『 荒野の果て』    著作 トーマス・ヘンリー

参ったな・・・・米軍の傭兵部隊に入隊したのに、何故俺は、こんなカメラ持って、ジャーナリストみたいな恰好してるんだ?

軍隊に入れば、死ぬより過酷な訓練に明け暮れて、そのうち戦場に駆り出されて、考える暇なく流れ弾を食らうか、手りゅう弾の爆裂に巻き込まれて死ねると思ったのに・・・。

何もない、砂ほこり舞う舗装もされていない道を、タクシーに扮した4WD車が、砂ほこりを巻き上げて走り去る。

そうなる事は予想していたから、口と目と鼻を腕で塞いで、舞った砂が落ち着くのを待った。

落馬した騎手のように捨て去られて走って行く車が日本車だって事が、何ともまぁ、皮肉なものだ。円形のエンブレムが俺をあざけ笑っているように見えた。

砂埃が落ち着いて見上げた空は、俺の心とは正反対に、薄い青がどこまでも続く。

ここが戦場でなければ、その薄い青は、きっと清らな命映える空であるはずであろうことに。

悲しいかな、ここは命が死滅していく場所。

俺の陳腐な命を、消滅するにふさわしい場所・・・なのか?



















英『4928503E1、カイ オオノ。20歳、国籍日本、ハングラード大学16で入学、4年後の今年7月に首席で卒業、教育経営学、教育論博士号取得。空手5段』

抑揚も覇気もない口調で、ここでは似つかわしくない肌の白い上官が無表情に、俺のID書類を読み上げていく。

英『言語は英語、日本語。身体検査、問題なし。薬物経験なし。銃の経験、軍隊格闘技は、この6か月の間に取得。サバイバル演習も問題なく終了。単独行動を好みコミュニケーション不足の傾向あり。』

ずっと続くのか?

いい加減、直立不動の姿勢に疲れて来て油断した。それを察知したかのように突然、書類から顔をあげた米軍アフリカキャンプ基地本部参謀のドーマン・サルバドール氏と目があって、俺は引き締めを正した。

英『以上の経歴に不備はないか?』

英『ありません。』

何故、俺のような下っ端の下っ端、まだ修練生のような自分を、ここでは最高位てあるサルバドール氏が、人払いさせてまで部屋に呼び入れたのかわからない。

軍の階級はシンプル。階層は13まで、俺のような入隊したばかりの奴らはE1から始まり、経験を摘めば階級ナンバーは上がり、給与も上がる。誰が見てもわかりやすいように胸についた星の数を数えれば、そのお方がどの位の人間であるか一目瞭然。

白金の髪が薄く七三分けで、軍服を着ていなければ、税理士事務所の所長のような出で立ちのサルバドール氏は、銀縁のめがねの位置を細い指で正し、鋭い目で睨む。胸には5つに値する大星1個と4個の星、合計9個が付いていて大佐だ。

英『私に嘘をつくとは、いい度胸だな。』

嘘?嘘なんてついていない。こんな状況で嘘をつく余裕なんかあるわけがない。

あっ、もしかして名前か?軍に入隊した時の書類が、何故かカイトではなくカイとなっていて、面倒だからそのままにしていた。呼びやすいし。それとも名字のほうか?もしかしたら日本では、手続きが完了しているのかもしれない。

英『名前の事でしょうか!本来なら和名はカイトです。名字は・・・』

英『名前?そんなものはどうでもいい。』と冷たい視線でにらまれる。

 怖え~。

サルバドール氏は、徐に引き出しから1枚の紙を取り出し椅子から立ち上がる。

殴られるのか?何も悪い事してないと思うのだけど。

氏は鋭い視線を外さず、デスクを回り込み、俺の真横に並んだ。

殴られるとわかっていても身動きはできない。手を後ろに組み、顔をまっすぐ前を向けた姿勢は、上官の命令があるまで崩せない。

サルバドール氏は、引き出してきたA4サイズの紙を俺の目の正面にかざした。

何処からか送られてきたファックス用紙の書類であることは理解するが、その書かれた文章の内容にまで理解する間もなく、その紙は下げられた。

英『今の用紙に書かれていた文字を最初からすべて言え。』

軍は、どうして俺の能力を知った?そんな思考で躊躇している俺には容赦せず、間髪入れずサルバドール氏は俺の顔を覗き込み追及してくる。

英『どうした?お前の記憶力はハッタリか?』

記憶能力を試されているのだ。

英『いえ・・・手りゅう弾TA、500ケース。ライフル銃弾D3、1200ケース。雷光弾・・・・』

一瞬の視認で記憶したA4の用紙は、本部からここ、アフリカ東部に5日後に補給される明細書の、今日13時15分43秒に送られてきたばかりのファックスであった。俺は頭の中でその書類を表示して読みながら報告し、それを理解した。

俺の脳は、活字なら、写真のように一瞬ですべてを覚えてしまう、世界で数人しか居ないという特殊な脳。

ただ、その記憶能力は文字にしか対応していないという所が、中途半端に便利と言うだけの能力。写真や絵は覚えられない事もないけど、一瞬では無理で、何年も保持するのも不可能。

例えば、10年前に記憶した7月18日の新聞記事の文章は記憶にあるけど、写真はぼやけて明確には思い出せない。電光掲示の活字やテレビ画面の文字も覚え難い。日本で俺の脳を調べた帝都大学の脳科学研究チームの教授は、テレビ画面の文字は、電気が常に動いている状態で表示されているから、覚え難いんだろうという結論を出している。黒板の文字も常に書き足されていくから、脳が記憶するのは拒否しているらしくて、ノートに一旦書き起こさないと、完璧に覚える事は無理という。

特殊な記憶能力と言っても、何かと制約が多く、役に立つようで、役立たない。自分は、重い本を持ちあるかなくて済むと言う程度にしか、この能力のありがたみを見いだせないでいた。

英『以上です。』

英『フックスのナンバーは?』

英『19283000007566ー2288976』

英『よかろう。この日本から送られてきたデーターは間違いないようだな。』

日本から?まさか家族に問い合わせたのか?

逃げてきた家の事を気にする自分に、飽きれ胸に苦い物が貯まる。

英『 4928503E1兵、君に特別任務を言い渡す。SAランクだ。』

SAランク!?こんな俺に?いや俺だからか?Sは、シークレットのS、のAランク。

名前の通り秘密の任務には段階がある。S、A、B、Cにランク分けされたAは上から二番目の特別任務。特別且つ危険のAは、その身柄が何らかの理由で拘束や危険にさらされたりしても、軍は感知しない事になっている。まだSよりはマシ。Sは死体も捨て置きされ、任務によっては死んで来いと言うような場合に使われる。Aは、命の危険に感知しないが、人としての尊厳は守られて、一般人と同様に出来る範囲で死体を回収してくれる。但し軍人である事は伏せられて。

死に場所を求めて入隊したと言うのに、自分の屍の扱いに、ほっとしている自分に嫌気がさした。

俺は、本気で死にたいのか?それこそ、この死を求める思いはハッタリなのか?

英『人類発祥の地サーラダ・アルベールテラを巡る信仰聖地争いに、新たな第3勢力の【ノーボサーラ】が最近、その力を増強してきているのは知っているな。』

英『はい。』

人類発祥の地として長らく崇めれてきた聖地、「始まりの鼓動」と呼ばれるサーラダ・アルベールテラは、アフリカ大陸のほぼ真ん中に位置するリビエラ国にある。アフリカ大陸でも最大の山、レイバンデウス山のすそ野の一角がその聖地であり、レイバンデウス山を望む聖地は、アフリカ大陸のほぼ全土で信仰されているサーラダ教の巡礼地だった。このサーラダ教は大きく2つの宗派に分かれていて、長い間、戒律を巡るいざこざは絶えなかった。サーラダ教の40%の支持層を持つ「祖先」の意味を掲げるアンテバサド派が、リビエラ国の南隣コルダン国の軍の一部の組織、強硬派と結託して、聖地サーラダ・アルベールテラを武装占拠し、対立するダバラデートを追い出したのが、約10年前。

それまで2つの宗派間にあったいざこざは、聖地サーラダ・アルベールテラを崇拝する信仰神像は同じであった為に、大きな紛争までは起きていなかった。だが、コルダン強硬派と結託したアンテバサドが聖地を占拠した事を境に対立が激化、サーラダ教のもう一つの宗派、「真の教え」を意味するダバラデートがアンテバサドに夜襲かけて聖地の取返しの作戦を起こしたが、互いに多数の死者を出して失敗に終わる。それを期に対立は隣国の武力が入り込み、激しく深まってしまった。

聖地サーラダ・アルベールテラを占拠したアンテバサドは、その後コルダン国の正式な武力支援を得、更にコルダン国と友好関係にあるドゥアラ国の武力をも得て占領区を拡大し、レイバンデス山をも完全占拠した。追い出された形となったダバラデート派もまた、アフリカの諸国の武力支援を求めて得て、争いは政治色も加えられていく。幾度なく二つの派は衝突し、武装も過激になり、紛争は治まる気配がなく時が過ぎて行く。最初の衝突から10年、人類発祥の地として崇高されていた場所が荒廃し、人類消滅の地となりゆく聖地を見かねた国連は、2つの勢力に話し合いの場を設け、まずは停戦協定を提示したのが2年前。停戦協定の調印は国連と言う世界中立の立場の介入により、上手く行くと思われ注目を浴びたが、神のいたずらか、アンデバサド派の幹部の子供が交通事故に合い死亡する悲運が起こる。加害者の運転する青年がダバラデート派の人間だった事から、事故ではなくて、その日とその子を狙った暗殺だと言う噂が瞬く間に紛争地に広まり、人の想いは互いの憤怒が再燃し混乱に陥いる。

当然、停戦協定は中止となり、奇しくも内紛は国連介入前より悪化する事態となってしまった。

また、それまで平和主義で他国の争いに無関心だったアメリカのオマール大統領が大統領選挙で失脚し、軍事力強化で経済成長を促すネイル大統領が就任したのをきっかけに、アメリカは、世界各国の紛争地に首を突っ込んでいく。

混乱極まるアフリカに、キリスト教の聖なる秩序を取り戻す為、世界平和の為と称して、軍事介入を行うアメリカ。そのアメリカの独自介入に異を唱えて憤慨するロシア。第二次世界大戦後に結んだ冷戦協定に反すると、今は一発触発の緊張した関係になりつつあり。世界は微妙に危うい状況に傾いている。

英『最近、その存在が目立つようになってきた第3勢力ノーボサーラが何故ここまで力をつけられるようになったか?わかるか?』

英『後ろ盾があるのではないかと考えます。』

サルバドール氏は俺から目を離さず大きく頷き、話を続ける。

英『そうだ。ノーボサーラに後ろから支援する組織の存在が居る。それは確かなのだが、中々相手も巧みにしっぽ掴ませてくれない。』

あー嫌な予感。

英『そこで君にSA任務命令だ。お前の国籍を活かし、日本人ジャーナリストとしてノーボサーラに潜入し、その奇特な能力でノーボサーラの後ろ盾が誰であるかを探れ。』

あーやっぱり・・・これじゃスパイ任務じゃん。

英『第3勢力をこれ以上、野ざらしにするわけにはいかない。良いな。』

英『イエッサー』

軍に所属している以上は、命令にノーは言えない。まして、まだ入隊して6か月のひよっこE1兵が、自信がないから別の人に任務を譲ってくださいなど言えるはずもなく、その気持ちに反した敬礼に胸を張る演技をするしかない。

上官は冷たい目を一切崩すことなく、デスクの上に置かれた電話を取り内線を回す。

英『サルバドールだ。部屋に来てくれ。』

誰かを呼んだということは、任務は二人で行えってことか?

その誰かが部屋に到着するまで、サルバドール氏は俺を見据えたまま微動にしなかった。まるで少しの動きも見逃さないとでもいうように。数分が何十分にも感じられ、やっとその誰かが部屋をノックして入ってくる。

英『ジョン・クライムです』

英『入れ。』

胸に緑の十字マークをつけた兵士が入ってくる。

何故に医療班?今から、さらに身体検査でもするのだろうか?それとも記憶力検査をもう一度?日本から取り寄せたデーターじゃ不足とか?

医療班はその特色上、陸兵の階級とは違う組織系列に順ずる、最高軍師直属部隊の系列で、階級は4からのスタート。

このジョン・クライムという人は緑十字の中に大星1個と小さい星が2個の階級7の少佐は、敬礼もなしにサルバドール氏のデスク前までスタスタと歩み寄った。氏はそれを咎めることなくジョン・クライム少佐に俺のID書類を挟んだバインダーを手渡す。

英『今からこの4928503E1兵にCMDとDSPDプログラムを同時に行え。期間は2か月。』

英『2か月!』

英『合わせて特務5の特訓を。教官は、後に私が選任する。』

英『特務訓練も合わせるなんてっ』

ジョン・クライム少佐はそこでやっと振り向き、俺を見ると目を見開き、指をさす。

英『アジア人!』そして荒々しく書類をめくる。

英『時間がない。』

英『にしても、こんなまだ子供みたいな。』

英『みたいは、子供ではない。頭は大人以上に発達している。』

ジョン・クライム少佐は、俺の全身と書類を眺めて、大きくため息をついた。そして首を振る。

英『サルバドール、無茶だ。』

口調が馴れ馴れしい。もしかしたら二人は階級の差があれ、プライベートでは親密な仲なのかもしれない。

英『この見た目が必要なのだ。』

ジョン・クライム少佐は渋い顔をして、また書類に目を落とす。

しばらくの無言の時間が続く。

医療班の少佐が無茶だと言って渋るCMDとDSPDプログラムってなんだ?

軍事用語はこういった略語が多い。一覧でもあれば瞬時覚えられて、わかるのだけど、そういった物はまだ下っ端の兵士には教授されていない。

英『3か月、それ以上の最短は認めない。』

英『わかった。』サルバドール氏は片方の口角を少し上げて、笑ったような表情をした。どんな顔やしぐさをしても冷たい印象はぬぐえない。『プログラム終了後は、SP5へと昇格する。』とこれは俺に向けて言われている。

E1から5への躍進!?SPは特務兵を意味する。

英『カイ・オオノ、完務を期待する。』

英『全力を尽くします。』としか言いようがない。指令にノーは言えないのが軍組織だ。

ジョン・クライム少佐と共に部屋を出る。少佐は大きなため息をついて『聞き分けないからなぁ』とつぶやいた。

英『あの、ジョン・クライム少佐、CMDとDSPDっとは何でしょうか?』

少佐は歩みを促す仕草をして歩きだす。サルバドール氏の部屋から離れたいらしい。

英『薬物耐性訓練プログラムのことさ。自白剤耐性プログラムを略してCMD。DSPDは精製向神経薬物、つまり麻薬や覚醒剤などの耐性プログラムのこと。』

特務兵としての必須特訓っていうやつか。

英『普通はさ、半年かけて徐々に薬に慣れさせる。DSPDも同時にだなんて狂っている。このプログラムはE4兵まで軍従したSP隊の昇進テスト後に、その身体や精神の適正を判断して選任するんだ。』

と癖毛の髪をバインダーの角で掻いた。アメリカ人として背は低い方、並ぶと俺より少し低い。

英『日本人が何故に米軍傭兵の部隊に入隊なんかしたんだ?しかも任務地の希望に「何もない」を選ぶなんて、それを選べば、ここに(アフリカ)の配属になることぐらい、噂でも耳にしただろうに。』

英『それは・・・』

英『まさか、日本で指名手配されているとかじゃないだろうなぁ』

英『経歴の精査は済み、相違があればここに配属されはしないと思われますが。』

英『だな。』

英『きつい物ですか?そのプログラム訓練は。』

英『キツイってもんじゃないよ。短期プログラムの成功率は20%だ。』

成功率20%!?マジかよ。

英『短期っていうのは一プログラム3か月の、合計半年の事だけどな。』

いっ!?

驚いた表情を隠せなかった俺に、憐んだ表情を向けてくる少佐。

英『二つを同時に2か月だなんて無茶すぎるがら、三か月に伸ばしたけども、それでもだな。お前さん、サルバドールに生卵でも投げたか』

英『生卵?』

英『大嫌いなんだ生卵、あいつ。』とジョン・クライム少佐は首をすくめる。

英『何もしていません。今日初めて対面しました。』

英『冗談だよ。耐性プログラムに関しては自分が管理する。よろしくなカイ。』と握手を求められた。

英『よろしくお願いします。ジョン・クライム少佐。』

英『その堅苦しいの、要らないよ。階級意識は捨てて、遠慮せずに体の異変はすぐ、些細なことも言ってもらわなくては困るし。』

英『はぁ。』かといって、何と言って呼べばいいかわからない。

英『そんなことも考えられなくなるから、自由にすればいい。』

考えられなくなる?一体どんな訓練なんだろう、想像もつかない。

英『ほかに聞きたいことは?』

英『成功率20%のプログラムの、失敗した80%の・人はどうなりますか?』

英『大丈夫だ。ホームレスの心配はない。国が一生、面倒を見てくれる。軍人病院の檻つきの病室で3食昼寝付。いいぞ、遊んで暮らせる。』とびっきりの笑顔で答えるジョン・クライム少佐。

英『冗談ですよね。日本人は、ブラックジョークに耐性がなくて、笑えない。』

英『気にするな、冗談はまだ披露していない。』



それから3か月間、本当に地獄を見た。死に場所を求めて軍に入隊した俺は、死よりも先に地獄を覗いてしまった。

自白剤や覚醒剤などの薬物を投与されても効かない体になる為には、毎日少しづつ自白剤や覚せい剤を体に投与し鳴らしていくという結構原始的な手法だった。血液検査の数値を見ながら少しづづ投与量を増やしていく。最初の頃は、少しハイなテンションになるぐらいで、なんだこの程度かと、楽観していた。2週目ぐらいから眩暈に悩ませられ、おまけに接近戦による実地訓練も同時にマンツーマンで叩き上げられていた。本来は激しい運動は禁止だと聞いた。すべてにおいて俺は特別に箍を外されていた。実地訓練による運動量で薬のめぐりが早く、吐きながらの実地訓練となった。1か月目以降の訓練中の記憶はほぼ無い。常に吐いていた、まどろんだ景色に自分の吐しゃ物の記憶しかない。自分が何をどう生活していたのか、何をしゃべっているのかすらもわからず。たまに、まともな感覚に戻ると、サルバドール氏は見逃さず、薬の投与を更に増やす様に指示をしたという。サルバドール大佐はとにかく急げと命令をして、担当管理医のジョン・クライム少佐と何度も口論になっていたと後で聞く。

幻覚の中での格闘技とサバイバル演習、どれが現実で幻想かわかない時を過ごし、何度自分の皮膚をナイフで切り刻んだか知れない。髪は抜け落ち、自分の吐いた胃液で口内がただれた。

予定の3か月を迎える頃、俺はやっと、まともに思考できるようになり、超えて2週間で特務兵士の実地訓練の仕上げをして、やっとSP5に昇格した。



ハングラード大学で同じゼミの知人が卒業後に、学費免除の恩恵取得するため米軍に一旦入隊すると言った。日本に帰国をしたくなかった俺は、つられるように同じく入隊した。兵士になれば戦地で簡単に死ねると思ったからだ。保護責任者であった会長の死後、目を覚ましたように再燃した死にたい願望を叶える自殺は、児童養護施設から引き取ってくれた家の信頼に大きく傷がつくので憚れた。まだ少しの恩義はある。戦死ならば、それなりの理由が作れるだろう。そう考えての軍への入隊だったが、想像もしなかった特務兵として完成させられた俺の身体は、気持ちに反して屈強になってしまった。

自白剤、覚せい剤等の神経麻薬は効かない。おまけにちょっとした毒薬を投与されても死なない体になった。酒にも酔う事が出来ない。

サルバドールの思惑通りに、日本人の姿をした特務兵は貴重だろう。しかも身内は居ないも同然の身だ。捨て駒にはもってこいだ。

俺が大佐だったとして考えても、同じ参謀をするだろう。SPとしての経験はまだなくても、この瞬時の記憶力によって、その予想成功率は高く見積れる。この記憶力が、いつだって俺の意志を無視して行く先を決定していく。

何度目だろう、この記憶力が俺の運命を大きく変えるは。

どうして自分にこんな能力が備わっているのか、わからない。親が居なくては、遺伝要素であるのか、突然変異なのかもわからない。児童養護施設の玄関先に捨てられていた陳腐な命に、誰もが勝手に価値をつけていく。

他人の身勝手な価値に逃げてきたはずなのに、新たな付加価値をつけられて、今俺は、アフリカ大陸 リビエラ国のサーラダ・アルベールテラから北東に位置する、テラカルメの町はずれの道路でジャーナリストに扮して、これ見よがしのカメラを持って歩いている。 去って行った車を追いかけるように惰性で歩いていた。

軍はノーボサーラの拠点すらも教えてくれず。

『お前はあくまでも日本人ジャーナリストだ、テラカルメに着いて、まっすぐアジトに向かエバ怪しまれるだろう、自分でその拠点を探すのも訓練のうちだ。』と飼い犬に餌を与えないほど冷酷なサルバドール大将。

おそらく生きて戻ってきたら設けもんぐらいしか思ってないな、あの大佐は。

何もない砂埃だけが舞う道を歩くこと1時間、ようやくテレカルメの町に入る。

町といっても、人影は皆無、窓も扉もないコンクリートの建物が群集している状況が、かろうじて町だと思えるだけで、静かだった。

本当に、ここがテレカルメの町だろうか?

頭には苦心して覚えた地図があるが、通りと建物を照らし合わせても、襲撃にあった残骸で道が塞がれてしまっている場所もあり、よくわからない。地図に頼るのはやめた方がいいなと頭の中で開いていた記憶の地図は閉じた。

やっと治りかけてきた首の後ろの傷がかゆい。無意識に掻きむしってしまう。ここにはチップが埋め込まれていた。どこにいるかGPS追跡できるようになっている。と言っても、危機的状況時に、助けが来るようにはなっていない。死亡時の遺体回収を簡単に行う事と俺自身が逃亡しないようにの対策だ。

逃亡かぁ。いいかも。ミッション放棄すれば逃亡兵として追われて、世界のどこに逃げても軍は俺を逃さず、カーチェイスなんてやったりしてさ。国外脱出を試みて変装しても指名手配されているから空港で止められるんだ。それでも逃げようとした俺は後ろから抵抗するな、って手を上げさせられて、それでも逃げようとして射殺される。その死に方、いいな。空港で射殺されたとなったら、世界中にそのニュースは流れて、日本にも届く。

葡「ここで何をしている。」

ポルトガル語はわからないが、脇腹に当たっているのは、間違いなく銃口だろう。状況から、手を上げろって言われていると判断。空想に耽っていたとはいえ、察知できなかったのは不覚だ。相手は相当の手練れか?

ゆっくり手を上げる。ちょうど町の中心部、建物が密集している所に入ったところだった。

英「ポルトガル語はわからない。僕は日本人でジャーナリストで。」もう一度声を張り上げる。

誰だ?第二言語は英語だから通じるって言ったのは、英語は通じないのだろうか?

脇に当たる銃口は俺の腰をなぞるように前に持ってこられ、銃の主が視界に入る。

えっ?マジか?

