相澤星

 俺たちは、何故かいつも一緒にいた。俺たちのこんな関係が始まったのは、高校生のときからだ。

 三年間同じクラスで、部活も一緒。こんなにもずっと誰かと一緒だなんて、多分俺たちの他にはいないんじゃないか。

 でも、こいつと丸っきり気が合うわけではない。あいつはあいつなりの考えがあるし、俺にも俺なりの考えがある。方向性の違いで、何度も揉めた。でもどんなに揉めても、俺たちは解散だけはしなかった。

 そうして、今に至る。

「なあ、今度の曲どうする?」

「そうだなあ。今までずっとロックな感じだったから、今度はちょっと違う感じにしたいね」

「具体的には?」

「なんか、宇宙的な壮大な感じ」

「は? なんだそりゃ」

 俺とあつしは、狭いアパートの一室で新曲について話し合っていた。

 男二人で身を寄せあっているなんて、なんとも悲しい光景だ。でも仕方ない。なんせ、俺たちには金がないのだ。

 レコーディングのためにスタジオを借りたり、ライブハウスを押さえたり、楽器のメンテナンスなどにも金がかかる。金、金、金。とにかく金だ。

 動画投稿サイトの広告収入で、ある程度金は入る。でもそんなの安定してないし、何より全然足りない。そういうわけで、俺たちは共同生活を余儀なくされている。

「StarGazerらしい曲だよ。ほら僕たちのバンド名って、なんとなく宇宙っぽいでしょ? だから、そんな感じ」

「そんなんじゃ全然わかんねえって。もっと言語化してくれよ」

「うーん、難しいね。ていうか、僕は今ちょっと立て込んでいるんだよ。どうしてこのタイミングで新曲の話をするの?」

 淳はノートパソコンの前で、ずっと険しい顔をしていた。ローテーブルを挟んで向かい合った淳の顔には、疲れの色が見える。毎日残業しているからだろう。

 会社勤めの淳と違って、俺はバイトをしていた。仕事量で言えば、俺の方が圧倒的に少ない。

「淳が忙しいのはわかってる。でも、今しないでいつするんだよ」

「もう少し空気を読んで欲しかったな。僕は星と違って、色々やることがあるんだよ」

「はあ? 俺がなんにもしてないように見えるのかよ」

「もう……すぐキレないでよ」

 俺は怒りに身を任せて、立ち上がった。脱ぎっぱなしにしていたコートを羽織り、スマホをコートのポケットに入れる。近くにあった無線イヤホンを耳につけ、玄関まで歩く。

 靴に履き替えているとき、ぶっきらぼうに後ろの淳に声をかけた。

「ちょっと出てくる」

「何処行くの」

「どっか」

「あっそう」

「じゃあな」

 勢いよくドアを閉め、俺は寒空の下に繰り出した。

 こんな風に俺たちは、しょっちゅう揉める。それなのに俺たちが「StarGazer」として活動できるのは、やはり周りからの後押しがあったからだ。



「相澤と須藤って、やっぱすごい」

 空き教室で練習中、いきなりかずにそんなことを言われた。少し小さめの身長で丸顔の和に、下から覗き込まれる。

 俺は和の発言に少々面食らいながら、ギターの弦を弾いた。

「なんだよ急に」

「俺たちとレベルが違うなあって。もったいないよ。相澤はギター弾きながらあんなに歌えるし、須藤はベースの技術プロ並みだしさ」

「まあ、めちゃくちゃ練習したし」

「そんな、プロと比べたら僕はまだまだだよ」

 淳が照れながら謙遜した。

 俺の目から見ても、淳の技術はずば抜けていた。あのベースに敵う奴は、この学校にはいない。他校のバンドのベースも聞いたことがあるが、淳には遠く及ばなかった。

 こいつなら、今すぐプロになれる。そう思わせるほどの、実力があったのだ。

 和は淳の控えめな態度に苦笑する。

「またまたあ。あー、俺も上手くなりたいなあ……って、もう遅いか。文化祭で俺たちは解散なんだっけ」

 俺たちは、次のライブで解散する。俺と淳と和と亜里沙。四人で組んだバンドは比較的仲が良く、トラブルもあまりない平和なバンドだった。名残惜しいが仕方ない、そろそろ本格的に進路について考えなくてはならないのだから。

