第5話


超能力者である男は丁寧にバラした女の死体を影の中に沈め、影の中に仕舞い込む。たったこれだけで同じ超能力者であろうと影の中の物に気が付かないし、何より影の中に入っている物は重量が無い。


男はその特性を利用し、幾つもの違法品を影の中に入れて飛行機に乗り、堂々と真正面から密輸を繰り返すことで大金を稼ぐのが男の主な収入だった。影の中に潜めば飛行機にすら容易く侵入出来たが、男は飛行機のファーストクラスに乗り込んで、愛用のイヤホンを付けて、スマホに録音した好みの音楽を聴きながら、悠々自適な空の旅をするのが趣味だった。


今日の男の仕事は女の死体の密輸だった。四肢欠損して、既に純血を散らされた女の死体をぶち犯す事に興奮を覚える金持ちからの依頼であり、余った四肢は闇オークションの方に流して端金にしてもいいと言われていた。今回の依頼者は前にも何回か依頼を受けた事があり、金払いが非常に良い事を知っていたので、男は今回丁寧な仕事を心がけていた。


男は車を使わず、影の中を車以上のスピードで疾走していた。影の空間そのものを高速移動させる事で実現しており、車や電車と違って揺れは一切なく、事故の心配も皆無。強いて言うなら、超高速で動く水溜りのような影が足元にあったら場所によっては目立つという事だが、時間帯が真夜中であればそんな事を気にする必要も無かった。


「今回は少しばかり勿体ない事をしたが………まぁいい。………それよりも、さっさと飛行機乗って次の依頼を聞かねぇと」


男は競馬にハマっていた。それも、かなりどっぷりと。そのせいで今まで稼いできた大金がどんどんと減っていくのだ。だが、依頼一回でかなりの金が入る。日本円にして数百万だ。そうすれば、万札を競馬に突っ込んでも問題なくなる。しかしそれでは足りない。諸々の資金すら削って競馬をするくらいハマっていたからだ。


「ちっ、次の飛行機は無理か。その次の飛行機じゃねーと乗れねぇ………ん?」


その時初めて、


「ここ………何処だ?」


そこは、。周囲に広がるのは木々と草花、そして砂浜と、広大な海。


男は状況の認識に時間がかかった。向かっていた筈の場所と今の現在地が全く別だからだ。一切の認識が追いつかなかった。


数分かけて己の身に起こった事実を認識した男は。


「………!?!?はぁ!?なんだこれ!?!?」


突然ながら、男は愕然とした。当たり前だ。思考と行動が別々の所にあって、現在地が全く知らない場所にあるなど、そんなもの一体誰が驚かないというのか。


「おいおい………待て、待てよ。なんだ?何が起こってやがる?」


しかし、男はこれでも超能力者だ。即ち、常識外の力を扱う者だ。これまでの人生で自分と同じような超能力者と殺し合った事もあるし、超能力以外の神秘的で超常的な力や技術の保有者を相手に大立ち回りをした事だってある。それら今までの経験があってこそ、男は異常事態に対して冷静な思考が出来ていた。


「これは………そもそも、俺はどうしてここに居る?これは現実か?それとも幻か?現実なら………転移系の力か、精神系の力………か?幻だってんなら………周囲一体殺してみるか?」


しかし、今夜は月の光があまり強くない。影の物理的干渉力は周囲の光の量によって変化するが、ここは島だ。紛れもない島だ。降り注ぐ月光しか光は存在しない。


「クソッ………訳わかんねぇ」


男はこれまで超常の力と対峙した事が何度かある。男は犯罪者だったが、決して愚かではなく馬鹿でも無かった。非常に強力な超能力を扱う為に勉強だってしたし、幼い頃は武道すら習っていた。次第に自分の力を扱う事に長けていき、最後には1人で生きようと都会に出て行った。


しかし、そこで男は世界の理不尽さを知った。己の今まで鍛え上げてきた超能力は社会で使うことは不可能であると知った。超能力すら使えない凡人相手に頭を下げる日々はうんざりだった。人間を簡単に殺害できる力があるから尚更だ。


だから煩い奴を全員殺して、男は紛れもない犯罪者になった。だから、男は決して愚かではない。感情に従って動いてしまう悪癖があったが、それは性格の話であって、そのスペックは大企業にすら就職できるほどの器用さと頭脳を有していた。それに加えて肉体だって鍛え上げ続けて全く衰えていない。男は今が全盛期とも言えたのだった。


「どうする………何をすりゃいい?」


男は思考する。決して愚かではない男は推測する。この場所は恐らく幻ではない。そして何処かへ転移した訳でもない。何故なら、自分が周囲の景色に気が付かなかったという事実が、何者かの精神干渉を受けた紛れもない証拠だからだ。しかしそれならば、何故このような場所に移動させられた?そしてその事実に何故ついさっき気が付いた?