葡「お前、中国人か?」

子供。

持っているライフル銃と身の丈が合わない。そのアンバランスさがコスプレでもしているような錯覚陥るが確実に本物の銃だった。

英「ポルトガル語はわからない。僕は日本人のジャーナリスト。」

英「英語かよ。」吐き捨てるように英語で答える子供。褐色の肌、薄汚れた顔、乱れた髪を後ろで無造作に結んでいる。

英「あーえっと、君はダバラの兵士?」

腕に黒いバンダナをしているのを見て、ノーボサーラの兵である事はわかっていたが、ここは何も知らない日本人を演じて、逆のことを言う。

英「ちがう!」

俺を見上げる小さな兵士は、怒り、そして、誇らしげに、腕に巻いてあるバンダナを指差して言う。

英「俺は、ノーボサーラだ!」

英「そ、そうなんだ。君みたいな小さい子供でも兵士なんだね。」

いつだったか見た、紛争地で子供が銃をもっている写真。都会では写真展等が開かれる別次元の世界が、ここにある。

英「子供じゃない!俺は・・・・18歳、男だっ!」どう見ても18歳には見えない身長と幼顔、10歳かせいぜい14歳ぐらいだろう。笑いそうになるのをこらえた。

英「あぁ、そうなんだぁ。僕は、20歳だから2つ違いだね。」

英「日本人らしくない。日本人はもっと小さい。」

英「日本人も色々かな。僕は確かに平均より高い。」

葡「何喰ったら、そんなに高くなるんだ。」と何かつぶやき、顔をゆがませた小さな兵士は、俺の胸あたりまでの身長しかない。髪を短く服装も男の物を着ているが、女の子であるのを俺は見破っていた。

英「あのー、僕はここに取材に来たんだ。その銃を降ろしてくれないかな。」

英「パスポート見せろ。」

英「いや~パスポートは大事な物だから・出せないよ。」

見せろと言われて素直に出したら、ぜったいに盗られる。偽造パスポートとはいえ無いと困るし、始まったばかりのミッションで、セオリー通りのシチュエーションにまんまと掛かっていては、この先進まない。

英「本当に日本人かどうか確かめるだけだ。」

英「と言いながら、盗もうとしているでしょう。」

英「馬鹿っ言うな、俺たちはそんなことしないっ」

英「俺たち?やっぱり仲間がいるんだね。どっかそこらへんに。」と言っても、近くに気配はなく、女の子一人だけなのはわかっていたが。銃を持った子供の兵士が一人というシチュエーションが変だと思いつつ、続く子の会話に耳を傾けながら、周囲を観察する。

英「この間、中国人商人が市民を騙し、金だけ奪って逃げた。中国人は信用ならない。だからお前が中国人じゃなく、日本人とわかれば、銃を」

2時の方向、廃墟らしい建物の陰から人影がのぞいた。みすみす太陽光を反射する位置にいるところを見ても素人だ。その人影はすぐに建物の陰に引っ込んだ。すると、11時の方角の建物の二階からも人が覗いては引っ込める。すぐ間際の8時の方向にも。さっきまで俺に尾行はなかった。という事は、この女の子の仲間が様子を窺っているのだろうか?と思うも、一度建物に引っ込んだ人影達は、銃を構えて、また姿を見せる。角度から見ても、目の前の子を狙っている兵士たち。という事は仲間じゃなく、反対勢力のタバラか。

英「お前、聞いてるのか?俺はパスポートを出せと言ってる。わかんないのか?」

目の前の子が銃を構えなおした動作音と同じ動きをする2時の方向の敵。散弾銃なら最悪だ。

英「この銃はハッタリじゃねーぞ。」女の子が銃を構えなおす瞬間。俺は屈んで子を担ぎあげて、8時の方向の建物へと駆けこんだ。ビル上から散弾銃がまき散らされる。

「ぎゃーっ!」

「うあぁー!」

男にタックルするように廃墟内へと飛び込んだ。予想外の動きに対応できずに銃を発射しなかったのが幸い、仰向けに後頭部をコンクリートの地面に打ち付け気を失う男にとっては災難。三人でもつれ転がり入った廃墟で、俺はすぐに男が手放した銃を拾い、窓枠の影に身を潜めて、2階から狙ってきている奴との距離と方角を確認。レンズを覗き、狙いすましは一瞬だけ、引き金を引く。

ちっ、外した。銃身が曲がっている。当然か、まともに手入れもできていない銃だ。

葡「いてー何なんだよ。」やっと立ち上がる女の子。

銃声を聞きつけて、タバラデートの兵士達が集まってくる気配。

英「お前・・・。」不審な顔をして睨んでくる。

慌てて銃をほおり出した。ジャーナリストがまともな構え方しちゃ駄目だ。

英「わわわわわ。これ本物!?うわーうわー。びっくりしたよ。何だ何だぁ。こいつ撃たれたのか?」と倒れた兵士を指さす。

英「うわっバカッ、せっかく手に入れた銃を捨てるな!」

女の子は、俺が捨てた銃を慌てて拾う。外から、一発、銃弾が反対の壁に打ち当った。

英「ちっ!」女の子は、頭も竦めず、すぐさま俺とは反対側の壁に身体をくっつける。

拾った銃を足元に立てかけると、慎重に外の様子を覗いた。そして素早く自分の銃をコンクリートの窓枠に置き、三発銃を放すと、すぐに頭をひっこめる。相手も、こっちの反撃に応戦してくる。それをもう一度くり返して、つぶやく。

葡「くそっ、人増えた。」

感心をする。銃の筋もいいし、視力もいい。だけど、悲しいかな、まだ10代の女の子だ。

英「裏から逃げよう。」

逃げるのなら早い方がいい。この気絶している奴も、いつ起きてくるかわからない。何より銃声で仲間が次々と集まって来る。

英「その銃は僕が持つよ」

女の子は警戒して、俺をにらむ。

英「僕だって命は惜しいからね。安心して、僕はジャーナリスト。身を守ることしかしないよ。」

女の子は、素早く外と室内を見渡した後、足元の銃を俺に投げてよこした。そして裏へと駆け走る。



廃墟裏の方には、あの気絶した男しか潜伏していなかったようで、うまい具合にダバラデートの兵士に出会うことなく逃げる事が出来た。

英「ここまで来たら、安心だ」そういって、息を整える小さな兵士。

この子はこの小ささに反して、その銃の構え方や、逃げる時の身のこなしなどは、米軍E3兵士並みの動きをしていた。

英「銃を返すよ。」持っていた銃を女の子に渡す。「で、僕は取材があるから、この辺でサヨナラ。」

英「逃がすか!パスポート!」服を掴まれる。

覚えていたか。いい具合に忘れてくれたらと期待したのに。

英「だからね。パスポートは大事なのもの」すぐに女の子とは縁切ろう思ったが、一応聞いてみる。「そうだ、君、ノーボサーラの兵士でしょう。僕ねノーボサーラのリーダーに取材したいんだ。どこにいるか知らない?」

英「・・・・・。」口をつぐむ女の子。知るわけないよな。こんな子供兵士に。この子からパスポートを渡さずにどうやって巻くか・を考えた方がいいかもしれない。

英「お前、本当にジャーナリストか?」急に態度が変わった。これは、もしかして何かを知ってるのか。

英「そうだよ。ほら、ジャーナリストの身分証に、カメラね。」

胸につけている、少々デカイ、ジャーナリストという単語が書かれた札を指差す。

英「・・・・・。」

警戒を解かない女の子、兵士としての心構えは完璧なのに、どうして、さっきはみすみすダバラデートに付け狙われるようなところをウロウロしていた?

英「ほら君を撮ってあげるよ。」

英「やめろ!」

カメラを構えると、それを阻止しようとカメラを叩き落す。カメラは俺の手から離れたが、首からけてあったストラップのおかけで、下に落下するのだけは免れる。重みで首の後ろが痛い。

英「あぁ。残念。君は可愛いのに。」

英「やめろっ俺は男だ!」

そうやって、むやみやたらと男を連発する事自体、女だと言っているようなもんなのに。

そうこう言い合っていると、幌のないジープが砂埃を上げて向かってきて、俺たちの側に急停車した。荷台に乗っていた4人の男たちが一斉に、俺に銃口を向ける。

一難去って、また一難とは、この事。とても面倒だ。もっとこう、穏やかに町で情報収集をして回りたかったのに。

一層の事、ここで「俺は米軍のスパイだ」なんて叫んでしまエバ、ハチの巣にされて死ねるのだけど。なぜかできないというか、したくない。あのCMDとDSPD の地獄のようなプログラムを完了した。SP5に昇級もした。実戦せずに死ぬのは、何だが惜しい。

それにあのサルバドールの冷酷な顔を一発殴ってやりたいとも思っている。それをするのは、任務を成功させてから、そうでなければ単なる馬鹿兵士が、ご乱心に上官を殴っただけのチキンになってしまう。

葡「ラモン!」

葡「エバ、何してる!こいつは誰だ。」

また最初から。またもや手を上げて、笑顔を振りまく。

英「僕は日本人のジャーナリスト。ポルトガル語はわからない。ここには、取材で来て。ノーボサーラのトップに会いたい。」

男たちは女の子と同じに腕に黒いバンダナを巻いている。今度こそ、間違いなくこの子の仲間だ。

葡「日本人ジャーナリスト、その証拠を、探せ。」

少し赤みがかった髪に褐色の肌色の男が、銃を構えつつ顎で周りの男に指示をする。それでその男がこの中のリーダー格だと判断。

その男の鋭い視線はどの男よりも強いというより、深みがあった。しかし全員が若い。俺と変わらない年齢だと見繕う。ジープの助手席から銃口を向けている子は、女の子と対して変わらないのではないかと思うほどだ。

機敏よく荷台から2人が降りて来て、俺のカメラを奪い。リュックやベストから荷物をすべて取り出して、持って行く。

リーダーは荷台に戻った仲間が再び俺に銃口を向けるのをまって、やっと銃口をおろし、手に入れたパスポートに眼を通す。

英「リク ヤマモト 20歳 日本からイスタンブール経由のハイネスブルグに3日前に到着。ふーん。」

名前は当然ながら偽名だ。

英語が話せるなら、色々と聞き出せそうだ。

英「取材で来ている。ノーボサーラのトップに会いたい。どこに行けば会えるか教えてほしい。もちろんタダとは言わない。謝礼はする。」

ジープに乗った二人がリーダーの男へと振り返った。リーダー格の男は微動にせず、ただ深みのある視線を向けるだけ。

たっぷりの時間を使って俺を見続けて、こちらが耐え難くなるころ合いで、リーダー格の男は顔を横に向けた。

葡「エバ、乗れ」

女の子がジープの荷台によじ登る。

あの女の子は、エバという名か。中々いい名前。と感心している場合じゃない。ジープはエバが荷台に乗り込むと走りだす。

英「あーちょっと!俺の荷物!」と叫ぶと、リーダーの男は俺のリュックとベストを無造作にほおり投げて、車は砂煙をあげてスピードを上げた。俺は腕で花と口をふさぎ、目を閉じだ。それでも喉は異物を吐き出そうとして咳が出る。

嫌になる、乾いた土地の砂は軽くて、空中を漂うと中々収まらない。咳をしながら端に散らばった荷物をかき集める。

財布の砂を払ってから中を覗いて驚いた。現金がそのまま残っている。

素早くリュックの中身と、ベストのポケットを確認。カメラも、小型録音機、携帯も、携帯もすべて盗られていない。

「嘘だろ・・・」

盗られたのはパスポートだけ、どう言う事だ?

見えなくなったジープが巻き起こした砂塵の煙を遠く眺める。

この状況で、金目の物を盗らずに開放するなどありえない。

金は必要ない?ノーボサーラは、それほど潤沢に金を使えるほど、バックが大きいと言う事か?それとも厄介事にならないように警戒しただけか?

身ぐるみ盗られた時点で無一文になるのは覚悟していた。そう言う時の為の首の後ろの埋め込まれたチップでもある。身体さえ米軍アフリカ基地に戻れば、軍資金をも引き出し、一から出直しができる。

歩きながら、パスポートだけを盗られるという事態に意味を考える。

確かに日本のパスポートは闇取引で売れる。だが現金を見逃してまで奪うほどの価値があるとは思えない。

あのリーダー格の男は、雰囲気からしてノーボサーラの中核にいるに違いない。ただ、あまりにも若すぎるのが気がかりで、そうではない可能性があるが。おそらくこのミッションを成功する鍵となるであろう。

顔も身元もわからないトップを探すより、あの赤みがかった髪のリーダーを足がかりに探した方が早いかもしれない。とりあえず、市場にでも行って情報をかき集めるとしよう。乾いた空気に舞う砂の道の、ジープが向かった方へ足を向けた。

えーと、こっちでよかったっけ?

あまりあてにならない、記憶の地図を頭の中で開く。




ミッション初日にエバと言う女の子と会ってから10日が経った。そのままテレカルメの町で情報収集を試みたが、町の人はそもそも英語を話せる人が少ない。たまに英語が話せる人がいても、激戦区から逃れてきた移住者だったりで、勢力関係に興味などない人たちばかり。その英語を話せる移住者を通訳に雇い、テラカルメに長く住んでいる住民に取材を装い聞いて回ったりもした。だが何も話したくないと門前払いされるばかりだった。もともとの住民たちは、自分たちの町が壊われていく現状に辟易している様子だった。

「そろそろ実働的な接触があってもよさそうなものだが。」

市場へと足を運ぶ。市場と言っても、しっかりした建物の店舗があるわけじゃない。テレカルメの北の一部の通りに店が集まっているという程度のことだ。ちゃんとした建物の中で商売をしているという店舗もあるが、半数以上が屋外で帆をはっているだけの屋台だった。しかし、この屋台で売っている飯が思いのほかおいしい。10日の間で、すっかり屋台のおやじや、果物屋のおばちゃんとは世間話するほどに仲良くなったが、残念ながら英語を話せる彼らは移住者で、町を転々と流れ生きる事に慣れきってしまっている強者だった。「勢力関係に首を突っ込んでも、明日は生き残れない。ここが駄目ならまたどこかへ行くまでさ」と妙に明るい。

英「今日はどっちだ?」と、店の親父は俺の姿を見つけるや否や、叫び聞いてくる。

英「今日は赤い方。」そう叫びながら通り横切り、屋台の前についたときには出来上がった物を手渡してくる。

鹿肉のトマト煮込みサンド。鹿の干し肉をトマトソースで煮込んだ物を、トウモロコシの粉で作ったパーカーパンに挟んだものだ。ちなみにこの屋台のサンドは、もう一つ緑色のがあって、そっちはワニの肉を香味野菜で煮込んだ物、どっちもおいしい。一通り、屋台で売られている調理された物を食べて回ったが、ここが一番俺の口に合っていて、3日前から昼はこの屋台のサンドを食べるのが日課となった。

屋台の親父に金を渡す、その時、後ろから視線を感じた。それとなく後ろ振り返るが、気配は瞬間に消えて、異変も視覚でとらえることはできない。それは昨日の昼から始まり、今ので4回目だった。

誰だ?ノーボサーラか?

民間人の単なる盗人という事もありうる。この10日の間に、何度、強盗に狙われたかしれない。夜もおちおち寝てられない。人の居ない場所では、強盗を絞めあげてノーボサーラのアジトを聞いたりもしたが、残念ながら強盗はポルトガル語しか話せない。本屋でもあれば、辞書でも買って記憶するのだが、この町に本屋なんてあるはずもなく、屋台のおやじに辞書が家にあるか?と聞いたら、「そんな重いもん持って逃げてくる馬鹿どこにいる」と言われてしまった。

その消える視線は、ただの視認ではない事は確かだ、わざと気を放ち消している。しかも殺気ではない気配を送ってきては、瞬時にひっこめられるなんて、特務兵の中でもいるかどうかわからない芸等だ。

「追い出したいのか、誘っているのか、どっちかだな。」

俺がノーボサーラのトップだとしたら、嗅ぎまわっている日本人なんて鬱陶しいだけだ。人を雇い恐怖させて追い出すそうとするだろう。強盗を締め上げた事で俺がただのジャーナリストではないと警戒されたかもしれない。だったら、尚更、消しに来るはず。殺すタイミングを見計らっているのかもしれないな。お望みどおりに、その機会を与えてやるか。

ポ「ありがとう、おやじ。」

ポ「おう、明日もどうぞ。」

市場を突っ切って、西の通りへと向かった。

通りを歩いてほどなく、聞き覚えのある声に振り返った。

葡「何でだよ!」

葡「駄目だ、帰れ!」

葡「やめろっ!離せ!金ならあるだろ!ほらっ!」

葡「お前らに売る品なんて無いんだよ!」

葡「何だよ!」

通り向うにある小さ店舗、奇跡的にガラス窓がある万事屋だ。質屋の役割もする店。その店先で、ひげ面で小太りの店主にエバがつまみ出されるように、追いだされていた。

葡「帰れ!2度と来るな!」

店主がエバの身体を押し返す。エバは後ろに尻もちをついた。

葡「ちくしょう!くそ親父!お前なんて像に踏まれて死んでしまえ。」

意味は分からないけど、状況から見て、エバが汚い言葉を使っていると予測して苦笑する。

エバは立ち上がると、尻についた砂を気にもせずに悔しそうな顔のまま、手には札を握りしめて店の前から踵を返した。

うつむいて歩き始めたエバに俺は歩み寄り、立ちふさいだ。顔を上げたエバは、眼を大きくして驚く。

英「また、会ったね。」

英「お、お前っ。」駆け出し逃げようとするのを腕を掴んで止める。

英「おっと逃がさないよ。俺のパスポート、返してもらわないといけないからね。」

英「離せよっ!」振りほどこうとする。

葡「助けて~、こいつ人さらいだぁ~。」

おそらく、誰かに助けを呼んでいる。

英「僕は英語しかわからないから、出来たら英語を使って欲しいんだけどなぁ。」

葡「こいつに拉致されて売られていく~。」

なんとなく、とても弁明は聞いてもらえなさそうな事を叫ばれている気がする。

葡「臓器を売られる~。」

英「エバ、あのねぇ~」

ふと気づくと、市場にいる大人達が、コソコソと話し、近寄ってこようとしない。しかも顔しかめ、建物の中に入ってしまう者もいる。厄介ごとに巻き込まれたくないのはわかるが、俺はここではジャーナリストという胡散臭い外国人だ。自国の子が助けてと言っているなら、大人は一丸となって助けに来来そうなものだが。

英「どうやら、君は、ここでは嫌われ者みたいだね。」

英「!」

英「さっきも、何か買おうとして断られていたんじゃないのかい?」

野菜屋のおやじが、左腕を指差して、隣の男に話しかけている。エバの左腕には、ノーボサーラの証、黒色に黄色の十字線が入ったバンダナか巻かれてある。

なるほど。厄介ごとに巻き込まれたくないんじゃなくて、厄介な紛争を起こす者たちは助けたくないのだ。

英「知らねーよ。離せって言ってんだろっ」

英「暴れても無駄だよ~。13歳の女の子の力で振り切れられるほど、僕は柔じゃないからね。」

英「俺は男だ!」

英「さぁ、案内してもらおうか~君たちのアジトに。」

英「するか!馬鹿っ!」

英「じゃ、握ったまま離さないからねぇ~。」

暴れた拍子にエバの左手が俺の右手に当たり、持っていた昼飯、鹿肉サンドが下に落ちた。

英「あっ。」

ぐうぅぅぅ。とお腹のなる音がする。俺じゃなくてエバのお腹から。

英「・・・。」エバは顔を赤らめてうつむいた。

英「うーん。とりあえず、昼飯にするか?」



魚介類が入った煮込み料理を店主が運んでくる。テラカルメは海から遠い、川魚だろう。にしても魚はこの町にとっては貴重で珍しい食材で、食堂の中で一番高値段の高い料理だった。香辛料のいい匂いがする。

英「返せよ!バンダナ!」

ぐぅぅぅ。

英「腹減ってんだろ。おごってやるから。食べな。」

嫌がるエバの腕からバンダナを外して奪い、食堂に連れて来た。ポルトガル語で書かれたメニューを見ても、何かわからないから、店の店主に、この子が食べるような物をと身振り手振りで伝えると、店主は一番高い料理を指差して勧めてきた。別にケチる必要もないので頷いてそれを頼んだ。

エバはずっと、俺が盗ったバンダナを返せと、突っかかってくる。

どうやら、このバンダナはノーボサーラの兵士として誇りのあるものらしい。最初に会った時も、誇らしげにバンダナを指差していた。

英「減ってねーよ。」頑なに料理を食べようとしないエバ。

ぐうぅぅぅぅ。

英「体は正直だねぇ。」

英「バンダナ返せ!」顔を真っ赤にして立ち上がる。拍子に机が揺れて、溢れんばかりに盛り付けられていたスープが皿からこぼれた。

英「あっ・・・。」

英「ほら~、もったいないでしょう。これ食べたら、バンダナ返してあげるよ。」

エバはムスッとして、椅子に座ったけど、やっぱり料理を口にしない。

しかし、どうして大金を持ちながら、この子はお腹を空かせているんだろう。さっきの店では何を買おうとしていた?あの金は、仲間から何か頼まれた物を買う為か?だから食べ物を買えないで、エバはお腹をを空かせている?ノーボサーラはお金に困っていないんじゃないのか?せっかく捕らえた日本人ジャーナリストから金を奪わなくても大丈夫なぐらいに。

うーん、わからない。

さっきの店に行ってみるか。バンダナさえこっちの手にあれば、この子は逃げなさそうだし、もし逃げたとしても、エバにはまた、会えるような気がする。二度あることは三度ある。日本のことわざ。

英「エバ、すぐに戻るから、この料理ちゃんと食べるんだよ。」

英「えっ?ちょっと!」

料理は前金で払ってある。俺は食堂を出て、エバが追いだされていた店へと向かった。

店では、さっきの髭の男が暇そうにレジ横で新聞を読んでいる。店に入って来た俺を見て、目を丸くし新聞をたたみ置いた。そして眉を寄せて露骨に嫌な態度をした。

所狭しと置かれたガラクタの数々。鍋や衣類、鹿の角、ハンモック、売れるものは何でも売る、売れる物は何でも買い取るって感じの店だった。

英「すみません。さっきの追いだされた女の子は、何を買いに来ていましたか?」

ギロリと睨んだ店主。

しまった、英語はわからないかもしれない。身振り手振りでどこまで通じるか、やってみるしかない。

英「僕は、日本人でジャーナリスト、ほら身分証、取材をしたくてね。」

英「物好きな日本人だな。ノーボサーラを取材だと?記事にするなら、ノーボサーラは民間人を戦闘に巻き込む迷惑な奴らだと書け。」

おっ、英語、話せるじゃん。よかったぁ。

英「ノーボサーラをよく思っていないみたいだけど。どうしてですか?アンテバサドがサーラダ・アルベールテラを占拠している事は、あなた達、市民の人も思想的に困った事。その土地を取り戻す為の紛争、その紛争によっておこる町の治安悪化から守る自警団だったはずですよね、ノーボサーラは。アンテバサド、ダバラデートの聖地をめぐる思想とは違って、市民と町を守るという思想のノーボサーラは、あなたたちにとっては英雄的だったはず。」

英「何が英雄だ。あいつらは民間を巻き込む迷惑者だ。あいつらがアンテバサドに手を出さなければ、テラカルメの町はこんな戦場にはならなかった!人も家も車も農地も、全てこんな廃墟な地にしたのは、ノーボサーラが居るからだ。」

なるほど、奥が深い、というか根が深いと言うべきか、

米軍の情報では、ノーボサーラは、攻撃的なダバラデートの侵略や略奪者から民間を守る民間警備隊のような存在であった。テラカルメのノーボサーラは発祥の町であり、規模は小さいながらも、テラカルメの民間の支援があってテラカルメ周辺の町にもその警備範囲を広げて支援、協力を得て大きくなった。とあった。米軍の情報は古くなりつつあるようだ。

こんな風になったのは、民間の人達の意識が変わったのか?ノーボサーラの姿勢か変わったのか?それとも両方か?