 ドラムセットを触りながら、和は横にいるキーボードの亜里沙に目を向けた。

「なんか早いね。三年間あっという間だった」

「なんとなくでこの四人が集まったけどさ、ある意味これって奇跡だよなあ」

「奇跡、か。確かにそうかも。こんなに長続きするとは思わなかった」

「亜里沙はすぐ解散すると思ってた?」

「だって、他のバンドは解散とかしてるじゃん」

「あー、そういえば。方向性の違い? とかでバラバラになったのは、結構あったかも」

「でもさ、それでみんな結構上手くやってるんだよね。不思議な話だけど。前のバンドにいたときよりも、生き生きしてるっていうかさ」

 俺たちは三年間、解散騒動など起こしたことがなかった。どのバンドも一度くらいそういった話が出るらしいが、俺たちには縁のない話だった。

 順風満帆で平和――それが俺たちのバンドだ。

 亜里沙は長い黒髪を結び直しながら、俺と淳に目を向けた。

「ねえ、思ったんだけどさ。星と淳も一回、うちと和と離れてやってみたら?」

「え?」

 俺と淳の声が重なった。

「今度の文化祭、このバンドとは別に二人で出てみなよ。うちさ、いつも後ろでキーボードやってるから、実は二人の演奏ちゃんと聞いたことないんだよね。だから、一回聞いてみたい。多分、すごく盛り上がると思うよ」

「いいじゃん、それ。面白そう」

 亜里沙と和が楽しげに話を進める中、俺はギターを持ちながら頭をフル回転させていた。

 俺と淳。二人だけのバンド。曲はどうしようか、どんな風にアレンジしようか、そうだ、せっかくだからベースが目立つようなものを――まだやると決まったわけじゃないのに、俺と淳がステージに立つ姿を想像して胸を膨らませていた。

 そんな俺とは対照的に、淳は和の提案に目を見開いて、口に手をあてていた。

「えっ……いいの? いや、僕はすごく嬉しいんだけど、僕と星だけ目立っちゃっていいのかな」

「いいんじゃない? 最後なんだしさ」

「あとは、二人の気持ち次第だよ」

 和と亜里沙が口々にそう言った。

 淳は遠慮がちに俺を見つめる。

「……星は、僕でいいの?」

 答えなんて、最初から決まってるじゃないか。



 俺と淳は、軽音楽部の活動がない日も一緒に練習していた。曲はすんなり決まったので、あとはひたすら練習するだけだった。

 空き教室で日が沈むまで、ずっと楽器を掻き鳴らしていた。アンプに繋いでいなかったし、ギターとベースだけなので、いまいち盛り上がりに欠ける。だが、俺たちはそれで満足していた。

「ねえ、星。バンド名どうしよっか」

 最終下校間近。ギターをギターケースに入れる俺に向かって、淳はそんなことを言い出した。

「バンド名……いや、別になくてもいいんじゃね?」

「駄目だって。各バンドが何時からっていう、タイムテーブル書かないといけないでしょ?」

「んー……バンド名書かなくても、適当にスペシャルライブって書いときゃいいんじゃね?」

「部長がそんないい加減でどうするのさ。ほんと星って、歌とギター以外はほんと無頓着だよね」

「だってよ、バンド名とかって急に思い付かなくね?」

 俺は名前に拘らないタイプだ。名前なんてなくても、淳とステージに立てるならそれでいい。

 だが淳は、その辺をきっちりしたいようだ。真面目な奴だと思う。窓の側に立ち、外を見ながら淳は言った。

「僕に一つ、考えがあるんだ」

「考え?」

「バンド名、『StarGazer』とかどうかな」

「スター……ゲイザー?」

 ギターをしまい、俺は淳の方を見る。聞き慣れない言葉だ。英語が苦手なので、その名前がなんなのかよくわからなかった。恐らく星に関係する言葉なんだろうが、どうもピンとこなかった。

 淳は黒板の方に歩いて行き、チョークを手に取った。淳の手によって書かれた「StarGazer」という文字は、鮮やかに輝いて見えた。

「僕と星、二人合わせてStarGazer。『Star』は星、『Gazer』は僕を指すんだ」

「俺はわかるけど……『Gazer』が淳ってどういうことだよ」

「……僕はね、ずっと星に憧れてたんだ。歌いながら、あんな荒々しいギターを爪弾ける。僕はああいうことできないからね、だから横で『すごいなあ』って思いながら見てたんだ」

