エピローグ
【決着】
演台だけが壇上に置いてある体育館に、二人の男がやってきた。
「久しぶりだな、元気にしてたか?」
「そっちこそ。なんかお前、顔変わってね? 整形でもした?」
「失礼な奴。顔は変わってねえよ。ま、頭の中身は昔と違うかもしれねえけどな?」
「……なあ、そういえば頭、大丈夫なのかよ」
「頭? はは、何言ってんだよ、馬鹿にしてんのか?」
「そういう意味じゃねえって。ほらお前、高三のとき頭から血流してたじゃん」
「ああ、あれか。正喜は気にしすぎなんだよ、俺はなんともねえって」
「でも……結局、お前を殺そうとした犯人は見つからず終いだろ? 卓人的に、色々思うところはあんじゃねえの」
「あ、まさかお前。犯人探しのためにこの集まりに参加したのか?」
「……まあな」
「はー……もういいって。俺、もうそんなの気にしてねえから」
「え……おま、仮にも殺されそうになったんだぞ? なんでそんな悠長に構えてられんだよ」
「あのときのこと、あんま思い出したくないってのが本音かな。ほら、俺が救急車で運ばれた後も色々あったんだろ? なーんかあれで、みんなギスギスしたし、俺に変に気を遣うようになったし……嫌なんだよな、ああいうの」
「卓人……」
「それにさ、せっかく今日はみんなで集まるんだぜ? 俺がいつまでもあのときのことを引きずってちゃ、雰囲気もぶち壊しだろ? だから、まずは俺が許さなきゃ。俺があのときのことを水に流さなきゃ、このクラスはいつまで経っても過去の呪縛に囚われたままだ」
「お前……なんか、すげえ大人だな」
「まあな。俺、もう大人だし……本当はもう少し早く、大人になるべきだったんだけどな」
「なんかあったのか?」
「小野寺のことだよ。ほら、あいつが陸上やめてから、ぎくしゃくしてたじゃん。なんか俺たちさ、変にムキになってあいつに当たり強かったよな」
「あれは……」
「あいつにも色々事情があったのかもしれないのに、俺は責めることしかしなかった。今になってすげえもやもやするんだよな。もうちょっと接し方を考えればよかったって、今さら思う」
「まあ……思い出してみれば、あいつに悪いこと言った自覚はあるけど」
「あいつ、今日来るかな」
「さあな」
そこへ、また二人の男がやってきた。それを見て深川は、首を傾げる。入ってきた男の一方が、口を開いた。
「あれ? 誰? んー……? もしかして、深川と古河?」
「え? その声はまさか……江田? じゃあ、隣にいるのは佐藤?」
「そうそう! わあ、二人とも顔付きが高校のときとは全然違うな。俺ととっしーなんか、全然変わってないのに」
「ばーか。俺たちも変わってるだろ。坊主頭、卒業だ」
「ほんとだ。ハゲてねえな」
「今も昔もハゲてねえよ」
古河が茶化すと、佐藤は苦笑いをした。そのあと四人で談笑していたが、深川がこんなことを言い出した。
「なあ……小野寺は?」
「え? 来てない?」
「知らないけど」
「え、とっしー今日行こうって誘った?」
「いいや? 俺はてっきり江田ちゃんが誘っているのかと」
「え?」
「え?」
目をぱちぱちさせる江田と佐藤。どうやら連絡ミスがあったようだ。
それを受けて深川は、気落ちしたような声を出した。
「そうか……じゃあ、小野寺は来ないんだな」
「卓人、そんなに気にすることじゃねえだろ。向こうだって、そんなのもう気にしてねえと思うし」
「うーん……そうかなあ」
そんなことを話す深川と古河。そこで江田が、不思議そうに問いかける。
「なんか小野寺に用があった?」
「いや、用ってわけでもないけど……」
江田があっと声を上げた。
「じゃあさ、これ終わったらみんなで会いに行こう」
「会いに行くって……小野寺に?」
「そう。小野寺の家って確か、学校から近かったじゃん? だから、会おうと思えば会えるんじゃ」
「でも、もう六年も経ってるんだぞ。引っ越してたりしてるんじゃねえの」
佐藤が現実的なことを言い出したが、江田はそれに怯むことはなかった。
「いいじゃん。いるかどうかわかんないけど、とりあえず行ってみよう」
「いきなり行くのはちょっと、まずいんじゃねえの」
「サプライズだって! そっちの方が面白いじゃん」
