柏木清太
俺には、とんでもない秘密がある。その秘密は今まで誰にも言わなかったし、言いたくても言えなかった。軽蔑されるのが怖くて、言おうと思ってもどうしても及び腰になってしまう。今まで打ち明けるチャンスは何度もあった。でも、俺はそのチャンスをすべてふいにしてきたのだ。
しかし、今日の俺は違う。ここまでくるのにかなり時間がかかったけど、今日こそ打ち明ける。俺は腹を括った。何を言われようとも、俺は自分の信念を突き通す。そのために呼び出したのだ。こんな寒空の夜遅く、凍えそうになりながらあいつを待つのは、俺がしたことを考えると苦ではない。公園のベンチにぽつんと座っている俺は、端から見れば不審者に見えるだろうか。
「悪い、途中で渋滞にはまって……待ったか?」
「大丈夫。俺もついさっき来たばっかだから」
俺がそう返すと、亮ちゃんは俺の隣に座った。亮ちゃんは剣道部だったせいか、どんなときも背筋がぴんとしている。眼鏡の奥に光る凛々しい目付きも、あの頃と変わっていない。変わったのは髪型と、せっかくの男前を台無しにしてしまっているマスクをしている点くらいだ。
「お前、マスクは?」
「息苦しくてさ。外した」
「なんだよそれ。寒いからすればいいのに」
「どうも性に合わないんだよな」
「清太はそういうキャラじゃないもんな。で、わざわざ俺を東北から呼び寄せたのはなんだ。くだらないことだったら承知しねえぞ」
「そう急かすなって。俺にも心の準備ってもんがあるんだよ」
「は……? なんだよ改まって」
「亮ちゃん……いや、亮一郎。俺は、お前にずっと隠していたことがあるんだ」
丸まっていた背筋を伸ばして、俺は深呼吸した。地方で忙しくしている親友を地元まで呼びつけたんだ、いつもみたいにへらへらしている場合ではない。
「あのさ、高校のことなんだけど……」
そこから、俺の長い独白が始まった。
高校三年生のときに文化祭の実行委員長になったのは、自らが立候補したからだ。元々そういうお祭り騒ぎが好きなタイプだったし、周りの人も「柏木なら」と任せてくれた。大役を担って、すっかり舞い上がってしまった俺を諌めてくれたのが、亮ちゃんだった。
亮ちゃんは副委員長になった。俺が企画を出し、それを亮ちゃんが具体的にする。案外これで上手くいっていた。俺の杜撰な企画も亮ちゃんの手にかかれば、たちまち現実味を帯びたものになってくる。いいコンビだと思っていた。向こうがどう思っているかは知らないけども。
「よし、あとは明日を待つだけだな」
俺は書類を持った亮ちゃんと一緒に、廊下を歩いていた。もうすっかり日が落ちてしまったが、俺たちは明日に控えた文化祭の準備に追われていた。テントや看板の設置など力仕事が多いので、男子はみんな駆り出されている。そんな中俺たち二人は、実行委員の集まりに参加していた。
後夜祭のステージやリサイクルの徹底など、今年は新たな試みが多く、その分念入りに打ち合わせが行われた。クラスのこともあるのでバタバタすることが多かったが、こうして無事に明日を迎えられそうだ。
俺は安堵からか、つい溜め息を漏らした。
「ほんと、ありがとな。俺に付き合ってくれて。亮ちゃんも部活の出し物とか大変だろうに」
「あれは後輩たちに任せてるからな。俺がでしゃばらなくても平気なんだ。それに出し物と言っても、剣道の体験ってだけでそんな大変なものじゃないから」
「でもあれじゃん? 剣道部って人数少ないから、やることとかたくんあるんじゃ……」
「は? 剣道部を舐めるな。サッカー部に引けをとらないくらい、体力はあるつもりだ。準備も当日も、俺がいなくても事足りる。うちの部員は優秀だからな」
「へー……部員のこと、めちゃくちゃ信頼してるんだな」
自分たちの教室に、明かりがついているのが見えた。ほとんどの人は、外で準備をしているはずだ。誰だろう、もしかして帰り支度をしているのだろうか。
「ふっざけんなああ! 死ねえええ!」
その怒号に俺たちの足は止まってしまった。その後も何か言っている声が聞こえたが、何を言っていたのかはわからなかった。
俺は亮ちゃんの顔を覗き込んだ。
「今のって……女子、だよな? もしかして、教室で何かあったのか?」
