大嶋彩愛《おおしまあやめ》

 男運が悪い方だと、自分でも思う。

 今までに付き合った彼氏とは、ことごとく失敗した。どうしてこうも、上手くいかないんだろう。

 今回の彼氏とは、浮気が原因で別れた。別の女と一緒にホテルに消えるところを、偶然私が見かけたことがきっかけだ。

(なんで男って、浮気するんだろう)

 高校時代もそうだった。彼氏に浮気されて、そうして――悲惨な結果になってしまった。

(恋愛って、本当にいいことないな)

 それでもまた恋するのだから、救いようがない。自分は惚れっぽい性格なのだろうか。いや、それより「そそっかしい」と言った方が正しいか。そそっかしいから、すぐ人を好きになってしまうのだ。

 自分のこの性格をなんとかしたいとは思うが、長年染み付いてしまった人格は今さら直せそうにない。人格というのは服についてしまったシミのようなもので、漂白剤で落とそうとしても完全に取り去ることはできないのだ。

 しかも、人格というシミは年を取るごとに広がっていく。より強固な人格となり、どんなに外の力を借りても無視できない、拭い去ることができない固定されたものとなる。まるで最初からそうだったかのように、汚れてしまった人格はそこに在り続けるのだ。

 だからうちという人間は、直せない。

「いやあ実は、前から大嶋さんいいなって思ってたんですよ。でも、なかなか口に出せなくて……彼氏と別れたって本当ですか?」

「はい。ちょっともう、お互い嫌になっちゃって……」

「じゃあ、今はフリーってことですか?」

「そう、ですね」

「なら、今度は僕と付き合いませんか。ああでも、大嶋さんがよければ、ですけど」

 バーでこんな風に言い寄られても、悪い気はしない。職場の同僚と関係を持つのは後々面倒なことになりそうだが、断る理由はない。

 グレーのスーツをきっちり着こなし、根暗な雰囲気を漂わせるこの人はいかにも友達が少なそうだ。この人に興味はないが、付き合っていくうちに好きになるということもある。正直今は彼氏と別れた直後だし、恋愛なんてしたくないけど、失恋の痛みを他の人に慰めてもらうのもいいかもしれない。

「私でよければ……いいですよ?」

「えっ、ほ、本当にいいんですか。い、いやあ参ったな……てっきり、駄目だと思っていたのに」

 躊躇いがちに返事をしたが、相手はとても嬉しそうだ。

(この人、今まで彼女とかいなかったのかな。なんか、リアクションが随分ぎこちないっていうか……ま、会ったときから薄々そんな感じはしたけど)

 心の中で冷めた思いを毒付きながら、うちは愛想笑いを浮かべていた。

「ああそれなら、『大嶋さん』と呼ぶのは他人行儀ですね。彩愛さん……と呼んでもいいでしょうか?」

「いいですよ」

 うちがしていることは、果たして最低なことだろうか。



「あーやーめっ! 何ぼーっと見てんの?」

 後ろからいきなり飛び付いてきたのは、柚乃だった。不意打ちだったので、持っていたスマホを落としそうになる。

 柚乃の茶色い猫っ毛が頬に当たり、少しくすぐったい。

「あっ、それ松本君のインスタ?」

「そうそう。昼休みなのに、なんか投稿あってさ」

「えー? 吉永君たちとまた変なことやってるの? バスケ部って、変な投稿する人多くない? この前学校でメントスコーラやって、先生に怒られてたでしょ」

「ちょっとー、いくら柚乃でも、祥弥のこと馬鹿にするのは許さないから!」

「怖いって彩愛。もー、彩愛って松本君のことになると結構怖くなるよね」

「何それー。怖いってどういう風に?」

「んー、ホラー的な?」

「ぷっ。あっははは、何それ」

 今は昼休み。うちら五人は教室の真ん中に集まって、楽しく談笑していた。うちは柚乃と。莉歩は瑞季と。そしてあと一人は――今日もじっとスマホの画面を見ているだけだ。

 杏理はうちらの中でも、少し浮いていた。別段悪いところがあるわけではないが、五人だとどうしても一人余ってしまう。奇数の恐ろしい運命だ。でもこれは仕方のないことで、特に誰も気にしていないようだった。

