第6話
「………安らかに、眠れますように………」
瑠璃は今回新造された美しい造形の墓の前にしゃがみ込み、その墓の中に埋葬されている女性──今回の事件で、瑠璃が影を操る超能力者の男を見つける原因となった女性であり、瑠璃の目の前で亡骸になってしまって助けられなかった女性であり、その亡骸すらバラバラにされてしまった女性。
その原因となった超能力を使って犯罪をしていた男はまっさらにしたが、真由美の細工によって警察に逮捕させる事となった。そして、その男に殺されてしまった彼女の事も、彼女の家族に伝わった。
瑠璃の視線の先には、彼女の家族が居た。彼女の親戚が居た。彼女の家族がこの墓地にやって来たのは偶然だ。瑠璃の住む街にある墓地は、この永墓墓地──瑠璃が両親から受け継いだこの墓地以外にも、幾つかある。
だから、彼女の家族がここに居るという事実は、本当に偶然だ。
「………」
視線の先に居る彼女の家族は、父親と、娘が1人。彼女は結婚していて、子供まで居たのを知った時、瑠璃は心の底から気分が悪くなって、心の底から苦しくなって、あまりの感情に吐きそうになった。
瑠璃にとって、『死』というものは軽いものだ。瑠璃はこれでも、既にあらゆる生命に訪れる絶対の終わりと始まりである『死』というモノを超克した存在であり、確実なる不死性を保有する者だ。世界的に見ても様々な権力者が望み、そして誰も手に入れる事の無かった不老不死。
しかし瑠璃にとって、自分以外の善良な他者が迎える『死』というものは、『命』というものは、この世に存在する他の何よりも大切なものだった。
だってそれは苦しくて、辛くて、悲しくて、痛くて、怖くて、分からなくて、消えてしまいそうで、嫌で………それらの全てを、『死』というものがどんなものか瑠璃は知っているから。
"こんな気持ちを味わってほしくない"
瑠璃が他者の命を大切にするのは、そんな言葉が脳裏に浮かぶからだ。
「………」
瑠璃は静かに立ち上がり、静かにその場を去ることにした。そうして瑠璃が向かう先は、この墓地の隅にある管理人室。瑠璃はこの墓地の管理人ではあるが、決して瑠璃1人だけで経営している訳じゃない。
両親の時代からここに勤めてくれていた人達が、今も勤めてくれているからだ。気の優しいお姉さんは墓地の事務所の受付を担当してくれて、眼鏡をかけているお兄さんと渋いお爺さんが火葬を担当し、少し気の強いお姉さんが経理と会計を担当。そして、管理人である瑠璃は、墓地自体の清掃や管理などを主に担当している。
みんなの人数は少ない。けれど、瑠璃が子供の頃から両親の仕事を手伝っていたから面識もあるので、他の人より幾分も安心できる人達だ。両親を失ってから1年近くは瑠璃の方から避けていたし、みんなも瑠璃の事をそっとしてくれていた。けれど、最近は小さな頃と同じくらいの距離感に戻れている。お互いが寄り添ったから戻れたのだと、瑠璃は思っている。
瑠璃の今居る管理人室は墓地の隅にぽつんとある。元々は清掃道具や諸々の工具などが置かれていた倉庫のような場所だったが、現在はかなりの整頓がされており、空いたスペースにクローゼットやベッドや諸々の生活用品を置き、瑠璃の私室としている。
瑠璃の家族が元々住んでいた家は、もう無い。3年前の両親を失った事故の後、まるで不幸は連鎖するのだと言うように、何の準備も無く全てが燃えた。放火だった。瑠璃はそのせいで、両親を失い、戻る場所すら失って、瑠璃は全てがどうでも良くなって………でも、今はこうして生きている。
瑠璃はそんな理由から、現在は小さな倉庫の中に家を作っていた。一通りの生活用品は小さいながらも設置されている為、この倉庫の中でも十分生活できる。瑠璃はその中でも特にスペースを取って設置されているベッドの中に倒れ込んでから、ポケットの中に入っていたスマートフォンを取り出す。
「え、っと………あー………うーん………?そう、確か、こうやって………」