「さあな。でも、これだと教室に入りづらいな。ドア開けたら修羅場が始まっていた、なんて俺は勘弁だぞ」
「まさか、前日になってトラブルとか?」
「文化祭関連で何かあったら、まず俺たちの方に話が来るだろ。そんなに慌てるな、放っておけ」
「ええ……亮ちゃんめっちゃクール……」
「お前が慌てすぎなんだよ」
俺たちが踵を返そうとすると、江田が一人で百面相をしているのが見えた。すっかり取り乱した江田が駆け寄ってくる。
「なあなあ、今のってやばくね? でも、あんな声の奴クラスにいたっけ? あっ……! もしかして幽霊とか? ハロウィンも近いし、化けて出てきたとか?」
俺と亮ちゃんはそんな江田に、揃って苦笑した。
俺には、どうしても欲しいゲームがあった。つい先日発売されたものだが、俺の小遣いをゆうに超える金額で、とてもじゃないけど手に入らない代物だった。
スマホのゲームもいいけど、俺は最近VRゲームにハマっていた。大学の推薦ももらえたし、もう勉強する必要はない。部活も引退した俺は、放課後はずっとVRゲームに没頭していた。
あと一万。あと一万さえあれば、あのゲームを買える。そんなときだった、文化祭の予算が一万円余ったのは。
少し前に、買い出しに行った人たちから手渡された茶封筒を見てぎょっとした。小銭がじゃらじゃら入っている封筒に、その存在を声高に主張するように福沢諭吉が入っていた。まさかこんなに入っていたなんて、思ってもみなかった。
そのときはただ、金額に驚愕しただけだった。封筒を亮ちゃんに預け、なるべくその一万円のことを考えないようにした。再びその一万円のことを思い出したのは、文化祭一日目のことだった。
予算が一万円も余っている。仮に焼き鳥が足りなくなっても、封筒の中にあった小銭で恐らく補うことができる。あの一万円は、使われないまま終わるかもしれない。そう思うと、なんだかすごくもったいない気がした。そうだ、あのお金は元々俺たちの親が払っている学費から来ているものだ。ならば、そのお金をどう使おうと生徒の勝手ではないか? あのお金の出所は学校ではない、他でもない俺たちの親なのだから。
亮ちゃんが部活の方に顔を出すと言うので、一緒に回っていた俺たちは一旦解散することになった。亮ちゃんが武道場に行ったのを見送ったあと、俺は足早に教室に向かった。
あの一万円は、亮ちゃんが持っている。多分、リュックの中にあるのだろう。騒がしい人混みを抜け、静かな三年生フロアまで辿り着く。その間、俺の心臓はずっと忙しなく耳障りな拍動を続けていた。
教室のドアは、開きっぱなしになっていた。もしかして、誰か中にいるのだろうか。一瞬足がすくんだが、引き返そうという考えは頭の中になかった。大丈夫だ、堂々としていればいいんだ。誰も俺が金を盗るだなんて、考えちゃいないのだから――そう思いながら教室に足を踏み入れようとしたとき、信じられない光景が目に飛び込んできた。
「ふ、深川……?」
頭から血を流した深川が、目の前で倒れていた。揺すっても反応はなく、俺はすっかりパニックになってしまった。目の前でぐったりしているこいつが、生きているのか死んでいるのかさえわからない。胸に耳を近付けても、心臓の音なんて聞こえない。脈の確かめ方なんて、上手くできるはずがなかった。
先生を呼ぶか、いや、それよりも救急車を呼んだ方がいいのではないか、だって深川は動かない、目を覚まさない、血を流しているんだ、もしかしたら既に死んでいるのかもしれない……目まぐるしく浮かんだ考えの中で、俺は救急車を呼ぶことを選択した。
しどろもどろになりながら通報したあと、俺は自分が教室に来た目的を思い出した。散らかっている教室に入って深川の足元の先を見ると、緑色のリュックが転がっているのが見えた。
「な、なんだよこれ……」
無惨にも切り裂かれているそれを見て、深川のときとは違う恐怖が襲ってきた。深川の件とリュックの件、果たしてこれは関係があるのだろうか。わからない、考えても答えは出てこなかった。
亮ちゃんのリュックが机の上に置いてあるのを見つけ、俺は手を伸ばした。中を漁ってみると、奥の方に膨らんだ茶封筒を見つけた。俺はそこから一万円を抜き取り、ポケットの中に入れる。それから廊下に人が誰もいないのを確認して、教室を飛び出した。