「淳だって、あんな繊細なベースが弾けるだろ」

「いや、僕はまだまだだよ……ああ、話が逸れたね。で、名前なんだけどさ。『Gazer』は何かをじっと見てる人って意味なんだ。星を見つめる僕には、ぴったりの名前じゃない?」

「あー、なるほど。そういう意味か……でもじっと見てるとか、なんか気持ち悪いな」

「酷いなあ。僕なりに思い入れがある名前なのに」

 淳は力なく笑った。

 気持ち悪いと茶化したが、俺はこの名前を嫌に思わなかった。響きがなんか格好いいからだ。

「つーか、俺を全面に出すような名前でいいのかよ」

「うん。むしろそれを狙ったんだ。星の名前を、みんなに知ってもらえるようにね」

「お前……俺が下の名前気にしてるの、知ってるだろ」

「え? 僕は格好いいと思うけどな」

「キラキラネームだって、からかわれることが多いんだよ。あー、そう考えると恥ずかしくなってきた」

「照れてるの?」

「照れじゃない。恥だ」

「どっちもそう変わんなくない?」

 くすくす笑う淳。かけてる眼鏡を、ぶんどってやりたい衝動に駆られる。

 ムッとしている俺に、淳は近寄ってきた。

「そんな顔しないでって。せっかくのイケメンが台無し」

「俺はそんなんじゃないし」

「でも、星のこと格好いいって言ってる女子、結構多いんだよ?」

「へえ、初耳だな」

「バンドのファンも、圧倒的に星のファンが多いしさ。和や亜里沙がずるいって言ってたよ」

「……なあ、淳はいっつも他のメンバーの影に隠れてるけど、それでいいのかよ。今回だって、俺の後ろに隠れてる感じがする」

「いいんだよ、それで。僕はあくまでもベース。星のサポート役なんだから」

 俺は、へらりと笑う淳の肩を掴んだ。なんだか今は、淳ののらりくらりとした態度が、癇に障った。

「サポート? 淳はそれでいいのかよ。バンドっていうのは、一人でも欠けたら成り立たねえもんだ。だから言っちゃえば、一人一人が主役なんだよ。そんな、自分は脇役みたいな言い方するなって」

「だって……僕はベースだよ? ギターを引き立てるベース。そんな僕が星と同じ土俵に立つなんて……」

「何言ってやがる。お前、そんなこと思ってたのかよ。いいか、ベースは引き立て役なんかじゃない。下から突き上げるような、下から殴るような重低音は、ギターじゃ表現できない『重さ』がある。その重さが、曲のスパイスになるんだ。ベースがあるのとないのとじゃ、曲の響きが全く違ってくるんだよ。ベースはなくてはならない存在だ。そんな、自分はなくてもいいみたいな言い方するなよ」

 淳は目を見開き、やがてやっと振り絞ったような小さな笑みを浮かべた。

「……ありがとう、星。そう言ってくれて。はは、星にとってベースはそんな風に見えてるんだね」

「俺だけじゃない。和も亜里沙も、同じことを思ってるはずだ。だから今回の話、持ちかけたんだろ」

「そっか……案外僕は、必要とされてたんだね」

「当たり前だろ。淳がいなきゃ、成り立たないんだ。俺はお前のベースを必要としている。お前のベースに敵う奴なんて、他にいないからな」

「嬉しいことを言ってくれるね。なんか今の話を聞いて、自分に自信が持てそうだよ」

 俺が肩から手を離すと、淳は真っ直ぐ俺を見た。眼鏡越しでも、目から溢れんばかりの熱が伝わってきて、俺は少し戸惑った。

「星。将来、僕と二人でプロになろう」

「は……?」

「ずっと前から考えてたんだ。星の歌とギターの腕前は、きっとプロでも通用する。僕は、そんな星を見てみたい。喝采を浴びて、ステージの上でハチャメチャに声を上げる星を。僕と組むなんて嫌がるかなって思ってたけど、でも今の星の言葉を聞いて安心した。ねえ星、もしもその気があるなら、僕と一緒にプロを目指さない?」