 今日も除け者にされてるなんて、かわいそう。

「ねえ彩愛、ちょっと変なこと聞いたんだけどさ……」

「どうしたの?」

 柚乃が少し声のトーンを抑えて、私に手招きする。少し柚乃の方に寄ると、耳元まで柚乃が近付いてきた。

「あのさ、杏理と松本君のこと知ってる?」

「え? 何それ、どういうこと?」

「実は幼馴染みなんだって」

「そうなの? 初耳なんだけど。でも二人って、一緒にいるイメージなくない?」

「いや? そうでもないらしいよ。詳しくは知らないんだけどさ。なんか杏理、最近松本君と一緒にいるのが多いみたいで」

「祥弥と?」

 杏理の方を睨んでも、杏理はスマホを見ていてこっちに気付かなかった。

「それ、本当なの?」

「よくわかんないけど……でも放課後、一緒にいるところを見た人がいるんだって」

「何それ。完全に浮気じゃん」

「でも、それだけで浮気とは言えなくない?」

「杏理はうちと祥弥が付き合ってるって、知ってたでしょ? それを知ってて一緒になろうとするなんて、完璧裏切りじゃない?」

 この中で一番目立たない杏理。いつも人の言うことに流されてばかりの杏理。うちらの後に続くだけの杏理。

 そんな杏理がうちを欺いて、祥弥を盗ろうとしている?

「許さない……」

 思えば、うちはこの日からおかしくなった。



 バトン部は週に三日しか活動がない。だから、毎日活動があるサッカー部の祥弥と一緒に帰ることができるのは、三日しかないのだ。

 もちろん同じクラスだし、話そうと思えば話せる。けど祥弥の周りにはいつも人がいて、なかなか二人きりになるチャンスがない。

 毎日LINEはしてるけど、最近じゃスタンプが送られることが多くて、なんだか返事が適当な気がする。

 もしかして、うちとLINEしている間、杏理とLINEしてるんじゃ……?

「彩愛? どうかした?」

 自転車を押しながら、隣を歩く祥弥。やっと一緒に帰れる日が、やっとじっくり話せるときが来たのだ。

 いっそ、この機会にちゃんと聞いてみようかな?

「ねえ、祥弥。祥弥って、うちと付き合ってるんだよね?」

 その言葉で祥弥は歩みを止めた。辺りの空気が一気に冷えるのを感じる。閑静とした住宅街に人気はなく、街灯が照らすのはうちら二人だけだ。

 祥弥の顔が曇った気がする。

「なんで、そんなこと聞くんだよ?」

「ちょっと気になって。ほら、最近祥弥冷たいじゃん」

「冷たい? そんなつもりはないんだけど」

「嘘! だって最近、LINEの返信素っ気ないし」

「あれは……彩愛が夜中にLINEしてくるだろ? 時間とかもう少し考えろよ。俺、反応しきれないって」

「でも、うち祥弥と話したいこといっぱいあって……! 学校じゃあんま話せてないし、だからつい色々送っちゃって……」

「けど、限度ってものがあるだろ。時々、一日に百件以上送ってくんじゃん。あれ正直、めっちゃ迷惑なんだけど」

 不快感を露にする祥弥。その声がなんだかとても怖くて、心臓をぎゅっと掴まれたような感じがする。

 どうして祥弥はそんなことを言うんだろう。うちは祥弥のことが、好きなだけなのに。

 それにうちがしていることは、そんなにも責められることなの? 

