院は戦意を失っており、軍部と一政党の帝国院が、狂気に満ちた軍国主義思想だけで戦火を繰り広げている事を告げ、その新型爆弾の試用を中止する要望をした。

しかし、アメリカ側はその要望を享受しない。新兵器の試用、威力数値を欲する。既にヨーロッパでの戦火はドイツが降伏し長きに続いた大戦は終わりを迎えつつあり、新兵器の試用は機会を失う懸念がアメリカ側にはあった。我々華族院は、このまま軍事力の枯渇は目前である事、帝国院の権威発散に助力することを提示したが、アメリカ軍は新兵器試用に拘り続けた。その背景に、アメリカは、これまでの日本の狂気に満ちた軍国主義思想を恐れていることを明言した。この大戦で日本が敗戦しても必ずまた大国へと侵略し世界を脅威へと渦巻くであろうと、新兵器の試用は、日本の軍国主義思想の楔外しにもする算段であることを告げられる。互いに譲らない密談は決裂に終わった。

神皇様は華族院の持ち帰った報告書に目を通し、アメリカの真意に共通の考察を見出す。

―――日本の軍国主義思想の楔外しにするーーー

行き過ぎた帝国院の主義、思想は、神皇様では変えられない。それが過ちの思想であっても、人が求め抱く希心や、その沸き起こる卑心のある事は神の領域ではない。

神は人であらず。人の祈心は神の存元、神の受心は人の存元。


神皇様は我々華族院に心意を語られる。

「変えられないのなら、その主義思想の楔を外そうではないか。意思も崩壊させるほどに。」

神皇様はアメリカの国家元帥との密約を交わす。

新兵器爆弾投下の許諾

投下の許諾の代わりに、その投下地の決定権は、日本側が持する事を約束させた。

帝国院と軍部の狂気を終わらせる為に、

我々華族院は、終戦を求めて、

軍国主義の楔外しに10万人の民の命を生贄に差し出した。










7



 帝国領華ホテル別館の地下駐車場階の片隅、関係者以外立ち入り禁止と書かれたありふれた鉄の扉を開けると、更なる地下へと続く素っ気ないコンクリート製の階段が続いていた。降りると、さらに、ありふれたバケツ色に錆止めに色塗られただけの鉄製の扉があり、開けると、さらにまた階段が続く。地上より5階分ぐらいは降りただろうか。下にいくほど湿度が高くなっていく。終に照明は裸電球だけになり階段に手すりもなくなってしまった。若干、閉所が苦手な亮は、引き返したい気持ちを抑えながら、皆の後をついて降りる。

 スマホのライトを点けているとはいえ自身の影で足元まで見えづらい。そんな中、凱さんはスマホのライトも点けずに先頭を駆け降りて、ロールプレイングゲームのように、次々と現れる扉を5種類の鍵を使って開けて、亮達が到着するのを待っている。扉には2つの鍵穴があるが、一つの扉に一種の鍵ではないようで、組み合わせはランダムだと最初の扉を開ける時に説明された。そんな難易度の高い扉の開錠を凱さんは一度も間違わずに開けていく。

「良かったわ、凱斗が居てくれて。」洋子理事長が息を切らしながらつぶやいた。

「あぁ、この鍵の順番も暗号カード見ながらだと時間がかかるんだよ。」

「もう、ここの扉もハイテク化した方が良くありませんこと?」

「足元、お気を付けください。ここ、水溜りが出来ております。」凱さんが鉄製の扉を閉まらないように手で抑えて、諏訪氏と洋子理事長の到着を待つ。「設備のハイテク化は、人に便利ではありますが、最強のセキュリティにはなり得ません。更に故障、停電などの動力源停止状態に困窮致します。」

「うーん。」

 凱さんのごもっともな意見に、息を切らしながらうなだれる二人。一跨ぎに水溜りを超えて、開け放された扉を抜け出ると、左右に続く地下道に出だ。一車線しかない高速道路のトンネルの様だった。

 壁に左右の矢印、左に皇居・国会議事堂とかかれてあって、右は羽田・東京湾とある。

 皇居の下には逃げ道なる地下道が存在すると噂には知っていたが、本当にあって、それが羽田、東京湾にまで続いているのを目の当たりにすると、華族会という組織の慎重さや規模に驚く。

 古より神皇を神の子と崇拝し守って来た神巫族は、神皇を守る事が国の安寧と繁栄につながると信じてやまない。歴史が違うのだ。戦後制定された内閣府とは。

 皇制政務会が発動されたと知ったモニターの向こうにいた政府陣は、それまで華族会に冷ややかな態度だったのを一変して、苦悶に頬をひきつらせた。 

 皇制政務会の発動は、いわば、神皇より下された無能の烙印だ。烏合の衆には政権を任せられないと、神皇に処断されたようなもの。亮は、平沼総理大臣と共に華族会に頭を下げる父親に、心中ざまあみろと失笑しながらも、長く神皇に側仕えていると言うだけで、その地位を確立している華族会の脅威と、その仕組みに屈さなければならない悔しさを理解し、複雑な思いを手に握りつぶした。

 華族会本部に、白鳥美月とほのりん先輩と高松晋也さんの3人を残し、亮は凱さん達に同行した。すんなり動向が許されたのは、洋子理事長の「藤木君が居れば、内閣府との連携がうまくいくわね。」の一言があったからである。

 皇制政務会の発動は亮が知る限りで2度目だ。16年前の原子力発電事故の時、亮は8歳だった。その当時、緊急時に実働権が移行される皇制政務会の事など知らなかった。知ったのは事故処理が終わった頃、その仕組みを爺さんから教授されて知った。事故処理に伴う落ち込んだ経済の回復が、華族会の介入によって早まったのかどうかは、わからない。世間からは、日本国の復興は早かったと評価はされているが・・・。

 皇制政務会が発動された時の洋子さんと諏訪氏の喜びようを見れば、拠り所になるほどの事だと判断できるが、あの嫌悪に満ちた内閣府と連携がうまく取れるとは思えず、このテロを制圧できるのだろうかと案ずる。しかも16年前と違って、今回は華族会が有事の被害者であり当事者なのだ。凱さんが懸念するように、華族会が冷静に対処できるかどうか、人材も少ない。


 壊そうとしていた華族階級の持ち主から、娘を助けてと懇願される。

 壊そうとしていた華族階級のその力を見せつけられる。

 壊そうとしていた華族階級の誰かが目の前で次々に殺されていく。

 壊そうとしていた華族階級の持ち主から、逃げた権力とのパイプ役にと算段される。


 自分は何がしたかったのか?

 何を欲して、何をしようとしていたのか、わからなくなった。

 今欲しいのは、麗香の安全だけ。

 階段脇にゴルフ場にある9人乗りカートが2台置かれてある。凱さんがそのうちの一台の運転席に乗り込み、刺さったままの鍵を回してエンジンを始動する。

 前島さんが充電コードを引っこ抜く。当たり前のように華族の二人が、一番後ろの座席に座った。

 凱さんが、手招きで亮を助手席に呼んだ。亮は素直に凱さんの隣に座った。すぐに出発する。

「着いたら頼みたいことがある。」

「何ですか?」

「藤木君にしかできないこと。」

「読み取りですか。」

「うん。まだ俺の予想半分ってとこなんだけどね。あのばら撒かれているモデルガンに加えて、テロリストたちが持っている武器の流入から犯人のヒントが得られるかもと思ってね。」

 凱さんは首の後ろを掻く。

「デモや火事の件で康汰に頼んでばかりいたら、たまには借りを返せと言われた。康汰も公安の同僚に借りがあるらしく、何か交換条件で知りたいことがあったんだろう。一週間前レニーの物流リストをくれと頼まれた。」

「レニーの物流リスト?」

「知っての通り、世界のレニーは国家権力に屈しない。人であろうと武器であろうと、運べる物は何でも運ぶのが世界のレニーだ。その流通のプライバシーであるリストは、最高機密に守られていて、公安が提出を要求しても一切出さない。」

「ですよね。それがレニー・ライン・カンパニーの経営理念ですもん。」

「康汰経由で公安が欲しがったリストの期間は、去年の4月から年末にかけての約半年間の、香港出国の福井県舞鶴港入港便、あんな小さな港の入港便でも、半年の物流量のリストは、2000ページ近くになった。」

 四辻に来て、一時停止のマークで凱さんはその指示通りに止まりはしなかったけど、減速をして、一応の左右確認をしてからまっすぐ突き進む。

「俺は公安に借りは無いからな、電子データーで渡すのも腹が立つだろ。」

 何が腹が立つのかわからなかったが、話は遮らず続きを聞いた。

「電子デバイスからレニーの重要ソースを掴まれても困る。だから全部プリントアウトして康汰に渡した。」

「2000枚近くのリストを?」

「あぁ、事務のおねーさんを宥めて、出して貰うの苦労したよ。ケーキを差し入れしたりしてね。」

「もしかして、公安が欲しがったレニーの物流リストって、今テロリストが使っている武器の密輸リストだったってことですか?」

「かもしれない。憶測だよ。俺はリストを見てないから。」

「じゃ、公安はテロの予兆を掴んでいた?」

「半年前、香港の闇武器屋が殺されて、その捜査上で公安は何か重要な情報を掴んだらしい。それで入手不可能なレニーの物流リストを欲しがったわけだけど、やっと入手しこれから本格精査という段階で捜査打ち切りの命令が上から出たそうだ。」

「捜査打ち切り?」

「捜査の打ち切りなんて、よっぽどの圧力じゃないと効かないよ、警察も。公安からそれを告げられた康汰は、俺に華族会が圧力をかけたか?と聞いて来た。もちろん、華族会は圧力をかけたりしない。する理由もない。じゃぁ、誰が公安に圧力をかけたか?」

 目的の場所に着いたらしく、凱さんは話を止めてカートを止め、降りた。

 紺色に塗られた鉄製の扉には国会議事堂と書かれてあった。凱さんはその扉を、鍵を使わず開けて、洋子理事長達が通るのを待った。地下道から施設内のへの開錠は、鍵無しで開けられるような仕組みになっているらしい。亮もみんなが階段を駆け上がっていくのを待ち、中断した会話の続きを求めた。

「捜査の打ち切りを公安にさせた人間が、テロに加担していると?」

「断定はできないけど、デモが流行っている物騒な世の中になっちゃってる現状で、捜査打ち切りにする理由がないよね。」

 亮は相槌で頷いた。

「捜査の打ち切りを出来る奴が、ここにはいっぱいいるだろ。」と凱さんは親指を階段の上空へ向けた。

「やっぱり、政府が絡んでいた。」

「やっぱり?」

 しまった。と亮は顔を伏せたが遅い。

「俺は俺なりに考えたんです。この京宮の神政殿に設置されたカメラは、いつ誰が設置したか?を。凱さんが年末の大掃除の時に設置されていたら見つかっていたはずだと言うのを聞いて、設置されたのは年始から最近に到るまで、華族の方以外で、その2か月の間に一般人がこのフロアに出入り出来た催事は何か?を調べました。」

「ほぉぅ。それは思いつかなかったなぁ。」

「園遊会と歌会がありました。」

「うん、それで?」

「昨今のデモの起りは、漠然としている割には、治まる気配がなくやたら長い。」

 凱さんが頷く。

「突発的な流行りデモなら、すぐに収まるはすが、テレビ局の報道によって増々イベントまがいに全国に広まった。報道規制をかける華族会の圧力が今一つ効き目がなく、今までタブーとされていた華族の話題にTNNが一歩踏み込めたのは、これこそ俺の推測ですけど、タブーを犯せるだけの大きな権力が後ろにあるのではないか、と思ったんです。」

「なるほど。」

「政府と華族会は対局に位置します。政府はずっと目の上のたん瘤的な華族会の存在が疎ましい。動画のソース先は、北朝鮮だと黒川君は突きつめた。北朝鮮はあの通り、一筋縄ではいかない国、ただの一般人が、簡単に利用できるような国じゃない。それらを考慮したら、もう政府内の人間が絡んでいるとしか思えなくて。」

「僕と藤木君は、別ルートで同じ容疑相手に辿りついたと言うわけか。」

「藤木家の伝手を使い、園遊会と歌会に参加した政府関係者で、北朝鮮とコネクトがある奴の割り出しをしていた所だったんですが、手遅れになりました。」

 本当に手遅れだろうか?

 あのまま、北朝鮮に縁あるそれらしい奴が見つかり、コンタクトが取れていたら、自分はこのテロ事件に加担していた?

 それとも、事前に計画を知って、止めようとしていたか?

 どちらにしても、麗香だけは巻き込まれないようにしていたはずだ。

 麗香がいま、テロリストに人質として捕まっているのは、やっぱり手遅れだ。

「大丈夫か?」

 覗きこんでくる凱さんの声掛けで、亮は自分が唇をかみしめているのに気づく。

「あ、はい、大丈夫です。この先にいる奴らの隠された胸の内を、読み取ってやりますよ。」

「あぁでも、無理ならいい、無理しない方がいいだろうし、君はその・・・」と困り顔を横に振る凱さん。

「無理じゃあありません。俺は今、最強の印籠を持っているんですよ。」

「最強の印籠?」

「華族の称号証。」













 藤木君と急ぎ階段を駆け上がると、あと一階分でB1階の国会議事堂の中央裏扉に着く踊り場で、洋子さんが手を膝に息を喘ぎ休んでいた。凱斗の姿を視認すると、機嫌の悪い虎のように威嚇してくるが、息切れを起こして途切れ途切れに辛そうだった。

「何してたの!遅いわよ!」

「作戦会議を。」

「はぁ?皇制政務会の発動よ!作戦は・・・神皇様が成されるでしょ!」

 息もできないほどしんどいなら、黙っていてほしいと思う凱斗。

「ったく!あなたは、いつも、いい加減な事を言って・・・大体、この階段・・・・何故・・・・エレベーターにしないの!」

 すべてを凱斗のせいにしたいらしい。藤木君が同情の苦笑を向けてくる。

「はいはい、おんぶして差し上げましょうか?お母様。」

「なっ!あなた!私を馬鹿にっ!」

「いきますよ。」

「ちょっ、ちょっと!」

 洋子さんの手を強引に掴み、引っ張り階段を上がった。こんな所で時間を潰している場合じゃない。

「私は!あなたを子と認めたことは無いわよ!あなたにお母様なんて呼ばれる筋合いなんて、ないのよ!」

「はいはい。」

 それだけ貶すだけの元気があれば、階段上れるだろって言葉は飲みこむ。

 この人も、総一郎会長の言辞の力に囚われた人。縁もゆかりも同情もない凱斗に、戸籍を汚された被害者だ。どれほど嫌だったか、これまでの言動を受ければ嫌でもわかる。今も、手に触れるのも嫌だと、どうにか離そうと必死に抵抗している。だけど、凱斗が加害者じゃない。凱斗が求めて洋子さんの養子になったわけじゃない。出来る事なら文香さんの戸籍に入りたかった。

 階段を上がり、扉を抜けた場所で諏訪氏も膝に手を置き、身体を屈して途切れる息を整えていた。華族称号位の維持には、体力維持の項目を入れるべきだと凱斗は考える。

 少し先のエレベーターフロアに通じる更なる扉の前で、前島さんが困り顔で待っていた。

「お二人共、先に行きますよ。神皇様が到着される前に、部屋の用意をしなければなりませんから。」

「ああ、行ってくれ。」

「絶対、エレベーターにするべきよ。神皇様だって、この階段、お辛いと思うわ。」

(まだ言ってる。)

 神皇様は意外に体力がおありだ。祭事の伝統衣装は重く長時間を要する為、宮内庁は考慮して毎日トレーニングを公務の中に取り入れている。

「前島さん、行きましょう!藤木君、頼んだよ。」

「はい。」

 総一郎会長が示唆した懸念に、目指した華選の役割の真髄を知った気がした。純潔の華族である諏訪氏と洋子さんの二人よりも、華選である凱斗の方が、瞬時の行動、判断力、覚悟と体力を上回っている。

 卑弥呼から続く神巫族の血族は、跡絶えさせてはいけない大切なものだが、それだけを囲い継いでも、この国と神皇を守り抜くことは出来ない。一つの拘りに囲い継げば、種の衰退、滅亡を招く。だから総一郎会長は、特別に高い能力を持つ者を見出し、華選の称号を与えた。華族と共に、神皇を守れる精鋭人を。

 前島さんとさらに一階分を駆け上がり、国会議事堂中央棟奥の重厚な鉄の扉を開ける。核爆弾が落ちても、ここだけは、国家戦略室として機能が果たせる重護装した部屋だ。この部屋の奥の床には、更に頑丈な核シェルターが埋まっている。収容人数は100名程度、有事の際は、こうして皇制政務会が必然に発動されるから、皇居よりも、ここの核シェルターに神皇が避難される事の方が確立的に高いだろう。

 華族会もしかり、皇制政務会の発動時は華族の権位が民より優先的に高くなる。それが先の世界大戦で時の政府、華族院と帝国院が結んだ密約だ。だから100人の収容人数では、称号の持たない内閣の人間はシェルターに入れず追いだされる事になる。藤木君が言った、『内閣府と華族会は対局に位置し、目の上のたん瘤的存在』と言うのは、こういう所にも表れている。

 凱斗たちが国家対策本部の部屋へと入って行くと、平沼内閣総理大臣は煮詰まった不味いコーヒーを飲まされたような顔をしてこちらを睨み、何も言わず沈んでいた身体を起こした。藤木官房長官だけが立ち上がり、凱斗の側に寄ってきて囁く。

「息子がお世話になっております。」

「いいえ、世話になっているのは私どもの方で、彼は私よりもずっと柴崎家に懇親で助かります。逆に藤木家の諸事情を考えたらと、心苦しいですが。」

「息子はご存知の通り、昔から家を嫌って・・・あの事故により藤木家の跡取り息子は、身体に重度の障害が残り、未だ療養中であると内には通知しております。幸か不幸か、あの事故が藤木家の体面を繕っております。ご心配には及びません。もう、息子を政界に出すことは考えてはおりませんから。」藤木内閣官房長官は、はにかむ微笑で頷いたが、すぐに深刻な顔に戻し、「申し訳ございません、こんな凶事に。もしや、柴崎家のどなたか、あそこに?」

 その質問に答える間もなく、凱斗たちが入ってきた扉とは反対側にある扉が開け放たれた。神皇付きの鷹取康前と共に、神皇が部屋に入って来て、場の空気が一変する。部屋に居た者は椅子から立ち上がり頭を伏せた。

 鷹取康前の他3名の付き人と2名警護が部屋に入って来て、次いで諏訪氏と洋子さんが到着し、部屋は一気に密度が高くなる。神皇が座る椅子も用意された。

「これより、皇制政務会の発動により、全政権は内閣より、閑成神皇の手に返される。平沼内閣総理大臣、預けている『政牌』を。」と鷹取康前が声を張り上げ、平沼総理は背後にある内閣府のマーク桐花紋が描かれた壁の台座に置かれていた、布にくるまった30センチぐらいの棒状の物を両手で取り上げ、神皇へ献上する。  

『政牌』と呼ばれる物、それは政権の証、国会で指名選挙によって決められた内閣総理大臣は、神皇よりこれを渡され任命される、古から大事に扱われる神物の一つであるが、絹の手織り布の中は、聖徳太子が愛用していた尺が入っているとか?また17条の憲法を記した書板が入っているとか?誰も見たことがないので定かじゃない。

 五山桐紋が描かれた背後の壁の板が開けられた。中から神皇家のマーク八角一星のマークが現れる。

 部屋は皇制政務会執務室へと変わった。「政牌」を受け取った神皇は、覇気ある声を部屋にとどろかせる。

「時に、難儀大事であった。これより我の下、尽力致せ。」












 明らかに場違いな亮の姿を見て、警備員が飛んできて肩を掴む。

 その対応に間違いはない。ここは現職の国会議員でも、議員バッチもしくは議員秘書証をつけていない者は、例外なく入れない国会議事堂である。わかっていたから、あえて慌てず堂々と言い放った。

「皇制政務会が発動されたの、存知ないのか?」

「何を言っている!」

「私は華族の者です。皇制政務会の発動は、皇に政権が戻され、神皇仕えの華族は内閣に代わって指揮を務める、私がこの場に居る事を咎められる事はないはずですが?」上着の内ポケットから金の箔押し入り華族証のパスを出して見せた。

「し、失礼いたしました。」慌てて頭を下げる警備員。亮は心の中で上手くいったとガッツポーズをする。

「無理も致し方ありません。無礼は特赦致しましょう。」

 相手が腹の中で、悔しがるのを読む。楽しい。

「この先も一々呼び止められたら政務に支障が出ます、警備の人に私が華族である事を伝え知らせておいてくれませんか?」

「畏まりました。失礼致します。」

 そう言って、頭を下げたまま下がって行く警備員を尻目に、笑いが込み上げてくるのを必死で抑える。さすがは華族の威力。これさえあれば何でもできそうだ。しかし、何度も呼び止められると面倒だから、パスを華族マークがなるべく見えるように胸のポケット差し込んでおいた。

 亮は深呼吸をして見渡す。どこから読み取りを開始するか、館内は当然のことながら騒然としている。皇制政務会の発動により、動揺した議員たちが、無駄にウロウロと廊下を行ったり来たりしている。誰もが見かけない若い姿の亮に不審な一瞥を送って行くが、このどうしていいかわからない驚事に、更なる厄介事に巻き込まれたくない心が満載で、見ぬふりで通り過ぎて行く。

 とりあえず、多くの議員に会わなくてはいけない、谷垣さんが居れば、案内してくれそうだがと、長い廊下の先へと顔を向けると、嫌な奴と目があった。亮は舌打ちをする。

 並行して歩いていた平沼総理に一言交わしてから離れ、亮に向かってくる父親。周囲を見渡し、誰も居ないのを確認してから亮の腕を取り、近くの部屋へと押し入れた。小ぶりの応接室のようでソファセットが置かれてある。しかし父はその部屋の電気もつけず、入るなり亮に詰問する。

「何をしている。」

「あんたには関係のない事だ、俺は華族の命令でここに居る。」

 亮の胸に入っている華族証をちらりと視認すると、その心に嫌悪感を宿した。

「それが、お前の逃げた本意の誇りって奴か。」

「別に。」

「うまく取り入ったもんだな。」

「ほざいてろよ、今はこれが頂点だ、あんたらは神皇から無能の烙印を押された烏合の集だ。」

「まさか、お前がこのテロを・・・」

 怒りに声高になったのを自分で気づき、口を噤む。

 外に声が漏れるのを警戒するぐらいなら、亮の存在など完全に無視すればいいものを。

「そう思うんなら、突きだせよ、警察に。」

 しばし、見つめ合う事になった。怯えの中の疑いを必死に否定しようとしている正義感を読みとる。

「藤木家よりも、柴崎家の迷惑になる事だけは、絶対にするな。」と父は呟いて、掴んでいた手を放す。

(何を繕ってるんだ。柴崎家とのつながりも利用しようとしていたくせに。)

「時間がないんだ。邪魔しないでくれ。」扉を塞ぐ父を押しのける。

「亮!」

 柴崎家に迷惑をかけるかかけないかは、今の時点でわかるはずかない。

 ただ文香会長と亮は同じに、麗香の安全を望む。その為なら何だってする覚悟だ。

 腕時計を確認する。テロリスト達の気が変わっていなければ、あと5分でまた人質は一人殺される。その人質が麗香じゃないと言う保証はどこにもない。1/53の確率を外れることを切に願った。












 神皇は、平沼総理大臣に各省庁、特に防衛省と京都府警と消防庁との連携、指示系統の確立を、総理大臣緊急指令として出せと指示し、自衛隊関西師団も出動させろと命じ、内閣府の人間を部屋から追いだした。内閣府たちは、もう二度とこの部屋には戻って来られない。国家の有事対策室で神皇の指示通りに動く人形となる。

 神皇の座る正面に大きなモニターがあるのは、華族会の有事対策指令室と同じで、両サイドの小さな画面のモニターには民放各局の報道が映し出されている。神皇は険しい顔でそれを見ていた。凱斗は神皇と付き人及び警備達が並ぶずっと後ろで、同じくモニターに注視する。

 デモが暴動に変わった京宮外苑までの道は渋滞も起きていて、警察などの緊急車両が近寄れないでいる模様。空からの映像を流している局があったが、北山を含む京宮上空が、飛行禁止空域となっている為、遠くからの映像しか撮る事が出来ていない。しかし、京宮内の外政園の芝上に、黒いヘリが着陸しているのは確認できた。

 凱斗は、諏訪氏と前島さんと共に一通りの状況を神皇に説明する。身動きすることなく聞き入れる神皇のそばには、鷹取家の当主鷹取靖前が控え、まるで凱斗が犯人かのように睨み立つ。

 説明を終えても神皇は何も言わず、モニターを見続けていた。そんな悠長な態度に、凱斗は苛立ちながら、腕時計を見ながら待った。

 藤木官房長官が言うように、神皇家の祖歴を開示した方が良いのではないか。確かに、あれは一般の目にさらすことの出来ない歴史だ。開示すれば確実に華族会は糾弾され、存亡は危ぶまれるだろう。最悪の場合、神皇にも非難が及び、尊厳を失うかもしれない。しかし、人の命がかかっているのだ。国民もこの状況を見ている。下手に犠牲を飲んだ策もできない。

「あと5分です。」待ちきれなくて告げると、諏訪氏がやめろとでも言うように、首を強く横に振る。

 それでも少しの身動きしなかった神皇は、おもむろに、座ったまま椅子を回転させ、まっすぐ凱斗へと顔を向けた。

「神皇家の祖歴書は、これまで秘守されて来た物、これよりもそれは変わらぬ。」

「そんなっ」詰め寄りかけた凱斗の動きに反応して、神皇付きの警備が俊敏に凱斗を止めようとし、凱斗は静止した。

「華族の者達には耐心を求めるしかない。あれを開示すれば、日本は国内外からその罪責に非難を浴び、世界からの孤立、ゆくは国家失落に瀕する可能性がある。それは絶対的に回避しなければならず。」

(そうだけども、だけど・・・。)

 真っ直ぐ見据えられた神皇の威厳が、凱斗のそれ以上の思いを止める。

 思考さえも、威圧に止められる覇気を伴った神皇が立ち上がった。

「国家非常事態宣言厳戒レベル4を指定し、対処せよ。」そう宣言した神皇の拳が強く握られ過ぎて、筋が白く色変わっているのに気が付いた。「どうした、皆の者。」

「いえ、レベル4は行き過ぎかと。」

 全員が唖然としていた。

 頭の中の記憶の紙面がひらりと表示される。非常事態宣言厳戒レベル一覧表である。

 世界でテロが頻繁に起き、渡航警戒レベルが国によって違うのを見かねた国連が、世界基準を設けた。

 日本政府もその基準にのっとり内閣府が施行するが、今は皇制政務会発動時、指定権限は神皇にある。


レベル0 平常  安全宣言

レベル1 注意勧告  流行性感染症が全土に蔓延している時、など

レベル2 注意  時に死に到る流行性感染症が全土に蔓延している時、もしくは特定地域、限られた地域で危険性がある場合など。

レベル3 警戒勧告  入国の自粛、WHOに基づく出国時の注意指示のある場合。

レベル4 警戒  不要の入国の禁止、出国の自粛、国内の特定地域の危険性があり避難、退避指示がある場合。

レベル5 禁止  不要の出入国禁止。国内の外出の自粛。

レベル6 禁止命令・行動の規制  出入国の全面禁止。物流の出入国の自粛、一部停止。国内の外出禁止。

レベル7 厳戒 行動の禁止。 人、及び物流の出入国厳禁。国内の外出、移動禁止。

レベル8 避難、退避   国外への避難退避命令。


 レベル4は「不要の入国の禁止、出国は自粛、特定地域に危険性があり、退避、避難の指示がある場合に指定される。

但しこれは一般人に対しての注意喚起の指示であって、政府、政府対応防衛公人、いわゆる警察、消防、自衛隊などはこれにあたらない。そしてこのレベルに添って報道の制約、規制も追従される。

 日本では初めてのレベルに引き上げの指定だ。あの津波による原発事故の時でさえも、一時的にレベル3止まり、それも数か月でレベル2に引き下げられた。

「レベル4を指定されますと、国外から日本は危険な国だと、後々の信頼回復に時間がかかってしまいます。」と諏訪氏。

「海外に向けての後の回復は我が尽力する。華族の者に失命の耐心を求めるのだ、これぐらいの責務を我や国が負うのは必至であろう。」と凱斗へと再び顔を向けた神皇。「どうした?柴崎凱斗、不服か?」

 まさか、自分の名前を憶えているとは思いもらず、凱斗は若干焦って返事をする。

「いえ、すぐに対処致します。」

 鷹取康前以外のお付きと、凱斗達が各関係省庁、報道に指示を出すべく椅子から立ち上がり、電話をかけようと受話器を取る動きをしたが、その動きは時間が止まったように一斉に静止した。

 犠牲者が出るタイムリミットが来てしまった。

 映していたテレビ各局のモニターがまた、さっきと同じく黒く落ちる。そして映し出される京宮内の状況。

 テレビ電波ジャックをやってのける、テロリストは一体、何者だ?

 北朝鮮のVIDも二人使う事が出来るなど・・・

 の割には、要求が小さいように思えるのは、凱斗が神皇家の祖歴を、まだそこまでに重きに価値を置いていないからかもしれない。












また、一人死んだ。

白木の床に溜まる血が、どす黒い。

神皇様が青ざめた表情で力なく項垂れる。

あと何時間後?いや、何分後だろうか?

私の血もあそこに混じるのは。

麗香は乾いた口をぎゅっと結んだ。











(くそっ、間に合わずか、神皇は何をやってんだ。)

 亮はタブレットの映像を見て、心の中で叫んだ。麗香の順番じゃなくて心底ほっとしたけれど、今犠牲になった誰かには哀れに想う。

(華族の人間よりも大事なのか?祖歴書は。)

 人質が射殺される瞬間、国会会館の中央玄関ロビーに集まった報道関係者達は、静寂し、苦悶の表情で歯を食いしばった。ロビーに置かれたテレビが、通常の民放の画面に戻ると、口々に状況説明を求め喧噪は戻る。運悪く捕まった議員二人が報道陣に取り囲まれて身動きができないでいた。警備員とその議員のSP達は、報道陣を何とか押し返そうとしているが、次々と報道関係者が詰めかけてきて、喧騒は激しくなる一方だった。

「政府の対応はどうなっているんですか!」

「これはテロですよね。」

「祖歴書の開示はあるんですか?」

 不幸にも捕まった議員二人の本心の読み取りはしたが、不審に感じるものは何もなかった。

 報道陣は新たに登場した議員を見つけ、囲みを移動する。

「藤木官房長官!」

「政府はこの緊急事態にどう対処するのですか!}

 瞬時に取り囲まれた父は、報道に向けて、声高に叫ぶ。

「落ち着いて、押さないで下さい。緊急の政府対応を表明致します。」

 報道陣達は静かに待ち構える。父は持っていたメモをちらりと見てから声を張り上げる。

「政府は、京宮御所で起きました、双燕新皇並びに、宮内の職員、双燕新皇の降臨祭に参加の儀職の者65名の人質立てこもり事件に対し、国家に対する反逆集団によるテロ行為と判断致しました。」

「この時点でのテロ断定は遅すぎやしませんか。」

「30分も前に犯人からの犯行声明が出ているんですよ。」

 報道陣の矢継ぎ早の質問に、まだ続きがあると父は手で制した。

「国家を脅かすテロは決して許してはならず、政府はこのテロに屈することなく全力で対処すべく、全国民に対してお願い致す所存です。日本国はこれより、国連国際基準に基づき、国家非常事態宣言厳戒レベルを、4に指定します。」

 亮は驚愕する。記者たちも同様にざわつく。

「これにより、不要の入国の禁止。出国は自粛していただく事になります。そして、京宮御所周辺の住民に置かれましては、速やかに警察、消防と自衛隊の指示をより、退避して頂きます。このテロの早期解決に国民皆さまのご協力を願い、報道陣の皆様には、これより政府の指示に従い協力をして頂く事になります。」

 質問の喧騒がフロアを津波のように覆う。

 これが、神皇の皇政による解決の仕方。思い切りがいいと言うか大胆と言うか、まさか国家非常事態宣言を出して来るとは思わなかった。しかもいきなりレベル4、普通は段階的に上げて行くもので、レベル4は、後々の国際背景や経済的影響を考えたら、出すのに躊躇するレベルだ。あの原発事故の時だって、レベル3は上げすぎだと問題になっていた。

「亮さま。」不意に声を掛けられ振り返ると、谷垣さんがすぐそばに居た。

「谷垣さん、ちょうど良かった。電話して呼ぼうと思っていた所。」

「ええ、守先生に知らされて。亮さまが、こちらに来ていると。」

 亮は心の中で舌打ちをする。

 報道陣の喚き声がうるさ過ぎて話がしづらいので、フロアから去り、会館奥へと戻る。

「守先生は、私に亮さまの側へとおっしゃって。」

「監視か、よっぽど信用ならないみたいだな。」

「いえ、そうではなくて、華族の方に命令された事があるようだからと、華族のお方は、人手が足りなくて困っておいでみたいだからと。」

「言い繕いも抜かりないな。」

「亮さま!先生は、自分は立場上、自由に動けないからと。」

「いいさ、どっちにしろ、華族会が人手不足なのは本当だ、こんな俺に大事な称号証を渡して代理にさせるぐらいだからな。」

「何をなさるのです?」

「この間、言っただろ。園遊会と歌会に出席した奴で北朝鮮に関わる政治家の割り出し。」

「やっぱり、このテロは、それに関係がありましたか。」

「うーん。どうかな、推測ばかりだし、全くの見当違いって事もあるかもしんないし・・・だけど、凱さん・・・あぁ、柴崎家の養子で華選の称号持ちの、こういう有事に対してのエキスパートの人、も別ルートでこのテロの背景には、ここらの奴が関係しているんじゃないかって同じ推測に到っている。」

「一応、園遊会と歌会に参加した議員の名簿を作りはしましたが、北朝鮮の事までは調査は出来ませんで。」

「いいよ、名簿だけで十分。」

「すみません、こんな事態になるとは思っていませんでしたから。」

「俺もだよ。」

 父に咎められたあれ以降も、谷垣さんは亮の依頼を続けてやってくれていた。折りたたまれた1枚の紙を貰う。広げると歌会に各政党から約1名づつの6人、園遊会は、民生党から4人、共和党か3人、社会党2人、あとの野党からそれぞれ1名づつの総勢15人の議員が参加していた。

「この人数なら、北朝鮮の絞りなしでいけそうだよ。」

「もしかして、亮さま、その先生方を回って一人一人、その・・・読み取りをされるとか?」

 谷垣さんは心からの心配をする。その優しさはありがたいけど、今はその優しさは不要だ。

「ほぼ、全政党の部屋を回らなくちゃいけないのか・・・・ちょっと面倒だな。一同に集められないかな。」

「亮さま・・・」

「時間もない、急がないといけないのに。」

 大きなため息を吐いた谷垣さんは、やっと諦めて助言をしてくれる。

「先ほど、平沼総理大臣が衆議院議員を議場に集められました。」

 内閣府は神皇と華族会に場所を追いだされて、烏合の集会を開いたようだ。

「そのリストの全員ではありませんが、半分ぐらいは、そこで読み取り可能です。」

「大好きだよ、爺や。」

「はぁ~、爺は、心配が尽きません。」そう言ってうなだれる谷垣さんの言葉を背に駆け出した。

 議場とは、国会中継でおなじみの扇型に席が並ぶあの部屋だ。扉を開けようとしたら、遅くやっと追ついた谷垣さんに止められる。

「待ってください、亮さま。これを・・・」

「いっ!」

 ポケットから取り出したのは、昨日の藤色のコンタクトレンズ。

「いくら、華族証を持っているとはいえ、流石にここで素顔をさらして、面と向かわれては困ります。」

「いやー、それはちょっと・・・」

「大丈夫です。今洗ってきますから。」

「そうじゃなくて、それはあまりにも奇抜過ぎて、そればかり気にして、相手が本質の事を、考えられなくなったら、読み取り出来ないよ。」

「あーそうですか。」

「ありがとう心配してくれて。そうだな。やっぱ、素顔じゃ、ちょっとまずいか。ボールペン持ってる?」

「あっ、はい持ってますが。」

 いつもなら、鞄を持ち歩いて。そこに手帳やら筆記具も入れてある。だが、今日は急いでいたから、フェラーリに置いて来たまま。ち物と言えば、このタブレットと財布と携帯だけだった。

 近くのトイレに入る。谷垣さんから借りたボールペンでほくろを描いた。鼻の横に不自然じゃない程度の大きめの奴を。

「ぉぉ、やっぱりそこばかり目が行きますね。あ、そうだ、これもつけてみなさいますか。」

 谷垣さんが、またもやポケットから出したのは銀縁の眼鏡。ダサいけど、描いた鼻横の黒子がもうダサダサだから、更なるダサ男を目指してかけてみる。

「うわっ、痛ったっ」

「私の老眼鏡です。駄目ですか、やっぱり。」

 亮は昔から視力がスバ抜けて良かった。だから度の入った眼鏡をかけると目は開けていられない。

「じゃ、取ってしまいましょう。」そう言って亮の手から眼鏡をとると、レンズを指で押してフレームだけにした。

「た、谷垣さん!?」

「この間、落としてしまいましたら、どうやらフレームが歪んでしまったようなんです。それ以来、脱着が出来るようになりましてね。」

 にっこり笑う谷垣さん。もう、面白過ぎて大好きだ。


















 堂々たる神皇でさえも、人の死を目の当たりにして、流石に表情を苦悶に歪ませた。

 鷹取家の御付きが、その瞬間、モニターの電源を落とそうとしたが、神皇は「見届ける事も我の責務だ」とその気遣いを辞めさせた。1分もかからなかった人の死の映像は、神皇や華族達に石よりも重い負荷と空気を落とし込む。

 何の為の時間かわからない時間が過ぎる。

 次の犠牲者を待つ時間か?

 入ってくる情報は現場の混乱だけ。

 京宮に大阪府警の特殊部隊SATを緊急配備の指示を出したが、到着の報告はまだ受けていない。京宮御所前はデモで集まった市民たちが、テロリスト達によって配られたモデルガンで戦争ごっこでもしているように、警察と小競り合いになっている。モデルガンに殺傷能力がないことから、警察も一般市民に対して暴力的に制圧しにくい。

 そして、続いて入って来た情報によると、国会議事堂公園前の広場にも、トラックが着き、デモ集団たちにモデルガンをばらまいて行ったと言う。トラックはすぐに走り去ったが、大量のモデルガンを拾ったデモ集会者たちは、京宮前の混乱に乗じて、国会議事堂門へ向けて、無駄にプラスチック弾を発砲し、警備員を怒らせるというトラブルを起こし始めているという。

 さらに、同様のトラブルが全国各地で起きていると言う情報が続々と入って来る。

(この状況は一体、なんだ?)

 紛争地における聖地争いや人種差別の争いの方が、その目的と意思が明確でわかりやすく、それを制圧する側も納得して銃を向けやすい。だけど今、国内で起きているこの事態は、デモ隊に銃を向けて制圧できるほどの明確な理由がない。

 康汰に電話をしたが、警察庁内も混乱していて、忙しいと一喝して切られた。

 手にしていた携帯がバイブコールする。防犯上、番号表示のみにしている凱斗の携帯だが、画面には黒川和樹と表示されていた。きっとPCから繋げているのだろう。機械物に関しては遠隔で何でもやっちゃう黒川君だ。

「大丈夫か?」

「はい、何とか、大丈夫です。すみません、防ぎきれませんでした。」

「気にする事ないよ。どういう状況だったか、説明してくれる?」

「はい、今日も朝10時ぐらいからデモや華族の事に関してVIDで潜って情報集めをしていまいした。今日は降臨祭が京宮で行われる日なので、各地で華族制度に反対する書き込みやデモ集会場所などの書き込みが多く、でも、それほど目立って不審な事は何も有りませんでした。」

「うん。」

「12時過ぎから北朝鮮サーバーに再度、探りに行ったんです。」

「ふん、それで、」

「相手には僕の存在を知られていますから、無茶に正面から様子を探りに行く事が出来なくて、回りをウロウロしているだけだったんですが、急に、VID二人が出て来て、京宮の動画の強化と、テレビ局デジタル回線を結び始めたんです。僕、これはとんでもない事になると思って、京宮の動画回線をぶった切ったりしたんですが、相手が、防御と攻撃を分担してやっちゃうもんですから、追いつかなくて。負けちゃって。だけど、この戦いでわかりましたよ。」

「おっ、凄いな。」

「相手のPC、僕のPAB3000 より劣った機種です。」

 がっくり。しかも僕のって、完全に自分の物にしちゃってる。

「さすが PAB3000!処理スピード、変換量がはんぱないです。VID二人を相手に潰されなくて済んだのは PAB3000の性能のおかげです。」

「あ~そう・・・それはそれは、良かったよ。君の命が守れて。」

「はいっ。」

 興奮冷めやらぬ黒川君に水を差すのは悪いけど、時間がない。

「えーと、黒川君、今はどういう状況?」

「あ、はい。あいつらは、国内のテレビ回線を乗っ取って、自由に自分達で制御できる状態です。今は、各局の現地取材している映像などの情報が必要みたいで、キー局から送られてくるデーターを確保して利用しているみた・・・・ヤバっ。」

そこで、変にノイズみたいな音が聞こえて無音になった。

「黒川君?おい、黒川君!」

「・・・・すみません、今あいつらの監視マーカーに見つかりそうになりました。」

 VID脳の世界はどうなっているかさっぱり、想像もつかない。

「正直、何がどうなっているのか理解できにくいが、そいつらが乗っ取ったテレビ回線の奪還は難しい?」

「そうですね。何故か、あいつら必死なんですよね。何故テレビ回線がそんなに重要なのか?僕にはわかりません。」

「交渉手段だからだろうね。」

「ネット回線で良いと思うですけど。」

 確かにそうだ。テレビ回線など乗っ取らなくても、ネット回線一つあれば、交渉はできる。テレビとネットの違いは、視聴者の年齢層の違いだろう。ネットは、その映像を見る為にはパソコンもしくはスマホ内のアプリを立ち上げる意思があってこその行動だ。テレビには、意思や行動無くても勝手に情報が入って来る万人性がある。その万人に知らしめるのが犯人の目的であるとしたら・・・、いや万人に効果を狙っての事だとしたら。

「そのVID相手、サブリミナル洗脳をテレビに流そうとしているとか。」

「藤木さんにそれを指摘されて、警戒はしていますが、今の所ないと・・・ただ、僕がそれを見つけられるかどうかは怪しいですが。何分、初めての事象ですから。」

「あぁ。いいよ。それぐらいで、気負うことないからね。」

 部屋にいる全員が、凱斗に注目していた。

 観たくない物を見せられて辟易して、入ってくる情報は混乱状態の物ばかり、凱斗に打開策を求めて期待しているのだ。

「黒川君、テレビ回線の奪取は無理でも、あいつらが送る電波を個々のテレビ側から見られないように、って出来ないかな?」と言いながら、無茶な事を頼んでいると自覚する。この日本国に個々のテレビなど一体いくつあるんだ。想像もつかない数だ。それらを見れないようにするなんて。

「個々のテレビから見られないようにって、数個単位ならできますけど、全国のテレビ全てってなると、とんでもない量ですよ。」

「だよね。無茶言ってごめん。」

「あっ、そうか、中継点でデシタル情報停止すればいいのか。できます。全国のテレビを見られないようにするの、こっちも逆ジャックして封鎖すればいいんです。やってみます。」

「あー、無理するなっ」と凱斗の言葉は無視して切られる。神皇を含めた全員が説明を待っていた。凱斗は深呼吸をしてから、簡単に黒川君の状況を説明するが、それには黒川君のVID脳についても説明にしなければならなくて、しかし、皆は理解半分以下という表情でいる。とりあえず、黒川君はコンピューターのエキスパートでネットや情報系機械に関しては、とりあえず何でもできるが、相手も黒川並のエキスパートを二人も送り込んできている。しかもあの北朝鮮が絡んでいる可能性がある事を報告した。

 神皇は北朝鮮が絡んでいる事に関して、難しい顔をし、唸った。

「勘違いしないで欲しいのは、黒川君は、その特別の能力を持っていますが、彼もリスクを負ってやってくれています。VID脳を駆使することは、脳と体にかなりの負担があり、時に死の危険性が伴います。もうすでに、連日、デモの首謀者を探す事に協力して貰って、昨日今日に到っては、北朝鮮のハッカーと対峙して、意識を無くして倒れています。」

(さぁ、神皇どうする?)