「ほんとお前、調子いいとこは昔から変わんねえな」
佐藤が笑うと、深川も笑った。
「はは。いいじゃん、それ。乗った」
「ほんとに行くのかよ」
「いたらいたで気まずいかもしれないけど、でも行く価値はあると思う。正喜はどうする?」
「俺は……別に付き合ってもいいけど」
「じゃ、決まり。終わったらみんなで行こうぜ。で、この集まりの発案者は何処だ?」
「柏木、何処にいるんだよ。もしかして会場ってここじゃないとか?」
「みんなで柏木探しに行こうぜ」
四人は体育館を出ていった。
「あれ? これって私たちが一番乗りっぽい?」
「まだ誰も来てないね。時間早かったかな?」
女二人がそう言うと、もう一人の女が溜め息をついた。
「はあ……なんで私来ちゃったんだろ。美紅と遥は久々に部活の人と会えるからいいよ。でも私、別に会う人いないし……」
「何言ってんのさ、絵梨花。StarGazerに会えるだけ、ラッキーと思わなきゃ」
「そうだよ。それに私、クラスに吹部の子なんていないからね?」
どうやらこの声は、野口と畑澤と日ノ浦のものらしい。
野口はまたもや溜め息をついた。
「そうだけどさあ……私、別にあの二人のファンってわけでもないんだよね。二人の曲はいいと思うけど、そんなファンってほどじゃ……」
「いいじゃん、だったら今からハマりなよ」
「私は永遠にルイ推しなので」
「もー、絵梨花はブレないなあ」
畑澤が笑うと、日ノ浦は思い出したかのように声を上げた。
「そういえばさ、私この前ライブの抽選当たったんだけど」
「え、それってイケ学の?」
「そう。それでチケット一枚余ったから、どっちか二人と行こうと思ったんだけど……」
「は!? それって二枚も当たったってこと? 嘘でしょ……なんで私はこれほどまでに運に見放されているのか!」
野口が悲壮的に叫んだ。それに畑澤が反応する。
「まあまあ、ドンマイってことで。絵梨花はそういう運命なんだよ」
「ちょっと。外れたのは美紅も一緒でしょ?」
「え? 私は普通に当たったし」
「は?」
「は?」
「ふ、ふざけんなああ! なんで、なんで、私にだけ当たんないの!? おかしい! どう考えてもおかしいだろこれは!」
野口が叫んで地団駄を踏んだ。野口が叫ぶところなんて、初めて聞いた気がするが、何故か聞き覚えがある。
そうだ、文化祭の準備のときに聞いたあの声だ。江田がお化けだと騒いでいたあの声は、野口の声だったのか。
横で騒いでいる野口を無視して、日ノ浦が手を叩いた。
「じゃあ、丁度いいじゃん。三人で行こうよ」
「なんか複雑……人のチケットで行くとか、見下されてる感じが否めない……」
「ほんと絵梨花ってひねくれてるよね。そういうときは、素直に受け取っときゃいいんだって」
「そうだよ。むしろラッキーじゃん。チケットが手に入ってさ」
「でもさ……」
野口が何か反論しようとしたとき、その後ろから数人の足音が聞こえた。
「あ! StarGazer!」
畑澤が甲高い声を上げた。
「その声はもしかして、畑澤? へえ、あの頃と雰囲気違うね」
「六年も経ってるからね。そりゃあ雰囲気も変わるっしょ。隣にいるのは相澤? いやあ、仏頂面は相変わらずだねえ」
「お前こそ、べらべら口が回るところは変わってないな」
「口悪ー。有名人になったからって、調子乗るんじゃないっての!」
いてっ、と相澤。恐らく畑澤が相澤を叩いたのだろう。
「あ、そうだ。StarGazer、ちょっと写真撮ろうよ。あとサイン頂戴」
畑澤がそう言うと、相澤が怪訝な声を出した。
「は? 金取るぞ」
「ケチ。ファンサ悪いとファンが離れてくよ」
「お前、俺たちのファンなのかよ」
「違うけど。あ、でも絵梨花がStarGazerの曲気に入ってるって言ってたよ」
「ちょっと美紅!」
今まで黙っていた野口が口を開いた。
「わ、私は別に、ファンってわけじゃないって言ったじゃん!」
「へえ。僕たちの曲を気に入ってもらえるのは嬉しいな。ちなみに、どの曲がお気に入り? 今後の参考のために、教えてもらえると嬉しいんだけど」
「淳。そうやって詰め寄るの、お前の悪い癖だぞ」
「いやあ、職業病なのかな」
「それよりもせっかくだし写真! みんなで撮ろ! ね!」