ノーボサーラは民間の協力支援がなくても、日本人の金を盗まなくても金に困る事はなくなった。組織を維持するための資金に困らないしっかりした後ろ盾があるからと考えて間違いないだろう。戦争は金がかかるのは事実。

民間人の意識から独立しつつあり、民間人はノーボサーラの存在を疎ましく思っている。そして、そのノーボサーラの一員であるエバは、大金を持って食べ物以外の何かを買おうとして買えなくて、腹を空かせている。

英「なるほど、よくわかったよ。真実を世界に伝えるのが僕たちジャーナリストの務めだから。」

とりあえず、ジャーナリストがよく使うありがちな志を、言っておく。

英「ふん。お前らは良いよ。」店主は顔を俺から背けて、そうつぶやいた。

英「その真実を伝える義務として、僕は、あんな子供が戦士であることも世界に伝えなきゃならないんだ。あの子がここで、何を買おうとして買えなかったのか知りたい。教えてくれないかな?」

英「・・・・・これだよ。」

鼻から息を息を吐きだしてから店主が指さしたのは、レジの置かれた棚の下のガラスケース。鍵が掛けられていて、指輪やネックレス、時計、小型のカメラなどが仕舞われていて、この店の高級品と位置づけされる品々が陳列されていた。

そして、店主が指さすのは、十字架のネックレスだった。十字の中央にトルコ石がはめ込まれている少しだけ洒落た、よくあるデザインの物だ。青錆が出てきていて、決してきれいとは言えないけれど、その青錆が純銀製であることの証明だ。日本円換算にして、5万円弱。この国では半年は裕に暮らせる値段。

英「本当に、これ?」

英「あぁ、これだよ。」

英「これは誰から買い取った物?」

英「覚えてないね。もう随分前から店にあるんだ。銀としての価値はあるが、この町でこんな物を買う余裕のある奴はいない。これでも少し安く値段を下げたんだ。それでも売れないよ。今は装飾品よりも日用品や食料が必要だからね。」

英「売れなくて困ってるなら、あの子に売ってやったらよかったのに。」

英「ふんっ!何で、こんなもんが欲しいのか知らんがな。いくら売れ残って困っていても、ノーボサーラには売らん。ノーボサーラの金なんて持ちたくないね。もういいだろ、商売の邪魔だ。」と店主は新聞を広げて横を向いた。

英「店主さん、ありがとう、色々教えてくれたお礼に、僕がそれを買うよ。」

英「へっ?」

英「あぁ、ランドが足りないから、米ドルを混ぜてもいいかな。」

店主は急にニコニコして態度を変えて、逆に米ドルの方がいいと全部を米ドルにしろと要求してきた。

品物を手に、上機嫌な店主の「ありがとうございました」の声を背に店を出た。

さぁ、これで、エバは自分のアジトに案内してくれるだろうか。

食堂にまだ居るかな?




食堂に戻ると、エバはまだそこにいた。それどころから、エバの隣には初日に出会ったジープの一団のリーダーが居る。その男は、店内に入った俺を冷たい目で迎えた。

なるほど、こいつだ。消える視線は。

英「やぁ、君はこの間の、ちょうど良かったよ、君に会いたかったんだよ。」

英「・・・・・。」まっすぐ俺に見据えるリーダーの男。

英「僕は、戦場の真実を日本に伝えたくてね、ノーボサーラの指導者に会ってインタビューをしたいんだ。どこにいるか知らないかな?」

英「・・・。」身動ぎ一つ、視線も動かず、ただ俺を射抜くように見続ける。

警戒しているのか?にしては、この余裕は何だ?

対照的に、隣に座るエバは男と俺を見比べそわそわと所在なさげ。

英「エバ、ちゃんと食べたんだね、お腹いっぱいになったかい?」

英「う、うん・・・ごちそうさま。」消え入るように、そう答え、隣に座るリーダーの男に様子を窺うようにしてからうつむいた。

ちゃんとごちそうさまを言うと言うあたり、意外にちゃんと躾られている事に驚きを覚える。

英「エバを飼い慣らしても、何も知りはしない。」男がやっと喋る。だけど瞬きもせず、見据える視線は全くブレない。

英「それでも、それしか方法が無いしね。」

立ち上がる時も、俺への視線を離さない男。尻のズボンから金を出し机に置いた。エバが食べた魚介類の煮物料理と同じ金額だ。俺がその金に気をとられた瞬間に、視線を外して店の出入り口へとゆっくり歩む。エバが慌てて男の後を追った。

英「待て、エバ!バンダナ要らないのか?」

英「あっ、えーと・・・」エバは、やっぱり男に様子を窺うようにオドオドする。男が振り返る。

英「エバのバンダナの心配より、自分のパスポートの心配はしないのか?」

動揺して、驚いた表情を出してしまった。

男は目を細める。

英「世話になったな。」

去って行く二人を見送って、自分が息を止めていた事に気付く。

なんて奴だ。

特務訓練をした自尊心を見事に壊してくれる。





拠点をテラカルメの町から南へ、ガレという町へ移した。ここは、第二勢力のダバラデートが最近、制圧しようとして戦況が激化している地域。半年ほど前まで、ここは物資輸送の中間地点だった。ここから東に約25キロの場所にあるシリルという町が、ダバラデートに制圧されてしまった為、隣国のリビニアから支援を受けているアンデバサド派の輸送ルートが変わり、ガレの町を通るにつれて、ダバラデートの襲撃を受ける事になった地域である。2つの勢力が交戦しているそのガレの町に、ノーボサーラの兵士の姿が現れ始めたと言う情報を手に入れた。

2大勢力が戦っている場所に、わざわざ、首を突っ込む状況のノーボサーラの真意がわからない。ノーボサーラは、宗教的思想から発生した勢力じゃない。テラカルメの民間警備の思想が発端だ。テラカルメ周辺の防衛をしていれば良かったはずだ。それなのに、数昨日、わざわざ戦意声明を出したというのだ。

『ノーボサーラは、いかなる理由であれ、争いそのものを排除する組織である。』

短い戦意声明だ。それは民間の警備で地域から重宝がられていた頃と何ら変わらない方針であるように見えるが、宗教的思想がないからこそ、危険な組織だと論じる者がいた。

その意見に俺も同意だ。アンデバサドやダバラデートはサーラダ・アルベールテラという聖地の取り合いの戦いであり、どうにかすれば妥協点が見いだせる可能性がある。しかも紛争地の拡大はある程度の限界があるため、被害地及び現地被害者の数はある程度で留まるだろう。それがノーボ・サーラの介入によって、紛争地域は拡大し、紛争概念自体も変化してしまう懸念が出てくる。

そうなると厄介だ。ただでさえ、既にアメリカとロシアが介入してバックグラウンドでは冷戦が起きているというのに。

個人、団体、組織、国が身勝手な都合や思想で紛争に加担する。

エバは誇らしげに、黒地に細い黄色十字のマークのバンダナを指差していた。誇示が固辞になり、世界から危険思想集団とみなさされなければいいが。

エバのバンダナは今、俺の背中のリュックの中にある。

遠くで銃声と町を破壊する爆音とともに振動で足元を震わせる。

市街地からはずれた道路を歩き、それらしくカメラを向けて取材を装っている時だった。眉毛の濃い男がニヤついて近寄ってくる。前歯が一本抜けていた。

英「よう、日本人。ノーボサーラのアジトを探しているって?」

英「あぁ、取材したくてね。遠い日本では、情報は中々入らない。」

英「はははは、お前さん、そりゃ無理だぜ、ガイドつけないと。戦場取材するにはガイドが必要だぜ。』

それぐらいわかっている。そもそも、取材は覆面の姿であって、ガイドは必要ない。ポルトガル語がわからなくて、時々難儀はしているが、要所では、英語が使える人が居て、少々の小金を渡すと通訳をしてくれた。

英「俺をガイドに雇わないか?伝手あるぜ。」

英「ほんとか?」

英「あぁ」嘘くさい笑顔。

わかっていても、手がかりがないのが現状で、いい加減にこの町もダメかと思っていたところだった。

この嘘くさい親父に賭けてみるのも悪くはないのかもしれない。何かが動く時は必ず誰かからの指南がある。

英「ガイド料いくら?」

英「1日200米ドル。ノーボサーラのアジトを知っている奴に引き合わせるのに500米ドル」

高い。日本人だからとカモられている。

英「高いよ。話になんない。」手を振り、立ち去ろうとすると、男は慌てて、値段を下げて来た。

英「じゃ、特別だ170ドルでどうだ?引き合わせ料は400ドルでいいよ。」

英「・・・・・・。」

英「150ドルだ。引き合わせは350!」

もうちょっと黙っておこう。

英「130・・・・」

英「1日100ドルで、引き合わせ料は250ドルこれ以上は出せない。」

英「・・・・・OK・・・」

笑みを無くし、残念そうな顔で俺の肩を組んできた眉毛の濃い男。甘い夢を見過ぎだ。1日100ドルでもいい稼ぎになるはず。



濃い眉毛の男は、名前をゴメスだと、フルネームは言わなかった。その時点で、やっぱり契約は無しにするべきかと一瞬考えるが、手掛かりのない今、この男に頼るしかない。前金で一日分の半分50ドルを渡すと、早速、瓦礫と化したガレの町を観光案内でもするように、オーバーな手振りで説明しながら町を歩き回った。

昔は、ここは噴水があって綺麗だったとか、この店は夜になると女が帰るとか・・・一応はジャーナリストだから、素直に聞いて適当に写真を撮るが、一向にノーボ・サーラに近づく気配がない。怪訝にそれを指摘すると、ゴメスは「タイミングが大事だ」と首をすぼめた。

そんなこんなで、ゴメスと一緒に行動する事4日目の朝、宿として間借りしている民間人の家の前に、ゴメスは一台のボロ車を乗り付けた。これからノーボサーラのアジトを知っている奴と郊外の場所で落ち合うと言う。

民間人の家の主人に今日の分の金を渡し、荷物を全て持ってゴメスの用意した車に乗り込んだ。車はエアコンが壊れたステーションワゴン。涼を求めて窓を開ける。砂交じりの熱風が顔をたたきつけるように入ってくる。

遠くの方から、パラパラパラと音が聞こえる。ここでは人が死ぬ音も、意識の重さも、軽い。

ふと、「まだ、生きてるなぁ、俺。」と思う。成り行きとはいえ、まじめに ミッションをやり遂げようとしている自分が馬鹿みたいだ。死の間際は「やっと死ねる」と、未練など微塵もなく逝ける自信がありながら、いくらでもある死ねるタイミングに踏み出さない。恐怖がそれを阻止する本能が働いているのか?否、それはないと断言できる。CMDとDSPDの訓練で恐怖をコントロールする術を施されている。死の恐怖がないからこそ、死の願望は曖昧になってしまったのかもしれない。

俺は今でも本当に死にたいのか?

その答えが明確になる時こそ、自分が死ぬときのような気がする。

どうしようもない追慕に浸っていると眠ってしまったようだ。車が激しくバウンドした振動で目が覚めて時計を確認する。10分ほど寝ていた気の緩んだ自分に舌打ちした。

英「あと少しだから。」ゴメスが勘違いをして、愛想を振りまいてくる。

町で買った地図を広げると、ゴメスはある場所に指を置く。ガレの町から北西へまっすぐ伸びた道のおよそ約15キロから20キロあたりの何もない空間。さらにこの先30キロも行けば、アンデバサド派が占領する地域にかかる。今どのあたりを走っているかわからないから、ゴメスの言うあと少しがどれぐらいか、予測もつかない。

土埃にぼやけた変わらない景色をのぞみ、また眠りそうになるのを、口の内側の肉を噛んで防ぐ。鉄の味がした。それから一時間ほど、本当に何もない乾いた赤土の荒野を車はひた走る。前方に建物の集落が見えてきた。地図を見ても何も書かれていない。

車は集落に入り、ゴメスはさび付いた給油機のある店に車を停めた。

英「給油するよ。」

英「まだかかるのか?あと少しは長いな。」

英「帰りの燃料だよ。約束の場所は、この村だ。」と言って車を降りる。

次いで俺も外に降りた。見渡して、ここ以外に店のような建物はない。洗濯物がなびく石作りの家が集まっている。傾いたバラック小屋のような家もある。人の気配はない。と言っても、ここアフリカでは、日中人は外を出歩かない。

このガソリンスダンド兼よろず屋が中心地になっているような村だった。

ゴメスが店の中から一人の男を連れて出てきた。背が低く、顔に年輪が刻まれた皺が深い初老の男は、俺を物珍しそうに見上げて、ポルトガル語で何かを言い、車にガソリンを入れていく。

英「ガソリン代と引き合わせ料の前金を貰う」とゴメスは手のひらを出した。

英「この老人が、ノーボ・サーラのアジトを知る人か?」

英「いや、この人はただの店主だ。ここで指示を待つんだ」

やはり信ぴょう性に欠ける。金は必要経費としていくらでも使えるから渋る必要もないが。信頼していると思わせた方が、日本人ジャーナリストらしいだろう。俺は、引き渡し料金半分の125ドルに525ドルを上乗せしてゴメスに渡した。ゴメスは一本ない前歯を見せた笑みをして、店の店主とポルトガル語で何やら話しかける。

太陽が頭の真上にある。ジリジリと焼け付く日照りは、大地の水分をもうこれ以上ないぐらいに乾ききる。

昼飯はどうするのだろうか?珍しくゴメスは何も言わない。ゴメスは昼と晩、俺を食堂に連れて、食事代を出させていた。食事つきの一日100ドルのガイドなんて破格の稼ぎだ。

英「トイレ借りれるか?」

ゴメスが初老の男に通訳し、親父に了解を貰い。万事屋の店舗へと足を向けた。

店は暗く、外からの明かりしかない。商品棚には数えるほどしか物がない。

トイレのマークらしき標識をみつけて店の奥へと向かった。建付けの悪いドアを押し開くと、外に出た場所にブロックで積み上げた小さな小屋らしきものがある。糞尿のにおいが鼻をつき、その小屋がトイレだとわかる。目隠しに木でできた羽根扉を押してはいると、地面を掘って作っただけの手作りトイレだった。小便を済ませる。当然に手を洗うような水道はない。

油断した。背後の気配に気が付いたときには、もう遅い。ライフル銃を構えた男4人にと取り囲まれていた。

英「手を上げて出てこい。」

英「えっ?何?」

英「お前の身柄は俺たちの物になった。」

男たちに取り囲まれて店の表へと戻ると、ゴメスが憐みの顔で首をすぼめる。そして一人の男から金を受け取ると車に乗り込み走り去ってしまった。

やられた。身売りされたのだ。

1年ほど前から、アンデバサドが外国人を誘拐して身代金を要求すると言う事案が起こっているのは知っていた。それなりに警戒もしていた、だからガイドをつけなかった理由でもある。今日は注意力散漫だ。車で寝てしまった時点で脳の意識低下に気付くべきだった。CMDとDSPDの耐性訓練を非人道的に短期間で施した副作用と言える。無自覚的に三半規管の狂いが生じ、脳機能の停止状態が断続的に起きる。ミッション中にそれが起きれば、今のように人の気配を感じられずに捕得られてしまうということが起きるから、条件反射で身を守れる軍武術を鍛えられているのだけど、さすがに4つの銃を向けられていては、無理だ。

英「いくらの身代金が取れるか楽しみだ。」

背負ったリュックをはぎ取られる。男は荷物をあさり、そして叫んだ。

英「パスポートはどこだっ!体か?」ベストのポケットやスボンの中まで手を入れてくる始末。

これが女の子ならうれしいのだけど・・・

英「パスポートは、ちょっと前に盗まれた。」

英「はぁ?馬鹿かお前!」

その言葉をそっくり返したい。俺を誘拐しても何の得にもならない。米軍はミッション失敗した愚弄な兵士を捨て置きするだけだ。

英「まぁいいや、こっち来い!」

銃を突き付けられたまま、店の横に止めてあったジープへと歩かされる。てっきりそのジープはこの店の初老の男の物だと思っていた。その初老の男は、今はどこにもいない。

誘拐という手段を使うことから、この男たちはアンデバサト派だと当たりをつけるが、状況ははっきりしておきたい。情報は身体よりも重要だ。

英「えーと、俺が人質になったってのはわかるけど、僕はどこの組織の人質になったのかなぁ。」

英「・・・・・。」男たちは応えない。

英「ノーボサーラの人?ダバラデード?アンデバサト?」

順に言って様子を見る。一番体格のいい男が、アンデバサトで少しピクリと眉が動いたのを見逃さない。

英「うるさい!人質はおとなしく黙ってろ!」銃の柄で脇腹を力いっぱいにつつかれる。予見していたから、腹に力を入れて身構えてはいたけど、脇腹は腹部より軟弱だ。ダメージを食らう。

やっぱりアンデバサト派か。

アンデバサトが金に困っていると言う情報は本当だった。

コルダン国の強硬派は、次第に行き過ぎる過激な行動にコルダン国内軍からも孤立しつつあり、拡大し過ぎた占領区の維持にも金がかかり、金の行き詰まりを起こしていると聞いていた。安易に金を調達出来る手段として、取材と称して戦場に来る馬鹿な外国人を誘拐し、人質の国籍政府に対して金を要求する。成功すれば大きな資金が得られる。現に1年ほど前にフランス人ジャーナリストを誘拐したアンデバサトは、身代金2億を政府に要求した。世界向けには、フランス政府はアンデバサトと交渉が成功し身代金無しに人質解放に成功したとなっているが、実際の所、金はアンデバサトに渡されているのは容易に考えられる。

俺が近づきたいのはノーボサーラなのにアンデバサト派に捕らえられるなんて、なんて失態。パスポートがないのはある程度の時間稼ぎになるだろうが、むやみに日本に身代金を要求されたら、この上なくまずい。身元はすぐに判明し家に連絡が行くだろう。そうなれば、家はメディアが騒ぐよりも早く、政府に働きかけ金を用意し対処するだろう。それが容易く出来る家なのだ。何としても、日本に身代金を要求される前に状況を変えなければならない。


ジープは、予想通りアンデバサドが占領区としている地域方面へと向かっている。方角からして、この先30キロの街ムトワニと言う町へ行くだろう。そこに着くまでに何とかしたい。チャンスを伺っている間に状況が悪化してしまう。俺を銃で囲った男4人以外に、途中から車が一台増えて、後ろをついてきた。そのジープに4人の兵士が乗っていた。総勢8人のアンデバサトの兵士たち。これ以上に人が増えれば逃れるチャンスは皆無になる。しかしながら後ろ手に縛られて、口にはエバのノーボサーラのバンダナで轡されてしまっているこの状況では、きっかけを作ろうにも動けないでいた。

エバのバンダナを見つけられた時「お前はノーボサーラの人間かっ!」と殺意むき出しの警戒をされたが、拾ったとの弁明は、日本人ジャーナリストのIDと共に簡単に信用された。明らかな日本人容姿であることが助かった。と胸をなでおろした自分が嫌になった。

そのままノーボサーラだと言って暴れたら、ハチの巣にされて死ねたばす。バンダナをエバに返すまでは死ねないなんて思った自分の律義さが憎らしい。

車内が、突然騒がしくなる。ポルトガルで交わされる叫び。男が指さす方を見ると、南東方向から2台のジープが猛スピードで荒野を跳ね、こちらに向かってくる。

葡「まずいぞ!追いつかれる前へ突っ切れ!」

葡「後ろからも!」

葡「ダバラデードか!」

葡「間に合わないっ!」

後ろからも一台現れたようだ。挟まれた状態の俺を乗せたジープは、スピードを上げた。どうやら、斜め方向から追撃してくる車をよりも先に前を出たい作戦のようだ。

ポルトガル語はわからないけれど、言葉の中にタラバデードという単語を聞き分け、タラバデード派の襲撃に合っているのだと理解する。

パラパラと乾いた音、銃痕が車体に当たる振動。後ろのガラスが粉々に崩れ落ちた。

頭を沈めて流れ弾に当たらない様に身を隠す。でも猛スピードで走る車は車体を躍らせ、身体をあちこちにぶつける。

運転席の頭のシートに銃痕の穴が開いた。俺に銃を突き付けていた隣の奴が、後部シートを台にして、ライフルを構え応戦。それも、一瞬で終わる。男は頭を吹っ飛ばされて、屈んでいた俺の体に覆いかぶさるように倒れこんできた。血がポタポタと俺の肩に落ちてくる。奇しくも俺はその遺体のおかけで、跳ねる身体を安定することができて、襲撃の盾にもなった。

これはチャンスか?逃げる為の?それとも死ねる為の?

遺体の男が腰に差し込んでいたナイフを手探りで探し当てて、引き抜こうと試みるが、後ろ手では思うように上手くいかない。

パラパラと銃声は続く。男たちの叫び声。

やっとナイフを手に掴んだと思った瞬間、車は大きく跳ねあがり、一瞬の無重力。重かった遺体も俺から離れる。すぐにドカッと大きな衝撃が連続して車は停止する。

葡「逃げるぞ!」

葡「くそっ!」

アンデハサトの兵士たちが口々に叫んで車を降りるも、やっぱり銃撃戦は続いて、車を盾にした応戦は激化する。

運転席と助手席の間にあおむけで挟まっている遺体の腰から、なんとかナイフを引っこ抜き手にする。体をひねり、シートの割れ目にナイフを押し込んで固定する。手首の隙間にナイフの歯を差し込み、こすりちぎった。やっと自由になった手で、足のローブをほどく。口に縛ってあるバンダナをそのまま下へ下げおろし、沢山の空気を吸い込む。死んだ男の手から銃を奪う。

弾数を見るとあと2発しか残ってない。

「無駄にぶっ放しやがって、へたくそ。」

そっと外の状況を覗き見る。ダバラデードの車が、アンデバサドのジープの進路を塞ぐようにして正面と二時の方向で停まっている。こちらのジープは轍に突っ込み傾いている。この傾き加減は、タイヤがパンクしていると思われる。後方のこちらの仲間のジープは、この車の左後方で停車、兵士がドアを盾に銃で応戦している。前方と後方からの襲撃で、アンデバサト派は断然不利だ。兵士は打たれて死なないまでも、うずくまっている。アンデバサトの敗北が濃厚の戦況。ロープを解いたのが間違いだったと舌打ちをする。後手に縛られたまま、おとなしくしていれば、人質を護送するところだと理解して、むやみに日本人を殺したりはしないだろう。なまじ、身につけた訓練のスキルが仇となる。再度、後ろ手にロープは結べない。

左右のドアが開閉するか調べる。どちらも壊れてはいない、開けられる。自分が座っていた側、運転席の後ろのドアを、少しだけあけた状態を足で押さえておく、飛び出せる態勢ができたら、後ろ足でドアを蹴り大きく開け放した。当然に襲撃の銃はその扉に集中する。その隙に反対側の扉を開けて外に出る。隣に停車している後ろからついてきていたジープの運転席の扉と、いい具合に囲まれた空間になった。後ろの車を運転していた男が、拘束のほどけた俺の姿に驚いた表情を向けるも、厳しい戦況の銃撃戦に忙しくて、それどころじゃない。

英「悪いね、逃げるチャンスなんだ。」

言った直後、嫌な音を耳にする。流線を描いてこちらに飛んでくるグレネード榴弾。あんなものまで用意できるのか。俺はすぐさま後ろの車のボンネットに駆け上がり、反対側に滑り落ちる。ジープのタイヤを背にして座り込んだ瞬間、派手な音を立ててグレネード榴弾は爆発する。二つのジープの窓ガラスが砕け落ちる。ジープは振動で揺れ傾く。短い言葉を交わした後ろの車を運転していた男は、肉片だけとなってジープの周囲に散らばった。耳を防ぐ暇がなかった。ツーンと耳の中が籠った状態になる。無音で状況が進行する。

アンデバサト派の兵士は、グレネード榴弾による爆発に、パニックになって逃げていくも、ダバラデードによる追撃で銃で撃たれ倒れる。

まだ生き残っているアンデバサト派の兵士は3人。うち一人は負傷して後部座席の扉を内側でうずくまっている。

助手席の扉を盾にしていた男が、血走った狂気の目で俺を見下す。

まずい。発狂だ。

俺は助手席の扉を蹴り男の身体にぶつけようとした。だが、間に合わず、扉は勢いよく閉まっただけ。

男はジープから数メートル離れた場所まで駆け出ると、闇雲に銃をぶっ放した。

死の間際の狂気は凶器と化する。

逃げようと立ち上がった俺の横腹に熱い物が走る。

ちっ!。くそっ、弾を無駄にしやがって・・・・・

発狂した兵士は、敵に撃ち狙われて、倒れる。

脇腹から、とめどなく血が流れ落ち、乾いた大地に吸い込まれていく。

フワッと無感覚に陥る。血圧の急激な低下だ。

あぁ、本当にやばいな。

英「日本人か!」

葡「そいつは殺すな!」

やっと戻った聴力と反比例して、視界が暗く狭くなっていく。

頬に大地のざらついた感触。顔の傍に誰かの足。

やっと死ねる。

ほら、恐怖などない。

望み通りの死に方だ。未練などない。

青い空に黒くなびく物。

やっと迎えに来たか、死神。遅かったな。

里香、待たせたね。

やっと会えるよ。

どうした?