「状況からみて、頼んだ、テレビ回線の封鎖も時間の問題で、相手に見つかってしまう可能性があります。そうなれば、彼はまた死闘を繰り返して。」

(神皇、これでまだ、手を打たないのか?)

「まだ22歳の青年、しかも彼は一般人です。華選ではありません。その青年が身を削りながら戦ってくれているのです。なのに、ここはっ、私達は、何なんです。神皇っ。」と凱斗は我慢ならず目前のテーブルを叩いた。

「柴崎凱斗、失礼であるぞ、神皇様へ意見を述べるなどっ。」と鷹取靖前氏が前に出て来るも、神皇が僅かな動きで止めた。

「鷹取。」

「はい。」

「華選制定の時、華族会が西と東で意見が分かれたと聞いていた。我がまだ神皇になる前の事である。我はこの静和な世で華選の位を要する必然をわからぬまま、度々上げられてくる華選上籍申請書に印を押していた。皇下華選認定特殊任務部隊の承認もしかり、だか、柴崎総一郎の考察は正しくあったな。」

 鷹取靖前が顔を伏せた。鷹取家も弥神家と同様、華選制定に否定的だったのだ。

 神皇が皇衣の絹擦れる音を発して立ち上がった。その動作だけで皇の威厳が充満していくようだ。凱斗は出過ぎた自分の態度を罰せられるのかと思い、頭を伏せた。

「柴崎凱斗。皇下華選認定特殊任務部隊の出動を命ずる。」

 凱斗は顔をあげた。険しく圧倒する神皇の存在をかろうじて受け止める。

「前島彰久、陸、海、空の自衛隊行使の全権を我に変わり、そなたに委ねる。我に変わり、京宮の凶事を制圧致せ。」

 あまりの驚きに振り返って、前島さんと顔を見合わせた。

「何と!神皇様っ、それはあり得ません。一個人に自衛隊行使権を渡すなど。」

 そう、ありえない事だ。一個人に自衛隊行使権を渡してしまうなど、それをすれば、独裁軍国主義的に、隊を動かせてクーデターを起こせる。平時の自衛隊を動かす権利があるのは、防衛大臣だ。それも政権が内閣府にある段階は、その防衛大臣を諌めるのは内閣総理大臣だし、内閣府は憲法や自衛隊法に基づいて行われるため、基本、防衛大臣が独裁に自衛隊を動かすことは不可能な仕組みになっている。だが、皇政政務会の発動によって、今は憲法や法律の繋縛は無くなっている状態。今、神皇が日本の全権であり、法である。

「国の防衛に当たっては、我より華選両人の方が達者であろう。」

「ですがっ!」

「神皇家祖歴書を開示できぬ以上、何を優先してでも、この凶事を早期に収束せねばならぬのだ。幸いな事に、柴崎総一郎が先見に残してくれた華選の者が、これに対処できる武力隊を備えてくれている。我は柴崎総一郎故人の心意を信じよう。」

 総一郎会長、こんな所で、やっぱりその偉大さを感じるとは思いもよらなかった。あの物言わせぬ強い目に逆らえず、死んだと同時に逃げた自分が恥かしい。

「皆の者、国家非常事態宣言厳戒レベルを7に引き上げ、関係各所は皇下華選認定特殊任務部隊の行動及び権限を最優先に処する特例を出せ。」

(レベル7だと!)

「すべての責務と後の処遇は我が受ける。前島彰久、柴崎凱斗、やってくれるか?」

「はっ、前島彰久、神皇勅命を賜り、身心精鋭に身命を尽くします。」

「柴崎凱斗、皇華特殊任務部隊12名と共に凶事制圧の神皇勅命を賜り、精鋭に身命を尽くします。」

 この命をかけて勅命に当たると言う意味で、握った手を心臓に軽く当ててから通常の敬礼をする皇華隊だけの敬礼を、前島さんと二人で揃え、神皇に捧げた。

 神皇は凱斗達の敬礼に力強く頷く。











 視た所、特に何か不審な動きと本心を宿している者は居ない。

 亮は国会議事堂議場内の後方の扉の前に立ち、目に意識を集中して見渡していた。しかし、ざっと視ただけで、対峙して読み取ったわけではないから、読み取り不足があるかもしれない。麗香なら後ろからでも何を考えているかわかる時がよくあるのだが、ここは、亮の大嫌いな政治家ばかりが居て、亮自身が無意識に目を背けてしまっている可能性も否定できない。

「前から視た方がいいんだけど・・・」と呟いた亮に、谷垣さんはすぐ対応する。

「前に行きますか?」

「うん・・・何か問われる奴がいたら、華族の人間を装うから、話を合わせてよ。」

「お任せください。」

 議場席の脇の階段をゆっくり下りて行く。場にいるのは議員だけじゃなく公設秘書も議員達も混じっていた。

 議長席の祭壇で立ち話している共和党の幹事長と政調会長が、亮の姿を捕えて一瞬不審の顔をしたが、谷垣さんの姿を確認して、二人は話を続けた。

 扇状の机は、国会が開かれると名前が刻まれた札のある場所にしか座ることは許されないが、今は、国会が開かれているわけでもないので、集まる議員は自由に党をまたいで雑談をしていたり、腕を組んで瞑想?寝てるだけ?だったり、携帯を触っていたりしている。ここに居る奴らは、本当に無能の集団、運悪くここに居て、あるいは凶事に見栄だけの正義感を出して駆け付けたはいいが、華族会に政務を奪われて、何もする事がないのに、この前代未聞の凶事に焦りと驚愕だけを装い、実は自分が何もしなくていい役で安堵していたりする。ほぼ全員が、時間を持て余していた。

「前列で雑談している三人の内の真ん中が、民政党国会対策委員長の松野です。園遊会に出席しております。」と谷垣さんが耳添えする。

 特に何も違和感がない。この凶事はいつ終わるのだと、次の国会に影響が出るのではないかと嫌疑があるだけ。

「左側、2列目の女性議員、女性党代表の伊藤議員、歌会に出席。」

 これも何も感じない。女性の地位向上の名目で常に男に対して敵意をむき出し。

 総勢30名の議員を注視した中で、谷垣さんのリストに名が上がっている奴6名の読み取りを終えたが、何も違和感はなかった。やはり面と向かって話をしなければ、何もつかめないのかもしれない。上手く本音を隠せる奴ってのはいて、政治家になる奴ほど、それが上手い。いくら亮が政治家の息子で、この世界に詳しく経験があると言っても、実際に自分は議員ではないし、経験上でしか読み取れない法則にのっとるなら、政治の世界を忌み嫌い逃げているのと、本当に身を置いているのとは、読み取り方も違ってくるだろう。

 議員たちが、議場の祭壇横に伸びる事務局職員の席でずっと立っている亮の存在に、不審な疑惑を抱き始めた。

「まずいな、そろそろ出るよ。」

「はい、次はどこへ案内しましょうか。」

 リストの中で、まだ読み取れていないのは民生党の主要議員が大半、父を含め、民政党の大臣、党三役クラスの人間は国家戦略室の隣にある大臣室にいる。そこへ華族証の印籠を掲げて入る事も可能だけど、また、父親と合わなくてはならないと思うと気が進まない。それに、北朝鮮との関係性を考えたら、園遊会に参加している社会党党代表の田中吉郎議員が一番怪しいだろう。社会党はその政党の毛色から社会主義的思想を持つ。韓国、中国と独自の友好関係を築いていて、その路線から北朝鮮との繋がりを持っていてもおかしくない。

「社会党の田中代表は、ここに来ているかな。」

「今日は、まだお見掛けしておりませんね。登院ボタンもどうだったか・・・・すみません。」

「いいよ」

「社会党室へ向かいますか?」

 曖昧に頷いて、出口に向かう階段を登ろうとすると、一人の議員が席を立ちあがり、亮の前に立ちふさがった。

(まずい。)

 完全に亮を不審者として正義感に血の気が上がっている。

 その議員の顔は見たことがあった。確かスポーツ親交党という、議員定数1の野党の雑魚だ。スポーツの精神から国を変えていくとのスローガンを掲げて、元は柔道のオリンピック銀メダリストだったはず、過去の栄光にすがった知名度だけで当選した議員だ。

「さっきから何をしている?議員でもなく、政務事務官でもない者が議場に入り込んで!」

 無駄に声がデカイ。

「加藤議員、このお方は、」と谷垣さんが言うのも遮り、その議員は声を張り上げる。

「藤木官房長官の公設秘書であられましたな、確か。」

「はい、谷垣と申します。」

「藤木官房長官の秘書官が、このような有事の時に、勝手な事をしていかがな事かと。」

 議場にいる全員がこちらに注目している。

(くそっ、面倒だ。)

「落ち着いてください加藤議員、このお方は。」

「谷垣さん、申し訳ありませんでしたね。私が無理を頼みました。」

 胸の華族証を良く見えるように引き出した。適当にそれらしい単語並べたら、威厳良く聞こえるだろう。

「私はこの有事対策に当たり、国家戦略室華族会対策本部より、このフロアの連絡指示系統を担いました、華族の柴崎敏信です。」

 華族を強調して言ってやると、目の前の馬鹿と、議場にいる議員たちは、驚きのざわつきを起こして静まる。

「藤木官房長官の谷垣秘書官とは元々個人的な親交がありまして、この有事に、ここへ駆け付けたはいいが、この広い国会議事堂で迷いましてね、困っていた所、ちょうど谷垣氏とお会いし、藤木官房長官のご厚意で案内役に連れ添って頂く事になりました。」

「あっ、そ、そうでありましたか・・・」急に大人しくなった馬鹿議員。

「議員の方々にご挨拶致そうかとも思いましたが、この凶事、心苦しい中で忙しくされている皆さまに、華族の私の存在に気を使われてはと遠慮させていただきましたが、逆にご不審を招いてしまったようで、申し訳ない。」

「あ、いえ、こちらこそ、華族のお方とは存じず、ご無礼を、その・・・私は決して・・・」

(チョロいもんだ。)

 中央にいる共和党三役の二人は、華族と名のった亮に敵意の心を宿した。

「その・・このたびは、京宮におられる人質になられている方々の事を思えば・・ええ・・」

(ウザイ、こいつ、ガタイの割に肝がちぃせぇ。)

 血気張って、華族に盾突いてしまったことにビビっている。

 呆れて視線を外したら、扉が開いて民政党幹事長、根岸代議士が入ってくる。近くにいた議員ではない職員、おそらく根岸代表の秘書官だろう、が、すぐに立ち上がり駆けつけ、顔を寄せ、密やかに話しはしめた。根岸幹事長は、園遊会に名前があった議員だ。しかし民政党の傑物の評価のある党の顔役が、テロに加担するような行動をするとは考えられない。根岸は違うだろうと視線を逸らしかけた時、窺うように亮へと向けた視線が合う。本心に憎悪と高揚、そして貶した笑い。

(笑い?)

「加藤議員、申し訳ございませんが、柴崎様は、急ぎ対策本部へ戻らなければなりませんので。」

(なんだ?あの本心は?)

 根岸幹事長はすぐに顔を逸らして、急いでいるように扉へと向かう。

「それは失礼申し上げました。もし私で良ければ何なりと申しつけ下さい。私は華族制度には賛成しております。華族は神皇様が制定された由緒正しき地位でございます。」

 馬鹿議員が握手を求めて、勝手に亮の手を握ってくる。

「ちょっと、離せ。」

「あっ、えーとこれは度々失礼しました。私はずっと柔道をしていまして、力が強くて、握手が痛いと良く言われてしまい。大丈夫でしょうか。」

 もう一度、ちゃんと目を視ればわかる。あの嫌な笑いの奥にあった達成感の意味を。

「どけっ!」加藤議員を押しのけた。

「えっ?あっ、りょっ、柴崎様!」

 階段を駆け上がりながら、根岸幹事長としゃべっていた秘書官の顔を見据えた。亮の睨みに驚き怯えもしたが、特にこれと言って不審な心は読み取れなかった。

議場を出て廊下を見渡す。根岸幹事長の姿は左右どこにもいない。

亮がチッと舌打ちをした時、唸るような振動がして、亮は地震がと一瞬焦るが、音質からヘリによるものだと判別する。亮は奥へ、与党大臣達が集まっている議事堂中央部にある大臣室へと駆けた。部屋の前でドアノブを回そうとして躊躇する。何と言って部屋に入り言い繕うか?思いつかないでいると、突然、隣の部屋の扉が乱暴に開いてびっくりする。

「か、凱さん・・・」

「ん?」

 亮に一瞥したけれど、無視して一緒に出て来た前島さんと駆け出す凱さん。変装した亮のことをわからなかったようだ。眼鏡を取って叫ぶ。

「凱さん!」

 駆けながら2度見してやっと亮だと気づいた凱さんは、でも立ち止まらないで、叫ぶ。

「藤木君、何かわかったら携帯に。」

 思いっきり名前を叫ばれてしまって慌てる。廊下に人は居ないが、きっと大臣室まで聞こえただろう。亮を追いかけて来た谷垣さんとぶつかりそうになって、凱さんは階段を下りていった。

 凱さん達が飛び出してきた扉から続いて、諏訪氏が重たそうな身体を揺らして出て来た。この部屋の奥には地下の国家有事対策室に繋がる階段がある。

「何かあったんですか?」

「うん?」

同級生の諏訪誠の父親だとこちらは認識していても、諏訪氏からしたら、今日が初顔合わせといっていい。髪を濡らして七三分けにもしているので、華族会事務所から一緒について来た亮だと気が付かないで、不審がられる。

 亮は髪をかきむしり、鼻の横に描いたほくろを、こすって落とした。

「あぁ、藤木君か。神皇様が皇華隊の出動を勅命された。」

「皇華隊って・・・」

「凱斗君が、こういう時の為に自衛隊の精鋭部隊を選任して組織した特殊部隊だよ。」

 思い出す。りのちゃんの華選上籍パーティの時、凱さんは発足を任されていると言って、自衛隊のヘリに乗って遅れて駆け付けたのだった。

「今、玄関前広場に、その皇華隊のヘリが到着して、凱斗君と前島さんは京宮へ向かうんだ。」

「京都へ?」

「神皇様が 国家非常事態宣言厳戒レベルを7に引き上げろと、それで彼ら皇華隊の行動、権限を最優先に出来る処遇も下された。」

「レベル7ですって!」

「あぁ、もう何が何だか・・・・おっと、そのレベル7の対応を総理に伝えねば、びっくりだろうな。」

 諏訪氏が隣の大臣室へ入って行くのを見計らって、会話を聞いていた谷垣さんも驚いて亮に寄ってくる。

「亮さま・・・」

「そうだ、あいつ、根岸幹事長・・・」

 根岸幹事長の違和感を確認しないといけない。だけど、そんな事をしていていいのか?

 異例のレベル7宣言をし、精鋭の特殊部隊が出動して、国会前に到着した自衛隊のヘリで京都へ向かう凱さん達。

 国が、神皇が、怒った。 国内外に繕う世間体を度外視して、この凶事を叩き潰す為に。

 谷垣さんに、借りていたフレームだけの眼鏡を返す。

「谷垣さん、あいつ、根岸幹事長を調べて。北朝鮮との繋がりが出たら、この有事に何か関係があるはず。」

「えっ?」

「あいつ、華族だと言った俺に強く憎んだ心を向けた、この凶事に貶した笑いを奥に潜ませて、達成感も沸いていた。」

「亮さま、何かの間違いでしょう。根岸氏は、」

「間違いなんかじゃない!」

 思わず谷垣さんの襟を掴んでいた。見上げて驚く谷垣さん。

(こんなに爺やは、小さかったったけ?)

「爺や、信じて、死のうとしたこの忌々しい俺の眼を。」

「亮お坊ちゃん・・・・」過去を思い出した谷垣さんが、強く強く何度も頷く。

「父の言う通りだ。俺は百様を知って一様を知らなかった。」

 華族会の周到な組織力、神皇の継続する歴史こそが、この国の安寧と繁栄をもたらすと信じる強い祈心。

戦後十数年しか経験のない内閣府には到底太刀打ちなど出来ない。

華族は、卑弥呼より続く1700年の歴史が脈々と継がれているのだから。

「壊すことなど出来やしない。過去の神巫狩りの時でさえも、神巫族は滅亡しなかったのだから。」

(自分は、なんて愚かだ。)

「根岸の思惑を暴かなければ、対応を間違えれば、藤木家も巻き込まれて潰れる。」

 谷垣さんは眉間に皺を寄せる。

「谷垣さん、親父に伝えて、根岸の魂胆を暴けって、そして藤木家を守れって。」亮は駆けた。

「亮さま!どちらへっ!」

 階段を駆け下りる。革靴が走りにくく、玄関の大理石の床で滑って、手を床に付きながら体制を整えた。

 玄関ロビーにいた記者たちは、突然現れた自衛隊ヘリを撮るべく外に出ていて、カメラマンは我先にポジション取りに必死で、リポーターはその状況を興奮した口調で伝え叫んでいる。

 圧倒されるほどデカいヘリが2機、国会議事堂前広場を占拠していた。建物の近くに停まっているのは、プロペラが二つの輸送タイプで胴体が長い。そのヘリのそば前島さんがパイロットと話をしていた。その向こうに停止しているヘリのプロペラが動き出した。機関砲、ミサイルも搭載した多機能型ヘリだ。そのヘリに凱さんが乗り込もうとしているのを見つける。

「凱さん!」

当然に、叫んだ声はヘリの駆動する風切り音やエンジン音で届かない。へりが巻き起こす風が髪を乱した。

亮は報道陣達を押しのけて駆けた。

「凱さん!俺も乗せて!」走りながら力の限りに叫ぶ。

気づいた前島さんが、亮を捕らえようと追って来る。

「凱さん!俺も乗せて!京都に行かせて!」

 まだスキッドに残っていた凱さんの足を掴み、叫ぶ。困った顔で振り返った凱さん。

「俺、役に立つから!この眼が役に立つときが、きっとあるから。」

凱さんは首を横に振る。

「民間人は乗せられない規則なんだよ、このヘリは。」と前島さんも亮の肩を掴んでヘリから離そうとする。亮はその手を振りほどいた。

「文香会長に頼まれた!麗香をお願いと!」

 増々困った表情をした凱さんは、ヘリから降りて来て亮と向きあった。

「規則なんて、凱さんはいつも破って、俺達にやらせてくれたじゃないですか。」

「乗せられないんじゃない、乗せたくないんだ。」

「凱さん!」

「意地悪を言ってるんじゃない、わかるだろ。」

亮の肩をがっしりと掴んで、視線を合わせた凱さん、読み取れと言う事だろう。でも、こんな時でも凱さんの心の中は哀しみでいっぱいで、読んで欲しい本心はわからない。

「わからない。凱さんのは、いつも哀しみが詰まり過ぎて。」

 凱さんは亮の肩から手を離すと、ため息をついて首の後ろをかいた。

「その哀しみを増やしたくない。」

「俺は、麗香を。」

「麗香の事は任せて、絶対に助けるから。」うなづき、胸の皇華隊のマークを拳で叩く凱さん。

 でも亮は、そんな誓いの約束よりも、自分が京都に行きたいのだ。

「信用できないか。」残念そうにつぶやく。「文香さんの願いは、俺の使命でもある。柴崎家に拾われた俺の、総一郎会長から託された使命。」そう言って凱さんはポンと亮の頭に手を乗せた。まるで子供をあやすみたいに。見つめられた眼の奥は、やっぱり哀しみが深く、引き込まれそうだった。

「危ないから下がって。」再度、亮を掴んで引っ張られ、よろめきながら後退し、ヘリから離れる。

 ヘリに乗り込んだ凱さんは扉を閉め、窓越しに何かを言う。大きく口の形を見せるようにして残した言葉は、

【あ と を た の む】だった。

 亮は覚る。凱さんは皇華隊のマークを叩いたんじゃない、心臓を、命を示し、死ぬ覚悟で麗香は助けると言ったのだと。

 ヘリがふわりと浮いた。かき混ぜられた風が、乱雑に亮の顔を叩く。前島さんが更に後ろへと亮を引っ張る。

 窓から敬礼をした姿を見せた皇華隊に対して、前島さんも敬礼を返す。

 亮の中で、悔しさと羨望が混ぜ湧き起り、唇を噛んだ。自分の無力さが悔しい。凱さんの多様な能力が羨ましい。

華族制度を壊そうとした罪を償うチャンスを与えてくれない神は、無慈悲だ。

 ヘリは国会議事堂の高さより高く上昇すると旋回して、速度を上げてすぐに小さくなった。













「勝手にロッカーを開けて、全部を持って来ました。」

「わりぃ、助かるよ。」

 ヘリが加速する慣性に体がよろめいた。天井のバーを掴んで、慣性重力が安定するまで待つ。

 先発隊は、空軍上がりのヘリ操縦士の田島をはじめ、自分を含めて7名が乗っている。狙撃に長けた久瀬と落合、特殊訓練全般を卒なく熟す小沢と二階堂。陸自の通信兵上がりの高村は、操縦席の隣で前島さんが乗り込む大型の輸送機UH-46との通信機器とパソコンのセットアップに忙しい。皆、緊張している。昨晩、緊急演習で召集かけた時とは顔つきが違っていた。不謹慎にも、やっぱり実践が最高経験だと思う凱斗。

 やっとヘリが安定飛行になり、身体が楽に動けるようになった。ロッカーからかき集めて持ってきてくれた皇華隊の戦闘服に着替えるべく、靴、革ジャン、ジーンズ。Tシャツ、下着も脱ぎ全裸になる。戦闘服は下着までが寒暖、発汗に優れた機能性素材で作られている。互いに全裸に恥じるような隊員たちではないが、久瀬は凱斗の体中にある傷をみて、瞬きを忘れるほど目を見開いた。

 振り返れば久瀬だけじゃなく、落合と小沢が同じように驚愕していて、二階堂に到っては大袈裟に顔を横に向けて見ぬふりをした。

 彼らは陸、海、空から選ばれたエキスパートでも、本当の戦争を知らない。傷と言えば、演習での木々で引き裂いた裂傷、体術練習時で負った骨折ぐらい。陸上対人戦では絶対に実弾を使わないから、銃創の傷を負う事はまずない。ましてこんなバーナーで焼き止血した汚い傷跡など見たことが無いのだ。

(しまった、実戦前に恐怖を植え付けてしまったか?)

 後悔しても遅い。

 防弾にもなっているベストのベルトを締めて着替え完了。と同時にタイミングがいいのか悪いのか、携帯にセットしていた30分タイマーが鳴った。

―――京宮で人が死ぬ時間。

「高村、モニターにテレビを受信しろ。」

「はい。」

 嫌でも向き合わなくてはならない人の死。麗香の順番ではない事だけを祈る。

「繋がりません。おかしいな。」

 思い出した。黒川君に見れないようにしてくれって頼んでいた事を。

「あー繋がらなくて当然だ。」

「はい?」

「国民への影響を考えて、電波塔で止めてもらっているんだった。」

 増々ハテナ顔の高村。自分達まで京宮の様子がわからないのはまずい。

 脱ぎ捨てた服から携帯を拾い出し、凱斗の分だけ残っている備品のトレイから、黒い腕時計をひっつかむ。装備品の腕時計は時刻表示が3種類あり。そのうちの一つをタイマーとして設定もできる。27分の設定をして久瀬に渡した。

「全員、その時計と同じタイマー設定をしろ。無音のバイブ設定で。」

 規則でシートベルトをしていた隊員たちは、慌ててベルトを外し、久瀬に集まる。

「それが、京宮の人質が死ぬ時間だ。」

 事件の詳細は知らされているはずの隊員たちは、それでも凱斗の言い方に驚きを隠せず、動きが止まる。

「30分おきに人が射殺される、それが現実だ。」

 ここから京都までは一時間半はかかる。この最新の高速移動型ヘリを限界速度で飛ばし、レベル7の厳戒態勢で、京都までの飛行に最適な気象条件と高度を自由に選べても、だ。どんなに急いでも、あと2人ないしは3人の犠牲者を覚悟しなければならない。

 凱斗達が到着する前に、大阪府警のSATが何とかしてくれればいいけど、あの人数のテロリストだ。淡い期待はしないで、犠牲者の数に覚悟を決めた方が精神的にもいい。

 携帯電話を黒川君に繋げた。ワンコールでつながる。

「黒川君、良かった繋がって、上手く行ったみたいだね、電波塔で止めるの。」

「はいっ、でもあいつらに気づかれるのも時間の問題かと思います。」

「そうか。ところで、俺達までテレビが見られないって、とっても不便なんだけど。なんとかならない?」

「んー。あれ?凱さん、移動中?飛行機に乗ってますか?」

「ヘリだよ、陸自の。京都に向かってる。」

「へぇー!凱さん自ら京宮に乗り込むって事ですか?えっ?まさかマスターやラストさんも?」

「違うよ、彼らは引退してるし、一応民間人だから。で、テレビの方、何とかならない?」

「そうですねぇ。京宮の状況を知りたいんですよね。うーん。京宮のカメラが捕えた映像回線は、テロリストが掴んで囲っているからなぁ、こそっと回線を盗む・・・上手く行ったとしても、すぐ見つかっちゃいますね。テレビ局の回線はすべてあいつらに乗っ取られてしまっているし・・・・中継点の電波塔を一つ開ければ視聴可能ですけど、それをやっちゃうと、一部の市民が視聴可能になってしまいますし、今、上手くベールを被せて相手に錯覚を起こしている状態なんですけど。一つ開けてしまうと、すぐにばれてしまいます。そうなると、もう同じ手は使えなくなりますでしょうし・・・。」

 詳細を語ってくれるが、凱斗にはさっぱりわからない。

「・・・悪かった、無理を言って。」

「いえ・・・あっ、ちょっと待ってください。一つ開いている電波塔があったんだった。忘れられてる電波塔。」

「何だ?」

「東京タワーです。スカイツリーに取って変わられて、忘れられている電場塔。そちらにアナログ回線を受信できる機器ありませんか?それがあれば繋げられます。」

「ちょっと待って、高村!アナログ回線が受信できるモニターないか?」

「えっ?アナログですか?このヘリにはないですけど、前島さんの方のUH46ヘリなら有りますが。」

「よしっ黒川君、今から言う携帯番号に5分後に電話して、秋山っていう機械やパソコン関係に詳しい隊員がいるから、そいつと話をして、その東京タワーからの回線を繋げて、そうだなぁ・・・・黒川君、身体はVIDの調子は?」

「大丈夫ですよ。電波塔ジャックなんて簡単でしたし、さっきから、あいつらに見つからないように潜んでいるだけで、する事はないんですから。」

「そう、じゃ、その大丈夫を信じて、皇華隊のサポートを頼もうかな。」

「おぉ、皇華隊!知ってます!聞きました!昔。」

「うん、とにかく5分後に電話して、いい?番号は091_85139907この番号は前島っておっさんの携帯だからね。電話すればわかる様にしておくよ。」

 電話を切ったら、もう、とっくにタイマー合わせを終わっている久瀬達が、苦い顔を凱斗に向けていた。

「かつては、陸自の鬼と言われた前島さんを、おっさん呼ばわり・・・」

「今は、幕僚長よりも位の高い皇華隊司令官を、おっさん呼ばわり・・・」

「22歳の青年からしたら、50歳なんて、おっさんさ。」

(てか、お前らだって、そうやって、おっさん呼ばわりしてんじゃねえか。)

「さぁ、おっさんに電話をかけて説明しないと・・・」









4人目の犠牲者、

華族の者達が泣き叫ぶ。開示の要求に応じない神皇様を、怒号で貶す者も出てくる。

それを聞いた新皇様が、「我を先に殺せと」と暴れられる。

銃の背で背中を突かれた新皇様は、前かがみに倒れ込み、乱れた髪の隙間から、涙をお流しになられていた。











レベル7は鎖国同然とも言われる、国内すべての活動機能停止状態。人、物流の出入国は完全に禁止。国内にいる者は外出禁止、物流もしかり、今までに、世界でレベル7を出した国などない。アルベール・テラの掃討作戦時においても、アフリカはレベル5どまりだった。そのレベルが神皇の怒りの度合いだとも言えた。

 しかしながら、段階に引き上げられたのではなく、突然のレベル7に対して市民がそれに応じられるはずもなく、外出先で止まった公共機関に混乱するだけであった。

 ヘリを見送った亮は、国会議事堂の外へ出ようとしたが、門前でモデルガンを手に入れたデモ参加者が、ガードマンや駆け付けた機動隊と衝突した混乱と遭遇してしまう。ヘリの飛来が、モデルガンを持ったデモ参加者の興奮を引き上げてもいるようだった。標的にされているガードマンと機動隊は、まずもって数が足りておらず、多勢に無勢状態で、当たるプラスチック弾に逃げて後退するガードマンもいた。しかし、デモ参加者は一定の節度があるようで、門から内側には入って来ようとしていない。入れば不法侵入罪にあたると判っている様子だ。なかなかずる賢い烏合の衆だ。

「駄目です。今、出られては、こいつらは華族の方を標的にして」と亮の動きを制止しようとした警備員が叫んだ。

「馬鹿っ!」と怒ったと同時に、モデルガンの標的が亮に向けられ、プラスチック弾が体にあたる。

「こいつ華族だとよ!」

「華族は敵だ!撃てっ!」

 プラスチック弾でも、生肌に当たれば痛い。

(くそっ、調子に乗りやがって。)

 亮は内ポケットから財布を出した。中を見て、もっと降ろしとくんだったと舌打ちする。今朝、ATMで降ろしたばかりの50万抜き取りを、投げつけた。

「食らいやがれっ!」

 群集の頭上を超えるように投げた札束は、あまり遠くには飛ばないで、眼の前でヒラヒラと舞う。一瞬だけ静かになった群集は、手にしていた銃を投げ捨て、狂気乱舞にヒラヒラと舞う札を求めて取り合い合戦になる。札を拾おうとしゃがんだ群集に隙間が出来る。亮はそこをすり抜けて駆けた。

「君、ちょっと!」

 警官が亮の行く手を阻もうとする。

「どけっ、急いでんだっ!」

「あれはっ、何をするんだっ」

「馬鹿かっ、今の内、銃を回収しろよっ!」

 亮の指摘にハッとする警官。

(どいつもこいつも無能ばかりか。)

 プラスチック弾が当たった額が痛い。撫でながら走った。しかし、札に物を言わせるのは、スカッとする。

 地下を通ってここへ来る時、目と鼻の先の国会議事堂までなぜわざわざ地下道を使うのだろうかと思っていたが、こういう事の回避でもあったと実感する。帝国領華ホテルまで走った。空車のタクシーを見つけたら乗るつもりだったが、捕まえることが出来なかった。ホテル前にデモの奴らは居ない。おそらくヘリが飛んでくるのを見て、つられるように移動したのだと推測する。

 別館玄関前に鍵を預けたドアボーイの姿を見つけ、叫ぶ。

「鍵!フェラーリの鍵をくれっ!」

「鍵はつけたままです!」

 駈け込んでくる亮に驚きながらも、フェラーリの運転席のドアを開けてくれるドアマン。流石だ。緊急で使うかもしれないと言ったから、キーをつけたままにしてくれて、この寒い中、ずっと見張りをしてくれていたのだ。乗り込みながら、お礼を叫ぶ。

「ありがとう!」

「お気をつけて、行ってらっしゃいまし。」

 エンジンを何度か吹かす。暖気の時間を取りたいが、その時間も惜しい。無理やり車を走らせた。

「頼むよ。羽馬!」そう言って亮は自分の左足を叩いた。

(こっちも持ってくれよ。)

 車線変更を繰り返し、変わりかけの信号をきわどく切り抜け、帝都国際空港に15分で着いた。観光シーズンでもない閑散期の日曜日だったのが幸いしたのか、道は空いていて駐車場もがら空きだった。が、駈け込んだ国内線のフロントは人だかりになっていた。

「申し訳ございません。現在レベル7の国家非常事態宣言が出ておりますので、全機、飛行停止となっております。」

「なんだよ、レベル7って!」

「飛ばせよ!今日帰らないと明日から仕事なんだぞっ!」

「申し訳ございまん、国からの指示で、規則でごさいますから。」

案内係の空港職員達は、皆ぺコペコと頭を下げていて、困惑していた。責め立てられ泣きそうになっている女性職員に、食って掛かっている品のない親父の腕を引っ張って、亮は前に出る。

「なにするんだっ!」

「うるさいっ。俺は華族だ。 国家非常事態宣言時では、何事にも優先される。これこそ規則だ。下っとけ。」

「なにぉっ華族だからって、順番抜かしていいのか、そんなんだからっ」

 文句を言い続けている親父を無視して、女性職員に向き直る。

「お姉さん、大阪行きの飛行機を。」

「えっ、ですから、レベル7の国家非常事態宣言が出でおりますから、」

「わかってる!だからチャーター機を用意して、これで問題ないだろ。」

 カウンターに財布から抜き取った億単位の買い物が出来るプラチナカードと、文香会長の華族称号証を叩きつけた。

 周囲の喧騒が止まる。

「プ、プラチナ・・・」

「華族・・・」

「わからないなら、支配人を呼んで。急いで!」

 ヘリに乗せてもらえないんだったら、自力で京都に向かうしかない。金ならいくらでもある。

 レベル7の国家非常事態宣言?それは一般人に対してだろ。自分は今、華族の代理だ。

 この有事収束を全力で対処している華族会の一員なんだ。













 前島さんが乗り込んだ大型の輸送機UH46は、情報収拾の為の通信機器やパソコンが完備され、さらに簡易な手術もできる医療施設も完備された後方支援型の輸送機だ。飛行速度は遅いが、指令機本艦としての機能は万全。

 凱斗達が乗っているのはスピードを重視した中型機、空対空ミサイルと機関砲が搭載されているが基本、隊員を目的地に運ぶのが第一の機体なので、重たくなる武器や装備はあまりなく、万が一の防戦の為の装備しかない。

「指令機UH46も安定飛行に入り通信の準備も整いました。」

「よしっ、作戦組むぞ。」

 皇華隊の出動を勅命されてから、頭の中で戦略を立てていた凱斗だったが、正直、いい戦略が思いつかないでいた。

 凱斗の声掛けで銃器備品のチェックをしていた隊員達が、壁側に折りたたんでいた椅子を倒して、所定の場所に座る。

 ヘリの操縦をしていた田島も自動操縦に切り替えて作戦会議に加わる。

 今日は全国的に日本晴れ、雲一つない高気圧に覆われていて、雨も突風の心配もない。天候に関しては申し分ない日だったけれど、だからこそ、太陽の位置を常に頭に入れて行動しないと命取りになる。

 京宮は、京都の北山を背後に、裾野の平地からほぼ長方形の敷地の中心に、神政殿を構える。神政殿と御常殿(神皇家の住まい)や華族が利用する京華院の建物がある棟を境にして、北側は、大きな池のある日本庭園があり、反対に南側は樹もない芝生だけの広場となっている。昔はこの広場に、多くの神巫族や民がひれ伏せ、神皇の真言を賜ったことから、外政園と名付けられている。テレビのヘリ中継映像では、その外政園にテロリストたちのヘリが2機止まっていた。そんな京宮御所を白い塀と堀が取り囲む。京宮手前に東西に国道が走り、そこでパトカーとトラックが接触事故を起こして、今は交通規制で道路は封鎖されている。その通りを挟んで東西に長く公園があり、こちらは松の木や桜が多数植えられている森林広場となっている。そこにデモで集まった市民が、テロリストたちの仲間と思しき奴らから配られたモデルガンで、警察官と戦争ごっこになって、収集の見込みがない狂乱状態となっていた。

 神政殿フロアには10人のテロリストがいると思われる。警察からの報告では、敷地内を、銃を持って巡回しているテロリストが裏の出入り口付近5、6人は見かけたという報告も来ていた。表のヘリ周辺でも4人のテロリストを数える。要求したリーダー格の奴は、神政殿の外にも人質を確保していると言っていた。おそらく京華院の建物の方だろう。京華院は華族会西の宗の本部で、主要華族の頭家が会議でもしていた所を、人質として監禁されたのだろうと予測する。凱斗は京華院の事務所および信夫理事長に何度も電話をかけているが繋がらない。麗香も同様だった。その京華院にもテロリストがいると見込み、ヘリの乗員数から考えて、テロリストは総勢22~26人といったところ。

京宮への出入りの門や扉は、最近になって電子制御型の最新セキュリティを施された。それが全く反応しないとの報告が上がっていた。黒川君が戦っているVID脳を持つハッカーも仲間なのだから、扉の開閉機能をハッキングで奪われていると考えられる。最新の機器に変更したことが、最悪の事態を招いていた。

 京宮御所は北山の地形を利用して建てられている為、北に向かって1/3ほどの上部は複雑な山の地形で守られている。北山麓付近は防犯上地形を公表されていない未知の領域であり、皇宮の敷地は北山を含め、上空、地下共に神域として、警察でも侵入厳禁区域に指定されている為、テロ勃発直後、対処に当たる警察と自衛隊は、北山からの侵入はできずに右往左往をしていた。華族会はすぐに特別侵入許可を出したが、どうやらその連絡が現場に上手く伝わらなかったようで、未だ京宮への侵入成功の報告は上がっていない。

「久瀬と落合が、ヘリから外にいるテロリストを狙撃、その間に自分と二階堂、小沢、高村はロープ降下する、自分達も京宮神政殿の屋根から侵入をする手段をとる。神皇はすべての権限を前島さんにゆだねたから、新皇の奪取の為なら、何をしてもいい。」

「おいおい、ある程度はわきまえろ。」と前島さんがモニターの向こうで苦言する。

「京宮の施設の窓、扉は、すべて電子制御の最新型で天窓も同じ、電動式で開閉する仕組みだが、その制御システムもテロリストに奪われてしまっている。遠慮するな、プラスチック爆弾で天窓と、横の明かり窓を破壊して降下する。」

「ちょっとは遠慮しろ。」と前島さん。

「爆破がテロリストの一瞬のスキを作る。スピードが成功率を上げる。神政殿の中にいるテロリストは推定10名。AK5を所持、あれは銃長が長く、扱いは俊敏性を欠いてしまいがちだ。軽武装で行けば、こっちに分がある。神政殿の天井高は約5・5メートル、ロープにももたつくぐらいなら落ちたほうが早い。骨折してでも、とにかく早く侵入しろ。相手の武装は豪華だが、銃の扱いに慣れた手合いだとは思えない。」

前島さんの苦言が今度はない。落ちてでも侵入の速度を速めよという凱斗の進言は認められたってことだ。

「とにかく、高さや銃に恐れるな、撃たれても、怪我しても、とにかくテロリストに向かっていき銃を取り上げろ。いいな。」

「はいっ。」

「天窓からは俺と二階堂、サイドの明り取り窓からは、小沢と高村、久瀬と落合は援護の後、降下。田島は連絡があるまで、滞空待機。以上だ。」

 隊員達が何とも微妙な顔をしていた。

「あのー、それだけですか?侵入後、誰が新皇様を助けるとかは決めなくていいのですか?」

 凱斗より5つ年上の小沢が隊員達の気持ちを代弁する。

「そんなに、ガチガチに行動を決めないと動けないか?」

「あ、いえ、今までやって来た訓練では・・・」

「これは訓練じゃない、実践だ。」

 彼らは、訓練や特技の成績はいいが、実戦の経験はない。それが欠点なのは初めからわかっていた。だからと言って実践を積むことなど出来ない。日本の自衛隊は外国との交戦は禁止されているのだから。

「ヘリから降下後、即、窓の爆破、天窓と明かり取り窓の爆破は同時じゃなくてもいい。ヘリの音、久瀬と落合の狙撃音で中にいるテロリスト達には気づかれている、だから即時行動が必要だ。ヘリ降下後からは個々で判断し行動しろ。皇華隊の至心は?」

 小沢に質問を返した。

「皇華隊は、神皇に身心を捧げ守る事を第一とし、神皇より下された勅命は、神皇が下げられるまで継続される。」

「そうだ。皇華隊に任命された隊員は、この手が切断されようとも、足がもがれ取れようとも、神皇の命令を遂行しなければならない。神皇勅命により京宮内のテロ鎮圧の勅命を賜った我々は、神政殿内に新皇がいる限り、フロアに入れば、誰よりも新皇の命の必守が優先される。人質の華族よりもだ。新皇の命が危ぶまれる時は、華族を撃ってでも新皇を守れ。人質になっている華族の身の安全は二の次だ。」

 凱斗は藤木君に嘘をついたのだ。絶対に麗香を助けるなんて出来ない。まずは新皇の命が優先だ。新皇の命の確保に、麗香の体が邪魔になるようなら、麗香に向けて射撃してでも、新皇確保を優先しなければならない。

 前島さんの通信が入る。

「お前たちは、陸海空からの精鋭から選び抜かれた者だ。個々のスキルはもちろんの事、一人一人が一小隊を持てるだけの技量と判断力がある者を、俺と柴崎とで選んだ。皇華隊である事に自信と誇りを持て、お前たちなら出来る。」

「はいっ!」

(なるほど、そう言わなくてはいけないのか。)言葉が、彼らの血気を上げる。

 緊急通信が入る。

「前島司令!テロリストたちのヘリがっ!」と秋山からの緊迫した声。

 凱斗達が乗っているヘリにはモニターは1個しかない。今、指令機UH46との通信で使っていて京宮の状況がどうなっているか、わからない。

「司令機との通信は無線に切り替え、モニターをテレビに変えろ。」

 高村が慌てて機器の操作をし、映し出された画像は、テロリストのヘリが上昇して機体を旋回させているところだった。そして撃った。

 地上の京宮外苑から取材撮影しているカメラマンも驚いてカメラをぶれさせる。

ミサイルは西から飛行して来た大阪府警のヘリに向けて発砲、旋回後すぐに撃った為、狙いが定まらなくて警察のヘリに当たらずあらぬ方向へ消えていく。警察のヘリには武装の装備はなく応戦が出来ない。警察のヘリは方向転回をして、京宮の空から退避していった。

「何っ!?そんな報告、今頃遅いっ。それも失敗して退避しているじゃないかっ!テロリストのヘリが警察のヘリに向けてミサイルぶっ放しやがった!射撃方向おおよそマルサンマルマル方向からマルロクマルマル方向を10キロ範囲で急ぎ、被害調査し報告せよ!あぁ!?南から西にかけた45度から50度の範囲だっ!」

どうやら警察は凱斗と同じ作戦でSATを侵入させようとしたらしい。その作戦の報告が遅れて来る事や、自衛隊用語が分からない様子から、自衛隊幹部がいない組織からの連絡だったようだ。

「あいつら・・・」

「嘘だろ・・・」

 久瀬たちが唖然とする。

 凱斗は怒を沸騰させ叫んだ。

「作戦追加だ!田島っ!あのヘリにまず空対空ミサイルをぶち込め!それからだっ!屋根からの侵入はっ!」

「やめんかっ!我々もが市街地でミサイルぶっ放してどうするっ!外には一般市民が大勢いるんだぞっ!」

 前島さんの怒号がイヤホンの音量マックスで耳を貫き痛い。

「ちっ!くそっ。」

「作戦を組み治せ!」

 テレビに映っているヘリはそのまま、京宮の敷地上空を旋回して、上空をも制圧している。

「くそぅ、侮れんなぁ。」

「空からはあきらめた方がよさそうですね。」

 二階堂が高村に地図を表示してと頼む。表示した京宮付近の地図を見て、パイロットの田島が高村からマウスを奪い、地図をスクロールする。

「あのヘリの射程距離を考えて安全に降下出来る場所って言ったら、ここぐらいですかね。」

 田島が指示した場所は、北山の京宮から裏にあたる川沿いの尾根だった。

「そんなところから歩いて京宮に侵入しようと思ったら、山越えだけで半日だぞ。」

「市街地のどこかのビルの屋上も可能ですが、京都は景観保護条例で高さが制限されているでしょう。だから遠目にすぐばれて、テロリストのヘリが追って来くる可能性があります。市民の安全を考えたら市街地方面へは飛びたくないですね。」