「はあ……もう好きにしろ」
畑澤の勢いに負けたのか、相澤は渋々了承した。
「ここじゃちょっと背景があれだな……ねえ、ちょっと一回外に出て撮らない?」
「お前、本当に面倒な奴だな」
「いいじゃん! こういうのはちゃんと撮りたいの! まだ誰も来てないし、ちょっとだけ外行こ!」
文句も聞こえたが、みんなぞろぞろと体育館を出ていった。
そのあと、二人の足音が聞こえてきた。
「あ……」
「久しぶり、だね。今井君だっけ?」
「え、うん。そうだけど……えっと、ごめん。名前ド忘れしちゃって」
「楠ジュリア。覚えてない?」
「あ、ああ……そういえば」
気まずい空気が流れるのがわかる。先にこの沈黙を破ったのは楠さんだった。
「柏木君って見た?」
「いや? 会ってないな」
「何処にいるんだろう。校舎の方にいるのかな」
「さあ……でも集合場所はここになってるわけだし、そのうち来るんじゃない?」
「そっかあ。へへ、なんか今から楽しみだな。みんなに会うの」
「あんなことがあったのに?」
「うん。というより私ね、クラスのみんなを信じることにしたの。先生も言ってたでしょ、信じることを忘れちゃいけないって」
「でも、あの一連の出来事は絶対クラスの誰かがやったことだ」
「私、ここのクラスの人たちがそんな悪い人には見えないの。だから、あれもきっと何かの事故か偶然じゃないかなって思うんだ」
そう言った楠さん。だが今井は鼻で笑うだけだった。
「おめでたいな、そんなことあるわけないだろ。あれは悪意ある誰かがやったことなんだ。まあ、それが誰かはわからないけど、もしかしたら今日来てる奴に犯人がいるかもしれない。俺はクラスの人を信じるとか、そういう考えはできないね」
「今井君……言うねえ。高校のときはもっと控えめな感じだったのに」
「控えめ、か。表に出してなかっただけで、高校のときも割とこういう性格してたけど」
「そうなの? わあ……なんか、初めて今井君のこと知った気がするな。まさか今井君がこんな毒を吐くタイプだったなんて、思わなかったよ」
「毒を吐くっていうより、短気なのかもしれない。日常でも、イライラすること多くてさ」
「いつも怒ってるの?」
「そういうわけじゃない。怒りを抑えてるって感じ。この前もクソ上司にこき使われてムカついたし。ふざけんなって言いたいけど、さすがに上司だからそこまで強く言えないんだよな。全く、無能のくせに何を偉そうに指図するんだか」
「高校のときもそんな感じだったの?」
「言わないだけでそうだった。あの文化祭のときなんか、サッカー部の奴等にパシリさせられてさ。追加の焼き鳥持ってこいだの教室からスマホ持ってこいだの、滅茶苦茶腹が立った。だから教室にあった水入れを蹴ったり、クーラーボックスをぞんざいに扱ったり、すげえ荒れたわ」
「ええ、全然そんなイメージないなあ」
「俺は実際こういう奴だ。だから楠さんには悪いけど、クラスを信じるとか無理なんだよ」
「まあ、色んな考えがあるしそれはいいんじゃない?」
「よくもまあ、そんな呑気に構えてられるな。殺人も起ころうとしてたのに」
「あれだって、殺人かどうかわかんないよ? もしかしたら、深川君は滑って転んだだけかもしれないし」
「なんだよそれ。滑って転ぶとか馬鹿げてる」
「もしかしたらあるかも、って話だよ。ほら、今井君水入れ蹴ったって言ってたでしょ? あれに水が入ってて、それに滑って転んだとかあり得る話じゃない?」
「何処までもおめでたいな。俺にはとてもそんな発想できないよ」
今井はそう皮肉ったが、そんな話もあるかもしれないと思った。
そこへ、ドタドタと喧しい足音が近付いてきた。
「とーちゃーく! あれ? まだこれだけしかいないの?」
「も、もう足速すぎ……ちょっとは私のことも考えてよ……」
女子二人の声が聞こえる。
「あ! もしかして奈々ちゃんと真優佳ちゃん?」
「そうだよー、久しぶりだねジュリア!」
「奈々ちゃん高校の制服着てるの面白いね。懐かしいなあ、あの頃を思い出すよ」
「なんかみんな制服着てないんだよね。着てるのもしかしてあたしだけ? うわー恥ずかし。なんでみんな着てないのー、できれば着用って書いてあったのに」