「な……いきなりなんだよ。プロなんて簡単に言うけど、俺は……」

「さっきまでの気迫は何処行ったのさ。まさか星に限って、自分の実力を把握してない、ってことはないでしょ? 星は絶対プロになれるよ。僕が保証する、僕の人生全部賭けたっていい。星はすごい人なんだ」

 俺は淳の言葉にたじろいでしまっていた。

 力のこもった話しぶりは、普段の淳からは想像もできない。和や亜里沙が見たら、なんて言うだろう。というより、さっきの気弱な感じは何処に行ったのだろうか。あまりの豹変ぶりに、頭の整理が追い付かない。

 しかし淳は、そんな俺に構わず話を続ける。

「ねえ、『StarGazer』で、これから一緒にやってこうよ。僕はずっと、隣で星の音楽を聴いていたいんだ」

「……まさか、お前がそんなこと思ってたなんてな」

「僕は本気だよ」

「返事は少し、待ってくんねえかな」

「迷いがあるの?」

「こういうことは、いい加減に答えちゃ駄目だろ」

 そう言うと淳は、納得したような、でも何処か悲しそうな表情を浮かべた。



 答えなんて決まっていた。それなのに、あんな風に引き延ばすようなことを言ってしまったのは、動揺が大きかったからだと思う。

 プロになりたい、と漠然と夢を見なかったわけじゃない。むしろ、大勢を前にしたステージで歌う光景を、何度も脳裏に描いた。プロになれるものならなりたい、自身の音楽を貫きたい――その気持ちは、きっと淳にも負けないものだ。

 でも俺は、まさか一緒に夢を追いかける相手が淳になるとは思わなかった。俺と淳。音楽にかける情熱は一緒でも、タイプが全然違う。そんな淳と一緒にプロを目指すというのは、どうもピンとこなかったのだ。

 あいつはあいつでやっていくと思っていたし、俺が思い描くステージの上に、淳はいなかった。

 どうして俺は、淳を必要としていながら淳を拒むのだろう。

「星、ぼーっとしてないで手を動かしてよ」

 淳に横から声をかけられ、ふと我に返る。その途端、むわっとした蒸気と焦げる臭いが触覚と嗅覚を刺激した。

 俺は焼き鳥を焼きながら、すっかり考え込んでしまっていたようだ。

「大丈夫?」

「あ、ああ……悪い」

「しっかりしてよ。明日はライブも控えてるんだから……もしかして、体調悪かったりするの?」

「いや、そうじゃない。ちょっと寝不足なだけだ」

 適当にごまかし、俺は焼き鳥をくるくる回す。淳は怪訝な顔をしていたが、すぐに自分の持ち場に戻った。

 文化祭一日目。俺と淳と卓球部の柴崎は、肩を寄せ合いながら焼き鳥を焼いていた。しかし俺は大して真面目にやっているわけではなく、ずっとStarGazerのことを考えていた。心ここにあらず。こんな調子でやっていたら、周りの人から怒られるだろうか。

 淳は畑澤と軽音の打ち上げについて話し始めた。畑澤は俺たちと違うバンドに所属しており、実はあまり接点がない。ガールズバンドだからだろうか。でも同じクラスで同じ部活なのに、接点がないというのは変な話だ。

 軽音の打ち上げがカラオケということに、畑澤はどうやら不満らしい。淳が困った顔で対応している。

「それは会場のセッティングをした、星に言って欲しいな」

「え? 相澤発案なの? てか、今地味にダジャレ言ったね?」

「あ、ほんとだ。無意識だったんだけどな」

「おい……勝手に人の名前で遊ぶなよ」

 自分の名前が出てきて、ようやく俺も話に加わった。

 だからこの名前は嫌いなんだ。いつでも何処でも、遊びの対象になる。淳はこの名前をいいと言ってくれたが、俺からすれば馬鹿も休み休み言えという感じだ。

 畑澤はそんな俺の苦悩に気付くことなく、話を進める。

「なんでカラオケで打ち上げするの? ライブやったあとってきつくない? 声的に」

「声? 腹から声出してりゃ、別にどうってことないだろ」

「相澤と一緒にしないでよ! こちとら、毎日日陰で生きてる陰キャだからね? 普段、声を張り上げることなんてないんだからね? そんな人間にさ、あんまり喉使わせないでよ」