「うーん。」

 田島の言った「追って来る」と言う言葉で、良い案を思いついた。

「田島、このヘリできりもみ状態の操縦ができるか?」

「はい?き、きりもみですか?」

「あぁ、きりみも状態で降下して着地。航空用語でなんて言うか知らないけど。」

「用語なんて無いですよ、それただの失速、墜落ですから。」

「何をしようとしてるんだ?」と前島さん。

「陽動、偽装ですよ。俺らのへりを、さっきの警察のヘリみたいに撃たれて、京宮の裏に墜落したと思わせたら、テロリスト側も一廉に油断し隙が出る。」

「墜落って、裏にもテロリストの見張りがいるのでしょう、そいつらが確認しに来たら、すぐばれるじゃないですか。そしたらあいつらすぐに応援を呼んできて、銃撃戦になるだけですよ。」と高村が首をすぼめながら意見を発する。

「確認しに来なくても、俺達は墜落して全滅したと思わせればいいんだ。」

「全滅って、マジでこのへり墜落させるとかじゃないでしょうね。」

「あぁ、それもいいな。きりもみ中に俺達は緊急脱出して、このヘリを神政殿に突っ込ませるか。」

「却下だ。新皇を危険に合わせてどうする!」また前島さんに怒鳴られる。

(ちょっとした冗談だったのに。)

「ふざけてないで、ちゃんと考えろ。」

「はいはい。で、田島、きりもみ出来るのか、出来ないのか?」

「何もない広い空域なら、いくらでも出来ますよ。京宮の裏ですよね、ちょっと待ってください。」

 田島がパソコンを操作し、地図や航空写真を見たりして、さらに建物の高さや、風速、気圧、高度など、凱斗にはさっぱりの計算をし始めた。

「この地点なら、機体が無傷で成功出来る可能性が5パーセント。斜径落下にて尾翼やローター胴機体、武器の破損を伴う着陸だったら55パーセント、全損炎上に到る可能性が40パーセントです。その場合、操縦士の自分は100%で死亡、乗員は運が良ければ軽症で脱出可能ですが、運が悪ければ炎上に巻き込まれて火傷、もしくは焼死ですかね。」

 涼しい顔で成功率、死亡率を告げてくる田島。その反面、引きつった顔の他の隊員達。

「それは計算上の数値だろ。自分の腕の自信率を言え。」

「あえて尾翼を破損させていいのなら、80%で皆を無傷で不時着できます。」

「よしっ。それで行こう。」

 スピーカーの向こうから、前島さんの大きなため息が聞こえた。

「神皇が後始末は任せろ、好きにやれと言ってくれたんだ。派手に行こうぜ。」

「好きになどとは、おっしゃっていないぞ。ったく。」












「そろそろ行くか。」

「ぁぁ、あれ?永井、寝てるやん。」

 慎一達から離れて座っていた永井は、イヤホンを耳にし音楽を聴きながら居眠りしている。音漏れがする状態で良く寝れるよと慎一は感心する。起こそうとしたら遠藤に止められた。またしょうもないイタズラをする気満々の顔。遠藤はイヤホンをそっと取ると、耳元に口を持って行く。

「つぅばぁさぁく~ん。」

 遠藤は女の声真似をして囁くがそれでも起きない永井、よっぽと疲れてるのか。

「はぁ~、おきてぇ~うふん。ふぅ~。」

 耳に息を吹きかけて、永井は飛び起きた。

「なっ、何するんですか!」

「いひひひひひ、良い目覚めやったやろ。」

「やめてくださいよぉ、もう鳥肌立ったじゃないですか。」

「無防備に寝てるからや。」

 何とかしてくださいよって視線で訴えられた。しかし、遠藤の悪ふざけを止められるなんて無理だ。慎一だって、もう何年も遠藤の悪ふざけに付き合ってきて、どうにも止められないで、あきらめの極致なのだから。

「さぁ帰るで。飛行機乗るで。おねーさん、ありがとう。」

 スカイラウンジの女性職員が、引きつった笑顔で「ご利用ありがとうございました、行ってらっしゃいませ。」と頭を下げた。

 藤木の能力じゃなくてもわかる。あの女性職員は心の中で、放送禁止用語を並べて2度と来るなって叫んでいるだろう。

 遠藤と居ると、藤木の紳士さが際立って良くわかる。藤木は、女性に対しては、呆れるぐらいスマートでマメ。慎一はいつも、よくそんな気障な事が照れもせず出来るもんだと思ったものだが、海外に出るとそれが普通で、海外の男性は自然にそれをやっている。スコットランドに移住した当初は、藤木が町中に沢山いると思ったぐらいだ。

 遠藤が先頭を歩き、ついていく並びの慎一達。が、搭乗口の電光掲示板を見て唖然とする。

「何で?」

「えっ?」

「うそっ」

 乗るはずの飛行機が、欠航の表示になっていた。













「申し訳ございません。いくらお金を積まれても飛ばすわけには行きません。」

「俺は、この有事を終息させる為に京都に行かなくてはならないんだ。華族会、国家対策本部から命令されている。」

「では何かその証明するものをお持ちでしょうか。」

「証明?」

「はい、華族の方である事の証明と、そのように協力するようにとの、その・・・令状みたいな物、それを華族会の方に照会させていただきます。」

 これ以上ないぐらいに丁寧な物腰だが、もう完全に亮を不審者扱いの上の時間稼ぎだった。

 文香会長の称号証を出せば、嘘だとばれる。今までの様にチラ見だけじゃすまない。

「もう、いいよ。」

「申し訳ございません。」

 やっと解放されると安堵の心を宿す支配人が、フロントの奥へと戻って行く。

 亮が華族だと分かった途端に、周囲の客は遠巻きに離れコソコソと陰口をしていた。その様は、昔懐かしい学生の頃と変わらない。は大人になっても、突出する人間を排除にする心理を無くせない。

 亮は国内線案内カウンターから離れ、考える。単純に飛行機が駄目なら新幹線だが、新幹線では京都まで2時間半ないしは3時間はかかる。新幹線もまた運航停止となっているだろう、が、それ以外に京都へ行く手段が思いつかない。フジ製薬が持っているヘリを飛ばして向かうという手もあるが、それをするには父ないしは祖父に頼まなければならない。あの調子の父は亮の頼みを聞いてくれるとは思えない。それにヘリは埼玉の民間飛行場にある。これからフライト準備して京都までの燃料を入れてとなると、とんでもない時間がかかってしまう。ダメもとで新幹線に乗るべく駆けだした所で、携帯のアラームが鳴り、ドキリと立ち止まった。

あれからもう30分、いや違う。一時間だ。車を運転している最中に既に京宮では一人が犠牲になっていた。

 今また、人が死ぬ時間が来てしまった。

待合のソファが並ぶ、壁に埋め込まれたテレビモニターが、それまで青くフリーズした状態から画面にノイズが走り、まずは音声が聞こえて来る。回線が安定するまで声も映像も不安定にラップする。

「察のヘリ・・・・テロ・・・・・撃た・・・・・市街地に・・・・・調査・・・・・・現在レベル7の国・・・・・・・京都府警、並びに国家対策本部から、国民の皆様は、特に京都府民の皆様、京都に訪れている人は速やかに、近くの建物に退避、避難してください。これは、国連基準に基づく法令で、違反、指示に従わなければ罰せられます。繰り返します。現在」

 民法放送が正常に映ったと思った途端に、画面は切り替わり、黒づくめのテロリストの上半身が映る。

「ドウヤラ、神皇ハ人ノ命ヨリ祖歴書ノ方ガ大事ラシイ。5人目ノ人質ヲ。」

 カメラが華族の座る方へ向けられる。亮は水色の服を来た麗香を探す。視認できたものの、直ぐにカメラは動いて選ばれてしまった人質の姿のアップに切り替わる。まったく知らない人だ。縛られた手で精いっぱいに抵抗するその男性は倒れ、テロリストはそのまま引きずるように神政殿の前へと移動させた。

 無造作に倒れている4人の死体がある。撃たれた所を見ていなければ、ただ寝ているだけかと思う。カメラ越しは悲惨な現状も映画のように見せる効果があるのは、傍観者にとって良い事なのか?悪い事なのか?

 リーダー格のテロリストが、選ばれてしまった男性の人質に銃を構えた時、ぷつりと画面はまた青い画面になった。

「なんだ、故障か?」

「どうなったんだ?」

 亮と同様に立ち止まり、画面を食い入るように見ていた人々が、ざわつき始める。

 テレビの真正面のソファに座っていた老人が立ち上がり、テレビの側面を叩いた。今どき、そんなことをしてもテレビの調子は回復しない。

 人々は、口では人質達の心配をした言葉を発するが、本心では見られなくなって惜しい気持ちがあった。これが人々の現実だ。自分に降りかからない惨事は、興奮のドキュメンタリー映像であり、対岸の火事だ。

 華族に関わった亮自身でさえもそうだ。麗香以外の人質の命は仕方のない犠牲だと思っている。麗香が犠牲者の最後の順番になることを願う、そんな願いしかできない自分が腹正しい。

 この華族の称号証を手渡されてから、自分は何をした?

 何が出来た?走って、金をばらまいただけ。

 凱さんが羨ましい。各機関に指図できる権限を持ち、強靭な身体もあり、テロを駆逐する武器も、ヘリも隊員も有して、麗香を助ける心意気までも、亮より超えるものを持っている。

自分が情けない。

壊す事も救う事も出来ずに、こんな所で立ち往生している自分が。

「くくくくく」誰かが笑う。

笑われて当然、華族だと偽って、何もできずに引き返してくる無能さ。

「相変わらず、コソコソと動いているようだが、思い通りにならぬようだな。」

声がした方へ振り返った。

三人掛けのソファベンチの真ん中に陣取り、横柄極まりない態度で足を組んで座るその人物に、亮は息が止まるぐらいに驚いた。











 5人目、もう誰も抵抗の言葉を発する者はいなくなった。

 新皇様の祈りの口に合わせるように、

 誰からともなく、唄いはじめた。


 日ノ国、神創、希心ノ静地。

 風流レ、雲生ミ、雨落リ、地潤ウ、命育ム、

 季節ハ巡ル、淀ミ無キ、静地。


 希ノ国、静地、幾年月流レニ、尽キヌ想イ、

 風遮ギ、雲消シ、雨奪イ、地変ジ、命枯レ、

 季節ハ止ル、淀ミ有リ、絶心ノ荒地。


 絶ノ国、荒地、幾年月流レニ、瀕スル想イ、

 風求メ、雲求メ、雨求メ、地を求メ、命求メ、

 摩羅ヲ求メ、呼ビ願ウ力、祈心ノ現世。


 祈ノ国、現世、幾年月流レニ、或ク想イ、

 風使イ、雲使イ、雨使イ、地使イ、命使イ、

 摩羅ヲ使イ、卑弥ノ祈呼、降臨セシ天ノ皇。












 弥神皇生―――真名は、還命新皇。

 片側だけ長く伸ばした前髪が、顔半分を隠しているが、射貫くような右目の眼力はあの頃から変わらず。その存在に亮は無意識に畏れ後ずさりした。

「フフ、驚きで何も言えず、か?」

「な、何故、こんな所に・・・。」

「何故?愚問だな。この地は我のものでもある。」独特の口調も変わらない。「だが、久々に自国に降り立ってみれば、なんだ、このありさまは。」

(弥神も足止めを食らっている?)

「どういう事か教えてもらおう。」

 弥神はソファから立ち上がり、亮へとまっすぐ歩み来る。

逃れたい意思と、抗えない屈服が亮を硬直させる。

髪を振り払って表れた左目、見開かれた左目に、思い出す警戒と頭痛。キィーンと耳鳴りを伴う後頭部へと走った痛み。

 気づけば、亮はその場で頭を抱えてうずくまっていた。

「ふーん。勝手な事をしてくれる。」

「どうかされましたか?大丈夫ですか?」

 状況からトラブルでも起きたと勘違いした空港職員が駆け寄ってくる。

「失せろ、我らに構うな!」

キィィーーンとまた亮の頭に痛みが襲う。亮は歯を食いしばり唸った。

 空港職員は何事もなかったように立ち去って行く。

 人を操る力は、今でも健在。亮を冷たい表情で見下ろす弥神。

「悪いな、日本語で使うのは久々で、力の制御が難儀だ。」

不思議な事に、弥神は亮へと手を差し伸ばす。

「京へ行きたいのだろ?」

(あぁ、行きたい。麗香の下へ。望みが叶うのなら何でもする。この命を引き換えてでも。)

「なら、付いて来い。」

 掴むこの手は、神の手か?悪魔の手か?

 亮は弥神の手を握って立ち上がった。

「我は、神の子だ。」









9




「なんやねんレベル7って、帰られへんやんけ。」

「どうなっているんでしょうね。」

 日本行の飛行機が、各社すべて欠航となっていて、空港内は若干、混乱した状況になっていた。利用する航空会社のフロントで、欠航の理由を英語で聞くと、日本がレベル7の何かを出したとしか、十分な理解はできなかった。日常会話に困らなくなった慎一の英語力でも聞き取れなかった単語が多数あり、職員はレベル7を連呼して、とにかく今日の日本行きの飛行機は全て駄目だと理解する。では明日は?と聞くも、わからないと首を横に振るばかり。慎一達以外にも、同じように困っている日本人が大勢集まっていた。芸能人ほどじゃないが、それなりに顔を知れ渡っている慎一達は、長くそこにいるとまたサイン攻めにあいそうで、スカイラウンジに戻ることにした。スカイラウンジに戻ると、見送ってくれた女性職員が露骨に嫌な顔をした。

ドリンクカウンターの横の、コンシェルジュテーブルで電話をしている男性が、ちょうど受話器を置いたのを見計らって、どういう事なのかを聞いてみる。日本語が話せる人だ。

「日本は現在、国家非常事態宣言が出ております。」

「非常事態宣言?」

「はい、国連で定められた、災害、感染症、紛争、戦争、テロなどの危険が起こる地域に対して、渡航を見合わせたりする基準です。日本は現在レベル7の高いランクの宣言が出されております。」

「えっ?」

「基準の一覧表をお見せ致しましょう。」置いてあったパソコンのモニターを回して見せてくれる。

レベル0が安全の緑色で、次が黄色、オレンジ、下に行くほど危険がイメージしやすい色でレベル8まである中のレベル7は、ほとんど、国内の機能は停止しているような状態。

「一体、何が日本であったんですか?地震ですか?」

「地震ではないのは間違いないですが。何があったかは、私どもの日本の本社と連絡がつかないのでわかりません。」

「えー?」

 慎一達に同情してくれたのか、コンシェルジュは新たな情報をくれる。

「香港から回って来た情報によりますと、テロが起きているとか。」

「テロ?」

「はい。これも確証の情報ではないので、あまり信用なさらないように。」

 絶対デマだと慎一は思った。日本でテロなんか起きるわけがない。日本は落とした財布が、中身の現金が盗まれずに帰ってくるような平和な国だ。














 1階の出口に向かうと思ったが、弥神は亮の思う方向とは違う方へと進んで、地下へと降りていく。

「ちょっと、待て、どこへ!」

 亮の言葉を無視して、弥神は関係者以外立ち入り禁止の扉を開けて入った。亮も続いて入ると、まっすぐ伸びた廊下の先の扉から、作業着を着た男性が出て来るところで、亮達の姿を見つけ驚いて、咎められる。

「君達、ここは関係者以外立ち入り禁止だ。」

「どけっ、引っ込んでいろ。」

 弥神はその作業員を壁に押し付け、顔を近づける。

亮の頭を締め付けられるような頭痛が走り、また頭を抱える。

弥神が作業着の男性に眼の力を使ったのだ。男性は、腰を折るほど頭を下げ、「はい。」と返事をした後、出て来たばかりの部屋へと戻っていった。

 痛みに苦しむ亮を、弥神は舌打ちして睨み、また奥へと進む。後を追いかけるしかない亮。そうやって何度か関係者職員に見つかっては、弥神は力を使い、亮は頭痛のする頭を抱えて歯を食いしばる。そんな痛くて苦しい状況を繰り返して到着したのは、超高速鉄道リニアの駅だった。

最高速度500キロで、東京ー京都間を62分で結ぶ。確かにこれなら、すぐに京都に行けるが、しかしリニアはまだ運行前の段階だ。あと一ヵ月余り先の3月25日の運行開始の予定で、テレビのニュースや旅番組で頻繁に特集を組んで紹介されていた。

弥神はもう運航していると勘違いして、ここに来たのか?という懸念は、すぐに亮の脳裏から消える。人を操る力を持つ弥神なら、運行前のリニアを運行させられる。

 現にリニアの駅は、もういつでも運航開始できるように、駅はピカピカでホームには試運転の表示された車両が止まっていた。壁の掲示板には既に広告がはめられている。案内の電光表示盤は電源が落とされていて表示はしていないが、駅構内は照明がつけられていて明るい。反対側のホームでは、売店のブース内で工事職人が梯子に登って何かの作業をしていた。

 初期の予定では東京駅が始発だったが、外国人観光客の足を地方へ伸ばす目的で、ここ羽田空港がリニアの始発駅になった。車両がここにあるのは、その改変策が幸いした利点だ。

 リニアの前で、駅員服姿の男二人がバインダーを見合わせ何かを話していた。その駅員達に弥神は足を速めて近寄る。亮はそこで初めて、弥神の歩みに足音がない事に気が付いた。靴を見れば、黒の編み上げショートブーツで足音を消せそうな代物ではない。そして検めて、弥神の着ている服が民族的な独特の雰囲気である事に、疑問を生じたが、弥神自身に違和感なく馴染んでいた。

「な、何なんだ、君は。」

駅員服姿の男二人は弥神が間近に来てやっと気づき、驚きの声を上げるが、手慣れたように弥神はすぐに目の力を使い黙らせる。もう何度も苦しめられる頭痛に、痛み出す前から亮は頭を抱えて無駄な予防をする。

「リニアを今すぐ京都まで走行させられるよう、大至急、必要な職員を集めろ。」

 弥神の力に染まった二人の職員は「はい」と返事した後、すぐに駆け出し事務所がある方向へかけだして行った。

「一々、面倒だな。鬱陶しい。」

 亮に対して言われたのかと思いきや、弥神は自分の前髪を掴み、手からすり抜けるサラサラの髪をみていた。そして広く縁どられた袖口に手を入れ、中からヘアゴムを取り出し、髪を結ぶ。ぴょんと跳ねたスタイルが、昔懐かしい今野を思い出す。そうやって亮が観察していると「何だ。」と睨まれる。

「いや・・・」

(ヘアゴムを持ち歩いてる・・・)

「麺を食する時に必須のアイテムだ。」

(愛用品かよっ)と突っ込みを声に出してしまいそうになる口を、亮は慌てて噤んだ。













 隊員達の作業の手がピタリと同時に止まった。死のタイマーの振動が、腕時計から伝わったのだ。高村が無言で凱斗に同意を求めてくるのを、頷きで返す。

 見ない訳にはいかない。間に合わない犠牲者達の死に様。

(一体何人の人の死を見なければ、自分は許されないのか?)

 30分前と同じセリフをテロリストは言い、同じ動きで人を射殺した。同じではないのは、転がる死体の数。

 犠牲者が麗香ではなかった事にほっとした自分。そうして選んだ命に、自分は罪を重ねていく。麗香であろうとなかろうと、間に合わず死んだ命の価値は同じであるはずなのに。

 映像からは、犯人の素性に繋がるヒントは何もつかめない。

 田島はタイマーの知らせでも、操縦席から離れず最速で向かう事に専念し、二階堂と小沢も一瞬身体を強張らせたが、作業を再開しモニターを見なかった。高村は通信係としての責務があるからモニターの前にいたが、射殺の瞬間は画面から視線を外した。

 死に向き合わない事を咎めはしない。もう、こいつらは十分に心に傷を刻んでいる。

 久瀬だけが、まだしっかりとモニターを見据えていた。その姿を見て、もし自分が死んだら、次の隊長は久瀬だと決めた。

 凱斗は、いつまでもモニニターを睨み立ち尽くしている久瀬から離れて、ヘリの後方へと頭をかがめて進み、隊員たちの邪魔にならないように尾翼の奥の床にそっと腰を下ろす。銃器の点検など、やらなければならない事は沢山あったが、今は火気厳禁の作業をしているから、それをするわけにはいかなかった。

「柴崎隊長。」

 久瀬が凱斗を追って来て、険しい顔で前に立つ。

「何だ?」

「個人的な質問をして、よろしいでしょうか。」

「いいよ。」

「失礼を承知でお聞きします。」

「どうぞ。」

「その身体の傷はどこで?」

 ヘリの中はローター音と風切り音が大きく、普通の会話などは出来ない。ヘリに乗り込むと同時に全員マイク付のイオホンをつけている。気配で全員が、久瀬の質問に聞き耳を立てているのはわかった。誰もが気になっていた事だろう。久瀬が不躾に切り出した形だ。 

 経歴を全て隠し、陸海空どこの所属でもないのに、皇華隊の隊長である凱斗の存在が、疑問で信用が出来ないのは当然だろう。彼らに、凱斗の素性を伏せて、無条件に従軍させるのも無理が来ていた。

「これは、アルベール・テラで負った傷だ。」

「アルベール・テラって・・・。」

全隊員の手が完全に止まり、凱斗に注目する。それだけ特異かつ有名な場所であるアルベール・テラ。

 異国のニュースだけで知る実感のない戦争は当時、全世界が画像と経緯を報道し、固唾を飲んで傍観した戦争だ。

 日本国は、自衛隊の派遣を行わず、国際連合軍に物資提供や金銭援助などの支援だけをした。

「アルベール・テラのアンデバサト掃討作戦。まぁ、この腹の一番酷い奴は、掃討作戦前のノーボサーラ潜入指令を受けた時にドジった傷だけど。」

「おいっ、いいのか。」イヤホンから、前島さんの焦りの声が飛び込んでくる。

「良いでしょう、もう。自分より明らかに年若い隊長ってだけでもやりにくい。それに加えて謎多き上官なんて、漫画じゃないんですから、カッコよくもなんともない。いけ好かない倒したい上官でいる時期は終わりです。」

「お前がそう言うなら、それでいいが、もし米軍に知れたら。」

「それはそれで仕方ありません。皇華隊創設を命じられた時から、いつまでも隠しておくことは不可能だと、それは視野に入れて覚悟はしていましたから。」

「・・・分かった。もう口を挟まん。」

 前島さんの通信が切れると、断りを得たように久瀬が口を開く。

「アルベール・テラの掃討作戦って、米軍が連合軍を指揮して・・・じゃ隊長は米軍に所属していたって事ですか?」

「そう。」

「でも、あれは、今から14年前、二十歳で前線?隊長は今、自分と同じ35歳でしたよね。」

「そうだよ。」

「でも柴崎隊長は帝大在籍中に弁護士資格を取得した・・・」

 柴崎凱斗の名前でネット検索でもしたのだろう、しかし年齢と在学期が、米軍所属の有体に修まらない事で、混乱をしている隊員達。

「そうだな。俺の身の上話しから始めないとダメだよな。」

「あ、いえ、そこまでは・・・。」

「いいよ、気になっていたんだろ。ずっと。」

「はい。隊長の名前でネット検索をしました。」

「弁護士登録ナンバーぐらいしか出て来なかっただろ?」

「はい・・・。」久瀬がもうこれ以上ないぐらい困った顔をする。

「その経歴も事実、年齢詐称でもなく。14年前にアフリカのアルベール・テラにいてたってのも本当、嘘はついてない。」

「・・・。」

「俺の、前の名前は大野凱斗だ。高村、大野凱斗でネット検索してみろ、面白い情報が拾えるぜ。」

 隊員達には自分の持つ記憶力は教えていない。皇華隊に必要がなく、今までにそれを披露する機会もなかったからだ。

 高村が検索結果を読み上げ始める。

「記憶君?天才少年・・・・辞書を丸ごと覚えている・・・」

「あの記憶君が柴崎隊長!?」

 5つ年上の小沢が一世風靡したその話題を思い出し、声を上げる。

「記憶君死亡。」

やっぱり出てくる死亡説。苦笑。

「記憶君の親はどこに?」

 次々にヒットした検索記事の表題を声に出して読み上げて行く高村、その都度表示される幼き頃の自分の写真は、なんとも可愛い顔をしているじゃないか。

「そこにあるように、俺は施設育ち。生まれて直ぐに、へその尾がついたまま児童養護施設の玄関先に捨てられていたそうだ。」

 久瀬が息を飲み、また謝ろうとするのを手で止めた。

「その一世風靡した記憶能力のおかけで、華族である柴崎家と縁ができ、養子になるんだけども・・・親のいない俺でも、反抗期ってやつかな、馬鹿に人生から逃げたい時期があって、何を思ったか、アメリカの軍隊に入隊するんだよ。」

「また何故?」

 ただ死にたかっただけ、それだけで入ったとは言えない。

「俺は、この記憶力で高校をすっ飛ばし15歳でアメリカのハングラード大学に入った。」

「ハングラード!」

「凄いっ。」

「凄かないさ、カンニングと一緒、頭に辞書や教科書、参考書が全て入ってるんだから、試験問題は答えをまる写しているようなもんだ。」

 実際は、数学などは解き方を理解しないと出来ない。だけど、ここではそんな言い訳は要らない。何故か、隊員たちは頬をひきつらせて妙な表情を交わしていた。

「ハングラードで知り合った友が、学費の免除を申請する為に卒業後は軍に入隊するというから、俺も反抗期の流れで入隊した。19歳で大学を卒業後、米軍に入隊し20歳でアフリカの米軍キャンプに配属されていた。いつの間にか、この記憶力を利用されて米軍の特務兵として特殊訓練を施され、気が付いたらアルベール・テラのアンデバサト掃討作戦前の特殊任務に加担していた。もう洗脳に近い。わかるだろ、この世界にいれば、どんなに辛い訓練、任務でも、中々足を洗えなくなるのは。」

 隊員たちが黙って頭を縦に振る。

「その訓練や、身につく特殊技術が特別であればあるほど、使命感を盾に、実は高慢感にどっぷり嵌って行く。」

 こいつらも、皇華隊という特別の隊にいる事にどっぷりはまってしまった人間だ。陸海空30万人の中から選ばれた12人と言う特別が麻薬のような高揚の海に溺れるのだ。

「身体の傷は全て、そのアフリカで特殊任務の時に負った物。」

 小沢が険しく眉間に皺を寄せた。皆、同じような表情だ。

「約3年半、米軍に所属して上がった最終階級はESP7。」

「7!?凄っ」外国のアーミーグッズを集めている二階堂が、驚き呟く。階級のランクも知っている。

「俺の米軍所属最後の任務が、アンテバサト掃討作戦となった。皆も知っている通り、あの紛争では民間人が巻き添えになった酷いものだった。もう紛争じゃないな、戦争だ。互いの軍人も相当数の死者を出した。俺の所属していたナショナルチームも隊員の半分以上が死亡した。掃討作戦後、アフリカのキャンプは撤退、解隊されて、生き残った隊員仲間は、作戦後の喪失感でぼぼ全員が、退役を志願した。俺もそれを望んだが、俺だけはそれを許可されなかった。」

 一旦、そこで言葉を切り、息を吐いた。

 先を促すように久瀬が「何故」とつぶやく。

「俺の頭の中には、その特務ミッション時に記憶した消えない重要軍事機密が数多くある。一度見てしまった紙面は消えることなく忘れる事のない俺の脳は、米軍にとって歩くブラックボックスかつ、国家の自滅爆弾だ。」

久瀬は目を見開いて理解を示す。改めて記憶力がどういうものかとわかったようだ。

「俺の退役要求は、絶対的に認められない。認められるとすれば、死だけ。」

 あの時、俺は心では死を望んでいたのに、軍人として洗脳されてしまった脳が、死を受け入れず自衛の指令を身体に命令していた。

 死にたいのに死ねないジレンマに胸をかきむしった。あの時の苦しみが込み上げて来る。束の間、黙りこんでいたらしい。小さく「すみません」とつぶやいた久瀬の声に気付いて、凱斗は先を話す。

「悪い、掃討作戦が終了した時、アフリカのキャンプは負傷者であふれていた。足を負傷していた俺は、キャンプより離れた民間医療施設に運ばれていた。その病院で療養していた時、大学卒業後から行方不明の俺をずっと捜していた柴崎家が、居場所を探し当てて迎えに来たんだ。病院関係者の手違いが、軍の関与をすり抜け、大使館経由で戸籍上の家族である柴崎家に連絡が届いたのは、奇跡に近い幸運だったと今では思う。軍からの通常退役が困難である事を知った柴崎家は、掃討作戦後の混乱に乗じて、俺を日本に連れ帰る作戦に出た。華族会は巨額の金を出して、その民間医療施設に日本の医療提携、おまけに日本政府に働きかけて、その地域の経済支援を約束させた。そして従業員に口止めをし、偽の死亡診断書と・・・」

 俺の体格に似た焼死体も用意して、と言いそうになったのを止めた。そこまで言うと華族に対して語弊が立ちそうだ。

「とにかく、他にも沢山の偽装をして、俺は生きて日本に帰ってくる事が出来た。米軍時は、書類の不備で大野カイの名前で登録されていた事も幸いして、今の柴崎凱斗の名前とは結びつくことなく、俺はまだ命を消されない生活を送らせてもらっている。」

 皆が呆然としていた。どうコメントしていいのかわからないのだろう。

 人の歴史なんて面白くもなんともない、特に自分の場合は、彼らに経歴自慢だと捕えられかねない。

「俺は華族会に返しきれない恩がある。華族会が先を見据えて、俺の軍歴を華選項目に追加し、皇華隊の設立を求めた。それに従事ただけだったが、まさか発足5年でこんな凶事が起るとは思ってもみなかった。」

 立ち上がった。そして身体を2つにおる。

「経歴の事を、ずっと隠していて悪かった。すみません。」

 卑怯だと思う。隊員は、そりゃ同情の了解をするだろ。しかし、今謝っておかないと、もう2度と話せなくなるかもしれない、自分は新皇の次に、こいつら隊員の命も守らなければならないのだから、自分の命を捨てでも。

「や、やめてください、隊長。すみません。久瀬が余計な事を聞いて。お前、謝れ。」

(余計な事・・・そうだよな。)知りたかった事とは言え、知った物はこれから先、絶対に他言出来ない余計な秘密だ。いけ好かない上官の、重く面倒な秘密を持ってしまったのだ、彼らは。

 久瀬は、怒った顔で二階堂の手を払う。

「隊長、京宮御所に、柴崎家の身内がいるとかですか?」

「あ、あぁ、いる。」

「それは、男性ですか?女性ですか?」

「えっ?」

「何を聞いてんだ、失礼だぞ!」と二階堂が久瀬を制止しようとするが、久瀬は止まらない。

「失礼はもう重ね重ねです。教えてください。」

 やたら真剣な久瀬に圧倒されて、凱斗は答える。

「両方だ、二人。俺の戸籍上の伯父になる親子。」

「写真はありますか?」

「ないよ、そんなもん。俺は昔から写真を懐に入れる習慣はない。」

 米軍でも日本でも、兵士は自分の家族や恋人の写真を衣服のどこかに入れているのは、命令ではない。ゲン担ぎだ。必ず大切な人の元へ戻ると言う誓い。自分にはそれがずっと無かった。天涯孤独の身、しかも死にたいと願って入隊したのだから。

「その携帯にはないのですか?」手にしていた携帯を指さす久瀬。

「ないよ。カメラ機能なんか使ったこと・・・あっ、そう言えば、この間、勝手に撮られたな。」

 今年の4月、麗香の誕生日に帰国した時、信夫理事長に買ってもらった赤い車と自分の運転技術を見せたいからと、麗香にドライブに誘われた。富士周辺を回るドライブ。ハンドルを握る麗香は、まだ慣れない運転に少々緊張していたけど、好きな音楽をBGMに走らせるアウディの爽快さを満喫していた。

 湖の見えるドライブインで「凱兄さん、いつまた、行方知れずになるかわからないから。」と麗香に携帯を奪われ、写真を撮られた。

 アルバムのファイルをタップすると、その写真が表示される。麗香の可愛く笑う顔の横で、間抜けな表情の自分。

「1枚だけあるな。」

「お借りします。」携帯を奪われる。

「おいっ、ちょっとっ!」

 久瀬は奪い返されないように背を向けて隊員達に見せる。

「うおおっ、可愛い。」

「俺達にも見せろ!」

 指令機にいる藤浪達の要求にも答えて、パソコンのカメラに凱斗の携帯を向けている有様。

 イヤホンから聞こえてくる隊員たちの野太い歓喜に「何なんだよ。」とつぶやいたら、前島さんが

「女に飢えているのは、自衛隊全般の深刻な課題だ。上官として承服しろ。」と笑い声。

「隊長、この方のお名前は?」

(そんな事まで承服して、言わなくちゃなんないのかよ。)

「柴崎麗香。」

「うおぉぉ、名前も可愛いっ!」

「年齢は?」

「はぁ?言い加減にしろ。」

「年齢は!」と迫られる。

「に、24だけど。」

「おおおおっ。」

「隊長!このミッション終えたら、麗香さんとコンパ設定してくださいよ。」

「はぁ?」

「それで許します。今まで黙っていた件は。」

「あはははは、そりゃいい。柴崎、上官としてちゃんと隊員の面倒を見てやれよ。」

「えー俺が?」

 深刻な課題ねぇ。確かにそうだけども、麗香や麗香の友達が、こんなむさ苦しい奴らとコンパなんて絶対にしない。自衛官ってだけで却下だ。

 久瀬が、ニコニコ顔でやっと携帯を返してくる。

無事生還の先に楽しみの報酬がある事は、ミッションの成功率を上げるから良いけれど。とても麗香に頼めない、こいつらとコンパして、なんて。

「まぁ、出来る限りで、頼んでみるよ。」

(あぁ、また嘘が増える。)












 リニアを運行させる為に、弥神は必要な職員を呼び集め、眼の力を使う時、亮は遠くの柱の裏に隠れていた。それでもその力の視念は伝わってきて、痛みに耐えかね、電話中の会話が一瞬途切れてしまった。

 亮は華族会と父に電話をして、リニアの運行命令を出すように頼んでいた。いくら弥神が眼の力で人を操り、思い通りにリニアを動かせても、京都駅側の準備も必要であるし、路線区域内の協力がなければ事故になる。それらの運行命令を内閣府へ指示を出せと言ったのも弥神だった。

「人の希心は神の存元、神の祈心は人の存元。我の言辞に心髄を開き、神威を受け入れよ。」

 華族会のフロアで聞いたことのある唄の、その音階に似ている祈りともいうべき言葉が、弥神の口から奏でられる。

「我に従い、各々の役割で動き、リニアを京都へと向かわせろ。」

 職員たちは弥神に向かって一斉に頭を下げると、すぐに各々の持ち場に散っていく。

眼の力を使った指示を終えると弥神は、首をほぐすように頭を回す。亮は思い出した。その頭を回す仕草を学園でよく見かけていた事を。あれは力を使った後だったんだと、今更に気づく。

「出来たのか。」

 回した頭のついでのように亮へと向いた弥神は、だるそうな声色で聞いて来る。

「あぁ、万全。華族会は驚いていたよ。還命新皇が国内に居る事に。」

 還命新皇が京都に向かうから、リニアを動かす命令を出してほしいと洋子理事長に連絡をすると、まずもって信じてもらえなかった。弥神の写メを送って、やっと信じてもらえて、華族はその手配をすぐに実行した。

「ふんっ。」鼻で貶した息を吐いた弥神。

 本来なら天に還されている、直接的に言えば、生まれて間もなく死んでいるはずだった新皇が生きていた事に、7年前の華族会がどれほど混乱したのかは想像するに簡単だ。凱さんの機転で弥神は海外へと出された事で、華族会がそれに甘んじ問題を先送りした事も、電話の向こうにいる洋子理事長の焦りでわかる。

「結局、7年かけても尚、我の所存を決する事のできない華族会であるから、このような事が起きるのだ。」

「・・・弥神。」

 無意味に名をつぶやいた亮に、弥神は振り向き言い放つ。

「その名は捨てた。棄皇だ。」

「キオウ?」と首を傾げた亮に対して、鋭く睨んでくる。

「余計な詮索はするな、お前はただ、京に行くことが望みであろう。」

(そうだ、だけど何故こいつは、俺に力を貸してくれている?)

継嗣として、人質となっている双子の新皇の身を案じ、自身も京都に行きたいから、亮の立場を利用した?

すぐにその考えを否定する。弥神は双燕新皇を案じたりしない。神皇であるべき所以として、一嗣継皇の意識があるからこそ、弥神は7年前、自分の取り巻きを華族の者で取り揃え、双燕新皇よりもいち早く身を固めるべく、りのちゃんを皇后として寵愛したのだ。

 では、華族の者達が心配で?それも否定する。華族会は還命新皇の存在を持て余している。余剰の存在である弥神を排除したい華族会の考えを、弥神自身が知らないはずはない。華族と新皇の命が危ぶまれているこの事態は、弥神にとって好都合・・・

至った自分の考えに震えるのと、見据えられる弥神の視線に震えたのは、同時だった。

「そうやって、余計な事を思考するから、お前は神の怒りに触れるのだ。」

 弥神の左目が赤く染まった。

「痛っ・・・。」頭を抱えて腰を折る。

 ―――――――

「行くぞ!」

 気づけば、棄皇はリニヤの乗車ステップに足をかけていた。

(えっと・・・何か・・・何だったか?)