男はそれが、精神干渉の射程外なのではないかと推測した。でなければ、こんな中途半端な場所で精神干渉を解除する訳がない。推測するに、男が通っていた場所周辺に男と同じ超能力者か、それとも別の神秘の保有者かが居たのだろう。内容は恐らく、強力な人払い。凡人相手なら誰も無意識下で一切近付かないようにさせられるだろうが、超能力者である男には神秘的な干渉に対する抵抗力がある程度備わっている。そのせいでおかしな挙動を見せて、蓄積した人払いの効果がここまでとにかく直線距離で移動して来たのではないか?と、推測した。


「クソッ………運悪く他のやつの縄張りに入っちまった訳だ………まぁ、これくらいで苛立ってたらしょうがねぇか。死んでないだけ儲けだしな」


感情的に動く事もあったが、基本的には冷静な男であった。そして非常に合理的な考えをする男だった。死んでいなければどうとでもなるのだ。復讐しようにも相手が分からないのだから、そんな事に怒る前にさっさと飛行機に乗ろうと、そう思考した。


しかし突如、男の耳にある声が聞こえてきた。


『ハロー!名前も知らない誰かさん』


「は?」


頭の中に響いてくる………否、耳に付けられたイヤホン!男は直ぐにイヤホンの先を確認すると、そこには男のスマホが胸ポケットに入っており、何者からかの非通知電話がかかってきていた。


『あら、もう気が付いちゃった?残念!もっと気がつくの遅くなるかなーって思ってたけど、貴方って結構頭の回転速いのね!』


「おい!お前が俺をここにやったのか?!」


男は胸ポケットから取り出した自分のスマホに向かって怒鳴りつける。何かしらの細工をされたのかは分からないが、この声の主は確実に今の状況の原因、もしくはその関係者!


『ほー?結構頭の回転が速いとか言ったけど、訂正するね。貴方、頭全然悪くないじゃん!状況証拠から割り出してそんな事言えるとか凄い凄い!異常事態への耐性も高いのかなー?』


「クソッ、何者だ!」


男は非常に冷静な思考のまま言葉を発していた。この怒鳴るような喋り方すら、男の作戦。会話相手をとにかく精神的に優位にあるのだと認識させる事で気持ちよくさせ、比較的情報を得られやすくする。そんな、男の得意な小手先の技術だった。情報はどれだけ小さくても、どれだけ少なくても、あって困ることはほぼ皆無だ。


情報さえあれば選択肢が増える。選択肢が増えれば行動の種類だって増やせる。だからこそ、男はほんの少しの情報でもいいから掻き集めようと、通話先の相手を煽ったのだ。竈門の中で燻ぶる小さな火を風で仰ぎ、その火を炎にするように。


『おぉ!良い煽り方するじゃん!良いね良いね、私も頭の回転速い人と話すのは大好きだよー!』


が、しかし、男の小細工はバレていた。こうなると情報は一気に手に入りにくくなる。否応にも相手が警戒するからだ。しかし、それを逆手に取ることも可能ではある。


『ところでだけど、私の声に聞き覚えとかない?』


電話先の人間がそう聞いてきて、男は電話先の声について思考を回した。


聞こえてくる声の感じからして女性、比較的幼げな声質。なんとなく、何処かで聞いたことのある声だった。しかし誰だ?男に女の知り合いは皆無だし、女と知り合った事はここ最近無い。それなのに、聞き覚え?そんなものない。ある訳がない。


『あー、分かってない感じ?んもぅ、仕方ないなぁ。、お迎えに行ってあげて?』


人名。人の名前が聞こえてきた。しかし男にはその名前に聞き覚えはない。知り合いどころか犯罪超能力者達の情報網ですら聞いたことのない名前だった。


(誰だ、何者だ?そして何と言っていた?"お迎え"?つまり、なんだ?俺の元まで真由美とかいう奴が来るという事か?)