「迷惑? うちら恋人なんだしさ、毎日連絡取るのは普通のことじゃない?」

「前から思ってたんだけどさ、お前束縛強すぎじゃね? なんかいい加減疲れるんだけど」

「は……? なんでそんなこと言うの?」

「一旦距離置かね? 多分、それがいいと思う」

 うちは祥弥の話に全くついていけなかった。

 怒りよりも戸惑いの方が大きくて、上手く言葉が出てこない。変に口が渇いて、嫌な汗が伝うのがわかる。

 わけがわからないまま祥弥は話を進めて、うちはその場に一人取り残されてしまった。自分がなんて祥弥に言ったのか、よく覚えていない。でも、一つ確実なのは「祥弥がうちを置いて行ったこと」。うちは、祥弥に見捨てられたんだ。

 これもみんな、杏理のせいだ。杏理さえいなければ、こんなことにはならなかった。

 握り拳を強く握ったせいで、爪が皮膚に食い込んだ。



「彩愛、顔色悪いよ?」

 そのハスキーな声ではっと我に返る。声をかけてきたのは、瑞季だった。瑞季は黒のショートカットで、男子のような見た目をしている。整った顔を近付けられ、うちは不覚にもどきっとしてしまった。

 視界の暴力とは、まさにこのことだ。

「どうかした? 最近ぼーっとしてるけど」

「え? そ、そうかな」

「もしかして、彼氏のこと?」

「うん……」

 うちと瑞季は体育館の向こう側にいる、祥弥を見た。今は体育の授業中で、男子はバスケをしている。吉永君から渡されたボールで、祥弥は見事スリーポイントシュートを決めた。バスケ部の二人は、抜群のコンビネーションでみんなを圧倒させている。

 いつもならうちは、ここで祥弥をもっと好きになる。でも今は何故か、そんなにときめかなかった。

「何かあったの?」

「なんか……最近祥弥のことがわかんなくて」

「わかんない?」

「祥弥、ちゃんとうちのこと好きなのかなあって」

 男子から目を離し、女子のコートを見る。女子はバレーボールをやっていて、コートには柚乃と杏理がいる。周りが全然動かない人たちばかりだから、ずっと二人がボールを独占している状態だ。

 独占。そういえば祥弥に、束縛が強いと言われた。でも、好きな人といつまでも繋がっていたいというのは、普通の心理ではないだろうか。

 コートを見ていると、横からポニーテールを揺らした莉歩が来た。

「なーに? 彩愛、彼氏と上手くいってない感じ?」

「あ、うん……まあ、そうだね」

「珍しいね、そんな風に悩んでるなんて。いっつもインスタで彼氏自慢してるのに。喧嘩でもしたの?」

「喧嘩……っていうのかな? うちは祥弥のこと好きだけど、祥弥はなんかそうじゃないっぽくて。祥弥は、うちより杏理のことが好きなのかもしれない」

 そう言うと、莉歩も瑞季も目を丸くした。

「え? なんで杏理?」

「松本って、杏理ってタイプじゃないでしょ」

「柚乃から聞いたの。最近、祥弥は杏理と一緒にいるのが多いみたい」

「ああ、それで落ち込んでたのか……」

 そう言う瑞季は、同情するように肩を抱いて寄り添ってくれた。多分、こういう所が女子の心を掴むのだろう。

 莉歩はジャージのポケットからこっそりスマホを取り出し、コートに背を向けてうちに見せた。

「ねえこれさ、杏理のTwitterなんだけど、このクラスの男子って絶対祥弥のことだよね?」

 莉歩が見せてきた画面には、杏理らしき人のツイートが表示されていた。そこには、「クラスの男子が毎朝お出迎えしてくれる」と書いてある。

「でもさ、莉歩。これだけじゃ、松本かどうかわかんないんじゃ?」

「今の彩愛の話聞くと、祥弥しか考えられないでしょ。杏理の周りにそれっぽい男子いないしさ。大体、あたしずっと前から杏理のこと、怪しいって思ってたんだよね。なーんかノリ悪いとこあるしさ、あと男子にぶりっこしてるっていうか」

「そうかな……?」

 周りで莉歩と瑞季が何か話しているが、全然内容は頭に入ってこなかった。

 祥弥と杏理が毎朝一緒に登校している? 祥弥は朝練で、朝はめちゃくちゃ早いはずなのに。まさか、杏理が祥弥に合わせてる? そういえばうちが学校に来ると、いつも教室に杏理がいたような……?