 その感覚はとても嫌だが、懐かしかった。












 天の皇、来世、幾年月流レニ、尽キヌ想い、

 風流レ、雲生ミ、雨落ル、地潤ウ、命育ム、

 季節ハ巡ル、卑弥交えの身霊、希信の世静へ。


 来世に飛翔セシ光、卑弥ノ祈呼ト、神皇ト

 永久ニ。


 来世に飛翔セシ光、卑弥ノ祈呼ト、神皇ト

 永久ニ。


 声高になる祈りの唄。

 テロリストたちが「ヤメロ」と叫ぶ。

 その声もかき消せるぐらいの祈りの唱が、神政殿の高い天井に木霊していた。

 テロリスト達が、華族の者を銃で殴り倒す。

 それでも祈りは続く

「ヤメロ!今スグ辞メナイト新皇ヲ殺ス」

 新皇様に銃を向けて発砲した。

 新皇様の膝さきの床に銃の穴が開いた。

 それで、私達の声は止まった。

 でも続く、心の中に、

 祈りが、繰り返し、繰り返し心の中に、

 唄は流れる。














 リニアは、音も振動もなく発車する。静かすぎる慣れない違和感に戸惑いながら、亮はどこに居ようかと迷う。

 リニアは先頭と最後尾に、デラックスシートのある部屋が用意されている。豪華な応接セットが置かれた個室である。

 その部屋にある3人掛けのソフアを占領して座った棄皇は、会った時の姿と同じように、背もたれに手を大きく広げ、足を組んだ。 その棄皇の前にも二人掛けのソファがあるが、棄皇の前に座るのは避けた方がいいのはわかっている。なので、亮は部屋に入った扉の前で立ち尽くしていた。

「飲み物。」

「えっ?」

「喉乾いた。」まるで高飛車な先輩のような態度の棄皇。

 ムカつくけれど、反抗できない。

「畏まりました。棄皇様。」と嫌味雑じりに言ってやった。

「あぁ!?」と棄皇の威嚇に、逃げるように車両から出る。

 リニヤに乗り込む時、自販機が設置されているを見ていたが、飲み物が補充されているかどうかまでは確認していない。一つ向こうのデッキへと向かった。自販機はすべてのソフトドリンクのボタンは売り切れのランプがついていて、まだ入荷されていなかった。諦めて戻ろうとしたら、並んで設置されているビールの自販機は購入可能になっている事に気づく。

 年齢的には問題なく飲めるが、弥神が飲める奴なのかは知らない。喉乾いたと言われて買うのは、ビールよりもお茶やスポーツドリンの方が馴染んだイメージだ。

 この凶事が起きてから、ずっと走ってばかりだったから、亮も喉がカラカラだった。財布を取り出し開けて、金のないことに驚く。 自分でばらまいた事を思い出した。一時間あまり前の事なのに、もう隋分前のことのように感じる。小銭は300円程度しかない。

「金ない、ってわびしいな。」思わず声に出して呟いた。

 電子マネーが使えた。携帯をかざそうと取り出すと、ちょうど呼び出しのコールが鳴る。谷垣さんからだ。

「亮さま、守先生に変わります。」

 亮は舌打ちする。十分ほど前、リニアの手配の為に電話をしたのだけでも、反吐が出るほど嫌だったのに、まだ何かあるのか。

「亮。」

「何だよ。」

「京都駅の東口ロータリーに、パトカーを回すよう京都府警に要請した。もう発車したのかリニアは。」

「あぁ、出た所、50分ほどで京都に着く。」

「わかった、そのように京都府警には伝えよう。」

(そんな事を言うぐらいなら、谷垣さんでいいだろ。ったく。)

「根岸の事は?」

「今、藤木家抱えの調査人を全て使って調べている。」

「それなら、大丈夫そうだな。」

「任せておけ、守る事は得意だ。」

「フンっ。」

「ありかとう、助かったよ、亮。」

「ど・・・」

 あまりにもさらっというもんだから、思わず「どういたしまして」なんてセリフを言いそうになった。自分はまだ、こいつの事を嫌いのはずだ。

「気をつけて行って来い。」

 そう言うと、プツリと切れた。

(何なんだよ。気持ち悪い。嫌味の一つでも言わせろよ。)

 皆が、何故そこまで家を、特に父親を嫌うのかと不思議がる。幼き頃は、先生と呼ばれる父を尊敬し憧れの気持ちも持っていた。内閣総理大臣を輩出する藤木家の長男としての、優等生的な気位は、ある日一変した。

 忘れもしない16年前の冬、亮は8歳だった。人の本心を読み取る能力はもちろん既にあり、しかし、それほど強くは無かった。読み取れるのは、同級たちの疎ましさ程度で、亮の立場上の仕方のない許容程度に慣れてもいた。

 その日、日本は突如として大災害に見舞われた。誰もがテレビの前で、青ざめて言葉を失った。津波による原子力発電所の崩壊した映像や、放射線という見えない脅威に肩を寄せ合い、助けを求めている被災者達の姿は、テレビの向こう側の遠い場所で起こった対岸の火事であったが、伝わる日本全土の消沈は、幼き亮でも、いや幼かったからこそ、他人事のようには考えられなくて、人々の困窮に同情した。 

 まだ福岡に拠点を置いていた父、藤木守も同じくテレビの緊急特別報道番組を見て、対応に追われた。上京し、政党の対策本部に尽力するか、それとも地方に居て、地方から助力する方が適切か、東京の誰かと頻繁に電話のやり取りをし、家の中は慌ただしかった。

 報道番組が、暗闇の避難所の外、かろうじて雨よけになっている場所でうなだれている老夫婦にインタビューをしていた。老夫婦は思い出ある家を放棄しなくてはならなくなり、取る物取らずに避難してきたは良いが、避難所施設内はどこも人がいっぱいで、座るスペースもない。3か所の避難所を回ってみたけれど、どこも同じ。子供達が東京に居るが、電話も長蛇の列でまだ連絡も取れない。子供達と連絡が取れたところで、自分達が子らの家に居候するのは気が引ける。子らは子らの生活が確立されていて、突然の老人と共同生活は、金銭的にもスペース的にも余裕はなく無理だと、それに長く住み続けた家を放棄しなくてはならないのは辛いと涙を浮かべる。そして切り替わったスタジオでのコメンティターは、『政府は何しているんだ!こういう予測のできない災害を予測して救済システムを構築するのが政治家の仕事でしょう!対応が遅い!』と怒った。

「お父さん、何とかならないの?あのお爺さん達、雨の中、外で寝なくちゃなんないよ。」

 画面に釘づけになっていた亮は、背後で同じくテレビを見ていた父に、顔を向けずにそう言った。幼き頃から、我が家は世の為人の為に尽くす為に、政治家である事が使命だと教授されていた亮の、素直なお願いだった。

「何とか・・・・そうだな。何とかしなくてはいけないな。」

 そこで亮は振り向き、父親の目を捕えた。被災した可哀そうな老夫婦に同情して、眉間に皺を寄せ苦渋の表情であった父の本心は、笑っていた。

【チャンスだ】と。

「お、とう・・さん。」

「亮、お前はもう寝なさい。明日も学校があるだろう。あの老夫婦たちは大丈夫だ。お父さんが何とかする。国難を救う為に、わが藤木家は尽力する。皆の為に。」

 人の嘘ほどよく読み取れた亮は、尊敬する父が、本心では自身の出世の為に、この大災害を利用しようとしている事、大災害は自分の為にもたらされた幸運のチャンスだとまで思っている事を知り、亮は愕然とした。

 翌日、無能な政府管轄の対策本部の要人達が、現地の状況も顧みず被災地へ視察に出かけた。緊急上京した父は、それには同行せず、先手を打ち大規模な策を敢行した。大型客船を手配し被災地へ届け、緊急の宿泊施設として誰でも無料で使えるようし、フジ製薬から市販薬の無料配布と、多数の医師と看護師の派遣も行った。確かにその災害対策は、被災者達の為になった事だろう、方々から、藤木守議員は、被災地の救世主だとの声も聞こえてくるぐらいに絶賛された。しかし、亮は被災地に赴き、「頑張って、何か困っている事はないですか?」と苦悶の表情をして被災者の手を取る父の本心が、ずっと高揚して笑っているのを知っていた。

その後、父は国民からの絶大な支持を得て国政に出る。大災害を、国民の不幸を利用して、父は大成した。その事実が亮の素直な心に衝撃を与え、政治家の家を、父を、嫌った。

 今思えば、文香会長が言うように、自身の経験上でしか読み取れないと言うのなら、亮はあの8歳の時点で、人の非運不幸を利用する悪漢の心を、すでに経験して知っていたと言う事だ。

 どんなに、自分は父とは違う、潔癖だと抗っても、藤木家に生まれた以上、この身には、人の不幸につけ入り薬剤を高利で売って財を成した先祖の血が流れているのだ。家と父の関わる事を嫌悪し避けてきた事が、子供の反抗期並みに稚拙な事だったと、今では笑える。世の中が清廉潔白で廻っていない事を理解すればするほど、家や父の事を嫌悪に苦しむ事が無くなっているのも実感していた。皮肉な道理だと思いながら。

 だから、また災難に見舞われている今、不幸を利用する事に、自分は躊躇いがない。











「あーさらたん、パパは日本に帰れない~。」

(どうなってんだ?こう言う時は、困った時の博識の藤木先生だ。)

慎一は携帯電話から藤木の番号へかけてみたが、発信音もせず、呼び出しができなかった。遠藤の携帯も、永井の携帯も同じで日本にいる家族に繋がらない。

「もう2度とさらたんと会えないのかぁ。」

壊れたのだろうかと、試しに永井にかけてみると、ちゃんと繋がる。慎一達と同じに空港で足止めされている他の日本人たちも同様に、困っている様子だった。

「さらたーん。もう一度、パパはさらたんの笑顔を見たかった。パパは立派だったと、その胸に刻んで大きくなれよ~。」

「うるさいっ」

「なっ、何やねん。新田ぁ。」

「ふざけんなよ、こんな時に、」

「こんな時やから、なごみが要るんやろう。」

「いらんっ!」

「新田は神経が細かいねん。テロなんて間違いや、あの人も信じるなって言ってるやん。」

 そうだけど、しかし時間が経っても尚、日本行きの飛行機が次々と欠航に変わり、電話は繋がらないとなると、不安は増大されるばかりだ。

「すぐに運航するようになるって、俺らビジネスクラスやから、運航再開になったら優先してチケット取れるって言ってくれてるし。 なっ、ほら、さらたんの写真でも見て、そのささくれた心を癒せよ。」

 能天気すぎる遠藤に、呆れも怒りに変わる。

「あ、遠藤さん、コンビニ、コンビニ探しに行きましょう。僕、腹減りましたから、一緒についてきてくださいよ。」

 慎一のささくれた心のせいで、気まずくなった空気に、永井が気遣って遠藤を慎一から離してくれた。











缶ビールを3つ買って戻ったら、棄皇も電話をしていたようで、終えて広い袖にスマホを仕舞い込む所だった。

棄皇がスマホを持っている事と、電話をする相手がいる事に若干の驚きと違和感を生じたが、今時持っていない方が珍しく、なぜ棄皇とスマホがイメージ結びつかないのだろうかと、妙な思考をする。

棄皇の視線に促されて、座るソファのテーブルに缶ビールを2つ置いた。早速一つを手に取った棄皇は、亮が缶ビール片手に車両の壁際へと下がっている間に、プシュッと開けて飲み始める。亮が体の向きを変えて壁に背もたれた時にはもう、飲み干していた。

棄皇は空になった缶を握りつぶすと、前に向かって投げた。缶は壁にあたり床に転がる。

「いっ・・・」

 思わず嫌忌の声をあげてしまっていた。それに対して鬱陶しそうな睨みを向けられて、首を横に振ってしまう亮。

棄皇は「ふんっ」と不服の息を吐き、もう一つの缶ビールを手に取り、プルトップを開ける。亮もつられるようにプルトップを開けたが、棄皇の飲みっぷりに見とれてしまった。

「日本酒は無かったのか?」

「ないよ。ビールしか。」

「ちっ。」と舌打ちした棄皇は、ビールの空き缶を握りつぶし、また壁に投げつけた。

 カンっと跳ね返り、今度は亮の足元に転がってくる。

(何なんだよ、この横暴ぶりは、全く変わってないじゃないか・・・)

 凱さんが日本から連れ出したのは、こういう横暴な気質を変えさせる為でもあると、そんなような話も聞いた気がする。それなのに、全く変わっていない。神皇家の継嗣であるのだから、ある程度の横柄さは許されるだろうが、こういう粗野はきっと、神皇家の方々はしない。

「棄てといてくれよ。藤木。」とニヤリと片方の口角をあげる。

「なっ!」

「やった事ないんだ。幼児の頃から。」と棄皇が言って、やっと、昔の事をなぞっているのだと気づく。「怒れよ。あまりにも理不尽で横暴なのだろう。」

「やめろよ。」

 亮は足元の潰れた缶を拾い、備えられていたごみ箱に捨てた。

「お前は昔から、細かい。男のくせに、綺麗好き、世話好き、女好き。」

 いやいや、女好きは男として当然だ、と心中で突っ込みをしかけて、慌てて止める。何を読み取られて怒らせるかわからない。

「そして弱い。」

「・・・・。」

「その知視の力を持ち、力ある事に己惚れるくせに、それを上手く利用しようとしない。利用するだけの強さがない。」

 その通りだ。神は何でも御見通し。

「仲間うちだけに力を披露し、自尊心を満足させて誤魔化し、都合よく力を持つ事を人生の言い訳にしてきた。」

 吐きそうになる。自分の全てを読み取られる事に。

「力から逃げる事に怯えた言い訳、力を使う事に己惚れた言い訳。それでは真に柴崎麗香は救えない。」

(麗香・・・)

「柴崎麗香の為だと言い訳しながら力を使っている限り、柴崎麗香は幸せにはなれない。」

 震える。それは神の指摘に畏れた生理現象か。

「それらを理解しているのに、自分に向き合う事すら出来ない弱さ。」

 それでは、京都へ行く価値もないと言われているようだった。

 凱さんからは身体的に、棄皇からは精神的に、亮の弱さを完膚なきに指摘される。亮は言葉を失い耐えるしかなかった。

 リニアは静かに、振動もなく最速で走り続ける。麗香のいる京都へと。

「暇つぶしに、教えてやろう。」

 うんざりしたようなため息を吐いた棄皇は、片足を座面にあげ、自身の膝に肘をついてしゃべり始めた。「お前が、柴崎麗香を離せない理由、お前と我が反発する理由でもある。」

「え?」

「お前達が見ている古の夢、あれは本当にあった歴史だ。」

「古の夢?」

「見ているだろ。双晴と玲衣の夢。」

「そうせい・・・あっ・・。」

 その夢は、亮が16になった頃から見始めて、事故に遭い意識がなかった時もずっと見ていた。しかし、夢であるから起きれば忘れるおぼろげなものだった。夢の中での自分の名前を棄皇に言われると、その夢は鮮明に脳裏に思い出してくる。

「思い出したか?」

「あぁ、いや、でも何故、それを知っている?」と言いながら、それが愚問である事に気づく。

 そんな亮を見透かした棄皇は、貶した表情を向けた後、座り方を変えた。

「我も見ている。双雲は我、我は双雲の生まれ変わりだ。」

「双雲・・・」

 思い出す、双雲と双晴は双子の兄弟であり、民から崇められる存在だった事を。

「お前は、双晴の生まれ変わり、玲衣は柴崎麗香だ。」

 見ていた夢が、前世のストーリーだなんて、棄皇はふざけた事を言っていると思った。

「そんな漫画みたいな事・・・。」

「同じ夢を5人が同時期に見ている。」

「5人?」

「お前と柴崎麗香、我と新田慎一、そして真辺りのだ。」

「りのちゃんも?」

「お前が双晴の生まれ変わりで、玲衣の生まれ変わりである柴崎麗香と離れられないのと同じ、新田慎一も真辺りのとの古の縁が強く、離れられない。」

「新田とりのちゃんも・・・。」

 二人が離れられない絆があるのは、納得できる。しかし、自分と麗香に関しては、さほどの実感はない。

「ん?双雲がお前なら新田は?」

 夢の中の登場人物と人数が合わない。

「新田慎一は緋連。」

(緋連・・・えーと居たな、確か、女!?)。

「緋連は、後に双雲の皇后となる女だ。双晴は、継こそは玲衣と一緒に生きられるよう、皇でない後世を願い死んだ。逆に玲衣は、皇に尽くせなかった事を悔やみ、継こそは少しでも皇に寄り添える身分をと望み死んだ。」

 克明に語られ、亮の頭の中で夢の中のシーンが映像となって思い出される。

『継こそは、柵のない世であなた様を支え尽きとうございます。』

『継こそは、柵のない世であなたを愛し抜くと誓う。』

「だから、お前たちは、現世ですれ違いの身分で生まれてきた。我と反発し合うのも、わかるだろ。」

「皇の座を取り合った双子の兄弟、だから・・・」

「そうだ、古から浸みこまれた諍いが我らにはある。」

 夢の中での自分、双晴は、玲衣と一緒に生きる為に、皇の座を双雲に譲っている。

「北条勢に追い詰められた二人は、東尋坊の崖から身を投げて死んだ、そこでお前達二人の夢は終わっているな。」

「あぁ・・・。」

 もう、馬鹿な話と否定できないほど、棄皇の語りに引き込まれていた。

「その夢は、更に続きの歴史がある。 双晴が死ぬと、分担していた力、双晴の持っていた受の力が双雲に移る。神皇は送受の力がありて皇たる存在である。それまで片方の力しか無かった双雲に突然授かった受の力は凄まじく、常に民の祈りが心身を蝕む辛い物だった。受の力を生来より持っていたなら、それほど苦しむことなく身に馴染んだのだが・・・」

 そこで棄皇は黙り、思い詰めた様子を見せた。

 亮ははっとする。棄皇はただの夢を語っているのではなくて、双雲の苦悩は、現世でも尚、双子の継嗣として生まれた棄皇の苦悩と、同調している?

「き、棄皇も・・・」辛いのか?と問おうとした言葉は、遮られた。

「足りぬ。」

「は?」

 顔を上げた棄皇の視線が、亮の持つビールに向けられているのに気づき、亮はテーブルに置き渡した。「投げんなよ。」

「酒を買って来ていたら投げていない。」

「これも酒だっ」

「ビールは、酒の内に入らぬ。」

(酒豪かよ・・・)

 棄皇は、亮の分の缶ビールを取り煽る。今度は一気飲みはせず、文句の割には満足した様子で表情を緩めた。 そして、また続きを語り始めた。

「双雲は送受の力を扱いきれず、存分に力を発揮出来ない。力が発揮できなければ世は荒んでいく。双雲は苦しんだ、扱いきれない送受の力と荒んでいく世に。荒めば荒むほど、民の願いは強く多くなり、増々送受の力は扱えなくなる。望んだ皇の姿とかけ離れていく自身に耐えきれなくなった双雲は、もう一人の自分を作り、力を分担し、狂う寸前の自身を守った。」

「もう一人の自分?」

「りのが解離性を発症させたのと同じ現象。」

「まさか・・・。」

「そう、真辺りのは、双雲が作ったもう一人の双雲の生まれ変わり。受心の力を分担した方の双雲であるから、りのは人の声や想いに敏感過ぎて解離性を起こすほどだった・・・だろ?」

 頷く。

「我らは双雲の生まれ変わり、魂を分かつ者同士。我はりのであり、りのは我である。」

 学生だった当時、二人が付き合い始めたというニュースは、学園中を驚愕させたが、いざ、二人が寄り添っている姿をみれば、静かに落ち着いた様子が、図書館にとても馴染んでいた。まるで静寂に包まれたレトロな洋館の調度品のように。二人には、学生特有のはしゃいだ男女の様子が全く無かった。ゆえに二人の付き合いは、恋人と言うほどのものはなく、本好きという接点だけで寄り添っているだけだと亮は思っていた。だから7年前、棄皇がりのちゃんを刺すという事件が起きた時、事件そのものはもちろん驚いたが、刺すほどの心情が二人にあった事に驚いた。それほど二人は惹かれ合っていたのか、と。

「なぜ?そうであるのなら何故りのちゃんをっ!」

 思わず叫んでしまった亮に対して、何の動揺もなく無表情に顔を向けた棄皇。

 禁忌に触れてしまったと後悔するも遅い。無表情だが、無言で見続けるその時間が、譴責していた。

「古を言い訳の理にはしない。真実は、りのと我の中にあればいい。」

 真実?自分達が知る以外の、事実がある?

 二人の確かなる動機を、亮達は教えられていない。警察も介入していない。りのちゃんが刺された件は、常翔学園や華族会は、当然に事を隠蔽した。被害者であるりのちゃんも、事を公にされるのを望まなかった。

「りのは・・・」と呟いた後、棄皇は口を閉ざした。

 しばらくの間、何も言わなくなった棄皇は、ふっと息を吐いてから唐突に言葉を続けた。

「緋連は、2つの意識を持つ双雲をずっと心配をし、最後まで寄り添った。双雲の苦しみに何もできない自分を悔しがり、継こそは必ず、双雲を助けられる人間になりたいと。」

 思い出したように缶ビールを口にしてから、亮に顔を向ける棄皇。

「お前も、くだらぬ拘りを捨て、素直に柴崎麗香と添い遂げ、古の未練を断ち切れ。」

「え?いや・・・でも、そんなの・・・。」

 戸惑う亮に「ふんっ」と鼻を鳴らしてからビールを飲み干し、空き缶をテーブルの上に置いた。

「あと何分だ?」

「え、あ、あと40分ほど。」

「寝る。」

「えぇ?」

 棄皇はソファに横になり、目を瞑った。

(何なんだよ~)

 呆れて首を振ったが、その方が亮も気疲れしなくていいとホッとする。










 6人目・・・。

 それまでは、射殺のあと、何ごともなかったように、犯人達は淡々と持ち場に戻り、また次の30分を待つだけだったのに、

リーダー格の犯人は、言葉を発した。

「我々ガ、祖歴ノ開示ヲ要求シテ2時間半、5人ノ人質ガ死ンダ。神皇家ハコウシテ人ヲ犠牲ニシ、他国ノ侵略ヲシタノダ。」

 真っ直ぐ西の出口の方向を向いて、電子音の声を発する犯人達。

「我々ガ人質ヲ殺シテイルノデハナイ。神皇家ガ、神皇ガ、新皇、オ前ガ、彼ラヲ殺シテイルノダ。」

「やめよ・・・。頼む、我を、我を殺せ。」

 それまで、神皇様の涙の訴えを無視していた犯人は、珍しく耳を傾けた。

「命乞イカ、同ジ事ヲ我ラノ同志ヲ、オ前ハ聞キ入レズ冷酷ニ殺シタノダゾ。」

「同志?我が殺した?何を?誰をだ!」

「ソノ演技ニハ乗ラナイ。」

「誰なのだ!教えてくれ!我が何かしたのなら、謝る。この命を授けてでも詫びる。」

「フッ、ワカッテイル、ソノ力、眼ヲ塞イデイレバ効キハシナイ。」

(その力?眼を塞いでいればって・・・)

 犯人の言葉に、麗香は何か、頭の隅に引っかかった。

 だけど、もう体力的にも精神的にもダメージが蓄積されて、考えたいのに頭が回らなかった。











【我々ガ人質ヲ殺シテイルノデハナイ。神皇家ガ、神皇ガ、新皇、オ前ガ、彼ラヲ殺シテイルノダ。】

【やめよ・・・・。頼む、我を、我を殺せ。】

 黒づくめのテロリスト達、神経を逆なでする電子の声。

(あのヘルメットを必ず剥がしてやる。)

 凱斗は拳を握り閉めた。

【命乞イカ、同ジ事ヲ我ラノ同志ヲ、オ前ハ聞キ入レズ冷酷ニ殺シタノダゾ。】

【・・・・同志?我が殺した?何を?誰なのだ!】

【ソノ演技ニハ乗ラナイ。】

【誰なのだ!教えてくれ!我が何かしたのなら、謝る。この命を授けてでも詫びる。】

 そこで映像は停止される。

 やっぱり久瀬は、人質が死ぬ映像を瞬き一つせず睨むように見ていた。

「柴崎、聞いたか?」前島さんからの呼びかけ。

「はい。」

「神皇家はこうして人を犠牲にし、他国の侵略だと言った。これは、前の大戦の事を言っているのか?」

「わかりません。自分は生きていない世代ですから。」

「俺だって、生きてない。」

「テロリストが何を思ってこの凶行に到っているのか、それを思考する時期はもう過ぎました。自分は一刻も早く、現場に到着し、制圧するだけです。テロリストの思想など、制圧に不必要の情報は任務遂行の妨げになるだけです。」

 任務中に上官の求める質疑に、素っ気なく論破した。米軍に居た頃なら、激怒と体罰が飛んできただろう。しかし前島さんは、一言、「悪かった」とつぶやくと通信を切った。

 そばにいた久瀬が、凱斗を睨むように見つめてくる。同じ年であるがゆえに、凱斗を上官とは認められない、認めたくない反発心は、隊員の中で随一だ。素性を明かしても、そんな心意を無くすのは難しいのだろう。

 胸のポケットで着信のバイブレーションがした。番号を確認すると、洋子さんからだ。久瀬から背を向けて電話を繋ぐ。

「はい。」

「凱斗、今、大丈夫かしら、」弱弱しく囁き声だった

「大丈夫です。」

「私、聞いてしまったの、どうしていいか・・・・怖くて、どうして鷹取様は、そんな事を。」

「どうしました?」

「もう、どうして聞いてしまったのかしら、私・・・・」涙声になっていくのに驚いて、思わず電話の番号をもう一度見直した。間違いなく洋子さんの携帯番号だ。

「洋子さん、落ち着いて、何があったんです?」

「私、聞いてしまったの。」

「何をです?」

「鷹取様が、還命新皇様の、射殺を命じているのを。」

「えっ?」

「あなた、還命新皇様の世話をしているんじゃなかったの?どうして、日本に来させたのよ。」

「日本に来ている?そんな筈は。」

「知らないの?今、藤木君と一緒よ。空港で会ったって。」

(藤木君と!?何故また、そんな・・・)

数日前のレニー・グランド・佐竹との電話を思い出した。

李剥が日本に向かったとの情報が入ったと佐竹は言っていた。その情報の真意を確かめる為に、日本に帰ってきたのか?

(勝手な事を。)

そして、レベル7の非常事態宣言下に巻き込まれて、藤木君も自分で京都に向かおうとし、空港に向かったのは容易に想像ついた。

「洋子さん、その聞いた経緯を詳しく教えてください。」

 凱斗達が対策本部を出てから、皇制政務会は、鷹取靖前氏が中心になって京宮の凶事に対応していた。2時40頃、藤木君から洋子さんの携帯に連絡が入る。藤木君は還命新皇こと弥神皇生と一緒に羽田空港にいて、空域封鎖で身動きが出来なくて困っていると伝えてきた。飛行機を飛ばせないのなら、リニアで京都に行くから準備をして欲しい。還命新皇が命令していると言った。皇制政務会からリニアの運行命令を出し、運行区域と到着駅の京都での職員配備をしてほしいと。洋子さんは、藤木君からの要望を還命新皇の存在と共に、鷹取氏に報告した。還命新皇の命令である事を信用しなかった鷹取だったが、藤木君からの写メを見て、表情を一変させ、リニアの運行と職員配備の命令を国土交通省経由で鉄道会社に出した。その対応が落ち着くと、鷹取氏は部屋を出ていったという。洋子さんは神皇に出す為のお茶の用意を、誰かに頼めないかと続いて部屋を出た。しかし、国会議事堂内、何処に何があるかも、誰にそういうことを頼んだらいいかもわからず、施設内を歩き回ったと言う。すると奥まった廊下の向うから鷹取氏の声が聞こえた。そこは固定電話のある場所、主に内線用に使われるが外線も繋がる。聞き耳は無礼とその場を離れようとした時、不審な単語に足を止めてしまったという。

「射殺しろ」間をおいて「神皇様の勅命だ。」と続いた。テロの犯人に対する命令であると思ったが、神皇様の勅命なら皇制政務会の部屋ですればいいものを、こんな場所でコソコソするのは何故だろうと不思議に思って、そのまま聞き耳を立てた。

 次に鷹取氏から出た言葉は、「その者は双燕新皇様の顔そっくりに整形したテロ犯の仲間、危険人物だ。見つけ次第射殺せよ。」だった。

「それが、還命新皇様の事だと、私すぐに分かったわ。でも、どうして。還命新皇様は、確かに生きてはいけない過誤の継嗣だけれど、だからと言って神皇家の血脈あられる子を、射殺だなんて・・・鷹取様どうして・・・」

 おかしい、何故こんな話を自分にしてくるのだ。取り乱しているとは言え、聡明な洋子さんが対応に間誤付くなど。

「洋子さん、その事を俺にではなく、神皇様に言って直ぐに止めてもらってください。」

 鷹取の暴挙は許されない、その話を聞けば、神皇は鷹取氏を皇制政務会から排除するだろう。

「それは・・・・できない。」

「どうして。神皇様に言えば鷹取氏の暴挙をすぐに止められる。」

「できないの、わからないの!?だから、あなたに電話してるんじゃないの!」必死に声を抑えて叫ぶ息遣いが聞こえる。「神皇様は知らないのよ。」

「えっ?」

「神皇様は、還命新皇様の存在をまだ知らないのに、言えるわけがないでしょう!」

「うそ・・・。」

「え?あなた知らなかったの?」

「はい、知りません。」

「ええ?還命新皇様の世話をしているあなたには、そういう情報は全部、文香さんから話がいっていると思っていたわ。」

 凱斗は知らない。始めて聞いた事だった。

「還命新皇様の事は、7年前のまま、何も進展していないのよ。」

 7年前、還命新皇が弥神道元の慈悲により生きていると判明し、華族会は混迷した。本来なら死んでいるはずの双子の継嗣が生きていたとなれば、当然のことながら、後にどちらが次の神皇になるかという問題になる。

 おそらく古来に、そういった継皇問題が起き揉めたのだろう。だから赤子の内に抹消しておくとの単純な案から発生した仕来りになった。万世一継男子であるべき神皇家に、イレギュラーの双子が生まれた場合、片方は身心に何らかの損傷が必ずあると神皇家の祖歴にあるらしい。よって必然的に棄てる子は欠損のある子となり、選択の迷いは必要なく、すべては神の啓示に従えばよいだけとされている。

 還命と言う名は弥神皇生自身の神名ではなく、ただ捨てる子に対して使われる総称で、天に還す命という意味がある。華族の祖歴には死産と記されていることから、神皇家も同じだろう。紙面上においても、存在しない還命新皇を頑として認めず、その事を神皇に報告する事を強く拒否していたのは、7年前の当時、神皇皇宮宰司の鷹取靖前だった。

(まさか、あれから7年経った今でも、神皇に事実を報告していなかったとは・・・。)

 凱斗は唖然とする。

 当時、鷹取康前を含めた華族会は、還命新皇生存の発覚後、何日も話し合いをして結論づけられなかった。同時に起こった還命新皇が、皇后にしようとしたりのちゃんを包丁で刺すという重大な事件を起こしていたにもかかわらず、それは詰問されることなく還命新皇をどう扱うかばかりを話し合われた。鷹取康前の、華族会の筆頭として皇宮宰司の立場を固持した意見が、主に場を押していた。凱斗は、そんな状況にうんざりして、そして、りのちゃんを刺した罪を償えさせる為にも、還命新皇こと弥神皇生を海外へと連れだしたのだ。その3ヵ月後から、凱斗の銀行口座に、華族会から介添え金と記された使いきれないほどの金が毎月振り込まれるようになった。文香さんに問い合わせると、鷹取家からの申し出だと言っていたので、神皇の意向に基づいた神皇家からの支給だと凱斗は思っていた。

(そうか、あの金は口止め料だったのだ・・・)

 還命新皇こと弥神皇生はこの7年間、一度も日本に帰りたいと言わなかったし素振りも見せることなく、中国国籍を取り、名を「棄 皇」として、生活を満足していたから、凱斗も華族会のうやむやに甘んじて気にしなくなっていた。

「テロ現場で射殺すれば、混乱の中の事故と処理できて、継嗣問題も解決するって訳か・・・」

「ひっ・・・。」洋子さんが息を飲む。

 還命新皇の存在は、神皇家と鷹取家の信頼を崩壊させる脅威だ。

 しかし、だからって殺していいはずがない。

「洋子さん、鷹取氏は誰に射殺命令をしたんです?」

「誰にって・・・わからないわ、そんな事。」

「鷹取氏が使った電話機を調べなかったんですか?リダイヤルでナンバーがわかるでしょう。」

「し、しないわよ、そんな事!」

(自分基準で考えたらダメだ。咄嗟に素人が思いつくことじゃない。)

 うろたえていた気弱さが元に戻ってきているが、依然、誰かに聞かれる事を警戒している様子の洋子さん。

「洋子さん、今どこにいます?」

「衆議院の方の一番端のトイレの個室に。」

「もう家に帰ってください。」

「えっ?」

「俺に話した事が鷹取にバレたら立場的にマズいでしょう。具合が悪くなったと言って、家に帰ってください。」

「あぁ。」

「還命新皇の事は、俺が何とかします。」

「ええ・・・お願い。」

 しばらく間が開いた。いつも先に切るからそれを待っているのに、切られない。

「凱斗、私、あなたに・・・」また、涙声が復活してきている。不安になった感情がそうさせているのだろう、その悲痛はわからなくもないけれど、今は何も出来ない。その先の言葉を遮った。

「すみません、急ぐので切ります。」

『目上からの電話を先に切るなんて、躾がなってない、だから施設育ちの子は駄目なのよっ』て、いつものように怒ればいい。そうすれば少しでも気持ちは紛れる。

 戸籍上の母、あなたに気弱なんて似合わない。










「新田さん!これ見てください。」

「ん?」

 永井はコンビニで買って来たパンを頬張ったまま、ずっと眺めていた携帯を慎一に突きつける。

「テレビです。ここの地元の、なんか、日本で起きている事をニュースでやっているんですが。」

英「日本は現在レベル7の国家非常事態宣言が出ておりますが、何が原因の国家非常事態宣言であるかは、日本国政府は公表しておらず、この動画との関連があるのではないかと話題になっています。次のニュースです。」

 少ししか、その動画を見る事が出来なかった。だけど見た動画は、黒い服の奴が銃を持って、モーニングを来た男に突き付けている物騒な感じの映像だった。

「銃を持っていましたよね、全身黒づくめの人。」

「銃?」慎一が怒ってから少しは大人しくなった遠藤が、話に加わってくる。

「はい、なんかモーニングを着た男の人が、黒づくめの人に連れてこられて、銃を向けられて、そこで終わっちゃったんですけど。」

「モーニングって、結婚式か?」

「さぁ?英語だからわからなくて、新田さんわかりました?」

「いや、俺も難しい単語は・・・。」

「んー、結婚式で、俺の花嫁かえせって銃をぶっ放した阿保がおって・・・酷い事件になってレベル7宣言?」

「ははは、なんですか、それ、絶対に違うでしょう。」

「いや、わからへんでぇ、その結婚式が、めっちゃ有名人の結婚式やとしたら。」

「国家非常事態宣言を出さなきゃいけない有名人って誰ですか。」

「俺や。」

「ぷっ、んなこと絶対にないでしょ。」

「なんでや。俺はサッカー界の超有名人やで。」

「他にも、やってないかなぁ。」

「あっ、お前、無視したなぁ。」

(モーニング・・・)

 庶民はモーニングなんて結婚式ぐらいしか着る機会はないけど、頻繁に着ている人種がいる。

華族―――柴崎は2か月置きにある華族会のパーティに、伯父夫婦と交代で4か月ごとに出席していると言っていた。女は着物かドレスで、男は大体がモーニングだと。

 慎一は、ここ、オーストラリアに来る前に、柴崎との話を記憶からひねり出す。

『私、あんたが帰国する日、京都に行ってるから、迎えには行けないわよ。』

『京都?遊びにか?』

『違うわよ、新皇様の降臨祭、それに参加するのよ、華族として。』

『あぁ、そう。ふーん。』

『帰国の翌日、帝都テレビのバラエティ番組の出演が決まっているから、朝の8時までに局に入ってよ。』

『へーい。』

『ちょっと、ちゃんとメモッた?私その日も居ないのよ、火曜日まで帰れないからね。』

『ほ~い。』

『ちゃんと聞いてよ。後で聞いて来ないでよ。まぁ、遠藤くんも一緒に出演のオファーだから、大丈夫か。』

『遠藤も?』

『そぅ、オーシャンズカップの結果を話題にするって主旨だからね。』

 降臨祭、8年に一度、神皇家の者が天に帰る里帰りの儀式、儀式の後は宴があると聞いていた。

 慎一の胸に嫌な不安が膨らむ。
















 10


 何故、今になって鷹取康前は還命新皇を抹殺しようとするのか。

 この未曽有の凶事、何度も見せつけられた人の死の瞬間。

 魔が差した?

 双燕新皇の降臨祭の日に、帰国した棄皇。

 自分も神皇家の継嗣であるのだと主張しているかの様に見えた?

 鷹取は、問題を先送りして、棄皇が継嗣への執着が薄らぐのを期待していた。

 7年に及び、沙汰のなかった静寂ゆえの還命新皇の帰国は、鷹取にとって大いなる脅威となっただろう。

 だから血迷った?

 凱斗は首を横に振っていた。鷹取の非道に呆れたわけじゃなく、棄皇の持つ運命の混迷を振りほどこうとして。

 双子として生まれて来た棄皇が悪いのか?

 情けをかけて、仕来りを守らなかった弥神道元が悪いのか?

 国外に逃がした自分が悪いのか?

 神皇家の行く末を案じる鷹取が悪いのか?

 魔は、誰に囁いた?

 棄皇の携帯にコールしたが、つながらない。藤木君も同じだった。

 リニアはその速さの衝撃音を近隣に迷惑が掛からないように、ほぼ山の中、トンネルの中をあえて走るよう路線され作られたと新聞記事にはある。ひと昔でもあるまいし、トンネル内は電波が繋がらないなど、ありえない時代になった。当然、夢の超高速列車リニアも携帯とネット回線は常設のはずだが、開業前である事を考えると、システムに何かしらの不具合が起きている可能性がある。もしやテロの影響もあるかもしれない。

 棄皇の人を意のままに操る能力とヤン仕込みの武術があれば、身の危険はさほどないと思えるが・・・棄皇は、自分が射殺の対象になっている事を知らない。遠距離で狙われたら、棄皇の能力や武術があっても、身は守れない。

 鷹取が、射殺を依頼した相手は誰だ?射殺の言葉を使っている事から、銃を専門にしている殺し屋に依頼したと限定されるが、この日本で銃殺が出来る殺し屋を探し、即時に実行させるのは難しい。鷹取が殺し屋を常に抱えているとも思えない。と言う事は・・・

SAT―――警察組織に華族の長である鷹取が、直に命令するのはたやすい。

 既にSATは現場に到着している。

今から、凱斗がSATを管轄する大阪府警に電話をして、その命令を取り下げる。間に合うか?と言うより、凱斗の指示が通るかどうかだが、間違いなく通らないだろうと結論づく。凱斗の権力など、鷹取の前では無いに等しい。しかも鷹取は『双燕新皇様の顔そっくりに整形したテロリストの仲間、危険人物だ。』と言っている。その情報に間違いはなく、華族会命令で提唱した事を、撤回とする凱斗の命令は、偽命令と捉えられるに違いない。そもそも、神皇から託されたとはいえ、皇華隊の任務が皇制政務会の命令を上回ることはなく、しかも現場は皇華隊に対する認識がまだ薄い。

 そうして考えあぐねて、タイムリミットが来てしまう。

「北山、北部山頂、ミッション開始始点到着、10分前です。」

「了解」

 洋子さんとの会話から、リニアが京都に到着するのは、凱斗達とほぼ同時刻だと割り出していた。

(棄皇なら、大丈夫だ。今まで散々危機を乗り越えて来た。自分がSATより先に棄皇を見つけ、保護すればいいだけだ。)

と自分に言い聞かせて、隊員に向けて声かけた。

「全隊員、装備の最終チェック!」

「はいっ」

 凱斗自身だけが、まだヘルメットをかぶっていなかった。隊員よりも遅れている装備の最終チェックをする。GPS付の時計の確認、ベスト内に入っているナイフ、数種類のピッキングピック、ワイヤー、ピンマイク無線のチェック、銃弾のチェック、拳銃のチェック、ライフルのチェック、最後に靴紐をギュッと閉めて終わる。これが米軍時代からのミッション前のルーティンチェックだった。

 既にチェックを終えて、正姿勢で待っている隊員達。

「指令官機UH46の到着時間は?」

「15、38です。」

「了解。」

 10分遅れで飛び立った前島さんの乗ったヘリは、速度が遅くて、更に8分の遅延を加えた計算だ。

「京宮の地形、配置図、建築構造の知識は頭に入っているな。」

「はいっ」

「テロリストは神政殿内に10名を確認している、東側建物周辺に4人、西側の広場にヘリの操縦士プラス3人のテロリストを確認している。北の御常殿は新皇が神政殿に居る事から人質は皆無とみていいだろう、上空からの映像もテロリストたちは御常殿をスルーしている。俺と田島が西回り、二階堂は御池北回りで神政殿内の侵入ポイントに向かう。小沢と落合は援護潜伏を終えたのち合流。」

「はいっ。」

「テロリストの証言から、京華院の会議室に14名の人質が拘束されていると推測でき、こちらにもテロリストが多数いると考えられるが、あえて交戦はせず、神政殿内への侵入を優先する。高村はヘリ内で通信待機、前島司令機の到着を待て。」

「はいっ。」

「神政殿突入前までは戦術手話を使う。無線は目視できない距離にいる者との緊急通信だけにし、極力音を立てるな。」

「はいっ。」

「ミッション最優先事項は、双燕新皇の身柄確保。誰よりも、新皇の命を優先して死守する事。人質になっている華族は二の次だ。およそ50名の人質が現場にはいる。おそらく、突入直後は混乱を極め、人質の混乱がミッション遂行の妨げになる可能性がある。新皇身柄確保に邪魔になるようなら、情け無用に非道の行動をとれ。新皇の為ならすべてが許される。皇華隊はその名マークの通り、神皇家の為の隊だと心に刻め。いいなっ」

「・・・。」返事がない。

「どうした。返事は?」

「柴崎隊長、それは承服しかねます。」

「なにっ?」久瀬が、凱斗を強い目で睨む。

「双燕新皇の身柄確保と同時に、柴崎麗香嬢の確保を死守する事を、我々は心に刻みます。」

「はぁ!何をふざけた事を言っている!」

「ふざけていませんっ」

「柴崎麗香を優先事項にいれて、もしも新皇を守れなかったらどうするんだ。」

「新皇も柴崎麗香嬢も守りぬきます。」

「先発潜入は、援護のお前と落合を含めてたったの6名だぞ、敵は少なく見積もっても20名はいるんだ。」

「隊長、我々は陸海空30万人の自衛隊員の中から選ばれた精鋭部隊です。柴崎隊長が選び、柴崎隊長が組織し、柴崎隊長が育てた隊です。ご自分で作った隊の力を信じないのですか?」

「馬鹿、俺が作った・・・」言葉が詰まった。俺が作ったのではなく、前島さんだと言いきれなかった。それを言えば、自分は逃げる事になる。自分の命を捨てでもと豪語する自分が、絶対的に言ってはいけない事だ。隊員たちの命の責任は、隊長である自分にある。

「こんな・・・上官命令に承服しない隊なんて、ありえないな。」

「柴崎隊長が作った隊ですから。」

「言ってくれる。」

「で?」と久瀬は生意気にもにやりと笑う。

 だから久瀬は、麗香を守る為に写真を見せろと言ったんだ。コンパ目的じゃなく。

「突入後は、個々の判断に任せる。陸海空30万人からの精鋭だと心に刻め。」

「はいっ!」

「始点到着、3分前です。」

「着席、3点シートベルト着用。」

 隊員達がそれぞれのシートに座り、しっかりとシートベルトを締める

 前島さんから指令が入る。

「皇華隊、柴崎隊長率いる先発隊7名、神皇勅命を尊守に、武運を祈る。」

「了解。」

「1分前。」

「衝撃に備えろ。」

「カウントダウン、30・・・・・、20・・・・・10・・・・・・5、4、3、2、1。敵機目視確認。」

「田島、頼んだぞ。」

「了解、いい乗り心地じゃありませんから、酔い止め飲んどいてくださいよ。」

「今頃遅い。」










(凱さんのヘリはもう着いただろうか?)

 京宮での状況がわからない。携帯は、リニアに乗って富士山を過ぎたあたりから圏外になり使い物にならなくなっていた。

 時間的にまた一人が犠牲になっていて、そして、10分後にはまた一人が犠牲になる。

一体何人の死を積み上げたら神皇は、祖歴の開示に踏み切るのだろうか。

 祖歴は、一体何人分の命の価値になるのだろうか。

(麗香・・・・)

『お前が双晴の生まれ変わりで、玲衣の生まれ変わりである柴崎麗香と離れられない・・・』

『だから、お前たちは、現世で、すれ違いの身分で生まれ変わってしまった。我と反発し合うのも、わかるだろ。』

『皇の座を取り合った双子の兄弟・・・』

 あの夢に、そんな意味があったなんて、しかし、それを聞いて心ときめく年齢でもない。

『くだらぬ拘りを捨て、素直に柴崎麗香と添い遂げ、古の未練を断ち切れ。』

 今更、どうしろと言うのだ。もう麗香は結婚相手を見つけて、子供まで授かっている。

 目に見えない何かの縁に自分達が作用されているのだとしたら、なぜ子供が出来る?華族の一族は子に恵まれない事が多くなってきているはずの中で。

 棄皇の語りに引き込まれた亮だったが、時間が経ち冷静に考えてみると、いくつかの疑問や矛盾が思考され、棄皇は、たちの悪い冗談で亮を惑わしているのだと思えてきた。

(こいつはそう言う奴だ。)

 寝息もなく静かに寝ている棄皇を見下ろした。こう言う時しか、この位置から眺められない。

 色の白さ、切れ長の目、体つきも、双燕新皇と同じ。悔しいかな艶やかなサラサラの髪質も同じだった。最近よくメディアで見る双燕新皇も長髪を後ろで一つに括っている。 双子は離れて暮らしていても、テレパシーが通じているように同じ嗜好になるのは、良く聞く話だ。

 本来なら神皇家で大切に育てられていたはずの存在だ。

 諍いは起こしたけれど、常翔学園の同級生だった。だから、亮の不敬の言動でも許されている。

(実は、可哀そうな奴なんだよな・・・)

 棄皇の生い立ちは、非情な命運で縛られている。それが隠されて育てられた事への反抗心だったのだろうか?りのちゃんを刺したのは。

鬱陶しいと結んだヘアゴムが緩み、髪の先端でかろうじて引っかかっている状態だった。くせ毛の亮がしたくても出来ない髪型だ。

亮は無意識に手が伸びていた。なぜ、そうしようとしたのか、自分でもわからない。ただ憧れ的にサラサラの髪を触ってみたかっただけかもしれない。落ちそうになっているヘアゴムに手を伸ばした。サラサラの髪に手が触れた瞬間、ぱちっと棄皇の目が見開かれ、驚くのも間に合わず、亮の手首は握られていた。そして気づけば、テーブルに押し倒され、額に何かを突き付けられていた。

 瞳孔の開いた棄皇の眼。

 左目が渦巻いたように赤く光った。

 頭に痛みが生じ、広がる映像。

  足がもつれ、体が倒れる。

  ただ、無意識にその名をつぶやく。

  『りの・・・』

  立ち上がろうとしたが、いくらも体を浮かせられぬうちに、地に張り付いた。

  『なぜだ・・・りの。』

  息も絶え絶えに、それでもその名を呼ぶ

  『なぜ、わからぬ・・・』

  『この思いを・・・』

  『こんなにも・・・』

  『りのを・・・想っているのに。』

   切ない想いはその名に届かない。

  『りの・・・』

  あぁ、そうだ神意は

  『・・・無慈悲に単純。』

これは、棄皇の重い重い想い

カチリと言う音がして、亮の額に突きつけられているのが拳銃だと視認する。

トリガーにかけた人差し指が動くのを、スローモーションのように見る。撃たれる、そして死ぬとわかっているのに、恐怖は無い。 恐怖の感情って遅いのだなとも思う。

突然、車内に音楽が流れ、「あと10分で京都駅に着きます」と音声アナウンスが流れた。

「ちっ。」

 舌打ちをしながら亮から離れた棄皇は、何ごともなかったように首を回し、左目を前髪で隠すいつもの状態に戻しながら、拳銃を腰の後ろに仕舞った。

「お、お前・・・」

「あぁ?」面倒くさそうに返事をする棄皇。

「じゅ、銃・・・」

「そうだが?」とさらりと答える。

「いや、そうじゃ・・なく・・・。」

 銃の正誤を聞いたのではない。銃で撃たれそうになった理由を聞きたいのだ。

「寝ぼけた。」

(寝ぼけて銃をぶっ放す奴があるか!?しかも、銃なんて何故持ってんだよ!)

 言葉にするのを忘れるぐらいに唖然とする亮のそばを、棄皇はすり抜けて車両から出て行こうとする。

 降車準備をするには早すぎる。

「お、おい・・・どこへ?」

「トイレだ。」

 足元に棄皇のヘアゴムが落ちていた。拾い、深呼吸をした。

(さっきのは・・・何だ?)