男は周辺全域の探査を開始した。月光が降り注いでいる為、暗黒と呼べるような光の無い空間内でなければ使用不可能な感知能力だが、夜間なら精度は著しく低下するものの、使用自体は可能だ。身体全体にまるでローブのように影を纏い、遠隔からの攻撃に備えておく。飛来物の全てを影の空間の中に取り込むだけでお手軽な遠距離攻撃の無効化が可能だ。これこそが、男の本気の戦闘スタイルだった。


男が周囲を警戒していると、感知に反応がある。うっすらと人影が把握できるようになり、そこに現れたのは、1人の女。暗闇による感知はそれらの形のみしか分からずとも、メリハリのあるシルエットは確実に女のもの。服装は恐らくセーラー服の類だ。


(つまり、なんだ?ガキが俺を懲らしめようってか?いや、いや。そういや昼間辺りに1人殺した覚えがある。あの女の知り合いか?となるとこりゃ復讐か?)


そうとしか考えられないと判断した男は、ゆっくりとこちらに近づいてくる人影の方向に視線を向ける。そこには、感知通りの女が1人。


可愛らしいセーラー服を着て、月光を反射するように光る艶やかな黒髪ロングストレートを靡かせる美少女が、そこには居た。勿論ながら真由美である。


『よーし!いけー!真由美ちゃーん!』


電話の先から女の声が聞こえてくる。男は目の前からやってくる黒髪の女が、電話先の女が言っている真由美という少女なのだろうと確信した。


「なぁ、おい。てめぇら何者だよ。俺が何したってんだ」


「………何者で、貴方が何をしたか?」


「そうだよ。俺なんかしたかよ。あ?」


「………そうね。あの子の事を見れば、少しは思い出すわ」


その時、男の目の前の黒髪美少女真由美ちゃんの後ろから駆け寄る影が一つ。黒髪美少女真由美ちゃんは後ろからやってきた人影に視線を向ける。男はその形を見て唖然とし、月光の下に照らされた瞬間に目を見開いた。


何故なら。


「どうしたどうした変態男ぉ!殺したはずの女がなんでここに、とか思ってるのかぁ!?」


それは今日の昼頃、無謀にも超能力者である男に挑み、そして男が無残な血の華を咲かせた筈の白髪の少女だったからだ。真由美がヘアゴムを持ってきてくれてなかった(真由美が事務所に忘れてきた)ので、真由美と同じロングストレートな白髪を夜の帷に靡かせる、紛れもなく死んだ筈の瑠璃の姿を見た。


男は、反射的に瑠璃を攻撃した。その少女の足元の影を操って尖らせてから、ただ心臓に一突き。月光のみが存在するここで出来る最大の攻撃だった。


しかし。


「ごぶっ………ねぇ、これだけ?昼間のあの爆殺みたいなのは何だったの?」


白髪の少女は心臓を刺し貫かれても死ななかった。背後から影に突き刺され、胸から影の槍が飛び出ているのに、心臓の位置にある影を枝のように伸ばして尖らせて、いつもより念入りに突き刺して殺したのに、目の前の白髪の少女ーー瑠璃は生きている。


「どうなってんだ………どうなってんだよおい!」


何度も、何度も、何度も、何度も。男はただ、錯乱したように、瑠璃の心臓に、瑠璃の眼球に、瑠璃の脳髄に、瑠璃の子宮に、瑠璃の右脚に、瑠璃の左腕に、己の超常による産物たる影の槍を突き刺し続ける。


しかし、瑠璃の不死性はその上を行く。


「ふーはっはっ、がはっ、はっはー!げぶっ、私は、ごふっ、不死!がぶっ、おい口上の途中で刺すのやめろやー!」


高笑いしてから"私は不死!"って言いたかったのに、影の槍に刺される苦しみと痛みと身体機能的な反射によって咳き込んでしまって口上が決まらない瑠璃と、その何度刺し貫いても死なない瑠璃を何度も何度も執着するように影を操作する男を尻目に、真由美は静かにその男の真後ろにまで接近していた。