どうして、そんな悲しそうなんだ?

葡「そいつを車に運べ!」

ポルトガルはわからない。

何をそんなに怒っているんだ?エバ・・・

あぁ、ごめん、忘れていたよ。

バンダナ、返せなくてごめんよ。

ノーボサーラの誇りの証、

死神のマントと同じ色の

黒いバンダナ。







目を覚ました状況に、ここは天国か?地獄か?なんてありがちなセリフを口にするまでもなく、ここは現実だとわかる。

脇腹の熱を持った痛みが疎ましくて目を覚ましたから。痛みに歯を食いしばり何とか体を起こす。見ると、無造作に巻かれた包帯は、うすく血に染まって茶色い。

巻き方もこれ以上ないぐらい適当。その巻きの雑さで病院の手当てを受けていない事は、間違いないと判断する。

記憶を辿れば、襲撃してきた奴らが日本人か!と叫んでいた。と言う事は、俺はダバラデートに捕まって、雑に手当てされたのだと判断。

手当てされているだけマシか・・・っていうか手当てのおかけで生き延びたのか。

理想の死に方に近かったのに・・・・鍛えた体の屈強さが憎らしい!

ダラバデートは確かに米軍よりだけど、俺はSA任務を受けている限り、その事は絶対に言えず、日本人ジャーナリストを全うしなければならない。そして、俺の身柄がどこに拘束されても関知しないというAランク規約。タバラデートの捕虜になったからって、何の安心もない。気を失っている間に、日本に連絡されていないだろうか?と心配する。周囲を見渡し、天井近くの窓から光が差し込んでいるのを視認し、そして、自分の荷物がこの部屋にはない事を確認。きっとダバラデードは俺の荷物を車から回収しているはず。そこにはパスポートは無いにしろ、ジャーナリストのID証はある。いくらID名が偽装だったとしても、俺の顔写真を取られて照会されたら身元はバレてしまう。

まずいな。さっさと逃げなくちゃ。というか、俺、どれぐらい気を失っていたんだろう。

腕時計を見ようと、いつもの癖で腕を見て気づく、腕時計は外されて無い。上半身裸の腹に無造作に巻かれている包帯姿で、時計している方がおかしい。

コンクリートむき出しの地下室のような場所、ベッドと傍に置かれた木製のテーブル以外に何もない。捕虜の部屋としては、まぁ光が入るだけマシな方なんじゃないかと思う。部屋の鍵が開いている期待はしていないけど、一応の確認の為に立ち上がる。も、貧血で立ちくらみ、ベットに手をついた。

っ痛ぅ・・・包帯の下で、生ぬるい体温を感じる。傷から血が流れはじめた。

完全に血が足りない。眩む視界が正常に戻るまで、25を数えた。だから、どうなるわけでもないけど、なんとなく。

包帯の上から傷口に触ってみる。包帯の下にタオルか何か布製の物が当てられているのか、流れ出て行く血は、それに吸い込まれて重たくなっている。

狂ったアンデバサドの兵士との距離からして、銃弾は貫通したはず。体内に残って居なければいいなと淡い希望も、重く続く痛みに脳から排除される。息を吐き、ドアまで歩く。腹の痛みが足枷をはめられたようにゆっくりとしか動けなかった。

ベッドから数メートルの距離でこの冷汗。あのまま死んだ方が楽だったのに・・・。タバラデートは何、良心的に人助け何かしてやがるんだ。と心の中で悪態をつく。


カビたアルミ製の扉のドアノブは、やっぱり鍵が閉められていて、引いても押しても開かない。この腹の傷がなければ、ブチ破る事が出来たかもしれないが、今は体を起こすだけで精いっぱいの力しかない。

「はぁ~参ったな。」止めがちな息を吸うために、わざと声に出す。

ふと、扉の向こうから足音が近づいてくる気配。

扉の留め金を見て、内側に開くドアだと判断、ドアの後ろに隠れられるように身をひそめる。

その足音が、この部屋に入ってくることを願って。その願い、神か悪魔か、どちらが叶えてくれたのかわからないが、幸運にも足音は部屋の前で止まった。続いて、ガチャと鍵が開く音、ドアノブが回る。

ドアに何かがあたった感触と、ベットに俺がいないのを瞬時に見つけた兵士は、驚いて手に持っていた何かを落として、ドアの後ろにいるであろう俺に身構えるも、俺がその小さい兵士の口を塞ぎ、捕まえる方が早かった。だか、相手も抵抗し、腹の傷に肘が当たる。

「うっ・・・。」激痛走る腹を抱えてうずくまる。

英「お前!」

えっ、この声・・・・・かみしめた痛みに、無理やり目をこじ開け、その声の姿を見る。

「エバ・・・」

どうして?という疑問より、良かったの方が先に沸き起こった。

「よかった・・・・バンダナ返せる・・・」

英「おいっ!」

「また・・・・会えたね、エバ。」

英「ちょっ、ちょっとーぉ」

「2度あることは3度ある・・・・」

英「おぉいっ!しっかりしろ!」

エバの叫びが、暗くなる視界と共に遠くなる。

「・・・・日本のことわざ、悪くない・・・・」

英「おおい、死ぬなよ!死なせるなって言われてるんだ!お前が死んだら俺が怒られる!」

エバに覆いかぶさるように膝をついた。

英「うわーっ、重てーよ。」





死神の世界にも、きっと命の価値にランクがあって、あいつらは特上の命を狩るのに忙しいんだと思った。

俺の命は生まれた直後に捨てられるという、死神すらも欲しがらない命。それを俺が拾ったんだと喜ぶ友は、本当に馬鹿だと思う。

英「い、いくぞ・・・・」

英「あぁ・・・思いっきりやってくれ。」

俺は、簡易ベッドのバーを握る拳に一層の力を入れる。口の中の舌は、泳がない様に出来る限り奥に引っ込めて、歯をがっちりと合わせた。

躊躇うエバに歯を閉じたまま、やれっ!と目で合図を出す。

英「わわわ、」

エバと同じぐらいの、まだ幼い表情を残す男の子アーサーは、もう腰を抜かして、壁を背に座り込んでしまった。

英「死ぬなよっ!」

死神は俺を嫌っているから大丈夫だと言う冗談も言う暇なく、エバが両手で持っているガスバーナーの火は、俺の背中にあてられる。

肉が焦げる臭い。この臭いだけで人間の肉は美味しくないとわかる。そして人間の脳はよくできていると感心する。行き過ぎた痛みは痛みと認識しない、行き過ぎた熱さは熱さと感じない、がすべての体の筋肉がその感じない痛みに抵抗しようと強張る。

英「水!」

座り込んでいたアーサーが慌てて、傍にあるペットボトルの水を俺の背中にぶちまける。

狂喜乱舞に撃たれた腹の傷は、奇跡的に内蔵に損傷は与えなかったようだ。しかし、血が中々止まらない。裂けた傷を縫うにも針と糸なんてここにはなく、それがあったとしても銃痕の穴に近い傷はきっと塞ぐのにかなりの技術が要するだろう。究極の貧血でふらつく俺は、エバにガスバーナーがあれば持ってきてほしいと頼んだ。エバは、俺が、ここから脱出するために使うのかもしれないと警戒していたが、傷を焼いて塞ぐためだと説明したら、このアーサーを護衛につれて持ってきてくれた。

腹の傷を焼いて塞いだ。背中は流石に手が届かない、だからアーサーにやってくれと頼んだら

怯えて無理だと嫌がった。「このままだと出血多量で死ぬ。死なせるなとリーダーから言われてるんだろう。」

と言ったら、エバが「私がやる。」とガスバーナーを手にした。

深部の傷がどうなっているかはわからない、とりあえず、表面だけでも焼いてしまエバ、血は外には洩れないだろうと、簡易的な考え。

それにきっと殺菌効果もあると思う。まぁ・・・このまま失血死でも良かったんだけど。俺が死んだら、エバはリーダーに叱られると言うし、

俺もやっと目的のノーボサーラのアジトに来たんだ。目を覚ました命運は、死神が欲しがらないぐらい、まだ陳腐で売れ残っている。

そう、ここはエバたちが住処にしているノーボサーラの隠れ家。俺を乗せたアンデバサドの車列を襲撃したのは、ダバラデートではなくて、ノーボサーラの兵士たちだった。

英「ぐっ・・・・・はぁはぁはぁ・・・・」

止まった息を無理やり吐きだして、息を吸う。

英「だっ、大丈夫か?」

強がる余裕もない。床に手をついた。その手も力が入らず、そのまま顔をコンクリートにつける。

コンクリートの冷たさが心地よいと感じたのも、束の間、腹と背中は、ドクドクと、波打つ痛みが襲う。

英「おいっ!死ぬなよ!」

英「うわー、やっぱり無理だったんだよ。素直に病院の前に捨てておけば良かったんだよ。日本人なんだから、病院もほっとかないだろ。」

英「知らないよ。ラモンが、病院は必要ないって言うんだから・・・・」

エバとアーサーが倒れ込んでいる俺をどうしようも出来なくてオドオドしている中、俺はまた気を失った。

それから俺は3日間、高熱をだして、寝込んでいたらしい。苦しいすらも記憶にない俺は、ここに運ばれて、5日目の朝、腹が無性に減って目を覚ました。

英「寝込んでいる間、火傷の消毒、やってくれていたんだね。ありがとう。」

英「・・・・・死んだら叱られる。」

エバは照れた顔を背けて言う。腕には、俺から取り返した黒地に黄色十字柄のバンダナが巻かれている。

英「ここのリーダーって、この間、食堂であった人だよね。怒ったら怖いの?」

英「・・・・怖いけど、優しい。皆ラモンを尊敬している。」

少しの時間しか、ラモンと言う男とは会っていないけど、確かに、リーダー的素質はあると感じていた。

英「アーサーは?今日は見かけないね。」

エバが運んできた固いパンを豆が入ったトマト味のスープの缶詰の汁に浸しながら、俺は数日ぶりの飯にありついていた。

英「アーサーは隣街へラモンの使いで出ている。」

英「エバは留守番か。」

英「俺はっ!・・・・お前の世話を命令されている!お前がいなければ、俺だって前線にっ!」

ここのリーダーラモンと言う男は、中々常識ある価値観の持ち主だと判断。

エバと最初に会った時、エバは一人で街をウロウロしていた。悔しそうに唇を噛むエバを見て、きっと毎回は戦地に連れてってもらえていない。女の子を前線に連れ出さない。使える人間は女子供でも使うと言うのが当たり前の戦地で、若い人間で構成される組織では珍しい。

英「エバ、君は女の子だろ。銃なんか持たなくても、」

英「俺はっ!男だっ!」エバは怒って立ち上がる。

英「エバの名前の由来知ってる?」

英「由来?」

由来の単語がわからなかった様で、エバは首を傾げる。

英「名前の持つ意味、真の名前って言ったらわかるかな?」

今一つわからない顔をするエバ

英「サーラダ・アルベール・テラは、サーラダ教の聖地の土地の名前であるけど、その名前の意味は、「始まりの鼓動」を意味する。鼓動とは人間の心臓が動く振動の事、人間の心臓がはじめて鼓動し始めた場所って言う意味で、サーラダ教だけではなく、キリスト教でもその土地は聖地として宗教的思想の拠点として重鎮な場所。」

やっぱり、エバはもう第二世代の兵士。何を目的で戦っているかなんてわからない、ただ憧れ的なリーダーの下でいい仕事がしたい、または、親兄妹仲間、大切な人を失った恨み、それだけが目的となってしまっている。俺が知っている簡易な知識すらもエバは知らず。

ここで起きている紛争が、聖地を独占したアンデバサトから取り戻すという基本的思想が、エバにはない。

英「その人間の心臓がはじめて鼓動した場所の、はじめての人間が、キリスト教では、アダムとイブと言う名前の男女だと教えがある。女の方イブと言う名前は、このあたりの言語、ポルトガル語で、エバと言うんだよ。」

英「おっ俺は・・・・」

話の内容に面食らっているエバの、男の子のようにショートカットの寝癖ではねた髪を、俺は撫でてあげた。

英「人類はじめての女性の名前がエバ。いい名前をつけてもらったね。」

英「やめろっ!俺は男だっ!」

手を振り払われた。悲しいかな、ここでは女の子が女の子として生きて行けない、人が人としても生きて行けない場所。

エバは、俺睨みつけると、部屋から出て行ってしまった。当然、外からカギを掛けられて、俺はいつまでも監禁状態。



それからしばらくエバではなくてアーサーが食事を持ってきて、俺がパンと缶詰の粗末な食事をする間、雑談をしていくと言う日が続く。

どうやら俺はエバに嫌われたらしい。

英「でさ、中開いて見たら、日本のエンジンを積み替えていた車だったんだよ。」

アーサーの親は車の整備士をしていたらしく、アーサーも幼いころから車の部品がおもちゃ代わりだったという。3年ほど前、住んでいた街がアンデバサドの襲撃で占領区となり、家は壊され両親も死んでアーサーは戦争孤児となった。

戦争孤児は、国連がリビエラ国と協力して保護はしているが、リビエラ国自体がもうほとんど機能を果たせていない無法地帯となっているため、アーサーのように、両親を殺された恨みで戦争に加担する子供が増える一方の現状。とりあえずアンデバサドや、ダバラデート、ノーボサーラのどこかの組織に入れば、明日の飯にはありつけるってわけだ。

英「やっぱり、凄いよ日本製のエンジンは、俺、一度、日本の自動車製造工場を見てみたいな。」

アーサーは、日本人の俺に、日本の車の良さを熱く語る。

まだ父親が生きていて整備をしていた頃、アメリカの車が運ばれて来たけど、珍しく長く走った走行距離に対して、壊れていない車に父親と不思議に思ったという。でエンジンルームを開けてみたら、日本のエンジンと制御コンピューターが搭載されて、流石は日本製のエンジンだと二人で驚きの感嘆をしたのだと言う。

英「そうだよ。こんな兵士なんかやめて、難民保護施設へと行ったら?そこで一生懸命勉強したら、きっと日本にも来れるさ。その時は僕が自動車工場を案内してあげるよ。」

英「ほんとか!・・・・あっ、でも・・・・」

嬉々とした顔が曇るアーサーを見て、俺は自分の口から出るその場しのぎの言葉に嫌気がさした。

何て俺は無責任なんだと。死を求めて軍に入隊した俺が、未来の約束をするなんて。

英「俺は、両親を殺したあいつらを許せない、両親を殺したあいつらを殺すまで、俺は施設には行かないんだ。」

英「アーサー・・・・」

英「それに・・・施設は国の管理。もうこの国は終わってるよ。国連も見捨てたと聞いた。」

英「そんな事ないよ。」

また、口から出まかせ。正式発表はしないが、国連は、増えつつある戦争孤児や難民の、受け入れ先に頭を悩ませている。すべての難民を手厚く保護する事は出来ない現状。

そこで、扉の鍵が開けられてエバが顔を覗かす。

葡「アーサー、集合だって。」

葡「あぁ、今行くよ。」

俺はアーサーがエバに注目している間に、魚の缶詰を食べるため用にトレイに置かれてあった小さなフォークをそっと、手のひらで包み込み袖口に押し入れた。

「エバ!久しぶり!エバが来てくれないと寂しいよ。」

両の手のひらを大げさに降って愛想を振りまいた。エバはフンと鼻を鳴らして、アーサーから俺が食べ終えた食事のトレイを受け取り、アーサーに早く行けと促す、そして、キツイ睨みを残して部屋の扉を閉め鍵を掛けられた。

俺を死なすなとエバに命じたリーダーは何を考えて、俺を生かしているのかわからない。ここに運ばれてから、10日が経った。食事は日に二回、朝と夕方きっちり与えられて、衣服も毎日洗ったものを渡される。焼いて塞いだのが良かったのか、貧血はなくなり、失った血も質素な食べ物が血となり肉となり、俺の体力も戻ってきていた。いつまでこの監禁状態が続くのかわからないけど、壁に爪で記しをつけて、日数だけは狂わない様にしている。そして、時間つぶしで、腕立て伏せと、腹筋、スクワットをまだ痛む腹の傷に冷汗をかきながら行っていた。筋力が落ちると、逃げるチャンスを掴めなくなる。

しばらく扉の向こうの気配に耳を研ぎ澄ませる。

エバがわざわざアーサーを呼びに来ていた。と言う事は、これから戦場に向かうのかもしれない。

天井の近くの格子窓からは光が入り込んで来ていたけれど、音は何も聞こえては来なかった。

ドアの外に人の気配がしない事を確信して、シャツの腕に押し込んだフォークを振るい出した。3つあるフォークの先、真ん中の一本だけを残して2つは指でまげる。一つになったフォークの先をドアの鍵穴へ押し込む。特務カリキュラムE5レベルの特訓で培ったノウハウがはじめて役に立つ。コツさえわかれば、こんな簡易の扉の鍵は簡単に開く。カチャと音がして鍵の解錠に成功。ドアノブを回す前に、もう一度外の気配に意識を集中する。何も違和感が無い事を確認して、そっと音を出さない様にドアノブを回した。5センチほど開けて外を見る。部屋より暗い、やはりコンクリートだけの廊下には誰も居ない。左手の上部から光が差し込んでいて、それだけが光源で二つある裸電球の照明は切られていた。音を立てず廊下に出てみると、両サイドに閉じられた扉が並び、耳を澄ませても、誰かが居る気配はなかった。自分が閉じ込められていた部屋の左手はすぐ壁で一番奥の部屋だと判明。扉は監禁されていた側に4つ、向う側に3つの計7つの部屋とコンクリートむき出しの階段があった。

一つ一つの部屋を確認して行きたいのはやまやまだが、まずは地上に出て、ここがどこであるかと、逃げ道を把握しておかなければならない。逃げ道確保は特務カリキュラムの基本中の基本。

30メートルの廊下の足元には所々に段ボールや木箱が詰まれている。中身の確認もしたいが、それは後回し、廊下の先にある階段を目指す。階段の途中の壁に光源になっている窓があり、階段の先は鉄の蓋でふさがれていた。その状況から、あぁ、だからかび臭いのかと納得しながら、ざらついたコンクリートの階段を登り、塞がれている鉄の扉を少し押し上げる。まぶしい光と共に砂も落ちてくる。

鍵がかかっていなくてよかった。と喜んだのもつかの間、外の出た俺は飛び込んで来た景色に唖然とした。

ここは・・・・・

あまりにも予想外な場所にしばらく脳が考えることを停止した。

「嘘だろ・・・・なぜ、こんな場所に・・・・」

微かに長閑な子供の声が聞こえてくる。

ポルトガル語は俺にはわからない。

だけど、それは確実に平和で未来に満ちた音であり光景であり場所。

ノーボサーラのアジトは、学校の下にあった。





外の気配が騒がしくなった。車が停車する音、ドアの開け閉じる音、ガチャガチャと武器同士が奏でる音。

そして、鉄板の入り口の天蓋が開けられる。階段を下りてくるノーボサーラの兵士たち。

外から差し込む光はもう夕暮れに。

葡「手当てを!」

葡「医療箱を持って来い」

肩を抱えて足取りおぼつかない仲間を抱えて階段を降りてくるノーボサーラの兵士たち。

怪我人が出たようだ。

俺が監禁部屋から出て廊下にいる事も無視されて、兵士たちは各部屋に駆け足で入って行く。

葡「何故だ!」

エバの叫びが廊下にこだまする。

葡「何故!アーサーを見捨てた!」

エバがラモンに詰め寄って叫んでいる。

アーサーに何かあった?

葡「アーサーはまだ生きてる!助けに行けばアーサーは間に合った。」

葡「アーサー一人の命の為に仲間全員が死ぬ事はない。」

葡「でもっ!」

葡「エバ、食事の用意をしろ。」

葡「ラモン!」

エバは怒り震える握った拳を振るわせて、叫ぶ。

葡「今から迎えに行く!アーサーはまだ生きている!俺がっ」

ラモンがエバの頬叩いた。

葡「遊びじゃない、ここは戦場だ。」

取り乱すことなく低い声のラモンの目は冷たく、何の感情も無い様子。

葡「戦士の生死を決めるのはリーダーである俺だ、お前じゃない。」

反対に、顔を真っ赤にしたエバは、言葉がわからなくても、どんな感情でいるかはもろ判りだ。

エバの目から一粒涙がこぼれ、乱暴に腕で拭うと、俺の前を通り過ぎて部屋へと駈け込んでいく。

アーサー・・・・死んだのか?