夢のように、もう鮮明には思い出せなくなっている。だけど、まだ、残っている切ない想い・・・。

話題にしたから、同調?共鳴?をして、白昼夢を見てしまった。と考え、非現実的思考で納得しようとしている自分に叱咤する。

(しっかりしろ。幻想に溺れている場合じゃない。)

ヘアゴムを後で渡そうとポケットに入れたと同時に、携帯電話の呼び出し音に、亮はびくつく。

通信状況が改善されたみたいだ。かけて来たのは、洋子理事長だった。

「藤木君、良かったわ、繋がって、今どこ?」

「もうすぐ京都駅に着きます。あと5、6分ってところです。」

 リニアは減速している。

「藤木君、還命新皇様を京宮に行かせないで。」慌てた口調の洋子理事長。

「どうしてですか?」

「駄目なの。行かせないで。お願い。」

 珍しい口調で話す洋子理事長の様子がおかしい。

「何かありましたか?」

「言う事を聞いて、還命新皇様を京宮に行かせては駄目よ。」

 理由を言おうとしないことが増々不審に思う。

「京宮で何かありましたか?」

「え、えぇ・・・。」

「洋子理事長?」

 洋子理事長は、深い息遣いをしてから、やっと話す。

「鷹取様が・・・大阪府警のSATに、還命新皇の射殺を命じたの。」

「えっ?」

「私、知らべたの。凱斗の言うとりにリダイヤルしてみて。凱斗に電話しているのにちっとも繋がらないの。」

「射殺って、どういう事ですか?」

「テロの混乱に乗じて射殺すれば、事故と処理出来て継嗣問題は解決するから・・・。」

(継嗣問題解決の為に、殺す・・・)

 愕然とする。

「京宮に行かなければ殺されない。だから、お願い、絶対に行かないで。いいわね。」

「は、はい。」

 洋子理事長は何度も「お願いよ」と念を押して電話を切った。

 京宮に行かなければ殺されない・・・じゃ、自分の望みはどうなる?

 神皇に仕える鷹取家が、射殺を命じたのなら、それは神皇の命令であり意思だろう。

 この国の皇が、7年に及んだ難題を、テロと共に解決する指示を出した。

 神皇の指示に背いてまで、自分の望みを我慢することもない。

 そもそも、棄皇はりのちゃんを殺しかけた危険人物だ。人を操る力をもって、学園を自分の都合のいいように支配して・・・あれを日本でやられたら・・・そうだ、棄皇が京宮に行く理由、それを考えていたはずなのに、また力を使われて思考を消された。

 古の夢のように、棄皇も双雲と同じに神皇の座をより強く欲しているとしたら・・・

 双燕新皇がテロリストに殺されれば、棄皇が神皇継嗣となる。だが、新皇を殺すのは一番最後だとテロリストは言った。それまでに凱さん達が双燕新皇を助けてしまっては、棄皇の望みは叶わない。

 棄皇は、凱さん達のテロリスト制圧を阻止する為に?

 それとも、自分の手で確実に殺す為に?

 だから、あの拳銃!

 ガラッと扉が開く。

 棄皇が電話をしながら入ってくる。振り向いてしまった亮は、慌てて顔を伏せた。

 思考を読まれてはいけない。動揺した心も。

中「それを、今から確認しに行くところです。」

 棄皇の話す言葉が理解できない。

中「はい、そのように。」

 それが、日本語じゃなく中国語だとわかった時には、俯いた視界の中に棄皇の足が入って来ていた。

 乱暴に髪を掴まれ顔を上げさせられた。棄皇の赤く染まる眼球。頭を貫く激痛。

「うあっ!」

 束の間、意識を失っていたらしく、リニアの壁に背中をぶつけた痛みで、意識が戻る。

「我を殺す?あははははは、卑しく神の力を欲した卑弥呼の祖らよ。やってみるがいい。」

 天を仰いで不敵に笑う棄皇が恐ろしい。

「我の存在は、天から落とされた贖罪だ。やってみるがいい。神の子を、殺してみるがいい。できるものならな、ふははははは。」

 その笑いはずっと、リニアが停車するまで続いた。













 ヘリは山肌に添って急降下する。激しい警告音が鳴り響く。身体は左に持ってかれて、シートベルトが左首に食い込む。ふわっと一瞬だけ無重力になった感覚が内臓を突き上げる。パラパラパラとアフリカの戦場では馴染みだった音がして、今度は、前のめりに、シートベルトが両肩から胸にかけて食い込む。頭だけが固定されていなくて、自由に飛んで行こうとする。

 突然現れた自衛隊のヘリに、テロリストたちは慌ててガドリング砲で撃ってきた。まずもって当たらない事は田島の計算通りで、弾は北山の方へと流れて行く。住宅がない方向で撃たれても大丈夫なのは、事前に調査済みである。相手のヘリはそれ以上撃ってこない。のも、こちらの予測済みだ。相手のヘリは所詮輸送機なので、積載弾数はさほど多くない、しかも先経って、警察のヘリにも撃っているので、弾は尽きたと考えられる。追加装填は、流石にないと見込でいる。

ここからが、田島の腕にかかったヘリ対ヘリの接近戦が繰り広げられる。テロリスト達に向かって行く凱斗達の乗るヘリは、テロリストたちが撃ってきたマシンガンに恐れをなして急旋回で方向転換、を演じる。首にかかるGに耐えながら、後頭部左側にある窓から外の状況を見ると、テロリストたちの黒い機体がすぐ横をすれ違い、そして、バキバキと天井から凄い音と機体が揺れる衝撃がした。ローターをワザと相手のヘリの尾翼に当てたのだ。凱斗達の乗るヘリは、京宮の建物裏の御池と呼ばれる池と滝業を行う北山から突き出た岩、清巌岩の奥地へと、落ちる場所もピンポイントで決めてある。それを田島は成功率80パーセントで達成させる。落ちたヘリの乗り組員は、全員死亡という演出を、前島指令があえてテロリスト達に傍受できるように無線報告をする。テロリストのヘリが炎上現場を見に来られたらばれてしまうので、相手のヘリも操縦不能にさせなければならない。が、京宮敷地外の市街地に落ちられるのも避けなければならないので、テロリストたちのヘリには尾翼の損傷だけに留めて、京宮西広場に不時着をしてもらおうとの計算で損傷を抑えて壊す。ヘリは尾翼が壊れても、すぐには墜落しない。ローターもしかり、何かのトラブルでローターが止まっても、腕のいいパイロットならちゃんと着陸できる。自衛隊内最も過酷と言われるレンジャー部隊のヘリパイロットだった田島は当然、そのような事態の訓練をしてきている。が実際にヘリを壊してまでの訓練はやっておらず、今や何でもコンピューターのシミュレーション訓練で、場数を踏んでいる。だから、あらゆる想定に対しての攻略計算が出来るのは評価するが、実際は想定外の事も起きるし、シミュレーションと全く同じことなど万が一にも起きない。

凱斗も実際にあらゆる戦地の境遇に巻き込まれていて、墜落してくるヘリの機体に巻き込まれそうになったこともあるが、自身が乗ったヘリが墜落する経験はない。こんなにも、内臓が飛び出そうになるようなGと墜落の衝撃が身体を襲うなど計算外だ。ローターが破壊された事によってヘリは不安定に、そして更に、もう生きる望みなしと覚悟する衝撃が襲った。

尾翼が折れ、機内の内側に亀裂が走る。耳を塞ぎたくなる破壊音がして、やっと機体は止まった。凱斗はすぐにシートベトを外して動き出す。向かいに座っていた小沢が呆然として動かないのを、凱斗が強引にシートベトを外したら、倒れ込むように凱斗にのしかかってくる。そのまま、抱きかかえて引きずるように、ヘリから降ろす。「大丈夫か」と声を掛けてやりたいが、どこから無線を傍受されているかわからない。ヘルメット越しに頭を叩くと、引きつった顔に正気が戻って来た。手話で「大丈夫か」を示すと、自立し、大丈夫のサインを返して来る。他の隊員達も、よろけながらも次の行動に入っていく。

 ヘリに積んでいたマシンガンや空対空ミサイルを分解して集めた火薬花火ともいうべき、手製の火焔爆弾を外に運ぶ。ヘリの燃料と今回のミッションでは使わないマシンガンの弾までを集結させ作った物だ。隊員達は、清巌岩と御池を遮断するようにそれらを並べた。二階堂と小沢は、並べ終えるとすぐに身を伏せながら、御池周りの樹林の中へ消えて行く。

 遅れて、コクピットから田島が無線をはずして、凱斗に耳打ちしてくる。

「すみません、右肩を脱臼しました。」

 見れば確かに手はだらんと力なく、痛みをかみしめている。おそらく、操縦桿を握った手は、敵機にぶつけた衝撃に暴れる機体を抑え込むのに、かなり無茶な体勢で操作をしてくれていたのだろう。可哀想だが、脱臼した肩を入れている暇はない。運んだ火薬爆弾の並びを調整している久瀬と落合を集め、援護を終えた後、西回りの凱斗に追いついてこいと指示を変更した。二人は了解のサインを凱斗に向けてすぐに走り出す。凱斗もヘリに待機する田島と高村に合図を送って走り出した。橋を超えて石碑のように立っている庭石を回り込んだ瞬間、ドーンと大きく地面が揺れて火柱が背後で上がる。落合が火薬爆弾に命中させ爆破したのだ。 

 これで、凱斗達の乗ったヘリは墜落して炎上した。の演出がなされた。あとは、前島指令の演技力が成功率を高めるが、それらの無線演技の様子を凱斗達は拝聴できない。

 走りながら、短銃をホルダーから抜き出した。今日は、久瀬以外はライフルを使わない。久瀬以外はサイレント式の短銃を2丁携帯させている。侵入ミッションに長いライフルは邪魔になる。続けて2回、さっきよりは小さな爆発が起きる。周囲に気を配りながら走った。

 凱斗が進むルートは、御池の水際を最短に神政殿へと向かう、見つかりやすいルートである。少しでも早く神政殿の建物まで辿り着かなければ、身を隠せる場所はほぼ皆無で、危険だ。

 腕時計のタイマーが振動した。人質の命がまた失われる時間だ。もう100メートルほど先なのに、間に合わず死んでいく誰かが、麗香でない事を祈って、凱斗は時計のバイブを止める。

【間に合わなかった。】

そのフレーズが、凱斗の精神を保つ言い訳でもあり、積み重ねの罪そのものである。

視界が薄暗く狭まってくる。ドクンドクンと脈打つ心臓の音と、荒い息遣いがスピーカーのボリュームを上げるように大きくなって、バラバラと銃声の音と戦車の走る音に変化した。視界の黒がねっとりとうねる。それが血だまりだと凱斗は知っている。血だまりの中から、小さな手が無数、凱斗の足元から這い上がってくる。「助けて」と求める幼き顔。その小さな頭が銃弾に爆ぜる。

凱斗は条件反射で身を伏せていた。

美しい日本庭園が広がる視界。テロリスト二人が小銃を凱斗に向けていた。銃を向けたが、手が震えていて標的に合わない。

「くそっ」こんな時に、凱斗の肩10センチ横で土が爆ぜた。凱斗は匍匐後退しながら威嚇撃ち、周囲を見渡す。庭園を彩る埋め込まれた石が4時の方向10メートルにある。そこまで走る。と決断した瞬間、テロリストの一人がのけ反り後ろへ吹っ飛んだ。驚いている仲間も、続いて同じ様に吹っ飛ぶ。凱斗は瞬時に倒れたテロリストに駆け寄り、拳銃を向けた。久瀬のロングライフルの腕は見事にテロリストの首を吹っ飛ばし、もう胴体から千切れそうになっている。即死だ。防弾チョッキとヘルメットで武装している相手を射殺するなら、首しか狙い場所はない。だが、普通はそんな狭い箇所を確実に狙えるはずがないから、防弾チョッキの上からでも胸や腹もしくは足を狙うのだけど、久瀬はその狭い箇所に確実に狙って仕留められる。味方ながら恐ろしいスキル。

凱斗はテロリストのヘルメットを脱がした。アジア系ではあるが、日本人じゃない。ヘルメットの中へ耳を持っていくと中国語が飛び交っていた。

 中国語は得意ではない。棄皇の側で付き添っているうちに、何とかヒアリングだけは出来るようにはなったが、話すとなると全くダメだった。

中「報告、日本政府軍のヘリの通信傍受成功、日本政府軍兵士7名と通信できず。爆発の規模から生存の見込みがない。と傍受。外巡回者は確認に行け。」

中「了解」

 前島さんの演技もちゃんと効いていて、まずは戦略通りに進んでいる。












 下から突き上げるような振動で顔をあげた。犯人たちも周回して歩いていた足を止めた。微かにヘルメットの中で会話をしている声が聞こえて、犯人達は急に慌ただしい動きになった。外に何か動きがあったのかもしれない。警察が助けに来てくれているのかもしれない。若干の希望で周囲を見渡すと、同じ考えをしたのか、多数の華族達が同じように顔をあげ、周囲を見渡していた。 しかし、だから何をするわけでもない。何もできない。体制を崩し大きく体を動かした人は、すぐに犯人たちに「動クナ。」と銃を向けられた。意気消沈に項垂れる皆、抵抗する気力なんて誰にもなかった。

 皆がそれぞれ30分の命の持ち分を全うし繋げば、新皇様の命は30時間延ばせられる。そんな計算を麗香はして、それでも一日半も満たないのねと、悲しくなる。

「30分ダ。」リーター格の男が、麗香達の集まる方へ歩いてくる。

 誰もが顔を伏せて、(次は自分の番ではありませんように)と、身を固くし祈っている。

 ゴツゴツと耳障りな足音を響かせ、リーダー格の男は、麗香前で立ち止まった。

「女、ソロソロ死ンドクカ?」

「駄目だ!麗香さんを殺すなら、我を先に!」新皇様が叫ぶ。

「ホォウ、特別ニ気ニイラレテイルヨウダナ。」

 後ろ手に縛られた体をよじって、立ち上がろうともがく新皇様。

 死ぬ前に、そんな風に特別に気を掛けて下さった事だけでもありがたい。

(覚悟をしなくては。新皇様の身代わりとなって死ぬなら、無様に抵抗などしないで毅然として死のう。)

 自分が死ぬことで、柴崎家の跡が続かなくても、この死は、華族会12頭家であり、かつて東の宗代表を務めた柴崎家の名誉となるとだろう。お爺様も、あの世で褒めてくださるわ。

「私が、次に死を受け入れましょう。」と、麗香の隣ですくっと立ち上がったのは、名を聞き忘れたお爺様。

「そんな、駄目です。それでは・・・」

「麗香さん、私はやっと柴崎総一郎会長に恩義を返せます。」と向けられたお爺様の顔がとても素敵で、麗香は何も言えなくなった。死を満足に迎えるお顔は、こんなに美しいのだと、麗香は感動すら覚える。

 自ら死ぬ順番を志願したありえない状況に、犯人達もたじろいだのか、急かそうとはしなかった。お爺様は犯人よりも前に出て、スタスタと犠牲となった遺体が集まる場所へと歩む。

「まって、お名前を・・・。」

 お爺様は麗香の声掛けに、僅かに後ろを向けて頷いただけだった。そして躊躇なく先に犠牲になった方のそばに皇前交手片座姿でしゃがんだ。

「この命、神皇の御心に尽くし、天寿を賜る喜びを捧げます。」

「奇特ナ者。ソウマデシテ命ヲ投ゲ出シテモ、神皇ハ己ニ何モモタラシハシナイゾ。神皇ハ神デハナイ、神ノ名ヲ語ル私欲ノタダ人ダ。」

「それでも良いのです。神皇がだだ人であろうと、この国に神皇という存在が我々には必要なのです。それが古より継いできた、我々神巫族の信念と祈心。」

「ナラバ、ソノ信念トヤラヲ抱キ、無駄ニ死ンデ、アノ世デ後悔スルガイイ。」

 パンと乾いた音が耳を貫く。

 名を聞き忘れたお爺様は、倒れ逝く命の終焉まで素敵な微笑みを崩さないでいた。

 たまらなく、麗香は顔をそむける。

 麗香の代わりに神皇様の命を伸ばしたお爺様の名前を聞けなかった事が、麗香の胸を押しつぶすように重く重く罪となってのしかかる。

 涙よりも、吐き気が込み上げてくる。息もしにくい。

(助けて、誰か・・・)

覚悟をしたはずの麗香は、苦しい胸の中でそう叫んでいた。












 亮達は、京都駅で待っていたパトカーに乗り込んだ。どう伝えられて、ここに配備されたのかは知らないけれど、警官二人に身分証を求められることはなかったが、棄皇の姿と顔に驚いた表情をして、頭を下げた。

 赤色灯を回して疾走するパトカー。流石に藤木家の権力でも出来ない事で、渋滞する道路をかき分けるように進めるのは気分が良い。しかし、まるで護送される犯人の様だとも思った。

 棄皇はシートベルトもせず、やっぱり横柄にシート二人分を占領し、亮は肩身狭くドアに身を寄せる。

 警察無線が、京宮周辺の道路状況、京宮外苑での警官との小競り合いの状況などを、頻繁にうるさく傍受していた。

「桶町通りは使うな、小宮通りを上がり、一条から北へ、京宮西御門につけろ。」

「は、はい。」

 京都の道路に詳しい棄皇。そういえば出身地だったと思い出す。

「本当に行くのか?」と口にしながら、(本当に行っていいのか?)と自問する亮。

 亮の質問を完全に無視をする棄皇。

 殺されるとわかっていてその場に行く、こいつの意思もわからないが、

 殺されるとわかっていてその場に行くのを、止めない自分の意思も、もっとわからない。

 亮が本当に聞きたいのは、

 殺される事を知って、怖くはないのか?

 殺される事を知って、まだ行きたいと望む亮を許すのか?だ。きっと。

 頭上からヘリのローター振動が伝わって来た。窓に顔を近づけ見上げた。京都の空は広い。北の山頂まで曇りなく青い空が広がるのが見える。パトカーが北山を右手にして曲がった。すると、ちょうどフロントガラスから見える視界の広さで、ヘリが横切って行くのが見えた。2時間ほど前に見送った、凱さんが乗り込んだ自衛隊のヘリだった。リニアの到着と同じになった。凱さんの乗ったヘリとは別にもう1機、上昇するヘリを見つける。方角からして京宮御所の空域だ。テロリストたちのヘリだと認識し、身体を捩るように視界狭いパトカーの窓から2機のヘリの機体を追いかけ見る。亮に体を寄せられて「あぁ?」と不快の声をあげたが、亮が指さすと、棄皇も屈むように窓へと顔をのぞかせ見た。

 自衛隊のヘリとテロリストのヘリが相対する形になると、テロリストの方がミサイルを撃った。タタタタタと発射の音を聞くが、思ったほどの迫力はない。弾は自衛隊のヘリに当たらず京都の北山の方へと消えていった。花火の終わりように白い煙だけが空に残る。

パトカーを運転する警官が空の状況に気を取られて、前方でもたついていた一般車両と危うく接触しそうになる。急ブレーキとハンドル操作で体を振られて、前のめりに前席シートにぶつかった棄皇は、怒りに運転席の背中に思いっきり蹴りを入れて「殺すぞ」と叫んだ。

 「す、すみません。」と平謝りの警官。

 その間に何が起きたのか?バギャン、バリバリというもの凄い音がして、何かの破片が落ちてくる。亮はウィンドゥを降ろして、外に顔を出して空を見上げた。自衛隊のヘリが機体を傾け、回転して降下してくる。見えてきた京宮を取り囲む城壁の向こうに、自衛隊のヘリは消え、樹木がなぎ倒されるような音がした。テロリストのヘリも、ふらつきながらも、上空で旋回している。パトカーが停車した。

「着きました。」

 大きな鉄の門扉の前に、お堀を渡る短い橋の手前で、機動隊の警官が、バリケードを置いて報道陣や野次馬たちを近寄らせないようにしていた。

「門前まで行け。」

 運転手の警官は、機動隊の人に声をかけバリケードを開けても貰い、門前すぐ手前まで亮達の乗ったパトカーは入る。報道陣達のカメラが向けられている。

「あいつらをもっと退かせろ。」そういいながら棄皇はパトカーを降りた。亮も続いて降りる。棄皇は長い前髪で顔を覆い、報道陣達から背を向けて門扉へと向かう。門扉の前にも警察官が二人立っていた。

「君たちは、何だ?」当然、咎められるが、棄皇は無視して門扉脇にある電子制御の操作盤を触ろうとするから、警察官は止めに肩を掴んだ。

「邪魔するな。」その手を振りほどいて睨む棄皇。

「そ、双燕新皇様?」その顔を視認して驚く警察官二人。

「そうだ。無礼であるぞ、退け。」

 二人の警官は、叩頭してあたふたと門前から退く。棄皇はフンっと荒い息を鼻から出し、門扉の操作盤のボタンに手をかける。操作盤は、古めかしい門扉の様相とは反して最新型で、アンバランスな様相になっていた。

 ピッピッピッと軽快な音の後に、ピーと長い音と警告メッセージ。

「チッ」と舌打ちする棄皇。

「えぇ?」

「顔認証だから行けると思ったんだが。」

 亮は首を振る。どんなに瓜二つの双子でも99.8の認識率なのが最近の顔認証システムである。

 もう一度棄皇はボタンを操作して、操作盤に顔を近づける。そしてまたエラー。亮は苦笑をこらえて、ホッとする気持ちと惜しい気持ちで揺れていた。

 また、顔を認証させようとしている棄皇。すると、ドーンと腹と耳をつんざく爆発音が、地面を揺らした。首をすぼめ周りを見渡すと、堀の向こう側にいる報道陣達が、京宮敷地内の空を指さしている。亮達も見上げる。大きな門扉が邪魔して見えないが、わずかに黒い煙が上がっているのが見えた。方角的に見て、凱さん達が乗ったヘリが落ちていった方向だ。

「まさか・・さっきのヘリ・・・」

 亮のつぶやきを無視するように門前から離れ、橋の欄干へと歩んでいく棄皇。下がってヘリの様子を見たいのかと思った瞬間、棄皇は橋の欄干を乗り越えて、下へと飛び降りた。亮は慌てて駆け付け、体を乗り出す。

「お、おいっ?」

 お堀と言っても水はほとんどなく、水底の砂地に雑草が茂るような状態だった。そんな中で、棄皇はすました顔で亮へと見上げ、橋の真下を指さしている。もっと体を乗り出して見てみると、小さな扉が石垣の中腹にあった。

「高所恐怖症か?」降りてこいと言う意味らしい。

「いや・・・」

 亮は報道陣達の方を確認した。報道陣達は、爆発した様子をどうにか撮影しようとして、通りの向こう側まで下がっている。警察官も報道陣も皆、空に上がる煙に気を取られて、誰も亮達を見ていない。

 亮は欄干に足をかけ、柵の向こう側へと乗り越えてから、下へ飛び降りた。足に衝撃が走る。思わず、「うっ」と声を漏らしてしまった。

 既に石垣の段差を上っていた棄皇が振り返りこちらを見る。亮は慌てて顔を伏せて立ち上がるも、左足の痛みに歯を食いしばらなければならなかった。

(くそっ、保ってくれよ。)

 あの爆発が本当に自衛隊のヘリが爆発したものであるなら、凱さんたちはミッションに失敗している事になる。麗香は絶対に助けると言いながら、それが難航しているのだとしたら・・・自分は何としてでも中に入らなければならない。この足が壊れても。痛みをこらえて顔をあげると、棄皇が亮のすぐ前に立っている。

「な、何?」

 そして亮の肩を掴み堀の石垣へと押し付けると、前髪をかき上げ左眼を露わにさせた。赤く染まる眼、たちまち痛みが頭を襲う。

「あぅ・・・」

(何故・・・)

 息を切らしている自分に意識が戻る。棄皇は首の凝りをほぐすように回しながら、前髪を降ろしている所だった。

「な、何を?」

「一時的な応急処置だ。左足に対する不安を消した。」

「ひ、左足?」何の事かわからない。

「しばらくは痛覚が誤魔化され、痛みはないはずだ。」

(痛み?確かにもうすぐ電池交換の時期だけど、痛みなんか出ていたっけ?)と亮は膝を触る。

「後で治療はしておけ。」と棄皇は体の向きを変え、横にある石垣の段差を上る。

「ありがとう。」

 何故かその言葉が口から出て、亮自身、首を傾げながら後に続いた。

 棄皇は、扉を前にして顔を顰めている。また、扉を開けられないで困っているのだろう。

「それは、我の・・・」

 また大きな爆発が起こり、棄皇の言葉はかき消された。棄皇は腰から拳銃を取り出すと、扉の取手に向けて発射した。ギャーンと橋に音がこだまする。警官が駆け付けて来るかと慌てたが、そんな様子はなかった。外れかかった取手をむしり取り、今度は袖からナイフを取り出して、空いた穴に突っ込み、何度が捻り回して扉は開く。

 中は、高さも幅も人一人が通れる狭い通路になっていて、すぐ先で階段になっている。入ると自身の体で外からの明かりを遮ってしまい、先が見えなくなる。互いにスマホのライト機能を使って照らし入った。先の階段を上がると、直ぐにまた扉に突き当たる。おそらく、外堀の点検か掃除用に設けられた出入口で、昔は隠れ避難経路だったかもしれない。福岡の藤木家の屋敷にも、門壁の一部に、外からはわからないような隠し扉があって、外へと出られるようになっている。

「明かりを向けろ。」と棄皇は後ろの亮に体をよじって隙間を開ける。

 言われた通りにスマホを向けると、棄皇はまた腰から拳銃を取り出し、躊躇なく撃つ。さっきよりも大きな破壊音がツーンと耳を駄目にする。今度は、扉を蹴り開ける棄皇。

 出ると、城門のすぐ横だった。

蔵のような建物がすぐ正面にあって壁が長く続いている。内通路とでもいうのだろうか、どこの城でも真直ぐに城へは向かえない造りだ。

左へと棄皇は走って行く。貴重な姿を見たような気がした。学生だった頃も走っている姿の記憶がない。目の手術をしていて、目をあまり光にあてられない、競技中に目をぶつける事も避ける為に、体育は常に見学をしていると、当時聞いた。

 城壁が途切れた所で曲がり入る。松林の向こうに、大きな池がある優美な日本庭園が広がっていた。しかし、その優美な庭園の池の対岸に、樹々の合間に燃え上がっている炎が見えた。黒い煙と樹々が邪魔してヘリの機体は見えない。

「中々の歓迎ぶりだな。」と棄皇。

「そんな・・凱さん・・・。」

「柴崎凱斗の事か?」

「うん、あのヘリに乗っていたんだ。皇華隊の隊長で。」

「ふ~ん。」

棄皇は目を細めてその立ち上る黒い煙に視線を送り「やっと悪運尽きたか。」とつぶやく。

「尽きたかどうかなんて、まだっ」あの鍛えた体の凱さんだ。あれほどの傷跡を残しても生きてる人だ。簡単に死ぬわけがないと思いながらも、あの衝撃音とヘリの落ちていく様を見た亮は、自分の言葉に自信を無くしていく。

「死は奴の長年の望みだ。」と無表情に告げる棄皇。

「で、でも・・・」

「お前の弱さに付き合っている暇などない。覚悟できないなら帰れ。」

 連れてって言ったわりには、押し迫る状況に気弱になる亮の心を、棄皇は完全に見抜いていた。亮は子供のように首を横に振る。棄皇は冷たい視線で亮を見据えてから、腰裏に手をやった。

「自分の身ぐらい自分で守れ。弾はあと7発。」と拳銃を亮の胸へと押し付ける。

「えっ、いや・・・こんなの使えない。」

「引き金を引くだけ、子供でも使える。」と手を放すもんだから、落ちそうになった拳銃を慌てて抱えた。

初めて持った拳銃は、意外に軽い。

(ここは、そういう場所なのだ。)と自分に言い聞かせる。

 棄皇は神政殿へと向かって歩みゆく。亮は拳銃を手に周囲に見渡しながら後をついて歩んだ。

 冬枯れの日本庭園、葉の茂らない樹は身を隠すのに心もとない。地面は所々湿っていて滑りやすく、革靴を履いている亮は足元も時々確認しながら歩まなければならなかった。

前を歩く棄皇の口からリズムよく流れては消える息が、突然止まった。そして、急に姿勢を低くして駆けだした棄皇。その先を見れば、黒づくめのテロリストがこちらに銃を向けて構えている。

「えっ、なんでっ。」

 銃に向かって走っていくなんてありえない。テロリストが棄皇に向けて撃った。棄皇はひるむことなく更に身を低くしてからテロリストに飛びかかった。テロリストもそんな無謀な動きをする相手に戸惑ったのか、銃をさまよわせただけでそれ以上は撃てず、仰向けに倒らされる。

 棄皇はテロリストの腕を銃ごと捻り上げて、ひっくり返し、背中を膝で押さえて拘束する。

早い!その動きは、カンフー映画を見ているように柔軟的でしなやかだった。着ている服が似合い過ぎる。

完全に映画の観覧者となっていた亮は、視界の奥、岩に隠れるようにしていた人の動きに気づく。

もう一人いたテロリストが、ライフルを構えて棄皇を狙っていた。棄皇は倒したテロリストのヘルメットを脱がしていて、狙われている事に気づかない。

「棄皇!」

 叫んだ亮に、棄皇はこちらに顔を向けるが、こっちじゃない、見るべき方向は反対、向うだ。亮は使った事のない銃を構える。引き金を引くだけ、子供でも使えるが、当たらない方が自信ある。それどころか、テロリストと棄皇との位置が直線的に射程内にあって、棄皇にあたる可能性の方が大だ。

『テロの混乱に乗じて射殺すれば、事故と処理出来て継嗣問題は解決する・・・』

それは神皇の意思命令・・・

引き金を引くだけ、それだけの事が亮にはできない。手が震えて。

 パシュパシュと微かな衝撃音と共に、棄皇を狙うテロリストの体が跳ね、手にしていた銃を落とした。亮が撃ったのではない。背後から、迷彩服を着た二人がこちらに走ってくる。

棄皇は自身の身が安全になったとわかると、馬乗りになったまま、腰から何かを取り出した。傾いてきた太陽の光に反射して光ったそれは、ナイフだ。棄皇は、そのナイフをテロリストに振り下ろし、横に薙ぎ払う。棄皇はテロリストから離れ、銃で倒されたテロリストへと走り向かった。起き上がり落としたライフル銃を拾おうとしているテロリストに蹴りをくらわし、テロリスト銃を拾った棄皇は銃をくるりと回して棒具のようにして打ち付けた。強い、その動きはまさしく中国武術の棍術だ。さらに棄皇は銃を回転させて構え持つと躊躇なく撃った。2発。テロリストの絶叫がヘルメット越しに、亮の所まで聞こえてきた。

 強いってもんじゃない。躊躇がない動きは戦いに慣れているようだった。

「君は!国会議事堂に居た、どうやってここに来た?」

 駆け寄って来た迷彩服の人たちは、凱さんと一緒にヘリに乗っていた人だった。胸に神皇家の紋章が刺繍されたワッペンが付いている。M・NIKAIDOとある。

「リニアで・・・」

 もう一人の自衛官が、ナイフで首を刺されたテロリストへと向かう。

「酷い・・・」

 そう呟いた通り、テロリストは首から大量の血を流して、体は痙攣していた。

「君、こっちへ。」と二階堂という名の自衛官は、周囲に警戒をしながら亮の腕をとり、棄皇の方へと連れていく。

 棄皇は撃たれても尚、じたばたと暴れるテロリストに馬乗りになり、被っているヘルメットを取ろうとして苦労していた。

「何をしている。」と銃を棄皇に構えたもう一人の自衛官。

「違います。彼はテロリストじゃなくて。」

「犯人に問う事がある。手伝え。」と顔を上げた棄皇の顔を見て、驚く自衛官二人。

「えっ!?双燕新皇・・・様?」

「どういう事だ・・・あっ、いえ、どういう事です?」向けていた銃を慌てて降ろす自衛官。

「えっ?脱出されてきたのですか?」

 その戸惑いは当然だ。

「手伝えと言った。早くしろ。」

「はっ、はい。」

 自衛官二人は戸惑いながらも、テロリストを抑える。

ヘルメットを脱がすと、アジア人だが、明らかに日本人じゃない顔が現れる。

中「誰に雇われている?ボスは誰だ?」

 中国語を話す棄皇に、自衛官二人は驚いて顔を見合わせた。

中「この企てに関わった人物は誰だ。」

「ちっ、雑魚か・・・」とつぶやくと、棄皇は、再び腰から出したナイフを首に振り落とした。さっきと同じように横に薙ぎ払う。

 切られた首の静脈から血が勢いよく吹き出し、その返り血から逃げるように飛び退がる棄皇。

 容赦のない行動に驚いた自衛官も亮も一歩下がった。

「そ、双燕新皇・・様?」とたじろぐ二階堂という自衛官に、棄皇は目前に迫り睨みつける。

「余計な詮索をせず、我らを護衛しろ。」と左眼を赤く染まらせた。

 後頭部に貫く頭痛に、亮は腰を折った。

「えっ、どうしたの君。」

 亮の心配してくれる小沢と言う自衛官にも、棄皇は赤く染まった目を向け、力を使った。

 痛みに唸る亮に、侮蔑した顔で見下ろす棄皇。

「ったく、面倒だな、お前は。」

 自分でもそう思い、泣きそうになる亮だった。











 遠くで、銃の発砲音がした。 方角から見て、御池の後ろ周りで神政殿へ向かった二階堂と小沢組がテロリストと応戦になったのかもしれない。凱斗は合流した落合と御常殿の建物に背をつけて屈んでいた。

 今しがた、二人のテロリストを仕留め、拘束して岩陰に隠してきたところだ。テロリストは銃の扱いに慣れた者だったが、武術に関しては全く心得のない奴らだった。金で雇われた訓練兵といったところのだろう。本当の戦場を経験している凱斗からしてみれば、訓練止まりの兵は、素人のカテゴリに入れていいぐらい簡単に制圧できる。が、幻覚に襲われなければ、だ。

 久しぶりの実戦場、ミッション中に幻覚と現実がわからなくなれば、どうなるか?

 さっきも、陥りそうになった。自分だけが死ぬのは全くもって大歓迎だが、隊員たちが自分の幻覚のせいで被害が及ぶのだけは絶対に避けたい。凱斗は一度目を瞑り、「大丈夫だ」と心中で自分に言い聞かせる。

 戦地からの帰還兵は、軍によるPTSD予防の心理セラピーを受ける事が義務付けられている。しかし、凱斗は正式の手続きを踏まずに帰って来た。あらゆる耐性訓練プログラムを受けた自分が、帰国後PTSDによる酷い幻覚に悩まされるとは思わなかった。日本は帰還兵のPTSD予防の心理セラピーなどやっていない。専門の医師も少ない中、生きて帰国出来ただけでも奇跡と言えた状態で、悩まされているなど言えるはずもなかった。

 ピッとテロリストの被っていたヘルメットから通信が入る。凱斗はテロリストから奪ったヘルメットを持ち歩いていた。

中「ヘリ墜落の状況はどうだ。」

 しばらく間が開いて、誰も応答しない。

中「どうした。」

中「警察に侵入されているのではないか?」

中「遠隔、扉の制御状況は?」

中「扉はいずれもこちらの制御管理でリモート中、敷地内への侵入はない。周囲、一般人に与えた摸造銃によって警察は近寄れない。」

 なるほど、やはり黒川君と対峙したVidはテロリストの仲間だった。一般人にモデルガンを配ったのも、警察の人員を裂く為の戦略だった。ヘリを二機も用意し、人を雇ってモデルガンまでばらまく。全くもって規模が大きい。これはもう、個人レベルではできない、ある程度の組織と資金が無いと無理だ。しかし、こんな莫大な資金を使って要求する事が、神皇家の祖歴の開示とは、あまりにも不釣り合いな要求のような気がした。

(30分ごとに人を殺してまで要求する事だろか?)

 凱斗は首を振ってその思考を消した。考えている時間はない。自分達はただ、一刻も早く神政殿内に突入し、新皇の命を守り保護を優先するだけ。この凶事の理由など必要ない。

 ライフルを手にした久瀬が追い付いてきて、警戒しながら御常殿の壁に背をつけてしゃがんだ。

凱斗は二人に「進む」をサインして、南へと向かう。御常殿及び神政殿の北側から西にかけては、新皇家の住まいとなるので、防犯上、元々窓や出入口が少ない設計となっている。対して東は一般及び華族の者の出入りと、儀式の為の道具の運搬などで長い廊を経て大きな扉がある。そして南も、園遊会などで外政園に開放しての宴を行う事がある為、一部壁は可動式になっている。

 神政殿の建物に添って、凱たちは南の外政園と向かう。建物の角で凱斗はそっと顔を出し、広がる広場の様子を見た。

 テロリスト達のヘリ、田島がぶつけていない方が、尾翼をこちらに向けて待機していた。テロリストたちは、要求が通る、通らないにしても、いずれはここから退却しなければならず、脱出用として確保しているヘリなのだろう、神政殿南側の可動扉のすぐ近くで、ヘリのドアを全開にして待機していた。ローターは停止していたが、操縦席にパイロットが乗っている。そのヘリの周りをウロウロしてるテロリストも一人いた。そして奥、外政園の中央に壊れたヘリが無造作に停止していた。動かなくなって捨てたのだろう、こちらは周辺にテロリストの姿は確認できない。

 ヘリの近くをうろついているテロリストなら、久瀬の腕で射殺できるが、その異変にヘリのパイロットが中の奴らに報告してしまうだろう。中の奴らが外の異変に気付いて逆上し、新皇を殺してしまうのだけは避けたい。落合と久瀬に手話だけで戦略を伝えて準備させる。凱斗は自分のヘルメットを脱いで、テロリストのヘルメットをかぶり、通信ボタンを押した。

 雇われたばかリのテロリスト集団だ。中には言葉の変な奴がいてもおかしくないだろう。とにかく、一人をおびき寄せられたらいい。カタコトの中国語で話す。

中「爆発現場、応援、求む。」余計な事は言わずにそれだけを言って切った。

 ヘリの周りを歩いていたテロリストは、凱斗の通信を聞いた様子をみせた。ヘリのパイロットに、自分が行くというジェスチャーをして、こっちに駆けて来る。思惑通りだ。凱斗は神政殿の建物の角に立ち、相手が来るのを待つ。無防備に角を曲がって来るテロリストの腕をクロスで掴み、捻り上げて銃奪いながら足を膝裏から絡めてうつぶせで倒す。首の付け根を銃で叩き込み、テロリストを後ろ手に抑えた。落合がテロリストのヘルメットをとり、久瀬が睡眠剤のカプセルを口に入れて飲み込ませる。テロリストは難なく一瞬で眠りに落ちた。凱斗はテロリストの腰からベルトをはぎ取り、二人に後方の木へと運ぶよう手話で指示する。指示通りに木へと運ぶさなか、テロリストのズボンがずり脱げた。下半身パンツ姿の恥ずかしい恰好になったテロリストは、よく見ればまだ若い。金欲しさに犯罪に加担しなければならない環境だったと推測でき、同情も湧くが、こればかりはどうしようもない。命があっただけマシだと改心してくれたらいいが。凱斗はベルトでテロリストの手首ごと樹に縛りつける。落合が脱げたスボンをナイフで裂いてテロリストの口を猿轡にした。テロリストを拘束する道具は、ある程度保持しているが、現地で利用できるものは利用する、のはサバイバルの鉄則であり、凱斗が一番に教えたことだった。そんな基本も発足時は出来なかった皇華隊メンバー、ちゃんと凱斗の教えを会得している。久瀬がテロリストのライフルから弾を抜き取ってベストのポケットに仕舞い、ヘリのパイロットの方を指さす。次はどうするのかと聞いているのだ。

 久瀬がいくらロングショットの凄腕の持ち主でも、角度的に神政殿の角からパイロットの首を狙うのは無理だ。

 凱斗は【自分が囮で近づく、パイロットがヘリから出て着たら撃て】と手話で指示を示したが、久瀬は首を振り、【俺たちに二人に任せろ】と返してきた。凱斗は首を傾げながらも、頷いて承服する。二人は神政殿の建物の角に立ち、ヘリ周辺の様子を見ては、顔をひっこめ、二人でこそこそと会話をした。声を出すなと言ってるのに、しかも二人とも背後が無防備だった。二人の為に後方及び周囲に凱斗が警戒をして防備した。作戦会議が終わったのか、落合はしゃがんで短銃を構え、久瀬はその上からライフルを構えた。落合が一発、ヘリの側面に当て、カンと金属音をさせる。異変に気付いたパイロットが操縦席から顔をのぞかせて降りてこようとする。久瀬が撃つ。パイロットはドサリと地面に落ちた。久瀬と落合が拳をクロスして喜ぶ。そして、背後の凱斗に【成功】の手話を伝えて来る。

指摘する点は少々ありだが、確実に成長はしている。凱斗は苦笑しながら「グッド」の手話を返した。











 京華院と達筆な文字で書かれた建物の前で、銃を持ったテロリストが2人、周囲を見渡している。亮達は、それより50メートル手前にある倉庫のような建物の、窪んだ入り口のシャッターに背をつけて歩みを止めていた。倉庫は庭園の掃除をしたりする道具を収納しておくような場所らしく、シャッターの脇には土で汚れた木箱や脚立などが置かれてあった。

 亮のそばで同じくテロリストの様子を窺っていた棄皇が、奪い持ってきていたテロリストのヘルメットを落とした。倉庫の周囲を固めているコンクリートの上にヘルメットはコンと言う音をたてて転がる。先頭に立つ二階堂という名の自衛官が驚いて振り返る。

 棄皇は苦悶の表情をして左腕を抑えている。よく見ればその抑えた腕の袖は引き裂かれていて、血が滴っていた。

「その腕!」

「しっ!・・・・気づかれた。来る。」二階堂さんが亮たちを庇いながら後退する。

 入れ違いに小沢と言う名の自衛官が先頭に立ち、銃を構えた。

「当たっていたのか!?」亮はポケットからハンカチを取り出して傷に抑えようとしたら、

「要らぬ世話だ。」と拒否られる。

「見つかった、下がって!」

 テロリストが銃を撃ってくる。しかし、角度的に無理があるようで、離れた場所の木が爆ぜる。

「ちっ。」と舌打ちをした棄皇は、亮を押しのけて後方へと駆けた。

 逃げるのかと思った瞬間、棄皇は積まれた木箱と壁を利用して倉庫の屋根へ駆け登る。そして身を低くして屋根の上を走ると、滑空する烏のように、二人のテロリストへと向かって飛び降りた。体当たりされたテロリストは吹っ飛んで転がる。棄皇はうまく着地した足で、もう一人のテロリストに足払いをして転がす。自衛官二人が援護に飛び出し、テロリスト二人はあっと言う間にうつぶせに拘束された。

 亮は唖然と見ているだけしかできなくて、そんな自分に悔しさが胸に沸き起こってくる。

 亮が棄皇を殴ってしまった学生の頃からの中で、何か一つ、自信をもって棄皇勝っている事と言えば、サッカーで培った運動神経だと思っていた。それが、こんなにも機敏で、銃にも立ち向かっていくような動きを見せられたら、もう完敗だ。

 棄皇は、前のテロリスト達と同様に、ヘルメットを脱がして、中国語で何かを質問する。

(中国語まで話すなんて・・・。)

中「黒龍会・・・。」

 棄皇の手から血が滴り落ちて、土に滲みこんでいた。

 破れた袖から見える棄皇の腕の傷を見ていられなくなった亮は、握り締めたままだったハンカチを、棄皇の腕に巻いた。また「要らぬ世話」だと振り払われるかと思ったが、棄皇は険しい顔で考え事をしている風で気にも留めない。きつく締めあげて、やっと驚いたようにハンカチと亮を見比べる。

「余計なことを・・・。」

「それが俺の性分だから。」

 棄皇は表情を歪ませてから「ふんっ」と鼻を鳴らし、顔を背けた。

 二人の自衛官がテロリスト二人に睡眠剤を飲ませ、その手足をテロリストのベルトを使って縛り、口にもテロリストの衣服を引き裂いて作った布を噛まして縛り、倉庫の中へと隠す。そんな作業の間、棄皇はテロリストのヘルメットの中に耳を当て、通信を聞いていた。不意に自衛官二人が体をびくつかせて、動きを止めた。二人とも時計を触ってから、小沢さんは「くそっ」と意識のないテロリストの太ももを蹴りつけた。二階堂さんは、眉間に皺を寄せて歯を食いしばる。

