第13話

いつものように依頼を求めて事務所の外へ飛び出した瑠璃は、いつものように自分の墓地がある街へと歩き出す。


「タイツ履いてきてよかったー、寒い!」


瑠璃の服装は基本的にシンプルだ。瑠璃の性格的、そして実用的にもお洒落にあまり興味があまり無いのである。なんせ、どうせ死ぬ時は死ぬので。服や化粧などにお金をかけても、以前対峙した影を操る超能力者の男のように全身を爆散させられたりすると、服も化粧も蘇生する時に全部無くなるのである。当たり前だ。


なので、瑠璃は基本的に安上がりでシンプルな模様の服を選び、化粧などは皆無な人種だった。そもそもするしないの前に化粧の仕方を知らない、というのもあるだろうが。


まぁ瑠璃の場合、不死になる前から普通にお洒落にそこまで興味が無かったりするので、そこまで困ってはいないらしい。ついでに言うなら、瑠璃は自分の身体に大抵の場面で無頓着である。


なんせ、瑠璃は不死だ。そして同じく不老なのだ。故に瑠璃は不死者になってから保湿とかした事ないし、日焼け止めもした事がない。お風呂だってシャンプーを使って終わりだし、ムダ毛を剃ったりもしていない。


何故なら、身体が一定の状態から一切変化しないからだ。肌はどれだけ空気が乾燥していようが常に潤うし、日焼けは肌の火傷なので再生して白いまま。髪は表面を守るリンスも内部を守るトリートメントも必要無いし、ムダ毛はそもそも生えてこない。そして何より、老化による肉体の変化というモノが一切訪れない。つまり、瑠璃は一生美少女のままなのだ。世の女性が聞いたら嫉妬に狂いそうな話である。


「もう一枚くらい羽織るべきだったかなぁ?」


まぁしかし、幾ら不死者でも寒いものは寒い。寒さとは肉体から体温が奪われる現象によって生まれる感覚であり、それは不老不死でも治せないのである。夏の暑さが不老不死ではどうにもならないのと同じだ。


肉体の物理的な変化──怪我や老化──は訪れないものの、外的要因による肉体の現象的な変化──体温変化や空腹─は起こるのである。そうでなければそう簡単に殺されたりしないだろう。


………いやまぁ。やろうと思えば、別に活動自体は出来るのだ。寒さで死んでも蘇るから実質的には寒さ対策などする必要は無いし、空腹による飢餓で死んでも蘇るから実質的には食べる必要など無い。


だと言うのに瑠璃がわざわざ食事をしたり寒さの対策をしたりするのは、不死である以前の感覚を忘れない為でもある。


「むー、そう都合良く依頼なんてある訳ないか」


瑠璃はなにかの事件に巻き込まれたりして、それでなんかこう、凄い組織と戦うことになって………みたいな、とっても浅い妄想を想像したりするタイプの少女だ。そういうのを妄想したりして探偵になったと言っても過言ではない。別にそれだけが理由ではないのだが。


「あ、森が真っ赤………ん………そういや、私が不死になったのも秋だったっけ………?どうだったかな………」


瑠璃は森の紅葉を見かけて、ふと、自分の過去を思い出した。しかしそれは朧げで、すぐに出てこない。瑠璃は不死になってから、どうしてか、不死になる以前の記憶を思い出しにくくなっていた。


一応、なんとなくの。しかし、理由を知っていても当の記憶である不死になった以前の記憶はどうにも朧げで、その代わりと言うように不死になってからの記憶は大半を覚えている。


ちなみにこの事実だが、瑠璃は真由美にすら言っていない、瑠璃の秘密の一つであった。まぁ別に、本命の秘密に比べたら話してもさして問題無いものではあったが。


「んー………あの時は、確か………秋だった、ような………確か………紅葉を見に………」


ゆっくりと、ゆっくりと。自分の過去を、ゆっくりと思い出す。思い出せないから。


「そう………そう。確か、家族みんなで………紅葉を見に、ドライブに………」


思い出すのは………楽しげな笑い声の溢れる、昔の記憶。家族と共に車の中で談笑をして、車の中から見ていた一面の紅葉に、子供のように感動していた、ある秋の日の、小さくて大切な………二度と手に入らない………、思い出。


家族みんなでお出かけという楽しみであんまり眠れなくてほんの少しだけ寝不足だった私と、張り切っていたのに車のガソリンを入れ忘れてしまったお父さんと、準備万端だったのに新しく買ったカメラを家に忘れちゃったお母さん。家族揃ってどこか抜けていて、でも、決して悪くなんてなかった日々。


両親は私にとって、とっても大好きな家族だった。とっても大切な人達だった。小さな頃から両親の墓守の仕事を手伝って、一緒に、楽しいことをして………手を繋いだり、抱き合ったり、頭を撫でてもらったり………そんな楽しい思い出ばかりが、瑠璃の頭の中を埋め尽くしていく。


「………楽しかった、なぁ………」


楽しかったあの日々の、とっても素敵な思い出。これは真由美ちゃんにだって話したことのない、私だけの大切な記憶。そして──


「………今も、楽しいけれど」


──私が初めて死ぬまでの、儚い夢のような思い出。忘れられない死の瞬間と、これまでの人生の全て。唐突にやってきた初めて知る終わりの呼び声と、それを嘲笑うような1度目の始まりの咆哮。1人の人間が不老不死の存在に、そんな………忘れられない、"最後の記憶"。