「そう書かれて着るのは奈々ちゃんだけだよ」
加藤さんと楠さんの笑い声が聞こえる。今井はいつの間にかフェードアウトしたようで、体育館に響くのは女三人の声だけになった。
明るい加藤さんの声が、はっきりと耳に届く。
「ジュリアって今何してんの?」
「色々やってるよ。清掃員の仕事をしたり、コールセンターの仕事をしたり、NPOの事務をしたり」
「え! それめっちゃすごいじゃん。働き者だね」
「そんなに働いて大丈夫なの?」
「全然平気。むしろ楽しいよ。色んな人と出会えて、交流の輪が広がるし」
木村さんの問いに対して、楠さんはそんな風に答えた。
それを受けて加藤さんは、感心したような溜め息をついた。
「素直にジュリアを尊敬するよ。あたしなんか今、働いてないし。働きたくても物理的に無理な状況なんだよね。あたしね、今こんなにちっちゃい子どもがいるんだ。最近歩けるようになって」
「へえ、奈々ちゃん子どもいるんだね」
「さすがに今日は夫に預けてきたんだけどね。できればみんなに自慢したかったなあ」
「子連れなんて大変でしょ。気が休まるときがないんじゃない?」
「わかってないなあ、真優佳は。確かに大変だけど、やっぱ自分の子どもって自慢したくなるもんじゃん?」
「私、子どもいないからわかんないよ」
会話が一区切りつくと、加藤さんは少し声を潜めてこう言った。
「ね、今日のこれって文化祭のときの犯人探しでもするのかな?」
「犯人探し?」
「ちょっと奈々。まだそんなこと言ってるの」
楠さんが気の抜けた声を出したのとは対照的に、木村さんは呆れた声を出した。
「いつまでもそんなこと考えてたって、仕方ないでしょ。もうあれは終わったことなんだし、今さら蒸し返したい人なんていないと思うけど」
「でも、やっぱ気になるじゃん! 深川のこと、樫山さんのこと、盗まれたお金のこと、放火のこと……これって大事件だよ?」
「そういえば教室から火が出たとき、私と奈々ちゃんと真優佳ちゃんってその場にいたよね」
「覚えてる覚えてる。あれって、あたしたちが教室を出てった直後のことなんだよ」
楠さんが驚きの声を上げると、加藤さんは得意そうに語った。
「もうあれさ、誰かが時限発火装置でも仕掛けてたとしか思えないんだよね。あたしたちに見つからずに火を点けるなんて、そもそもあり得ないし」
「確か燃えたのって、置いてあったダンボールだったっけ」
「そうそう」
「ちょっと待って。ダンボールが燃えたってことは、奈々が言う時限発火装置はダンボールの近くにあったってこと? あのとき私と奈々、それの近くで話してたよね?」
木村さんがそう言うと、加藤さんは誰よりも驚いたリアクションを取った。
「え! じゃあさ、あたしたちってその装置に気付かないまま話してたってこと? もしかして、あのまま教室にいたら巻き添え食らってたかもしれないってこと?」
「いや、断定はできないけど……」
「怖! それじゃあたしたちは危うく放火に巻き込まれ……」
「違う。あれは放火なんかじゃない。偶然が起こした事故だ」
加藤さんたちの間に、数人が割って入ってきた。この声は相澤だろうか。
「あれ? もしかして相澤? わー久しぶり! あれ? でもなんか久しぶりって感じがしないような……?」
「YouTubeとかテレビで見たんじゃない? 僕と星、二人で『StarGazer』っていうバンド組んでるんだ」
「え! そうなの!? じゃあ相澤と須藤ってすごい有名人? あとで写真撮らせて!」
相澤はさっきまで散々写真を撮られていたのか、うんざりしたような声を出した。
みんなが久々の再会に話を膨らませていると、木村さんがふと相澤にこんなことを言った。
「ねえ、そういえば放火じゃないってどういうこと?」
「あ! それあたしも気になった!」
木村さんと加藤さんに詰め寄られ、相澤はたじたじになった。
「ちょ、そんな寄るなって……一回落ち着けよ」
「だって気になるんだもん! ねえ、あれはどうして起こったの?」
「……俺が消火したあと、水が入ったペットボトルが近くに置いてあるのを見つけた。あれがレンズの役割を果たして、太陽光を集めたんだ。それで発火した」