瑠璃はスマホの扱いがかなり苦手だったが、かろうじて電話機能とメッセージアプリ、そして検索機能を使うことが出来る程度は可能だった。というか、瑠璃は機械全般を扱うのがめちゃめちゃに下手だった。
生活の中で電化製品の類もほぼ使わず、料理はガスコンロを使うくらいで、洗濯は大抵が洗濯板と桶で行い、風呂はほぼ五右衛門風呂。冷蔵庫はあるものの設定部分には決して触らず、暖房器具はどうにかストーブの使い方を覚えた程度。瑠璃は出来る限り電化製品を扱わないよう生活をするくらい、電化製品が苦手だったのだ。でも普通にゲームはやる辺り、最近の子供らしいと言えるかもしれない。
『はい、もしもし?』
「あっ?!えっと、あー、えーと?真由美ちゃん、ですか?」
『そうよ。一体いつになったら慣れるのかしら?』
「うるさいなー!これでも頑張って覚えようとしてるってばー!」
『そうだといいわね。で?何の用?』
「いやー、真由美ちゃんの声が聴きたくなってさー」
『昨日会ったでしょう?』
「今日は会ってないじゃーん!私も本職である墓守のお仕事はちゃんとしなきゃいけないから、今日は流石に事務所に行けないしー………」
『そう。満足した?』
「うーん………もうちょっとだけ、お願い」
『………仕方ないわね』
「やった!」
瑠璃はその返事を聞いて喜んだ。当たり前だ。好きな女の子と話せるなんて楽しいに決まっている。嬉しいに決まっている。
「あのねあのねー!」
『………』
しかし、真由美には分かっていた。多分、瑠璃は少し無理をしている。恐らくは墓守としての、墓地の管理人としての仕事に関わる事柄だ。何かあったのは確実、しかし真由美は、一度しか墓地に赴いた事がない。というか、瑠璃本人からあまり墓地に来てほしくないと言われている。瑠璃自身の不死性を獲得した3年前の事件のことは一切知らないし、どうして瑠璃が不死性を獲得するに至ったのかすら真由美は知らない。
でも、それはどっちもどっちだ。真由美も自身の家の場所は教えていないし、昔の事や家族のことは黙っている。だから、これはお互い様だと、真由美は少なくともそう思っていた。
そして今回も、何か瑠璃の心に影響があって、それをどうにか和らげようとこうして電話をしてきてくれたのだと、真由美は分かっていた。その行動原理は真由美にはとても愛おしかったし、真由美の事を真摯に見てくれている事実に歓喜もした。
けれど、真由美は己の感情を外には決して出さないようにするのが得意だったので、瑠璃にはバレなかった。瑠璃が若干の箱入り娘っぽい為に他者の感情の機敏を感じ取るのが得意ではないというのもあるにはあるが。
「──でね、でね!」
『そう………ねぇ、瑠璃?』
「?どうかしたの、真由美ちゃん?」
『いえ………少しだけ、貴女が心配で。貴女、いつもこういう事件の時、自分以外の誰かが死んだのを見た後、ちょっと落ち込むでしょう?………まぁ、なんというか………そう、ね………私と貴女だけしか聞いてないんだし………空元気でなくても、いいのよ?』
瑠璃はその言葉を聞いて、とても情けなくなった。カッコいい所を見せたかった女の子に気を遣われて、でもそれが嫌ではなくて、瑠璃はさっきまでやっていた空元気を途端にやめた。
「………真由美ちゃんにはバレちゃったかぁ」
『私、誰もが認める天才よ?感情の機敏なんて6才の時にはもう完璧に理解してたわ』
「やっぱり………真由美ちゃんは、凄いなぁ」
『………なんとなく言いたいことは分かったわ。貴女、あの彼女を助けられなかったからそうなってるのね?私みたいな天才で何でも出来る人間なら、みたいな事を思ってる。そうでしょ?』
「うん………そう」
永墓瑠璃はどうしようもない程に一般人だ。超能力や異能のような類稀で特殊な才能も、神秘的な技術である魔術に呪術、降霊術や祓魔術への適性も無い。また、神秘を保有しない何かしらの武術を修めている訳でもないし、卓越した技術がある訳でも、世間に誇れる才能がある訳でもない。