「うん………」


瑠璃は少しだけ、両親を想う。もう、優しく頭を撫でてもらうことも、力強く抱きしめて貰うことも、墓守の仕事を一緒にする事も………何も、何もしてもらえないけれど。親孝行なんてのも出来なかったし、我儘な事を言っていた記憶もあるし………でも、そんな小さな諍いだって、もう出来ない。


………それに。この記憶が何より私を苦しめるのは、瑠璃が初めて死ぬ直前の、両親の死の間際の言葉。


『お願いだから、瑠璃だけでも生きて』


『輪廻の輪に帰ることになっても、私達はあなたを忘れないから』


『だから、瑠璃だけでも生きて』


『いつかお婆ちゃんになった瑠璃をずーっと待っているから、長生きをして』


『いつの日か、私達に、楽しかった全てを教えて』


そんな………優しくて悲しくて、それでいて、嬉しい言葉だったのを覚えている。あの言葉のおかげで、私はこうして今を生きているのも理解できる。あの時、心の底から死にたく無いと思ったから、今の私がここにいるんだから。



「あーあ………私、んだっけ………怒られるかなぁ………いや、もう無理か」


瑠璃にとってその両親の願いは、不老不死になってしまった瑠璃にはもう、


「………とりあえず、気持ちを切り替えよう」


柄にもなく感傷に浸ってしまったと、瑠璃は反省する。あぁけれど、こうやって思い出に耽るのも悪くなかった………かもと、瑠璃は思った。


「んー………そうだ!」


そして瑠璃は唐突に、とある一つのアイデアを思い付いたのだった。









「………」


真由美がラピスラズリ探偵事務所のソファに座り、物静かに読書を嗜んでいると。


「………あら」


真由美の超人的な感覚が、瑠璃の帰宅を感じ取った。具体的にはバタバタと走って帰ってくる瑠璃の足音が、真由美の異能で強化された聴覚で聞き取れたのである。


「ただいま真由美ちゃーん!」


「おかえり、瑠璃」


「温泉、行こ!」


「………はぁ」


あまりにも唐突な、そこに至るまでの過程を完全にすっ飛ばして結論だけという瑠璃の発言に若干というか普通に困惑する真由美。そりゃそうである。


「いやぁ、さっき外歩いてたら思いついちゃってさ!最近少しずつ寒くなってきたし、2人で一緒に温泉行こ?」


「まぁ………いいけれど。旅費は?」


「私が全部払うから大丈夫!あ、もう予定とかあったりする?」


「予定は………無いけれど。本当に唐突ね」


「いやぁー。思い付いちゃって」


「まぁ、あなたが旅費を払うなら文句は無いけれど………どうかしたの?」


「んー?特に何も?」


即座にそれが嘘だと、真由美は分かった。魔術で支配してしまうと必要がないので、これまで共に過ごして瑠璃の前で使った事は無かったが、真由美は他人の発言の嘘を見抜く事が出来る。無論、異能に加えて真由美本人の才覚のおかげである。文武両道は伊達じゃない。


しかし、真由美は特に追求する事もしない。瑠璃は基本的に、真由美に対してだけ情報はフルオープンだ。ちょっとした秘密はあれど、それだって質問をしてしまえば簡単に答える程度には、瑠璃は真由美を信頼している。


それでも尚、瑠璃が真由美に対して頑なに隠そうとする秘密がある。


それは、瑠璃の過去。瑠璃は自分の過去を滅多に話そうとしない。質問してもはぐらかされたり、今みたいに真由美にとって分かりやすく嘘をついたりする。


しかし、真由美は深く追求などしない。普段あれだけオープンな瑠璃が本気で隠そうとしている事を、この手で解き明かしたいと言う気持ちが………無いとは、言わない。


………けれど。そんな事を言ってしまったら、真由美だって同じなのだ。瑠璃と出会う以前の家族の話など、殆どした事がない。言いたくない。あれはどうあっても、どんな結末だったとしても………例え、大切なモノを失うばかりの記憶だったとしても。それは決して、忘れたくない思い出なのだ。自分だけの思い出なのだ。誰にだって話したくないし、誰とだって共感したくない、自分だけの記憶なのだ。


というか、自分も過去を隠しているのに、瑠璃に対して一方的に追求するというのは、控えめに言ってゴミではなかろうか。情報に限らず大抵の物事は等価交換。こちらが何も教えないのに貴女の秘密を教えてというのは、あまりにも虫が良すぎるだろう。


「そう」


真由美は、そうして短く返答する。瑠璃も真由美も、決して2人は仲が悪い訳では無かったが、それでも踏み入れてはいけない領域があるのを理解していた。だからお互いに、自分の過去については踏み込まないようにしていた。


「それで?一緒に温泉に行ってくれる?」


「はいはい、行くわよ。予定日は事前に教えてね」


「了解です!あ、一泊するくらいはしてもいい?」


「ご自由にどうぞ。予定さえ教えてくれたらこっちで合わせるわ」


「明日からとかにしていい?」


「流石にやめて」


と、まぁ。そんなこんなで瑠璃と真由美は、ちょっと遠くの温泉旅館へ向かう事になったのでした。

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