俺はもう、何がなんだかわからなくなっていた。自分が何処を走っているのか、自分が何処に向かっているのか、目的も思考もぼやけていた。
「いてっ」
無我夢中で逃げるように走っていた俺は、人にぶつかってようやく我に返った。
「あっ……わ、悪い。大丈夫か?」
ぶつかった相手は、小野寺だった。挙動不審の俺を見て、不思議そうな顔をしている。
「大丈夫だけど……どうしたんだよ、そんなに慌てて」
「い、いや……ちょっとまあ……トラブルっていうか」
返答にどもっていると、佐藤と江田が話に入ってきた。
「トラブル? 文化祭実行委員も大変だな」
「あ、もしかして焼き鳥が足りなくなりそうな件? うちの焼き鳥屋、めっちゃ繁盛してるよな」
俺は二人の話なんて、全く耳に入らなかった。もしかしたら、俺がやったことに勘づいているのかもしれない。俺を怪しいと思っているのもしれない。そんな不安がさらに駆り立てた。
「悪い、ちょっと急いでて……俺、もう行くわ」
三人を置いて、俺は走り出した。後ろで何か声をかけられたが、耳になんて入らなかった。
俺の背中にぴったり貼り付いた三つの恐怖は、走れど走れど振り切ることはできなかった。深川のこと、リュックのこと、そして金のこと。別々の恐怖が一気に襲ってきて、俺は押し潰されそうになっていた。
亮ちゃんと別れた所まで戻って、ようやく俺は立ち止まった。不安から目を逸らすようにスマホを取り出し、Twitterを開く。そして、深川のことを書き込んだ。今のしかかっている不安を、少しでも吐き出したかったからだ。さすがにぼかして書いたが、深川のことを言っているのは一目瞭然だ。
投稿したところで、救急車のサイレンが聞こえてきた。音は段々大きくなり、それと呼応するように俺の心音も大きくなっていった。そこで俺はふと、救急隊員を深川の所まで案内しなければならないことに気が付いた。あれを目撃したのは、今のところ俺だけだ。俺がやらないでどうする。
俺は救急車の元まで走った。
「……あのさ、文化祭の余った予算が一万くらい足りなくて。誰か盗った奴いる?」
亮ちゃんは、明らかにクラスの誰かが盗んだような言い方をした。その言葉で、教室内はさらに凍り付いた。さっきまで、深川の件と樫山さんの件で揉めていたのが廊下まで聞こえていたが、今度はそれが嘘のように静まり返ってしまった。
そこへ、しろたんと楠さんが入ってくる。
「おや、どうしたのかな。こんなに静まり返って」
「先生、文化祭の予算が盗まれました。確認してみたら、一万円ほど足りませんでした」
「文化祭の予算が? そうか……わかった。それについては、あとで話そうか」
亮ちゃんの言葉を受けて、先生は心苦しそうな表情をしながら教壇に立った。
「今日一日、大変なことが続いたね。色々なことが立て続けに起こって、みんな混乱していると思う。でも、僕から一つ言いたいのは……みんなには、このクラスの人たちを疑って欲しくないんだ。今回のことをなかったことにはできないし、『まあいっか』で済ませられるような問題じゃないことはわかってる。それは、みんなも十分わかっているよね。起きたことから目を逸らしてはいけない。それはそうなんだけど、僕はクラスが疑心暗鬼になるんじゃなくて、クラスを信じることが大切だと思う。こんな状況だからこそ、ね」
しろたんの言葉が、直接頭の中に入ってくる。俺は心臓をバクバクさせながら話を聞いていた。
そこで古河は、抗議の声を上げた。
「しろたんは、こんな状態でクラスを信じろって言うのかよ」
「みんなにとって、それは難しいことかもしれないね。特に古河君は深川君と仲がいいから、なおさら納得できないだろうね。でも、疑うのも疑われるのも、いい気持ちはしないでしょう?」
「犯人は絶対この中にいるんだ。クラスを信じるってのは無理があるだろ」
「疑いは、人を縛る鎖のようなものだ。がんじがらめにして、その人の思考を固定させてしまう。それじゃあ、物事の本質が見えてこなくなるんだ。もしも本当に古河君が深川君に何が起きたのかを知りたいのなら、一旦疑うのをやめて立ち止まる必要があるよ」
「は……? わけわかんねえ……信じるってなんだよ。何を信じればいいんだよ」