どんな事態にも冷静に感情を押し殺すのがリーダーの素質。それをあの男は十分に持ち合わせている。

この学校に下にアジトを構えるラモンと言う男は、俺の存在に気が付いても、やっぱり冷たい目を向けて、無言で俺に質問を投げかける。

何故外に出ているのだ?と

英「部下が閉め忘れたんじゃないか?開いていたよ、監禁部屋のドア。」

じっと向けられる瞳は何も答えることなく、静かに視線を外すと足音無く階段下のすぐ横の部屋へ入って行った。






日が落ちたこの国は、日中の埃っぽい空気とは違い、冷えた風がサラサラと足元を流れる。

日本では見られなくなった星が、悲しいかなこの国でははっきりと瞬きも見られる。

死んだらお星さまになるんだよ、なんてメルヘンな絵本の中の文字でしかないと思う紛争地だが、あの数ほどに人が死んでいるこの地では、あの瞬きは、もしかしたら本当に死んだ人達の哀しみの声なき魂の輝きなのかもしれない。

学校の外壁にうずくまるエバは、声を押し殺して、泣いていた。

俺は何もできないで、その横に同じように座った。

アンデバサドとダバラデートが交戦している所へ、ノーボーサーラは横から襲撃した。不意打ちな襲撃にアンデバサドもダバラデートもひるみノーボサーラの勢いが優勢に終わると思えた戦況は、アンデバサドを援軍するコルダン軍の登場によりノーボサーラは一瞬にして窮地に追い込まれたと言う。そんな戦況の中で、敵の銃弾に腹を撃たれたアーサー。まだ息があったが、激しい銃撃戦の中、助けに行く事が出来ないで、捨て置きされたと言う。

エバはやっぱり今日も戦地には連れて行ってもらえないで、行く途中の市場で車から降ろされていた。

迎えのジープ内にアーサーが居ない事に、問い詰めたエバが帰りのジープ内で聞いたのはアーサーが銃弾に撃たれて、そのまま見捨て来たとの事実だけ。

その冷静な判断は、やっぱりラモンはあの若さでここのアジトを取り仕切るだけはあると知る。

空を仰ぎ見た。黒く見える雲が足早に通り過ぎて行く。

また俺は、約束を守る事が出来ないで人を見送る。

「適当な約束なんてするもんじゃないな。」

日本語でつぶやいたのをきっかけにエバが鼻をすすって、腕の袖で涙を拭く。

英「昔は、あんなんじゃなかった・・・・優しくて、仲間思いで。」

ラモンの事を言っているのか。

英「仲間を見捨てるなんて絶対にしなかった。」

エバが手近にあった石を掴み、怒りに任せて投げる。

英「ラモンは仲間の為なら、その身が危険でも立ち向かっていくような人だった、なのに何故、アーサーを。」

数人のチームであったらなら、ラモンはきっと捨て置きはせずに、その身が危険でも助けに行ったであろう。だが、今ラモンが率いているのは数個隊のチームを6つ束ねている。おそらくこのアジトだけではなくて、他のアジトと連携を組んで、襲撃に向かっている。

このアジトだけでも約30人は居る戦士をラモンは束ねている。

英「エバ、ラモンが率いているここは、大きくなったんじゃないかい?エバが言う昔の頃よりも。」

英「それが、何?」

英「ラモンが死ねば、このアジトは崩壊する。ここの崩壊は30名の命を見捨てる事になる。ラモンは一人を犠牲にして皆を守ったんだよ。

英「・・・それは、屁理屈だ。ラモンは死なずにアーサーを助けられたはずだ。」

英「そうだね。その可能性はなくはないね。だけどエバ、ここは戦場だ。人が死なない日はない。」

そう、あの星の数ほどの人が死んでいく場所。

エバはそれでも、納得のいかない顔で唇をかむ。

英「僕は戦況を見ていないけど、怪我人の状況から、かなり厳しい状況だったと推測できるよ。エバもわかるだろ。」

肩を撃たれた者が一番の重傷者、かすった弾傷や、爆破した手りゅう弾の破片が刺さった者、爆撃の音で鼓膜をやられた者。火炎瓶で火傷を覆った者など、怪我人は軽症の者から重症の者全部で7人、戦場に向かった者の約4分の1が怪我をして帰ってきていた。

いつもより怪我人は多いが、コルダン軍が登場してのこの人数なら、マシな方だろう。ラモンの撤退の判断が早かったと想像する。

英「エバ・・・・アーサーはきっと、助けに来ない事を恨んだりしていない。ノーボサーラのゆく先の成功を願っていたと思うよ。」

英「アーサー・・・」

またポロポロと涙するエバの肩をそっと包んだ。

ここは戦場。死が身近に、すぐそこにある日常。死体に感情なく捨て置かれるこの地は、それが当たり前の光景は、かつて聖地と推敲されたのとはかけ離れて、人々の心も無慈悲に渇き荒んでいく。

まだ、エバの目が乾くことなく涙を生み出せる事が、わずかな救いだ。

乾いた風が砂を舞い上がらせた。その砂塵の中に、ラモンの視線を一瞬だけ感じた。

だけどやっぱりラモンの姿は捉える事が出来ないで、その夜は2度と視線は感じることはなかった。





俺の監禁部屋は鍵を掛けられなくなった。肩を怪我した兵士が隣の療養することになったのもあるが、もしかしたら鍵はアーサーが持っていたから、本人共に回収できなかったからかもしれない。

そして、俺がこのアジトをウロウロしていても誰も咎めることなく、兵士たちは武器の手入れや、火炎瓶の作成、車の整備に忙しい。

エバは随分長く泣いてすっきりしたのか、次の日の朝には、いつもと同じ力強い目をして『次は俺が戦場に行く』と勢い込んでいた。

ラモンは戦地行く時以外は、階段下すぐ横の部屋からあまり出ないらしい。そこがラモンの部屋で、一度潜入して調べたいのだが、中々そのチャンスがない。

何もする事が無いので、少しの情報収集、入り口から2番目の武器庫になっている部屋で武器の整理をしていた兵士に話しかけた。

英「ここのアジトは何時から使っている?」

英「さぁ~、俺はまだここにきて1年だから知らない。」

別の者にも聞いてみる。

英「ここ以外にもノーボサーラのアジトはあるよね。」

英「あぁ、あるよ。」

英「他にどこにあるか知らないかな」

英「・・・・・・。」

英「あぁ、ごめんよ。ここ以外の所も取材したいんだ。」

英「知らねーよ。」

背にしていた部屋の扉から、あの視線を感じ振り返る。

何時からそこに居たのか?

武器の手入れに忙しい兵士はラモンの姿に気が付かない。

束の間の無言。冷酷な目。その眼は逃げて来た日本にいる、血の繋がらない兄が宿していた冷たさに似ていた。耐えきれなくなった俺は、沈黙を破る。

英「やぁ、ラモン、教えてくれないか?ノーボサーラの本拠地を、トップに取材したいんだ。」

英「・・・・・」

武器の手入れをしていた兵士が俺の言葉に驚いて勢いよく顔を上げる。

ラモンはやっぱり何も言わずに、その強い目を緩まず部屋を横切っただけのように廊下を行く。

英「ラモン、昨日の戦況を詳しく教えてくれよ。」

ラモンの後を追った。中々部屋から出で来ないラモンに交渉するチャンスだ。このまま、どさくさに紛れて、ラモンが部屋に戻る時に入れるかもしれない。

英「コルダン軍が北上している事、君は知っていたのか?」

ラモンは隣の部屋にいる一人の兵士に何やらポルトガルで話しかけ、兵士は立ち上がり部屋の奥に積まれた木箱へと向かう。

英「コルダン軍がここまで北へ来ているのなら、今後」

兵士は木箱の中を漁り、戻って来てラモンに手渡す。ラモンが受け取った物、それは俺のリュックだった。振り向きそれを投げ捨てるように足元に置く。

英「歩けるなら帰るんだな。」

英「そうはいかない。まだジャーナリストとして何も得ていない。」

英「・・・命をかける程の任務か?」

疑われている・・・のか?投げかけてくる質問の割に、冷たい目は俺にさほどの興味を持っていないように見える。

英「それはノーボサーラも同じじゃないのか?」

元は、一般居住区が戦場に巻き込まれるのを防ぐ為の防衛目的に力をつけたノーボサーラ、2つの勢力がぶつかる所へ横から入り込んで行くのは、最初の姿勢、防衛目的からは随分と外れて命を落とす事はない。

ラモンの冷たい目に、一瞬だけ強い怒りが沸き起こったような気がした。だけどそれも勘違いのように、ラモンは、アジトの指揮官の姿勢は崩さず。俺の挑発に易々とは乗らないで、大きな声で叫んだ。

葡「戦う準備をしろ!負傷者は待機、バスタークとのチームと合同でダバラデートの補給ルートを占拠しているナレッジヒルの直前で襲い、そのまま負い込み壊滅を狙う。ナレッジヒルを略奪出来れば、バスタークと合同拠点としてノーボサーラのアジトにする。」

葡「了解!」

雰囲気的に、今から戦場へ行くようだ。その間に、ラモンの部屋を物色出来る。と思った俺の戦略は、即座に打ち消される。

英「ジャーナリストとして、真実を知りたいなら、カメラを持って同行しろ。リク・ヤマモト」

その若さで隊を率いる冷酷武人さは流石だ。怪しい異国の人間をアジトにウロウロさせない慎重さを持っていた。






一台の軽トラックに重い荷物を満載に積み込み幌をかぶせた。その荷台に兵士二人が乗ったが、その服装は軽装で、これから市場へ物を売りに行く業者のようにしか見えない。アジトには、さっき出て行った軽トラック一台しかなく、ジープや他の武器はおそらくここには置いて居なくて、別の場所にあるのだろう、車に乗らなかった兵士たちも軽装で、これからどこかへ働きに行くか、はたまた暇つぶしに街をうろつくような様相で、それぞれが、行き先もバラバラな方向へと出て行く。上では子供たちが学ぶ学校の敷地内の地下をアジトにしている事を含めて、ラモンの手腕や参謀のほどが中々の物であるのが見て取れる。

負傷している者と介護の数人を残して最後に、ラモンと俺は二人だけでアジトの外に出る。

ラモンは、他の兵士たちと同じ、まるで今から市場にでも行くように、ラフな格好で東に向かう道路わきを歩いていく。

雨の少ないこの地域、歩く人は俺達以外に居ない。時折、埃を巻き上げて走り行く車あるだけ。頭上にはシュロの木の葉が少しの風になびいている。

英「ラモン、何故学校の下にアジトを?」

英「・・・・・。」

俺の質問は無かったように、風に流れて行く。

英「ジャーナリストとして、真実を聞いているのだけどねぇ。」

俺のつぶやきにも動じることなく、興味もなく、ただその眼はどこまでも冷たくまっすぐだけを見ている。

アジトを出る前に戻って来たリュックの中身を見ると、アンデバサドの人質になった時から何も変わっていない。財布の中にあった金は、元より空でそのまま、それはノーボサーラの人間が取ったのではなく。人質として車で運ばれている時にアンデバサドの奴が抜き取っていた。

テラカルメの街で買った銀の十字架も、リュックには無かった。同じくアンデバサドの奴が盗んだのだろう。もしかしたら、今頃、またあの万事屋の店頭に並んでいるかもしれない。しかしながら、カメラが盗まれることなくあるのは奇跡に近いと思うも、こんな中古のカメラもここ現地では需要などなく、売っても二束三文なのだろうと予測出来た。エバやアーサー達から、このアジトを仕切るラモンは、兵士たちに厳しく、盗み、強奪をしないように教えていると聞いた。『俺たちは、盗賊ではない。』

ラモンの部屋を物色出来るチャンスは逃したけど、この男の率いる兵士たちの動きがこれからみられるのは、視る価値はあるだろう。

しばらく無言で2キロ程歩いたころ、後ろから来たジープが俺たちの歩く先5メートルの所で急停車する。仲間のジープだ。

ラモンは助手席に乗り込み、俺は後部へと乗り込んだ。

さて、このジープはどこへ行くのやら。ジャーナリストらしくするために、カメラをジープ内にいる兵士に向けた。兵士たちは勇ましいポーズをし、ハイテンションの笑顔を向けてくる。改めて見ると皆若い。なんとなく、遣る瀬無い気持ちが沸き起こる。俺が本当のジャーナリスなら、この若い兵士たちが納められた写真を、平和ボケした日本に持ち帰り、悲壮な現状を訴えられるネタを得たと喜ぶべき所だ。だけど、俺はジャーナリストじゃなく、こんな写真が欲しいわけじゃない。欲しいのは、ノーボサーラのバックにつく物の存在。ノーボサーラの指導者の存在だ。それが手に入れられたら、軍の上層部は、ノーボサーラを水面下から壊滅するような作戦を実行するだろう。俺のミッションの成功が彼らの自滅に繋がっていくのだ。命を助けられたノーボサーラの、もう仲間のように感じている彼らを騙している事になる。俺は彼らの笑顔から顔を背け、見つからないようにため息をついてからカメラを下ろした。

車はひたすらに東へ。

助手席に座るラモンはノートパソコンを開き、パソコンから繋いだヘッドホンで通話をし始めた。

葡「12・554ー21・515に散開配備。ルース隊は12・589ー21・773地点で潜伏包囲陣形。」

そのラモンのパソコンを背後からのぞき込んでみた。ただの通信装置として使っていると思いきや、地図の上に各部隊の位置や、敵の移動推移などが書かれてあり、米軍戦略チャートに匹敵を取らないその緻密さに驚いた。

驚いたな、これほどまでとは・・・・最近の内紛はハイテクだ。隣に座るウォレスに声を掛けた。

英「ラモンは、いつも車の中で戦略を?」

英「あぁ、そうだよ。基地で戦略を練ってからじゃ遅い。敵の情報が入るのはいつも急だ。」

英「敵の情報って、どこから入ってくるんだ?」

英「さぁー、どこからだろうなぁ。ラモンは俺たちの知らない魔法が使えるんだ。ははは。」

流石に知らないか・・・これを知ればバックの存在に近づけると思ったけど。覗いたパソコンに表示されている戦略チャートにもそのヒントになる様な物は何もなかった。ラモンの指示は続く。

葡「ターゲット南より隊列にて武器輸送中、ルート5を通過後、ドディ隊はルート5の封鎖、後、ルース隊の援護に周れ。」

英「何て言ってる?」

めんどくさそうにウォレスはつぶやく。

英「ここに取材に来るならポルトガル語を学んでから来いよ。」

英「アドバイスくれた奴から、英語が通じるから必要ないと言われてね。」

英「そりゃいいアドバイザーだ。ジル隊に先のドラムスの街で散開配備、ルース隊は潜伏包囲陣形、武器輸送の隊列を襲うんだ。ドディ隊はルート5を通過後、後方を封鎖して、ルース隊を応援。」

英「へぇー中々の作戦だね。」

英「わかるか?凄いだろう。」

英「いや、まぁ、なんとなく。」

やばい、あまり調子に乗ると、相槌からばれてしまいそうだ。という心配はあまり要らない様子のウォレスは、ラモンを陶酔しきっていて、俺の褒め言葉に喜んでいる。

英「ラモンは戦略の天才さ。」

ポ「中心ポイントより10キロ圏でGPS通信遮断、戦略チャート消去。それまでに頭にたたき込め。その後はいつもの通り通信機にて指示をする。周波数305RED。繰り返す周波数305RED以上」

英「305レッドね。いつも戦地中心より10キロ圏を入ったらこいつに切り替えるんだ。」

ウォレスが側に置いてあるごついトランシーバーの周波数を合わせ始めた。

なるほどね。GPSは敵も米軍も使っている。盗聴防止をしているだろうけど、慎重に、アナログ対応をすると言う事か。武器でも乗り物でも、どんなにハイテク化が進んでも、意外にアナログな物の方が使い勝手が良かったり、耐久性に優れていたりする。

その10キロ地点に入ろうかとする距離に近づいたのか、ラモンはしばらく触っていなかったパソコンをまた慌ただしく打ち込み始めた。その時、ふと、背中のシートが歪に動く感触がして振り返った。

後ろの荷台には、武器が満載に積まれていて幌シートがかぶせてある。その幌シートがもそもそと動く。犬でも入り込んだか?と幌シートをめくると、出て来たのは小さな子犬じゃなくて・・・

葡「ぷはーうえー暑い!」

英「エバ!」

葡「息苦しい、死ぬかと思った。」

英「エバは留守番なんじゃ・・・」

助手席に座るラモンの方に顔を向けると、ラモンはバックミラー越しにちらりとこちらを確認しただけでノートパソコンの打ち込みに忙しく、何の驚きも見せなかった。

葡「エバ!遊びじゃないんだ、これから戦場に行くんだ。お前は留守番だと言われていただろう。」

ウォレスがエバに怒鳴る。言葉はわからないけど多分俺と同じ事を言ってエバの奇行を注意している。

葡「留守番なんてくそだ!」

葡「負傷者の看病は?それもりっはな仕事だぞ。」

葡「サントスがいる」

葡「おい、ラモン、どうすんだ。連れて行くのか?」

ラモンはこちらに顔を向けずに、答えない。

葡「俺も行くんだ!」

叫んだエバは、積まれた武器から散弾銃を持つとこちらに向けて構え、安全装置を外す。

英「ちょっと!エバ!」

銃を向けられて条件反射で両手を上げるのは世界共通らしい。隣のウォレスも顔を引きつらせて手を上げたのを顔を見合わせ苦笑した。

葡「俺も銃を使える、俺も殺るんだ、アーサーを、両親を殺したあいつらを!」

葡「車を止めろ。」ラモンが低い声で言って、車は急停車する。

何もない荒地の道、後ろからも前からも車なんて一台も通っていない。

ラモンがヘッドホンを外し、閉じたパソコンを運転手のブルーノに渡すと、ドアを開けて車を降りる。

それを見たエバがまた何かを叫ぶ。

葡「嫌だ、俺は下りない、俺も行く。降ろそうとするなら、ぶっぱなすぞ!」エバは持っている散弾銃を左右に振る。その必死さが、間違って本当に撃ちそうで怖い。無駄だが、俺とウォレスは散弾銃から少しでも遠くにと、手を上げたまま体をのけぞさせる。

こんな騒動でもラモンは落ち着いた動作で、エバのいる荷台に飛び乗る。エバはラモンにも銃を向ける。

葡「エバやめろ!」運転していたブルーノの叫びも、エバは聞く耳持たずで、銃を降ろさない。

ラモンは冷たい表情を変えず、エバの散弾銃を取りあげた。そして、エバの頬を思いっきり引っ張ったく。

体の小さいエバは吹っ飛び、ジープの荷台の縁に頭をぶつける。

葡「ギャッ!」

葡「お前は、今、何をした!言え!」

ラモンの怒声、冷酷武人の男が初めて見せる感情だった。

葡「俺は、皆と同じ戦場で戦いたいんだ!」

葡「お前は仲間に銃を向けた!仲間に銃を向けるような人間を戦地に連れ行けるか!今すぐ降りろ!」

激昂するラモンに動けなくなったエバは、無念のくやしさをどこに置いていいかわからず、唇を噛みしめ、拳を震わせる。

降りようとしないエバにしびれを切らしたラモンは、エバの腕を掴み、降ろすと言うより荷物のようにつき落とす。

ポ「行け!」

英「おいおい、こんな何もない所に置いて行くのか。」という俺の慈悲の叫びは無視されて、ラモンの指示が絶対のチームはジープを発進させる。

あぁ、可愛そうなエバ、ここから町までは10キロ以上ある。

英「帰りにエバを探して拾うように言うからねぇ~。」

と手を振った俺の声は、近づいてきたヘリの空を引き裂くプロペラ音に消され、さらに100メートル先で地上が破裂した。車は急停止。

ポ「ダバラデートの護衛か!ウォレス迎撃!」

隣のウォレスが荷台に積まれた無反動バズカーを手に取り、ヘリに向かってぶっ放す。あれは米軍使用の小型の攻撃ヘリAK08s。カラーリングは米軍使用だが、横にダバラデートの赤黄緑の斜め線模様が描かれている。米軍からの払い下げの古い機体だ。

英「エバ!今の内に乗れ!」俺は後方で呆然と尻もちをついて座ったエバに向かって叫んだ。

俺の声に体を跳ねるように起き上がったエバは、駆けつけジープの荷台に飛び乗る。

敵のヘリはウォレスのぶっ放すバズーカの狙いに、機体を派手に揺らせ辛うじて交わすのが精いっぱい。いつ落ちて来てもおかしくないような、フラフラと安定しない機体の動きを見ると、操縦者は手慣れていない素人だうか。

遠くで白煙が上がる。遅れて爆音と衝撃波。

あの方向は、これから向かう戦地の方向ではないか?ドラムスの街、ジル隊が散開配備していると聞いた場所。

ヘリはふらつく機体を白煙の方へ向け、やっとの事で体制を整えて飛んでいく。

また白煙、白雲と言った方がいい大きさだ。空爆か?と思い空へと視界を広げたが、戦闘機は見当たらない。というか、ここは戦地であっても世界戦争じゃない、ただの宗教争いの紛争地だ。

紛争地に置ける空爆は、国連憲章にて世界的に禁止されている。アメリカ軍もその憲章に従い、手に負えず激化していく聖地を一瞬で無に落とし込む空爆は一切行わないと宣言している。だけど、今しがた体感した爆音と衝撃波による白雲は、空爆に近いものがあった。新型の爆弾かもしれない。

ポ「ヘリを追え!」ラモンが運転手に指示を出し次いでトランシーバに向かって叫ぶ。「ジル隊、聞こえるか!」

トランシーバからは返答がない。

葡「ルース!」

しばらくの耳障りな雑音の中から、ルースと言われる男の息遣いと共に戦場の荒々しい騒動がトランシーバーから伝わってくる。

葡「何が起きた!」

葡「武器輸送の車が・・・・ジジ・・・予定時間より早く・・着した。・・・・・・隊は待機完了して・・・・ら・・・・・計画通り・・・・を襲撃。」

トランシーバはとぎれとぎれに。

葡「・・・・車は無人・・・・・突然爆発した。」

輸送車は無人?遠隔コントロールか?そんな物がこんな紛争地に導入されているのか?

葡「ジル隊は!」

葡「ジル隊は・・・・全滅。俺達・・・・は外から責められ応戦、包囲され・・・・逃げ場が・・・・・つつ・・・・」

ぎゃジジジピッ

ラモンは信号を切り替えるとまた叫ぶ。

葡「ドディ隊!ルース隊の応援に行け!」

葡「もう向かってる!」

葡「タラバへの攻撃より、退散ルートの確保優先、俺達もルート5北上より攻め入る。」

葡「了解!」

英「全滅・・・・」エバが茫然とつぶやいた。

ラモンは、トランシーバーに舌打ちをして、ボンネットに怒りの感情をぶつけた。







元の戦略通りなら、ドディ隊がルート5を封鎖後、更に追って来るだろうタラバデートの護衛を迎え撃つのが、俺達ラモン隊の仕事だった。

しかし、輸送車は無人で、爆発した戦況を考えると。ラモンが仕入れ来たタラバデートの武器輸送ルートの情報は騙しで、ノーボサーラは、その騙しにまんまとハマってしまったようだ。ルート5は封鎖と言うより、爆破された瓦礫やくぼみで、ジープが入れない状態となっていた。しかたなく回り込み、ルート5の側面西からドラムスの街へ入る事になる。だがそれも空から狙われたさっきのヘリの攻撃にジープは狙われて、落ち合ったルース隊を含めた18名のノーボサーラは武器を手にドラムスの街の中心へ、ドディ隊の援軍として敵中に走り入る事になった。

罠にハマった戦況の中、仲間の救出ルートを作らなければならなくなった。厳しい状況にはなったが、今の所戦死者負傷者が無いのが幸いだ。徐々にタバラデートの攻めを押しつつ、ドディ隊が激戦している戦場の中心に、あと少しで合流できる位置に来た。

かつては大きな町であった。それゆえ、大きな建物がラモン達兵士の行き先を阻む。吹き飛ばされたコンクリートの壁、窓は当然のことながら無い。夜にここを訪れれば、確実に幽霊でも居そうな瓦礫の山と残骸の建物の高さから見て、かつてはアパートメントのような集合住宅だったとわかる。少し小高い丘に建てられたアパートメントはさぞ、眺める街の風景は美しく、遠く聖地サーラダ・アルベールテラを望む事が出来ると、人気の物件だったんだろう。今は無い窓からは薄汚れたかつてはカーテンであったであろう更紗柄の布は、汚く焼けちぎれて風になびいていた。あちらこちらに、どこからか投げ捨てられたのか、爆撃で吹っ飛び落ちたのか、ソフアや洗濯機なども無残につぶれて落ちている。

そんな瓦礫の影で、俺を含めたまだ若い青年の集団、は壁を背に銃を手にして、肩に銃弾のベルトを掛けた武装をし、これからの戦略を、やっぱりまだ若いラモンの指示を静かに聞いて頷いている。

ついて来いと言った手前、素人の俺をほおり出すわけにいかなかったのか、それとも、突然の窮地に素人の俺が居る事を忘れていたのか、12名の仲間と合流し、中の顔を一人づつ確認した際に俺の顔をみて、舌を鳴らしたラモンは、それまでポルトガル語で話していたのを英語に切り替えた。

情報状況がわからない人間が一人でもいると、戦場下では足手まといの極致だ。下手をすれば、その人間の突飛な行動がチームの破滅に繋がる。些細な事だが、それにまで気をまわせて対応していくのは、ラモンと言う男は、どこかで戦略術を専門に勉学してきたんじゃないだろうか?と思いがめぐる。

総勢18名を3つのグループに分ける。元々4名一チーム、俺の乗ったジープも俺を外して4名。エバが加わった事で6人になってしまったから、そのままのメンバーで、他の12名を2つに分けた。ジープも使えない状況の移動では4名セルの配備が常識で、敵から見つかりかりにくいという利点はある。が、もうすでに俺たちの位置は知られてしまっているし、まだ若い彼らの戦闘能力を見れば、6名セルが最適だった。