「ん? どういうこと?」
「あー、わかった。あれか、虫眼鏡で紙が燃える原理と一緒か」
「真優佳、今の説明でわかったの?」
「小学生のときやらなかった? 虫眼鏡で太陽の光を集めて、紙を燃やす実験。あれと同じことだよ」
木村さんがそう説明すると、やがて加藤さんは納得したような声を出した。
「そういうことか……あれ? じゃあそのペットボトルは誰が置いたの?」
「いや、そこまでは知らねえよ。見たわけじゃないし」
相澤の返答に対し、木村さんが訝るような声を発した。
「……ん? そういえば奈々、あのとき自販機で水を買ってなかった?」
「え? そ、そうだっけ?」
「買ってた、買ってたよ!」
「それじゃもしかして、あれってあたしのせいなの!?」
「奈々……あんたって奴は……」
「あたしそんなの知らなかったんだって! ていうか、真優佳も何も言ってくれなかったじゃん!」
「人のせいにしないでよ!」
「相澤も相澤でさ! どうしてあのとき言ってくれなかったのさ!」
「は、はあ? なんで俺が責められるんだよ」
今度は相澤に飛び火した。三人がこうして言い争っているうちに、続々と人が戻ってきたようだ。体育館はさらに騒がしくなった。
集合時間が五分を過ぎた頃、みんなは口々に俺の名前を出す。主催者がいないのだから、当然だ。
満を持して、俺はみんなの前に立った。
「みんな! ……久しぶり」
演台の中に隠れていた俺は、ようやく姿を現した。
「まずは、集まってくれてありがとう。まあ……さすがに全員は集まらないか。でも、これだけの人が来てくれたのは、本当に嬉しいよ。それで、今日みんなに集まってもらったのは、俺からみんなに伝えたいことがあったからなんだ。あの文化祭のとき、一万円を盗んだのは……俺なんだよ」
それを聞いたみんなはどよめいた。困惑した表情を浮かべているのを見て、俺の体から汗が噴き出した。
みんなの視線が痛いほど刺さるこの場から逃げたいのを必死に抑えて、俺は頭を下げた。
「ほ、本当にごめんなさい。みんなに迷惑かけた。最低なことしたのはわかってる。許してもらえないのもわかってる。でも、ただ一言謝りたかったんだ」
体育館は静まり返っていた。誰も声を発さずに時間だけが過ぎていく。
最初に口を開いたのは、加藤さんだった。
「けどさ、なんで今になって謝ろうと思ったの?」
「しろたんがさ、その……死んじゃったってのを聞いて、しろたんのこと思い出して……クラスのみんなを信じることが大切って言ってたの思い出してさ、『ああ、そういえば俺はみんなお互いを疑うような雰囲気を作っちゃったな』って思って。高校の色んなこと思い出したら、罪悪感で押し潰されそうになってさ」
俺は堪えきれなくなって、ついに涙を落としてしまった。
「ほんとはさ、俺しろたんが生きてるうちに白状するべきだったんだよ。でも、それができなかった。それは、本当に後悔してる」
「先生、死んじゃったの?」
ぽつりと楠さんが呟いた。しろたんが死んだことを知らない人が多いみたいで、みんな動揺している。
「……そうなんだよ。俺も少し前に聞いてさ、すげえショックだった」
「なんで死んじゃったの?」
「それは……知らない。でも、結構な歳だし病気とかじゃないかな……」
再び重い空気が流れる。段取りも全く決めていなかったので、何もかもがグダグダだ。
こういうとき、亮ちゃんがいたら――頭に浮かんだ考えを捨て去り、何か言おうとした瞬間、相澤が顔を上げた。
「……今日みんなを集めたのは、それを告げるのが目的だって言ってたな」
「え、あ、ああ……」
「じゃあ、お前の目的は達成されたわけだ」
「まあ……」
「それじゃ、もう解散ってことでいいか」
俺は突然のことに、声が出なくなった。こういうときどうしたらいいのかわからず、汗だけがだらだら伝う。
そんなとき、加藤さんが手を叩いた。
「はいはい! もうしんみりした話はおしまい! このあとなんもないなら、あとはもうフリーってことでしょ? それじゃあさ、今からほんとに卒業式しようよ!」
「え? ちょ、何言ってるの奈々?」
「元々、その体で来てるでしょ? それならいっそ、卒業式やっちゃおうよ。ほら、卒業証書もあるし」