 呆然と立ち尽くす中、嫌な考えが頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。柚乃が交代を呼びかける声も耳に入らず、うちはずっと空を見つめていた。



 杏理を警戒しながら過ごす日々が続き、文化祭の日がやってきた。

 直接本人に問い詰めればいい話だが、うちは杏理に祥弥の件を話せずにいた。どうせ聞いたって、はぐらかされるだけだ。そもそもうちは、杏理とそこまで仲良くはない。いつも一緒にいるけど、二人で話すことはほとんどない。

 いつも五人でいるけど、実はバラバラだ。

 憂鬱な気分は未だ拭えないが、文化祭はきちんと楽しみたい。なんせ、高校生活最後の文化祭だ。祥弥と回れないのは残念だけど、友達といい思い出を作りたい。うちらは揃いのメイクをして、頭にリボンと色違いの花を飾っていた。これも五人の思い出を作るためだ。

 前々から文化祭は五人で回ろうと約束していた。そのために、店のシフトも調整してもらっていたのだ。入るなら五人一緒で。その提案に柏木君や武田君は難色を示していたが、渋々了承してくれた。そのおかげで、うちら五人は二日間ずっと一緒にいることになっていた。

 校舎にあるあちこちの店を回りながら、うちらは写真を撮っていた。

「ねえ、次何処回る?」

「食べ物系って、絶対午後混むよね? 今のうちに行っとかない?」

「じゃあ何処にしようか? あ、あたしフランクフルト食べたーい」

 莉歩がそう言うと、みんなその言葉に賛同した。確かフランクフルトは、うちの焼き鳥屋の近くにあったはずだ。

 となると、一旦外に出なくてはならない。

「瑞季って後夜祭来る?」

「ん? ああ、もちろん。今日はバイト休みにしてもらったからね」

「やっぱ後夜祭は外せないよねー。なんか今年、軽音気合い入ってるらしいよ。ハロウィンに合わせて、仮装しながらライブやるんだって」

「ハロウィンって……まだ先じゃん」

 柚乃と瑞季がパンフレットを持ち、何やら色々話し合っている。そんな二人を尻目に、莉歩はこっそりうちに耳打ちした。

「で? 祥弥とはどうなの?」

「えっ……まあ、話しかければ普通に答えてくれるけど」

「仲直りしたの?」

「うーん、どうなんだろ……なんとなく距離はあるかな」

「杏理とは? 話したの?」

「話してない。祥弥のこと聞いても、なんかごまかされそうだしさ」

「ちゃんと聞いた方がいいんじゃない?」

「でも、うち杏理とそんなに話す仲じゃないし……」

 もしかしたら、杏理に聞けずにいるのは、真実を知るのが怖いからなのかもしれない。祥弥が杏理を好きだという事実、祥弥がうちを愛していないという事実。それを知るのが怖くて、嫌で、現実から目を背けたくて、杏理と距離を取っているのかもしれない。

 莉歩はそれ以上何も言わなかった。うちらは下駄箱で外履きに履き替え、外に繰り出す。

 外には食べ物の屋台が立ち並んでおり、色んな匂いが立ち込めていた。はしゃぐ柚乃と瑞季は、色んな店に目移りしているようだ。

「全部食べたいよねー、あ、あれめっちゃインスタ映えするんじゃない?」

「かわいい! でも混んでるなあ、並んでたらシフトの時間きちゃうかも」

「あ、それならさ。ちょっと一回、全員バラバラになろうよ。そしたら色々買えるんじゃない?」

 瑞季がそう言うと、莉歩もそれに賛成した。

「いいんじゃない? じゃああたしはフランクフルト買ってくるよ」

「あ、でも金券どうしよ。確か、物によって値段違うんじゃなかったっけ?」

「計算面倒だから、あとにしよ」

「もー、瑞季は適当すぎ!」

「柚乃が気にしすぎなんだよ」

 話し合った結果、うちは昇降口から一番遠いチュロスを買いに行くことになった。みんなと別れ、チュロス屋に向かう。チュロスは一個百円だった気がする。ジャージのポケットから財布を取り出そうとすると、祥弥の後ろ姿が目に入った。