「陰キャとか言う割に、めちゃくちゃ喋るじゃねえか」

「私、打ち上げ行かなくてもいい? ライブで喉潰す自信しかないんだけど」

「好きにしろよ……」

 こいつと話していると、なんだか頭が痛くなってきた。

 恐らくこいつは、なんとなくのいい加減な気持ちでバンド活動をしている。会話の節々からそんな感じがするし、前に聞いたこいつの歌からは情熱も何も感じなかった。でも、軽音をやっているほとんどの人種がそうだった。

 俺と淳は、例外中の例外なのだ。

「塩二本でーす」

「えっ、待ってもう焼き鳥ないんだけど……」

「嘘? もう? 早くない?」

「一本しかない」

「マジか……あのー、すみませんお客様。もう一本しかなくて……」

 日ノ浦が客に事情を話す。それを横で見ていた畑澤が、淳に指示を出した。

「とりあえず、一本だけ焼いちゃって」

「わかった……でも、これからどうしようか? 明日もあるし、今日この時間で全部売り切れちゃうのはまずいよね?」

「相澤、ちょっとひとっ走りして焼き鳥買ってきてよ」

「なんで俺に言うんだよ」

「元気があり余ってるのかと思って」

 こいつには俺がそんな風に見えているのだろうか。冗談じゃない。

「俺、そんな体力ねえよ。誰か運動部の奴に……あ、柴崎、お前確か卓球部だよな? 体力ありそうだし、焼き鳥の調達頼むよ」

「えっ、ええ? お、俺? 俺、そんな体力ないし……」

「卓球ってめっちゃ体動かすだろ」

「む、無理無理無理……! クーラーボックス抱えながらチャリ漕ぐのはきついって! 卓球部を過大評価しすぎ……俺、ひょろいしそんな体力ないから……」

 なんだよ使えねえな。出かかった言葉を呑み込み、淳に目を移す。

 俺と柴崎がアホみたいなやり取りをしている間、淳は黙って仕事をしていた。今、淳は何を考えているのだろう。三年間ずっと同じバンドだったのに、俺は淳のことを知らない。知らなすぎる。

 知っているのはベースの腕前だけだ。

「星、このあと一緒に練習しようよ。最終調整をしておきたいんだ」

 純粋な眼差しを俺に送る淳。俺はその発言に動揺しながらも、了承していた。

 あと淳について言えることは、とんでもない音楽馬鹿だということだけだ。



「はー……疲れたな」

 文化祭二日目がそろそろ終わる頃、俺は教室に向かうため廊下を歩いていた。

 教室にスマホを置きっぱなしにしていたのだ。今日の朝から、ずっと教室に放置していた。淳からようやく解放された今、やっと取りに行くことができる。

 何故こんな時間になってスマホを取りにきたのか――それはいい意味で練習熱心、悪い意味で諦めの悪い淳のせいだ。

 俺は今日の文化祭が始まったときから、ずっと淳に拘束されていた。視聴覚室の隣にある、軽音部の物置場となっている所で、ぶっ通しで練習していたのだ。

「ここの音が悪い。ちょっと譜面変えてみるか……」

「は? 本番今日だぞ? 今から音変えるのかよ」

「星が歌ったときに、ここの響きが悪くなる」

「だからって、今変えなくても……」

「変えるのは僕の音だけだから。星は気にせず今まで通りでいいよ。あ、でも調整したいからサビの前から歌って弾いてくれる?」

「……文化祭、回らなくていいのかよ」

「それよりもこっちが大事だからね。ほら、星。早く」

 こんなやり取りが延々と続いた。

 淳は相当の凝り性らしく、自分が納得するまで梃子でも動かなかった。何度もスマホで録音して音を聞いたり、ベースの弾き方を変えたりしていた。

 熱心なのはいいと思うが、今日の淳は常軌を逸している気がする。それだけ本気だということだろうが、少しは俺の身にもなって欲しい。何度も同じフレーズを歌わされ、おかげで喉がカラカラだ。  

 淳は俺が思っていたよりも、執拗で自分勝手な奴なのだと肌で感じた。俺も音楽にはとことん拘りたいし、その気持ちはわからなくもない。だがあいつとやっていくには、相当なメンタルがないと駄目だ。