3に分けたチームは、ここより3つの異なるルートを進み、仲間の援護に向かう。

このアパートメントが元々の目的、略奪して新たなノーボサーラの拠点としたい場所だ。だが、タバラの武器輸送隊列を襲う事に失敗。このアジトに居る奴らをおびき寄せる事が出来なかった上に、ルース隊と合流したドデイ隊は、逆に退路を断たたれて、ナレッジヒルの地形を利用したアパートメントの向こう側で、苦戦している。

この小高い斜面の上に連なったアパートメントの形状が、要塞のごとく阻み、確かに、アジトとしての拠点にするには最適の要塞となるだろう。軍事戦略の観点から見ても最高の立地と、残骸のコンクリートが防護壁になっていた。

そうこう戦略で足を止めている間に、敵のヘリが迫って来て、砂を巻き上げ轟音となって飛び回りはじめた。俺達を探しているようだ。葡「この命は誰のものでもなく、我ら個人の信仰神のもの。」

いつも同じフレーズを言ってアジトから出て行く彼ら。死んだアーサーに英語訳を聞き、意味を知った。

信仰紛争地の若き第3勢力ノーボサーラらしいフレーズだと思った。

『この命は奴らの好きにさせやしない、死ぬ時も敵にその時を決められるのではなく、自分で決めるんだ。

この命は俺だけの、俺の信仰する神のものだから。』

そう言って白い歯を見せ、誇り高く顔を俺に見あげたアーサーの顔が忘れられない。

葡「個々の神の加護が満ちるよう祈る。」

ラモンは腕にまいた黒に黄色十字のバンダナを軽く叩くと、拳を握った腕を胸の前で斜めに掲げ、同じく握った拳の腕を胸の前掲げる仲間たちは、その腕同士をラモンの腕と叩き合わせて行く。

腕を合わせ済ませたチームは静かに、右ルート、左ルートへ散開して行った。

ミッションスタートだ。

右迂回のチームはナレッジヒルの丘下の広場を進む。隠れる場所が少なく、あのヘリの標的に成りやすい。

左の登りチームは、ヘリから逃れる建物にすぐに隠れられるが、上から攻め入られるタバラデートの兵士の標的に成りやすい。

そして俺たちの正面突破は、すぐにあのアパートメントの中に入れることは入れるが、その後の展開がどうなるは予測不可能。あの中の構造の奥に抜けられるルートがはっきりしていない上に、敵の中枢へ入って行くからだ。

左右の仲間たちがうまく敵を引きつけてくれる事を祈り、走り抜けるだけだったのだが、建物の中に入った直ぐの所で、中庭のような広場の手前で敵に見つかり、銃撃戦となった。構造上のことなのか、周囲の戦闘音がやけに大きく聞こえてくる。味方か、敵かわからない人の断末魔が聞こえ、俺の横に居たエバが耳を塞いだ。

英「エバッ!銃を構えろ!」

ラモンの叫びにエバは、潤う目を腕に巻いたバンダナで拭きとると、ラモンの背後より援護射撃を行う。

だけど数発撃っただけですぐに壁に背を向けて、避けるのが精いっぱいで動けない。

俺たちの歩哨壁となっているのは、かつては美女の像が水瓶背負い、ドレスの絹ずれのように水がしなやかに注がれた池だった場所の、地形を利用して作られた滝の破壊された瓦礫。

見上げれば建物の薄暗さを逆手に反映し、爽やかな青い空が見える。

そこを俺たちを追撃したヘリが行ったり来たりして、容赦なくランチャーをぶっ放していく。

頭上で建物が震える振動。埃が落ちてくる。

俺はあくまでもジャーナリストで、カメラを手に頭を低くして身を縮める演技しかできないでいた。

ここで死んだら無様過ぎるが、まぁ、それもふさわしい運命か。

死を求めてアメリカの兵になり、どういうわけか特務兵の訓練をさせられて、指令を受けた。その指令を完務せずに野たれ死ぬ。単なる馬鹿なジャーナリスト風情の男が、若気の至りで、渡航禁止地域へ無断で入国し、無様に銃撃戦に巻き込まれて死亡。日本国の税金を使い遺体は日本へ送られ、保護責任となっている家に引き渡される。おそらく家は、恥べき失態をした事に蓋をするべく、あらゆる力と金を使って、その事実をひた隠し俺の存在は死体と共に葬るだろう。出生時も死に際も孤独に喜ばれない俺にふさわしい一生だ。

どこかで手りゅう弾で投げ入れたのだろう、コンクリートが揺れる振動と爆音が敵も味方の意識をも逸らせ、銃の標準を外す。その一瞬を逃さず、ラモンが指示を出す。

英「いけ!」

ウォレスが飛び出す。すかさずラモンは援護射撃、敵の唸りを聞く。一人戦闘不能にしたようだ。

続いて、ブルーノも飛び出す。敵の銃撃の勢いが弱まっている。

英「エバ、今だ、行け!お前も続け!」

促されて、エバの後ろを追うように走り出した。

とその時、青い空を覆い隠すようにヘリの機体が頭上にまた現れる。

風切る音と風圧が急に大きくなった。ヘリはちょうど俺たちの頭上で旋回し、またランチャーをぶっ放している。だけど、左ルートで丘を越えて行ったノーボサーラの仲間も防御ばかりで身を潜めているばかりではなかった。

ヘリに向かって打ちはなったハズーカーがヘリの底に穴をあける。どうやら燃料タンクに命中したようで派手に爆発し、空気を振動させた。

燃えた燃料がボタボタと落ちてくるのを、悲鳴と共に、エバは走る足を止めてしゃがみ込んでしまった。

英「エバ!」

追いついた俺はエバの腕を手にとって立ち上げさせる。

英「馬鹿、立ち止るな、走れ!」

ラモンともう一人の仲間が走りながら、銃をぶっ放してこっちに走り来る。

危なくすぐ近くのコンクリートに着弾の火花が飛んだ。

制御できなくなったヘリのプロペラが壁に激突して折れるのを見る。続いて機体を壁に激突させ、削り落とされた壁のコンクリートの破片が地面に落ちて来る。

英「とにかく走れ!」

厄介なのは、落ちてくる物が回転力を利用した乗り物だったと言う事。ただまっすぐに落ちてくるのなら、俺達は頭を抱えて突っ走り逃げ切ることが出来た。尾翼も派手に壁に打ち付けて折れたヘリは、回転する力が打ち消されることなく吸収されないで、荒れ狂う鉄の塊となって周囲の壁を破壊して飛ばし、落下軌道が予測不可能で落ちてくる。

人間は、命の危機が迫ると、神経伝達が遮断されるのか、それとも脳に送られる情報が莫大になり過ぎて、オーバーヒートを起こすのか、まず視界が白くなった。腕や足が抗えない力で、胴から離れんばかりに振り回されるようにどこかへ行こうとする。

背中に受けた衝撃は呼吸を止め、瞬の間、五感の機能が止まった。手についたざらっとした感触が不快に感じる事で、生きている意識を辛うじて思い出す。本能で立ち上がり、止まっていた息を吸い込むと、やっと体に受けた痛みが脳に神経伝達の情報として送り込まれた。

「ぐはっ!」

唸りと一緒に口に入った砂をつばと一緒に息を吐きだす。

もげそうに空を泳いだ足や腕は大丈夫。何処も折れていない。

周りの状況を確認する。待った砂埃が落ち着くと、ヘリは横倒しで操縦席では人が割れた窓から身を乗り出すように引っかかって死んでいる。ヘリのスキッドは向こう側で炎が上がっている。

エバは、ラモンはどこに行った?

一際大きなコンクリートの壁がヘリの尾翼の上に乗っていて、その下に動く者を見つけて駆け寄る。

英「ラモン!」

苦痛に歪む目は、こんな時も力弱まらず俺を睨む。ラモンの左足がヘリの機体底面に挟まれていて、どうにか引っこ抜こうとラモンはあがいていた。俺もヘリに手をかけ、持ち上げようとするが当然に動かない。

倒れているラモンの態勢が微妙に変で、挟まれた足が機体下でどうなっているのか覗くと、ラモンの乱れた着衣から十字架のペンダントが下がってきて、俺の顔の横で振り揺れる。そのペンダントのデザインがこの間エバが欲しがっていた物と同じだった。

あぁ、だからエバはあれを欲しがったのかと納得する。憧れているラモンと同じ物が欲しかったのだな。と。

崩れたコンクリートの壁の向こう側から、そのエバの叫び声が聞こえてきた。

英「良かった、エバは無事みたいだ。」

ラモンは素早く周囲の状況を見ると叫んだ。

葡「ウォレス、ブルーノ無事か!」

葡「ラモン、こっちは大丈夫だ。」

葡「エバを連れて、先へ進め、3人セルで遂行、今の内に行け!」

葡「ラモン!ラモンは!」エバの鳴き叫ぶ声が続いていた。

英「ブルーノ!俺が行くまではお前が指揮を執れ!いいな」

英「了解」

俺は、外れそうになっているヘリのドアサスペンションの鉄の棒を力任せに引き抜くと、ラモンの左足の傍のヘリの機体底面の隙間に差し入れた。テコの原理にするには少々短めだが、無いよりはマシで、手では力が入りにくいので足で踏む。

英「お前も、さっさと逃げろ。そのジャーナリストIDがあれば、タバラの奴もお前を殺したりせず保護してくれるだろ。」

英「だからって、助けてくれた恩人を、見捨てて逃げられるほど強い心を、俺は持っていないんでね。」

英「こんな戦場に単独で来くる日本人が強くないと?ジョークを言う暇があったら逃げろ、ヘリが爆発する。」

英「手が使えるなら踏ん張って、足を引き抜く努力しろ。」

ヘリの機体からは不気味にモーターか何かのうねり音がまだ聞こえていた。

英「ちっ、生意気な奴を拾ったもんだぜ。」

ラモンは捨て台詞を踏ん張りに、少しだけ浮いた隙間から無理やり足を引き抜いた。足首が嫌な方向に曲がっていた。

ラモンはその曲がった足首を無理やり正常位置に戻す。激痛のはずだが、ラモンは叫びはせず、唸ねりだけで歯を食いしばって立ち上がる。そしてヘリの正面へと機体を回り込んだ。ついて行くと、マンションの壁とヘリの間の隙間から大量の血が流れていて、見覚えのある鷲柄のシャツの袖が見える。その手はピクリとも動かない。ラモンは、その腕のそばにしゃがみ、仲間の手を取り、胸のペンダント握り祈る。

ポ「フィーゴ、その魂は誰のものでもなく、お前の信仰の下へ」

今、初めて、そのシャツの男がフィーコという名であることを知った。名のる暇なく死んだ束の間の仲間兵。ここは、挨拶を交わしたばかりの人間が、無情にも死んでいく戦場だ。

ヘリの爆発を警戒して逃げていた敵の兵士たちが、様子を見に上層階から覗き始め、生きている俺たちの存在を確認し、叫び銃を構え始めた。

英「行くぞ、」

仲間の死を前にして、ラモンの表情に悲しみはなかった。こうした仲間の死を数多く体験してきているのだろう。その儀礼的な動作と無感情さに、ある意味尊敬する。自分と同じ年程の者が、完璧な壊れ方をしている。あれほどまでになれたら、どんなに楽かわからない。

ヘリと崩れた瓦礫で、行こうとしていた先に進めなくなった。運よくヘリに巻き込まれなかったエバと先に走り抜けたブルーノとウォレスの幸運を祈り、足を怪我して俊敏さのなくなったラモンと日本人の俺が2人セルで来た道を戻り、別のルートを探す。

強がって、添え木をしろとテコに使った金属棒を渡すも、ラモンは余計に動きずらくなると頑なに手当てを拒否したが、登り階段の途中で流石に冷汗が顔伝い、うずくまった。

肩を貸し、とりあえず登り切った階のそばにある部屋に、嫌がるラモンを無理やり潜りこませ休ませた。

どこかの部屋に入り潜伏するのは危険を伴う。逃げ道を断たれるからだ。どんな窮地に追い込まれても、それだけはするなと、仲間たちに言っていたラモン。俺もそんなことは当然に知っていたが、とにかくラモンの足の手当てをしなければ、どうにも動けない。

敵に見つかるかどうかは、運を天に任せた。

英「黙ってろよ。」

言いたい文句を、ラモンは唇をかむ事でかろうじて飲みこんだのを確認し、俺は首にぶら下げていたカメラを外す。カメラ自体は吹き飛ばされた衝撃で壊れてレンズはどこかに飛んで行ってしまっていた。

カメラについているストラップを外し、添え木を縛りつける紐にする。

英「くっ・・・・」

英「強がらずに最初からつけていれば良い物を。」

英「お前こそ黙れ。」肩で息をしながら悪態をつくラモン。

一応の手当てを終え、俺は立ち上がり「さて、どうしたものか」と考える。

俺達は入って来た入り口まで戻り、左の丘を登る方向を選んだ。ヘリが落ちたと言う事は空から脅威は無くなったと言う事だが、もう俺達の存在も人数も把握しているあろう敵の数が、どれだけ居て、どれだけの武器を持っているのか把握できていないので、敵の戦力を落としたとは言い切れず、安心はできない。

一旦腰を落としてしまったラモンは、中々すぐに立ち上がれないでいた。

かつてはベランダであっただろう壁の縁から、俺は少しだけ顔をのぞかせて見える景色と、この場所の位置を確認する。

ヘリが落ちて来た中庭を半円として、囲うように居住区としてマンションは建つ。つい先ほど戦略の為に隠れていた場所が見えた。

この先まだ数段の階層を上がり、丘を作る壁伝いに作られた散歩道を通り、この丘の向うに行かなければ、ルース、ドディ隊と合流する事は出来ない。

英「お前、何しにここに来た?」

不意にラモンが口を開き、俺は振り返る。風は入って来た玄関からベランダへ抜けるように吹いていて、ラモンの腕の黒いバンダナが揺れていた。廊下側からは風上になるので、少々の話しは大丈夫だ、それをわかってラモンも口を開いたのだろう。

俺は答えずに黙っていると、ラモンは続けた。

英「お前はジャーナリストじゃないだろう。」

英「ジャーナリストさ。命より大事なカメラを壊してしまったが。」

英「止血にバーナーで焼くなんてクレイジーさは一般人ではありえない。」

英「レッドゾーンに来るジャーナリストなんて、クレイジーばかりさ。」

英「常に太陽の位置を確認し、訓練された無音の歩き方。」

英「パスポートを視ただろ。」

英「偽造なんていくらでも出来る。」

英「パスポート返せよ。」

英「・・・・。」

沈黙が、互いの疑惑を怒りに変わろうとした寸前、外から話し声が聞こえ、俺とラモンは息を止める。

葡「中庭のヘリ落下で死ななかった奴らが回り込んで、こっちに上がって来たはずだ。」

ラモンはそばに置いてた銃を手に、音を立てない様にゆっくり立ち上がるも、痛む足に眉間に皺を寄せる。

俺は静かに息を吐き、ラモンが指摘した無音の歩きで、部屋の入り口へと向かい、ドアの壁横に身を寄せ、外の様子を伺う。

葡「部屋の一つ一つを確認して探しだせ。」

ポルトガル語はわからないが、声と足音で敵は4人と判別。俺達を探しているようだ。2つの足音が遠くに駆けていくのを聞きわけ、二人がこちらへと近づいて来るのを理解する。足音は俺たちの隣の部屋へと入って行った。この部屋に来るのはもう間もなく。

演技は無用になった。ラモンに対する演技も、俺自身に対する演技も、死にたいと思い願いたのは偽りで、ただ逃げる言い訳にしていただけなのを認める。

この記憶力を組織の為に使えと命じられた縛り、妹の命を救えず、守れなかった約束の縛り、命を友に拾われ、俺の物だと宣言された縛り、それらから逃げる為に、仰々しく命と引き替えにした。

敵の足音と気配が外の廊下に響く、これだけの気配をさらけ出していたら、かくれんぼも鬼ごっこもすぐに終わる程のど素人だ。

ラモンに身振り手振りで、「銃は使うな、仕舞え」と、癖で戦略手話も交じえて伝える。ラモンは理解で来た模様で、ゆっくりと頷いた。

銃身がまっすぐ入ってくる、汚れた靴先を視界の下で捕え、銃のグリツブをにぎっている手が見えた所で、銃のハンマーとリアサイドの間に指を入れる形で握りしめ、敵が発砲するのを無理やり抑え込み、右の肘を思いっきり相手の顎下、喉めがけて打ち込む。相手は咄嗟にトリガーを引くが当然発砲はしない。これをやるとハンマーが俺の指に食い込みかなり痛いが、咄嗟に発砲されて銃声が敵仲間に知られせると言う事がない。

俺に喉を打ち込まれた敵の男は、がっと鈍い唸りを発し後ろに反り返った、その動きを利用して、相手から銃をもぎ取り、セーフティレバーを戻しながら相手の内股に足を入れ、ひっかけたまま地面に押し倒しす。仰向けに転がった敵のみぞおちに肘鉄を食らわす、男は口から泡を拭き白目を向く。死んだかもしれない。手加減する余裕となど無かった。

目の前で倒された仲間の状態を見て、もうひとりの敵は慌てて銃口を俺に向けるが遅い。俺は奪った銃を捨て、立ち上がる反動も利用して突進する。狭い場所で銃身の長いライフルは格闘武器にもならないで邪魔だ。

二人目の男が、トリガーを引くかどうかはもう運任せ。躊躇をしない度胸があるかないかはお互い様。恐怖と生きたいという本能が指を動かすという奇跡が相手に起きない事を願いながら、俺はやっぱりハンマーとリアサイドの間に指を入れた。

男はトリガーを引くことも出来ず、俺の掌拳をあごに食らい、ふらついた。続けて膝を腹に入れ込んで腰を折り曲げた男の後頭部首筋に力限りの利き手の拳を振り落した。相手はそのままうつ伏して倒れる。相手が身動きしないのを確認して、やっと息を吐く。握った拳と構えていた足の力を抜いた。

奪った二本目の銃のセーフティレバーを入れながら、トリガーに挟さまれた指の皮膚を確認。少し赤くなっている。どんなに薬物毒物に鈍感になっても、皮膚を挟むという単純な傷や痛みを鈍感にするような鍛えは出来ない。痛い物は痛い。と言うより、そこは敏感になっておかないと、兵士としては致命的になりうる。赤くなった手をさすると、少し驚いた表情を滲ませているラモンと視線が突き刺さって来た。

英「尋問の続きは、ここを出てからだ。」

倒れている敵の装備から、すべての弾倉を奪い身に着ける。

ラモンも何も言わず、同じように落ちている銃を拾い、球数の確認と操作性を確認、弾数の少なくなった自分の銃を捨てて、相手の銃を自分の物にする。

英「この命、ラモンの信仰神に預けたぞ。」

ラモンの腕に巻かれたバンダナに腕をクロスに合わせる。どこまでも冷たい目が微かに緩んだ気がした。






何とか、ルース隊とドディ隊に合流したラモン達、人数が半数以下になった事が皮肉にも身軽になり、ナレッジヒルから逃げられる事となった。

月明りしかない街を無言で帰る隊、学校の下アジトに戻って来た隊員達は、疲れの溜息を吐き、死んだ仲間の弔いの祈りをそれぞれの胸に抱きしめる。

誰もが、胸に抱いた何かを口にする事が出来ないで、目だけが険しく彷徨っていた。

今ほど、俺はこの場に居てはいけない人間なんだと実感する。そんな愚かな自分の立場に後悔をしながら、その場の空気に気配を消す努力をし、自分が何故ここに居る事になったのかと言う基本的な任務の再確認をする。

そう。俺はノーボサーラのアジトに潜入して、ノーボサーラの後ろ盾が誰であるかを探る任務の途中であった。

ラモンの書斎は入り口のすぐ横、常に人の出入りがあって、中々そのチャンスを得られない中での、襲撃について来いというラモンの俺に対する挑戦とでもいうべき命令だった。そのラモンが計画した襲撃計画は、大失敗に終わった。

ラモンは、俺がただのジャーナリストではない事を知ったはずなのに、だけどラモンは俺を追いだす事無く、帰ってきてからアジトの部屋にこもりきっり。

重い空気を裂いたのは、怪我人を手当てして、ひと段落ついたブルーノ。は、怒りを足音に変えて、ラモンの部屋へ勢いよく入る。

葡「何故だ!何故こいつらは傷付かなきゃならない!」

「やめろ!ブルーノ!」

他の仲間がブルーノの勢いを止めようと体を抑えるが、その勢いは止まらない。

葡「ラモン!答えろ!」

葡「・・・・・・。」

開いた扉の向こうで、ラモンはこちらに向いたデスクに座ったまま、やっとパソコンから顔を上げる。

葡「俺達はお前の指示通りに動いた。ラモンの戦略は完璧のはずじゃなかったのか!今まで、こんな失敗は無かった。何故だ。何故襲撃するはずのトラックは、無人で爆発した?逆に俺たちは包囲され、ジル隊は全滅したんだ!?」

「今、それを調べている。」

「調べる?調べてわかる事・・・・やはり、お前はっ。」

「やめろって。」

「ラモン、どこに何を調べたら、ジル隊の全滅の原因を知る事が出来ると言うんだ?今回の戦略を組んだのはラモン、お前だ。俺達はお前の行くぞと言う言葉のトラックに乗る直前にしか、今回の襲撃作戦の場所も知らない。いつもそうだ。そう、いつもそうだよ。今までそれで、何も問題は無かった。ラモン、お前だけが知っている情報で、俺達は動いていた。」

ポルトガル語はわからない。ただ、雰囲気で仲間割れが起きているのだけはわかる。

ここではナンバー2であるブルーノが声を荒げて、いつも無駄な言葉はないクールなラモンを問い詰めている。

葡「お前のその情報はどこから仕入れているんだ?ただ、敵の戦略には嵌っただけなら、知らべてもわかるはずないよな。それをお前は、今調べていると言った!」

葡「・・・・。」

葡「ラモン、お前は仲間を売ったんだ!」

葡「そんな事はしない。」

葡「じゃ、何故ジル隊は死んだ゛!?