瑠璃は、端的に言ってただの凡人だ。偶然にも不死性を有しているから何度でも死ねて、だからこそ無理が出来るだけで、本来なら何かを成せるような器でもない。この不死性が最大の才能であると言えるかもしれないが、瑠璃が欲しいのはそういうものではなかった。瑠璃は自分だけ助かるような才能ではなくて、他の誰かを助けることのできる才能が欲しかったのだ。
「私がもっと強かったら、もっと何でもできるのになぁ………」
戦う術でもいい。守る術でもいい。癒す術でもいい、補う術でもいい。とにかく、誰かの為になれる才能が欲しかった。けれど結局瑠璃にあったのは、自分だけが助かる才能。自分だけが死なない力。自分だけが救われる力。自分だけを守る力。
だから、瑠璃は真由美を愛していた。
真由美は瑠璃が居なければ最強ではない。真由美は瑠璃という存在が居て始めて完成する絶対で、瑠璃が居なければどうにもならない不変だ。
瑠璃にとって、真由美が初めてだったのだ。
誰かの為に死ねたのは。
初めて瑠璃が死んだ事故のあの日、両親を失ったあの日、瑠璃は自分だけが助かった──否、自分だけが生き返ったあの日、瑠璃は嘆いた。もし、もしもこの不死性が、自分以外の他者にすら伝播するなら、誰かの死を自分が受け止められるなら、それほどに嬉しいことはないと瑠璃は思った。
だから、瑠璃は真由美を愛していた。
………今は、それだけが理由ではなくなった。共に過ごして、共に乗り越えて、純粋に真由美を愛するようになった。1番最初は独りよがりな理由で好きだったが、今は心の底から好きで、愛しい。
『ねぇ、瑠璃?』
「………真由美ちゃん?」
『貴女はそうして1人で悩んでいるけれど、貴女には、この私がいるのよ?』
「!」
瑠璃は目を見開いた。あの真由美が、こんな事を言ってくれるなんて。いつもツンツンしてる真由美ちゃんがこんな風にデレてくれるのなんて初めてだ!と。いや、冷静に考えてこれでデレていると認識している私もどうかと思うけど、私にとって真由美ちゃんのデレは確実にこれだ!と、瑠璃は思った。
『貴女は探偵で、私はその助手なんでしょう?』
一息置いて、真由美は話す。
『なら、私は貴女の手になるわ。右手がいい?左手?それとも脚の方が良かったかしら?とにかく何処でもいいから、これだけは覚えておきなさい』
瑠璃はその先の言葉に期待した。
『貴女は私の相棒で、私は貴女の相棒よ。貴女の足りないものは私が補うから、私の足りないものは貴女が補って。それくらい、貴女でも出来るでしょう?』
今の瑠璃が、1番欲しい言葉を投げかけてくれた。だからかは分からないが、瑠璃の表情がどんどんニヤけてくる。真由美の前だったら気持ち悪いとか言われるタイプの顔だった。やばいくらいニヤけているのを瑠璃は自覚していたし、声が嬉しさで塗れてしまうのもよく分かった。
「えへ、えへへ、そうかなぁ、そうかも!」
『そうよ。だから落ち込んでないでさっさと仕事して、明日になっなら事務所に戻ってきなさい。いいわね?』
「うん、うん!了解しました!仕事してきます!」
『電話はちゃんと切るのよー』
「うん!ばいばい!」
『はいはい、また明日』
瑠璃は真由美の言う通りに、未だに慣れないスマホの通話終了ボタンを押して電話を終了してから、そのまま管理人室を飛び出した。
「やっぱり私、真由美ちゃんのこと、大好きだ!愛してる!いよぉーし!頑張れ私!何とかなるぞ私!足りないところは真由美ちゃんに補って貰えばいい!真由美ちゃんの足りないところは私が補う!それがいい!それでいい!」
──永墓瑠璃は両親を失ったあの日、大切な家を失ったあの日、もう死んでもいいかと思っていた。そんな時に瑠璃は、当時各所から狙われてボロボロだった御園真由美と出会い、"この子を助ける事を人生で最後の目標にしよう"と本気で考えて、それで。
「ふふーん!ふへへへへー!真由美ちゃんがデレたー、デレたー!やったー!」