「『信じる』というのは、とても強い力なんだよ。無条件の信頼は、どんな武器よりも強いんだ。だから……」
「意味わかんねえよ。見損なったよ、しろたん。こんな状況で、よくそんなことが言えたよな」
しろたんは再び前を向き、みんなに訴えるようにこう言った。
「明日の文化祭、どうかみんなと協力することを諦めないで欲しい。あと、教室の掃除もして欲しいな。これじゃあ明日、片付けのときが大変になるからね。それと……樫山さん。ちょっと来てもらっていいかな」
しろたんの後ろに、無言でついていく樫山さん。俺はしろたんの顔も樫山さんの顔も、まともに見ることができなかった。
文化祭二日目、クラスの雰囲気は最悪だった。
俺のせいでもあるが、やはり一番は深川のことと樫山さんのことだろう。この二つと比べたら、一万円がなくなったことなんて霞んでしまう。そうだ、俺は大したことはしてないのだ。そう開き直り、俺はなんとか心を落ち着けた。
そもそもあんなに早くバレるなんて、思わなかった。あんなにたくさんのお客さんが来るなんて、想定外だ。焼き鳥の買い出しに、亮ちゃんが行くことになったのも想定外。他の人だったら、バレなかったかもしれないのに。買い出しを渋る人が多かったので、亮ちゃんが仕方なく行くことになったのだ。あのとき、俺が行けばよかったのだろうか。いや、そうしたら確実に疑いの目は俺に向けられていただろう。
昨日盗った一万円は、家に置いてあった。どうしても躊躇ってしまい、未だ使えてない。だからこっそり戻すことも可能なのだが、やはりゲームは欲しいので戻すのはもったいなく感じる。俺は、つくづくクズだった。
亮ちゃんは、しろたんと一緒になくなった一万円のために奔走していた。自分が金の管理をしていたため、責任を感じているのだろう。本来なら俺が一番躍起になってやらなくてはいけないことなのに、亮ちゃんは誰にも頼らず色んな人に話を聞いて、一人で探し回っていた。
実行委員長なんて、本当に名ばかりだ。あいつの方が長にふさわしい。行動も心意気も、みんな俺よりあいつの方が勝る。ただ単にお祭り騒ぎが好きだから、なんて理由で立候補しなければよかった。
一人で廊下をとぼとぼ歩いていると、向こうに小野寺がいるのが見えた。確か小野寺は、鍵をなくしたと言って本部に探しに来ていたはずだ。鍵の落とし物があったら連絡するようにと、亮ちゃんからLINEが来ていたのを思い出す。
そのまま通りすぎようとしたが、小野寺は俺を引き止めた。
「柏木」
「ん? 小野寺?」
「あのさ、俺……変な話聞いたんだけど」
「変な話?」
「渡辺と宮沢がさ、あっちで何か言い争っててさ。『ほどほど』とか、『やりすぎ』とか。思ったんだけど、これって予算が盗まれたことを言ってるんじゃないかって。もしかしたら、予算を盗んだのは……」
俺はそれ以上の言葉を聞きたくなくて、途中で言葉を遮った。
「待てって。それだけで犯人扱いするのは、ちょっと早急っていうか……何より、証拠がない」
「でも、盗んだのは絶対このクラスの誰かじゃん? こういうのは、全員を疑ってかからないと」
「そう言われてもな……」
俺は小野寺から目線を下げ、腕を組んだ。
どうしよう、この場合なんて言うのが自然なんだろう。言葉に詰まる時間が長ければ長いほど、怪しさは増してくる。早く何か言わなければならないのに、俺の口からは何も言葉が出てこなかった。
俺にこんなことを話したのだから、小野寺は俺を信用しているのだろう。目の前にいる奴が、一万円を盗った張本人だとも知らずに。
――『信じる』というのは、とても強い力なんだよ。無条件の信頼は、どんな武器よりも強いんだ。
しろたんの言葉が、頭の中で反響する。心に重く刺さり、ずっと刺さったまま抜けない。
こんなの、信頼の暴力だ。みんな、俺がやったなんて微塵も思っちゃいない。俺を信用して、言葉をかけてくる。それがたまらなく辛かった。いたたまれなくなって、申し訳ない気持ちに苛まれる。こんなの、みんなを騙しているみたいだ。実際みんなを欺いているわけだが、信用されているのといないのじゃわけが違う。
俺は悪にはなりきれなかった。本物の悪人だったらこういうとき、信頼してくる人たちを指差して嘲笑するのだろう。でも、俺にはそんな器量はなかった。