葡「ここは戦場だ、死は常にそばにある。」

ブルーノがテーブル上へ体を乗り上げて、ラモンの胸倉を掴みにかかる。机の上にあったノートパソコンが下へ落ちる。

ラモンは怒りに震えるブルーノの掴みにも一切取り乱すことなく、その冷たい鋭い視線を崩さずブルーノを見据える。

殴る拳を寸前で止めたブルーノ。

唇をかみしめ、掴んでいた胸倉の手を押すように放した。

葡「失望したよ。お前は何時からそんな目で見るようになった?」

葡「・・・・・。」

葡「守るべき物は、過去の教えアンデバサドでもなく、真の教えダバラデートでもなく。我々の新たな命。動き続けるこの命を守るべき事を真意としてノーボサーラは立ち上がった。なのに、『サーラダアルベールテラは、すべての思想に開放すべき、聖地が閉ざされたらこそ、この紛争は起きている。』と表明したあたりから俺は疑問に思っていたんだ。何時から、ノーボサーラは戦地を求めるようになった?」

葡「守るだけの戦略だけをしていても、状況は変わらない。長く戦争が続くだけだ。」

葡「だから根源を叩くのか!犠牲者を出してまで!」

葡「・・・・今回の犠牲者数は想定外だが、戦争である以上、犠牲者は想定内に考えていなければならない事だ。」

葡「!」

ブルーノが怒りの目を見開く。声にならない叫びを噛みしめ、握った拳が白くなる。

しばらく無言の睨み合いが続き、ブルーノはラモンから目を逸らすことなくノーボサーラの戦士である証の黄色十字の刺繍が入った黒いバンダナを、巻いていた首からするりと取ると、ラモンの眼の前の机にたたきつけた。

葡「真意の違い、それが脱退の理由だ。」

葡「・・・・」

その言い争いを部屋の外から覗いていた他の隊員たちが口々に叫ぶ。

仲間割れの果てに、ブルーノがノーボサーラを出て行く。

言葉が分からなくても、ラモンの絶対的な組織力が崩れた瞬間なのは分かった。





アジトは、ポルトガル語が飛び交い、想いや愁い、哀しみや怒りが交差し、重い空気に包まれる。

ブルーノが荷物をまとめているのを止める者、ブルーノについていく事を迷っている者、ラモンの思考に反したブルーノを批判する者、それぞれが、今この場にいる意味を心に問う事になった夜となった。

そんな場所に居たたまれなくなった俺は、アジトの外に出て、微かに流れる風向きを探していた。

乾いた大地の僅かな雑草を踏みしめる音が背後にして、振り返るのと、けたたましくアジトの鉄の出入り口の蓋が開けられ叫ばれるのが同時だった。

葡「ブルーノ!」

呼ばれたブルーノはエバの声に一瞬動きを止めたが、無視するように俺へと歩み来る。

葡「ブルーノ!行くな。」

駆け寄って、ブルーノの腕を掴んで引き止めるエバ。

葡「脱退だなんて、ブルーノが居なくなったら、皆は戦えない。」

葡「エバ、戦う必要はないんだ。犠牲者を出してまで、」

葡「何故!」

葡「エバは知らないかもしらないけれど、ノーボサーラの決起理念はそもそも攻戦ではなく、防戦が基本の、町の自警団だった。ラモンは変わってしまった。戦争の魔に取り浸かれた。エバもそれは感じていただろ。アーサーの時に。」

葡「それは・・・だったら尚更、ブルーノが魔に取り浸かれたラモンを正気戻さないと。」

葡「もう、無理だ。」

葡「そんな・・・。」

葡「エバもおいで、女の子がこんな所に要る必要はない。」

葡「俺は・・・。」

ブルーノがエバの頭にそっと手を乗せ、クシャクシャッと撫でた。

葡「気持ちが決まったら連絡をくれ。いつでも迎えに来るよ。」

俯いたエバから離れ、歩みを再開したブルーノは俺の前で立ち止まる。

英「お前もここから出ていけ。命が惜しけれりゃな。」

英「タイミングを考えておくよ。」

去り際に俺の肩をポンとたたくと、ブルーノは月に向かって歩き出す。仲間から慕われていたブルーノの後を追って、アジトの出入り口から次々と仲間が這い出ては、乾いた夜の闇へと紛れ行く。

出て行く者皆が、エバと俺に一言を声を掛けて去って行った。

エバはその声掛けに何も答えず、ただ俯き拳を握りしめ見送った。

英「俺は・・・」

その先を言えないのが今のエバの状態だった。決めかねた想い。去りゆく仲間の想いを理解するからこそ、単純に裏切りだと憎めない気持ち。

ラモンに対する敬意の愛情が留まる想い。

英「エバ、誰もエバを責めはしないよ。どっちの行く先を選んでも。エバが出ていった皆を責めはしていない様に。」

定番となった学校の校舎の壁の一角を背に、立ちすくむ。今日も星が綺麗に輝く。

小さくうずくまるエバの身体を抱きしめてやったほうがいいのかどうかを迷い、結局何もせず、ただ時と共に流れる星を見つめ続けた。





次の日の午前、ラモンは足りない医療物資を調達しにエバと数人の動ける仲間と共に出かけた。

骨折して引きずっていた左足は、今朝からは何ごともなかったように、普通に歩いていたラモン。怪我をした大半の者がそうなのは、大麻を鎮痛剤代わりに吸引しているからである。俺の怪我の時に大麻を渡されなかったのは、外部の人間に高価な大麻など渡せないということだったと、昨晩、けが人の世話をしながらエバから聞いた事実だ。

アジトには、ほぼ重傷者が寝ているだけとなった。留守番の動ける者は、地上の校舎横にある畑に農作業をしていて、アジト内は静かだった。そうする必要もなかったが気配を消して、ラモンの部屋の前に立った。当然ながらカギはかかっている。が針金一つあれば簡単に開けることができる。昨日の内に道端で拾っていた。誰にも見られていない事を確認し、素早くラモンの部屋に入り、内側からカギをかけた。

部屋は一切の窓がなく、ドアを閉めれば真っ暗闇だ。照明は、部屋の真ん中にぶら下がっている電球のみで、ソケットを回さなければならない。その照明のスイッチをつける前に、着ていたシャツを脱いでドアの下の隙間を埋めた。そうこうしている内に暗闇にわずかだが目が慣れてくるが、流石に、この暗いままで探し物はできない。部屋の中央へと目測していた歩数をあゆみ、電球へと手を伸ばす、電球を掴み損ねて揺れるソケットを追いかけ、両手でつかんだソケットを回し、灯って明るくなった部屋と同時に、背中に銃を突きつけられていた。

「っ!」いるはずのないその気配に、何故と冷や汗が背中を滴る。

油断などしていない、いや、していたのか?

電球を放し手を上げたまま、後ろへとゆっくり顔を向ける。

英「ラモン・・・」

揺れる明かりの中で見え隠れするラモンの表情は、ただ無情に冷静で、なんの感情もない。

怒りや悔しさ、悲しみなど、何らかの感情があれば、その心の隙を利用してアクションを起こせるのだが、ラモンはそんな隙がないほどに無感情で、何も言葉を発しない。

無感情だからこそ、突きつけられた銃のトリガーがいつ牽かれるのか、まったく予測つかない恐怖。数十分、いや数分だったのかもしれない。耐えかねて、撃たれるのを覚悟で息を吐いて、手を降ろした。撃たれはしなかったが、ラモンは銃を突きつけたまま。

英「確かに、パスポートは偽造で、俺はジャーナリスじゃない。米軍所属の特務兵だ。ノーボサーラの潜入任務のためにここへ来た。」

英「潜入の目的は?」

英「ノーボサーラの後ろ盾になっているはずの組織を暴き報告する事、別にノーボサーラを内側から崩壊しようとかはない。あくまでも調べだけが任務だ。」

英「・・・・。」

英「報告の後、上層部がその報告を元にどんな作戦に出るかは、知らない。」

ラモンは、冷たく鋭い視線のまま銃を降ろし、銃を腰に仕舞って、俺はやっと大きく息を吸う事ができた。

いつ死んでも良いと思っているはずなのに、こうして撃たれないとわかったとたんに、安どする気持ちとはいったい何なのか。いつ死んでもいいが、死と向き合う覚悟はまだできていないのだと思い知らされる。

揺れている電球をラモンは掴み停止させながら、デスクへと回り込んだ。椅子には座らず、デスクの引き出しを無造作に開け、そして、取り出した何かの用紙をテーブルの上に置いた。

英「これが、証拠になるか?」

英「えっ?」テーブルに置かれた紙を覗き込む。

英語表記のそれは、ラモン・マルティンスという人物の個人口座の入金明細だった。

毎月1日づけで5万ドルが一年にわたり入金されていて、さらにコンスタントに千~2万ドル単位の小口の入金も羅列されている。いずれの入金相手のコードナンバーは違っているが、調べれば、簡単に割り出すことが可能だろう。定期的な入金状況と金額の大きさにより、ラモンがノーボサーラのトップであることの証明だ。

英「持っていけ。」

英「なぜ⁉」

英「助けてくれた報酬だ。」

英「にしては、この情報はあまりにもっ」

英「高すぎるな。」ラモンはフッと口角を上げて笑った。

初めて見たラモンの笑い。その笑いもまた無感情だ。

英「頼みがある。」

英「頼み?」は聞かない方がいいに決まっている。

それぐらいこの情報は、瓦礫に挟まった男を助けた報酬にはあまり余った報酬情報だ。だが、もう遅い。俺はこの用紙を見てしまった。忘れない記憶としてインプットされた。

しかし、ラモンは俺の記憶能力を知らない。だから用紙を要らないと突っぱね、頼みは聞けないとしても可能だ。

断る前にラモンの方が口を開く。

英「エバをそれなりの機関へ連れて行って欲しい。」

英「エバを?」

英「もう、ここは終わりだ。」

英「終わりって・・・確かに、ブルーノが脱退したのは手痛い事だろうが。」

英「二日後、ここは空爆される。」

英「空爆って、嘘だろっ、ここは学校だぞ。」

ラモンは俺の戸惑いの叫びに、一切表情を乱さず、じっと見つめている。

英「その情報はどこから?いや、空爆をするのは、どこの軍だ。」

英「明日中に怪我人を病院へと送り届け、残りの仲間達にも金を分配して解散させる。学校はその日、隣町の図書館への学習を予定している。」

英「・・・・。」

後ろ盾もしくは、ノーボサーラを利用していたどこかの組織と意見の食い違いがあった。第三勢力となりつつあったノーボサーラがどこかの軍からの空爆を受けて壊滅する。その図式によって、人類発祥の地サーラダ・アルベールテラを巡る信仰聖地の領土争いによる内紛が、どのような変化をもたらすのか、俺には想像もつかないが、このラモンという男は、あらゆる思考により、あらゆる手を興じたはず。このノーボサーラを解散させずに、生き延びる方法や、学校を犠牲にせずにする方法など・・・交渉は決裂したのか、それとも事前に決められたこれも作戦の内なのか?

ラモンの今の表情だけでは読み取れない。

英「なぜ、エバだけ?」

英「あいつは女だ。女が戦地にいることはない。米軍所属のお前なら、信頼してエバを預けられる。」

英「まさか、俺を殺すなってエバに言っていたのは、最初から俺の正体を知っていて?」

英「銃を扱える日本人ジャーナリストなど、いないからな。」

英「まいったな・・・。」と苦笑している間に、ラモンはまた別の引き出しを開けて、何かを取り出す。

英「返そう。」そう言って、入金明細の紙の上に投げ置かれたのは、俺の偽装パスポートと十字架のペンダント。

英「これ・・・」ラモンが自分のペンダントを別れの選別のように渡したいのかと思った。しかし、ラモンの首を見ると、ペンダントの鎖が見えていた。

英「一つ聞く、お前は、これをどこで手に入れた?」と十字架を指さす。

英「テルカルメの万事屋だよ。」

英「なぜこれを買った?」

英「エバが買おうとして断られていた。だから俺が買って、アジトに連れて行ってもらう餌にしようと算段した。」

英「エバが買おうとしていた?」それまで無感情だったラモンの顔が一転して、驚いた表情を見せる。

英「ああ、テルカルメの店主はノーボサーラからの金を受けとりたくないと」俺の説明を遮るように、重ねて詰問してくるラモン。

英「エバは、何か言ってたか?これの事を!」

英「何って・・・何を?」それまで無感情に冷静だった者が、慌てた言動をしたことに驚いて、俺は一歩下がった。

英「この掘られた文字の事を。」とラモンは十字架を手に取り、側面に掘られた文字を指でなぞる。

英「文字?いいや。」俺は首を振る。「何と書かれてある?ポルトガル語はわからない。そもそも、餌にする前にアンデバサドに身売りされて、金と共にそれは奪われたと思っていたんだ。エバは俺が持っていることも知らないだろうよ。」

英「そうか・・・。」ラモンはペンダントを置き、また無感情の顔に戻る。

英「この十字架、特別なものか?」

エバは自分の食材を節約して金を貯め、買おうとしていた。お腹を空かせてでも欲しがった物。

英「いいや。」

英「お前のと、同じだな。」

英「よくありがちなデザインだ。」

英「そうかぁ、俺は宗教を持たないからよく知らない。」

英「エバが欲しがっていたのなら好都合、これを餌に連れて行ってくれ。」

英「それでも、エバは、お前と一緒がいいと言うだろう。」

英「空爆や解散の事など言わなくていい、その時間帯、買い物にでも連れ出せばいい。」

俺は還されたパスポートと十字架のペンダントだけを掴み持った。

英「これだけでいい。空爆と聞いて、任務などどうでもよくなった。エバの事はちゃんと然るべきところに送り届ける。」

そう言っても、報酬である入金明細を受け取らない俺に対して信用がないのか、睨んだまま視線を外さないラモン。

用紙は必要ない。消えない記憶が十分に任務達成となる。とここで俺の能力の説明は面倒だ。演技でも用紙を受け取ればいいだけのことだったが、本当に任務などどうでもよくなっていた。

どこの国が、どこの組織が、空爆など非人道作戦に出たのか?その情報がハッタリであったとしても、そうした非人道的な恐喝でもって自警団から発生した一つの組織を壊す。その情勢と蠢く策略が、あさましい。

俺が入金明細の用紙を持って帰れば、確固たる証拠となってしまう。

英「じゃ、報酬として。」握手の手を出した。

ラモンはまた驚愕に、戸惑いの色を出した。その変化ある表情が、ある意味特別な報酬だ。

英「変な奴だな。」とラモンは苦悶した表情で俺の手を握る。

英「ラモン、お前のことはノーボサーラの勇敢な指導者として記憶に留める。」

英「リク・ヤマモト、お前のことは、クレイジーなジャーナリストとして記憶に留めよう。」

英「何だよ~もっとマシな印象はないのか。」

英「ないね。」

こうして俺たちは、取引を結んだ。











アジトの変更は、ノーボサーラにとっては4度目になると結成当初から残っている仲間たちは言い、エバは2度目の経験だと教えてくれた。

俺以外の仲間達には空爆の事は伏せられていて、定期的なアジトの引っ越しだと思わせている。

動けない怪我人3名を病院へ避難させて、すべての荷物が学校地下のアジトから運び出された空爆予定日の朝早く、俺は約束通りエバの買い物に付き合い、テルカルメの街へと出てきていた。

英「あそこ、気に入ってたのになぁ・・・。」とエバは鹿肉のトマト煮込みサンドをかみしめながらつぶやく。

英「上はにぎやかだったよね。」

英「うん。時々、子供たちに勉強を教えていたんだ。」

英「エバは英語が話せるからね。珍しいんじゃない?」

英「そうかな?」

英「他の皆も英語を話せていたけれど、エバのは癖がなくてきれいな発音だから。」

エバに会った時から思っていた事だ。英語がここまで堪能なのは、ちゃんと教養を受けている証拠だと。そんなエバが何故、男のふりしてノーボサーラに入ることになったのか?創設当初から居るというならまだしも、途中からの仲間になったと聞くし、唯一の女の子である事が、際立った事情があると踏んでいた。そういった込み入った話も、頼まれた流れでラモンから聞けてもおかしくない場面だったのだが、そういうのはなく、あれからもラモンは俺に対して冷たい視線を向けるだけだった。

英「エバは、教養を受けた子なんだなぁって。ご両親は?」

英「知らない。」

英「え?」

英「覚えていないんだ。ラモンに助けてもらった前の記憶がなくて。」

英「記憶がない?」

英「うん。ラモンが言うには、車で移動中、カランカでの大きな爆撃に巻き込まれて、車外に投げ出されたみたいなんだ。たまたま近くにいたラモン達が駆けつけたら、俺が道端に転がっていて、まだ生きていていたから、ラモン達は病院に運んだんだって。」

英「エバだけがって事は、その時にご両親は・・・。」

英「ううん。その車には俺の両親らしき人は乗ってなかったって。」

英「そ、そう・・・。」

英「ん?なんでそんな変な顔するんだ?」

英「いや・・・聞いては行けない事だったなと思って。」

英「聞いては行けない事?」口の周りについたトマトソースを舌で舐めながらキョトンとするエバ。

英「あぁ、まぁ、エバが悲しい気持ちになってなかったらいいんだ。」

英「?」エバは首をかしげて、残るサンドイッチを口に頬張る。

俺は腕時計を確認した。空爆の予定時間まであと40分ある。ここ、テルカルメは、アジトから離れていて危険はない場所であるとはいえ、空爆が開始されれば、地面の揺れが少しは感じるであろう距離である。エバはアジトが壊滅させられたと知ればショックを受けるだろう。そのショックを目の当たりにすることが必要で、そして、来ることのないラモンの迎えに落胆し、難民施設へと行くよう俺が説得する。のが、今回、ラモンと筋描いた取引内容だ。

英「おじさん、おいしかったよ。ごちそうま。」とエバは屋台の親父に笑顔でお礼を言って、お腹をさする。「さぁて、今日はいっぱい買わなくちゃいけない。金も沢山預かったんだから。頼むぜ、荷物持ち。」と俺の背中をバシッと叩くエバ。

その叩きがまるでスイッチだったかのように、遠くから空気を切り裂く、戦闘機の飛行音が、みるみると近づいて聞こえてくる。

曇りなく晴れた空を戦闘機の機影が天を横切り、その腹から爆弾を2個投下した。戦闘機の派手な音と姿とは反して、遅く落下していく爆弾は、まるで煌くミラーボールが落ちていくようだった。戦闘機はすでに音の余韻だけを残していなくなっている。

炎混じった煙が舞い上がり、遅れてドドーンと地響きと共に、爆撃音が届く。

葡「な、なにっ」条件反射で頭を竦めるエバと俺。

知らされている時刻より40分も早い。それが何を意味するのか?

ラモンが俺に嘘の時刻を教えたのか、それともラモンも騙されているのか?

葡「こりゃ、やばいっ」と屋台の親父が店を畳み始める。またヒューと爆撃が同じ軌跡で飛んでくる。通りを歩いていた人々は立ち止めていた体を動かし、建物内へと駆け込む。建物の中から外の様子を見に外に出ていた住人も、中へと戻っていく。

英「あの方向って・・・。」エバが駆け出そうとしたのを腕を掴んで止めた。

英「行っちゃ駄目だ。」

英「あの方向はっアジトの方向だよ。帰ろう!」

英「駄目だ。危険だ。」

英「危険だよっ、危険だから。行かなくちゃなんないんだろ!みんなが危ないっ」

英「大丈夫だ。今日は学校では授業をやってない。ラモン達は新しいアジトの方に行ってる。」

英「そうだけど・・・、でも、まだウゴ達が残っているかもしれない。」

英「大丈夫だよ。誰もいないよ。」

英「お前・・・何か知って?」

英「何も知らないよ。だけど、あの規模の爆撃なら、行ってももう・・・手遅れだ。」

英「手遅れ・・・・。」エバは、俺の掴んだ手を振りほどき、車の置いてあるガソリンスタンドへと走る。

英「エバっ」

エバはガソリンスタンドに駆け込むと、来た時と同じようにジープの助手席に乗り込んだ。

英「リク!早く出してくれ。」

英「駄目だよ。」

エバは俺が車に乗り込まない事に苛つき、助手席から運転席へと移り、エンジンをかけようとする。だけど当然キーは俺が持っている。キーが刺さっていない事にエバは怒り、ハンドルを拳で叩く。エバの「くそっ」という悪態とクラクションが重なった。

ガソリンスタンドの親父が、店から半身のぞかせるが、俺は手を上げて「何でもない」と首を振った。

英「エバ、落ち着こう。」

英「落ち着いていられるかっ、キーを出せっ。」

俺は首を横に振り、車から一歩離れた。エバは、運転席から降りてきて、俺につかみかかってくる。

英「キーを出せって言ってんだろう!」

英「エバは運転できないだろう。」

英「出来る。」

英「また、そんなウソを、アクセルに足が届いてないじゃん。」

英「出せって!」

英「駄目だ。」

エバも俺も携帯など持っていない。エバが買い物するときは、時間の約束をして仲間の誰かが街に迎えに来るというアバウトさだった。

エバはどうにかして、俺のベストからキーを取ろうとつかみかかってくるが、俺は交わして逃げる。

英「くそっ!」苛立ちの悪態を吐いて、エバはガソリンスタンドの店主がいる建物へと向かう。

英「親父、電話を貸してくれっ」

英「ええっ?」顔だけをまだ外に覗かせていた店主は押されてエバと一緒に店内に戻る。

エバはデスクの上にある古めかしい電話を乱暴に引き寄せて、受話器を取った。

英「な、何するんだ。」店主と俺の言葉が重なる。

乱暴にプッシュボタンを押して掛けた電話は繋がらなかった様で、耳にあてられた受話器はすぐに「くそっ」と言う悪態の言葉と共に叩きつけるように戻され、掛け直す。それを4回繰り返されて、エバは「繋がらない。コールもしない。」と涙声でつぶやいた。

英「どこにかけてるの?」 

英「学校・・・」

英「エバ・・・。」エバの肩を抱き寄せようとすると、エバは受話器を落とし、店を駆け出ていく。

英「エバっ」

ガソリンスタンドからまっすぐ、まだ埃上がるアジトの方向へ走るエバを追って、俺も走った。

500メートルほど走った所で、エバは躓き地面に手と膝をついた。

英「エバ・・・」

英「くそっ、くそっ、くそっ、車出せよっ」と胸にすがってくるエバをぎゅっと抱きしめた。

英「夕方になったらね。今はまだ熱くて近寄れないよ。」

俺の胸でもがき叫ぶエバは、あきらめたのか、次第におとなしくなっていく。




ガソリンスタンドへと戻り、店内のテレビで空爆の状況や情報などを拾ったが、エバの思うような情報は拾えない。そもそも、テレビ放送その物が、まともに放映されていない。

混乱して、怒りと落ち込みを繰り返すエバを宥めながら4時間を過ごして、やっと車を出した。

皮肉にも、きれいに茜色の染まるテルカルメの空。

当然にラモンからの連絡はない。

ノーボサーラの3つ目であったアジト、小さな学校のあった場所に近づくにつれて、焦げ臭さが濃厚になってくる。

学校は、町の中心から外れた場所だったから、周囲の民家が直接爆撃に巻き込まれた様子はなかった。ただし、爆風によって周囲のガラスが吹き飛んでしまっていて、住民たちが板でふさいで修理をしているのがちらほらと見えた。しかし、町もショックを受けたように静かだった。100メートルの手前で車を停めて降り、歩いた。

あの戦闘機のパイロットは中々の腕前を持つ者だったようだ。ピンポイントで数メートルの狂いなく、二つを見事に爆撃している。

焼け焦げて、僅かな残骸しか残っていない学校。

まだ残る爆撃熱で汗が全身からにじみ出る。尚も、えぐり土に落ち込んだアジトへと近寄ろうとするエバの肩を掴んで止めた。抵抗することなく、向かう足を止めて、じっとその場所を見つめ、悲鳴すらも噛みしめ、食いしばったエバ。

英「エバ、戻ろう。テルカルメに。ラモンが迎えに来てるかもしれないよ。」

エバはコクリとうなづいて踵を返し、車へと戻っていく。

ここからが苦労するだろう。ノーボサーラが解散したことを黙っていれば、エバは迎えに来ないラモンを探して、他の街へと行ってくれと言うだろう。

空爆後は、事実を言ってくくれても良いとラモンに言われていた。だが、事実を言えばラモンは敵と内通した組織の裏切り者となり、さらに自分は見捨てられたとなれば、エバの心中は重ねて傷つく。ラモンはそうした悪者になることでエバを守ろうとしているのだけれど、それがエバに理解できるかどうか・・・。

そして自分が、エバの心中を納得させられるように誘導できるかどうか・・・。

ノーボサーラの後ろ盾を探すミッションを課せられて、まさかこんな大役と引き換えにその報酬を得るとは思いもしなかった。

俺は心の中で大きなため息を吐いた。

隣町で空爆されたテラカルメの空は、砂ぼこりが薄く立ち込めた夜を迎えようとしていた。

ガソリンスタンドの親父に、人と待ち合わせていて若干遅れている旨を話し、朝まで滞在させてくれるよう金を握らせて頼む。

昼間から俺たちの様子を見ていた親父は、エバが空爆された町の人間だと悟り、同情して俺たちを邪険にはしなかったが、「その待ち合わせの人、あの空爆で死んでるんじゃないのか。」などと、にべもない事を平気で言った。

そんな、ガソリンスタンドの親父の露骨な言葉を聞こえているはずのエバは、何の反応を見せずに、身動き一つしないでアジトがあった方角の道の先をまっすぐ見つめている。

昼間に悪態ついて暴れていた様子とは打って変わって、エバは一言も話さなくなってしまった。ガソリンスタンドの親父から譲ってもらったパンと缶詰を夕飯替わりに渡しても、首を振って拒否された。

互いに一睡もせず、朝を迎える。相変わらずエバは、道の先をまっすぐに見つめている。耐えられなくなって、俺の方から「ラモンを探しに行くか?」と提案したのは昼近い時間になってから。エバは何十時間ぶりに「ここで待つ、約束だから。」と消え入るような声で答えた。

そうして、ガソリンスタンドでまた夜を迎えた。さすがにその夜はエバも俺も眠ったけれど、それでも短時間程で目を覚ます。

空爆された時間から、まる2日が経った。これ以上はガソリンスタンドの親父も迷惑だろう。いくら金を渡しているとは言え。

エバも十分理解しただろう。ラモンは迎えに来ないのだと。そして、僅かな水しか口にしないエバの体力も限界で心配だ。

英「ねぇ、エバ、難民保護施設に行かないか?」

やっぱり反応がまったくないエバ。

英「こんな命がけの地で生きていかなくても、ちゃんと保護してくれる場所があるんだ。」

英「俺は命がけでも、ラモンと一緒がいい。」道の先に顔を向けたまま、そう宣言するエバ。

英「ラモンは、それを望んじゃいない。だから迎えに来ないんだよ。エバには平穏な生活を送って欲しいと。」

エバは二日ぶりに俺へと顔を向ける。その表情は怒っているようにも、泣いているようにも見え、苦悶につらそうだった。

英「エバ、エバなら、ちゃんとした教育を受けたら、沢山の引受人が候補の手を上げてくれる。そしたら、普通に学校に行って勉強できるし。そう、エバが望むなら、日本にも来る機会だって作れるよ。」

英「日本?」

英「そう、アーサーの代わりに。」

あぁ、俺は卑怯だ。死んだアーサーの名をここで出すなんて。

英「アーサー・・・」エバの心はやっぱり揺れ動く。

英「エバ、これを。」

ベストのボケットから十字架のペンダントを取り出し、エバの手に乗せると、エバを目を見開いて驚きの顔をこちらに向けた。

英「ラモンからだよ。」

英「ラモンから?」

英「うん、何かあって迎えに行けない事があるかもしれない。その時は、エバを難民保護施設に送ってくれと頼まれていた。でもエバは渋るだろうから、その時はこれを渡して説得してくれって。」

英「ラモン・・・」

エバは十字架をぎゅっと握っておでこに充てて、肩を震わせる。

頬を伝う涙は、ほこりにまみれて茶色く濁る。

まだ、決心しかねているエバを連れて、テルカルメの街や周辺、ノーボサーラが活動していた範囲の街を半日かけて車で走り回った。

しかし、ラモンどころか、ノーボサーラの仲間たちの一人として見かけない。一時避難で病院に運ばれているはずの動けない三名の怪我人も、周囲のどこの病院や診療所にも居なくて、そもそもそんな患者は運ばれていないとあしらわれる。

エバは増々心を打ち砕かれ、落ち込む。身も心も元気をなくしたエバの横で、車を運転しながら俺は考える。

エバがノーボサーラを抜けて難民保護施設へと行き平和な生活を送る事は、この上ない最善の待遇だが、これほどまで慕うラモンから引き離すことが、果たして、本当にエバの最良であるのか。

絶対的な人望を持っていたラモン・マルティンス、町の自警団だったノーボサーラを第三勢力とアメリカ軍が注視するまでに大きくしたその手腕と戦略は、紛争地の勢力組織の頭として申し分ない才能を持っていた。平和な地であれば、カリスマ事業家にでもなれたであろう。

「くそっ」そう呟いた自分に驚く。

この俺が嫉妬?死にたいと願い、戦場に配備されることを望んだ俺が?