「また、人質が殺された。」

耳をヘルメットから離してから、呟く棄皇。

「麗香・・・。」

「ではなさそうだ。」

「麗香って、柴崎麗香嬢の事?柴崎隊長のお身内の。」と二階堂さん。

「は、はい。」

「もしかして恋人とか?」

「いえ・・・友人です。」と答えると、棄皇は軽蔑した視線を送ってくる。

 嘘ではない。麗香の恋人は、この中で同じ人質として捕らえられてしまっているはずだ。恋人と一緒ならまだ心強いはず。それだけがわずかな救いかもしれない。

「そう・・・我々皇華隊は新皇の命を守る事を優先に命令されている。しかし、柴崎隊長に誓った。必ず柴崎麗香嬢も守り助けると。」

と二人は胸の皇家の紋を拳で二回叩いた。

「お二人って、あのヘリに乗っていたんですよね。」

「そうだよ。」

「無事だったんですか?」

 プッと笑う二人。

「墜落したと見せかけたんだ。」

「見せかけ?だって爆発・・・。」

「爆薬並べて爆発させたんだよ。」

「じゃ、凱さんも無事?」

「もちろん。」

「はぁ~。」と亮は息を吐いた。

「奴が死ぬわけない。」と棄皇。

「悪運尽きたって言ったの、誰だよ。」

「か?と疑問形だ。断定はしていない。」

「そうそう、あの人、バズーカー砲を撃ち込んでも死なないよ。」と笑う小沢さん。

 隊長と言われているわりには、尊敬感がない。隊員たちからも亮と同じように謗られているのだと、呆れる。

 テロリストのヘルメットが「ビッ」と通信の合図を知らせる。

中「爆発現場、応援、求む。」

「テロリストが外に応援を求めた。中から人が出て来るかもしれぬ。行くぞ。」











 神政殿への侵入ポイントは、東南の角に設けられた倉庫。京宮のすべての門扉、扉、窓はテロリストによりロックされて、無理にこじ開ければ、直ぐにばれてしまう。そんな最新システムで管理施錠された神政殿の建屋に、一か所だけ、最新システム管理から外れた場所があることが判明した。それが東南の角に設けられた倉庫である。倉庫は中で二つの部屋に分けられている。外へと向けられた扉がある部屋は、園遊会や歌会など外で行われる儀式の道具が仕舞われている。もう半分は、京華院から続く長い廊下側の突き当りに面して扉が設けられ、今日のような降臨祭などの内で行われる儀式の道具が仕舞われている。内の物と外の物が仕舞われている倉庫は、中で行き来できるような扉は無いが、天井近くに換気目的のガラス窓が設置されていた。その窓は外への倉庫側へ内倒し仕様になっている。

へりの墜落が嘘だとバレない為には、御池の西側、清巌岩の脇に落ちなければならなかった。そこから南東の倉庫まではちょうど対角の位置にあり、西回り、東回りで行くにしても、ほぼ同じぐらいの距離である。二階堂、小沢組が先か、凱斗達が先かは出会ったテロリストの対処具合でわからない。着いた方の組は速やかに倉庫へと侵入し、天井近くのガラス窓の取り外しにかかる。倉庫の侵入が出来れば、長周波無線のスイッチを二回入れては切るをして、ノイズの音で知らせる事になっていた。

 その倉庫の角で曲がる寸前、凱斗は人の気配を察して立ち止まり、後ろへ止まれ手話で指示。周囲を見渡してから銃を構えなおし、自身の気配を消してゆっくりと顔を出す。

そこには、二階堂と小沢組が倉庫の扉のカギを開けている最中だった。久瀬と落合に合図をして合流。小沢は凱斗の姿を視認するとほっとして表情を緩め、敬礼を送ってくる。そんな小沢の体を押しのけるように、その後ろにいる棄皇に詰め寄った。

「棄皇、何故、来た。藤木君も、危険だと言っただろう。」

「すみません。」

 凱斗の詰問に気まずい顔で伏せる藤木君。対して「ふんっ」と子供のように拗ねた顔をして顔を背ける棄皇。

 その棄皇の左腕の袖は引き千切れ、ハンカチが巻かれているのを見つける。巻かれたハンカチは中心が黒く滲んでいた。

「どうしたっ怪我したのか!?」

「こんなもの、すぐ直る。」

 舌打ちしながら面倒くさそうに答えた棄皇。

「えっ、双燕新皇様?えっどうして・・・」戸惑う久瀬と落合。

 その戸惑いは当然、今から救い出そうとしている人質と同じ顔をした者が目の前にいるのだから。小沢と二階堂が普通に二人と一緒にいるのは、棄皇に力で洗脳されているからだろう。

「説明は後、とりあえず、ここは危険だ。今すぐ京宮の外へ。落合、小沢、二人を門外へ護衛しろ。」

 二人の返事よりも先に棄皇が「行かぬ!」と叫ぶ。

「静かに、見つかってしまいますよ。」と倉庫の扉を開けた二階堂が苦言。

 凱斗は声を落として棄皇の耳に口を近づけて話す。

「命を狙われている。」

「わかっている。」と答える棄皇。「鷹取が命じたのであろう、我の射殺を。」

「洋子理事長から電話がありました。」俯いて萎縮した報告をする藤木君。

「わかっているなら。」

「黙れ、誰に向かって、その態度か。」

「なっ・・・。」

「我の真の存在を、忘れたか?」と凱斗を睨み上げる棄皇。

 自然に頭が下がってくる。それはまさしく神皇家の持つ皇たる資質。この7年間で不敬の仲になったとはいえ、そう言われると慇懃さを戻さなくてはならない。

「・・・申し訳ございません。」

「ちっ、敬服させなければ先行かぬなど、時の無駄であろうに。」と息を吐いた棄皇は続ける。「テロリストの正体、お前は気づいたか?」棄皇もテロリストが着用していたヘルメットを持っていた。

「はい、だからこそ、棄・・・還命様には来て欲しくはありませんでした。」

 真の存在に敬服を求められたのなら、棄皇の名は使えない。還命新皇様と呼ぶべきなのだが、新皇と呼べは、隊員達が混乱しそうだった。いや、もう混乱している久瀬と落合。

「いいや、だからこそ、我はこの場に居るべきなのだ。これらのテロを企てた李剥は、我と双燕を間違えている。」

 これほどまでに大がかりなテロを起こせるのは、それなりに大きな組織じゃないと無理だ。テロリスト達が全員、中国系のアジア人だった事、レニーの物流リストが取り上げられて、捜査が中断された事、李剥が日本に来ているとの情報。そして、ついさっき、仕留めたヘリのパイロットの首筋には「黒龍会」の紋のタトゥが入っていた。

「このテロは、李剥の勘違いの恨み、神皇家が抱えた懸念、古より続く華族と民の相異の思心、それらが集まり凶事と成した。」

「準備できました。」と二階堂が報告する。

「そうだな、この人数が居るなら、これを利用して、一芝居うつか。」と棄皇は、テロリストのヘルメットを掲げてにやりと笑う。











 棄皇が考案した一芝居は、テロリストに扮装し、ヘルメットで中にいる仲間へ「外に不審者がウロウロしていた」と報告して神政殿内に入るというもの。その為にはテロリストの黒い服が必要で、京華院前の庭園道具の倉庫で眠らせている二人のテロリストの服を拝借することになった。

 凱さんは、そのテロリスト役に自分がなると言ったが、眠っているテロリストが小柄で、凱さんは着れそうにない。テロリスト役は、体系から小沢さんと落合さんに決定する。双燕そっくりの棄皇の姿に混乱していた小沢、落合と言う二人の自衛官も、既に棄皇の左目の力で洗脳されいて、物分かりよく従っている。

「じゃ、俺はその人質役をする。」と、どうしても中に入りたい凱さん。

「迷彩服を着てたらバレバレじゃないですか。」と二階堂さん。

「藤木君の服と交換しよう。」

「いっ!?」

「ほら、身長大差ないし、着れるよ。」と亮の肩に寄せて来る凱さん。

「やめとけ、もったいない。」と棄皇は呆れたように、ため息を吐いた。

「もったいないって、確かに藤木君のスーツは高級だけど、一着二着駄目になってもどうってことないよね。後で弁償するし。」

「そうじゃない。人質役は武器を持てない。武器を扱える人間が、わざわざ丸腰になるなんて、もったいないと言ってるのだ。」

 なるほど。棄皇の言う通り。では、この中で最も人質らしいのは、自分だ。

「・・・俺ですね。」

「駄目だ。」

「一般人を巻き込むことはできない。」と自衛官たちにも止められる。

「銃も撃てないお前など、元より頭数に入れてない。」と棄皇。

「銃?」と凱さんは、目ざとく亮の膨らんだスーツのポケットを見つけて抜き取った。そういう動きは驚くほど速い。

「二発減ってる。」持っただけで残数を当てた凱さんは、亮を睨む。

「ドアを壊すのに二回使っただけだ。こいつは引き金も引けない弱虫だ。」銃を凱さんから取り上げた棄皇は「人質役は我がなる。」と言った。

「それは駄目です。絶対に。二階堂が藤木君のスーツを借りてなれ。」

「同じことを繰り返させるな。急がないと、また死人が増えるぞ。」と冷たく言い放つ棄皇の言葉に、全員が顔を顰めた。

「心配なら、しかと護衛に来い。」と凱さんの肩をポンと叩く。

 凱さんは棄皇の作戦に渋々納得し、首にかけていたマイク付きのヘッドホンを棄皇に渡した。テロリストのヘリパイッロットから奪ったものだと言う。テロリストに扮して京華院の扉から堂々と入る棄皇組と、東南の角倉庫から中に入る凱さん組とでわかれる。侵入のタイミング合図などを指示して、棄皇達は庭園倉庫へと戻っていく。残った亮達は東南の倉庫に入り、棄皇達の準備が出来るまで、待機することになる。

「事が終わるまで、藤木君はここに残った方がいいね。鍵を閉めておく、テロリストは入ってこれないから安心して。」と凱さんはカチャコチャと数回音を鳴らす。ピッキングで内側から扉を閉めたのだろう。倉庫内は暗くて、どこに誰が居るのかわからない。

「照明はつけちゃだめだよ。」とすぐそばで誰が忠告。

 棄皇が言うように、自分は子供でも撃てる銃の引き金を引くことが出来なかった。麗香をこの手で助けたい。その想いと裏腹に自分は無能の足手まといでしかない。

 何も答えないでうつむいていると、凱さんがポンと頭に手を置いた。凱さんはこの暗闇でちゃんと見えているようだ。服が擦れる音しかしない中、亮が闇に眼が慣れたときには、皆は隣の部屋に移動していて、凱さんが窓からこちらに手を振っていた。

「じゃ、終わったら迎えに来るからね。」とまるで留守番の子供をあやすようにして降りて行く。

 しばらくして、神政殿の廊下へ続く扉が少しだけそっと開けられると、中から光が差し差こんできて、周りの様子がよく見えるようになった。亮は皆が足場にしていた木箱の上に立って、窓から隣の部屋を覗いた。皆は数センチ開けた扉の前で屈んで、中の様子を窺っている。凱さんが持つテロリストのヘルメットから、ピィッと音がした後、中国語が聞こえてくる。棄皇の声だった。

中「こちら、チョウ・ハン、外、京華院前倉庫で隠れていた華族と思われる男を発見。中に入れてもよいか?」

中「連れてこい。ちょうどいい時間だ。」

中「了解。」

中「遠隔、東の扉を開けてやれ。」

中「了解」

中「チョウ・ハン、聞こえたか。」

中「はい。」

中「神政殿前の扉は合図しろ。遠隔が開ける。」

中「了解。」

 凱さんの手だけの指示の後、皆が素早く出て行き、倉庫の扉は閉められ、暗闇に戻る。

取り残された。

(何やってんだ、俺。)

 自問して答える。

(いいのか、待っているだけで。)

(いいわけない。文香会長に頼まれた。)

(何を?)

(麗香をお願いと、助けなくては。)

(助ける?どうやって?武器も使えず、棄皇のような武術があるわけじゃなく。)

(あぁ、何もない。)

(何もない。)

(だから・・・)

(惜しむものなく捨てられる。)

(何を?)

(俺だって、死は長年の望み。)

(継こそは、柵のない世であなたを愛し守り抜くと誓う。)

 亮は窓枠に手をかけ壁に足を踏ん張った。凱さん達は簡単に登って降りていたけれど、なかなかに難しい。そもそも、軍靴と革靴では靴底の構造が違う。靴が脱げたけれど、どうにか体をねじ入れて落ちるように隣の部屋に着地した。隣の部屋には木製の変わった形の台が多数積まれていた。ヒノキのいい匂いがする。亮は自衛官たちがやっていたと同じように数センチだけそっと扉を開け覗いた。長い廊下が奥へと入り口まで続いて、神政殿側への扉は京華院へと続く廊下の方と、倉庫近くの二つ。体育館の扉のように、両開きの引き戸だった。扉には神皇家の八角一星の紋が大きく彫られている。

 凱さん達は京華院近くの扉の前で、低い体勢で待機していた。

京華院への出入り口の扉が開いて、テロリストに扮した落合さんと小沢さんが、棄皇を真ん中に挟んで入って来る。扉の前で、凱さん達は無言で頷きあった後、棄皇がまた中国語を話し、そして扉を開けて入っていく。中から姿を見られないように扉から離れた位置で待っていた凱さん達は、扉が閉まりきる直前に床に何かを施して、再び待機。

 亮はそっと倉庫から出る。靴が脱げた事が幸いだ。音を立てずに歩けた。それでも幾分も歩かないうちに、凱さんに振り向かれて、首を振られる。亮は立ち止り、後方側の扉の前でしゃがんだ。凱さん達と同じように中の様子に聞き耳を立てるが、何も聞こえない。

 とても静かだった。しかし、ガシャンとガラスの割れる音がして大勢の悲鳴が聞こえてくる。と同時に凱さん達は扉を開けて突入した。

 喧騒が大きくなる。亮も立ち上がり扉を開けようとしたが、こちらの扉はやっぱり開かない。中からドンドンと叩く音と、「開けてくれ」という叫び。凱さん達が入っていた扉から、続々と華族の者たちが逃げて来る。皆、男性は燕尾服で女性はドレスで、その煌びやかさとは反して、動きが皆不自然だった。皆、後ろ手に結ばれているので走りづらそうに、転んでしまう者もいて。

銃声、悲鳴、壊れる音。

亮は唯一中へ入れるその扉へ向かった。しかし、転んだ者に折り重なるようにできる人の山と、フロアからも続々と出て来る華族たちに阻まれて入れない。

 その逃げて来る華族の者の中に、見知った顔をみつける。御田克彦、麗香の結婚相手は、女性を体で庇うようにして出て来た。よかったと思うも、その女性が麗香じゃない事を視認して、亮は怒りに叫ぶ。

「お前!」逃げようとする御田克彦の腕を掴んだ。

「あぁ!?」と怪訝な表情を亮に向ける。

「麗香は!」

「知らねーよ。」と御田克彦は亮を睨みつけて腕を振り払い、京華院の方へと逃げていく。

亮は華族の人たちに押されながら叫んだ。

「麗香!」











集められて座らされた華族達を周回している犯人のうちの一人が、麗香の正面に立ち、麗香の胸を銃先で小突いた。まるで、次はお前だと指定するかのように。抵抗する気が麗香にはない。名を聞きそびれたお爺様が伸ばしてくれた命の時間は30分だけだ。しかし、24年間の人生に感謝するには十分の時間だ。生んでくれたお母様、お父様、そしてお爺様、写真でしか知らないお婆様、母親代わりのようにずっとお世話をしてくれた木村さんに、いつも美味しい食事を作ってくれた源田さん、幼少のころからの友人たち、美月。りの、新田、そして亮。

(名の知らないお爺様、ありがとう。死を受け入れられる30分を頂けた事に感謝します。)

 そうして無抵抗に項垂れているだけの麗香に対して、犯人は遊ぶかのように、銃先で肩を小突き、顎を上げさせ、額を小突いた。体勢が崩れ、名の知らないお爺様が座っていたスペースに倒れこんだ。体を起こす気力もなくそのまま寝転んでいると、別の犯人が回って来て、麗香の腕を掴み起こされた。その時、ヘルメットの中から声がするのを聞いた。どうやら、犯人達はヘルメットの中で会話をしているようだ。しかし、その話す言葉が理解できない。中国語だと気づいたけれど、それが判明した所でどうしようもない。

 また犯人達は華族の周りを、銃口を向けて歩き回る。しばらくして、急に京華院に近い方の廊下への扉がガチャリと音がして開いた。

「開いた・・・。」

「今なら逃げられるんじゃないか。」とわずかに喜んだ華族の者たちを、当然に銃をつついて抑え込む犯人達。

 今更、逃げられるチャンスを見つけたとしても、逃げて生き延びたいという意識が麗香にはなかった。縛られた手や、長時間床に直座りした足は感覚がない。生きる為の手や足を動かす神経伝達が届いていないようだった。

 いや届けなくていいのだ。もうすぐ死ぬのだから。

 外に居た犯人が呼び戻されたのだろうか、黒い服を着た人が3人一列になって入ってくる。

10人だった犯人が13人に増えた。落胆気味に息を吐いた人達がいたが、麗香は絶望の上乗せはなく、ただ事実としてその状況を眺めていた。よく見ると、入ってきた3人の犯人の内の真ん中の人が、後ろ手に銃を突きつけられている。服もテロリストたちの着ているものとは違っていた。犯人ではなく人質で、どこか別の場所にいて見つかってしまったのだろう。かわいそうに、その新たに人質となった人は、これ以上ないぐらいに腰を曲げて怯えている様子だった。

 その3人が麗香の前を通りすぎていく時、人質となった人の髪の隙間から見える顔がこちらに向いた。

(えっ!?)

 麗香は驚いて確認する。双燕新皇様は間違いなくリーダー格の男の前で、座らされている。顔色悪く、頭は床につきそうなぐらいに項垂れている。

 その人質は、縛られているはずの手で、人差し指を口に当て、黙ってと言う仕草を麗香に向けた。

 麗香は、混乱する。

(弥神君?・・・どうしてここに?)

 麗香の同級生だった弥神皇生君は、りのを刺した後、凱兄さんに連れられてどこかで自由自適な生活をしているはず。その場所は麗香に絶対に知らされなかったが、凱兄さんが頻繁に海外に行っている事で、そこは海外だと勝手に想像していた麗香だった。

 弥神君を含む三人は、リーダー格の犯人の前まで行って、立ち止まり、横に並ぶ。

「倉庫デ何ヲシテイタ。」とリーダー格の男が弥神君へ質問した。

 答えない弥神君は、左右の犯人達に銃で押され、そのままリーダー格の男の前で膝をつく。

「残念ダッタナ。見ツカラナケレバ生キレタモノヲ」

「お前の方こそ!」と弥神君は、後ろ手に床を突いて、勢いよくリーダー格の男に両足で蹴りを入れた。後ろによろけた男は銃を発砲する。しかし、弾は天井の照明に当たって、ガラスが降ってくる。悲鳴に叫び狂う華族たち。扉が勢いよく開いて、迷彩服を着た人たちが流れ入ってくる。弥神君を連れてきた犯人達が、犯人達に向って発砲。麗香の近くに立っていたテロリストの体が吹っ飛ぶように後退し、銃を落とした。

 悲鳴。悲鳴、悲鳴。

 誰かが「逃げろ」と叫ぶ。それが競技スタートのように、華族の者達が一斉に立ち上がろうと動いた。手を縛られたままで立ち上がるのは難しい。皆はもがき、身体を揺らし、足を滑らせ、互いに体をぶつける。

 銃声。悲鳴。泣き叫び。

 誰かが覆いかぶさるようにして麗香にぶつかってきて、共に転げる。

 フロアは沢山の色が入り混じって、パニック状態。

(逃げなきゃ・・・)麗香の思考が、やっとそう判断した。

 右足を踏み込むとドレスの裾がヒールに引っかかったままで、ビリリッとレースの裾がから縫い目に沿って破れてしまった。ふくらはぎとシンデレラのガラス靴が露わになる。

(そうだ、克彦さん、克彦さんはどこに?)

 見渡すと、克彦さんはもうドアから出て行くところだった。御影和葉さんと共に。

(置いて行かれた・・・。)

 胸の中を悔しさと惨めさが入交り、ギュッと締め付ける。

(おかしいわ。わかっていた事じゃないの。私もあの人を愛してなかったはずよ。)

 婚約は家の為、称号の為だと割り切っていたはずなのに・・・この胸の痛みは何?

 息苦しい。私は傷ついている?

 何に?

 克彦さんの仕打ちに?

(違う。私は自分の選択に傷ついている。)

 自分の選んだ道が、孤独で手の差し伸べられない道であった事に、気づいて、傷付いている。











 銃声がして凱斗は扉を開けて中に飛び込む。新皇の場所と距離を瞬時に確認。テロリスト扮した落合と小沢は新皇の身柄を保護して、フロア西側の壁際へと後退させている。凱斗は直近に居たテロリストの腹に容赦なく銃で撃ながら進み、衝撃で腰を折って悶えているそのテロリストを銃底で首後ろを叩きつけた。そのままうつぶせで倒れ込んだテロリストの手から銃を奪い取ると、弾切れの銃を捨て交換して凱斗は走った。しかし、パニックになった人質の華族たちが廊下へ出ようとして、凱斗の進路を妨害する。

 棄皇が、御帳台の前で、一人のテロリストに回し蹴りを食らわせている。久瀬が、棄皇の横にいるテロリストをロングショット。テロリストの手は吹き飛ばされて銃を落とす。テロリストに化けた小沢と落合は、双燕新皇を既に確保し場から離れようとしていた。

 棄皇は、ヤン仕込みの武術でテロリストの主犯とみられる者を、床に後ろ手でうつぶせさせ、膝で背中を抑え込んだ。

 その華麗な動きは、アルベール・テラのアンデバサド掃討作戦でナショナルチームの一員だったヤン・ツゥエンリィその者。ヤンとは一度手合わせをする機会があったが、構え方で勝てないと降参した。一見だらしなく、やる気のない構えは、実はどこにも無理なく無駄なく隙がない。適時適所に瞬時に動かせる究極の構えだと分かったからだ。防御力と瞬殺力を高めただけじゃなく、持久力も維持できるヤン独自の武術、ヤン流カンフーとでも名付けようか、その唯一の教え子が棄皇だ。

 潜入が成功し、神政殿内を占拠していたテロリストたちを全員、気絶させるか、銃を奪い拘束し戦闘不能にすることが出来たのは、突入後2分もかからずだった。

 凱斗は逃げ惑う華族をかき分けるようにして、やっと双燕新皇のそばに辿り着く。

「新皇様、大丈夫でございますか?」

「あぁ・・・大丈夫だ。」と力なく青い顔で答える双燕新皇。

「新皇様、我々は皇制政務会の発動により、神皇勅命で双燕新皇様の救出を賜った皇華特殊任務部隊です。私は隊長の柴崎と申します。救援が遅くなり申し訳ございません。」

「あぁ・・柴崎家の。」と新皇は力ない微笑で凱斗を見る。覚えていたようだ。

「落合と小沢は、新皇様を御常殿へお連れしろ。その御帳台の裏から行ける。」

「はい。」

「隊長、扉の制御は?」

「あぁ、そうか。」

 落合と小沢が新皇を御帳台へと連れていくのをついて行きながら、凱斗は無線のスイッチを入れた。

「全隊員、長周派ヘルツ無線の使用を許可する。前島司令機と通信を開線。前島司令。」 

「凱兄さん!」と麗香の声がしたので振り返ると、フロア中央で麗香が久瀬に肩を支えられて立っている。

 凱斗は手を上げて答え、麗香が無事だった事に安堵した。

「双燕新皇を無事保護。神政殿フロア10名の全テロリストを拘束。」

「よくやった。こちらもあと、2分ほどで到着する。」

「黒川君の方はどうなっていますか。御常殿への扉を開けてもらいたいのだけど。」

「今しがた、テロリストの一味と思われるハッカーは、京宮のセキュリティを放棄して逃げたと報告が来た。」

「すべての扉の開閉、自由にできますよ。解除しました。」と黒川君の声が飛び込んでくる。

「了解。」

 通信を切って、新皇の連れ出しを促した後、棄皇の元へと歩み寄った。

 棄皇は、テロリストの主犯が被るヘルメットを脱がしている所だった。

「やはり、李剥。」

中「何故、どういう事だ。お前らは、いったい・・・・」と李剥は凱斗も視認して戸惑う。

中「わからなくて当然、我に出会い敵としたことが、お前の敗北だ。」

中「俺は・・・・そうだ、お前を憎む者を、知る・・・・俺はお前を憎むべき・・・者を・・・・・その眼に。」

 命乞いに混乱しているだけなのか、それとも凱斗の中国語ヒアリングがおぼつかないだけなのか。支離滅裂の言葉に凱斗は首を傾げた。

中「犯人を・・・・暗殺を依頼した者・・・・」

 棄皇は突然、凱斗の腰から予備の短銃を抜き取った。止める間もなく引き金を引かれ、鈍い音がして李剥の額に銃口の穴が開いた。内部で破裂した脳内臓器と血が、後頭部から派手に飛び散る。目を開いたまま仰向けに倒れる李剥。瞳孔の開いた黒目が天を睨んで絶命した。

「なんて事を・・・。」

「真実を語られては困る。」顔色一つ変えず、冷淡に李剥を見下ろす棄皇は、銃を凱斗の胸に押し付け「これで好きに筋書きできるであろう。得意ではないか、お前ら華族は。」

 凱斗は何も反論できず唇を噛む。

 そう、華族はそうして世間の体面を取り計らい、偽の歴史を筋書いてきたのだ。市民の為、華族の為、神皇家の為、すべては国家の安寧の為にと。それが華族の役割だと信じて。

「道元!」との叫びに振り向けば、双燕新皇が死体集まる御帳台の下に駆け戻って来て膝づく。

凱斗は慌ててそちらへ駆け寄った。











 逃げなければと言う意識が無くなった。

破れたドレスから見えるシンデレラの靴。

この靴を探して、迎えにくるのは誰?

視界が暗く狭くなって来た。周りの喧騒が遠ざかっていく。

力が抜けて、身体が揺れ始めた。

 ダメだ・・・・倒れる・・・そうわかっていても、体に力が入らない。

「おっと、大丈夫ですか?」肩を支えてくれる人に振り向けば、迷彩柄の服を着た人。

胸に神皇家のマーク入りのワッペンが付いていて、A・KUZEと刺繍されていた。

「すみません。」

「今すぐ、これを切ります。じっとしていてください。」と後ろ手に縛られていた結束バンドを、ナイフで切ってくれた。

しばらくぶりに自由になった手首は赤黒く凹み、痕がついていた。

「お怪我はありませんか?柴崎麗香さん。」

「えぇありません・・・どうして名前を?」

「自分は柴崎隊長の部下です。陸上自衛隊、皇華特殊任務部隊の。」

(自衛隊・・・あぁ、だから迷彩服なんだ。)と朦朧とする頭が納得する。

「隊長より麗香さんの保護を命じられています。もう大丈夫です。テロリストも全員拘束いたしました。」

(テロリスト・・・そうか、これはテロなんだ。)

テロと聞けば、事の大きさが強調される。

ピッピジッとkuzeさんの身体のどこからか、音がした。

【全隊員、長周派ヘルツ無線の使用を許可する。前島司令機と通信を開線。前島司令】

その声は紛れもなく凱兄さんの声だった。周囲を見渡すと、見覚えのある後ろ姿を見つける。麗香は叫んだ。

「凱兄さんっ!」

麗香の声に振り向いた凱兄さんは、いつもの「よっ麗香」と学園内で会った時のように、手をあげた。その姿があまりにも普通でいつも通りだったから、麗香は涙が出るほどホッとする。

(助かったんだ・・・。)

「あああ、えっと、大丈夫です。もう安心してください。」と麗香の涙に慌てる久瀬さん。

【双燕新皇様を無事保護。神政殿フロア8名の全テロリストを拘束。】

【よくやった。こちらもあと、2分ほどで到着する。】

久瀬さんの体から、そんなやり取りの無線が聞こえて来て、凱兄さんは忙しそうにフロアを歩きながら無線で指示を出している。

【久瀬、二階堂、京華院の会議室の人質の救出に向かえ。】

 了解と答えた久瀬さんは、麗香に敬礼をしながら、「すぐに救護が着ます。ここでお待ちください。」と言ってから、背中に背負った銃をカチャカチャと鳴らしながら出口へと駆けていく。

助けてくれた自衛隊の人とは言え、その銃が麗香にはとてつもなく恐ろしい。

震えだす手を麗香はぎゅっと握った。











 麗香ばかりに世話やいている久瀬、そのままほっといたら、本当にコンパの約束を取り付けそうだ。

『久瀬、二階堂、京華院の会議室の人質の救出に向かえ』

と無線で指示を出しながら、凱斗は泣き崩れる双燕新皇へと駆け寄った。

「皆・・・あぁ道元、すまない。我が不甲斐ないばかりに。」と双燕新皇は死体に触れようとする。

「新皇様、汚れます。死体に触れてはなりません!」

 凱斗がそう言うと、小沢と落合が思い出したように慌てて新皇の手を塞いだ。

 神の子である神皇家の者は、汚れを嫌う。だから人は神事の際に滝業をして身を清める。人の血に触れると神皇家の者は具合を悪くする。皇華隊のメンバーには、その旨も教授していたが、実感できない事にまで対応できないのは致し方ない。

「汚れなどあるものか。」と小沢の手を振りほどく双燕新皇。「皆は・・・我の為に・・・。」

 凱斗も双燕新皇の腕をとり、引き下がらせた。

 死体は全部で7体、ムッとする血なまぐさい匂いが立ち込めていた。

「皆、すまない・・・」と土下座でもするように床に手をついた双燕新皇。

「双燕新皇様の責任ではありません。」凱斗はありきたりの言葉しか発する事が出来なかった。そんな陳腐な言葉で悲痛な思いをなくすことなど出来ないのはわかっていても。

「あぁ、我は・・・皆の者にどう償えば・・・」

 突然、棄皇が泣き崩れる双燕新皇の肩に蹴りをいれて突き飛ばした。予想外の事に凱斗は止める事が出来なかった。

 驚いて見上げる双燕新皇に、棄皇は馬乗りになって首にナイフを当てた。

「そうだ、お前のせいだ、双燕!貴様は神皇家希信の尊厳を成せず、このありよう。」

「やめっ!」と凱斗は棄皇の肩を掴むも、力任せに阻止できない。すればナイフが双燕新皇の首を切りそうだったからだ。

「償う心があるなら、死をもって、受の力を我に渡せ!」

 ナイフを突きつけられた双燕新皇は、棄皇の言葉に唇を噛み、震えた。











 出て来る華族の人波がやっと収まるのと入れ替わるようにして、黒い服装をした人たちが京華院の扉から入って来る。

 一瞬、テロリストの増援かと息を飲んだが、胸に大阪府警とある。

「早く外へ逃げなさい。外に救護の警察がいるから」と亮を押しのけて、警察官達は中央扉の脇に整列してしゃがみ込んだ。

 亮を、まだ残る人質と思っているらしい警察官達の背中に、SATと書かれてあるのを見て、亮は息を飲んだ。

8名のSATの一人が、ワイヤレスマイクを使い小声で話し始める。

【B班配備完了】ジッ【C班配備完了】ジッ

無線が繋がる時のノイズだけがやたら耳障りなくせに明確だ。

【D班配備完了】

「ちょっと待って・・・」

 亮はワイヤレスマイクでやり取りをしているその一隊の隊長らしい人に駆け寄り縋った。しかし、「早く逃げるように。」と無下にあしらわれて、他の隊員達にも腕を取られて後退させられる。

【テロリスト10名は自衛隊特殊任務隊が制圧、神皇扮する危険人物の確認及び射殺。間違うな危険人物は黒一色の服を着ている】

「ちがう!」

『突入!』

 亮の叫びはSATと掛け声と重なって消され、SAT達はフロアへと入っていく。






「あぁ、そうしてくれ。還命・・・我は継嗣に値せず。」

 そう言って項垂れた双燕新皇から、涙があふれ落ちる。

「神皇に相応しいのは・・・」

 その先の言葉は、壊れんばかりの勢いで開けられて入ってくる者たちの音で遮られた。

 いつの間に開いたのか、天窓からもテロリストと同じ手口でロープ降下してくる。南の扉も開けられて続々と入ってくる。

 正式名、特殊急襲部隊、略称SATは、ハイジャックやテロや重要施設占拠等の事件、組織的な犯行や強力な武器が使用されている事件において、事態を鎮圧し被疑者を検挙することを主たる任務とした警察の管轄組織。

 テロリストを拘束し事態を終結した気の緩みがあった。SATが突入しようとしている気配に、凱斗は気づけず、総勢32名のSATに取り囲まれる。

 棄皇はその手からナイフ取り上げられ、羽交い絞めにして双燕新皇から離された。

「やめろっ!」

「やめっ!」

「やめよ!」

 凱斗と棄皇、そして双燕新皇までもが同じ怒号を重ねた。

「くそっ!離せっ!」

 棄皇は必死に悶え転がる。凱斗は止めようと棄皇を抑えるSATの肩に手をかけた。が、背中に銃口を突き付けられ、動きを止めた。

「我々SATの妨害は公務執行妨害にあたる。」

「我々は神皇勅命の皇華隊、妨害はそっちだ!」

 言いながら振り向くと、M・katoと刺繍された胸の階級章の無駄に立派な奴が、凱斗を睨んでいる。年も相応のおそらくSATの隊長だろう。

 周囲を見渡せば、テロリストの服を着た小沢と落合も床に伏せられて銃を突きつけられている。

「そいつはテロリストじゃない、撃つなよ!」

「テロリストじゃない?この場において新皇様の首にナイフを押し付ける者が、テロリストでないわけがない。」

「違う、本当だ!」

「離せ!我を誰だと思っている!我は神皇家の継嗣であるぞ!」

 佐藤隊長は棄皇へ向かうと、その脇腹を蹴り上げた。

「うっ」苦痛に顔を床にうずめた棄皇。

「畏れ多くも双燕新皇様そっくりに顔を整形し、テロを生じて混乱に紛れ、双燕新皇様と入れ替わりを図ろうなど、よくもまぁ恐ろしく大胆な計画を仕組んだな。」

「違う!彼は本当に神皇家の継嗣だっ。」

 叫んだ凱斗にまた銃を突きつけられる。胸の神皇家の紋入りの皇華隊のマークに。

「皇華隊は、こいつに騙されて双燕新皇様を間違えた。」

「違う。そうじゃないんだ。」

「危うく本当の双燕新皇様が殺されるところだったんだぞ!」

「違う!」

「止めよ。還命は、本当に継嗣だ。」と弱弱しい双燕新皇の言葉をSAT達は聞き入れない。

「やはり、にわかに創設された桟歴の隊、テロの制圧は無理であった。」

「何を!お前らはここに入る事も出来なかっただろうがっ。」

「外に無残なテロリスト二人の死体、重罪なテロ犯罪人であっても、あのような制圧の仕方は問責される事案だ。」

「刺殺・・・」

 棄皇が殺ったと悟って、凱斗は何も言えずに歯ぎしりをする。

「上層部より、双燕新皇様そっくりに整形したテロリストは、神皇家乗っ取りを図る重罪危険人物として射殺命令が出ているが、お前たち稚拙な皇華隊と我々SATは違う、重罪なテロ犯罪人であっても殺しはせず拘束し逮捕し、事情聴取によって今後のテロ抑止の」

 隙を見て棄皇は、ヤン仕込みの武術で自分を抑えるSATの人の腕をとり、態勢を入れ替えて素早く立ち上がった。

 ガチャガチャと一斉に構えなおして銃口を棄皇に向けるSAT達。

「撃つな!!」

 凱斗は力限りに叫び、棄皇の前に立ちふさがった。










 怒号で亮は体をこわばらせた。SAT達に続いて入った神政殿内は、もっと沢山のSATが突入していて、棄皇に銃を向けていた。

『鷹取様が、大阪府警のSATに還命新皇の射殺を命じたの。』 

『テロの混乱に乗じて射殺すれば、事故と処理出来て継嗣問題は解決するから・・・』

 棄皇が射殺される。自分が、ここに連れてきてしまったから・・・

「貴様、テロリストの仲間か。そうか、皇華隊など今まで聞いたこともない部隊だと思った。嘘の隊を作り、神皇家を乗っ取るクーデターか!」

「勝手に言っとけ。」

 凱さんが棄皇を守るように立ちふさがる。

「フハハハハハ、それも良いな。できない事もない。カイ、お前には総理大臣の座をくれてやるぞ。」

と大勢のSATに銃を向けられた真ん中で、怯えることなく笑う棄皇。

「何を馬鹿の事を。」

「捕えろっ。」

 SAT達が凱さん達に飛びかかる。凱さんは銃を警棒のようにして、棄皇は武術で格闘するが、人数的に分が悪く、たちまち床に跪かせられる。テロリストに扮していた落合さんと小沢さんも、テロリストと間違えられて取り押さえられている。

 亮は何もできずに立ち尽くし、その状況を傍観するしかなかった。

「この謀叛者がっ。」

 後ろ手に手錠をかけられて身動できない凱さんの顔を殴った、SATの隊長。

「やめてっ」と女性の叫び声、その声は麗香だった。











 また沢山の黒い服の人たちが天井より降りて来て、弥神君を取り囲む。背中にSATと白い文字が書かれてある。知っている、人質監禁事件などの突入を専門にする警察の特別部隊。

 だけど、その警察が弥神君を神皇家の者だと信じず、双燕新皇様の顔そっくりに整形したテロリストだと言って、取り押さえてしまった。その間違いは仕方ない事だけれど、凱兄さんの弁解に誰も全く耳を貸さない。そして凱兄さん達は捕まえられまいと、SATと殴り合いになり、負けてしまう。

 後ろ手に手錠をかけられた凱兄さんに、SATの人は「この謀叛者がっ」と顔を殴った。

「やめてっ!」麗香は思わず叫んだ。

 凱兄さんは口から血を流しながらも、麗香に微笑み首を振る「大丈夫だ」とでも言うように。

 弥神君もまた手錠をかけられようとしていた。しかし、SATの人はその手錠を落とし、そのまま床にひれ伏せるようにうずくまった。

「謀反者は、お前らだ。」そう言って立ち上がった弥神君は、ひれ伏したSATの人の頭を踏みつけた。

 ゴンと額が床に打ち付けられる音がしたが、踏みつけられたSaTの人は抵抗せずそのまま蹲っている。

「な、何?」

「我を押し倒し、銃を向けた事こそ重罪。我は紛れもなく神皇家の継嗣であるぞ。」

 取り囲むSATへ睨む弥神君の左眼が赤く染まる。

「どこまで新皇様のふりをっ、早く手錠をかけろ。」

「愚かな民は、静然の世が神の祈心にあると知らず。」

 弥神君を取り押さえようとしたSAT達が、次々にその手を止めて、力なく床にひれ伏していく。

「な、なんだ・・・これは・・・」

「民の愚弄が、騒然の世を生み出す。」

 ゆっくりと、弥神君は周囲にその赤い目を向けて、歩む。

 銃を向け取り囲んでいたSAT達は次々に、銃を手放し、ひれ伏せる。

 凱兄さんを殴ったSATの人は、その異常な状況に戸惑い後退しながら、まだ銃を弥神君に向けている。

 歩む弥神君の後に、ひれ伏せる人達が連なり出来上がる。

 弥神君の怒りが、麗香の身に浸透してくるようだった。

 その姿は、畏れ多く神々しい。

 麗香の体は震え、立っていられなくなってその場にうずくまる。

「助けて・・・。」

 もう安全であるはずなのに、何故かその言葉が口から出ていた。

 言葉と共に出て行く息は、吸えなくなり、視界が暗く狭くなっていく。









11


「我を蹴ったお前は、許さぬ。」

 神の子は怒る。左眼を赤くして。

 触れようとした者は、その神力に睨まれて、力なくひれ伏す。

 銃を向けていた者は、銃を落とし、力なくひれ伏す。

 歩む後に、ひれ伏せる人が連なる。

 圧倒する存在に、人々はなすすべもない。

「と、止まれ。止まらないと撃つぞ。」

 SATの加藤隊長は、後退りをしながら棄皇に銃口を向けた。

 棄皇を守らなければ、という思考はもうない。

 神の怒りに触れた加藤隊長は、もう助からない。

 そんな場面をこの数年の間に、凱斗は幾度も見て来た。

 加藤隊長は尻もちをついて、握る拳銃の手を震わせた。

「・・・許してくれ・・・」

「人の心意は、無限に卑しく。」

 棄皇は、向けられた銃にひるむことなく、

「神の神意は、無慈悲に単純だ。」

 加藤隊長に迫り、その赤い目を押し向けた。

「死して、滅べ。」










 頭に響く棄皇の声、それは神の啓示。

 痛く、苦しい、罰。

 神は罪を犯す者を許しはしない。

 自分は華族を壊そうとし、麗香を傷つけた。

 殺されると知っていたのに、神の子をここに連れて来た

 身勝手な望みを叶える為に、神の子の力を利用した。

 亮は床に手と膝をついた。

 どんなに頭を下げても、

 罪を犯す者を、神は、許しはしない。

 もう誰も立ってはいない、「神」以外は。

 人々がひれ伏す中を、

 歩む棄皇が、

 神々しく、恐ろしい。

 人々が神を前にして、頭を上げられないのは、

 醜く、腹黒いから。

 それを神は見据えるから。











「やめよ」

 静かな、閑な、鎮かな、声。

 優しく、安らぐ、穏やかなる声。

 その声は、荒ぶる空気を沈めた。

 棄皇の体を後ろから包むように抱く、

 同じ顔の双燕新皇。

「許せ、還命。」

「止めろ・・・。」

「人の祈心は神の尊厳、我らは祈心なくして存在ならぬ者。」

「離せ、双燕っ」

 ヤン仕込みの武術がありながら、何故か抗う事が出来ない棄皇。

「許せ、還命・・・そして許そう、その想いを。」

「そ、双燕・・・」

「慈悲にすべてを受け入れよう。」

「嫌だ・・・。」

「許せ、還命。」

「うぁぁぁぁぁぁアァァァアァァ」

 棄皇の絶叫が、神殿の空気を震わせた。

 それは神の呻き、嘆き。

 凱斗は願う。

 いつか、裁きを受けて、死ねる時を。











 その絶叫は、神の呻吟。

 怒り、哀しみ、恨み、痛み、妬み、羨み、苦しみ、

 悔しさ、失望、絶望の、

 すべての悲痛が亮の中に浸透して渦巻く。

 渦巻いた感情は石のように重く、震えるほど冷たく、刺すほどに痛い

 自分は知っている、この想いを。

 これは、寂しさだ。

 泣いている、棄皇が。

 泣いていた、自分が。

 涙が床に溜まる。

 溜まった涙は揺れ乱れ、映し出す。

 寂しさに打ちひしがれる顔を。

 手を伸ばし、床の目地に爪を立てる。

 数メートル程の距離が果てしなく、もどかしい。

 麗香は倒れたまま、ピクリとも動かない。

 助けてくれ、麗香・・・

 いつも麗香が、この痛みを和らげてくれる。

 違う、俺が助けなければならないのだ。

 そう、だからここに来た、

 助ける為に。

 誰を?

 麗香を、

 誰を?

 泣く者を

 誰を?