「盗まれた金だけじゃない。深川とか樫山とか、昨日だけで信じられないことが立て続けに起きてる。このクラスには、悪意を持った人物が確実にいるんだよ」
「そう……かもしれないけど、ほら、しろたんも言ってたじゃん。クラスのみんなを信じることが大事だって」
「あんなの綺麗事だろ。現実を見ないと」
そこまで言った時、小野寺は思い出したかように顔を上げた。
「じゃ、俺鍵探しに戻るわ」
「まだ見つかってないのか?」
「そうなんだよ……ほんと、何処に行ったんだか……ん?」
俺の後ろから、バタバタとうるさい足音が聞こえてきた。振り向くと、そこには江田と佐藤の姿があった。
「小野寺ー! 鍵! あったー!」
「は? 何処にあったんだよ!」
「……俺のポケットの中」
「は、はあ!? おま、江田ああ! なんで持ってんだよ!」
「い、いやー、自分の家の鍵と間違えちゃって」
「普通間違えねえだろ!」
小野寺は江田の頭を叩き、呆れた顔をしていた。
その様子を見て、俺は安堵する。これでもう、俺は退散していいわけだ。適当なことを言って、その場から離れようとした瞬間。
「火事だー!」
教室の方から、鬼気迫る声が聞こえてきた。
全てを話し終わったあと、亮ちゃんは何も言わずに俺を見つめていた。その目は外の気温よりも冷ややかで、俺は亮ちゃんの圧にすっかり震え上がっていた。
「ほ、本当にごめん。こんなこと言うなんて今さらなんだけど、本当に悪いと思ってる。亮ちゃん、あのとき必死に探してたし、一万円のこと誰よりも気にしてただろ? だから……」
「じゃああれか? お前は俺が必死になって探しているのを見て、楽しんでいたのか?」
「違う! そんなことは……!」
否定しようとすると、亮ちゃんは俺の胸ぐらを強く掴んだ。
「あのとき、どれだけ俺が探したと思ってる。血眼になって、文化祭回るの我慢して、一日潰して学校中走り回ったんだぞ。馬鹿にしてんのか! 俺の時間を返せ! お前、実行委員長なのに何やってんだよ!」
声を荒げた亮ちゃんなんて初めて見た。迫力に圧倒され、思わず泣きそうになってしまう。すっかり俺は萎縮してしまったが、亮ちゃんの怒りは収まらない。
「振り回される方の身にもなってみろ、俺や先生はお前のせいでどれだけ迷惑したか! ゲームとか、ふざけんじゃねえよ。俺はお前のつまんねえ欲望のせいで、丸一日棒に振ったのか!?」
「ごめん、本当にごめん! 謝って済む問題じゃないけど……ごめんなさい!」
「で、お前はなんだ? それを今さら俺に話してどうするつもりだったんだよ、許しを乞いたかったのか? 残念だな、俺はお前を許すつもりなんて毛頭ない」
「そ、それはわかってる……それを覚悟して言ったから」
「何故今打ち明けたんだ」
「……しろたんが、死んだんだよ」
俺がそう言うと、亮ちゃんは信じられないという目をした。
「死んだ……って、そうなのか?」
「今俺さ、自販機補充の仕事してるんだよ。たまたま俺の担当区域に高校が入ってて、しろたんのこと聞いたんだ。そしたらさ、ちょっと前に死んだって聞いて……」
「……それと今の告白に、どう関係があるんだ」
「俺、すっごい心苦しくなって辛くなった。あのときしろたんにすごい迷惑かけたな、とか、ちゃんと謝ればよかったな、とか、今になってすげえ思うんだよ! それで、もう遅いかもしれないけど、みんなにきちんと謝ろうと思ったんだ……」
最後の方は声も掠れてしまい、自分でも何を言っているのかわからなかった。
しかし、亮ちゃんは厳しい視線を外さなかった。
「だからなんだよ。こうしてわざわざ呼び出す必要はあったか? 要は謝って、自己満足したかっただけじゃねえか。こんな場所まで呼び出しやがって、時間と労力の無駄だったな」
「呼び出したのには理由があるんだ。謝りたいってのもあったけど、本題はそっちじゃなくて……」
「は? まだ何かあるのか?」
「お前に一つ、協力してもらいたいことがあるんだ」
喉から振り絞った声でそう告げると、亮ちゃんは目を丸くした。