「それ持ってきてるの、奈々だけだと思うよ……」
加藤さんは引っ提げていたトートバッグから、懐かしの卒業証書を取り出した。
「青春に決着つけるんでしょ? あたしたちの青春、まだちゃんと終わってないからね? 卒業式とかなかったし。だったら今、高校生活に一区切りつけようよ。そうだ、柏木みたいにみんなで暴露大会とかどう? なんかあたしたち、文化祭終わってからちゃんと話すこととかなかったじゃん。お互い誤解している部分もあると思うし、それなら今ここで誤解を解いておこうよ」
この場の空気をガン無視しての提案に、江田はくすっと笑った。
「面白いじゃんそれ。なんか修学旅行思い出すわ」
「いや、このクラスで修学旅行行ってないだろ」
すかさず佐藤がツッコミを入れる。流れにつられて、雰囲気が少し和み始めた。
「ていうか奈々。奈々が一番みんなに謝らないといけないよね?」
「う、そ、それは……」
木村さんの指摘に、加藤さんはたじろいだ。そこへ江田が、すかさず疑問をぶつける。
「何? 加藤何かやったの?」
「放火騒ぎ。あれ、奈々が原因だったの」
さっきとは違う驚きの声が上がった。みんなの視線の先には、狼狽える加藤さん。加藤さんは顔を赤くして、ぽつぽつ語り始めた。
「あ、あたしも今日、相澤に言われて初めて知ったんだけど……なんか、ペットボトルのレンズ効果? のせいでダンボールが燃えちゃったっていうか」
「ペットボトルのレンズ効果……ってなんだっけ?」
「あの、ほら! 虫眼鏡のやつ! えーっと、なんて言えばいいんだろ」
「今井、これわかる?」
「え? ああ、それは……」
江田にいきなり話を振られ、一瞬肩をビクつかせた今井。でも説明は完璧で、周囲から感嘆の声が漏れた。
いつの間にか話はすっかり横道に逸れ、誰も壇上の俺を見なくなっていた。誰かが進行役をすることもなく、あちこちからあのときの暴露話が沸き上がる。俺はすっかり、蚊帳の外だった。
呆然と立ち尽くしていると、楠さんがこっそり俺に近付いてきた。
「みんな、案外気にしてないみたいだよ?」
「で、でも俺が許されないことをしたのは事実で……」
「そうかもしれないけど、でもみんな、そんなことをいつまでも根に持つような人たちじゃない。柏木君は、もう許されてるんだよ」
「許されてる……?」
「うん。誰も柏木君を責めてないでしょ? それに、誰かをずっと許さないことはすごく疲れるの。疲れるだけで、何もいいことはない。みんな、疲れることはしたくないからね、だから許したのかもしれないけど」
「俺、いいのかな。許されたって思っても」
「きっと先生も、許してると思うよ。ここにいない人たちだってそう、きっと柏木君を許してる」
その言葉に俺は、またもや泣きそうになってしまった。
俺は、自分のしてしまったことが完全に許される日が来るとは思っていない。ここにいる人たちは許してくれたかもしれないけど、亮ちゃんは許してくれなかった。同じように、俺のことを許さない人は他にもいるだろう。顔には出さないだけで、ここにいる人たちだって内心俺を許していない人がいるかもしれない。
でも俺はそれを、真摯に受け止めようと思った。自分が直面している現実を、素直に受け止めること。そして、自分がやってしまったことを忘れないこと。それがきっと俺の償いであり、今の俺にできることなのだ。
「ほら、次は相澤の番!」
「いや別に、俺は暴露することなんて何もないし」
「この流れ作ったのは相澤でしょ?」
「そういうつもりで解散って言ったわけじゃ……」
みんなが話している様子を見て、自然と涙が乾いていく。俺はなんだか笑いが込み上げてきてしまった。
「青春に決着つけようって言ったのに……駄目だ、決着なんてつけらんないや」
「どうして?」
不思議そうな顔をしている楠さんに振り返り、俺はこう言って笑った。
「だって、決着なんてつけたくないから。この青春を、終わらせたくないんだよ」
できればいつまでも、こうしてみんなと一緒にいたい。
俺は結局、青春から卒業なんてできなかったのだ。
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