 自分を

 誰を

 棄皇を

 神の子は

 誰よりも寂しい。

 場にいる全員が、無声で泣いていた。

 静かに・・・閑に。

 伸ばした手がやっと麗香に辿り着いた。

 肩を引き寄せ仰向けに転がす。

 血の気のない白い顔。触れた頬が冷たかった。

 あんたの手は冷たいのよ。と教えてくれた亮の手の方が暖かく感じるほどに。

「そんな・・・。」

 しっかりと引き寄せ顔を近寄せる。息は微かにある。

 麗香が拘ったドレスの裾は、無残に千切られて破れてしまっていた。

シンデレラのガラスの靴が、無駄に煌めいていた。

「麗香、しっかりしろ。すぐに病院へ運ぶからな。」

 亮はスーツの上着を脱ぎ、麗香の寒そうな肩に巻きつけた。

 抱きあげようと膝裏に手を滑りこませると、ねばりつく冷たい感触が手につく。

 引き出して見た亮の手は、赤く染まっていた。

「う、嘘・・・だろ・・・」

 ドレスの裾をめくり確認する。

 それは内側の太ももから流れ出てきていた。

「だれか・・・・早く・・・・早く救急車を!」











 声なき涙に、神政殿内は静まった。

二人の新皇をはじめ、SATや凱斗と皇華隊、意識のあるテロリストも、神政殿内にいた全員が、うな垂れて静かに涙を流す光景は、異様だったが、神秘的な安堵が生まれていた。

 しばらくの後、前島さん達の後発部隊が到着し、やっと現場は現実を取り戻す。前島さんの指揮の下、沢山の警察と共に京宮内と外の始末は、迅速に行われていく。

 京華院の会議室に監禁されていた信夫理事長たち14人の人質は、テロリスト達に睡眠ガスで眠らされていて、その部屋を監視していたテロリスト二人も速やかに拘束され、眠らされていた人質たちはそのまま病院へと運ばれた。

 気を失って倒れた麗香が、実は妊娠していた事を知る。血で汚れたドレスの意味を、凱斗は奥歯をかみしめて受け止めた。

 藤木君が麗香に付き添って救急車に乗っていくのを見送り、耳障りに飛び交う無線のスイッチを切った。

大きく冷気を吸い込む。

冬枯れの庭園は夕日に染まり、御池が茜色に輝いていた。

ヘリの偽装墜落の為に爆破炎上させた場所は、もう鎮火して煙も立っていない。

御池の縁を北山に向かって歩み行く棄皇をみつける。

後を追い歩きはじめた凱斗の足元に、乾ききった落ち葉が落ちてくる。

拒まれているのか?

そうだとしても、凱斗は棄皇を一人にしてはおけない。

北山の麓に差し掛かり、地面は傾斜してくる。

冷たい風が山から下りてきて、凱斗の顔を撫でていく。涙が伝った頬が強張った。歩きながら凱斗はそれを腕で拭ったが、何度拭っても違和感は頬に刻まれて取れなかった。

棄皇の姿が時々、樹々の合間に消えかかる。亮はその都度、歩調を速めた。

足音も足跡も残さず歩む棄皇。その歩き方と吐く息を限りなく無くす作法を教えたのは凱斗だ。護身術として棄皇に教えたつもりだったが、棄皇はそれを会得すれば尚、無茶に危険に飛び込んでいくようになった。今では凱斗よりも、精彩に強い。

凱斗は7年前の事を思い出しながら傾斜の強くなった北山を登る。

ここよりも、もっと荒ぶる人の立ち入らない山奥で丸5日を彷徨い、崖から落ち、川に流され、意識のない状態で見つかった棄皇。りのちゃんを刺した断罪と更生目的で、中国での粗末な生活を強いた生活に嫌気がさして逃げた結果、山で遭難した結果になった。いわば凱斗の稚拙な感情がもたらした事に、棄皇は言った。

『我は神の子神皇家の血を引く者ぞ、ただ民に翻弄される命運は持たず。貴様のその思想は烏滸がましい。』

 その言葉に凱斗の心は救われた。罪の意識が軽くなった。今思えば、力を使われていたのかもしれないが、その後、棄皇は自分の意思でヤンの家に戻り修業し、世界で一番難しいと言われる中国語も会得した。今は、レニー・グランド佐竹の部下として、香港の裏社会に棄皇の存在はあり、一部で畏れられている。

空気が一層、刺すように冷たくなった。人が入ってはいけない神の領域に近いと感じる。

突如と現れる大きな岩肌、そして開いた洞窟。

前を歩く棄皇は、やっと足を止めてその岩の頂を見上げた。

太古の昔、大地の隆起に転がり、衝突して力を留めたであろう大きな岩が二つ、重ね会うように埋まっている。

子供の頃に記憶した日本神話の絵本が、勝手に脳内で開いた。


  姉であるアマテラスオオミカミに逢いに行く事にしたスサノオノミコトは、 

  足で大地を蹴りました。荒ぶる神のスサノオのミコト、

  その力は何をせずしても、歩むだけで大地を揺らすほどに強く、

  手を振るだけで暴風を巻き起こします。

  逢いにくるなど知らなかった姉のアマテラスオオミカミは、

  スサオノの動作で吹き荒れ大地揺さぶる状況に驚き慌てます。

  そして、宮殿の者たちにに言いました。

  「スサノオノミコトは、平和で豊かな我の地を奪いに来たのだ。

   皆の者、武器を持ち、鎧を装い、

   スサノオのミコトの襲撃に立ち向かうのじゃ」と、

  もちろんスサノオノミコトは襲撃にいったのではありません。

  母の国に帰る報告と留守にする挨拶をしに姉に逢いに来たのでした。

  襲撃などしない、思った事もない、言いがかりい事だと言い正しても、

  アマテラスオオミカミの宮殿の者達は聞き入れず、

  酷いもてなしを施しました。傷付き、怒ったスノオノミコトは暴挙に出ます。

  宮殿を破壊したり、宮殿の者達を困らせました。

  スサオノノミコトの暴挙は自分の誤解が原因で招いているので、

  アマテラスオオミカミはスサノオノの暴挙を咎める事が出来ません。

  それでも宮殿の者達から毎日のように苦情が上がってくる。

  困りはてたアマテラスオオミカミは失望の末に、岩戸に隠れてしまいます。

  天照す光が無くなった世は、闇に閉ざされ、花や木は枯れてしまいます。

  困った人々は引き籠ったアマテラスオオミカミが

  岩戸より出てくれる方法を相談しました。

  花や木が枯れた闇の世界で、人々は唄い、舞い踊りました。

  岩戸に隠れたアマテラスオオミカミをどうにかして気を引こうと考えたのです。

  暗闇に足元が見えずに小石に躓き転ぶ踊り子を人々は一斉に笑いました。

  その笑い声が岩戸中にまで聞こえてアマテラスオオミカミは訝しみます。

  「外は暗闇の世界なのに、何故賑やかに笑う声がするのだろうか」と。

  アマテラスオオミカミは岩戸を少し開けて顔をのぞかせます。

  そして人々に尋ねます。

  「自分が岩戸に籠って闇になっているのに、

    何故、あなた達は楽し気に唄い笑っているのか?」

  「あなた様より尊い髪が現れ、我々は喜んで歌い待っているのです。」

   そうしてアマテラスオオミカミの前に八咫鏡を突き付けました。

   自分と瓜二つの同じ顔がそこにあります。

  「これが自分より尊い神?」

   不思議に思い、良く見ようと岩戸より身体を出でると、

   人々は岩戸の扉をぴしゃりと閉め、しめ縄で封印し、

  「もうこれより中に入らないでくださいと」と言いました。

   岩戸からアマテラスオオミカミが出ると、

   闇に閉ざされた世は明るく光あふれ、木や花は咲く元の世界に戻りました。


 挿絵の場所が白く記憶から抜け落ちた不完全な絵本が、脳内で閉じる。裏表紙には、今はない出版社とISBNナンバーとバーコードナンバー、当時の価格が記されていて。その本は記憶の書庫の奥深くに仕舞われた。


 棄皇はゆっくりと閑に、岩戸へと入っていく。追って、凱斗も足を踏み入れた。

 西に傾いた太陽の光が、洞窟の内を照らしていて、岩壁は染み出た水で濡れ、黒光りしていた。

 どこかから落ちる水音が、静けさを強調する。

 さほど深くはない洞窟の奥どまりに、小さな祠があった。湿気て茶色く変色した木製の祠。その前の台座には小さ御猪口が置かれていて、台座ごと苔むしている。祠の扉は閉じられていて、何時の時代に書かれたかわからないほどに薄くなった墨字の中に、「還」と「命」の文字を見つけた。

 凱斗は、ここが過誤に生まれた神皇家の子を、天に還す場所だと理解した。

 棄皇は祠の前で、立ち止まる。

 24年前、棄皇はここに一度、棄てられた。白い産着1枚を纏いた小さな命は、この乾く事のない冷たい地の上に置かれた。

 弥神道元の慈悲により、天に還される事のなく命拾いした棄皇。

 それは、誰が望んだ命運だったのだろうか。

 赤子救った弥神道元か。

 生きたいと泣いた神の子か。

 生かした神か。

 長く永く、棄皇はその祠の前で佇む。

 太陽が地に沈み、夜が洞窟に漂い入り、棄皇の姿が次第に見えなくなる時になり、やっと動いた。

 腰から抜き取ったナイフが、太陽の残光をとらえ、閃いて落ちる。

 苔むした御猪口を貫いて、木製の台座にまっすぐ突き刺さったナイフ。

 二つに割れた御猪口は、高い音を響かせて転がった。

 突き刺さったナイフを握ったまま動かない棄皇の姿が、闇に取り込まれる。

 闇を司る荒ぶれし神、スサノオノミコトは、ただその力が強いと言うだけで誤解され、アマテラスオオミカミの所業をも呵責され追放される。

 神すらも繰り返す過ち。

 故郷に戻って来ただけで、銃を向けられた棄皇は、スサノオノミコトの化身か。

 神は無慈悲だ。 忘れゆく愚かな民を救いはしない。

 閑に立ち上がり、祠に背を向けた棄皇の目は、まだ赤い光が宿る。

「帰るぞ。」

「はい。」

 帰る場所、それは、この国ではない。

 岩戸に隠れたアマテラスオオミカミは、自身が太陽神であるがゆえに、闇に閉ざされた洞窟でも光は要らず、

 神の国を追放されたスサノオノミコトは、自身が闇の神の子であるがゆえに、闇迫る世でも光は要らず、

 闇を恐れ、光を必要とするのは愚弄の民。

 闇を恐れ、神をも騙して光を手に入れたのも愚弄の民。

 

 長い一日がやっと終わる。



















  12


 全ての物が大きくて、迫ってくるようだった。

 小さな麗香は、それらが恐ろしい。

 怖い、怖いよ。

 泣いて助けを求める。

 おとうたま。

 おかあたま。

 小さな麗香の声は、部屋の大きさに潰され消えていく。

 伸ばしたドアノブに麗香の小さな手は、届かない。

 おとうたま、

 おかあたま、

 助けて

 ドアを叩く。

 小さな麗香の手はドアに音も奏でられない。

 かいにいたん、

 助けて

 扉が開いた。

 眩しく光るその世界に

 小さな麗香は手を精一杯伸ばす。

 抱き上げられる

 大丈夫。

 怖くないよ。

 もう大丈夫だから

 泣かないで。

 側にいるから、

 だから、ゆっくりお休み。

 小さな麗香は、胸に顔をうずめる

 聞こえる鼓動。

 不安を消す匂い。

 涙で濡れた麗香の頬をなでられる。

 泣いて火照った顔に

 その冷たい手は気持ちいい。

 涙が止まる温度。

 あぁ…私はこの手を知っている。

 この冷たい手と、

「もう、大丈夫」

 安堵するその声。












 プレハブ小屋タイプの事務所のガラス扉を押し開けて外に出ると、湿気を含んだ強い海風が、手からもぎ取るようにして扉が勢いよく閉まった。 凱斗は「俺のじゃない」と訴えの表情を事務所内へと向けると、そんなのはよくある事とでも言いたげに、申し訳なさげな苦笑で頭を下げられた。

 事務所の広さに反してやたらでかい時計は、外からも良く見える。

 8時48分。

 凱斗は、陸上自衛隊第3師団のどこぞの駐屯地からの応援部隊が乗って来ていたワゴン車を、皇華隊特権で奪い、棄皇を乗せてここ舞鶴港まで走らせた。海からの湿気があるからか、北山の奥地の洞窟よりも寒さは感じない。

 事務所脇に止めたワゴン車に戻り外から覗くと、棄皇の姿は車内になかった。周囲を見回す。数十メートル先の防波堤に人型の黒いシルエットを見つけた。それに向かって歩きがら、嫌でも入ってくる大きな貨物船の船名を無感情に見上げた。

【レニー・ライン・コンテナシッピング】

 ここ舞鶴港は、地方活性化を目指し、市がレニーと手を結んで国際貨物入船権を取得して、物流量を増やした貨物航路港だ。

 目の前に停泊しているコンテナ船が、本日この港での最後の出港船である。積荷作業はすでに終わっているのだろう、周囲の倉庫群もシャッターが下ろされて、人の気配は無かった。

 棄皇は舫を繋いでおくビットに腰掛け、コンテナ船の船尾の向こうに広がる黒い海を見ていた。いつもは一つ括りにしている髪が解かれ風に靡く後ろ姿は、女のように華奢だ。

 凱斗が近寄っても、棄皇は身動ぎせず海を見続ける。北山の洞窟出てから棄皇は一度も言葉を発していない。車に乗り込むと直ぐに腕と足を組み、目を瞑った棄皇。息づかいすらもなく眠ったのかと思うほど閑で、舞鶴港に着いたことを告げても、棄皇は目を開けることなく身動き一つしなかった。

 凱斗は棄皇の表情を確認したく、さらに近づいて横並び顔を覗いた。左眼は海と同じ漆黒の色に戻っている。

「あまり目を覗くな。まだ不安定だ。」そういった通り、眼は一瞬赤く揺らいだように見えた。

 赤い眼の内は、力の作用が残る。黒目に戻りにくいのは、それだけ強く力を使い過ぎた時である事を凱斗は知っている。

「9時30分の出港です。申し訳ございません。このような船しかご用意できず。」

「構わぬ。」と微笑し、靡く髪を抑えた棄皇。

コンテナ船に乗って国外へ出るなど密航者のようだ。こんな事をしなくても空港が再開されるまで、大阪の帝国領華ホテルで棄皇を匿えばよかったのだ。それなのに、何故か凱斗は逸る気持ちで車を奪い、ここまでノンストップで走らせてきた。赤い眼の力でそう仕向けられていたと、気づく。

「やられていましたか・・・」

「増々かかりが薄くなるな、お前は。やり難い。」

 凱斗は顔をゆがませて首の後ろをかいた。自分は棄皇の左目の術がかかりにくいらしい。棄皇の左眼による力の洗脳の作用は、かける相手が持つ言語に影響すると聞いた。凱斗の脳内は英語と日本語半々で思考しているらしく、かかりにくいのだと言う。

世界中の言語を習得すると、世界中の人を操れる事になる理論だが、今のところ、日本語と標準中国語でしかできず。その中国語も最近になってやっとできるようになったとかで、世界征服は簡単じゃない。

波打つ音、船の軋む音、どこかにいる鳥の鳴き声、船の汽笛、港は雑多な音がひっきりなしに飛び交い、うるさい。

「李剥は、何故このようなテロを起こしたのでしょうか?」

 答えを待たず、凱斗は続いて自分の考えを話した。

「レニー・グランド佐竹の側近として幾度もの暗殺を阻止した還命様が注視されるようになり、邪魔になった。それで還命様の事を調べた結果、日本の神皇家の双燕新皇を還命様だと勘違いし、逆恨みし、更に神皇家が香港裏社会に侵略してきていると危ぶんだ。過去の大戦の、大陸侵略の歴史を繰り返していると、その証拠も合わせて祖歴の開示を求め、神皇家と日本国の失墜を狙った。真相はそんな所だと考えますが、何かがしっくりこない。李剥が自らテロの実行犯としてあの場に居た事が特に、違和感があります。」

 もう死んでしまった者に、その真意は聞けない。

「・・・我が、仕掛けた。」

「えっ?」

「1年前、我は李剥を取り逃がしたのではなく、逃がしたのだ、術をかけて。」

 棄皇は、ゆっくりと凱斗に顔を向けた。うそぶいている表情ではなかった。

棄皇は今、レニー・ライン・アジア大陸支部の代表であるレニー・グラント・佐竹専属の警護及び諜報員として活動している。約3年前、李秀卿が大陸支部の代表で佐竹はまだ副代表だった時、凱斗の知らない間に棄皇は自ら佐竹の元へ行き、実力を認めさせたのだ。

レニー・ライン・カンパニーという企業は、表も裏もその流通網を世界中に馳せる。大陸支部制で大陸ごとに代表が居て、その代表は手腕と実績の成果評価による完全な実力選出だ。しかし、アジア大陸だけはその流れから外れる。かつてアジアの、主に中国を網羅していた大連流通と言う組織の流通網を取り込む代わりに、レニーの世界統括本部はアジアの人事には介入しない事を約束させた為である。この世界本部が介入しないがゆえに、アジア大陸支部は、元大連流通の創業一族である李家の者が代表及び幹部に就き、牛耳っていた。表向きは世界のレニーであるが、中身は大連流通と何ら変わりない。レニー・グランド・佐竹は、巧妙な戦略でもって、退く李秀卿の後、アジアの代表に就いた。李家一族は裏社会を牛耳る黒龍会にも複雑に入り込んでいる。その為、何かと李家一族と(特に、李 剥)因縁のある佐竹は、黒龍会から命を狙われることなった。暗殺まがいに殺されかける佐竹を、何度も未然に防いだ棄皇は、佐竹の信頼を得て、今ではレニー・ライン・カンパニーの諜報部に籍を置く。

「李剥が、南京の女の家に潜伏していると、麻薬の密売ブローカーから得た。」

 当時、レニー・グランド・佐竹を守る凱斗達は、防戦一手を止め、李剥をつぶす策に出て動向を追っていた。

「ええ、あの密売ブローカーを見つけ出すのにも苦労しました。還命様はすぐに女の家へ、ですが、李剥は逃げた後で・・・」

 その後、何故か李剥の動向はさっはり掴めなくなった。

「あの報告は、嘘だったのですか?」

 棄皇は肯定も否定もせず、また海へと顔を向け語る。

「頭目の元に就き1年になる頃から、頭目ではなく、我の命を狙って来る者が紛れるようになった。頭目の警備を潰す為の黒龍会の戦略なのだと思ったが、どうも様子がおかしかった。黒龍会の息のかからない者がいて、誰が依頼元なのか辿る事が出来なかった。」

「どうしてそれをっ今まで黙っていたのです!命を狙われていると!」思わず声を荒げた、そんな凱斗に一瞥した棄皇は、ウザがるようにため息を吐いてつぶやく。

「言えば、お前は我を囲うだろう。」

「もちろんです。」

「それでは、真の解決に到らない。」

「そうですが、そんな危険な事を黙っているなんて・・・。」

「我は、誰が我の死を望んでいるのかを知るために、李剥に、依頼した者を探し出し我の前に連れてこいと、術をかけ逃がした。」

 命乞いに混乱した李剥の、意味不明な言葉が判明する。

「しかし、一年経てども李剥は我の元に帰せず、失敗したのだと思っていた。」

 中国語でも左目の力で人を操れるようになったと知った時、凱斗は自分の責任を重く感じた。日本だけじゃなく中国にまで馳せる荒神を育てしまった責任は、もう凱斗では償いきれないほど大きい。

「だが微力ながらも術はかかっていた。術は変容してしまったようだが。」

 だから棄皇は、何としても京都へ来たかったのだ。SATに狙われ危険だとわかっていても、李剥に仕掛けた術の後始末をつける為に。

「鷹取の望みだったとはな。」

 凱斗は何も言えず、拳を握り締めた。

 棄皇は閑に立ち上がる。海風が髪を吹き上げ、乱れ荒れる。それは棄皇の心を表しているようだった。

「7人の死、その代償は、大きいか、小さいか。」

 お前はどう思う?と凱斗に求めるように振りかえり、見つめられる。

 その問いに、凱斗は即座に答える事が出来ない。

 殺された華族の者は、祖歴開示を拒んだ代償によって殺された。絶対的に開示してはならない過ちの歴史、それをすれば世界的に問責されるだろう。世界から国を守ったと思えば、7人の死は小さな犠牲だ。

 だが、李剥の個人的恨みに便乗して施した、棄皇の左目の術の失敗が招いたとするなら・・・ 大きい犠牲、と言い難くて凱斗は唇を噛む。

 そもそも、李剥に左目の術を施す要因となったのは、神皇家の継嗣問題を安易に解決しようと非道に走った鷹取の謀反だ。

 棄皇が神皇家の継嗣であり、神の子に盾突いた代償とするならば、7人の犠牲は小さい・・・のだろうか。

 わからない。

「還命様・・・。」

「もうよい、敬服を解け。」

「・・・私は、命の真価を答えられるような見識を持ちません。」

 不安定な棄皇の左目が、また一瞬だけ赤く揺らいだ気がした。

「敬服を解けと言ったぞ。いつも通りの話し方に戻せ。」

「あ~、んー。」と首の後ろを掻いた凱斗を見て、ぷっとその硬い表情を緩ませた棄皇。

「カイ、我は感謝している。お前は、古に縛られたこの国から、我を脱してくれた。」

その微笑みが久しいと感じる。

「我はこんな小さな国より、世界がずっと広く、大きな力がある事を知った。」

「俺は7年前・・・」何かを諭す為にこの国から脱したわけじゃない。

ただ、すべての横暴ぶりに怒っていた。りのちゃんを刺した事、誰もその暴挙に叱らず、事を隠蔽しようしていた事、何よりも、それらの事に加担しかできない自分に怒っていた。そんな怒りに納得させたくて、言語取得の難しい中国に棄皇を送りこんだのだ。

「わかっている。」

 全て御見通しだった。だからすべてを受け入れ、自ら過酷な状況に追い込み、自他ともに服罪とした棄皇。

 改めて許され、泣きそうになる。

「すべて、真実のまま鷹取に報告しろ。」

 棄皇は凱斗から海へと体を向け、乱れ暴れる髪をかき上げて押さえる。

「テロの主犯がレニーの元幹部の李剥であった事も、我の今ある立場もすべて。」

「いいのか?」

「構わぬ。鷹取に丸投げしろ。お前が悩む事はない。」

「しかし・・・。」

「世界のレニーだ。テロ加担の捜査で減退するほど柔じゃない。頭目には我から説明しておく。」

 頭目とはレニー・グランド・佐竹の事、中国語で親分の意味する単語。まだレニーに籍を置く前から使っていた名残の呼称だ。

「鷹取にも代償を払ってもらおうじゃないか。世界のレニーを相手に出来るか見ものだな。」

 鷹取がレニーを追及すれば、結局、凱斗がレニーとのパイプ役となり、鷹取の尻拭いを強いられる事になる。それを一瞬で創考して、凱斗はうんざりした。

「結局、丸投げしても俺は苦心する羽目に。」

「あはははは、そうだな。」

 腰を折って笑う棄皇を愛おしく感じた。

 生まれ背負ったものが無ければ、まだ、守らなければならない子供なのだ。













 もうすぐ夜が明ける。明けない夜はない。誰かがそんなフレーズの歌を歌っていた。音階もリズムも何一つ思い出せないが、使い古されたフレーズだけが思い出される。使い古され過ぎて、もう誰の心にも響かなくなった言葉だ。

 亮は思う。まるで、明日への期待に満ちた言葉だが、明けて迎えた朝が、必ずしも見通し明るい朝とは限らない。

 頭家会議の最中に人質として捕らわれていた信夫理事長達14名も、速やかに助けられ、京都府内の警察病院へと運ばれた。テロリスト達は会議室に睡眠ガスを撒いて全員を眠らせて、監視の人数を少数にしていた。身体に害のない睡眠ガスだったから、ガスが抜ければよく、即退院ができた。信夫理事長達14名はテロの惨状を知る由もなく、警察の事情聴取も簡単に終わったと連絡があったのは30前。麗香だけは、府内の総合病院に運ばれた。信夫理事長達が運ばれた警察病院には婦人科はあっても産婦人科がなかったためである。麗香は堕胎処置をされた。

 電話口の信夫理事長は、しきりに麗香の容態を心配して亮に聞いてきたが、亮の口から堕胎処置をしたなど言えるはずもなく。今は安静にぐっすりとお休みですとしか言えなかった。

 午前5時48分。

 タバコが吸いたかったが、もうすぐ凱さんが信夫理事長を連れてここに来る事になっている。

亮は眠る麗香の顔を見つめる。血の気が無く白かった顔も、ようやくマシになって来た。寝息も安定している。

 夜中にうなされて彷徨った手も、体温が戻り温かくなってきていた。その手をそっと外して、かけ布団の中へ置いた。

 小さくコンコンとドアをノックする音に振り向く。足音を極力出さない様にドアまで歩き、更に音を立てない様にゆっくりとドアをあけた。信夫理事長と凱さんが険しい表情で立っていた。

「藤木君、すまないね。」

「いえ。」

「麗香は?」

「お休みです。」

 亮はドアの前から体をずらして二人の入室を促す。信夫理事長は苦悶の表情のまま頷いてから部屋に入り麗香の元へ進む。

 凱さんも続いて入り、亮の肩を二回叩いた。励ましなのだろうけれど、その本心は、増々色濃くなった哀しみが重く、励ましにもならない。二人が麗香の様子を伺う姿を、亮はドアのそばで待機する。

 凱さんは、防弾ベストや銃装備を外してはいるが、まだ自衛隊の迷彩服だった。京宮御所は後始末や現場検証などがまだ続いていていることだろう。凱さんはおそらく一睡もしていないはず。だけど、その足取りや表情からは疲れた様子が微塵も見えなかった。

 眠る麗香の頬を撫でてから離れた理事長は、亮の方へと戻って来て、重苦しい息を吐きだすように話す。

「藤木君、君は、その・・・麗香の妊娠を・・・」知っていたのか?までは言えず目を伏せた理事長。

「はい、文香会長より、昨日の緊急招集令の時に知りました。自分の変わりに、麗香をお願いと賜りまして。」

「あぁ、そう。文香が。」

「これを預かりました。任に添えられず申し訳ございませんでした。」

 文香会長より預かった華族称号証とバッチを信夫理事長に返した。パスケースはさほど重くないのに、肩にかかる重みが軽くなったように感じる。

「いや、君は良くやってくれた。麗香だけじゃなく、還命新皇様の事も・・・。本当に、巻きこんで申し訳なかった。その・・・還命新皇様の事は・・・」

 またもや緘口を強要せざるえない窮地に、切迫する本心が読めた。

「理解しております、緘口することは。」

「そ、そう。ありがとう。」

「藤木君、医師は何て言ってた?」凱さんが俺と理事長との気まずくなった空気を変えんばかりに口をはさむ。

「私は詳しい事は何も・・・先ほど看護師に、身内の者がもうすぐ来る事を伝えましたが、もうすぐ夜勤スタッフの交代、申し送りの時間帯ですので、それが終わるまで待ってほしいとのことでした。」

「そうか。」理事長が腕時計を見ながらつぶやく。

「あと、どれぐらいで医師が来れるか、聞いてきましょうか?」

「んー、いや、いいよ、待とう。とりあえず麗香の顔を見て安心したよ。」

 その医師の説明後も、安心と言えるだろうか?

 理事長が部屋の隅に設置されている小さな応接セットの粗末なソファに座ると、ビニール張りの椅子が思いのほか耳障りな音をたてて部屋に響かせた。その音が麗香の睡眠を邪魔させ、それまで規則正しい寝息だったのが、うーんと唸り、身体を動かした。

「麗香!」座ったばかりの腰を浮かせる理事長。

「大丈夫か!」

麗香が目を覚ます。

「・・・お父様。」

「麗香、どうだ?気分は?どこか痛い所あるか?」

 矢継ぎ早に理事長が質問をし、戸惑う麗香。

「凱兄さん・・・。」

 状況が呑み込めない麗香に、凱さんがとびきりの微笑みを向ける。

「もう大丈夫だよ、ここは病院だからね。」

「病院・・・。」

「そう、もう、安心して、すべてが終わったから。」

 すべてが終わった・・・子に恵まれにくくなりつつある華族にとって、妊娠は希望だったはずだ。しかし、華族の称号存続に加えて、柴崎家の跡取り問題も、すべてが酷薄の状況で終わってしまった。

 亮は音を立てない様に、病室のドアを少しだけ開けて抜け出すように廊下を出た。

 常夜灯と非常口だけが灯す廊下はまだ薄暗い、けれど確実に明ける空の気配に、人の動作音が周囲から起こっていた。中央エレベーターのある方へと向かった。エレベーターのすぐわきにナースステーションがある。薄暗かった廊下に刺しこぼれてくる明かりがまぶしい。カウンター越しに奥へのスタッフに声かける。大きなバインダーに何かを書き綴っていたペンを止めて、亮の方へと来てくれた。

「508の柴崎麗香の付き添いの者です。彼女の父親が到着しました。担当医の先生の時間が取れるようでしたら、処置の詳細と経過を説明していただけないでしょうか。夜間の看護師さんにも、それをお願いしていたのですが。」

「508の柴崎麗香さんですね。えぇ、聞いています。そうですね・・・。」看護師は時計を見ながら、思考をめぐらすと「今、病室にお父様がいらっしているのですね?」と聞いてくる。

「はい。それと麗香が目を覚ましました。」

「そうですか、わかりました。担当医に連絡をとり、部屋へ伺うようにします。」

「お願いします。」

 ナースステーション前を横に離れ、また薄闇のエレベーターホール前に行く。エレベーターは凱さん達が乗り降りたままで、その階に停まっていた。エレベーター内の明るさが拷問的な凶器に感じた。金属で仕切られたボックスの狭さが亮を圧迫する。

(このまま、ワイヤーが切れて落ちればいいのに。)

 1階に到着し開いた扉の先の薄暗さにほっと息を吐く。ロビーの方へと足を向け、大きな柱にフロア案内の売店への方角へと示されている矢印を辿る。ロビー奥の曲がった矢印に誘われるように壁伝いに曲がると、シャッターが閉められている1区画が現れた。店の営業時間は9時から7時とシャッターに直接書かれている。売店の向かいに自販機が3台立ち並び、その奥に銀行ATMの機械が佇んでいた。亮は思い出す。金が財布に入っていないことを。50万ほど降ろして財布に突っ込んだ。そのATMの奥に、グレイ色のスモークガラスで仕切られた部屋が見えた。ガラス扉には白い文字で、喫煙室と記されている。自販機を探して降りてきて、いい場所を見つけるとは、場所柄タバコなんて吸えないと諦めていたのだ。

しかし、喫煙所は暗く当然のことながら誰もいない。もしかして喫煙所も売店と同じく利用時間が定められていて今は使用できないのかと思ったが、ダメもとで扉のセンサー式自動扉に手を当てると、扉は開き、同時に中の照明がやんわりと灯った。部屋内の自販機も省エネモード運転から通常運転に切り替わり、モーター音が高鳴る。タバコの自販機とカップ式の飲み物の自販機がそれぞれ2台ずつ並び、中央にはうす水色の楕円のカウンターテーブルが設置され、その両サイドに腰かけ程度に身体を預けられる丸太の様なスタンド椅子があった。

禁煙分煙を叫ばれて、たばこ産業が業績を落としている昨今、病院と言う場所に喫煙所があること自体も珍しいが、喫煙所の広さとテーブルと天井に設置された硝煙装置の豪華さに驚く。この病院の理事長か院長のどちらかがヘビースモーカーなのだろう。

 亮はスーツの内ポケットから煙草とジッポライターを取り出す。タバコはセロファンに包まれた外ケースが押しつぶされて、中に入っていた3本のタバコもわずかに折れて皺になっていた。吸えない事もないが、鮮度が失われている感じがして、箱ごと握りつぶしてゴミ箱に投げ捨てた。

 尻のポケットから携帯を取り出し電子マネーでいつもの銘柄のタバコを買う。カップ式の飲み物の自販機にも携帯をかざし、ブレンドコーヒーのブラックを選び押した。取り出し口に紙カップが落ち、ガラガラと雑多な音に次いでシューと蒸気が噴出すると直ぐにコーヒーの香りが部屋に充満した。タバコに火をつけ、吸い込んだが、何故かうまく吸えない。胸が詰まった感じがして、タバコの入る余地がない感じだ。しかし、そんなはずない。もう何時間もずっと吸いたいのを我慢していた。もう一度、深く吸い込んだ。意識して胸筋を動かし、タバコの成分を胸の奥、肺へと送り込ませた。肺で取り込まれなかったタバコの成分は、喉に戻って口から出て行く。

タバコ一本で14分の寿命が縮まるという。単純計算で約98本のタバコで1日の寿命が縮まる。365×98本、計算が面倒だから100本として36500本で1年の寿命が失われる。今すぐ死ぬには、男の平均寿命が80歳だから、56年×36500本・・・理論上、暗算が難しい程の大量摂取をしなければ、人はタバコで死なない。

タバコがおいしいと感じた事は今まで一度もない。じゃ、何故吸うのか?そう聞かれて答えるとしたら・・・少しでも寿命を縮める為と、今なら言いたい。

 ついこの間、凱さんが吐いたセリフに似た考えが思い浮かんで、うんざりした。

 誤魔化したいのだ。自分の腹が黒い事をタバコの黒い悪性成分で上塗りする様に。

もう一度、深くタバコを吸う。やっぱり胸につっかかる感じがあって意識的に吐きだそうとしないと、うまく煙が吐きだせない。

突然、自動扉が開く音にびくついた。凱さんが足音もなく入ってくる。驚いた事を悟られない様に、ゆっくりともう一度タバコを吸い込んだ。

「邪魔したかな?」

「いえ・・・」そう言いながらも、躊躇わず大袈裟に息を吐きだした。煙は中央の集煙装置に吸い込まれていく。

「ありがとう。」

「礼を言われる事など、何一つしていません。」

「じゃ、礼を言われる事を一つ、一本貰えるかな?」

 また咳き込まれるのを、見るのも聞くのも嫌だ。

「親不孝に先に死にたいなどと、また言われるのはごめんです。」

 この人は、どうして必要以上に、かまってくるのか?その真意は読みとれない。哀しみばかりが本心を埋まらせて、あわよくば、亮をも引きずり込もうとする罠のようだ。

 亮のつっけんどんな態度にも全く気にもせず、凱さんはこの場に留まろうとする。飲み物の自販機に向かうと、尻のポケットに手を入れた後、胸や腰のポケットにまで手を当ててから、ピタリと動きを止めた。読み取り能力じゃなくてもわかる、その動作。金がないのだ。いつもの皮ジャンじゃない事を今更に気づいて「しまった」と困って、首の後ろをかく。無視すればいいものを、亮はお節介にも電子マネーの読み取りパネルにスマホを当てた。自販機のボタンが一斉に点灯すると、凱さんはわざとらしくニコニコ顔を亮に向ける。

「あ、悪いね。財布は墜落させたヘリのコンテナに入れたままだったよ。明日返すからね。」

「返さなくていいです。」

「あー、そう?じゃ奢ってもらうね。ありがとう。」

 2度も「ありがとう」を言われる。今の亮にとっては、その言葉は嫌がらせにしか聞こえない。神経を逆なでする凱さんがことごとく鬱陶しいのに、吐き出せる相手は凱さんしかいないのも事実だった。

「凱さん、俺・・・」

 飲料自販機のモーター音が急に静かになった。その静寂が亮の口を噤んでしまう。一度止めた言葉を発するのは勇気がいる。何も言えず、ただ見つめていた、テーブルにうすく引っかかれた傷を。

「戦地から帰還した兵士は、必ず精神科セラピストのカウンセラーを受ける決まりになっている。」

「えっ?」

「皇華隊の彼らも同じ、この後8時には警察に後処理を引き渡して東京へ帰還し、すぐさま陸上自衛隊医療施設で心理カウンセラーのセラピーを受ける予定、それまでが任務として業務づけられている。藤木君もそのセラピーを受けてもらっても構わないけれど、むさ苦しい自衛隊施設じゃ、セレブな藤木君は嫌だろう。」

 意図しない話をしてくる凱さん。

「彩都の医科大の村西先生、アメリカの軍人精神セラピーも習得している。僕から事の説明をしておくから、診察を受けるといいよ。」

「俺は・・・」

「大丈夫は、意外にもろいからね。」

「俺・・・。」

「うん。」

「俺は、棄皇が殺されると知っていた。知っていて、京都に連れて来た。俺は華族会や華族制度が無くなればいいと、壊そうと考えていた。京都に来たかったのは、麗香を助けたかったから。でもその前に華族制度をどうにか壊せないかと考えていた。まさか、麗香がテロに巻き込まれるなんて・・・俺は、棄皇に射殺命令が出ているのを知っていて、それでも京都に連れてきた。りのちゃんを殺しかけたんだから、それぐらいの事はいいんじゃないかと。」そこまで一気に吐き出し、唾が喉に引っかかって、やっと言葉が止まった。言ってしまった後悔の念が沸き起こる。

「連れて来た自分は、」

「連れて来さされた。んじゃないかな?」

「えっ?」

「流石に棄皇でも、リニアを動かすのは難しいだろう。藤木君をあの赤い目で言うなりにし、内閣と華族に口利きをさせ、リニアを動かしたんだよ。」

「だけど、俺は棄皇が殺されても構わないと・・。」

「棄皇は知っている。そういうの、すべてを知っても尚、棄皇にも京宮に行く必要があったんだ。」

「でも・・・。」

「藤木君のせいじゃないよ。」

「・・・。」

 人が死んだ。沢山の人が死んでいた。あの場所はそういう場所だった。そんな危険な場所に、連れてこないでと警告されていたにも関わらず、止めもせず、殺されてもいいとまで思い、連れて行ったその罪を、断罪されない事の方が亮の心情は辛い。なぜ連れてきた、お前のせいだ、と怒号で叱られ謝る機会を作ってくれた方が楽になれるのに。

(そうか、謝る機会を作らない事が断罪か。)

テーブルに水の玉がはじけた。亮は慌てて、それを袖でふき取った。

「誰のせいでもない、それに・・・。」

 気づけば凱さんが亮の肩を抱いていた。迷彩柄の服からは火薬のにおいがして、京宮内で出来事が映画のエンドロールのようによみがえってくる。

「もう、終わったんだよ。」

 エンドロールは棄皇の涙の絶叫のシーンで止まる。

 怖かった。

 神の怒りは、皆が泣くほどに。

 神の裁きを受けられないほど、自分は『弱い』。

 だから誰かにすがるしかない。

「凱さん・・・」

「うん?」

「棄皇は、今どこに?」

「今は・・・海の上だね。」

(そうか、俺たちは、見捨てられたのか。)












 『レベル7の国家非常事態厳戒体勢を布き、国内外に混乱を招いた日本国でしたが、一日が経ち、全国の国際線空港のフライト便が通常の運航に戻った事を期に政府は、国家の安全をさらに強調した安全宣言をし、今回のテロ事件の真相解明と静定を速やかに対応する事を、世界にアピールしました。これに伴い、神皇家の閑成神皇は、京宮で起きた事件に巻き込まれ失った尊い命の冥福と、国民の安寧を精魂を込めて尽くすとおっしゃいました。また国民の総意に国家の変革が求められるのであれば、審理承認は速やかに対応するとも話され、これにより事実上、華族制度の法改正の承認を得た事になります。藤木官房長官はこの閑成神皇のお言葉に対して、華族制度の法改正が神皇様の心意ではなく、あくまでも国民の総意を受けられてのお話であり、今すぐ改正というのは事実上難しく、明治維新以降、長きにわたり続いていた制度の変革には、年密な時間と議論が必要だと慎重な姿勢を見せました。またテロの実行犯である・・・・』











 2本目のタバコを吸い終えた所で腕時計を確認する。3時04分ここに来て30分が経った。

「もう行くんかね。」

「ええ」

「部屋に戻ってもやる事ないやろ。」

「そう、でもないですよ。」

「完全看護の特等室で何があるねん。」加えタバコの煙に目を細めながら言うお爺さん。腰掛ツールの円筒形のクッションは猫のように丸くなった背中にあたっているだけで、座れていない。頭皮のシミが人生の経過を語るようにまだら模様を作っている。

「お客様が来られていますから。」

「お客様ねぇ・・華族の。」

何処で聞いたのか、この喫煙室に来るたびにお爺さんの口からは、亮や麗香の情報が増えていた。プライバシー保護法が施行されて、こうした病院や公的施設では個人の情報漏えいに神経をとがらせてはいても、人の口に戸は立てられない。このお爺さんはどこが悪くて入院しているのかわからないぐらい元気そうで、パジャマ姿で病院内をうろつきまわり、病院内あちこちの関係者、入院患者とおしゃべりをして、自身でもこの病院内で知らない事は無いと豪語する病院のヌシだった。

「俺はなぁ、あんさんを初めてここで見た時、今時の若いもんにはない、わきまえた礼儀としゃんとした姿勢に一目置いたんや。それやのになぁ、残念やわ。」

 そこでタバコを灰皿に押しつけて会話をじらすお爺さん。

「失望しましたか?」

「あぁ、残念や、今話題の華族の人間やないと、お前さんみたいな若者は育たんっちゅうことがな。」

「恐縮です。」

「褒めてへん。」

「そうですか?」

 お爺さんは、その言葉通り、亮が華族と関わっている事だけに残念がっていて、人格否定はしていなかった。

 もう一本くれというジェスチャーに、亮は一旦スーツの内ポケットにしまい込んだタバコの箱を出した。

「俺みたいなジジィは生きとるだけで邪魔なんやな。この部屋に入っただけでうっとおしい顔をしやがる。」

 銜えたタバコにジッボの火をつけてあげると、本当においしそうに煙を吐いた。

 歳を積み重ねたら、タバコも美味しくなるのだろうか?