 俺はこの先、あいつと上手くやっていけるのだろうか。

「ん?」

 教室のドアに手をかけると、うっすらと何かが焦げる臭いがした。焼き鳥が焦げるのとはまた違う、もっと鼻につく嫌な臭い。嫌な予感がしながら、俺は教室のドアを開けた。

「なっ……!」

 見ると、机に積まれたダンボールが燃えている。まだ炎は大したことないが、このまま放っておくと教室中、いや学校中が火の海に包まれるかもしれない。

 こういうとき、どうすればいいのか。確かまずは、火事が起きたことを周りに知らせるのが第一だった気がする。

「火事だー!」

 俺は叫び、記憶を頼りに無人の廊下を走った。あの辺りに消火器があったはずだ。心臓が縮み上がるのを感じ、余計に焦ってしまう。でも、こんなときだからこそ冷静に対処しなくては。焦っても何も始まらない。

 読んだ通り、窓の下に消火器が備え付けてあった。そこから消火器を引ったくり、急いで教室に戻る。見ると、火がさっきよりも大きくなっている気がした。それと同時に、鼓動も早くなる。

 消火器のラベルに書いてあった使い方を確認し、黄色い安全ピンを引き抜いた。そしてホースをダンボールに向け、レバーを引く。すると、けたたましい音とともに薬剤が撒かれた。

 消火している間、俺はずっと無心だった。手が震えてコントロールが上手くいかず、辺りに薬剤を撒き散らしてしまった。それでも、ちゃんと火は消えたようだ。

「なんでこんな……」

 放火。その文字がぱっと頭に浮かぶ。昨日あんなことがあったんだ、放火が起きたっておかしくない。じゃあ一体誰がやった? なんのために?

 消火器を持ったまま立ち尽くして考えていると、加藤と木村が入ってきた。

「火事ってここ? 相澤が火を消してくれたの?」

「まあな」

「あっ、ダンボール……! ここが燃えたのか」

 焼け焦げたダンボールを見て、加藤は納得したような声を上げた。

 俺は消火器を置いて、ダンボールの近くを見渡す。ゴミが散乱した床、その向こうに乱雑に置かれた机、そこに置かれた飲みかけのペットボトル――ペットボトルの水がきらりと光るのを見て、俺はふと「ある仮説」が浮かんだ。

「……そうか。そういうことか」

 これは事故だ。放火なんかじゃない。ただ偶然が重なって起きてしまった、悲惨な事故。

 水のペットボトルがレンズの役割を果たし、太陽の光を集めた。そしてその光がダンボールに向かって屈折し、ダンボールから火が上がったのだ。

 小学校の理科で習う、ごくごく簡単な事象。誰かが故意にやったという線も考えられるが、こんな証拠を残すような手段で放火するだろうか。俺だったらそんなことはしない。確実に足がつく。このペットボトルは学校の自販機にあるものだし、警察がきちんと調べれば、自ずと犯人に辿り着いてしまうだろう。

 これは事故だ。ただの事故だ。俺はそう思いたかった。頭の中で勝手に最終判決を下し、これ以上の思考を放棄した。

「マジかよ。俺たちの教室か」

「えー……怖いね」

 俺は一瞬、そんなことを言いながら教室に入ってきた二人を見て、ぎょっとしてしまった。宮沢はわかったが、その隣にいる男子はわからなかった。でも今の俺にとってそいつが誰なのかは、どうでもいいことだった。

 二人を一瞥したあと時計を見やると、時計の針は文化祭終了間際を指していた。それを見て俺は、はっとする。

「やべ。俺ステージの準備に行かねえと」

 このあとは待ちに待った後夜祭だ。そのためのステージを作らねばならない。ホームルームが終わったらすぐ後夜祭なのだ。準備を今のうちから進めておかないとまずい。

 俺は教室を飛び出した。そしてその直後、蛍の光が放送で流れ始めた。



 俺と淳と和と亜里沙は、暗がりの教室でたむろしていた。後夜祭のステージ建設が終わったあと、最終調整と称してこうして集まっていたのだ。俺たちの番までだいぶ時間があるので、まだゆっくりできる。しかし俺にはそんな余裕などなかった。