「祥弥!」

 声をかけるが、人混みに掻き消されて祥弥には届かない。

 祥弥は吉永君と一緒にいる。二人は何やら話しているようで、近付いてくるうちに全く気付かなかった。

「そういえばさ、お前最近彼女とはどうよ?」

 吉永君の声に、うちは思わず足を止めてしまう。体が痺れたように動かなくなった。

「どうって?」

「なんか最近、二人見てるとよそよそしく感じるっていうか……」

「そう?」

「上手くいってないとか?」

「ていうか……俺、もうあいつのこと好きじゃねえかもしれない」

「え?」

 疑問の声が重なる。でもうちの声は、吉永君の声と周囲の喧騒に掻き消されてしまった。

「彩愛って重いんだよ。だから一緒にいても息が詰まるっていうか、疲れるんだ」

「マジか。じゃあ別れんの?」

「そのうち、な。でも別れ話した途端、泣き喚きそうで嫌だな。すげえ面倒なことになりそう」

「言い方にもよるだろ。お前言い方きついからさ、それでそういうことになるんじゃね?」

「違うって。あれはそういうもんじゃなくてさ……あーあ俺、なんであいつと付き合ってんだろ。こんな面倒なことになるなら、最初から付き合わなきゃよかったな」

「お前、それはゲスすぎだろ」

「彩愛より杏理みたいな、ちょっと大人しいタイプ? の方が性に合ってるわ」

「杏理って……樫山のことか?」

「そう。完全に地味ってわけじゃないけど、彩愛たちの中じゃちょっと影薄いよな。ああいう、男を立てられるような控えめなタイプの方が付き合うには断然いいわ」

「祥弥……何があったか知らねえけど、言動には気を付けろよ。お前、マジで女に刺されるぞ」

「健司も彩愛と付き合ってみたらわかるって。こういう風に思えるから」

 二人は後ろのうちに気付かず、そのまま何処かへ行ってしまった。

 うちは呆然として、人目も気にせずその場に立ち尽くした。怒りも悲しみも湧いてこなかった。ただの無だ。人は完全に心が壊れると感情の一切が消えてしまう、という話は本当のことだと肌で実感する。

 目前に迫っていたチュロス屋に背を向け、うちは校舎の中に入っていった。これから自分が何をしようとしているのか、自分が何を考えているのか、うち自身にもわからなかった。

 虚無感を抱いたまま、無人の教室に辿り着く。文化祭の騒がしさも、ここの教室に来るまでには薄れていった。

 教室には色々なものが散乱していて、まるでうちの心の中を現しているかのようだった。あちこちに散らばるゴミはごちゃごちゃな感情を、濡れた床は溢れるはずだった涙を、静けさは虚無を。外のような賑やかな場所よりも、ここにいる方が随分と気持ちが落ち着く。

 そんなとき目に入ったのは、自分たちの荷物だった。教室の端にある机の上に置かれており、揃いのキーホルダーが太陽光に反射して光っている。光っていたのは、杏理のキーホルダーだった。

 確かあれは、五人でディズニーランドに行ったときに買ったものだ。莉歩がオーロラ姫、柚乃がベル、瑞季が白雪姫、杏理がシンデレラ、うちがアリエル……という風に、それぞれ「プリンセス違い」にして買ったキーホルダー。

 シンデレラのキーホルダーが光る。そういえばシンデレラは、最後に王子様と結ばれるんだっけ。他のプリンセスも、原作では王子様と結ばれるハッピーエンドだった気がする。

 じゃあ人魚姫は? 王子様と結ばれずに泡になって消えてしまう。ディズニー映画ではハッピーエンドだったけど、原作ではバッドエンドだ。

 悲恋で終わるなんて、なんだか今のうちみたい。

 うちは、祥弥と結ばれない。

 どうして杏理なの?

 杏理が憎くて憎くてたまらなかった。祥弥に好かれて、愛されて、なんて羨ましい。そして澄ました顔をしているなんて、なんて浅ましい。隠れて祥弥と何をしているの? 二人ともうちを裏切って、何をしていたの?