それで、瑠璃は運命の相手を見つけたのだ。自分の願いを叶えてくれる少女に出会って、共に生きていきたいと願うようにもなった。そして、その少女に紛れもなく恋をした。少女はいつも態度が冷たくて瑠璃の扱いが雑で割と毒舌で確実にドSだけど、それでも毎日愛してると真正面から溢れる思いを全力で言えるくらいには恋をした。
「ふへへー、ふへへー!真由美ちゃん愛してるー!大好きだよー!!」
まるで落ちるように、まるで焦がれるように、まるで溺れるように、運命であると断言できるくらいに、訂正の余地もない程に恋をした。自分より一つ年下の少女に愛を抱いた。両親の頃から勤めてくれている従業員達に好きな人でも出来たの?と全員から聞かれるくらいには、かなりあからさまに。
いや、瑠璃本人からしてみれば好きな人が出来たなんて恥ずかしいので黙っていたのだが、まぁ恋愛経験なんて皆無だった少女が恋をしている事くらい誰でも分かるのだ。少なくとも、瑠璃は感情がその言動に現れるタイプだった。だから従業員全員から詰められて、最後には好きな人が出来たのだと暴露した。そして、その相手が年下の女の子である事も。
瑠璃の住む日本では未だに同性婚は不可能である。同姓同士の恋愛だって忌避感のある人間はまだまだ多い。しかし、従業員達は全員、そんな事はどうでもよかった。既に亡くなってしまった恩人の残した1人娘が恋をした、なんて。つい最近までぼんやりと宙空を見つめて悲壮な表情をしていただけの少女が、以前とは違って顔に生気があり、頬は赤らんでいて、その瞳には活力があった。
だからこそ、従業員達は瑠璃を問い詰めた。恋をしたのは明白だったが、その相手がどんな相手なのかを知りたかったのだ。もしその相手が瑠璃の害になり、瑠璃を食い散らかそうとする輩ならば、何をしてでも止めようと思って。
でもその話に出てきたのは、年下の、しかも少女。完全に予想外のところから殴られた気分ではあったが、惚気るようにその少女の事を元気いっぱいに、まるで両親を失う前の少女であるかのように話す様を見て、聞いて、きっと大丈夫なのだろうと安心した。それは、多くの大切を失った少女が得られた幸福を肌で感じたからかもしれないし、何か漠然とした安心を覚えたからかもしれない。
とにかく、瑠璃はその少女──御園真由美を、心の底から大好きになったのだ。その少女を助ける前に考えていた目標なんて、瑠璃の中にはもう無かった。ただただこの子とこれからを共に歩みたいと思ったから、自分の感情が赴くままに動いて、その少女が万全な生活をできるようにまでした。
「んふふふふ!」
──瑠璃はもう、死にたいなんて思わなくなった。むしろ、最後に助けると思っていた真由美と一緒に生きていたいと思うようになった。
「私、まだ死にきれなーい!」
そうだ、そうなのだ。永墓瑠璃は死にきれない。何度死んだって、何度死に続けたって、何度死に瀕したって、何度殺されたって、瑠璃はまだまだ死にきれない。
無論、いつかは死ぬだろう。終わりはあるだろう。終わりのない存在は無く、終わらなければ始まりすらない。ならば瑠璃もいつか終わって、最果てに座して、そうしてそのまま次を見る。瑠璃は来世というものを信じている。いや、来世があるのを知っている。
瑠璃は"終わり"のシステムを超克した。そして"始まり"のシステムを垣間見た。だからこそ、瑠璃は他の誰よりも死に近いモノを見る。
「頑張っていこー!おー!」
瑠璃は心底楽しそうな笑みを浮かべ、テンションに身を任せて跳び上がる。月の兎が何を見て跳ねるかなんて誰も知らないが、少なくともこの永墓瑠璃という墓守の少女は、己が愛しの少女を慕う恋心が溢れ出して跳ね回る。
そうしてそのまま、瑠璃はやるべき仕事を終える為に疾走しに行くのだった。
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