「終わりよ」


「なっ?!」


男はその真由美の声でその存在に気が付いて咄嗟に影の槍を真由美に喰らわせたが、それは無意味な結果となった。


「なんだ?!どうなってやがる?!」


男はその現象に再度愕然とした。何故なら、攻撃されて傷を付けている筈の黒髪美少女──、攻撃されておらず傷の付くことのない筈の白髪美少女──


更にいうなら、真由美に向けた影の槍が真由美の皮膚面で綺麗に停止している。先程までは人体程度なら軽く貫通させられる程の威力だったと言うのに、皮膚面上で。確かに真由美の背中に影の槍が僅かではあるが沈み込んではいるものの、そのダメージの全ては瑠璃に向かっていく。


まるで、ダメージを肩代わりしているような──


「っ、これがお前の能力か!」


「ええ、そうよ。これが私の『スケープゴート』の力。私が受ける害の全てを自分以外に受け流すの。生贄の山羊が代わりに私の罪を被るのよ。とっても素敵でしょ?」


真由美の超能力は『スケープゴート』。己の怪我、病気、呪い、老い、死など、自分自身が受けるあらゆる不利益を指定した1人にすべて押し付ける力であり、言わば、誰かに自分のスケープゴートになってもらう力である。


ただし、スケープゴートの対象は1人のみを指定可能であり、受け流す対象との同意が無ければスケープゴートには出来ないという制約がある。適当な相手を指定して受け流す事は出来ないのだ。


真由美は現在、瑠璃を『スケープゴート』の指定対象としている。つまり、真由美の受けるあらゆる被害を瑠璃が代わりに被るのだ。真由美が負うはずの怪我を瑠璃が受け止め、真由美が感染するはずの病気を瑠璃が受け止め、真由美が受ける筈だった神秘の力の影響を瑠璃が受け止めるのだ。


そう、不死性を有する瑠璃が受け止めるのだ。それは即ち、真由美は実質的に不死であると言えるのではないだろうか。


「──がはっ!」


男は咄嗟に影の中に沈み込もうとするが、そんな隙を真由美が逃す訳もなく、その首を片手で掴み上げる。それは到底華奢な少女の出せるような力ではなく、男は首からの苦しみを感じながら言葉を零す。決して首を絞められてはいない。絞められていないが、ただ苦しい。真由美の首の掴み方が絶妙なのだ。空気の通り道を作ってはいるものの、その大きさは最小限。相手に苦しみを与える為の首の持ち方。


しかし、それを華奢な少女の片手の筋肉量でやれるのかと言われたら、それは不可能だ。鍛え上げた丸太のような腕ならまだ納得できる。しかし、目の前の少女の腕はどう見ても細く、すらりとしたものだ。明らかにおかしい。


そして、男はこの異常を知っていた。超能力とは違う、身体能力での超常の力。それは即ち──


「がはっ、それ、はっ………いの、う………?!」


「あら。異能なんて言葉、よく知ってたわね」


──異能。それは身体機能の先に存在する、人間の限界を易々と越えうる特殊能力の事である。異能は何処まで行っても身体機能の極度な拡張、延長、強化などの、あくまでも肉体に由来する特殊能力こそが異能である。


超能力と違うのは、あくまでも超能力は不可思議且つ科学的証拠のない特殊な現象を作ったり操ったりする特殊能力である、という事だ。身体機能に由来する超能力こそが異能であり、身体機能に由来しない異能こそが超能力なのである。異能か超能力かの差異など、それが肉体由来なのかそうではないのかという程度のものでしかない。


「そうよ。私の異能は『身体能力』。他の異能みたいに極端な身体機能の強化じゃなくて、バランスよく身体機能の全てを強化する力よ」


真由美の異能は『身体能力』。10メートル以上を跳ぶ跳躍力、500キロ以上のバーベルを持ち上げる筋力、100メートルを5秒以下で走り切る敏捷力、拳銃の銃弾を受けても擦り傷で済む耐久力、難問を即座に解き明かす思考力、多くの事柄を忘れない記憶力、銃弾すら捉える事が可能な動体視力など、あらゆる肉体性能が人間の限界を越えた地点に存在している異能なのである。