「お前さんはそれが無かった。こうして、くれるしの。」

「医師からしてみれば、私は治療を妨げる悪い人間ですけれどね。」

「医者の言う事がなんぼのもんじゃ、タバコやめる方が病気になるわ。」

「そろそろ行きます。」

「おう、またな。」

 すっかり喫煙仲間になったお爺さんに会釈して、喫煙ルームを出る。ロビーは朝の混雑とはうって変わって、閑散としている。待合の一角、テレビ前のソファに数人の入院患者が暇つぶしに座って雑談していた。

 テロ事件から丸2日が経つ。テレビ番組は、どの局もテロ事件の続報がひっきりなしで続いていて、それに加えた華族制度に関する情報で話題は事欠かない。政府よりも先に制度の見直し案や、制度撤廃の審議までが議論されていた。

 テロや華族の情報に飢えて貪っている民は、卑しい。

 亮はロビーを足早に抜け、エレベーターで5階へと上がる。ナースステーションを曲がり際に、目の合った看護師に会釈する。返された会釈の後にコソコソと噂話をし始めるのを目の端でとらえて、通り過ぎた。人の口に戸は立てられない。学校でも病院でもどこでも同じ。

 ネット上では、レベル7や国家非常事態厳戒体勢と言うワードが急上昇ワード一位になり、黒川君は隠蔽精査で、またずっとPABで電子の世界を操作し続けている。

 亮は病室には入らず、廊下で待つ。壁にもたれて暇つぶしに携帯を取り出しメールの確認をする。新田から一件メールが届いていた。

【明日の朝8時15分発に乗れる事になった。関空着だったら、見舞いに寄ろうかと思ったけれど、あいにくの成田だから、仕方なく・・・・柴崎によろしく伝えてくれ。俺のマネジメントはいいから、しっかり療養しろって。また連絡する。】

新田とは昨日の午後、電話で話した。新田は、麗香がテロに巻き込まれたのを知っていた。環太平洋オーシャンズカップの参戦で1か月ほどオーストラリアに滞在していた帰りの空港で、レベル7の非常事態宣言により足止めをくらっていた。柴崎家が降臨祭に参加するのを知っていたから、日本と連絡の取れなかった間中、とても心配して、やっとつながった亮の電話に、開口一番、柴崎は大丈夫か、と聞いてきた。しかし、詳しくは話せなかった。柴崎は無事で疲労で入院しているとだけ伝えた。

 扉の向こうから人の動く気配が壁越しに伝わって来て、亮はもたれていた背を壁から放し、姿勢を正した。ベージュとブルーに配色された引き戸が開けられる。扉の開閉を行ったのは信夫理事長で、引き継いで閉まらない様に亮が支えた。

「それでは、麗香さん、お体をお大事になさって。」

「ありがとうございます。」と頭を下げたのは麗香ではなく、信夫理事長。

麗香は目覚めた昨日よりも、ずっと疲労が全身を包んでいた。頭を下げるのがやっとという僅かな動きだ。

 御田財閥会長、御田重光、妻 百合子 とその息子、克彦の順に麗香の病室から出てくる。扉が完全に閉まると信夫理事長はもう一度、廊下で頭を下げた。

「この度は、本当に申し訳ございません。」

「いえいえ、本当にお二方ご無事で何よりでした。縁談の事は・・・まぁ致し方ありません。」

「麗香さんには、時間のご療養が必要ですわ。」

「もう、どう非礼をお詫び申し上げればよいか・・・。」

 やっぱり、破談になったようだ。

「おやめください、柴崎様。」

「本来なら妻の文香も同席しなければならない事であるにも関わらず、これも無礼に。」

「事情が事情ですもの、お気になさらずに。」

 御田克彦がふんっと鼻で息を吐いた。そして亮の視線を捕えて睨む。

(何だよこいつっ、ウザイな、使用人が、何、見てんだよ。)そう読めた御田克彦の本心に、亮は爪をたてた拳を握り耐える。

 こいつは、麗香を見捨てて我先に逃げた。理事長達はそれを知らないで、破談を先に提言した柴崎家が全面的に悪くなっている状態だ。

 お前は結婚相手の麗香を見捨て逃げた、最低な男だ。と叫びたかった。我慢ならず、こちらも睨み返した亮の顔に、御田克彦が気づく。

「ん?お前は・・・」

「さぁ行きましょう。こんな所で話し声がしていると麗香さんも療養できないでしょ。」

「お送りいたします。」

 信夫理事長が、夫妻について行く。

「どうでもいいか。もう制度もなくなるんだ。」

御田克彦は晴れ晴れとした心境で歩み去っていく。廊下の角を曲がって姿が見えなくなるまで、亮は握った拳を緩める事が出来なかった。大きく息を吸ってやっと怒りを治める。

(良かったのだ、これで。)

 あんな最低男の所に嫁がないほうがいい。扉の前で亮は頷く。

 そして、ないとわかりつつも、ドアをノックする。やはり返事はない。そっと扉を開け一礼する。

「藤木です。失礼します。」

 応接セットのテーブルに大きな果物の詰め合わせの見舞い籠が置かれている。御田家が持って来た見舞いの品だ。

 ゆっくり歩み寄るが、起こしたベッドを背に麗香は微塵も動かず。手元にこれもまた御田家が持ってきた花束が置かれていて、その花束を見つめているだけで一切の反応がない麗香。

「お嬢様、お飲み物をご用意いたしましょうか?」

 答えない。何の感情も読み取れない。麗香の心は停止していた。息をすることも忘れてしまったような空白の心。こんな状態の麗香を見るのは始めてだ。たまらなく、部屋を出る理由を作る。

「花を活けてまいります。」

 手元の置かれた花束に手を伸ばしたら、掴まれた。

「・・・・・ないで。」

 つぶやいた麗香の唇が次第に大きく震え、瞬きしない眼から大粒の涙があふれて落ちる。

「ひとりに・・・しないで。」嗚咽に喉を詰まらせる麗香。

 悔しさ、情けなさ、寂しさ、後悔、それらが止め処なくあふれては、麗香は自身を責めて傷ついていく。

その感情に流されそうになって、亮自身もぐっと涙をこらえた。握られた手を両手で包み握る。

「はい、そばにおります。」

 麗香は掛け布団に顔をうずめて、泣いた。



















 13



 神皇皇宮宰司、鷹取靖前は、神皇側仕えの正装である藍色の糸を織り込んだ紋付袴を着用し不機嫌極まりない表情を凱斗に向け、節張った手で、テーブルの上に積み上げられた報告書をつかみ取る。凱斗は鷹取が部屋に入って来た時から、指図が無いので直立不動で立ったまま、鷹取の姿を動く部屋の景色の一部だと言い聞かせて待っていた。

 A4サイズ両面にプリントアウトされた厚さ10センチの冊子が合計7冊。書類留め用の大型ホッチキスでも留めきれないほどの情報量となったテロ事件の全貌がここにある。これでも過分排除してまとめ上げている。

「多いな。」

「現時点で判明しておりますテロ事件の全貌です。」

 鷹取は顔をしかめて、凱斗を煙たがるように一瞥し、一冊目の報告書をめくり始める。

「全てを持せよとは命じてはいない。忌々しいテロ事件など、祖歴に記せるだけの概要があればよいのだ。」

 めくった見開きが、写真が掲載されているページだった。京宮敷地内の航空写真、それは写真集のように美しい。その美しい内容は最初だけ、次第にグロテスクになっていく。

 この報告書を作ったのは凱斗である。棄皇を舞鶴港に送って帰還した0時に皇華隊の出動命令が神皇より解かれた。その直後よりテロ事件の全貌調査に、当然のことながら凱斗は任命される。その日から1か月、凱斗は前島さんと共に、寝る暇もなく京宮で起きたテロ事件及び、全国で起きたデモから派生した暴動、それらが鎮圧するまでの詳細を、皇制政務会及び内閣府、皇華隊、警察、消防など関わった各関係官庁、企業からの聞き取り、調査をして、紙面に記す事になった。

 舌打ち交じりに、報告書から手を放した鷹取は、遠慮のない呟きを吐く。

「だから解せぬと申したのだ。華選では・・・」

 鷹取は華選の分際の凱斗に「座る」という施しをしないつもりらしい。

「私は祖歴の記載に際しての判断基準を存じません。何を記載され、何を記載されないかは神皇様、いえ、神皇皇宮宰司であられる鷹取様のご判断に、神皇様は信任されていると存じております。神皇様の厚い信任に基づき継がれていく歴史が、私の報告書により薄弱な歴史の層となっては未来の国人に申し訳がありませんから。」

 務めて無感情に言い終えた。それでも鷹取は、凱斗の言葉の中の嫌味を捕え、口をゆがませ何かを言う前に、凱斗は畳みかけた。

「私は全貌と申し上げました。全容ではありません。そこには犯人の素性も含めてテロに到った動機の証拠と検証も記されています。」

 じっと睨んでくる鷹取に怯むことなく、務めて冷静で居られる自分を、心の中で褒めた。

「華族会がこの2か月、総力をあげて解明したテロの全貌の、すべてがそこに。」

 念を押した意味がやっと、鷹取はやっと理解し、慌てて積み上がった7冊の報告書を崩して手荒くめくっていく。

 凱斗は頭の中にある報告書の記憶を開いた。

「還命新皇様は、3冊目の72ページから登場されます。」

 凱斗に一瞥してから、鷹取は3冊目の報告書を乱暴にめくり、そのページを広げる。

「鷹取様がSATに出された命令は245ページ、あと還命新皇様の告白による2年前より始まった暗殺の事も、わずかですが証拠材料を手に入れましたので記載いたしました。それは余談の資料なので7冊目に。」

鷹取靖前は椅子から立ち上がって、重圧な報告書を手当たり次第にめくり、折り目一つなかった報告書が皺だらけに膨らんでいく。

「貴様・・・・こんなっ、こんな報告書は認めん!」

 自分より威厳のある奴が、慌てふためく姿は無様で面白い。ニヤついてしまいそうになる顔を必死で抑え込んだ。

 華族紋の透かし模様入り和紙に加えて、華族会の押印もある最上級型の報告書が「認めない」の言葉で破棄できるはずもない。その横暴を長く通してきた自信が、鷹取康前の失墜につながる。

「神皇家にとって、こんな詳細など要らぬのだ。」

 こうして、この国の歴史は嘘継がれてきた。

 神皇家の歴史こそが真の歴史だと思って守ってきた物は、誰にとっての本質か?

 何をもって真実と言えるのかわからない物に、失った7つの命は、やはり大きすぎる犠牲だ。

「その報告書には、華族会の透かし紋様による用紙の使用によって複製防止、7冊共に最終頁に華族会の押印による華族会による書物であることの証明がなされ、各用紙には通し番号の印字に加えて、壱の書と弐の書の重ね型押し通番により、払拭防止の処置も施されています。それによりその報告書は」

「そんな説明はいらぬ、作り直せ!」

「できません。」

「何だとっ!貴様誰に向かって、華選の分際で、よくもっ」

「その報告書は、内容の重要性を考慮し、祖歴に準等する永久保存重要書物となりました。」

「なんだと、そのような旨は聞いておらぬ!」

 当たり前だ。鷹取家を除く華族11頭家で執り行われた審議会で決議されたのだ。審議会は、確実に鷹取家が参加できない日を選んで開催された。華族会12頭家に入る鷹取家は、いつしか神皇側仕えの特権に溺れ、審議など参加するに与えせずと、今では参加召集の書状を委任状に変えて返信してくるだけになっていた。

「ご多忙の鷹取様の欠席は、まことに残念でございましたが、昨晩、緊急で開かれました特別緊急審議会により、私が任命されました事件解明チームにより仕上げました報告書は、華族会12頭家による審議によって、事件の真実書として認証して頂きました。」

 鷹取は白目が血走るほどに見開き、わなわなと言葉にならない口を振るわせる。

「み、認めぬ!」

「華族会審議会規約第3章、第1項、本会議は華族称号保持者の会員で構成される華族会の華族会会員規約に基づく代表十二家の代表、または委任を受けた者の半数以上の出席者で成立とする。続いて第2項、本会議の審議内容は、第1項による出席者の3分の2の賛成により決定する。」

 こういう紙面の読み上げが、凱斗は得意だ。

「鷹取様の委任状を含めまして、満場一致で可決された事案でございます。」

 もう耐えきれなくて、口と目じりで笑ってしまった。

 開いた報告書のページが鷹取の手によってクシャリと握られるが、流石、和紙素材の用紙は粗野に扱っても破れない。

「その報告書を神皇皇宮宰司、鷹取靖前様に届けまして、私の大任はとりあえず終了となります。それをどうお使いになろうとも私はこれ以上関知できる立場にはございません。」

 この報告書を、鷹取が神皇に見せずに破棄したとしても、自分は何も言えない。言わずとも、それをして困るのは鷹取だ。閑成神皇は報告書を待っている。レベル7の国家非常事態宣言警戒を出してまで、凱斗にテロ鎮圧を頼んだのだから。いつまでも見せずにいれば神皇はしびれを切らすだろう。都合の悪いページを破棄することは、華族印の押印で、とりあえずの阻止を施してあるが、やろうと思えば、鷹取であれば用紙も華族印も用意し作り直す事は簡単だ。ただ、還命新皇こと棄皇の名で関わったページ数は莫大だ。報告書の半分以上に棄皇の名は出て来る。それを、居なかった事にするにはほぼ無理だ。

 華族会は鷹取が泣きついてこようとも、嘘のテロの報告書に印を押すつもりはない。それも審議会で可決された事案、幼稚な言葉で言うならば、これは華族会の鷹取家に対するイジメだ。鷹取はそれ相当以上の事をしてしまったのだ。還命新皇の暗殺命令など絶対にやってはいけなかった。たとえ、その存在が、古より生きてはいけない存在の仕来りだったとしてもだ。

 何を言っても無駄だとおもったのか、こんな書面なんてどうにでもなると考えたのか、鷹取は椅子にどかっと座った。

 それを合図と悟った凱斗は一礼をした。これで自分はテロ事件解明チームの任務終了となった。華選であることに変わりはないが、  皇華隊も含めて、凱斗の課せられた仕事は終わった。

「これより一個人、柴崎凱斗としてあんたに警告する。」声に怒気を含ませた。

 ネクタイを首からむしり取り、ワイシャツのボタンも外した。それに驚いて顔を上げる鷹取。

「生きてはいけない還命新皇こと、7年前までは弥神皇生として弥神道元氏の情けにより育ち、今は棄皇と名乗る彼を、くだらない仕来りの為に、また安易に暗殺しようとしたら、俺は弐の書の報告書を世に公表する。」

「くだらないとは何だ!過誤誕生の還命処置は1700年続く重要儀であるぞ。」

「だったら何故、7年もほったらかして来た!重要儀であるなら、何故、還命新皇の存在を神皇に上申し、助言を求めなかった!」

「神皇様に上申する前に、事を審議するのが華族会の役割だ。」

「へぇ、上申する前に、審議を無きものにする事も華族会の役割か?」

「あぁ、そうだ、神皇様はお忙しい。華族の愚行で生じた問題に煩わせる事は忍びない。」

(こいつ、言いやがった。)

「だからと射殺命令などっ何の権利があってお前は!」

「権利ならある、私は代々神皇側仕えの鷹取家の当主、並びに神皇皇宮宰司だ。」

「よくもっ」

「きさまは、先ほど(私にこれ以上関知できる立場にはございません。)と頭を下げたではないか。」

「くっ・・・」

「それに私が還命新皇の射殺命令をしたなど、何処に証拠があると言うのだ。」

「だから証拠は、その報告書。」

「ふんっ、こんな物・・・」鷹取は目の前の報告書を払いのけた。

「ああ、そうだ言い忘れていた事があった、弐の書の報告書の保管場所は、俺が決める事も昨日決まった。」

「何!?」

「弐の書の報告書の保管場所は、あんたを除く十一頭家の誰かに報告をし、必ず俺以外の者とその場所の情報を共有しておく。あぁ柴崎家の人間とは限らないぜ。保管場所は不定期に変更し、それに伴い保管場所を知る頭家の華族も持ち回りで変更するからな。保管場所を知る頭家も一人とは限らない、二人かもしれないし、5人かもしれない、気まぐれに、その時の気分で俺が決める。」

 スーツの前ボタンも外して、無意味にスボンのポケットに両手を入れた。武器があるわけじゃない、東宮御所に入る前に厳重にボディチェックはされている。テロ事件以降、それは厳重に強化されていた。財布のカード入れの隙間まで見られるので面倒で、ここに来る時は華族会証パスしか持たないようにし、携帯も財布も華族会事務所に預けてから来ていた。これは、ただの恰好つけ、少しでも恐喝にハクがついたらいい。

「華族の祖歴相当、永久保存重要物を、何故華選ごときのお前が関与するのだ!」

「それは祖歴準等の永久保存重要物、あんた記憶力悪いね、それに日本語の意味も分かっていない、国語の勉強をしなおしたら?」

「なっ!」

「゛祖歴相当永久保存厳重物゛なら、華族会の本部の地下にある防火シェルターの奥底にしまう。けどね、それじゃ華族会頭家の一員であるあんたに、簡単に扉を開けられて破棄されてしまう。厳重が厳重で無くなるんだ、鷹取靖前、あんたの暴利な権威じゃぁねっ!」

何かを言おうとした鷹取に言わせず、畳みかける。

「憎らしいか?憎悪に任せて暗殺命令でも出せよ。」

「くっ。」鷹取康前が凱斗をわなわなと睨む。

「構わないさ、俺は何時でも死の覚悟はできている、ただ俺の死に方が不自然だった場合、棄皇はどう出るだろうかな?」

「貴様ぁ・・・・還命新皇様を盾に。」

「様だと?良く言えたなっ。」

 衣服を緩めた事で、感情は自由になり、テーブルを叩き脅した。制御の利かなくなった凱斗の感情はテーブルを揺らす。

「逃げ道がないとわかって、今更に敬服し、恩赦でも乞うつもりかっ!」

「無礼者!」

 流石は権威に驕ってきた人間だ、凱斗の暴挙に怯むことがない。

「お前がっその新皇様を、この世から消そうとしたんだぞっ。」

「誰か!警備の者を呼べ!」

「それが、どれだけの重罪か!お前は、責罪を負うこともなく未だ権威に溺れてのうのうと!」

「黙れ!」

「存在を否定される棄皇の気持ちを考えろっ。」

 扉が勢いよく開け放たれて、数十分前に、凱斗を案内して来た名も知らない宮内の職員が入って来る。

「早く!こいつを追い出せ!}

「何がありましたか?」

 続いて所内各所に配置されている警備員が一人駆け入って来た。

 凱斗の舌打ちを、名も知らない宮内の職員が上品に驚く。

「私に無礼を働いた。捕えて所内から追い出せっ。」

「そうした暴君がいつまでも続けられると思うなよ!」

 凱斗を連れ出そうと掴む警備員の手を反射で払いのけた。

「お前以外の十一頭家は、お前の過ぎた暴君を知っている!」

 躍起になってしまった警備員は、凱斗の肩を掴んでテーブルに押し倒そうとするから、足払いをかけて床に倒してしまった。

 椅子の肘掛けにでもぶつけたのか、頭をさすって呻く警備員を見て「しまった」と思う。

「もっと警備の者を呼べっ!」開け放しの扉から廊下へと鷹取の声が響わたる。

「俺を殺るなら、もっと強い奴を寄越すんだな!」

「このならず者がっ」

「奇しくもお前のおかげで、華族会の意志は東西一致した。」

 華族会十二頭家のすべてが7年前に浮上した還命新皇の存在を知っていたわけじゃない。テロの後処理とテロ事件の解明の中で、内々だけの秘密裏にする事も出来なくなり、それまで知らされていなかった頭家全員に還命新皇の存在を明かした。情報を共有すれば、必然的に鷹取家の暴挙を何とかしなければという共通の意識が生まれ、11頭家の考えは一致した。あれだけ軋轢のあった東の宗と西の宗がテロ後、何の摩擦なく団結できたのだ。

「華族会審議にかければお前など、その座から引きずり下ろせる。それをしない華族会の慈悲に感謝しろ!」

「それは慈悲じゃなく脅威であろう。神皇側仕え、神皇皇宮宰司である私と言う権威に。」

「腐ってる・・・。」

 身体だけはごつい警備員達が続々と入って来た。テーブルや椅子が無ければ順次倒していける、だけどこの人達は命令されただけ、根源悪はあいつ、鷹取だ。あいつをぶん殴りたいが、警備員たちに抑えられ出来ない。

 もっと早くに殴っておけばよかったと、一応の礼節に我慢した自分に腹を立てる。

 腹いせにテーブルを下から蹴り上げ鷹取にぶつけたが、流石は神皇御所内の調度品だ、重厚で軽々とは動かず、鷹取の出た腹を押しただけだった、それでも少しは胸がスッとする。

「早く追い出せ!」鷹取は顔を真っ赤にして怒る。

 凱斗は抵抗することなく警備員に連れられるままに我慢した。そして、部屋を出る前に言葉を吐き捨てた。

「もう一つ、忘れていたよ、還命新皇様からの伝言だ。『我は何も放棄はせぬ』だ。」

「何も」に含まれるのは、命と継嗣権。だが、国語力の悪い鷹取にその含みがわかるだろうか?

 廊下に締め出された背後から、鷹取の「あいつの華選の称号をはく奪しろっ!」と叫ぶ声が漏れ聞こえて来る。「華族会員からも除名だっ。」

(それは願ったり叶ったりだ。)




「・・・・と、東宮御所からつまみ出されて、この騒ぎになったって訳か。」

「申し訳ございません。」

 帝国領華ホテル32階の華族会本部会議室の正面に立ち、凱斗は頭を垂れた。

 重厚な楕円テーブルに向き合って座っているのは東西12頭家の内、東の宗派7頭家、東の宗代表の白鳥博通氏、諏訪 國広氏とその妻貴子が並び、高松泰一氏、そして柴崎家からは、信夫理事長と文香さん。

 西の宗からは、弥神道元死去後代表に就いた緒方重明氏、奈良頼久氏の6頭家8人が鎮座していた。

「もう少しスマートに脅す予定ではあったのですが・・・その、我慢が出来ませんでした。」

「うははははは。」年配者の低音笑いがどっと起きる。

「セルフコントロールがまだまだだな。」と信夫理事長の呆れ顔の指摘。

「まぁまぁ、柴崎様そう厳しい事おっしゃらずに。」いつも優しい言葉がけをしてくれる白鳥様

「本当に、皆さま申し訳ございません。」文香さんが全体に頭を下げる

「いやいや、よくぞやってくれたよ。若い凱斗君ならではだな。」と諏訪氏は背中を背もたれに預け、腕くみをし満足げに頷く。

「それでも、暴れたのは良くないな。」どこまでも厳しい信夫理事長。

「申し訳ごさいません。」

 セルフコントールがまだまだなのは認める。鷹取の顔を思い返せば、怒りがまだ沸々と腹の底から出てくるのだから。

「始末書は、私が書いておくよ。」とホテルマン仕込みの微笑みを返してくれる白鳥様。

「白鳥様、それはあまりにも、甘やかしすぎます。」文香さんが慌てる。

 鷹取は即座に華族会に抗議の電話を寄越した。その電話でも奴は、凱斗の華選称号の剥奪と華族会からの永久追放を、怒り治まらずにまくし立てた。そんな脅迫まがいの電話を、清廉穏やかな白鳥様が対応して、始末書の提出だけに収めた。そんな騒ぎの中、凱斗は東宮御所より帰還したのだ。

「凱斗君は、これまでよくやってくれました。京都御所占拠事件事後処理対策本部、事件解明チームの大仕事である報告書の作成がやっと終わったのです。ちょっと一息入れて頂きましょう。」

 こういうやさしさは苦手だ、照れる。首の後ろが痒くなった。

「ところで、その最後に凱斗君が言った還命新皇様の伝言、【我は何も放棄はせぬ】とは、やはり還命新皇様は、継嗣の意思はお持ちで、譲らないと言う事であらされるか?」と聞いて来たのは西の宗の緒方氏。

「あ、いえ、その伝言は私が作った虚言です。」

「は?」

「申し訳ございません。何か言わずには部屋を出られませんでした。その・・・やはり始末書は自分で書きます。」

「ぶはははは。」と豪快に笑ったのは諏訪氏だけで、他は渋い顔になった。

「で、還命新皇様は本当の所、何とおっしゃっているのだ?」

「還命新皇様は、何もおっしゃいません。」

「何も?」

「はい。」

「状況は知っておられるの?」とあまり事後処理の経過に詳しくない諏訪貴子様。

「はい、それはテロ事件の解明にあたり、還命新皇様も深く関わった当事者でございますから、報告書の作成時に逐一聞いて、最終の物もお見せいたしました。」

「まさか、この報告書、還命新皇様のご意思によって真実じゃない所があるとか?」とまた貴子様。

「それはありません。誓って。正直、ここまで複雑かつ難事に手を加えましたら、方々で矛盾が生じます。それに、テロ事件直後の国外に出られる時に、還命新皇様が、全て真実を鷹取家に報告しろとおっしゃいました。」

一同がうーんと唸る。

「一度お伺い立てたらどうでしょう。どうお考えなのか、それによって我々の方向性も決まりますからな。」

「それは・・・。」

 ここに居る人達は知らない。棄皇がどんな思いで、あの洞窟の祠にナイフを突き刺したかを。

「凱斗君、今度お会いする時にお聞きしてみて。」と諏訪氏。

「私が聞けば・・・還命新皇様は・・・」きっと凱斗の心意を読みとってしまうだろう。

神皇家と華族をこれ以上混乱させず、日本に戻ってほしくない。という気持ちを。いや、もう読み取っているから何も言わないのだ。口こもった凱斗の言葉を文香さんが補ってくれる。

「神皇家の継嗣問題は、もう私達が抱えなくてもいいでしょう。7年間、神皇様に上申せずにいたのは鷹取様の身勝手な行為です。還命新皇様が何もおっしゃらないのは、現状に不満がないご意思であると思いましょう。凱斗、還命新皇様のご機嫌は麗しいのでしょう?」

「はい。とても。現居所は言えませんが、還命新皇様は、世界の広さを知れた事に、私に感謝のお言葉をくださいました。」

「それは、良いお言葉を頂戴しましたね。」白鳥様の微笑みに凱斗は照れる。

「はい。」

 褒められるのは、中々慣れない。首の後ろを掻いた。


生徒を守る事が俺の仕事。

そう、棄皇は常翔学園の生徒だったんだ。その事実はすべて抹消されてしまっているけれど。

彼が入学してきた時から、自分の仕事は何も変わっていない、

変わらずにやり遂げるのが自分の使命だ。





【京都御所で起きましたテロ事件から1か月が経ちました。テロ事件の真相はまだ、完全には公表されてはおらず、市民の間に公表を求める声が高まっております。7人の被害者全員が華族の称号を持つ、東京にあります華族会本部は、事件の真相については、現在まだ調査中であり、しかるべき時を考慮し、しかるべき手続きと対応を処遇して公表するとコメントしております。

また、内閣府も華族制度の在り方について協議検討を始める意志を固め、時期をはからい、神皇家との懇談の場を作る予定であることを公表しました。】










14

 

 病院前で乗ったタクシーは、いつも呼ぶタクシー会社と違っていたからか、あまり乗り心地は良くなかった。車内の空気も悪い。芳香剤の匂いが鼻についた。屋敷前に到着して扉が開き、外の空気が吸えて麗香はほっとした。診察に付き添ってくれた住み込みのお手伝いである林さんが支払いをしようとするのを麗香が変わって、林さんには門の解錠を頼んだ。柴崎家と契約しているタクシーだったら、サイン一つするだけで降りて請求書は月払いでまとめてくれるけれど、このタクシーはそれが出来ない。仕方なくカードで支払ったが、早く降りたいのに機械の認証に時間がかかった。門の解錠の方が早く、林さんが車用門ではなく通用門方を開けて待っている。 支払いを済ませタクシーを降り、門をくぐった。すぐそばに立派に育った椰子の葉が日陰を作っていて、ひんやりと肌寒い。屋敷は30メートル歩かないと玄関にたどり着かない。車の乗り入れる為に部分だけ舗装された道に、桜の花びらが散り落ちて、歩くたびに足元にまとわりついた。

(もう、桜の咲く季節。)

その30メートルの間に、車が旋回しやすいように作られた円形の花壇がある。その中央には大きなソメイヨシノが植わっている。 もともと、この立派な桜の木に見せられて、ここに屋敷を作る事になったとか・・あまり詳しい話を麗香は知らない。毎年、どこかへ花見に行かなくても、ここで春を十分に堪能できる。

 (今年も変わらず桜は咲いた。)

 見上げた空は、曇っている。明日は雨が降るとの予報、テレビの天気予報士は、「明日は花散らしの雨になり、花見は今日が最後になるでしょう。」と言っていた。

 空と桜の色濃度が同じで遠近感がなく、絵の中にいるような錯覚に、気分が落ち込みそうになった。

 京都の病院は1週間ほどで退院できて屋敷に帰宅できたけれど、その後、貧血の症状が続いて病院に通わなければならなくなった。入院を進められたけれど、それは絶対に嫌だと断った。

(一人になるのが怖い。)

 屋敷の自室で療養するのも、病室で療養するのも基本は同じ、誰かが常時部屋にいる訳ではない。だけど病室で一人と、自室で一人なのは、安堵感が違う。

 お父様とお母様は、テロ事件の事後処理で大忙し。お母様がまた倒れるんじゃないかと心配するも、全く大丈夫だと、病院の先生からもお墨付きを頂いていて、確かに麗香よりも元気な顔色をしていた。

 テロ以降、柴崎家は華族会の対応ばかりの状態で、学園仕事にまで手が回らず、それをカバーしているのが藤木だった。京都からこっち、自宅のマンションにも帰れずに屋敷と各学園を忙しく回っている藤木。その藤木が桜の木の花壇の前で立っていた。ゆっくりと歩み来て、姿勢よく頭を下げる。

「お帰りなさいませ。」

「遅くなりました。藤木さん、お嬢様が心配で出迎えに?」

 藤木は林さんの質問に答えず、微笑みだけを返してくる。その微笑に違和感が生じて戸惑った。

目じりに皺を作る笑みは、学生だった頃は馴染みの女子向けスマイルだった。その笑みを翔柴会の仕事をするようになってから視なくなっていたはずだった。戻ったと喜べない自分の心。

「お疲れでしょう、屋敷へ、お茶のご用意を致します。」と麗香のバッグをさらい、屋敷へと歩いていく。

先を歩く藤木との距離が遠く感じた。その距離は、麗香が作った物だ。聞く耳もたず、拒否して傷つけ京宮へ行った。その結果、子供を流産させてしまって結婚も破談になった。理想高い藤木は、そんな失墜した柴崎家に失望していることだろう。

 桜の花びらが風と共に舞い落ちてきて、テロ以降、黒いスーツにネクタイも黒しか付けなくなった藤木の肩に着いた。

「お嬢様、どうされました?」

 木村さんの声かけで、藤木も振り返り、目じりの皺を一層濃くする。

 麗香は慌てて顔を伏せた。

「桜が・・・桜の花びらが・・・」

「明日には散ってしまいそうですね。雨が上がり次第、道を掃除しますので。申し訳ございません。」

 エントランスの掃除が行き届いていないと指摘されたと勘違いした林さんが、頭を下げる。

「いえ、違うの・・・」でも続く言葉が見つからない。だから「そうね、そうして頂戴。」と誤魔化した。

(今年も桜は咲いた。そして散っていく・・・。)


 テレビのあるくつろぎの部屋で、麗香の定位置になったソファに背をつけて座った。藤木が麗香のバッグを側に置いて、すぐさま部屋を出ていく。一息もつかずにバッグに入れてあった携帯が鳴った。新田からだった。

「はい。」

「ああ、やっと繋がった。ずっと繋がんないから、心配したぜ。」心配性の新田は、心配する相手をりのから麗香に移したようで、少々しつこい。

「あぁ、ごめん、ちょっと出かけていたから。」

「そうか、今、桜満開だろう。いい季節になったもんな。」

 新田がどこまで知っているのかわからない。しかし、さりげなさが出来ない新田が、致命的な失言をしない所を見ると、本当に何も知らず、知ろうとしない事が、新田なりの気遣いなのだと麗香は安心した。

「そうね、で、何?」

「写真集のカット、取り直せって言ったんだって?」

「言ったわよ。」

「もう、勘弁してくれよ~。」

「駄目よ。妥協は。」

「えー、お前の写真集じゃねーんだからさぁ。」

「駄目。」

「もう嫌だよ、またカメラの前に立つの。」

 愚痴る新田、そうは言っても麗香の言う事は、いやいやでも聞くのはわかっていたから、ここは絶対に譲歩なんてしない。

 予定されていた写真集の撮影は、テロの影響なくちゃんと行われた、テロの影響を受けたのはテレビ関係で、オーシャンズカップ後のスポーツ番組の生出演と、その次の日に予定していたバラエティ番組の収録は無くなった。テロ以降、テレビは自粛ムードになり、ニュースはどこも繰り返し、テロの特別番組になったからである。それも今は、元に戻りつつある。

「あれは駄目よ。もう一度取り直してもらうわ。」

「ええ~。」

「で、取り直しの日はいつか聞いた?」

「来週の火曜日。」不貞腐れた口調が、子供みたいで吹き出しそうになった。

「来週の火曜日ね、ちょうど何もない日だわ、私も行くから。」

「ええっ!」

「何よ。」

「だって・・・お前・・・・」

 ごにょごにょと籠った愚痴の止まらない新田。言いたいことは聞こえなくても想像つくが、問答無用で無視した。その写真集は、世間に見てもらう為だけに作っているんじゃない。新田にとっても、麗香にとっても最愛の友人に宛てる報告書なのだから、最高の仕上がりでなければいけない。

 部屋の扉が開き、ワゴンを押した藤木が入って来た。紅茶のいい香りが部屋と麗香の胸を満喫する。

「時間は?」

「朝の8時からスタッフ入りしているけど俺は9時までに入ってくれって。」

「じゃ、8時半ね、この間のスタジオよね。」

藤木は電話の会話を邪魔しない様に、音を立てずにティーカップとカップケーキのお皿を麗香の前に置いた。

「あぁ、でも俺はまだその日に行くと返事してないからさぁ。」

「私からしとくわ。来週の火曜日、8時半、渋谷のAスタジオ。じゃ、その日遅れないようにね。」

 返事を待たずに切った。嫌がってはいても、新田の真面目な責任感は、長い付き合いの今までに裏切られた経験はない。こういう風にぴしゃりと言った方が効き目ある。電話を鞄に仕舞う時、藤木がまだ部屋に居る事にびっくりした。

「な、何?」

「紅茶のテイスティングをお願いします。」

「えっ?」

そうか、いつも麗香が一口飲むのを確認してから、藤木は部屋を出ていっていた。その時々に麗香の飲みたいお茶の選択に、絶対的に間違わないのに、必ず飲んだ麗香の満足を読み取って行くのは、何なのだろう。

促されて、ソーサーからカップを持ちあげた。いつもより色が濃いような気がする。飲むとハチミツの味がして、麗香の味覚と臭覚を幸せにした。

「美味しいわ、とても。」

人の声で反応して動くロボットのように、藤木は姿勢よく頭を下げた。執事選手権で優勝しそうな態度。いつまで、これを続けるのだろうか?その態度に久々にイラついた。そのイラつきを甘く美味しい紅茶で抑える為に、もう一度ティーカップに口をつけた。

「お嬢様、お茶の時間に申し訳ございませんが、明日からのご予定をご教授させて頂いてよろしいでしょうか。」

「え、ええ、かまわないけど。」

「どうぞ、飲みながらお聞きください。」また深々と頭を下げる藤木。

 お茶の時間にシュケジュール確認をされるのは、今までにない事だった。どんなに藤木が忙しくても、麗香の食事とお茶の時間を邪魔された事がない。

藤木はタブレットを見ながら淡々と読み上げていく。先週の翔柴会で、麗香はテロの後始末で忙しい凱兄さんの代わりに、自分が小学部の理事に就任したいと言った。一族からは、まだ早いんじゃないかと反対されたけれど、家でずっと籠っている方が、気が滅入る。精神科の村西先生も何かを始めることはよい事ですと言ってくれていた。いつかは、必ず理事に就任しなければならないのは確実なのだから、今からでも問題はないはずと、麗香は強く希望した。

 藤木は、「以上でございます。」とタブレットを片手に持ちなおし、気をつけの姿勢に戻った。「何か相違やご不明な点はございますか?」

 さっき新田と約束した火曜日の予定も抜かりなく入っていた。

「いいえ、無いわ。」

「それでは、私はこれで失礼させていただきます。」

 麗香は頷きだけを返した。

「麗香お嬢様、長らくお世話になりました。至らぬ点、不躾にこの屋敷を出入りしました事、深くお詫びいたします。これまで、柴崎家に、お嬢様に、お仕えしました貴重な時間をありがとうございました。」とても丁寧で、とても不自然な文節に理解が遅れる。

「な、なに、言ってるの?」

「今後の柴崎家の皆さまと、華族の方々のご健勝を、心よりお祈りいたします。」

 最礼の姿勢から頭を上げた藤木の顔は、最高に爽やかな笑みをしていた。

束の間、その笑みに茫然と見とれた。

背を向けて、部屋を出ていく藤木。









 今一つ理解できていない麗香は、亮が最後の挨拶をすると茫然と無心になった。

(それでいい。そのまま、亮の存在すらも無心になればいい。)

 お世話になった文香会長と信夫理事長には、昨日の時点で挨拶を済ませていた。今日は、仕上がったテロの報告書を神皇家側仕えの鷹取家に渡す日で、華族会は昨晩、名目上の緊急の審議会を行う為、柴崎家一族は昨日から泊りで華族会事務所に滞在している。

 玄関の扉を押し開くと、落ちた桜の花びらが渦巻いて散る。

 藤木家の福岡の実家にも大きな桜の木は植わっている。毎年、桜の咲く時期に、根元にお神酒を巻く行事があった。地域に根付いた行事ではなく、藤木家だけの季節行事だ。藤木家は薬材で栄えた由縁で、季節ごとの植物に関わる行事が多かった。染みついたその経験が、華族の行事や儀式の多様さに戸惑うことなく対応することが出来て、それを、いつも文香会長は、流石ねと感服してくれていたものだ。

 それも、もう終わり。

 見上げた桜は、敷地内に植わるどの花よりも、美しく麗しい。











 玄関の扉がバタンと閉まる音。

 出ていく、藤木が、この屋敷を。

 桜の木の下で感じた違和感が、意味解かれていく。

 帰りが遅くなった麗香を心配して、外に出ていたんじゃない。

 出ていく屋敷に最後の一瞥に桜を見ていた。。

 最後の予定確認と最後の挨拶。

 麗香はやっとソファから立ち上がる。

 踏み出した足がテーブルにあたり、まだ三分の一ほど残っているティーカップが揺れ、耳障りな音を奏でる。

 動線上に置かれたワゴンが邪魔。

 部屋の扉が内開きなのがもどかしい。

 外開きの玄関扉の重さに焦れる。

 開けた外の雲光が目に不愉快。

 靴の履いていない足の裏が痛い。

 そんな外的干渉から生み出された麗香の叫びは、藤木には届かない。

「藤木!」

 何度目かの呼び声が追いついた時にはもう、通用門の前まで来ていた。

「どうして!」

 何も答えず、動きだけをとめた藤木。

「どうして、私、何も聞いていないわ。」

「申し訳ございません。会長には了承いただいております。」

「わ、私は了承しない。」

「私の雇用主は柴崎文香会長でございます。」

「じゃ、何故、最後まで私の世話をして出ていくのよ!」

「過ぎた行為でした。申し訳ございません。」

 そこで向き直り深々と頭を下げるも、麗香と視線は合わなかった。

「わ、私は、困るわ。」

「・・・。」

「困るのよ・・・そう、明日から私はいつ、何をやらなくちゃいけないか、わからないわ。」

「それは先ほど教授させていただいた通りです。わからない事は、すべてあのタブレットを見ればわかるようにしております。」

「あのタブレットが壊れちゃったらどうするのよ!」それが、とても稚拙な反論だとわかっていた。

「会長にはプリントアウトした予定表を渡しております。それをご覧ください。タブレットの故障は裏面にサポート会社の連絡先のシールが貼ってあります。そこへ連絡すれば、トラブルサポートが受けられ、データーの復旧作業もそう時間はかからずにできます。その為にバックアップシステムは最新で万全な物を施してありますからご安心を。」

「お母様の持っている予定表を失くしてしまったら?」

「凱斗理事長の記憶力がございます。」

「えっ?」

「会長は今、凱斗理事長とご一緒されている時間が多く、双方共に予定の擦り合わせは密になさっています。辞める前に私からの引き継ぎ事は、できる限り紙面に起こし見せるよう要望されていまして、その通りにしております。」

 手抜かりない。

「それでも、困るのよ。私にはあんたが必要なの・・・そう、飛行機の手配はどうするのよ。私、新田のフランス行きに同行しようと思っているのよ。」

「飛行機会社に電話すれば、全てやってくれます。何も難しい事はありません。」

 聞くまでもなくそんな事はわかっていた。

 あくまでも目を合わさず、無感情に微笑む藤木の横顔。

 デジャブ。

 懐かしい昔も、こうして出て行く藤木を必死に止めていた。

 あの時、唇にキスをして、麗香は藤木の傷ついた心を癒し出ていくのを止めた。

 それを、今は出来ない。私達は分別ある大人になったから。

 通用門の施錠ボックスに手をかける藤木。

(止められない・・・。)

 吐いた息から、飲んだハチミツ入りの甘い紅茶の香りが、ふわりと鼻に届く。

「紅茶!私は明日から、何を飲めばいいのよ。」

「茶葉の購入種類と入手先は、随分前から林さんに教授しております。明日からも変わらずご希望の物がお飲みいただけます。」

「わ、私は、あんたが入れてくれた紅茶がす・・・」

 うら若き乙女でもないのに、何故か好きと言う言葉がすんなり出てこない。この躊躇いは照れでもなく、何だろうか?

「本当においしくて。」

「ありがとうございます。明日からは林さんが、私よりも熟練のおいしい紅茶を入れてくださいます。」

 太刀打ちできない・・・なにを言っても。

 止められない、出ていく藤木を、出ていきたい藤木を。

 暗証番号を押し始めた後ろ姿を、ただ見つめるだけしか出来ない。

 ピッピッピッと電子音が続く。

「私が雇うわ!」

 麗香は力の限り叫ぶ。

「私が雇う、お母様との契約は終わったのでしょう。だったら、今日から私があんたを雇う。」













 予想外の展開。

(私が雇う?麗香は何を言っているんだ?)

 振り返れば麗香の怒った顔。思い通りにならない苛立ちと、思い通りにしてきた傲慢さが内より出ていた。

 ふと、よみがえる。

『暇つぶしに、教えてやろう。』

 棄皇の教えてくれた古の話し。

『お前が柴崎麗香を離せない理由』

『お前が双晴の生まれ変わりで、玲衣の生まれ変わりである柴崎麗香と離れられない』

 離れらない理由は、離れられない想いだ。

『継こそは、柵のない世であなた様を支え尽きとうございます。』

『継こそは、柵のない世であなたを愛し抜くと誓う。』

 夢の中でのシーンが思い出される。

 生まれ変わった二人の魂が、離れる事を許さない。

 離せない。

 離れられない。










 驚いた顔で見つめられる。

 読まれる。今、自分はどんなに醜い思いで、藤木をとめようとしているか。

 隠しきれないのなら、開き直るしかない。

 だって、本当に、出ていかれるのは困る。

 独りになるのは、困るほどに、寂しいから、何でもいい、藤木を止められるなら、どんな手段でも使う。

 それが禁断の武器であっても、

「こ、断る事は許さない、私は・・・」

 禁断の武器は、もう二度と戻れなくなる諸刃の剣。

「華族よ。」

 言ってしまった。











そうか・・これは罰だ。

神の裁き、神は壊そうとした亮を許しはしない。

そして逃げる事も許さない。

最後まで、華族の行く末を見届けろと。

死して、滅びるまで。











 ふっと、藤木は固まっていた顔を緩ませた。

 そして長く目を瞑り開けてから、麗香に向き直る。

「畏まりました。これより私、藤木亮は柴崎麗香様にお仕え致します。」

 そう言って、姿勢よく腰を折った姿を見て、

 満足の感情と、後悔の感情が、麗香の中で渦巻きながら沈んでいく。

「早速ですが麗香様、そのおみ足は、」

「ちょっと待った!」

「どうして様になるのよ。」

「お仕えする主に、様は当然のことでございます。」

「いや、だって、お母様には文香様じゃなく会長と呼んでいたじゃない。」

「文香会長の世間的立場を踏まえまして、適切な呼称を選び使うのは当然の事です。」

「だったら、別に変えることはないでしょう。」

「麗香様なんて、まるで・・・」SM女王みたいじゃない。

「お気に召されませんか?」

「ええ、とっても!」

「困りました。麗香様は、まだ肩書をお持ちではありませんから。」

(嫌味か!)

「今まで通りお嬢様で良いでしょう!」

(本当は、そのお嬢様ってのも嫌なのよ。)

「それとっ!その馬鹿丁寧な敬語もやめて!」

「難しいですね、所作を崩さないで敬語をやめることは。」

 藤木は大袈裟に顔をしかめた。もう、何を言っても太刀打ちできない。

「お嬢様、それよりもその足を何とかしませんと。」

 裸足で飛び出してきていた。今日は病院に行くため、脱着簡単なワンピースを着用し、生足にパンプスだった。うすピンクのマニュキュアが桜の花びらに見えなくもないが、藤木が指摘するようにみっともない。

「屋敷まで、だっこでお運び致しましょうか?」

「っはぁ?!」悲鳴に近い叫びにも、動じない藤木。

「怪我をされては困ります。」

「やめてよ。恥ずかしい。」

「それではおんぶを。」と後ろ向きに座り込む。

「だからっ!もう!その馬鹿丁寧な執事風情もやめて!」

(遊ばれている?)

「このまま歩くわよ!」









 ドラクロアの民衆を導く女神のごとく、ただの民衆である亮の前を導き歩く麗香。

 こうして、

 これ以上に良いと思える相手と、この先に出会える事は無いだろうと思った女は、

 俺の主となった。



 こうして、

 これ以上に良いと思える相手に、この先に出会う事は無いと思った男は、

 私だけの執事となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る