 うちは祥弥よりも、杏理に腹が立っていた。

「なんでよ」

 机の上にあった鋏を手に取る。そして。

「あんたがシンデレラなんて、絶対認めない」

 杏理のキーホルダーを切った。

 でもそれだけじゃ気が収まらず、杏理の緑色のリュックや中に入っていたものを切り裂いていった。嫌な音が響き、誰かに見つかるかもしれないという不安がよぎったが、今ここに来る人は誰もいない。今しかない、今しか恨みを晴らすことはできない。そのチャンスを無駄にしたくなかった。

 夢中で切っていると、スマホの着信音が鳴り響く。その音に驚き時計を見てみると、いつの間にか店番の時間になっていた。

 うちは鋏を机に置き、切り裂いた杏理のリュックを教室の中央に投げた。そして手を震わせながら、電話に出る。

『彩愛? 今何処? もう時間だよ』

「あっ、ご、ごめん。すぐ行くね」

 電話の主は燐だった。声の様子から察するに、他の四人はもう来ているのだろう。

 午前中はサッカー部が店番をしており、午後はバトン部と陸上部が店番だった。嫌でも杏理と顔を合わせなくてはならない。上手く店番できるだろうか。

 いや、それより買えなかったチュロスをどう言い訳しよう――そんなことに頭を悩ませながら、うちは教室を出た。



 あんなことになるなんて、思わなかった。

 確かに杏理の荷物を引き裂いたのは自分だけど、深川君のことは知らないし、文化祭の予算のことも知らない。

 奈々は一連のことが繋がっている、と推理してたけど、こっちからしたらたまったもんじゃない。勝手に殺人未遂と窃盗の犯人にしないで欲しい。

 放火のことも、うちは無関係だ。あのクラスには、うちよりももっと歪んだやばい奴がいる。そいつと比べれば、うちはまだいい方なのだ。

 けど、うちだってやったことは犯罪の一つ、器物損壊罪。いくら気が動転していたからって、今思えば許されないことをしてしまった。あのときの自分は、本当にどうかしていたと思う。

 どうしてうちは、あんなことをしてしまった――いや、あんなことができたのだろう。

 もう六年も前のことだから、あまり覚えていない。でも一つ確かなのは、うちは紛れもない極悪人だってことだ。

 こうして今日も、誰かを騙して生きている。あの同僚を騙すときだって、別段心は痛まなかった。うちは、人間らしい心を何処かに置いてきてしまったのだろうか。

 夕方の人がまばらな電車の中で久々にインスタを開いてみると、柏木君のストーリーが上がっていた。新しい投稿には、卒業式をやろう、という主旨が書いてあった。

(なんで卒業式を今になって……?)

 莉歩や柚乃、瑞季のSNSを見てみると、みんな卒業式に行こうかどうか迷っているらしい。行けそうだったら行きたいな、と三人とも言っているが、この言い方だと恐らく行かないだろう。

 うちは行くべきだろうか。行っていいのだろうか。でも今さらみんなと会ってどうするんだろう。会いたい三人は乗り気ではなさそうだし、行く意味がない。

 それに、うちは杏理や祥弥と会いたくない。杏理は来るかどうかわからないが、恐らく祥弥は来るはずだ。どんな顔をしていいのかわからない。うちは平然と振る舞えるだろうか。口を挟まれないよう、一方的なフリ方をした祥弥を前に、平常心を保てるだろうか。

(いや、きっとうちは……)

 まだ、自分はあのときに囚われている。囚われているからこそ、この場にうちはいちゃいけないと思った。過去をずっと引きずったまま、今日まできてしまっている。

 うちはスマホを鞄にしまった。目的の駅に辿り着いた電車は、ゆっくりと停車する。うちは席を立って、開かれたドアを通った。

「一番ホーム、列車が通過致します」

「閉まる扉にご注意ください」

「須藤……?」 

「え? も、もしかして、今井、君?」

 様々な声を聞き流しながら、うちは改札まで早歩きで向かった。

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