この地に足を踏み入れた時には無かったものが、自分の心にあるのを自覚する。

物思いにふけっていたら、エバが不安そうな表情を俺に向けている。

英「難民施設に行くよ、いい?」

ずっと握りしめている十字架を胸に、エバはコクリとうなづく。

翌日、白んだ夜明けにテルカルメの街を出て、リビエラの首都アルジェへとジープで向う。幸いにも道中、紛争に巻き込まれることなく、まだ日の落ちない夕方にはアルジェに着くことができた、アルベール・テラの聖地をめぐる領地争いが続くリビエラ国は、争う二つの陣営が休戦協定でも結んだのかと思うほど、空爆のあった日より戦況が静かになった。突然、実行された空爆にリビエラ国が、いや世界が驚いている状態。空爆がどちらの陣営からか、もしくは、そのどちらの支援国が実行したのかは判明していないと、ラジオは告げている。実施した戦闘機が、機影からロシア製のシグ23である事は判明していたが、それを所有している国は数多く、どこからも声明がない。そして、標的にされたノーボサーラ側からも一切の声明がなく、空爆によって壊滅したとの見方が日に日に強まっている。

リビエラの首都アルジェへは、テルカルメからは400㌔ほど離れている。その為、紛争地の様相を微塵も感じさせない。高層ビルも建ち並ぶ近代都市であるが、よく見れば、通りに面するテナントのドアには張り紙が貼られていて、空きテナントが多い。割られたのか木の板で塞いでいる建物もある。紛争によってさびれてしまった都市、走っている車も少ない。

テルカルメのガソリンスタンドの親父に調べてもらった地図と電話番号を頼りに、なんとか国連機関の、リビエラ国難民受け入れセンターにたどり着いた。見た目からサッカー場のような場所だなと思っていたら、門のすぐそばにあるコンクリートむき出しの建物の壁に、アルジェ市営スポーツセンターとポルトガルと英語の両方の表記があり、納得した。元はグラウンドだった広場所にテントが群集していた。

英「もしかしたら、ノーボサーラの仲間の誰かが、ここにきてるかもしれないね。」とエバに囁いたが、エバは一切の反応を示さない。

事前に電話をしていたので、施設の受付時間を1時間過ぎていても、職員が数名待っていてくれた。

英「遅くなり申し訳ありません。ヤマモト・リクです。」

英「お待ちしておりました。国連難民事務局、指導員のイリナ・ヴァローです。」

とエバを担当すると握手をしたのは、白人の女性だった。名札にイギリスの国旗が印字されていたので、イギリス国から人道支援されてきている人なのだろう。

英「ようこそ、エバちゃん。もう、安心して、ここに来れば何も困ることはないから。」と明るく迎え入れるイリナ・ヴァロー女史だったが、エバは沈んだ表情でうつむいたままだ。

エバの疲労がひどいので、テントではなく施設内の部屋でまずは保護し、明日以降、身体の診察を含めた正式な保護手続きを行うという。俺は施設に寝泊まりすることができないので、近くのホテルを紹介してもらい、明日、様子を見に訪れると約束して施設を後にした。

これで、ラモンとの約束は完了となる。このまま、エバとさよならしてもよかったのだが、ミッション当初に出会い、重傷の俺の看病と止血をしてくれた命の恩人のエバを見捨てるようには去りたくなかった。

テント集落には、行き場のない難民が大勢、ただ時間を持て余した日々を送っている。あれをエバに強要するのはかわいそうだ。ラモンは確かにエバの安全を望んでいたけれど、ただ生きているだけの、檻に押し込まれた動物のような日々をを望んではいない。わざわざ俺を選んで託したのは、エバにちゃんとした生活と教育を望んで、俺が後ろ盾になることを期待していた違いない。施設に送るだけならラモン自身でできたのだから。

それをする為には、俺自身のしっかりとした身分証明が必要だった。ラモンから当面の生活費として預かっていたお金がほとんどなくなっている事もあり、ホテルに戻る前に、リビエラ国米国大使館へと向かった。大使館経由で米軍アフリカキャンプ基地本部へと連絡してもらうためだ。

難民施設から10㌔も満たない所に、リビエラ国米国大使館はあった。俺が日本人の容姿をして持っているパスポートも日本のパスポートであった為に、来る場所が違うと門前払いを食らいそうになったが、パスポートの厚くなっている裏表紙を割いてめくり見せた、米軍印章とIDナンバーの照会でやっと信じてもらえる。すぐに、大使館にサルバドール氏から折り返す電話があり、状況の説明を求められた。

軍でも、空爆を実行したのがどこかは判明していない。憶測が世界情勢の緊張を張り詰めている中、俺の持つ情報が一番の確信情報である為、すぐに帰ってこいとサルバドール氏から帰還命令が出だが、ミッション途中で保護した子供を難民施設に届けてからになると、半ば嘘の理由をつけて時間稼ぎをした。迎えに来るとまで言うサルバドール氏、よっぽど俺の持つ情報が待ち遠しいのだろう。

大使館経由で経費である当面の生活資金と、米軍SP5兵のカイ・オオノの身元証明書を貰い外に出ると、もうすっかり日が落ちた夜になっていた。





翌日の正午間際に難民受け入れセンターを再び訪れる。エバは診察を受ける為の準備をしていると聞き、会う事は出来なかったが、代わりにイリナ・ヴァロー女史が出てきて応対してくれる。何故か黒人警備員が2名も、案内された部屋に同行してくる。

英「エバちゃん、よく眠れたようで、朝食もしっかり食べていましたよ。」

英「そうですか、安心しました。」

英「ところで・・・リク・ヤマモトさん、昨日提示されましたパスポートナンバーとビザの照会を行いました。それがどうしたことか、ビザ申請されていないどころか、パスポートナンバーも登録されていないと、先ほど連絡ありました。」

なるほど、俺を違法入国者と疑って警戒しているから、警備員が同行してきているのだ。

英「その不審は当然でしょう。昨日提示したのは偽装パスポートです。」

英「なっ!」イリナ・ヴァロー女史を含めて、警備員の二人も驚愕と同時に構えた。

英「私の本名は、カイ・オオノです。米軍アフリカキャンプ基地に所属のSP5兵です。」

英「は?アメリカ?」

偽装パスポートで違法入国をした日本人ジャーナリストより、さらに信憑性のない身元なのだろう、昨晩アメリカ大使館で作成してもらった身元証明書を提示してみても、中々信用してもらえず、かなりの時間を要して大使館への問い合わせの後、やっと本当であると聞き及んだが、それでも俺の姿と身元証明書とを何度も視線を往復して納得できない表情でいる三人だった。

英「エバには、日本人ジャーナリストの身分のまま通してもらえますか?色々と事情があるもので。」

英「ええ、まぁ・・・それは、大使館の保証があれば、我々は特に問題はありませんから。」

英「ありがとうございます。」

やっと椅子をすすめられて、イリナ・ヴァロー女史とテーブルをはさんで向かい合う。黒人警備員2名は部屋から出て行った。

英「お礼を言うのはこちらです。私たちはエバちゃんを探していたのです。」

英「探していた?」

英「ええ・・・。」イリナ・ヴァロー女史は、眉を曲げてから続ける。「実は、エバちゃんは2年前に一度こちらで保護した子なのです。」

英「2年前・・・。」エバはアジトの引っ越しが2回目だと言っていた。決まった周期で場所を変えていたと考えると、おおよそ計算は合うだろう。

英「ええ、2年前、エバちゃんは叔母にあたるアマリア・ダヴィと一緒に保護を求めてここに来られました。エバちゃんの一家はそれより3年前に、タハトの町で紛争に巻き込まれてご両親が亡くなられています。エバちゃんにはお兄さんがいたのですが、町から逃げる途中ではぐれ、それから行方不明で、おそらく生きてはいないだろうとアマリア・ダヴィさんは当時、落胆して言っていました。それぐらいタハトの町はひどい状況だったと。両親を亡くした兄妹をアマリア・ダヴィ夫婦が面倒を見ていたのですが、夫も昨年、強盗に襲われ死亡し、二人は行く当てもなくなり施設に来てくれたのですが、当時はまだ受け入れ先が豊富にあって、すぐにトルコへの移送が決まっていました。経由地のエジプトへ向かう移動中、エバちゃん達を乗せたバスが、タバラデートが仕掛けた橋の爆破に巻き込まれてしまい、沢山の死者がでました。」

英「ルチンド橋爆破事件ですね。」

ジャーナリストとして最低限知っておく情報の一つである。事件の紙面記事が頭に広がった。記事には、バスで移送中の難民が巻き込まれ全員死亡とある。

英「ええ、あの爆破に巻き込まれたバスに乗っていたのは運転手と事務局員を含めて全員で36名、死亡者が27名でした。」

英「生きていた方がいたのですね。」

英「はい。大人、子供を含めて8名が病院に搬送されました。残念ながら2名はその後死亡しました。エバちゃんの叔母であるアマリア・ダヴィがその一人です。」

俺は黙って頷いた。イリナ・ヴァロー女史は一呼吸してから話を続ける。

英「エバちゃんはそのバスに乗っていて居ながら、何故か現場から姿がなく、行方がわからなくなっていました。怪我をしたのか、それとも、何かの事情で難をのがれられたのか、わからなくて心配していたのです。」

空爆の前に、エバが語った記憶喪失の話しと繋がる。橋の爆破に巻き込まれたエバは、幸いにも車外から投げ出されたのだろう。道端に転がっていたエバをラモン達は保護し、病院に運んだ。強く頭を打ったエバは記憶を失っていて・・・何故、ラモンは、エバをノーボサーラに引き入れたのだろうか?ここ難民機構がエバの身柄を案じて探していることは、わかっていたはずだ。それに、そうやって記憶のないエバをノーボサーラに引き入れときながら、エバには戦地に行かせないようにしている。エバが俺に偽ったように、最初は男だと思って仲間に引き入れたが、女だとわかって態度を変えたか?

英「昨晩、その話をエバちゃんにしたのですが、どうも橋の爆破に巻き込まれた以前の記憶がないようです。」

英「ええ、そのような話をエバ自身がしていました。」

英「リクさん、エバちゃんを何所で、保護したのか教えていただけませんか?そして、この2年間どこにいたのか教えてください。」

英「私がエバと出会ったのは、テルカルメの町です。ですが、それ以上はお答えできません。任務上の機密ですのでご理解ください。」

英「任務上の機密・・・そうですか。」

イリナ・ヴァロー女史は残念そうに頷いた後、街の名前だけでも記入しようとしたのだろう、抱えていたバインダー式のファイルを開き一枚目を捲った。エバの顔写真が入った個人情報が翻り見えて、一瞬で俺の脳に記憶された。逆さで記憶された紙面を頭の中でひっくり返し上下正しく再現すると、名前だけはポルトガル語と英語の二つ言語表記で、他はすべて英語である。そのポルトガル語と英語表記の文字を見て驚き叫んだ。

英「その名前は本当ですかっ」

英「はっ?」俺の叫びに驚いてバインダーを抱きしめ引いてしまうイリナ・ヴァロー女史。

英「その、エバの名前です。書かれたフルネーム。エバ・マルティンスという。」俺は立ち上がってイリナ・ヴァロー女史が抱きしめるバインダーに手を伸ばした。

英「本当ですかって、もちろん。2年前に本人からの申請で。もしかして、二年前に行方不明になった子と人違いではないかという懸念をされていますか?」

英「いえ、そうじゃなく・・・」良い淀んでいるとイリナ・ヴァロー女史は俺を納得させようと説明をする。

英「国外移住希望者の方には、両手10本の指の指紋登録をお願いしています。エバちゃんが二年前に行方不明になったエバ・マルティンスだと判明したのも指紋の照会によってですから、間違いありません。ちなみに指紋認証機器は日本制ですから、精度は抜群ですよ。」

ラモンと同じラストネームだった。ラモンが持っていけと渡そうとした書類に書かれたラモンのフルネーム。そして、十字架に刻んであった文字も、同じだ。

英「そのマルティンスという名は、こちらではよくある名前ですか?」

英「うーん。どうでしょう。珍しくは無いと思いますが、沢山ある名ではないと思いますよ。私が今まで担当したお子さんでは初めてのラストネームです。」

偶然か?いや、そうではないだろう。エバが万事屋で買おうとしていたと話した時のラモンの動揺と、助けたエバを難民施設に送らず、そばに居させた理由がこれで説明がつく。

ラモンとエバは兄妹。

大きくなりつつある組織に伴い、危険も大きくなりつつある状況に、妹の身柄を案じて俺に託した。

自分の妹だと、俺にもエバにも言わずに姿を消したのも、状況を考えれば、そうせざるえなかった。アフリカの聖地を巡る領土と信仰争いの第三勢力となりつつあったノーボサーラのリーダーの妹だと知られたら、敵対するアンデバサド、タバラデートのみならずこの国の当局からも、エバは狙われて拘束されてしまうだろう。

英「どうされました?リクさん。」

英「いえ、何でもありません。」動揺を消すために笑顔で質問をする「そのエバ・マルティンスは、今後どういった経緯で保護されますか?」

英「エバちゃんはまだ13歳ですので、今日の身体検査で何もなければ、国連難民子供保護機構が彼女の身柄を安全国圏の保護施設へと送ります。」

2年前、その移送中の安全が脅かされた。ラモンはたまたま倒れているエバを見つけたのだろうか?それともエバが移送されると知っていて、一目顔を見ようと向かっていた最中の爆破事件だったかもしれない。不幸中の幸いか、エバは生きていて助ける事が出来た。しかし、頼りだった叔母夫婦も死に、身内は己ら二人だけとなってしまった。エバは事故の後遺症で助けた自分が兄であるという記憶がない。兄妹愛に手放すのが惜しくなり、難民受け入れセンターに再び預けられずにいる内に、エバはリーダーとしてラモンを慕い、増々追い出せ難くなってしまった。危険が増していく自分の立場と周辺。自分の身元を隠しエバをちゃんと難民受け入れセンターへ預け渡す機会と託す事ができる人間が現れること待っていた。

英「ご安心ください。子供の安全、健康、生活及び教育は世界人権憲章で守られています。」

俺が随分と黙ってしまったので、更に付け加えて説明するイリナ・ヴァロー女史。

英「どこの国の施設へと送られるのかは、決まっているのですか?」

英「いいえ、まだ。エバちゃんの希望を聞いてからとなりますので。」

英「そうですか。決まりましたら、私にも教えていただけますか?」

英「それは・・・申し訳ございません。お教えできない決まりになっています。」

英「イリナ・ヴァローさん、どうか、彼女の今後を優遇してあげてください。それなりの金銭もお渡しします。」

英「それは・・・。」

英「難民の受ける処遇は、私の拙い知識でも知っています。私は、エバと出会った奇跡を無駄にはしたくありません。彼女は命の恩人です。私の米軍SP5兵の肩書を後ろ盾として使えば、それなりに効力があるでしょう。彼女への施しは、私の命の価値と同等だと思ってください。」

イリナ・ヴァロー女史は、複雑な表情で俺を見つめた。






記憶したエバの個人情報の書かれた紙面から、エバの両親は、紛争の激化で壊滅したタハトの町の教師をしていたと知る。エバが英語を話せて子供たちに教えられる教養を持っていたのは、両親からのちゃんとした教育を受けていたからで、ラモンも同等で、町の自警団だったのを、ノーボサーラとして大きく組織に成長させることができた所以だろう。それらを知れば知るほど、ラモンのカリスマ的才能は裏打ち証明されていく。

さらに、十字架にラストネームを刻むという事が、どういうことなのかも知る。ラストネームを掘った十字架は、親から子へ代々受け継いで大切にしていく、堅実な家系の証拠だと聞く。

堅実に代々続いた家が、街が、紛争によって消滅する。十字架も何かの要因で他人の手に渡り、流れ、テラカルメの万事屋に売られることになったのだろう。記憶を失ったエバが、実の兄とは知らず組織のリーダーと同じアクセサリーを欲しがり、万事屋で十字架を見つけ、そこに俺が行き当たり出会うきっかけととなったのは、ラモンの願いが天国にいる両親に通じて起こした奇跡なのかもしれない。

英「エバ、さよならだよ。」エバは唇をぎゅっと閉ざして、わずかにうなづく。

英「心配ないよ。ちゃんとお願いしておいたからね。これから銃なんて持たない、ちゃんとした生活を送れるから。」

うつむいてしまったエバの頭に手をのせた。

英「アーサーの分までしっかり勉強して、もしチャンスがあれば、日本においで。」

エバは顔を上げたが何も言わない。俺は飛び切りの笑顔を作り、言葉を贈る。

英「じゃあね。」

結局、空爆からの数日、元の強気なエバを見ることなく別れる事になる。俺は踵を返してエバから離れた。見送りに来ようとするイリナ・ヴァロー女史を手で制して、念押してエバのことを頼み、部屋を出る。

建物を出ると焼けつける太陽が、俺の全身を痛めつける。

「ラモン、約束は果たしたぞ。」

そう、乾いた大地に告げた。

駐車場までの道を歩いていると、背後から駆けてくる足音があり振り返った。

逆光で表情の見えないエバが施設から駆けてくる。そして、駆けた勢いのまま抱き着いた。

英「リク!」

英「エバ!?」

英「・・・ありがとう。」エバは俺の腹に顔をうずめたまま叫ぶ。その声は泣き声に震えていた。

英「ありがとうは、俺が言わなくちゃいけない事だったね。」エバの頭をなでてから顔を持ち上げた。「傷の手当をありがとう。エバのおかけで助かったよ。」

英「日本語を勉強して、必ず日本に行くからっ」

英「わかった、待ってるよ。」と言いながら、俺はまた、無責任な約束をしていると嫌になる。

エバは目に溜まった涙を腕でひと拭きし、決意の強い笑顔を見せてくれた。











英「以上、SA任務開始より約2か月間に起きた出来事のすべてです。」

報告を終えても、サルバドール氏は相変わらずの冷たい視線を俺にむけたまま、しばらく口を開かなかった。

俺は、任務開始直後に出会ったのは、アーサーという男の子だとし、ラモンはペドロという名で語り、ノーボサーラのアジトに潜入したことは正直に語った。しかし、撃たれた傷が感染症を患って、長くほとんどの日数を熱でうなされていて、アジトの潜入捜査や脱出はできなかったと報告した。兵士たちは英語を話せず、看病してくれたノーボサーラの兵士たちに会話を試みても、何も聞き出せなくて困ったと言い。空爆の直前、急にアジトから人がいなくなり、鍵も開けられていた為に、脱出することができた。外に出て見て、そこが学校施設の地下だと知って驚いたと話し、資金調達と情報収集のためにテルカルメの街に戻った時に、空爆の戦闘機を見上げていた。と語った。ある程度事実は曲げずに報告しているので、首の後ろに埋め込まれたGPSの移動経路は一部を除いて合うはずだから疑われないだろう。ずっと熱にうなされていたはずの期間に、俺はラモン達と基地の外へ出かけているが、それは、熱にうなされていたから知らないと言い通し、埋め込まれたGPSの高熱による不具合ではないか、それか、ノーボサーラの兵士たちが病院に連れて行ってくれたのではないか、と言った。

英「その基地を脱出する時、基地内を捜索しなかったのか?」

英「もちろんしました。でも、ものけの殻でした。きれいなもんです。まぁ、それを残すようでは、元は自警団だったノーボサーラは、我々が懸念する組織にとならないでしょう。」

英「そうだな。」

英「空爆をしたのが、どこの組織か判明したのでしょうか?」

英「ああ、判明している。だが、公にはできない。」

英「それって・・・身内じゃないでしょうね。」

英「違う。」

英「よかったです。見捨てられたと嘆きの感情を抱くことがなく。」

英「するわけがない。」

英「そうですよね。非人道的に作ったSP5兵ですものね。」

英「ああ、まだ割に合った成果を上げていない。次のミッションでは撃たれるなどなく、完璧な成果を上げてもらう。」

そういうと、サルバドール氏はA4サイズの書類が入った封書をテーブルの上に置いた。

英「熟知しておけ、次の任務の資料だ。」

英「イエッサー」

寸時の休みを許されることなく言い渡される、次の指令。

俺に休みを施されるときは、きっと、

死ぬときしか、ない。

今日も荒野に赤い血が吸い込まれていく。

いつか自分の血が、その地に吸い込まれる時を

俺は、待つ・・・のか?






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