「俺は、間違ったことをした。許されないことをしたんだ。俺は、それを一言みんなに謝りたい! 謝っても許してもらえないかもしれないけど、でも、そうじゃなきゃ俺の気が済まないんだよ! でも、俺一人じゃなんにもできない。みんなに謝りたいけどどうしたらいいのか、全然わかんないんだ。だから、お前に協力してもらいたい。どうすればいいのか、道を示して欲しいんだよ、文化祭のときみたいに!」
「信っじらんねえ……普通、俺にものを頼むか? 頼めるような立場じゃねえだろ。はあ……怒りを通り越して呆れてくるな」
亮ちゃんは、ようやく俺から手を離した。気付けば俺の呼吸は荒くなっており、白い息が口から漏れ出ていた。
わかっていた、わかっていたけど亮ちゃんは許してくれなかった。当たり前だ。覚悟していたことなのに、やっぱり辛くなる。もしかしたら、亮ちゃんなら許してくれるかもしれないという甘い考えがあったのかもしれない。でも、そんな甘い考えは完膚なきまでに打ち砕かれた。
「筋違いだってのは、わかってる。でも俺、本当にどうしたらいいのかわかんねえんだよ。同窓会と称して招集を呼び掛けても、きっとみんな集まらない。あんなことがあったんだ、クラスの雰囲気めっちゃ悪かったし、正直顔も見たくないって言う人もいると思う。でも、俺はなんとかして全員に謝りたい。俺のせいでみんなに迷惑かけたこと、ちゃんと償いたいんだよ。けど、みんなに謝るいい方法が、わかんねえんだ……」
「それくらい、自分で考えろよ。お前、本当にあの頃から何も変わってないんだな。やることなすこと、全部俺がお膳立てしてやらないと何もできない。お前にあるのは、ノリとテンションだけだった。あの文化祭も、ほとんど俺が仕切ってたようなもんだ」
「だから、お前に何かアドバイスとかもらいたくて……!」
「付き合ってらんないな。清太、お前はまだ俺に頼るつもりなのか? 自分のケツは自分で拭け。俺は一切関わらないからな。お前の青春ごっこに付き合う義理はない」
「ま、待てよ!」
「じゃあな、もうお前の顔なんて見たくもない」
立ち上がった亮ちゃんは、俺の言葉を無視してそのまま行ってしまった。引き留める権利など俺にはなく、俺はその場に取り残された。
「それなら俺は……一体どうすればよかったんたよ……」
握りしめた拳を、勢いよく膝に打ち付けた。何度も何度も、不甲斐ない自分を罰するように。そのうち涙も出てきて、視界が歪んできた。頭を抱え、俺は一人で咽び泣いた。
そうだ、俺は一人だ。一人になってしまった。でも俺は、一人じゃ何もできない。ずっと誰かに頼りながら生きてきて、今だって亮ちゃんに頼ろうとした。もう大人なのに、未だに俺は誰かに支えてもらわなきゃ一人で立つこともできないのだ。
悔しくて、悲しくて、ぐちゃぐちゃになった心をさらに掻き乱すように、亮ちゃんの言葉が残響となって、俺の中で響く――お前の青春ごっこに付き合う義理はない。確かにその通りだ。この期に及んで亮ちゃんを巻き込むなんて、道理が通らない。青春の決着は、自分でつけなければならない。
そこで俺は、ふとあるアイデアが浮かんだ。青春の決着といえば、一体なんだろうか。そう考えたときに浮かんだのは、卒業式だ。卒業式というのは、ある一定期間の一区切りとして行うものではないか。高校の卒業式といえば、青春の一区切りだ。
思い出してみると俺たちの代は、きちんとした卒業式を行うことができなかった。新型のウイルスの影響で、卒業式は中止。卒業証書は担任に配られ、簡単なホームルームを終えて俺たちは卒業した。あれは、きっと誰もが納得できないものだっただろう。
ただ長いだけの、つまらない卒業式をやりたかったわけではない。ただ俺たちは、きちんとクラスに別れを告げることができなかった。それが心残りなのだ。俺以外にも、そんな風に思っている人はきっといるだろう。
卒業式。これだと思った。卒業式をもう一度やり直すという名目なら、きっとみんな来るのではないか。浅はかな考えかもしれないが、名案だと思った。
「……よし」
俺は立ち上がった。いつまでもこうして、うじうじしているわけにはいかない。さっそく行動に移さなければ。俺はもう、一人でも何かを成し遂げられる。
そして俺は、持ちうるありったけのSNSを駆使して、卒業式の知らせをみんなに送った。
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