 今回は、いつにも増して緊張している気がする。さっきから手汗がダラダラだし、膝がガクガクいっている。自分でもどうしてこんなに動揺しているのか、わからなかった。

「それにしても、こうして電気消して見るとほんとお化けみたいだよね」

 亜里沙が落ち着いた声で言った。

 今の俺たちは仮装に合わせたメイクをしており、最早誰が誰なのか原型を留めていない状態だった。衣装は全体的に白で統一しており、亜里沙の言う通り化け物のような出で立ちだ。

 和は長い袖を持て余しながら、少し文句を含んだような声を出した。

「ハロウィンって言ってもなあ。ちょっと時期尚早では? 全く、引退してハロウィンライブに出れないからって、後夜祭でこんな格好することないでしょ」

「だって私、めっちゃハロウィンライブ楽しみにしてたんだよ? ここで引退だから出れません、なんて引き下がれるわけないじゃん。衣装も用意してたしさ。もったいないじゃん」

 亜里沙は和を軽くあしらい、俺にそっと近付いてきた。

「それよりもさ、放火の話。あれ、結局誰がやったの? 星は見当がついてるんでしょ」

「誰かは知らねえよ。わかったのは、放火の仕組みだ」

 声のトーンを落とし、俺は慎重に話し始めた。

「あれは至極簡単なことで、ペットボトルの水が太陽光を集め、レンズの役割をしたんだ。虫眼鏡に太陽光を当てて、紙を燃やす実験やっただろ。あれと同じ原理だ」

「え……じゃあ、放火はもしかして」

「そう、事故かもしれない」

 俺がそう言ったとき、教室のドアが開いた。廊下の明かりが射し込んで、俺たちを照らす。ドアを開けた奴の顔は逆光になり、誰が教室に来たのかはわからなかった。

「ぎゃああああああ出たああああ!」

 俺たちが声を発する前に、そいつは叫んで逃げ去ってしまった。

 叫び声とシルエット的に女子なのだろうが、やはり誰だったのかはわからなかった。

「い、今の誰だったんだろ……」

「さあ……俺たち、そんなに怖かったかな」

 亜里沙と和はそんな言葉を漏らした。逃げていったあいつの反応を見て、俺はさらにステージに立つのが不安になった。

 淳はずっと黙りこくったままだ。一体今、何を考えているのだろう。

「そろそろ時間だし、体育館行こうか」

「俺と淳は後で行くから、先に行っててくれよ」

「え? どうしたの?」

「淳に話があるんだ」

 雰囲気を察したのか、和は訝しげな亜里沙を連れて教室を出た。教室には俺と淳、二人が取り残される。静まり返った教室の中、化け物に見間違えられるほど化粧を塗りたくった二人が向かい合わせになるのは、俺からしても不気味だった。

 俺が言葉に迷っていると、ずっと口を閉ざしたままの淳が口を開いた。

「二人の前では話さないってことは、StarGazerの話かな」

「こんなときに話すことじゃないのはわかってる、でも、今ちゃんと言いたいんだ」

「星の中で、結論が出た感じ?」

「結論なんてそんな……大それたことじゃねえよ。正直、この先音楽でやっていこうかどうかは、まだ迷ってるんだ。進学もそういう体で進めてこなかったし」

「まあ、話す時期は悪かったかもね」

「淳は音楽に対して誰よりも真剣だけど、俺を置いて一人で話進めるし、すげえ面倒な奴だよな。正直今日のあれで、無理だなって思った」

「少しでも良くしようと思ってやってたことだけど、それが裏目に出たみたいだね。残念だよ、でも星がそう言うなら仕方ないね」

 夜目がきいてきたのか、淳の心苦しそうな表情が見えた。それに構わず、俺は言葉を続ける。

「そんな奴に付き合えるのは、俺くらいしかいねえだろ」

「え?」

「だから、その話乗るって言ってんだよ。淳と組むのは悪くねえ話だ。俺も、お前のベースが気に入っているからな」

「ちょ、ちょっと待ってよ。理解が追い付かない。それじゃ、星はこれからも僕と組んでくれるってこと?」

「ああ」

「それは……嬉しいけど、なんか釈然としないな。話の流れ的に、断られるかと思ったのに」

「……断ろうとも思った。ずっと迷ってたよ、どうするか」

「どうして迷ってたの? やっぱり、進路のこと?」

「それもある。でも一番は……お前が怖かったからだよ」

 俺は、淳が怖かった。ずっと一緒にいたのに、得体の知れない音楽への執着心に俺は気付かなかった。突然の提案、そして今日見せた音楽への異常なまでの熱量。俺の知らない淳は、不気味で末恐ろしかった。