また、真由美の異能は身体機能を強化するタイプの異能の中で最もオールラウンダーである。異能使いの世界の中では、真由美の異能こそが最も原初の異能使いに近いと言われるほどのものだ。まぁ、当時その話を聞いていた時は真由美も瑠璃も原初の異能使いとか誰?という感じだったが。


「なっ、ぜ………!?」


「あら、そんなの私が超能力者で異能使いってだけよ。珍しいでしょ?」


「が、は………そん、な………訳が、………ない………」


「ふふっ、そうね。普通、超能力と異能は併せ持てない。併せ持たないのではなく、。どの神秘の研究者達もそう論文に書いてるらしいけど、ごめんなさいね。私はその外側に居るらしいのよ」


男は驚愕していた。男は唖然としていた。そしてここで初めて。男は思った。あり得ない、あり得ない、あり得ない、あり得ない、と。


何故なら、男は己の首を絞める少女──御園真由美を知っていた。


御園真由美はあらゆる神秘の研究者達から狙われ、果てには犯罪者にすら狙われ続けた。その身に複数の神秘的能力を宿す、これまでの研究や常識を覆しかねない異端児。


そして。


全ての事件を強引に終結させた、神秘界の触れてはならない禁忌そのもの。


男は知らなかった。御園真由美があらゆる組織を壊滅させたのは知っていても、真由美──神秘の複数所持者が今何処に住んでいるのかを、男は知らなかった。男は決して無知でも愚かでもなかったが、男はその神秘の複数所有者に対する情報収集が足りなかった。それだけだ。しかし、そのほんの僅かな足りないものが、今の男の状況を作り上げている。


そして、男は今その事実を認識したのだ。複数の神秘性を有しており、あらゆる神秘界の中でも最強の存在であると謳われる程の美少女。その御園真由美本人に、己の首を掴まれている、今この瞬間に。


「がっ!?」


「その顔、気が付いたのね?なんだ、私の事を知らない無知なゴミかと思ってたけど、瑠璃の言う通り、決して馬鹿ではないのね」


「そう言ったじゃんかー!」


「あら、ごめんなさいね。でもちょっと、あまり言動から知性を感じられなかったから」


「知性ってのは滲み出るものじゃなくて、隠し潜んで他者を蝕むものだよ!真由美ちゃんは天才だけどその辺の駆け引きには弱いよねー!割と脳筋だし!」


「貴女に言われたくないわよ貴女に。貴女の中に存在するコマンド、"逃げる"と"死ぬ"の2択だけじゃない」


「うるさいなー!私は真由美ちゃんみたいに超能力者でも異能使いでも魔術師でも呪術師でも何でもない、その辺に居る一般人なんだよー!」


「まぁ、そうね」


男は必死にもがく。もがき続けたら何かがあるかもしれないともがく。しかし、真由美の右手は首から決して離れない。純粋な身体能力と卓越した技術によって、首一本だけで完璧な拘束をされている。腕は満足に動かない、足も同様に動かない。身体を揺らそうにも全身に力が入らない。呼吸が足りない訳じゃない。ただ苦しいだけ。窒息している訳じゃない。ただ痛いだけ。それだけであるのに、ある筈なのに、腕一本、首のみで、完璧な拘束が決められていた。


「それで、瑠璃?この男の処遇はどうするの?殺す?」


男は恐怖した。あまりにも淡白な殺害宣言に。そして、あまりにも軽薄に側に駆け寄ってきた死の恐怖に。


「真由美ちゃんの好きにしていいよ?私、女の人を助けられればそれでいいから」


「そう。それじゃ支配して、影の中に溜め込んでる中身を吐き出させてから、そうね………少し面倒だけれど、あの子に逮捕して貰いましょうか。犯罪者には刑罰が当然だし、ね」


男は既に気絶していた。だからこそ、この先に待つ更なる恐怖を味わわずに済んだ。それは、誰であっても恐ろしいものであると断言できるようなものだから。


「それじゃあ、おやすみなさい。………あら、もう寝てるのね。ふふっ。それじゃあ、さようなら」


そして。


男は。


頭に手を触れられて。


そのまま。


何も分からないまま。


ただ、

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