 一緒に組んでも、いつか自分は置き去りにされてしまうのではないか。音楽の世界に入って、俺より上手い奴と出会ったら、淳はそいつに乗り換えてしまうのではないか。誰かと比べられて、誰かに負ける。それが俺にとっては、耐えられないことだった。

「お前はいつか、俺を置いていく。勝手に俺の手の届かないところまで駆け上がって、俺は一人取り残される。そうしたら、俺はどうなるんだよ」

「僕は、星を置いて何処かに行ったりしないよ。はは、星って意外と臆病だなあ。そんなことを心配してたなんて」

「わ、笑い事じゃねえぞこれ」

「わかってるよ。それだけ、真剣に考えてくれたってことだもんね。ありがとう、星」

 淳に茶化され、俺は少し気が悪くなった。そんな俺とはうって変わって、淳は穏やかな声色で言った。

「僕は、星以外の誰かと組むつもりはないよ。星の歌とギターは、星にしか出せない唯一無二のものだ。代わりなんて、誰にもできない。だから、それは杞憂というやつだよ。僕は星を必要としているからね」

「……そーかよ」

 俺はそっぽを向いた。ああ言われて、俺は自分がさっきまで口走っていたことが小っ恥ずかしくなってきたのだ。顔が熱くなったが、恐らくあいつには見えてないだろう。それだけは幸いだった。

「星、そろそろ行こう。ラストステージだ。そしてこれが、僕たち二人のファーストステージでもある。最高の歌とギターを頼むよ」

「はっ、言われなくてもそのつもりでやるから、お前の方こそ覚悟しとけ」

 俺たちは教室を出た。「StarGazer」の音色は、ここから始まったのだ。



 StarGazerとして活動を初めて、もう六年が経とうとしている。時の流れは恐ろしいほど早く、俺たちは老けていった。まだ老いを実感する歳じゃないが、目元のシワを見るとやはり、十代のときとのギャップを感じる。

 動画サイトに曲を投稿したり、オンラインでライブをやったり、デビューするために色々なことをした。それが功を奏し、俺たちの知名度は上がり、今度音楽番組に出演することになった。

 メジャーデビューをしたわけではないが、こうしてテレビに出られることに俺たちは大喜びしていた。そこで淳が言ったのだ、「記念に新曲を発表しよう」と。

 もちろん賛成したが、新曲の方向性は定まらないままだった。発案者の淳も年末になったことで忙しくなり、二人でじっくり話す時間がなかなか取れなくなった。そのせいもあって、二人の仲が冷え込んでいったのだ。

 アパートの近くにある自販機で、缶コーヒーを買う。悴む手でプルタブを空け、中の液体を胃に押し込んだ。熱さで喉がじんじんする。淳がいたら、喉に悪いからやめるよう叱咤するだろう。

 コートからスマホを取り出し、適当に曲を流す。耳元から聞こえてきたのは、高校生のときの俺の歌声だった。

 高校三年生の後夜祭のときの音声だ。俺と淳、「StarGazer」のデビュー曲。有名なバンドのカバー曲だが、これが俺たちの原点だった。

 懐かしい。長い間忘れ去られていた記憶が、呼び起こされる。

 調べてみると「Stargazer」という言葉は、天文学者や占星術者などを指すものらしい。淳はそれを知ってて、あえてこの言葉を選んだのだろうか。俺を全面に押し出すと言っておきながら、言葉の意味を考える限り、星を見る自分のことを全面に押し出している。ちゃっかりしている奴だ。

 まあどちらにせよ、本人に聞けばわかることだ。帰ったら淳に聞いてみよう。そして淳の様子を見て、新曲のこともちゃんと話そう。今なら冷静に話ができる気がした。

 手から缶コーヒーの温かさが伝わってくる。淳にも一つ、買ってやろうか。そう思い立ち、小銭を自販機に入れる。きっと淳はびっくりするだろう、今まで俺がこんな風に気を利かせたことはなかったから。

 缶コーヒー二本を手に持っていると、随分と体温が上がった気がした。これを淳が飲んでくれたら、淳だけじゃなく、俺たちの関係も温かくなるだろうか。

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